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Buddhism

仏教の初転法輪   First Buddhist Falun Falun

初転法輪

 さて、まずだれに説いたら受けいれられるであろうか。

 むかしかれが師事した二人の仙人はすでに世を去っていた。つぎに思いあたるのは、六年聞か れにつかえた五人の比丘である。

 そこでかれは、かれらがいるベナレス郊外の、修行者の集まっているミガダーヤmigadaya(鹿野苑)、現在のサールナートに行った。

 五人ははるかにシャカの来るのをみて、たがいに誓って、堕落したかれを立って迎えないことを約したが、その威力にうたれて、思わずかれを立って迎え、洗足の水を出し、座席を用意した。

 それでも内心かれを軽べつしていたが、やがてかれに法を説かれるにしたがって、シャカが最 高のさとりを得て仏陀となったことを知り、その教えによって、かれらもまたさとりを得て、羅漢arhatという最高の聖者となった。そこで、シャカをはじめとする六人の阿羅漢が出来た。

ここで説かれたシャカ最初の説法を初転法輪という。

 転法輪とは、転輪王がその輪宝を転じて全世界を征服するにたとえて、仏が説法することを法輪を転ずるといったものである。

 

First Falun

Well, who would you accept if you told him first?

Once upon a time, the two hermits studied by him had passed away. The next thing that comes to my mind is the five hills that I had spent six years listening to.

He then went to the current Sarnath, in the suburbs of Benares where they were, where the trainees were gathering, Migadaya (Kanoen).

Seeing the coming of Shaka far, the five men swore to each other and promised not to stand up for the fallen Him. , Prepared a seat.

Still, he was despising himself, but as soon as he taught him the law, he knew that Shaka had become the Buddha with the highest bird, and by their teaching they also got it. Became the highest saint named Arhan arhat. There, six Arakans including Shaka were created.

The Shaka’s first method taught here is called the Futatsu Falun.

Temporal Falun is like turning a Falun into what the Buddha preached, in the same way that the Falcon King conquers the whole world by turning its ring treasure.

一字金輪仏頂 One-character gold ring Buddha summit

一字金輪仏頂 (いちじきんりんぶっちょう)、梵名エーカークシャローシュニーシャチャクラ (एकाक्षरोष्णीषचक्र [ekākṣaroṣṇīṣacakra [1])は仏頂尊の一尊。深い瞑想の境地に至った如来が説いた一字の真言ボロン(भ्रूं [bhrūṃ])を神格化したものである。

一字とは梵字一文字で表せるボロンを真言とすることに由来する。金輪とは転輪聖王のうち最も優れた金輪王を意味し、仏頂尊の霊験が極めて優れたことを譬えたもの。そのため一字金輪曼荼羅では、転輪聖王が従えるという七つの宝(金輪、如意宝珠、女宝、馬宝、象宝、主蔵宝、主兵神宝)が、一字金輪仏頂と共に描かれる。

所依の経典により、如来形の釈迦金輪(しゃかきんりん)と大日金輪(だいにちきんりん)の二つの姿が説かれる。

 

 

 

Ichijikin Rinbucchi, Brahma Ark Shark Shnee Shachakra (एकाक्षरोष्णीषचक्र [ekākṣaroṣṇīṣa]. It is a deified version of the single-character Shingon Boron (भ्रूं [bhrūṃ]), which was introduced by Nyorai, who reached the state of deep meditation.

One character comes from the fact that Boron, which can be represented by one Sanskrit character, is the true word. Kinrin means the most excelling King of the Wheels of the Holy Wheel, and is a reminder that the Buddhist priest’s spiritual test was extremely excellent. Therefore, in the one-character Kinrin Mandala, the seven treasures (Kinrin, Ruyi Orb, Female Treasure, Horse Treasure, Elephant, Main Treasure, and Main Guard God) are drawn along with the one-character Kinrin Buddha.

According to the sutras, two figures, the Nyorai-style Shakakinrin and the Dainichikinrin, are explained.

 

『了凡四訓』(『陰隲録(いんしつろく)』)日本語訳及び解説 その一  立命の学の編

『了凡四訓』は『陰隲録(いんしつろく)』とも言われています。陰隲 ( いんしつ )とは、天が冥々に人々の生活を安定させていること。 そして、陰徳と同じ意味として、人に知られないところで行う善行も指します。

 

一度大意を日本語に訳すことにしました。下手な日本語なので、読みづらいと思いますが、一人でも多くの方に読んで頂き、何らかのお役に立つことができれば、幸いです。

『了凡四訓』は中国明朝の袁了凡(えんりょうぼん、1535年生まれ)が息子の袁天啓を教育するために書いた四つの家訓で、彼は自分自身が実践した運命を改造する経験を書き残し、人に運命の真相を認識させ、善悪の標準を分からせ、過ちを直し、善なる人になる方法を教えています

 

 

 一.立命の学の編

私が(袁了凡)子供の時に、父親が亡くなり、母親は、私に、公務員になるための勉強をやめ、医学を勉強してほしいと勧めました。その理由は、医者になると、自分を養えるし、病気に苦しむ人々を助けることもできるからです。なおかつ、もし本当に医学の技術を身に付け、名医になれるのであれば、それが私に対する亡父の生前の念願でもありました。

後に、私が15歳になった年に(1549年)、慈雲寺で、一人の老人に出会いました。その老人は髭が長くて、容貌は非凡で、飄然として仙人みたいな方でした。私はその老人を敬い、礼をしました。その老人が私に「あなたは役人になれる運命です。来年は秀才(しゅうさい、これも科挙の中の試験科目です、一番下の学位で、今で言えば、学士みたいな学位)に受かります。なぜその学問を勉強しないのですか?」と問いました。

私は、母親に役人になるのを諦め、医者になるように勧められたことを、老人に答えました。(★多分その時、了凡は学校などの所で学問を勉強せず、外で、山などで、医学を勉強するために、薬草を探していたのでしょうね)そして、その老人のお名前と出身地を伺いました。

 

老人は「私の姓は「孔」といい、雲南省の出身です。邵康節先生(しょうこうせつ、北宋時代)が著す≪皇極経世書≫(★今でも≪四庫全書≫中に収録されている。私は曾てちらちらと見たことがありますが、実によく分からない内容で、完全に高等数学みたいなものでした。この本は人の運命だけではなく、国の、世界の運命を教えている、完全に≪易経≫の卦数中からそれらを占い、断定する。)の極意を得ました。その≪皇極経世書≫の命理の定めによれば、その極意をあなたに伝授することになるはずです」。

私は孔先生を家に招き、母にこの事情を話しました。母は「孔先生をよく招待してあげて、そして彼の占いが当たるかどうかを試しましょう」と言いました。試した占いの結果は、本当に小さなことまですべてよく当たりました。

それを見て、私はついに、役人になるための学問を勉強しようと思うようになって(★孔先生の「了凡先生が公務員になる」との占いを聞いたから)、従兄の沈称と相談して、従兄が私を郁海谷先生が教える私塾(しじゅく、昔にあった、今の学校みたいな所)に連れてくれました。私はそこで下宿し、郁海谷先生に師事し学問を勉強することにしました。

私は孔先生に占ってもらい、孔先生は「あなたは来年には、県内に秀才を受けに行き、県の試験での順位は14番目で、そして府の試験では71番目で、省の試験では9番目です。」と予言しました。(★当時の試験制度では、その三つの試験を通らなければなりませんでした。)

翌年試験を受けにいくと、本当に、三つの試験の結果はすべて占い通りでした。

(★了凡先生は、その翌年は16歳です。16歳の時に試験を受けに行き、やはり受かりました。しかも、順位も当たったので、孔先生の占いは本当に優れていて、人騙しではありません。彼は真の学問がある命理学の専門家です。)

こんなにも当たるので、私は孔先生に、一生の流年(毎年の運勢)を占ってもらうことにしました。孔先生に、「あなたは某年に、試験の結果は何位で、廩生(りんせい、食禄を支給された秀才。国から毎月米を配ってもらえる)になり、そして、某年に、貢生(こうせい、秀才中の一番上の級で、優秀な者で、国の最高学府の国子監で学ぶことを許可された者を指す)になり、貢生になった後に、某年に、四川の一つの小さい県の県長になります。しかし県長にただ在任三年半で、もう辞職し故郷に戻るべきです。なぜなら、あなたが53歳の年の8月14日の丑時(夜中の1時から3時までの間の時間)に寿命が来て、他界するから。残念ながら、あなたの一生には息子がいません」と占ってもらいました。

私はそれらの占い結果を大事に記録しました。(★これは彼の一生の流年です。

 

それから、試験になると、試験結果の順位は、必ず毎回、孔先生の占い通りになります。しかし、一つだけ、私は廩生になって、国が俸禄(ほうろく、つまり、給与)として配ってくれるお米の量は91石5斗になったときに、貢生になる許可をされるとの占いでしたが、私が国からもらったお米の量が70石位の時に、提学(ていがく、省の教育庁長みたいな官僚)に貢生になるのを許可されました。だから、私は初めて占いを疑いました。しかし、その許可は上に申請するときに、代理の官僚の楊先生に却下されました。それから、何年後督学の殷先生は、以前の試験時の私の五つの文章を見て、その文章は奏議(そうぎ、中国の昔に臣下が君主に上(たてまつ)る意見書のこと)みたいな良い文章だと感心され、こんなに能力があって、知識豊富な人を、一生秀才で終わらせまいと言われて、県に言いつけて、私が貢生になる許可をもう一度上に申請させました。その後、私は許可され、貢生になりました。確かその時に、国が配ってくれるお米の量は91石5斗になったときでした。

 

これで、私は、人生の進退にはすべて運命がある、そしてその運命の時節が遅いまたは早いのかさえも、既に決められているのだということを信じ、澹然(たんぜん、静かな、淡々と落ち着いている)として、何も求めなくなりました。

(★了凡先生はここまで来ると、本当に人には運命があると信じ、運命の中にあるものは早かれ遅かれ得られます。無理矢理に追い求めても、運命中に得られないものは、手に入れられません。だから、彼は心が安定になって、妄念もなくなって、本当に人とは争わない、世には追い求めなくなったのです。だから、私から言うには、了凡先生みたいな人は、標準的な凡夫です。私達は凡夫であっても、標準的ではないです。朝から晩まで妄想に走り、あちらこちら追い求めても得られません。運命の中にあるものだったら、いずれか得られます。ないものだったら、無理して求めない、求めても得られませんから。)

私は33歳で貢生になって、国の最高学府の国子監に入学するために、まず北京の国子監に行って、そこで一年間滞在しましたが、毎日朝から晩まで静座して、文字()を読もうとさえしませんでした。翌年、北京から戻り、南京の国子監(こくしかん、中国における隋代以降、近代以前の最高学府)を見に行きました。その南京の国子監に入学する前に、南京の棲霞山(せいかざん)に行って、雲谷禅師(うんこくぜんじ)を訪ねに行きました。(★雲谷禅師は当時仏門中の大徳、高僧です。当時禅師はもう69歳で、了凡先生は35歳です。その時に初めて会います。この後の伝記の内容からみると、雲谷禅師は本当に悟りが開いた方で、だれかが訪ねてくると、いつも座布団を一つ置いて、その人にそこに座らせ、父母未生前(両親から生まれる前の自分)の本来の面目を悟らせ、一方で自分は一言も話さず、禅定の中に入ります。)

 

私は雲谷禅師と一緒に、二人きりで、棲霞山中の禅堂の中で、面と面向かって、三日三晩(話もせずに)座っていました。私はその三日三晩、目さえも閉じなかったのです。

 

そこで雲谷禅師が私に「凡人は聖者になれないのは、妄念がまとわりついているから。(★特に修行者、なぜ成就できないのかと言うと、妄念が多すぎるからです。また妄想、分別、執着が多すぎるから、心を落ち着かせることができないからです)あなたはなぜ、ここで三日間座っても、一つの妄念さえも起こらないですか?」と問われました。

(★雲谷禅師は了凡のことを不可解に思ったようです。そして、雲谷禅師普段あまり話をしないのに、了凡先生に会うと、こんな沢山の話をするのは、実に貴重なことです。なぜなら、それはきっと特別のご縁だからです。私達はこの道理を分かるべきです。人と人は本当に時節因縁があります。了凡先生は雲谷禅師に出会って、運命を転換し始めました。「立命の学」は雲谷禅師が彼に伝授したものです。)

 

私は「私は以前に、孔先生に占いで算定され、人生の栄辱生死(えいじょくせいし)にはすべて、定まれた数があることを知り、妄想をしようとしても、しようがありません。」と答えました。

(★私は早年に、ここの部分を読むと、了凡先生はやっぱり標準的な凡夫だと思いました。これも悪くないです。一生運命の通りに生活し、53歳で寿命が終わり、一生大きな過ちがなく、来世は決して三悪道に堕落しません。標準凡夫です。彼の運命は孔先生に算定されました。それと同様に、この私達も例外ではないことが知らされました。凡人には念さえあれば、定められた数がないわけにはいきません。言い換えれば、あなたに妄念があれば、そのあなたにも定められた運命がないわけがないのです。もし妄念がないならば、運命を超越できます。後に、了凡先生は運命を改造することができましたが、超越することができませんでした;★雲谷禅師は凄いですね。でもなぜ了凡先生にもっと、運命をより高く超越する方法を教えてあげなかったでしょうか?それは衆生の機根を観察し教導する必要があったからです。禅師のような有徳の高僧は、観機をする能力があります。相手を本質、天賦などを見て、説法する内容を判断するのです。説法するには契機がとても重要なことです;★その定められた数は、実は、私達の毎日の起心動念(心が動く、念が動く)や言語行為などによってさらなる加減乗除があって、変化します。その変化の幅が大きくなければ、つまり命数があまり変わらないので、それで、普通では、人相などの占いに当てられます。しかし、もし私達の善念・悪念、善行・悪行の幅が大きいものだと、要するに、大きな善または大きな悪をすれば、あなたのその運命の定数が変えられます。大きな善をすれば、本来の運命がよくなくても、よくなっていきます。大きな悪をすれば、本来の運命がよいものであっても、それで悪くなります)。

 

雲谷禅師が私の答えを聞くと、笑って言いました。「そなたは豪傑だと思ったが、ただの凡夫でしたか。」

(★なぜ豪傑というのかは、普通の人には三日三晩妄念一つも起こさないのはできないから。)

 

私はなぜそうおっしゃるのかと聞くと、禅師は「人は無心(注:すべての妄念雑念を離れた心。★起心動念があって、妄想があると無心ではない)になれないので、陰陽に束縛され、定められた数がないわけにはいきません(つまり運命の数に定められる)。しかし、普通の凡人だけに数(つまり運命)があります。極めて大きな善行をした人には、数は彼を縛ることができません;極めて大きな悪行をした人にも、数は彼を縛ることができません。あなたは、20年間、孔先生に算定され、それを微塵も動かせなかったのは、歴然とした凡夫ではありませんか?」とお答なさいました。

 

私は禅師に「それでは、人は既に運命の定めがある以上、その運命の定数から逃れることができるでしょうか?」と伺いました。

 

禅師が「「命は自分で作り、福は自分で求める」、詩書」にはそういうふうに立派に教えています。我々仏教の教典では、「富貴を求めば、富貴を得る;男女(つまり子宝)を求めば、男女を得られる;長寿を求めば、長寿を得る」。妄語は仏教の大戒であって、仏菩薩たちは嘘を言って、人を騙すことをするわけがありません。」と答えました。

(★衆生の妄念は無辺であって、前の一念が無くなると、すぐ次の念が出てきます。一日中に、数えきれない妄念があります。また、その中には、数えきれないほどの分別、執着(いろんな感情)があります。これで、六道輪廻などの、いろんな空間や現象を生じさせました。教典では「唯心所現(心が物質・精神・自然世界を顕現する)、唯識所変(意識が物質・精神・自然世界に変化をもたらす)」といって、(参考:量子力学の「波動関数理論」の見解でも、意識(思い)が世界を作っていることです。そして、すべての物質を最後まで分解するとなくなり、意念の波動になるとのことです)これは宇宙人生現象の根源です。だから、雲谷禅師は「命は自分で作り」といいました。他人が作ったものではなく、全く関係がないのです。自分自身以外の境界は、すべてが一つの幻想の世界です。≪金剛経≫の「一切有為法,如夢幻泡影」(一切の有為(うい)の法、夢幻泡影(むげんほうよう)の如し)がいうように、外の境界は真実ではありません。この現象は、仏様が私達に教えました。有るとはいえない、無いとも言えないのです。夢を見ているように、夢の中にはいろんな現象がないとはいえない、夢の中に確かに現象が存在します。しかし、有るとも言えません。なぜなら、それは幻影的なもので、確かに「了不可得(了(つい)に不可得(ふかとく)、得ることができない)」です。私達は細心的に思考と観察をすれば、私たちは、今この世の中にいるのは、確かに夢のようで、夜寝ていて、人に体をどこに運ばれても、気が付かないです。これで、この身は我ではないのだと分かります。)

(★人には過去世あり、そして来世も絶対にあります。一人の一生の吉凶禍福 (きっきょうかふく)は、その人自分の起心動念、言語行動の果報です。因果は三世に通じます。一つの善の念は、人に利益し、社会に利益し、衆生に利益して、その果報は福です;一つの悪念は、自分だけ得しようと、人を損させて、この念は悪念といい、その果報は凶、災禍です。だから、本当にこの道理が分かった人には、この一生の中に、どんな逆境に遭遇しても、絶対に、天を恨み、人をとがめるようなことをしません。逆に自分自身を責めます。なぜなら、私は過去に悪業をしたから、今になって、このような苦しい果報を受けています。これが分かると、今度自分で福運を求められます。方法は、過ちを改め、善行を積むことです。だから、運命を改造したければ、これから、悪をしないことです。思い、考えや行動すべては、人のため、社会のためや衆生のために起こし、自己中心になってはいけません。これを口で言うのが容易いことだが、実際に実践するのは、容易ではありません。了凡先生は十何年間にわたって、実践して、感応がやっとあらわれました。私自分自身でも、30数年間を実践してから、感応が明らかになって、自分でもそれに気がつくようなりました。了凡先生は運命を改造するのに、沢山苦労しました。だから、本当に実践することが大事です!「真誠、清浄、平等、正覚、慈悲」、心の持ち方はこの20字にあたるべきです。たとえ良縁、悪縁、順調な環境、困難な逆境でも。仏教では、人事の環境は「縁」という、物質の環境を「境界」といいます。これらの縁や境界の中で、自分を練り磨きます。必ず真誠な心で人や物事に接します。これで、息災になります。これで、運命を転換するのが早くなります。息災してから、福運がきます。外界と接するときに、貪欲にならずに、瞋恚(しんい、自分の心に逆らうものを怒り恨むこと)の心をもたないで、永遠に心を清浄・平等に保てると、自然に智慧が湧き上がってきます。衆生(すべての命、物、事や大自然)を愛護する心は自然に出て、(これは「慈悲心」といいます)慈悲心は二、三年間続くと、実際に感応の効果が出てきます。★「佛氏門中,有求必応」(仏門においては、求めれば必ずかなえられる)というように、本当に願っているにも関わらず、感応(仏様と心が通じ、仏が衆生の願を応じ叶えてあげること)がないと、それは、仏様の方に原因があるのではなく、自分自身の方に業障があって、それに妨げられ、感応が現れないからです。その業障さえ取り除ければ、感応が現れます。必ず、願いがかなえられます。業障はどうやって取り除きますか?業障を懺悔することです。懺悔は形式上のものではなく、本質的なものを求められます。本当の懺悔は過ちを知り、反省し、謝り、そして二度としないことです。これが本当の懺悔です。★仏法は実質を重んじ、形式を重んじないのです。例えば、どうやって持戒(戒を守ること)するのかは、私の先生の章嘉大師が、私にこう教えました、「あちらこちらにいって、受戒を求めるのではなく、自分で、戒律を一つ学べば、それを実践し、それを守ります。それで一つの戒律を守ることができると、この戒を受戒したことになります」。例えば、殺生しないという戒を守りたい場合は、本当にすべての生物を殺害する念さえ起こさせないであれば、この一つの戒を円満に守られたことになります。もし、戒壇で受戒をすると、それを守られなくなったときに、殺生する罪の上に、さらに戒を破る重い罪がかさなることになりますから。★業障を本当に取り除いた後に、本当に願いがかないます。しかし、私達の業障の習気もとても強いものです。その業障の習気に恐れることがなく、根気強くやり続けましょう。業障を取り除くには時間も必要です。了凡先生は10数年間かかりました。私も二、三十年かかったのです。これぐらい長い時間をかけなければ、簡単に断つことができないからです。ですから、必ず自分の欠点と悪い習慣を克服し、いつも自分を戒め、「一門深入、長時薫修」(一門に深く入り、香の薫りが衣服に染みつくように、習慣として、長時間に修行を重ねること)をして、無量劫以来(永遠の昔からの)の業障習気を捨てましょう。)

 

私はもう一歩踏み込んで聞きます。「孟子は曾て「求則得之、是求在我者(求めればすぐ得られるものは、自分自身に求めているからだ」といっていました。それは、例えば道徳仁義であって、自分自身に求め得られるものですが、功名富貴(こうめいふき)とは、身外のものになり、どうやって求め得られますか?」

 

雲谷禅師が答えます。「孟子のお言葉は間違っていません。あなたが理解し間違っているだけです。あなたは六祖慧能が言っていたことを知っていますか?慧能法師は「一切の福田(ふくでん 福徳を生み出す田地のこと)は、我が心から離れていない」といっていました。つまり、真心に求めば、感応しないはずがないのです。自分自身に求めると、道徳仁義だけを得られるのではなく、身外にある功名富貴も求め得られます。内外共に得ることができます。これは孟子が言う『是求有益於得(得るには有益である求め)』なのです。しかし、もし自分自身の道徳と言動を自省しないで、外ばかり、攀緣し(はんえん、自分の真心以外の何かにひかれ、かかずらうこと)むやみに求めるであれば、どんな方法で追い求めても、得られるのは運命中にあるものだけで、運命中にないものは得られません。この自分の内面に求めず、外にむやみに求める方法は、内外共に損失し、益になることはありません」。

(★内(自分自身の仁・義・礼・智(じんぎれいち)などの道徳)。外(富・貴・利・達(ふうきりたつ)、つまり、財産・地位・利益・名誉など身外のすべて);★今私達が求めることにおいて、最も重要なのは「通」です。「通」とは空間の次元を貫通することです。貫通の方法は、真誠な心です。「誠」とは何ですか?「真」とは何ですか?「真」は虚妄が微塵もないことで、「誠」は一つの妄念もないことで、これは「真誠」といいます。真誠心は自分の本性、自分の真心、一切の世間(せけん、世法)と出世間法(しゅっせけん、仏法)のすべては、この真如本性から変化し出したものです。真心本性を見つかったら、求め得られないものはないのです。)

 

そして、雲谷禅師から「孔先生があなたの一生の流年をどの様に占いましたか?」と聞かれ、私は隠さずにその占いの結果を答えました。

 

雲谷禅師は「あなたは自分自身を省みて、自分は出世すべきですか?子息に恵まれるべきですか?」

 

私は長時間考えこんで、「すべきではありません。出世し官僚になる人には、皆福相があります。私は福が薄いです。(★福報がないと官僚になる試験に受かりません)それに、私は自分自身の福徳を高めるために、功徳を積んで善行を重ねるような行いもしていません。さらに、私は面倒くさがり屋で、度量も狭くて人を包容するようなこともできません。時には、自分の才智で人を押さえることもします。心に思ったことをよく考えず、言葉を慎むことも知らずに、感情のまま軽く言動に移してしまいます。ストレートに思ったことを口軽く言い、不適切な発言をしています。これらは全て薄福(はくふく)の相です。私はこんな沢山の欠点で、毎日のように、不善業をつくっているので、官僚になる試験に受かるわけがありません。まずは、「地之穢者多生物、水之清者常無魚(地の穢(けが)れたるは、多く物を生じ、水の清めるは、常に魚無し。これは一つの譬えで、大地が汚いように見えるが、万物を育て養うことができる;逆に水が清潔すると、中で魚を養うことができない)」というように、私は潔癖であって、これは私には息子がいない一つ目の理由です(清潔を好むのは本来良いことですが、しかし度がすぎ、潔癖すぎると、人との共同生活に不仲や悩みを招きやすく、さらに、よく逆に汚い病気にかかりやすいと言われている。ここでは、潔癖は子宝に恵まれにくい原因の一つとして挙げられている);つぎに、「和気藹藹が万物を育てる」といいますが、私はよく怒ります。これは私には息子がいない二つ目の理由です;そして、「慈愛は物を生み出す元、残忍は物が育たない根源」といいますが、私は自分自身の名誉と利益をとても大事にする故に、おのれを犠牲にして人を救うことができません。これは息子がいない三つ目の理由;それと、私は口数が多く、気を消耗しています。これは息子がいない四つ目の理由;あとは、私はお酒をよく飲み、酒酔いして、体の精力を損なっています。これは息子がいない五つ目の理由;さらに、よく夜一晩座ったまま寝ずに、夜更かしして、体の精力を養うことを知りません。これは息子がいない六つ目の理由。そのほかも欠点が沢山で、数え切れません」と答えました。

 

雲谷禅師は仰いました。「出世することだけに限らず、たとえば、世の中の億万長者は、必ずその億万に値する果報を享受すべき人物であることに違いありません;千万の資産なら、必ずその千万の果報を得るべき人物であることに違いありません。同じように、餓死する者は、必ずその餓死する果報を受けるべき人物であることに違いありません天や運命と言ったようなものは、公平且つ平等で、その人の善悪に相応なものを与えるだけで、すべては因果応報で、少しも誰かの意見が加わっていません。

(★この言葉は、この上なく正しい道理を述べる名言です。億万長者など富貴な人は、この福運があるからこそできることです。過去世に、徳を厚く積んでいたから、今世になって、大きい福運を得たわけです。過去世に、福積みが薄いのならば、小さい福運を得られる。だから、福を修めて積まないと、餓死してしまいます。これも、過去世の罪業が深重であるからです。これらの因果応報は、自業自得であり、天や鬼神、仏菩薩に関係がありません。だから、天は一切の衆生に対して確実に公平です。この天というのは、本当に言うと、自然の果報です。確実に微塵の意見、意思も加えられていません。これで功徳を積むことがとても大事であることが分かります。)

たとえ後継ぎのお子様が生まれることにしても、百世の徳を有する者は、必ず、その百世の徳の福報を守り保てることができる百世の子孫がいて、十世の徳を有する者なら、必ず、その十世の徳の福報を守り保てる十世の子孫がいて、それらを守り継ぎます。後継ぎがなく絶たれた者は、徳がとても薄い人です(この部分は善巧方便(ぜんぎょうほうべん、臨機応変に、巧みに手だてを講じて人を導くこと)です。つまり、俗世間では、子孫を残せないのは恥だと思うことがあるので、雲谷禅師はそのことを使い、了凡先生を戒め、徳を修めるように激励するためであって、輪廻から脱出し仏を証する出世間法、つまり仏法では、聖賢は煩悩を取り除き、仏に証するために、男女の欲を絶つ、貪愛を断じることがとても重要な修行です。残念ながら、一般の世間では、そのことを知らないです)」。

(★この例としては、中国の孔子です。孔子は、教育者で、公平無私で、真誠かつ慈愛で、人々に迷いや苦しみから離れる方法を教えたので、彼は大きな功徳を積みました。彼の子孫は現在で、多分七十何代が続いています。中国で中国人に尊敬されているだけではなく、孔徳成はアメリカに行っても、現地の人は彼が孔子の子孫と知り、尊重され礼遇されました。★世間の一般的な富貴の家をみてみると、その富が三代まで続くのと、二代まで続くのは、今の社会にもあまり多くなくなってきたが、また見ることができます。一代で、もうだめになってしまう例と、さらに、自分の晩年までにさえ、保てなく、中年の時に繁盛して、晩年の時には破産する、こんなのもよく見かけます。これはなぜでしょうか?その人は徳を積むようなことをしていないからです。心の思いや考えは全て自分のため、自己中心的です。かりに少し良いことをしても、それは全部名誉のため、人に知ってもらうため、利益のため、自分がいい気分をするためであって、なにか常に条件付きで見返りがないとよいことをしません。彼らはこれらの良いことをしても、慈善事業をしても、大衆の賞賛、政府の奨励があるから、初めてすることなので、これらの目的のために善行をしたわけで、これは真心ではなく、偽善であって、真の善ではなく、薄福です。)

 

禅師は仰います。「今日、あなたは、自分の過ちを知った以上、ここで、自分が将来、官僚出世への試験が受からないことと、息子が生まれてこない定めの原因を、深く反省、思い切り過ちを改めたらよいです。まず、必ず、徳を積むことです。そして、「心包太虛,量周沙界」(心太虚を包み、量沙界をめぐる。心は大宇宙を包み、大宇宙に行き渡るほど広いこと)といって、心を広げて、すべてのことを包容できるような広い心になりなさい。(★必ず、心を広げてください!心を広げて包容力がある人は福がある)それと、優しい心をもって、和気藹々でいなさい。自分の精力も大事にしなさい。(★酒を飲むのが好き、夜更かしするのが好き、これは、全部体を大事にしてあげないことに当たります)最後に、以前にした種々の事は、もう昨日で既に死んだように思い、(★過去の事はもう考えません)これからの種々のことは、今日という日に、生まれ変わったように、これは我が再生した新しい義理道徳の身だと思いなさい。

 

(★人は、改過自新をすれば、運命の定めを超越できます。命数の定めは彼を拘束できない。仏法では、仏はよく弟子に発願(ほつがん、願を起こすこと。特に、悟りを得て衆生(しゆじよう)を救済しようと決意すること)するように勧めます。衆生に奉仕するために、自分自身の奉仕する能力が要求される、その能力は道徳、学問と能力です。だから、決意した時から、自分自身の道徳を高め、煩悩習気を直す。学問と道徳を成就したければ、必ず積功累徳(しゃっく・るいとく、修行に励み、功徳を積み重ねること)をしなければならないです。仏弟子達は、最も普通の願が四弘誓願(しぐせいがん)です。中の一つ目は「衆生無辺誓願度」(しゅじょうむへんせいがんど、無量無辺の衆生を救済するという誓願)この「度」は、救済、助けや協力することです;二つ目は「煩悩無量誓願断」(ぼんのうむりょうせいがんだん、煩悩は無量だが、すべて断つという誓い)で;三つ目は「法門無尽誓願学」(ほうもんむじんせいがんがく、法門は無尽だが、学ぶという誓願)で;四つ目は「仏道無上誓願成」(ぶつどうむじょうせいがんじょう、 仏の道は無上だが、必ず成仏するという誓願)です。これらは順番になっています。つまり、まず煩悩を断つ、そして法門を学びます。煩悩を断つことによって、自分自身の道徳を成就でき、法門を学んで、自分の学問を成就できます。そして、仏道を成就し、自分の功徳を円満にします。これでこそ、あなたの願は真実のものであって、虚偽の願ではありません。もしこの願の力がとても強く、大きくて、業力(ごうりき、果報を生じる業因の力。善業には善果を、悪業には悪果を生じる力)をこえるものであるならば、これは仏門でいう「乗願再来」(菩薩や仏は、衆生を救済する誓願を果たすために、また人間として生まれ再来すること)になります。願力が業力より大きいであれば、これは成功です)

 

この血肉を持つ身体には、当然に定めがあります。しかし、義理道徳の身は、運命の定めを改造できないはずがありません。(★この肉身は業力です。業力が変化し出したもので、私利私欲ばかりをはかります。義理道徳の身は公平無私であって、自己の利益を考えず、この世の中に生きているのに、この体は社会、民衆や衆生に奉仕し、幸せをもたらすための道具で、自分自身の業力と完全に関係を切り離され、これは義理道徳の身であります)『書経』に書いてあるように、天災地変など自然災害はまた、避けられ挽回できますが、それに対して、悪業や過ちを改めず、相変わらず悪いことをし続けると、その自分自身がした悪業の果報から逃れることができません。(★経典の教えでは、依報は正報に従って転じることを教えています。依報とは自然環境で、自然環境は人の心によって変わります。もしこの社会の人々の心は善良で、素朴であるなら、私達が居住する環境は良い方に転じます。天気がよく、作物豊作で、国家と国民が安泰でいられます。人為的な災難だけが、人が原因で作ったものではなく、自然の災難も人が作ったものです。仏法では、一つは共業(ぐうごう)といい、もう一つは別業(べつぎょう 不共業)といいます。共業はみんな共通して作った業(ごう、果報を引き起こす力)で、これは自然災害に転じます;個人のみ作った業は、不共業であって、その人個人の吉凶禍福に転じます。だから、自分自身が心を悪にはたらけば、果報は避けられません。社会の民衆が作った果報から、私は逃れる方法があるわけです。これは事実、真相であります)そして、『詩経』に記されているように、「よく言うように、天に心が相応すれば、福運を求めなくても、福運が自分でやってきます」(★天の心はいったい何ですか?天はどこにいますか?これは形があるものではないのです。実は、無形なもので、抽象的です。天の心は、仁愛、愛心、無私の愛心です。天の心は公平の愛心、平等の愛心です。私達は自分自身の修養を高めて、この天の心と相応になれば、平等無私な心で、平等に一切の人、事、物に接することができます。これができれば、福運は自然にその中にあり、求めなくても、福運が自然に現れてきます)

 

孔先生が、あなたが出世への科挙試験に通れない、息子が生まれてこないと占ったのは、これは、あなたが過去世にした不善業が原因であるから、この一生の中にそれが得られないわけです。しかし、これは過去世にしたことが原因になっているので、これは避けられ、挽回できるものです。あなたは、これから、改過自新し、自分自身の道徳を高め、多くの善事を行い、陰徳を積むと、福報を得られます。この福報は、自分自身の善い行いから得た福なので、当然に、その福報を享受できないはずがありません。

(★陰徳とは、善行をするが、人に知らせないことです。陰徳はより多くの福運をもたらすことができます。少しいいことをして、それをみんなに知らせ、今の新聞、メディアのように宣伝され、称賛されたら、この宣伝されたこと自体は福運なので、これは良いことしたことの報われとして、折角良いことをしても、すぐその報われを使ってしまうみたいなことになります。勿体ないことです。だから、もしよいことをして、すぐ媒体に紹介され、新聞に載せられたら、それは本当によいことではない、この良いことをする目的は名誉、利益、称賛のためになってしまい、偽善になります。だから、宣伝紹介されるのを避けるべきです。本当の善は、人に知られなくてもよいです。これで、ますます道徳を高めることができ、いつか国のため、社会のために役立つ人間になれます

 

『易経』にも「易は君子のため、凶を避け、吉を呼ぶ」と書いてあります。もしも天命が一定で全く変えられないであれば、吉はどうやって呼ぶ、凶はどうやって避けられますか?(★『易経』のこの言葉が我々に伝えたいのは、運命はいきいきとしたもので、私達が毎日心を起こし、念を動くのは、善の念が福を増し、増えさせ;悪念は、それによって、福が減っていくものです★「君子」とはどんな人でしょうか?「君子」とは、公平無私(こうへいむし)で、徳行を修め、高める人のことです。

 

「易経」の冒頭に「積善の家には必ず余慶(よけい)有り(せきぜんのいえには必ずよけいあり、善行を積み重ねた家は、その報いとして子孫に必ず幸福がおとずれる)」という言葉を掲げました、あなたはそれを信じますか?」(★これらの書物は、了凡先生が日頃よく読んでいますが、熟読したから意味は分かりましたが、理解が深くないのです。言い換えれば、古聖賢の本を読んでも、自分がそれらを日常の生活中で実践し、着実にすることができないであれば、運命は微塵にも変えることができません。

私は禅師のお言葉を信じ、礼拝して、教導を受けることにしました。 

(★禅師のお言葉が了凡先生を悟らせました。運命は本当に自分で作って、自分で変えられます。天に心を相応すれば、福運は自分でやってくるのを、必ず知るべきことです。私達は仏法を学び、よく多くの方に聞かれます。「法師、あなたはなぜ仏法を学びましたか?」私の答えは簡単で、「私が仏法を学ぶ目的は、とても単純です。自分の境地を高めるためです」。これは果報の方面から言います。因の方面から言うと、自分の道徳と行いを向上させるためです。積功累徳(しゃっくるいとく)は因を修めることです。因がよいだと、果報はもちろん殊勝(しゅしょう)になります。業因(ごういん、未来に苦楽の果報を招く原因となる善悪の行為)果報は自分でも察することができるようになってきたときに、あなたはとても歓喜になります。仏家がよくいう「常生歓喜心」(常に歡喜な心が生じる、歡喜:かんぎ、仏法を聞いて、それを日常生活中に実践し、効果を得て、それに満足し、喜びを感じること。浄土教では、浄土往生の決定を喜ぶことをいう)です。あなたは一生、この歡喜の中に生きる事ができ、とても快楽です。心の中に、憂慮(ゆうりょ、心配すること、思い煩うこと)、気がかり、妄想、執着、煩悩もなくなり、これは大自在(だいじざい、心が少しの束縛障害も受けないで、思いのまま清浄を保てること)を得るといい、一生、感恩の世界に生きることができます。これはとても幸せなことです。私はこのために仏法を学びました。実は、これは、早年に、私の先生方東美先生が教えてくださったことです。彼は私にこう伝えました。「仏法は哲学中の精華、哲学中の最高峰、仏法を学ぶのは人生の最高の享受です」。私は彼のこの言葉に心打たれて、真面目に仏法を学習してきました

 

 

初転法輪  First roll

初転法輪

 さて、まずだれに説いたら受けいれられるであろうか。

 むかしかれが師事した二人の仙人はすでに世を去っていた。つぎに思いあたるのは、六年聞か

れにつかえた五人の比丘である。

 そこでかれは、かれらがいるベナレス郊外の、修行者の集まっているミガダーヤmigadaya(鹿野苑)、現在のサールナートに行った。

 五人ははるかにシャカの来るのをみて、たがいに誓って、堕落したかれを立って迎えないことを約したが、その威力にうたれて、思わずかれを立って迎え、洗足の水を出し、座席を用意した。

 それでも内心かれを軽べつしていたが、やがてかれに法を説かれるにしたがって、シャカが最

高のさとりを得て仏陀となったことを知り、その教えによって、かれらもまたさとりを得て、羅漢arhatという最高の聖者となった。そこで、シャカをはじめとする六人の阿羅漢が出来た。

ここで説かれたシャカ最初の説法を初転法輪という。

 転法輪とは、転輪王がその輪宝を転じて全世界を征服するにたとえて、仏が説法することを法輪を転ずるといったものである。

 

First roll
ま ず Who will you accept if you preach?
Once upon a time, the two hermits he studied had passed away. The next thing I think is six years
These are the five hills used by them.
There he went to Migadaya (Kanoen), where practitioners gathered, on the outskirts of Benares, where they are, and the current Sarnath.
The five saw the far coming of Shaka, and swore to each other, and promised not to stand and receive the fallen Him. And prepared a seat.
Still, he was confidant, but Shaka became the most
They learned that they had become Buddhas by taking the height of the priest, and by their teaching, they also gained the priesthood and became the highest saint of the Arhat arhat. There, six Arakan, including Shaka, were created.
Shaka’s first sermon preached here is called first-turn falun.
Inversion of Falun is like the inversion of the Buddha’s preaching to the Falun, as if the inversion king had conquered the whole world by changing its treasure.

コロナウイルスをぶっ飛ばせ!准胝観音 Blast the coronavirus! Kannon Cundī

 

 

准胝観音

今、世界は新型コロナウイルスの感染拡大を、人類の破滅のカルマからの猛攻を受けています。
この事態が世界に与える影響は大きく、既に人や物の移動が制限される事態が発生しており、また、悲しみ、怒り、恐怖を全人類を体験しおります。

私達は仏教徒として、これに 生き抜く、覚悟を目指べきです。

オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ」Oṃ cale cule cunde svāhā
准胝観音 Cundī

功徳
その人の家には災難や事故、病気等による苦しみが無く、あらゆる行いには行き違いや望みが果たせないということも無く、その人の言葉は皆が信用して、よく聞いてくれるようになる。

 

眷族の龍王が良く活動される。

この兄弟の龍王は、准胝観音の眷属の二大龍王として有名です。

右は難陀(なんだ)火竜は 龍王は兄で、魔性を祓う、弟の跋難陀(ばつなんだ)龍王は別名 金龍で金をさずれくれる。

龍王が活躍させる。

Kannon

Now, the world is under the onslaught of the spread of the new coronavirus from the karma of human destruction.
The impact of this on the world is so great that the movement of people and goods has already been restricted, and sadness, anger and fear have been experienced by all humankind.

As Buddhists, we should aim to survive this.

On Chalay Shrey Junty Sowaka “Oṃ cale cule cunde sveha

Kannon Cundī

Merit
There is no suffering from accidents, accidents, illnesses, etc. in the person’s house, no misunderstandings and hopes can be fulfilled in all actions, and everyone’s words are trusted and heard well. .

The dragon king of the family is often active.

The dragon king of this brother is famous as the two great dragon kings of the juntus Kannon.

On the right is Nanda Fire Dragon, the dragon king is his older brother, who exorcizes the devil.

Ryuo plays an active part.

 

シャカ 釈迦 Shaka   成道 Narudo 

成道

体力を回復したシャカは、附近の一樹の下に端座し、ここで宇宙人生の真理をさとって、仏陀となった。ときに三十五歳であった。
仏陀とは、覚者、すなわち真理をさとった者、という意味である。
この地はブッダガヤ Buddhagayaとよばれ、かれがその下にすわった樹木は、菩提樹とよばれるようになった。
かれは、覚者となると、その喜びのため、またそのさとりの内容を反省し、かつこれを世の人に説きしめす方法を考察するなどのために、七週間、瞑想をつづけたとされてい。
その間、このあたらしく発見された真理は、あまりにも深遠なものであるから、俗事におぼれている世人は、とても理解できないであろうから、その宣布を放棄しようとまで考えたが、さらに思いなおして、この真理を理解する者も多少はあるだろうし、またこれを通俗平易に説くことによって、他の人たちにも受け入れられるであろうと考えて、伝道の決意をした。

 

Narudo

シ ャ After recovering strength, Shaka sits beneath a nearby tree, where he took the truth of cosmic life and became a Buddha. Sometimes she was thirty-five years old.
Buddha means an awakened person, that is, a person who has taken the truth.
This land is called Buddhagaya, and the tree under which he sat is now called the Bodhi tree.
He is said to have been meditating for seven weeks when he became awakener, for his pleasure, and to reflect on the contents of the satori and to consider how to preach it to the world.
In the meantime, this newly discovered truth is so profound that the savage dweller would not be able to understand it very much, so he thought about abandoning its declaration, but rethinking. He decided to preach on the belief that some would understand this truth and that it would be acceptable to others by preaching it plainly.

四門出家   Four gates

四門出家

 

かれが、王室の園林を遊観すべく宮門を出ると、あるときは道ばたに力なくあえぐ衰えた老人に、あるときは痛み苦しんでいる病者に、あるときは親類縁者のなげき悲しむ死者の葬列に、あるときは神々しいまでに聖なる出家者に出会ったとされる「四門出遊Lの説話も、伝説であったとしても、それは、かれの心に起こった、人類一般の運命への観察心を示すものであろう。

 どうすれば、自分は、また人類は、この運命を克服することができるか、日夜、かれの心を占めるようになったこの問題を解決するため、ついにかれは、宮廷を出る決心をす。

 

 すでに妃ヤショーダラーとのあいだに、一子ラーフラRahula 4生まれていた。家系を絶たないことが、インドでは家主たる者の第一の義務であったから、今や安心して家を出ることができる。かれは、王宮の人たちの妨害をおそれて、夜半ひそかに王宮をのがれ出た。国境に達して、従者と乗馬とを帰して、自分の決意を父王に告げさせた。

 王宮では、掌中の珠をうばわれたように悲嘆にくれたが、太子に翻意のないことを知って、その意志をみとめざるを得なかった。

 古いたしかな資料によれば、そのときシャカは二十九歳であった。

 

ビンビサーラ王との出会い

 

 かれは、当時修道者たちの多く住んでいた南方マガダ国を目ざして行った。

 マガダはガンジス河の南にあって、北西にあるコーサラ国に次いで、当時の新あった。

シャカが、当時の修道者たちの習慣にしたがって、首都ラージャガハRajagaha(ラージャグリハ 王舎城)の街路を托鉢しているのを宮殿からながめた国王ビンビサーラBimbisaraは、常人とちがったシャカの外見や態度にひかれ、わざわざ郊外に食事を終えたかれをたずね、その素性をきき、政治や軍事の面で自分に協力してくれるようたのんだが、シャカは、求道の決意をのべてことわった。王はしかたなく、修行が完成したら、自分を教え導いてくれるよう頼んだ。その

通り、のちにシャカが成道後、この王は、シャカの教えにしたがい、熱心な信者になっ。

 

 

Four Gates

When he leaves the palace to admire the royal forest, he once fell for the deceased old man who was struggling to the side of the road, sometimes for the sick in pain, and sometimes for the mourning dead of his relatives. It is said that he met a holy monk at a funeral occasion at one time, even if it was divine. “Even if the narrative of the Four Gates L is a legend, it is an observation of the fate of mankind in general in his heart. It will show your heart.

Finally, he decides to leave the court to find out how he and mankind can overcome this destiny, or to solve this problem that has taken his heart day and night.

一 I was already born with one of my daughters, Rahula Rahula 4, with Yashodalar. It is now safe to leave home because indigenous families were the primary duty of landlords in India. He escaped the palace secretly in the middle of the night, fearing the disturbance of the palace people. He reached the border, returned his servant and his horseback, and let his father know his resolve.

In the Royal Palace, he grieved as if the pearl in his palm had been concealed, but he had to find out his will, knowing that the Prince had no change.

According to old sources, Shaka was 29 years old.

Meet King Vinvisara

He went to the southern country of Magada, where many religious people lived at the time.

Magada was located at the south of the Ganges River, and was the newest at the time, after Kosala in the northwest.

King Bimbisara, who looked from the palace to see the shaka begging for the streets of the capital Rajagaha (royal castle), following the customs of the religious people of the time, was distracted by the appearance and attitude of Shaka, unlike ordinary people. Asking him to finish his meal in the suburbs, he asked him to identify himself and help him in politics and the military, but Shaka stated that he was determined to seek out. The king reluctantly asked him to guide himself when the training was completed. That

On the street, later, after Shaka’s passage, the king became an avid believer according to Shaka’s teachings.

 

シッダールタ時代 Siddhartha era

シッダールタ時代

 

 シャカは、父母の愛を一身に集めて、なに不自由ない家庭生活を送ることができた。

 シッダールタに将来の転輪王を夢みている父の王によって、当時のあらゆる学問武芸を学んだが、かれはなにごとにも傑出していたといわれる。

 しかし、生来かれは沈思黙考的な性格であり、日常、深い思索にふけることが多かっ。

 父王は、かれの心をひき立てるために、寒・暑・雨の三時期の季節に応じた宮殿を建てたり、

歌舞音曲でたのしませようとしたり、美しいヤショーダラー姫を王子妃として迎えたた。

 それによってかれの心もいくぶん慰められ、まぎれることもあったが、しかし、なお、かれは世の無常を深く感じていた。幸福の中にも、母后の死を思い出すことがしばしばであった。また、年中行事としての盛大な農耕祭では、田畑の虫や鳥などが、弱肉強食の争いを目のあたりに見せた。その上に、ものごころのつくにしたがって、当時の国際関係の不安と、シャカ国の運命とが案じられるようになった。

 シャカ族は勇武に富み、ゆいし。正しい古い系統ではあったが、当時は、南西に接したインド第一の大国コーサラに隷属した半独立国にすぎなかったのである。(イエスのユダヤとおなじ境遇である)

 生殺与奪の権はコーサラ国ににぎられ、いつほろぽされるかも知れない運命にあった。現に、シャカ国は、シャカの晩年に、コーサラ国のためにかんたんに攻略されたことがある。

 賢明なかれは、父王のようにのんきでいることはできない。感じやすいかれの頭脳は、これらの多くの理由によって、世の歓楽を手ばなしで享受するわけにはいかなかったのである。自ずから、自分自身と自分の国の将来、また人類一般の悲しむべき運命について深い考察をするようになったのである。

 

Siddhartha era

Shaka was able to gather the love of his parents and live a family life without any inconvenience.
He studied all kinds of academic martial arts at the time by his father, who dreamed of being the king of the future in Siddhartha, but he is said to have been outstanding.
However, by nature, he is a meditative character, often indulging in daily thoughts and deep thoughts.
In order to excite his heart, his father built palaces according to the three seasons of cold, heat and rain,
He tried to enjoy the singing music and greeted the beautiful Princess Yashodalar as the princess.
He was comforted somewhat, and his heart was broken, but he still felt deeply in the imperfection of the world. During happiness, she often remembered her mother’s death. In addition, during the grand agricultural festival, which is an annual event, insects and birds in the fields have witnessed the battle for weak meat and gluttony. On top of that, as time went on, the fears of international relations at that time and the fate of Shaka began to come up.
The Shakas are rich in heroism and Yuishi. It was a true old lineage, but at that time it was only a semi-independent state subordinated to Kosala, India’s largest powerhouse on the southwest. (Same situation as Judea of ​​Jesus)
The right to life and killing was confined to Kosala and was destined to be forgotten. In fact, Shaka was easily captured in the late years of Shaka for Kosala.
He who is wise cannot be as easy as his father. For many of these reasons, his sensible mind could not afford the pleasures of the world without any means. Naturally, he began to consider the future of himself and his own country, as well as the sad destiny of mankind in general.

宝生如来(ほうしょうにょらい)  Hosho Nyorai ratnasambhava

宝生如来(ほうしょうにょらい、रत्नसम्भव [ratnasambhava]、ラトナサンバヴァ)

三昧耶形三弁宝珠種子(種子字)はत्राः(タラーク、trāḥ)。

密教における金剛界五仏の一で、金剛界曼荼羅では大日如来の南方(画面では大日如来の向かって左方)に位置する。唯識思想における仏の悟りの境地のひとつ「平等性智」(びょうどうしょうち)を具現化したものである。これは、全ての存在には絶対の価値があるということを示す。 印相は、左手は腹前で衣を掴み、右手は手の平を前に向けて下げる「与願印」(よがんいん)を結ぶ。

与願印読み)よがんいん

仏が衆生の願いを聞きとどけ、成就させることを示した相。 左手、または

 

 

語源は「宝よりうまれたもの」を意味し、財宝を生み出し人々に福徳を授けるといわれています。一切の垣根を取り払い、あらゆる全ての現象・事物を平等に観るという意味で「平等性智(びょうどうしょうち)」と呼ばれる智慧を具現化した仏です

 

すべてあるべきもの (一切諸法) が差別なく平等であるとするです。

 

Sanmai-yagata is the Sanben Hoju. Seeds (seed letters) are त्राः (tarak, trāḥ).

It is one of the five Buddhas of Kongokai in Esoteric Buddhism. It is located south of Dainichi Nyorai in the Kongokai Mandala (on the screen, left of Dainichi Nyorai). It embodies one of the boundaries of Buddha’s enlightenment in wisdomism, “Equality of Wisdom”. This shows that all beings are of absolute value. Insho has his left hand holding his garment in front of his stomach and his right hand tying a “Yoganin” seal with his palms facing forward.

Appeal seal (read)
Insu says that the Buddha has heard the wishes of the sentient beings and will fulfill them. Left hand, or

 

 

Etymology means “born from treasure,” and is said to create treasure and give people good fortune. It is a Buddha that embodies the wisdom called “equality wisdom” in the sense that all barriers are removed and all phenomena and things are viewed equally.

 

Satoshi is all things (all laws) are equal without discrimination.

 

シッダールタ時代 Siddhartha era

シッダールタ時代

 

 シャカは、父母の愛を一身に集めて、なに不自由ない家庭生活を送ることができた。

 シッダールタに将来の転輪王を夢みている父の王によって、当時のあらゆる学問武芸を学んだが、かれはなにごとにも傑出していたといわれる。

 しかし、生来かれは沈思黙考的な性格であり、日常、深い思索にふけることが多かっ。

 父王は、かれの心をひき立てるために、寒・暑・雨の三時期の季節に応じた宮殿を建てたり、

歌舞音曲でたのしませようとしたり、美しいヤショーダラー姫を王子妃として迎えたた。

 それによってかれの心もいくぶん慰められ、まぎれることもあったが、しかし、なお、かれは世の無常を深く感じていた。幸福の中にも、母后の死を思い出すことがしばしばであった。また、年中行事としての盛大な農耕祭では、田畑の虫や鳥などが、弱肉強食の争いを目のあたりに見せた。その上に、ものごころのつくにしたがって、当時の国際関係の不安と、シャカ国の運命とが案じられるようになった。

 シャカ族は勇武に富み、ゆいし。正しい古い系統ではあったが、当時は、南西に接したインド第一の大国コーサラに隷属した半独立国にすぎなかったのである。(イエスのユダヤとおなじ境遇である)

 生殺与奪の権はコーサラ国ににぎられ、いつほろぽされるかも知れない運命にあった。現に、シャカ国は、シャカの晩年に、コーサラ国のためにかんたんに攻略されたことがある。

 賢明なかれは、父王のようにのんきでいることはできない。感じやすいかれの頭脳は、これらの多くの理由によって、世の歓楽を手ばなしで享受するわけにはいかなかったのである。自ずから、自分自身と自分の国の将来、また人類一般の悲しむべき運命について深い考察をするようになったのである。

 

Siddhartha era

Shaka was able to gather the love of his parents and live a family life without any inconvenience.
He studied all kinds of academic martial arts at the time by his father, who dreamed of being the king of the future in Siddhartha, but he is said to have been outstanding.
However, by nature, he is a meditative character, often indulging in daily thoughts and deep thoughts.
In order to excite his heart, his father built palaces according to the three seasons of cold, heat and rain,
He tried to enjoy the singing music and greeted the beautiful Princess Yashodalar as the princess.
He was comforted somewhat, and his heart was broken, but he still felt deeply in the imperfection of the world. During happiness, she often remembered her mother’s death. In addition, during the grand agricultural festival, which is an annual event, insects and birds in the fields have witnessed the battle for weak meat and gluttony. On top of that, as time went on, the fears of international relations at that time and the fate of Shaka began to come up.
The Shakas are rich in heroism and Yuishi. It was a true old lineage, but at that time it was only a semi-independent state subordinated to Kosala, India’s largest powerhouse on the southwest. (Same situation as Judea of ​​Jesus)
The right to life and killing was confined to Kosala and was destined to be forgotten. In fact, Shaka was easily captured in the late years of Shaka for Kosala.
He who is wise cannot be as easy as his father. For many of these reasons, his sensible mind could not afford the pleasures of the world without any means. Naturally, he began to consider the future of himself and his own country, as well as the sad destiny of mankind in general.