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七道品経  Shichido Shinkyo

七道品経

 息の如く我れ聞きぬ・一時仏が殴の町彫りたまえにか即ぞあり・仏のしたてまっり退きて一面に坐に印して詔さくぐ世尊のとは如餓ノ世尊いご所が覚分と冷すや。仏い比丘にげたまわくヽ「所謂七道喜・’狩・定’・捨覚な力じ。(要略)

和 訳

 是の如く我れ聞きぬ。一時、仏、舎衛国の祗樹給孤独園に住まりたまえり。その時世尊、彼の比丘に告げたまわく、「上に説けるが如し。差別せば是の如く七覚分を修習し已らば当に二種の果を得べし。現法に漏尽きて無余涅槃を得、或は阿那含果を得んと。仏此の経を説き已り給いしに、諸の比丘、仏の説かせたまう所を聞きて、歓喜し奉行しき。

雑阿含経「果報経」下

 和 訳

 是の如く我れ聞きぬ。一時、仏、舎衛国の祇樹給孤独園に住まりたまえり。「上に説けるが如し。差別せば是の如く比丘、七覚分を修習し已り、多く修習し已らば、四種の果、四種の福利を得ん。何等をか四と為す。所謂須陀百果・斯陀含果・阿那含果・阿〔現。法〕現世のこと。

〔無余涅槃〕身心ともに解脱して涅槃に入ること。羅漢果なりと。仏、此の経を説き已りたまいしに、異比丘、仏の説かせたまう所を聞きて、歓喜し奉行しき。

 

雑阿含経「七種果経」

 

 和 訳

 是の如く我れ聞きぬ。一時、仏、舎衛国の祇樹給孤独園に住まりたまえり。「上に説けるが如し。差別せば、若し比丘、七覚分を修習するに多く修習し已らば当に七種の果、七種の福利を得べし。何等をか七と為す。是の比丘は、現法の智証の楽、若くは命終時(の智証の楽)を得ん。若し現法の智証の楽、及び命終時(の智証の楽)を得ざらんも、而も五下分結尽くるを得て、中般涅槃せん。若し中般涅槃を得ざらんも而も、生般涅槃を得ん。若し生般涅槃を得ざらんも而も、無行般涅槃を得ん。若し無行般槃を得ざらんも而も、有行般涅槃を得ん。若し有行般涅槃を得ざらんも而も、上流般涅槃を得ん」と。仏、此の経を説き已りたまいしに異比丘、仏の説かせまう所を聞きて、歓喜し奉行しき。

 〔現法の智証の楽〕阿羅漢を得て、現実肉身の上に涅槃の証果を得る。有余涅槃のこと。

 〔命終時の智証の楽〕死の刹那に涅槃を得る。無余涅槃の〔中般涅槃〕欲界(この娑婆世界)に死んで、色界(天界)に生ずる中途に涅槃を得る。

 〔生般涅槃〕色界に生じて、久しからずして涅槃を得る。

 〔無行般涅槃〕色界に生じて修行せず長時間を経て涅槃を得る。

 〔有行般涅槃〕色界に生じて久しく修行して涅槃を得る。

 〔上流般涅槃〕色界に於て、天下より上天に進み、色究竟天に至って涅槃を得る。以上、五種不還を説いたもの。

大意

くあるとき、外道の出家が来て、ヽ釈尊に、成仏のための修行法をおたずねした。 

 釈尊は、「七覚支」土そその成仏法でだるとおっしゃって、1 官支・択法覚支・精進営淮党支・狩覚支丿定覚支・捨覚支の七つの修行法をお説きに

                                     

説ぎれた王で、阿那 果にも五種の涅槃の得かたがあるとくわしくお教えになられたので仙った。                               

そして、この七覚支を修行すれば、阿羅漢果ヽ阿那含果 斯陀合果 須陀似果が得られると解こなられたのであった

七覚支成仏法

 講説        

 釈尊の成仏法は、前にのべましたように、七科三十七道品といって、。七科目、三十七種類のカリキュラムから成り立っています。すなわち、四念処法、四正勤法、四神足法、五根法、五力法、七覚支法、八正道です○                        

このうちの七覚支法について、解説されたものです。

 成仏法について質問した外道の出家に、釈尊がなぜ、七科目の中の一つである七覚支について解説したのかと申しますと、これはわたくしの体験からの推測ですが、この異比丘がもし釈尊のお弟子となって成仏法を修行するとしたら、七覚支の修行が一番よいどお考えになったからだと思います。

 というのは、釈尊の成仏法は、七科目三十七種の修行馳全部やらなければならないというものではないのです。七科目の中の、二科目位をやればいいわけです。というのは、七科目の修行法の中にはでおなじような修行法が、ダブつて入っております。それで、釈尊は、お弟子の因縁を三みてい七科目の中から、おまえはこの修行をせよ、おまえはこれとこれの修行法がよい、というように選別されてあたえたのであろうと思われます。 時には、科目にかまわず、一三十七種の修行法の中から自由にいいくつかえらび出して、修行者に課したものと思われます。 

 そこで、この七覚支の修行法というのが、どんなものであるか、おはなしいたしましょましう。

 

念力をつよくして

ノ一バランスをたもつ

 

これはどういう修行法かと申しますと、仏教辞典などを見ますと、「おもいを平らかにする」うように説明しております。念覚支とは「おもい」つまり念を平安にすることである、とこ’うように説明しておりますけれども、わたくしは、それだけでは念覚支の修行の説明になっないと思います。

わたくし自身の修行体験によりますと、そんな簡単なものではなくて、こころを平安にする、いは確かにそうでありますけれども、それは結果から出てくるものであって、修行そのものでらいわけです。おもいを平安にするというのは、念覚支を修行した結果、つねにおもいが平安なる、おもいが平らかになる、ということであって、それ自体が修行ではない。

わたくしは、この修行を二つに分けることができると思うんです。まず、念の力を強化する。

活力といってしまうと、なにか安っぽくなってしまいますね。自分で『念力』という本を書いおきながら、そういうことをいうのはおかしいけれども、念力、と言でいってしまうと、ちっと安っぼくなってしまう。念の力を強化する、要するに、精神力というものを非常に強化すということですね。

それをただたんに精神力というと、漠然としますけれども、要するに、意志の力、知能の力。ういったものを非常に強化する訓練である。

もっというならば、人間の精神作用というものは、知・情・意、この三つから成り立っていま

知性の力、知能の力、そして情緒的なはたらき、それから意志の力です。

要するに念の力を強化するというのは、この三つの部門(知・情・意)のはたらきを強化し、しかも、そのいずれにもかたよらないようにする、ということです。それが、結局、結果的におもいが平安になるということじゃないですか。

 人間の精神力というものは、この知・情・意のはたらきから成り立っています。ところが、こいがかたよりやすいわけです。

 夏目漱石の『草枕』の書き出しに、

-知にはたらけば角が立つ。情に棹させば流される。とかくこの世は住みにくい」とあるでしょう。

 だから知というものにかたよると、とかく理くつっぽくなって角が立ちやすい。頭が非常よいと、知能のはたらきがつよいですから、すぐ理くつでものをわりきろうとします。

 情に棹させば流される それはそうでしょう、人情的になりすぎれば流されてしまいます。

意志がつよかったらどうかというと、これは強情で、どうにもしようがないということになりますね。

 ですから、知・情・意、それぞれのはたらきを強化し、たかめる、そういう修行です。しか

そのいずれにもかたよらないように平均化する、これがいちばん大切なことじゃないです知的にも非常に高度で、情緒面においても、いわゆる情操がゆたかであるというように、芸術面などでもよく理解することができる。情操的な情のないひとというのは、無昧乾燥にな力やすいわけです。芸術的なことは、なにもわからない、はなしをしてもちっともおもしろくない、シャレをいったって、ニコリともしない。今日きいたシレを、三日ぐらいたっ七急に笑,い出じて、「ああ、そうだ,ったのか」なんて(笑)、それじやあおはなしにならんでしょう。 

 意志がつよいのはけっこうだけれども、それが頑固になってしまうのではいけない。

 だから、知・情・意の精神作用を、非常に強化し、たかめるという訓練をする。そしてそのいずれにもかたよらないということ。これがまず第一です。

 しかし、それだけじやない。

 念そのものの力を、神秘的にまで強化する。一点に集中したとき、火を発するほどの力を出す。ですから、この念覚支の修行には、クンダリ’’ー ヨーガの修行が入るわけです。

 つぎに「空観」を体得する。ですから、この七覚支には、「四念処法」の修行が入っている。

この空の体得により、諸法の実相がわかるようになります。つまり、「縁起の法」を如実 にさとることになるわけです。                                

 この念覚支が、七覚支法の中の、目玉といつてよいでしよう。いや、三十七道晶の中でも

 これは、宗教、信仰、哲学というたくさんの教法、。思想のなかから真実なるものをえらびだす

ということです。

択というのは、「選択」のタクでず。 略どない本漢字は「選揮」と書いて、選 えらぶ、「揮」。もえらぶ、という字です。

 つまり、ほんとうに真実なる教法をえらびとる、ということですね。この世の中には、さまざまな宗教、信仰、思想があびます。そのなかから真実なるものをえらびとる。そうして、まちがったものや、いつわりのものを捨て石、取捨選択するということです。

 正しい信仰をえらびとって、正しくないものを捨てさるということが修行というのは、どういうことなんだろう? そう思ったことかありますけれども、考えているうち、やはりそれは修行なんだなと思うようになった。というのは、それが修行であるというのは、自分自身の勉強、知能によってそれをなすというところにあるわけです。         、

 たとえば、つぎのようなことです。

 お釈迦さまが出家されて、自分がさとりをひらくに到るまでには、当時のさまざまな信仰や宗教、いろいろなことを教える思想家、そういったかたがたに、肘あたりしてぶつかっていっているわけです。いろいろな仙人にもあって、はなしを聞く、それだけではなくて、それが正しいか、正しくないか、ということをご自分でI生けんめい考えられたということです。

 そうして結局、当時のインドにあったところのあらゆる教え、宗教というものは、みな正しくないという結論に達したわけです。それには、釈迦ご自身のふかい修行と勉強によってそこに到達したわけです。

 ですから、わたくしたちも、この択法覚文が修行であるというのは、自分自身の勉強と修行によって、ほんとうに真実なるものをえらびとり、正しくないものは捨てさる、ということをしなければいけないんです。

瞑想ひつとっても、日本に、瞑想を教える学校みたいなところや、瞑想の先生、そういったものがたくさんあるでしょう。そのたくさんの瞑想のなかから、どれが正しい瞑想法なのか? どの先生が、正しい瞑想法を教えているのか? ということを自分自身がはっきりと取捨選択しなければいけないということです。

 たいていの場合は、自分自身の研究や勉強、あるいは修行によって取捨選択するというひとはすくない、たいてい評判を聞くだけです。

「あのニホンーメディテーションセンターというのはどうなの?」

「あれは、桐山さんというひとがやっていて、いいよ」

 といったり、

 「あれはダメだ、インチキだよ」

 なんていう。そうかなあ、どうなんだろうか。T・M(、rranscendental Meditationo超越瞑想の略語)というのがいいというひともいれば、T・Mというのはダメだというひともいる。その評判だけできめてしまう人が多い。

 それをお釈迦さまは、ありとあらゆるいろいろな教法をご自分でぶつかって調べてみる。瞑想についても、すぐそれがいいとかわるいとか、ひとの評判とか、そういったものにはまどわされない。ご自分がその瞑想をやってみて、、これはいかん、これはいい、というように選択される。

 そういう意味で、択法覚支というのが修行になるわけです。自分が修行をして確かめて、そうそういう立場から、いろいろな宗教にぶつかっていってみた。そうすると、なかなか明瞭な答が出てこないんです。

 天理教にしても、ひとの道にしても、そのほか、わたくしはいろいろな宗教にぶつかってい1つた。ところがそこで、「この宗教で救われるとは、いったいどういうこ&なんですか?」と聞いてみても、これが明瞭でないんですね。

 ある宗教では、救うというのは「しあわせにするLということ、救われるというのは「しあわせになる」ということと、こう簡単に答える。では、’「しあわせ」というのはいったいなにかと追及してみると、その定義がはっきりしない。

 しあわせというのは、要するに、一つの満足感をあじわうことでしょう、そうわたくしは思い

ます。病気で苦しんでいるひとが、病気が治ったら満足しますから、それで救われたと思うでし

ょう。お金がなくて苦しんでいるひとが、お金が入ると満足しますから、よろこびをもって救われたと思う。

 しかし考えてみますと、満足なんていう状態はないんです、人間にとって。しあわせとか満足とかいうことばはありますけれども、実体はない。というのは、しあわせにしても、満足にしても、これは人間のそのときの状態によってあらわれるものです。

 わたしはしあわせだ、予は満足であるぞよ、とこういう。しかし、そのしあわせとか満足というのは、人間がある状況下で、ある状態においてあじわうもので、どこまでも主観的なものです。ところが、人間の状況とか状態というものは、いつも変わる。「無常Lです。はやいはなし、

わたくしがいつも例にとりますけれども、お腹がすいてお腹がすいてどうにもならない。二日も三日も食べないで、ぷっ倒れるほどお腹がすいている。もうなんでもいいから食べたい。そこへ、ウナ丼や天丼やカツ丼がワーツと出たら、これは満足ですよ、もうむしゃぶりついて食べるでしょう。もう満腹する、これはしあわせですね。

 さっきはぶっ倒れるほどお腹がすいていたのが、こんどはぶっ倒れるほど食べる。そうすると苦しいですよ、なにか消化剤はないか、ということになる。

 江戸小咄のなかに、そういうのがありますね。町かどに乞食がすわっている。そこへ、宴会帰りの旦那が、いいきげんで鼻うたまじりでフラフラやってきた。そこで乞食が、

 「旦那さま、一文やってくださいませ。わたくしは、もう二日も三日もごはんを食べないで、ぶっ倒れるほどお腹がすいております

 といったら、旦那が、思わず、

 「それはうらやましい

 といった。旦那は、あんまり飲んだり食べたりしたので、気分がわるい。そうすると、お腹のたいし、ごちそうをうんと食べすぎたひとは、お腹のすいている状態が引らやましくなる。

 お金がほしいお金がほしい。そこでお金がたくさん入ると、泥棒が入るんじゃないか、だれかにだまし取られやせんか、それが気になって夜も眠れない。

 一つの状況下において、満足感をあじわっているというのが、しあわせという状態なのだから、その状況が変わってしまったら逆になってくるわけです。だから、そんなものはあり得ない。一時的な現象としてはあるけれども、そういったものはつづかない、あたりまえのことです。

 そういうしあわせをあたえる、あるいは満足をあたえるなんていうことは、決して宗教の目標ではないはずです。宗教によって救うとか、救われるということは、永遠的なものであり、永続するものでなければいけない。

 どこかの教団が説くように、この信仰をすれば金か儲かる、大臣になれる、代議士になれる、金持になれる、そんなものはしあわせでもなんでもない。それは到達した瞬聞からそれを失いたくないという苦しみに変わるものです。 

 では、いったい救うとは、救われるとはどういうことなのか?

 それを追求して わたくしはあらゆる宗教の門をたたいて、どれも満足する答は得られなか

った。結局、仏教へもどっていった。

 どうかというとヽ大乗仏教では「試れんをあたえる」ということをいっています。

仏教では、アッシッをアンジンという。あなたがたが、大乗仏教のお坊さんに、

 「あなたの宗旨では、どのように人を救うんですか?」

 と聞いたら、禅宗だろうが、浄土宗だろうが、なに宗だろうが結局、「安心をあたえる」とこういいますよ。                                    

 「安心というのは、いったいなにか? これは儒教のほうで、「安心立命」ということばがあります。要するに、心を安んじて、生ぎるいとなみをつづけるということです。人間というものは、いつもなにかしら不安な心におそわれている、そういった不安感をなくし、心を安らかにして命を立てる、つま句生活をするということ、それを安心という、その安心をあたえるのだ、と必ずこういいます。また、死後の不安をとりのぞくという意味で使うこともあり吏す。

 だから、」仏教のいろいろな宗旨・宗派を調べてみますと、みな、いかにして安心をあたえるかということが、匹テーマになっています。

しかし、では、安心というのはいったいなにか? いつもこころが平安で悩みがないということだ。では、それをどういうようにしてあたえるのが、と問題はそこに行く。

そうしますとこんどは、大乗仏教は、答がみなわかれてしまうんです。禅宗の場合は、坐禅観天台宗。ぱ、「朝題目に夕念仏」といって、朝のおつとめには法華経を誦み、夕方のおつとめにぽ念仏を唱える。日蓮上人は天台宗出身ですから叡山に行って、彼は生一本な男ですから、それで疑問をもった。宗教というのは一本でなければいけない、あれもこれもなんていうのはおかしい。。ところが、比叡山の勤行は、「朝題目に夕念仏」といって、朝は「ナムミョウホウレッゲキョウ」といって法華経を唱え、夕方の勤行には「ナムアミダブ、ナムアミダブ」といって阿弥陀仏をおがんでいる。いったいどっちなんだ? ということになる。

 日蓮上人というひとは生一本なひとですから、信仰というものはただひとすじでなければいかん、といヶことで、かれはいろいろ研究して、結局、法華ひとすじ、法華一乗ということで日蓮宗を立てたわけです。                                   

 天台宗の場合は、法華経を信仰して「摩詞止観」の修行をする。真言宗へいくと、密教の修法―金剛界の法と胎蔵界の法を修行して即身成仏する。そういうようにみんなまちまちなんで

そして、結局、なにをあたえるか? 安心だとこういう。安心をあたえる方法というのが、おなじ大乗仏教でみんなちがうんですよ。いったいどれがほんとうなんだ、ということになるでしょう。

 

 これみんな落第なんです、この答は。仏教の目標というのは「安心」なんかじゃない、「成仏」することなんです。『葉隠』の表現を借りると、「仏教とは成仏することと見つけたりです。仏教とは安心をあたえることなりなんて、そんな曖昧模糊なものではない。大乗仏教はもうそこからおかしいのです。なぜそうなったかと考えてみると、成仏法がないからです。さっきいいましたように、各宗旨でみんな安心をあたえる方法がちがう。というのは、はっきりした成仏法がないから、そうなる。そして、「安心をあたえる」というようなはづきりしないことになってしまうのです。

 お釈迦さまはどうおっし『やっているかというと、「成仏することだ」とおっしやっている。涅槃に入ることだと教えておられる。解説して、涅槃に入って成仏したら、安心も不安心もない。

安心とか不安心とかいう相対的なものを越えた、絶対の境地に入ってしまう。これがほんとうの仏教なんです。

 わたくしは、あらゆる宗教を遍歴して仏教にもどり、その仏教の中でまたあらゆる宗旨の門をたたき、最後に最もすぐれた釈尊直説の阿含にたどりつくことができた。ここにくるまで三十年以上かかっています。そのあいだ、択法覚支の連続であった。

 あなたがたは、わたくしよりもよっぽど徳がありますから、わたくしのようにぞんなに時間をかけなくてもすんだ。ぱあっと阿含にきてしまった。よっぽど徳があるんですね。しかし、そのぶん、択法が足りないかも知れん。        

 しかし、そうはいものの、あなたがただって、わたくしほどの勉強はしなくても、現代人としでの感覚、教養、。常識から、この阿含宗をえらびとうた。宗教上の勉強では、、プロ政宗教家や坊さんに。かなわないかも知れないが、しなにより右、おそらく、’自分の人生を賭けるという意気ごみで阿含をえらび取った。これぱすばらしい択法覚支であったと思うです。

                          

朝霧高原にやってきて、三泊四日の出家をして、阿含教法の中でもより高度な法をえらんで身にいつけるため伝法をうけている。りっぱな択法覚支です,

 

精進鴬支            

 択法も、ただえらんだだけではなく、えらんだものを一心に努力精進してぃ自分の身につけなければならない。阿含を学んで、知識として、阿含は最高の仏教であるとわかっただけではだめだ 最高のもだとわかった阿含の教法を、全に自分のものにするために、心。不乱の努力精進というものがなければならない。そこに精進営支があるわけです。

 

修行が苦しいというやつは人前になれない

 

喜覚支

 しかし、その精進覚支も、ミいやいやながらにやったのではだめだというのが、つぎの「喜覚支」なんです。喜覚支というのはよろこびに住する修行だ、というのです。その精進が、真実の教法を身につけるよろこびに住するということです。

えろこびに住さなきゃならんという、これはちょっとむずかしいかもしれませんね。よろこびに住せよ。しかし、「それはわかりますけれども、わたしちっともよろこべないんです。ちっともうれしくないんです岬せめてもう、泣きっつらしないだけ、゛泣きごとをいわないでI生けんめいやっているだけ、。いいと思ってぐださい。

まあ、『それくらいでかんべんしてくださいLというひとがあるかも七れないけれども、お釈迦さまは、それではほんとの修行じゃないとおっしずるんです。

一どんなつちい精進も、どんな苦し。い修行も、それがよろこびに住するという境地でなければ、ほんものの修行ではない、身につかんということいんだ。その苦しいのを苦しいながらにがまんして、努力することが、それが修行じゃないですか、精進じゃないですか、それでいいんじゃないんですか、という理屈も成り立つとおもうんです。そうでしょ、。苦しいことは苦しい、つらいことはつらい、’いやなことはいやだ、けれども苦しいとおもいながら、つらいとおもいながら、いやだとおもいながら、『まあ、とにかく」生けんめいにやってるんだから、それが修行というもので、それでいいんじやないですか、とこういうかもしれないけれども、それじゃほんとうの修行ではない、とこうおっしゃる。なぜかというと、いくつかの理由があげられるとおもうんです。ほんとに、最高にして真実なる教法を選択して、それをわがものにするとい。う努力をしているんだったらば、たとえ苦しくともそのなかによろこびがあるはずだということです。

 それは、わたくしは、わたくし自身の体験でわかるんこのまえもおはなししたけれども、桂米朝という、関西の有名な噺家がおります。あの米朝さんが、この間『米朝全集』という

七冊ぐらいの本を出した。昔からのいろいろな落語を、全部集めて、かれ自身それを演じたのを速記にとって本にした。はなし自体もおもしろいが、その「あとがきLがことにおもしろい。その演じたはなしにまつわる出来ごとや思い出がいろいろ書いてある。その中で、米朝さんがこういうことをいっているんです。

 明治時代の、名人といわれた或る噺家があって、その噺家がこういうことをいっているというんです。どういうことかといいますとね。修行がつらいというやつで、いまだかつて一人前の芸人になったためしがない、というんです。修行をつらいつらいといっているやつで一人前の芸人になったためしはない。こういうことを、その名人が言ったというんです。それを読んで、わた

くしは、つくづくその通りだなあと感じた。

 だれだって、苦しいことは苦しいんです。痛いものは痛いし、悲しいことは悲しい。それを、苦しいと感ずるな、痛いと感ずるな、つらいと感ずるな、というのは無理です。しかしながら、自分にとって最高の価値あると思われるものにふれて、それをわがものにしようとI生けんめいになっているものにとっては、苦しいことは苦しいながら、よろこびがその底にあるんです。・充実感がそこにある、ということです。

 そのよろこび、充実感がないものは、原点にもどって、自分にとって最高に価値あるものをわがものにしようとしている姿勢がほんものかどうか、問い尨せ、ということです。ほんものだったら、苦しい中によろこびがある。      

 わたくし自身の修行体験をはなしますと、そうですね、いつもおはなししていますけれども、

京都で滝行をやうていた時代がある。七年間、わたくしは連続して冬の滝行をやった。夏はやらない。

 九月すぎ、十月ごろから滝に入って、翌年の四月いっぱいやるわけです。そして五月になったら滝場をはなれる。なぜかというと、五月から、入梅過ぎ、暑くなってくると、滝場が混んでしようがないんです。夏、暑くてしようがないときに滝浴びるのは修行じゃない、とわたくしは思う。それはレジャー・ですよ。海水浴へ行くのとおなじだ。

 やっぱり寒いときに滝を浴びてこそ修行なんであって、夏、暑くてし乱うがない、ひとつ滝へでな入ろうか、などといったらシャワーを浴びているようなものでしょう。それはもう修行では

ない・ところがヽおかしいことにヽそういう夏場、滝獣混んでしよ5 がないんです。いろいみな信者をつれて、滝へやってくる。いまはもうそうおがみ屋の先生などが、十人、二十人と弟子や信者をつれていう人たちも少なくなったが、あの時代はずいぶん多かった。

 そういうひとたちが、五人、十人、すくないのは三人、四人、多いひとは十人、二十人と連れてきて、お滝へ入れて滝行し、そのあと飲んだり食ったりして、時にはケッカなんかしてヽますよ。飲んだあと(笑)。いったい何のために滝に入っているのか。

 これは、まあレジャーなんですね。そして家を出るときには、みんなに、『わしは、これから行ってお滝をいただいて、修行してくるんじや』

                          S

「ほう、えろうおまんなあ」

 というようなことで来るわけ。来て、お滝がおわると、精進落しで、酒をのんで、ときには取っ組み合いのケンカなんかしている。もうさきに立つ先生がベロッベロッに酔って、   。

「おまえ、いつもお布施ちびって罰当るぞ」

なんてやっている(笑)。もうどうしようもない。うるさぐてしようがないから、夏は行かないんです。だから、ほんとうに真剣な弟子と師匠は、冬、霜が降りるようになってから来る。しかしそれはご。くわずかで、滝場はシーンとしていますよ。

 そういう時季になってから、。わたくし牒行く。それを七年間やっ、た。         j

昭和三十何年でしたかね、そのころは、いまよりも何か寒かったような気がしますけれども、

正月0 七日でした。そのころは、或るお寺を借りて指導をしておった。観音慈恵会は、まだ道場をもっていない時代です。わたくし自身が修行中ですから、朝、暗いうちに起きて滝に行ぐわけです。朝四時半ごろ、まだまっ暗で、世間は寝しずまっている。

 そこで身じたくをすませて、おもてに出ようとすると、雪が降っている。ピュー″と風が吹いて、雪が吹きつけてくる。気が重いですよ。これからどこかへ行って、爛でI杯やるっていうのだったらそれは心もはずむでしょうけれども、これから滝まであるいていっ七、そこで白衣に着がえて、そうして滝に入るということになると、やっぱり心臓もドキドキしてきますし、気が重い。

けれども、いったん思いたって、仏さまに、やりますと誓っているわけですから、いやもおうもない。勢いよくあるき出す。昭和三十年代のはじめですから、クルマなんていまめように多くはない。自家用車持っているひとなんてごくわずかです。タクシーだってすくない。通りはクルマの行き来もなくしIんとしている。もちろん、お滝に行くのに車を乗りつけるなんていうこはしません。精神的にもそんなことできないが、またそんなことやったら、かえって非常に危険なんです。ヒーターを熱くして、パーツと雪の中を飛ばしてきて、そのヒーターの熱い勢いでパーツと着がえて、パーツと飛び込んだら、パアッといっぺんに心臓マヒです(笑)。だから一歩一歩あるいて行くわけです。そのお寺から約三十分くらいかかりました。

 一歩一歩あるきながら、からだにいいきかせているんです。さあ、これからお滝をうけるんだぞ、しっかりせよ、と、心とからだにいいきかせている。それは前の晩からそうなんです。床に入ると、潜在意識に、あしたの朝起きたら、お滝をうけに行くんだぞ、しっかりしなきゃいかんぞ、ぜったいカゼはひかん、だいじょうぶだ、寒くないぞ、たのしいぞ、といいきかせてねむそれで、潜在意識はたのしいと思うか知らんけれども、表面意識は、やっぱり、寒い、冷めたい、これはたまらんぞという気持です。

 着くと『心経』をあげて、真言をとなえて、そして行衣に着がえて、流れで身をきよめ、それから沌に入る。まあ、それはいいんですよ。もう慣れていますから、スムーズに一連の動作としぐやノしトようがヽ殼初にお滝の水がからだにかかった瞬間、それは冷めたいなんてものじゃない。大根おろしでサア″と肌をけずられているような感じです。

 ことに、わたくしは結核をやって、だいたいが腺病質だった男です。今は修行でこういうが″チリした体に見えるかも知れないけれども、これは見かけ倒しで、もともとは結核で死にかかった人間ですから、寒暑に非常に敏感な体質なんです。寒さはひとよりも寒く感じるし、暑さはひとよりも暑く感じる。もっともそのかわり、うまいものはひとよりうまく感じるかも知れんから(笑)、そのぷん損得なしかも知れんが、とにかくそういったことで寒暑を非常に敏感に感じる体質・なんです。要するに結核体質で、風邪などひくと危険なんです。

\七かし、それはもともと覚悟しているわけで、そんなこと気にしていたら滝行などできない。

そしてあがると、五社の滝神社の奥様がちゃんと薪を燃やしておいて下さるから、それにあたって体を温め、食事をして帰ってくるのだけれども、しんからからだが冷えきってしまっている。

毎日ですから。

 だから、わたくしが本気に滝行と取り組んでいた時代には、真夏になっても水の音をきくと、体じゅうがゾクソクとしたものです。水道の水の音を聞いただけで、体じゅうにトリ肌がたったものです。いまから思うと、徹底的に、水でがらだがいためつけられていたのでしょう。汗をかいていても、水の音を聞くと、トリ肌がたった。

 食事がすむと、ぬれた行衣をふろしき包みにつつんで、今はもう人家がずっとならんでいるけれども、日赤の病院のうらのところの細い道を、五社の滝からおりてくる。いまはもう、大分かわってしまっているようですね。

 その日は、まだ雪がだいぶはげしく降っていて、コウモリ傘をさしてあるいてくると、道の両側に人家がつづいている。道がせまいですから、歩きながらふと見ると、窓があいていて、家の中がのぞけるわけです。のぞこうと思わなくてものぞくことになってしまう。

 それで、ひょうと、一軒の家をのぞいた。すると、その家のおやじさんらしいのが、七日正月というわけでしょう、コタツに入って、お銚子が二、三本ならんでいて、ちょうど、おチョコを

口にこう持っていく’ところでず。とたんに、あ、いいなあ、うまそうだなあ、と思った。同時に、人間の人生というものは、じつにさまざまなものだなあと思った。‐こうして朝暗いうちに起きて滝に飛びこんで、カタカタふるえながら雪の中を帰ってくる男もあれば、起きぬけにコタツ

の中に入って、熱爛で一杯お正月を祝っている男もいる。それが窓一重を境にしているのだから、世の中というものはじつにさまざまなものだ。そう、つくづく思った。

 いったい、三自分はなんのためにこんなことをしているんだろうか。べつにひとにいいつけられたわけでもないし、仏さまに命じられたわけでもない。自分自身、修行に行きづまって、こんなことでもしたら道がひらけるかと思って、‐やむにやまれぬ思いで滝にとびこんだ。自分ひとりの考えではじめたんだから、自分自身でやめようと思ったら、明日といわず、今日から滝に入らずにすむ。

 しかし、じゃあやめてしまうか七いうと、それがやめられない。いままでこれだけ苦労し、つらい思いをしのんでやってきたことが、ここでやめてしまったらなんにもならなくなってしまう。そう思うと、とてもやめられない。

 五年なら五年、。七年なら七年、思いたっただけ、なにがなんでもやり抜こう。ここでやめたら、いまま’でつらい思いをしてきたことが、それこそ水の泡になってしまう。何も得るところがなく、やめるのでは、いままでいったいなにをやってきたのかということになる。なんとかなるか、ならぬか、とにかく、とことんまでやろう、そういう気持になる。同時に、そんな寒いつらい思いをしながらでもiそれはつらいと思いますよ、滝へ入る瞬間は、一瞬であるけれども、もうやめちまおうかと思う。けれどもそれは一瞬であって、やはりこころの根底には、こういうつらい行をいま自分はしている。欲も得もない、ただ純粋に精神的ななにかを求めてこういう行をしている。ごれだけの行が、世間一般の連中にできるか、それをいま自分はやっているんだ。そういうひとつの誇りとよろこびが胸の底にあるんです。

 だから、わたくしは、コタツに入って一杯やっているおっつぁんをみて、ああ、うまそうだなあ、いいなあ、と思ったのは一瞬だけです。ほんとうにうらやましいと思っているのかというと、ちっともうらやましくなそない。むしろ軽蔑している。軽蔑というとおかしいが、あれはふつうの人間、おれはぢょっとちがうぞ、という誇りがあるわけです。あのおっつぁんは、いまああして一杯やって楽しいことだろうが、あれだけのものだ。おれはいまこういうつらい思いをし

ているけれども、いまになにかつかむぞ、なにもつかめなくっても、ふつ`うの人間にはできないことをおれはやっているんだ。そして一歩一歩、仏さまに近づきつつあるんだ。これはだれにもできん。おれだけにしかできないことなんだ。そう思うと、ひとつの誇りと満足感、充実感というものが胸の中にあふれてくる。

 わたくしは、行というものはつらいものでなきゃいかん、苦しいものでなければいかんと、つくづく思いますよ。苦しい、つらい、だからこそ、こんな思いをするんだから、なんとしてでも、なにかつかまなきゃつまらん。そう思って真剣になる。精魂こめて、て心不乱に工夫をす

る。命がけでぶつかってゆく。そうすると、つらいも苦しいも、ふっ飛んでしまう瞬間がくる。あ、これだ、これなんだ、と、天に向かって叫びたいような一瞬がくる。これは、喜びなんていうありふれた言葉では表現できない感情です→喜びが自然に湧い

てくる

 米朝さんが本で書いている名人のはなしというのは、それだと思うのです。

 いまとちがって、明治時代の噺家の修業なんていうのは、たいへんなものだったと思います。

師匠から、人間あつかいされないで、仕込まれる。そりゃあそうです。人情かけていたら、芸なんて仕込めやせんのです。

 この仏法の修行だってそうですよ。

 ほんとういったら、あなたがたをほんとうにきたえようと思ったら、人情なんてものを出したら、ぜんぜんだめです。人情なんかかけていたら、ぜったいに人など教えられるものではない。

人間だと思ったら修行なんかさせられませんよ。現に、わたくし自身が前にやってきたようなことを、いま、あなたがたにやらせられるかというと、とてもやらせられない。かわいそうで かわいそうだという気持が先に立ってしまって、やらせることができない。

 しかし、それではいけないんで、ほんとうは心を鬼にして、諸君を人間あつかいにしないで、

滝つぼにでも何にでもたたき込む。泣きべそかいたら、たたきつけ、けとばす。そのくらいのいきおいでなければ、ひとなんてものは教えられないし、ましてひとを救うなんてことはできんのです。

 けれども、わたくしはまだ修行未熟だからそこまでできないんですよ、あなたがたに。もう、

たった三泊四日のこの位のことで、「まあ不自由でしょうが、しんぽうしてL、なんて言っている(笑)。なにを言っているか(笑)。しかし、わたくしは本気でそういっているわけじゃあない。

ことばでは不自由でしょうが、といっているけれども、そんなことあたりまえなんだ。このくらいのことができないで、ほんとうの仏法の修行ができるか。おれのやってきた百分の一にもあたらんじゃないか。そう腹の中ではいっています。けれども、わたくしは、元来、気の弱い、心の

やさしい(笑)人間でありますから、なかなか徹底できない。

 しかし心の中で、つねに、何とかもっと非人情にならなきゃいかん、情というものを捨てなき

ゃいかん。それが弟子にとって最高の情なんだ、そう考えているのだけれど、なかなかそれができないんですね。

 こういうはなしがあるんだね。これも噺家で、このあいだ亡くなった、何とかという名人といわれたひとですが、あるとき、弟子入りして一年か二年の、十六、七か十七、八の弟子を二人連れて、寄席まわりをしていた。今とちがってむかしですから、雪が降って寒い晩だが歩きです

寄席がおわって弟子といっしょに帰ってきた。もう弟子も師匠も、おなかが空いてペコペコ。寒いなか弟子たちは、

顔を見合せて大喜び、これは師匠、ごちそうしてくれる。あったかい天ぷらツバでもごちそうし

さが囃射にしみる・とヽ師匠がその弟子二人を連れてツバ屋のノレッをくぐったてくれるのだと思ってニコニコして入った。 そうしたら師匠の注文が、天ソバーつ。弟子たちは耳をうたがったわけです。三つというのだろうと思ったら、二つだというんだ。一つの天ぶちソバを三人で食うのかしらん、と思っている

内に、天ぷらツバが出てきた。師匠が割りばしを口で割って、ブウブウ吹きながら、ソバをすする。ふと、顔を上げて弟子たちの顔を見ながら、

 「食いたいか」といったという。ヽ片方はヨダレをのみこみながら、

 「そりゃあ師匠、食べたいですよ」

 「そうか、食いたかったら、はやく一人前になれよ」‐         I ノ     ニ

 フそういってツルッルと食べおわると、金をはらって外に出た。こんちきしょう、と思ったとい呑んだね、弟子たちは。こんな鬼のような師匠があるか。絞め殺してやりたいと思った。けれども、いくちなんで心、絞め殺すわけにはいかないし、その。師匠のところを飛び出したらもう噺家の仲間では食ってはいかれないから、腹の中で、こんちきしょう、いまにみていやがれ、おれは早くえらくなって、天ぷらソ八三杯食ってやるぞ(笑)なんて。

‘もうほんとうに腹が立った。それでお正月すぎに、薮入か何かで家へ帰ったときに、父親から、

「どうだ、師匠、よく仕込んでくれるかL

 ごと聞かれたときに、帰り腹ペコペコで一緒にソバ屋に入ったら、自分だけ天ぷらツバーつとって食って、食いたいか、

とこういいやがるんですよ。それは食いたいから、師匠食いたいです、といったら、そうか、食いたかったら早く一人前になれ、そう言いやがって、とっとと表に出てしまいやがった。あんなヶチで不人情な奴はみたことない」

 そう答えたら、そのおやじさん、いきなりぱあんと肘が横ッ面を張り」ばして、こんなおりがたい師匠がこの世に二人とあるか、と叱りつけたという。これがほんとうにひどを仕込む、師たるものの心がまえだね。わたくしにはそれができないんだな。わたくしだったら、もう天ぶちツ八五杯たのんで、  ’

「おれは一杯でいい。おまえたち二杯ずつ食え」

前になれ。これがほんとyつの師匠というもの(笑)です。わたくしもせいぜい修行して、諸君にになんて(笑≒そんなことではダメだねえ。ほんとうに食いたいか、食いたかったら早く一人何も食わさず、ひと句で天ぶちソバを食えるように心がけまして、つらい、苦しい、と思っ七いたら、芸なんて身につくものじゃない。ようし、人より早く一人前になってやるぞ、と発奮して一心に努力すれば、ふ云が身につぐ喜びどいうものが出、て来士

す。そうなったらいもう、じつらいも苦しいもない。そういうつらさ、苦しさが、芸の糧になってごはなしが横みちにそれましたが、この弟子たちにしても、こういうことをいつまでも根にもつくる。それが、自分でもわかるようになってくる。

 そうで力くて、修行が、苦しい、つらい、といっているやつは、とうてい一人前の芸人にはなれん。なったやつはいない、と、こう、米朝さんの書く名人が言ったというんだね。

 それを、わたくしは、ちがう角度からお釈迦さまはおっしゃっていると思うのです。

 修行はつらいものだぞ、ということが前提なのです。「喜覚支」よろこびに住せよ、という。なぜ、わざわざお釈迦さまが、よろこびに住せよとおっしゃっているのか。それは、修行というものは、つらいものだぞ、苦しいものだぞ、悲しいものだぞということを、前提にして、おっしゃっているのです。

 その中で、よろこびを見出せIいや、よろこびを見出すというのだったらまだほんとうではない。住す、というんですから、自然に、よろこびが湧いで出るのでなくてはならない、ひとりでに、よろこびがこみあげてくる。つらい修行が、よろこびにみちた修行になるよう修行せよ、とそうおっしゃっているわけです。だから、修行、精進というものは苦しいものだぞ、ということをお釈迦さまはこの「喜」という字のかげにおっしゃっているのです。仏法の精進、努力というものは悲しいものだぞ、苦しいものだぞ。決してたのしいものではないのだぞ、つらいものだぞ。

 しかし、その中からよろこびに住するようにせよ。よろこびに住さないようでは本物になれんぞ。じゃあ、どうやってよろこべるようにするのですか。それはおまえが工夫するんだ、どいうことです。工夫することが修行なんです。だから、わたくしが、こうすればよろこべるようにな

石なんていった6 、それはあなたがたの修行にはならん。まあ、ここでのこんなていどの修行は苦しくもつらくもないはずなんだけれども、苦しい、つらいと感じているひとがもしあるとするならばにんな苦しいつらいなかからどうやっとならば、どういう心がまえを持ったならば、。よろこびに住せるのだろうか、と一心不乱に考える。工夫する。そしてそのように努力する。それが「喜覚支」ということである。そう、わたくしは解釈しています。          一xI

ごこ今桜 微笑を持て

 碕覚支

 

 この「狩」というのは、ちょっとわかりにくい文字ですが、「軽安」と訳しているお経ります。    

 忙喰覚乞、という。これは、つねに身心を軽やかに快的にする、ということです。修行中、つぬに身心がかろやかでなくてはならない。どんなにつらい修行、苦しい修行をしていても、しかめっ面で、のろのろ鈍重なことをやっていたのではいけない、というのです。チラシまき修行だろうが、お便所掃除だろうが、なんであれ、身心軽快でなくてはならない。

 この反対の言葉があります。というような意味で、人をして煽惰、怠慢ならしめるものです。睡眠蓋という。のは「心くらく身を重からしめるLという心作用で、人をして、ものごとを行なうにあたり、不活発、鈍重ならしめる。ことを行うにあたって心巧みでない。                    十

 これではいけませんね。軽安覚支はその正反対です。

  ということで、煩悩の一種です。幡沈というのは、「心のめいること。ふさぎこむこと。沈億

不活発な気質Lあるいは、「心を暗く沈ませる心作用Lというような意味で、人をして頼労、

げしに回イにづ悩の中にヽ愉漑瞭睨戸という宗あ芯を覆う

 ここの修行中でも、そうでしょう。朝、目をさまして、起床する。ねむいし、もう、体のあちこちが痛むし、とても身心かろやかどころではない。どうにもならん、みんな仏頂面して、ぷす″として、口もきかない。しかし、それは身心かろやかではない。

 身心をかろやかに、ニゴニコして、おはようございます、と声をかけ合う。何十人という人が目をさましてJだれひとり、にこやかな顔をしておはようございますといわない集団なんて、なんとも異様だとわたくしは思う。

 どんなことがあっても、朝、目がさめる、おはようございます、とニコニコ笑って声をかけ合う。そこから、活気というものが出てくる。それがエネルギー・となって盛りあかってくる。だれもかれもしかめっ面をして、黙ってもぞもぞやっている。悟沈睡眠蓋ですよ。いつまでも、暗く沈んだ空気で、活気がない。だれでもいい、だれかひとり卒先してやるんですよ。「おはようございます。いい天気ですね」まあ、この朝霧高原ではあまりいい天気の日というのはないが、それだけにこっちが明るく軽快でなくてはいけない。おはようございます。今日もがんばりましょう。だれかひとり、そう声をかけてごらんなさい。明るい軽快な気分がみんなにひろがってゆく。そこから活気が湧いてくる。その活気が子不ルギーとなって盛りあがり、みんなの活力とな

ってゆく。

 自分が身心をかろやかにするということは、ひとをも身心かろやかにさせてあげなければいけない、ということです。

 これは、自分ひとりのときでもそうです。

 わたくしは、つねに、「心に微笑を持て」といっています。そうして、心でいつもつぶやくのです。

「かろやかに、明るく、楽しく」

 

修行法と梵行

定覚支

 これは、心をひとつのものに集中してみださない修行です。瞑想法で、純然たる修行法ですから、文字や口では説明できない。実地に指導をうけて体得してゆく。「滅尽定L「四禅定」などをふくむ七科三十七道品の中でも、根本的な修行法ですい

 

捨覚支

 あらゆるものごとにたいし、とらわれる心を捨離する。ものごとにとらわれ、執着するところ

から、煩悩が生ずる。、

「煩悩の犬、追えども去らず」

 などということばがありますが、十分わかっていて、こだわってしまう。とらわれてしまう。

 わたくしは、若いころ、’‐そういうとき、心の中で、「サラリ’、サラリ」とつぶや’いたものです。

とちわれた句、こだわりそうになったとき、サラリ、サラリ、とつぶやいて流してしまうのでを横に向けてしまうので、’心をほかのものに転じてしまうのですね。こ柚は案外、効果がありまつい一こ以て、「であるからこれは執着してはいけない。

す。いろいろ、いろいろと心の中で理くつをこねてとらわれの心を剖一にしすべきだ」なんて考えるよりヽサラリヽサラリ、とつぶやいて横を向いてし

まうのが、1番です。

 しかし、根本的には、「定覚支」による瞑想、「念覚支」による縁起観法、、等によって、完全な「捨」の境界に達するわけです。その境界に達すると、一切を捨て切って、心中、微塵の影もなく、こころ明鏡のごとし、ということになるわけです。`そうなったら、いつ、この世を去っても、異陰など生ずる余地がないわけです‥

’以上、ざ『つとJ七覚支についておはなしいたしました。

、そごで、どの、七覚支の講義を終えるにあたってい最も大切なことを一つ、おはなししておきたいと思います。

 それは、この七党支の修行法をずうっと見て、なにか、気がつくことはありませんか? なにか、気のつくことがあると思います。  ―

それは、、この成仏法が、二つのものから成り立っている、ということですJ     上上一つは純然たる修行法。

これは非常に興眸のあることですね。

 どういうように分けられるかというと、修行法では、「念覚支Lそれから「定覚支」それから捨覚支です。この三つは、特殊な技法から成り立っている。たんなる心がまえ、心がけといったようなものではない、純然たる修行法です。

 い梵行にあたるのは、「精進覚支」喜覚支」「軽安覚支」です。

 「択法覚支Lは、修行法と梵行と両方の立場がある        。            ’ゝ

 以上のように分けられますね○ ’              ‐        ‘     j`

 

 で、これは、七覚支だけのことかというと、そうではない。他の六科目の成仏法すべてにあて’

はまるめです。ただいその比率が、修行法と梵行とが、半々の割り合いでできている場合もあれば、、七対三、六対四ノというようになっている場合もあり、一律ではありません。しかし、かならず、成仏法は、純然たる修行法と梵行とがら成り立っています

 

 これはいったいどういうわけか。もっとも、前に出たお経に、 『-一一優婆塞の諸々の梵行を修し、此法律に於て狐疑を度るものありや不や』

とありましたから、成仏法が、法と梵行と、この二つから成り立っていることは、わかっていたことでありますが、これはどういうわけであるか。

 わたくしは、この、梵行を修行法に加えることにより、在家の者も、出家者とおなじく、解脱の成果をあげることができるようになった、釈尊のご配慮だと思うのです。この、釈尊のご工夫Jじように、成仏できるようになったのだ、そう思います。

により、在家者も出家とおなじように行をしながら、衆生を救済する、指導するというのが建て前ですから、これは特に徳を積むといするようになっている.

よりといいますのは、梵行とはなにかというと、それは「徳を積む行」です。出家者は、自分の修う行をする必要がない。出家者の生活そのものが徳を積む行をするようにずるような方向にいきやすい。これを補正するためには、どうしても、徳を積む仕組みをくわえ

なければいけない。それが、梵行です。

 

 念竟支・定覚支、というような、純然たる技術としての修行法をいくらやっても、それだけでは、成仏はできないのです。徳がなければ、どんなに技術としての修行法をマスターしても、成仏はできない。いや、第一、徳がなかったら、その技術としての修行法を、マスターすることができないのです。必ず、中途で挫折してしう。

 時々あるのですが、わたくしのところへ、超能力の修行法を求めてくるひとがあります。求聞持法あるいは念力の護摩法を体得したいということでやってくるわけです。あるいは霊視力、霊感などを持ちたいという。わたくしの門人になって、一、二年法を修めれば、そういう超能力が得られると思っている。

 ところが、そういう人たちにわたくしがやれというのは、「準祗尊干座行」です。そうして、チラシまき、便所掃除、下足番をやれという。それで、ちょっとやってみて、すぐに、なんだバカバカしい。こんなことで超能力なんてものがつくはずない。もっとほかにいい修行法があるにちがいない、ととび出して、あっちこっち、’「秘法」を求めて、転々としてあるく。  j

 いいですか。

 どんな高度の修行法があっても、修行法で成仏するんじゃないんです。’「徳Lで成仏するんです。。修行法で修行して成仏力を身につけるのには、どうしても徳がなければならない。。徳がなかったら、修行法そのものにさえ、縁がいただけない。  

 

「準眠尊千座行」は、釈尊の成仏法、七科三十七道品にのっとって、修行法と梵行から成り立っている。「準眠尊于座行」と梵行で「五下分結」は必ず切れるのです。必ず「阿那合」―にまではゆける。しかしそれには、修行とともIにしっかり梵行をやって徳を積んでゆかなきゃならんのです。

 

 徳なくして、どうして成仏できるか。

 第一、仏さまのことをなんというか      。 一

「万徳円満」というじゃありませんか。すべての徳が完全にそなわっている、というのです。成仏、というのは、その仏に等しくなることです。徳なくして、万どうしてそれができるか。梵行こそ、」それを可能にするただ一つの道です。修行法に梵行をくわえたことにより、釈尊は者にも、・ぴろく成仏の道をひらかれたのであり、大乗仏教のひとたちがよくいうように、決して

釈尊め仏教は「出家仏教」ではないのです。出家、在家を問わず、すべて、解脱へ到達せめる、゛かの婆践出家が讃嘆したように、まさに、それは、

そく うぱい  もし なん もし によ ことごと みなした

塞、優婆夷、若は男、若は女、悉く皆随

ぷっ ぼう そう ぴょうどぅほうりっ

仏・法・僧の平等法律なることや』

 てんおお  あめふ  すいるしたが  くだ  ごと  くどん ほうりつ !たまたかく ごと  びく  ぴくに  うぱ

『天大いに雨りて水流随いて下るが如く、琶曇の法律も亦復是の如し。比丘、比丘尼、優婆

ヽく うぱい  もし なん もし によ ことごと みなしたがなが  ねはん むか ねはん さら はこ  はなはき

邑、茫冬ぼ、、ぼよ君、窃まな、悉く皆随い流れて涅槃に向い涅槃に浚え輸ぶ。甚だ奇なり。なのです。

 

おわりに

原爆坦二度落ちる

 わたくしは、この、日本という国ほど、業のふかい国はないと思うのだ。

 なぜか?

 

 地球上でただ一つの、原爆の被爆国ではないか。

 しかも、一度ならず二度までも    」                \

 ほかに}国もないのである。日本だけなのだ、この惨禍を受けたのは。

 これはいったいどうしたことか。

 もちろん、わたくしは、一日本のほかにも被爆国の道づれがあったらよかったといっそいるのではない。

 

 

おわりに

 この国を以て人類の狂気のみせしめにされた思いである。

 しかも、それで終わるのではないのだ。原爆はこの国にもう1度落ちる。それがわたくしには見えるのだ。

なんという業のふかさか。

 いまや、この国の上空を、破滅のカルマが一面に覆い、それは日に日に、厚く、濃く、なりつつある。

 それが頂点に達したとき、原爆は落ちるのだ 

 カルマを断ち切る方法は、シャカの説いた教法にしかない。 わたくしが、かくもホケトに、現代にシャカをよみがえらせようとしているのは、この国を滅亡から救うために、それしか方法がないからである。

 シャカは、カルマを断つ教法をもとに、個人の成仏を説いた。個人の成仏は、即、国土の成仏にほかならない。それはそのまま、社会の成仏につながる。なぜならば、個人の集団が、国であり、社会であるからだ。

 

 

ホモーエクセレンスと呼ばれた。It was called Homo Excellence.

 

未来の世界では、我々が知るホモ・サピエンスとは一線を画す存在が存在した。彼らはホモーエクセレンスと呼ばれ、人類が持つ限界を超えた特殊な能力を身につけた種であった。

彼らは別名を持ち、「ホモーイッテリダンス(聡明なるヒト)」としても知られていた。その特異な能力には、第四次元の理解、複雑な全体を瞬時に把握する能力、第六感の獲得、そして無限に発展した道徳意識の保有が含まれていた。彼らの精神的な特質は、我々の理解を超えるものであり、彼らの存在はまるで異次元のように感じられた。

世界的な人類学者であるジョルジューオリヴィエ教授は、彼らの知的能力を評価し、「脳発速度係数三・九」という数字で表現した。しかし、その知性や身体の形状、理解できない行動については、彼の言葉が及ぶことはなかった。それは、彼らの存在が純粋な想像力の領域にあるように思われたからだ。

彼らの姿は、未来への希望と神秘を同時に紡ぎ出していた。彼らは、人類の進化の先にある新たなる姿であり、我々にとっては未知の旅路の先導者となる存在だった。

In the future world, there existed an existence that was distinct from the Homo sapiens we know. They were called Homo Excellence, and were a species that had acquired special abilities that exceeded the limits of humanity.

They had another name and were also known as the “Homo Iteridans”. His unique abilities included an understanding of the fourth dimension, the ability to grasp complex wholes in an instant, the acquisition of a sixth sense, and the possession of an infinitely developed moral consciousness. Their spiritual qualities were beyond our understanding, and their existence felt like it was from another dimension.

Professor Georges Olivier, a world-renowned anthropologist, evaluated their intellectual abilities and expressed them as a “brain rate coefficient of 3.9”. However, his words did not cover its intelligence, physical shape, or incomprehensible behavior. That’s because their existence seemed to exist in the realm of pure imagination.

Their appearance gave rise to both hope and mystery for the future. They were a new form of human evolution, and for us they were guides on a journey unknown to us.

 

 

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バイブレーションの奇跡:小高い丘での驚きの瞬間 Miracle of vibrations: A surprising moment on a small hill”」

バイブレーションの奇跡:小高い丘での驚きの瞬間 Miracle of vibrations: A surprising moment on a small hill”」

その時、突如として、その衝撃がやってきた。右斜め前方から、まるで頭から襲われるような衝撃だった。白い閃光が目の前を舞い、剣道で面を叩かれた時のような光景が頭をよぎった。

息をのむ間もなく、その衝撃は去り、周囲の景色が再び見えるようになった。しかし、その一瞬の間に、私の心は完全に打ちのめされた。修行や学問の成果など、全てが無意味なものに思えた。

「待ってください」と私は声をあげ、師を制した。「何が起こったのですか?」

「あの池、ミラクルの池です」と師がうなずいた。「仏陀が奇蹟を示した場所です」

「奇蹟?どんな奇蹟ですか?」

師は、仏陀が池の上に立ち、身体を火と水に変えたことを語った。

「それはどういうことですか?」と私は尋ねた。

「仏陀の全身のチャクラが、すさまじいエネルギーを放射したのです。それが火と水のように見えたのです」と師が説明した。

私は手元にあったメモ用紙を取り出し、その思考の流れを書き留めた。一瞬の霊的な体験が、修行や学問よりも価値があることを悟り、使命感が心を満たした。

「この霊的なバイブレーションを、全ての人々にもたらさねばならない」と誓った私は、次なる旅に向かう準備を始めた。

 

それは突然ななめ前方からやってきた。

一瞬、目がくらむほどの衝撃だった。

そんなことなどぜんぜん予期しておらずまったく無防備だった自分は、あっというま その衝撃に叩きのめされてしまったのだ。

修行、学問、そんなものはなんの役にも立たぬものであることを思い知らされた。 こころひそかに誇っていたこれまでの自分の修行も教学も、あっというまに消しとん でしまった。叩きのめされてしまった。

これなんだ、これでなくてはならないのだ。これしかないのだ。目もくらむようなあ

この白銀の輝きにみちたバイブレーション!

一〇〇年の修行も万巻の教学も、ただ一瞬のこの霊的バイブレーションに如かぬこと を思い知らされた。

これがそれだったのだ。これが究極のそれだったのだ。このためにこそわたくしはこ こにやってきたのだ。

おお、サイト・マト、聖なる地、

あなたはここに待っていてくださった。

わたくしがいまあなたから受けたものを、これからわたくしはひとびとにあたえねば ならぬ。

いま、わたくしは聖者であることをつよく自覚する。

すべてのひとびとがこの聖なるバイブレーションを受けることのできる聖地を、わた くしはひがしの国につくらねばならぬ。この輝きにみちたサイト・マトの地を、そ

そうですか。

のまま、日本の国にうつさねばならぬ。 それがわたくしの使命だったのですね。それ をかならずはたすことをわたくしはあなたに誓います。

もう一度、わたくしはこの地に来なければならないのですね。だが、そのときなにが 起きるのでしょうか? そのとき起きる或ることを、わたくしは非常なおそれの感情 とともに予感します。

ああ、あの一瞬の霊的バイブレーション!

一〇〇年の苦行も万巻の書物も、このバイブレーションなくしては、路傍の石ころに も劣るのだった。このバイブレーションをあたえることのできる聖者こそ、真の導師 だったのだ。 理解できました。

聖師よ、ありがとう!

 

2024 年 3 月 17 日

五黄土星の日

小さな自我は破れやすい。絶望的な思いの人の来訪を受けた

 

普賢菩薩 あらゆる場所に現れ、命あるものを救う慈悲を司る菩薩

 

 

 

 

 

 

普賢菩薩

あらゆる場所に現れ、命あるものを救う慈悲を司る菩薩

名サマンタバドラ (Samanta bhadra) の「サマ 「タ」は「く」、「バドラ」は「賢」と漢訳しま す。 「賢」とは具体的には「さとりを求める心か 起こる、成仏しようとする願いと行ない」のこ とです。それが、ときとところを選ばず在して いるということを象徴したのがこの菩薩です。 で すから、菩薩行を実践する者をつねに守護するほ とけでもあります。

白象に乗り、文殊菩薩とともに釈迦如来 の脇侍をつとめます。 文殊菩薩のに対して、 (行)をつかさどります。

なお、密教では、堅固不壊の菩提心を象徴する

金剛薩埵と同体とします。

と巳年生まれの人の守り本尊とされていま

 

普賢菩薩(ふげんぼさつ)とは?

普賢とは「全てにわたって賢い者」という意味で、あらゆるところに現れ命ある者を救う行動力のある菩薩です。

 

文殊菩薩とともに釈迦如来の右脇侍として三尊で並ぶことが多いですが、独尊で祀られる場合もあります。文殊菩薩の智慧とともに修行を司る菩薩として、明晰な智慧で掴み取った仏道の教えを実践していく役割を果たすとされています。また、女性の救済を説く法華経の普及とともに女性に多く信仰を集めました。

 

ちなみに普賢菩薩から派生した仏に延命のご利益のある普賢延命菩薩があります。

ご利益

女性守護、修行者守護、息災延命、幸福を増やす増益のご利益があるとされています。また、辰・巳年の守り本尊です。

普賢菩薩(ふげんぼさつ)の像容

白象に乗っている姿が一般的です。3つや4つの頭の象に乗っている場合は普賢延命菩薩像の可能性が高いです。

 

 

 

 

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胎蔵界曼荼羅 たいぞうかい Womb Realm Mandala Taizokai

 

 

 

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「健康とエネルギー:チャクラの力を解き放つ」  ”Health and Energy: Unleashing the Power of the Chakras”

 

 

 

  1. ホルモンについて:男性ホルモンも女性ホルモンと同様、睾丸だけでなく副腎皮質からも分泌される。
  2. チャクラと健康:クンダリニー・ヨーガでは、チャクラのトレーニングにより、体力の増進や性格の特質の向上が可能であり、特に副腎や性器と関係している。
  3. チャクラの機能:
    • 1番のチャクラ(ムーラーダーラ・チャクラ)の覚醒により、体力が増進し、性欲や生殖力が強まる。
    • 2番のチャクラ(スヴァーディシュターナ・チャクラ)の覚醒により、気力が充実し、勇敢さや積極性が増す。
    • 3番のチャクラ(マニプーラ・チャクラ)は、身体内の組織を知ることができ、内臓器官を自由にコントロールすることが可能。
    • 4番のチャクラ(アナーハタ)は、心臓や胸部の筋肉運動と関係し、命令や願望成就のチャクラとされる。
    • 5番のチャクラ(ヴィシュッダ)は、聴覚の幅が広がり、超人的な聴力やテレパシー能力が発達する。
    • 6番のチャクラ(アージュニャー)は、透視力やテレパシー能力が向上し、超自然的な能力が発現する。
    • 7番のチャクラ(サハスラーラ)は、すべてのチャクラを統合し、超人的な力を発揮する。
  4. チャクラの解説:チャクラは空想的な場所ではなく、実際に医学的に確認された重要な場所であり、内分泌腺や神経群と深い関係がある。
  5. サハスラーラ・チャクラの修行:このチャクラの覚醒により、聖霊との交流が可能となり、超人的な力を発揮する修行者は「超人」や「大師」と呼ばれる。

About hormones: Like female hormones, male hormones are secreted not only from the testicles but also from the adrenal cortex.

Chakras and Health: In Kundalini Yoga, training of the chakras can increase physical strength and improve personality traits, especially those associated with the adrenal glands and genitals.

Chakra functions:

Awakening of the number one chakra (Muladhara Chakra) increases physical strength and increases sexual desire and fertility.
Awakening the second chakra (Svadhishthana chakra) increases your energy, courage, and positivity.
The third chakra (manipura chakra) allows us to know the internal tissues of the body and allows us to freely control internal organs.
Chakra number 4 (Anahata) is related to the muscular movement of the heart and chest, and is said to be the chakra of commands and desire fulfillment.
The fifth chakra (Vishuddha) expands the range of hearing, and develops superhuman hearing and telepathic abilities.
The sixth chakra (Ajna) improves clairvoyance and telepathic abilities, and manifests supernatural abilities.
Chakra number 7 (Sahasrara) integrates all chakras and exerts superhuman strength.
Explanation of chakras: Chakras are not fanciful places, but important places that have been confirmed medically, and have deep connections with endocrine glands and nerve groups.

Training of the Sahasrara Chakra: Awakening of this chakra enables communication with the Holy Spirit, and practitioners who display superhuman powers are called “superhumans” or “masters.”

 

 

 

ホルモン)という名が女子の性器にのみ関係があるような印象をあたえているために、そちらに気がとられているからでありましょう。同様なことは男性ホルモンにもあります(男性ホルモンもまた、睾丸からだけでなく副腎皮質からも分泌される、著者)

健康とホルモンの科学

国有数の内分泌学者が声を大にして叫んでいることを、クンダリニー・ヨーガは数十年も前に知っていて、これを活用しているのである。女性も、このチャクラのトレーニングによって、年齢に左右され、若々しい女性的特質―思いやり、優しさ、照明、しなやかでチャーミングな容姿、美しい声などを獲得する。それは、男性においては丸から、女性においては卵巣から、それぞれ分泌するテストステロン、アンドロステロン、エストロゲンなどの各種ホルモンを、年齢にかかわりなく豊富潤
に分泌させる特殊技術を持つからである。それは、男性にたいしても同様にはたらい。この技術は、かなしくたくましい、闘志に燃えた英雄的男性をつくり出す。

チャクラはその働きをする拠点である。

チャクラの機能

 

 

前節において、わたくしは、チャクラを、内分泌腺という近代医学、生理学の面からながめてみた。それでは、そのチャクラを、クンダリニー・ヨーガ自身はどのように考え、どのように説明しているか、今度はクンダリニー・ヨーガの立場から見てみよう。

 

エネルギー

1=ムーラーダーラ・チャクラ

 

1 ROOT or BASIC
CAKRA
Muladhara
ムラーダーラ
副腎・離職

内分泌腺の性腺、腎臓の部位である。
このチャクラを覚醒すると、体力が異常に増進して、普通の人の三~五倍の精力をもつようになる。三日、四日の徹夜くらい平気になる。一切の病気を受けつけず、健康体そのものとなる。病弱だった者は、その悪いところが、みな癒ってしまう。このチャクラに Samyama を集中してそのエネルギーが発動したとき、瀕死の病人でも床を蹴って立ち上がるだろう。男女ともに実際の年齢より一〇歳以上若くなる。

そのかわり、強烈な性欲と生殖力を持つようになるので、そのエネルギーを、オー
ジャスという知能のエネルギーに変える方法をあわせ用いる。

 

2=スヴァーディシュターナ・チャクラ

2 SPLEEN O SPLENIC Svadhisthana
CAKRA
スヴァーディシュターナ

 

 

闘いのホルモン、英雄ホルモンを湧出させる副腎の部位である。
このチャクラが覚醒してエネルギーが発動すると、気力が充実し、勇敢になって、
積極果敢な行動力を発揮するようになる。なにものをも恐れず、なにごとにも惑わず、
大胆不敵、不動の信念をもってどんな困難にもひるまない。生死を超越した超人的手腕力量を発揮する。

3=マニプーラ・チャクラ

3 NAVEL or UMBILICAL Manipura
CAKRA
マニプーラ
太陽神經
(SOLAR PLEXUS)
副腎・膵臓・脾臓・胃・肝臓
胸腺・心臓・肺職

 

ヨーガの奥義書である『ヨーガ・スートラ』にこうある。
「Nabi-cakra (臍輪)に Samyama を向けることにより、体内の配列、組織を知ることができる」(自在力 第3節)
この章について、佐保田鶴治博士は、トーン・外ん小胴輪。というのは、実際の癖の孔ではなくて、そのあたりにあると想像される神秘な車輪状の場所で、一六の輻をもっているといわれる。一説には、後世のハタ・ヨーガで説く六つのチャクラのなかの下から三つ目にあるマニプーラ・チャクラ (Manipira-cakra)のことであるともいう。いずれにせよ、肉眼で見える部分ではなく、幽体に属するものとされている。チャクラについては、ここで詳説する暇がない。臍輪は気体(生命エネルギーからなる身体)の中央にあるから、これに綜制をおこなうと身体内の組織がわかる、というのである」(『解説ヨーガ・スートラ』平河出版社)

 

チャクラ

 

と解説されておられるが、これは、多少ともちがう。博士は、そのあたりにあると想像される神秘な』といわれるが、この部位は、決して空想的な場所ではない。たしかに神秘的とも思われる偉大な力を発揮するけれど医学的にはっきり確認されているのである。
それは、医学的には、ソーラー・プレクサスと名づけられた「太陽神経叢」のことである。腹腔神経叢、内臓動脈軸叢ともいわれ、腹腔動脈より出る上腸間膜動脈の起始部にある交感神経の大きい神経叢である。(次頁図参照)。胃の裏がわにあってさなれる神秘な車輪状の場所で、一六の輻をもっているといわれる。一説には、後世のハタ・ヨーガで説く六つのチャクラのなかの下から三つ目にあるマニプーラ・チャクラ (Manipira-cakra)のことであるともいう。いずれにせよ、肉眼で見
える部分ではなく、幽体に属するものとされている。チャクラについては、ここで詳説する暇がない。臍輪は気体(生命エネルギーからなる身体)の中央にあるから、これに綜制をおこなうと身体内の組織がわかる、というのである」(『解説ヨーガ・スートラ』平河出版社)

と解説されておられるが、これは、多少ともちがう。

 

博士は、そのあたりにあると想像される神秘な、といわれるが、この部位は、決して空想的な場所ではない。たしかに神秘的とも思われる偉大な力を発揮するけれども医学的にはっきり確認されているのである。

それは、医学的には、ソーラー・プレクサスと名づけられた「太陽神経叢」のことである。腹腔神経叢、内臓動脈軸叢ともいわれ、腹腔動脈より出る上腸間膜動脈の起始部にある交感神経の大きい神経叢である。(次頁図参照)。胃の裏がわにあってさな
がら太陽の光線のごとく各臓器に神経を送っているのでこの名前がつけられた。

すなわち、ここから出る神経は、食道、胃、腹部血管、肝、輸胆管、膵臓、副腎、腸等に分布している。また、この神経叢は大小内臓神経、迷走神経、第十二胸神経節、第一腰神経節などが集まっており、内臓の神経としては最も重要な 叢 である。チャクラというのは、いずれも、今まで、空想的、神秘的場所とのみ考えられてきた。

 

これらの部位は、決してそういうものではなく、さきに述べたように、内分泌腺、神経群、酵素などに深い関係があり、実際に、医学的見地からみても非常に重要な場所であり、大切なはたらきをする場所であるのである。

 

「Samyama を向ければ、体内の組織を知ることができる」とあるが、この Samyam-a というのは、特別な修行を経た特殊な集中力をいう。あとでくわしく説明するが、
この組織を知る、というのは、単に組織を知るだけではなく、組織を自由にコントロ
コールすることができるという意味である。実際にこのナービ・チャクラに Samyamaを集中すると、この太陽神経叢に属する内臓器官――それは食道から、胃、肝臓、膵臓、脾臓、副腎、腸にいたるまで、すべてを自分の思うようにコントロールできるのである。これらの臓器官が、どうにかすぎいい、いしでいいようであれば直ちに正常にもどしてしまう、いいわ、調べ、ごャード網駅、威、強滅、いった、キャラバに活動すると、他い通い力がたらいいてきて、個人、いいにいようにするようになると同時に、他人の心を目いていて、目に思い、単品、枠、主とすると心も交流するこきれいさに、下町な、理解できいことなど大地にみちすごい、、、チャーボードにしてそこかいことができる。つまり、人にはないで、、、持っていたい、エネルギーはこの空間に痕跡をとどれているので、このチャンスで、、、茨と同じになれば、その心が持っていたべてのもの、意識も、知能もみな自分と同化して自分のものになるということである。

そういう意味で、このチャクラに十分熟達すると、霊界(四次元)の世界との交流の道がひらけるのである。

HEART or CARDIAC
CAKRA
Anahata
アナーハタ

 

5=ヴィシュッダ・チャクラ

5 THROAT or LARYNGEAL Visuddha
CAKRA
ヴィシュッダ」
甲状腺・上皮小体、
(副甲状腺)唾液腺

 

甲状腺・唾液腺の部位である。
このチャクラを動かすことにより、超人的な聴力がそなわる。実際に、このチャクラが使えるようになると、それまで全く聞こえていなかったある音響を聞くことができるようになる。これはわたくし自身の体験であるが、その音がどんな音であるかは、
ここでは伏せておく。わたくしが弟子の指導にあたって、その弟子がどんな音響を聞いたかをしらべることにより、その弟子が本当にこのチャクラを体得したかどうかの判定基準になる。そういうものを判定基準にしなくても、指導者には分るが、もし、
こういう音だと前もって知らせておくと、自己暗示でそういう音を聞いてしまうこともあるので、それに類することは一切伏せておくわけである。法を惜しんで公表しないわけではないのである。ただ、いえることは、人の聴覚は、四〇、〇〇〇~五〇、
〇〇〇キロヘルツの振動波しか聞くことができないが、このチャクラを修得すると、その倍以上に聴覚の幅がひろがるということである。一〇〇メートルはなれて人の心
臓の鼓動も聞くことができるということである。ちなみに、犬の聴覚は、八〇、〇〇
〇~九〇、〇〇〇キロヘルツとされている。

また、いろいろな声を聞く。主導霊の声をはっきり耳にするようになる。
ヨーガ・スートラにある「あらゆる生きものの叫び声の意味がわかる」という能力もこれである。仏教の天耳通である。
また、このチャクラは、頭部、上肢(両腕)及び胸部の筋肉運動に深い関係を持つ。

 

6=アージュニャー・チャクラ

6脳下垂体
B BROW or FRONTAL
CAKRA
Ajñā
アージュニャー

 

異常な透視力を持つようになる。『ヨーガ・スートラ』にある「心の発現にそなわる光をあてることによって、どんなに微細なものでも、人目につかぬところにかくされているものでも、はるかに遠くにあるものでも知ることができる」という能力である。
にテレパシー能力が生ずる。『ヨーガ・スートラ』にいう大脱身』が可能になるのシッディーはこのチャクラである。
このチャクラは、また、命令のチャクラ、願望成就のチャクラ、自在力のチャクラともいわれ、熟達すると、自然に対して命令しこれを自在に動かし、自由に支配することができるようになる

 

7サハスラーラ・チャクラ

CROWN OF CORONAL Sahasrara
CAKRA
サハスラーラ
松果腺・松果体」
視床下部

松果腺・松果体・視床下部の部位である。

頭のなかの光明 Mirdha jyotis といわれるチャクラである。Brahma-randhra 梵の座、先の裂け目という頭蓋骨の接合するところの真下に位置する。梵の座、梵の裂け目とは、梵すなわち聖なるもの、と一体になる場所という意味である。

このチャクラを目ざめさせると、この部位に光明があらわれて、燦然とかがやく。頭のなかの光明である。

このチャクラはすべてのチャクラを統合してこれを自由に制御する。すべてのチャクラを自由に制御することができるようになると、彼は次第に変身する。クンダリニー・ヨーガでは、これを聖なるものと一体になる、と形容する。このチャクラに、聖霊が宿り、聖霊と交流するようになるといっている。このチャクラを完成した修行者を、超人、大師、救済者と呼ぶ。越人は物質世界を超越し、時間と空間の制限を受けなくなる。インドでは、仏陀が超人であるとして、このチャクラの完成者であることを、形を以て示している。それは、仏像の頭頂がまるで帽子でもかぶったように大きく盛り上がっており、これを「肉習」と呼ぶ。サハスラーラ・チャクラの修行が完成して頭骨がこのように発達していることを示すのである。

以上が、クンダリニー・ヨーガの奥儀として伝えられるものである。

 

This is because the name “hormone” gives the impression that it is related only to the female genitals, and that is why it is taken care of. The same is true for androgens (androgens are also secreted not only by the testicles but also by the adrenal cortex, author).

Health and hormonal science

 

Kundalini Yoga knew decades ago that one of the state’s leading endocrinologists was screaming loudly and was taking advantage of it. Women also acquire age-dependent, youthful feminine qualities-compassion, tenderness, lighting, supple and charming appearance, and beautiful voice through this chakra training. It is rich in various hormones such as testosterone, androsterone, and estrogen, which are secreted from the whole in men and from the ovaries in women, regardless of age.
This is because it has a special technique to secrete it. It works the same for men. This technique creates a heroic man with a strong fighting spirit.

 

The chakra is the base where it works.

Chakra function

 

 

 

In the previous section, I looked at the chakra from the aspect of modern medicine and physiology called the endocrine gland. Now let’s take a look at how Kundalini Yoga thinks and explains the chakra from the perspective of Kundalini Yoga.

 

energy

 

1 = Mueller Dara Chakra

 

1 ROOT or BASIC
CAKRA
Muladhara
Muradara
Adrenal gland / dismissal

The gonad of the endocrine gland, the site of the kidney.
When you awaken this chakra, your physical strength will increase abnormally, and you will have three to five times as much energy as a normal person. I feel fine all night on the 3rd and 4th. It does not accept any illness and becomes a healthy body. Those who are sick will heal all the bad things. When her Samyama is concentrated in this chakra and its energy is activated, even a dying sick person will kick the floor and stand up. Both men and women are over 10 years younger than their actual age.

Instead, you will have strong sexual desire and fertility, so you can use that energy.
We also use a method called jas that converts it into intelligent energy.

 

2 = Svadishtana chakra

2 SPLEEN O SPLENIC Svadhisthana
CAKRA
Svadishtana

 

 

 

It is the part of the adrenal gland that releases the hormones of fighting and heroes.
When this chakra awakens and activates energy, it becomes more energetic and brave.
You will be able to actively and boldly act. Don’t be afraid of anything, don’t be confused by anything,
With a fearless and immovable belief, he will not be swayed by any difficulties. Demonstrate superhuman skill that transcends life and death.

3 = Manipula chakra

3 NAVEL or UMBILICAL Manipura
CAKRA
Manipula
Sun nerve
(SOLAR PLEXUS)
Adrenal gland, pancreas, spleen, stomach, liver
Thymus / heart / lung occupation

 

The mystery of yoga, “Yoga Sutras,” says:
“By pointing his Samyama at the Nabi-cakra (umbilical ring), you can know the arrangement and tissue in the body” (Section 3 of Freedom).
About this chapter, Dr. Tsuruji Sahoda is a tone and a small torso. It is said that it is not an actual hole of habit, but a mysterious wheel-shaped place that is supposed to be around it, and has 16 spokes. One theory is that it is the Manipira-cakra, which is the third from the bottom of the six chakras described in later Hatha yoga. In any case, it belongs to the ghost body, not the part visible to the naked eye. I don’t have time to elaborate on the chakras here. Since the umbilical ring is located in the center of the gas (the body consisting of life energy), it is said that the tissues inside the body can be understood by controlling it. “(” Commentary Yoga Sutra “Hirakawa Publishing Co., Ltd.)

 

Chakra

 

It is explained that this is a little different. The doctor is said to be a mysterious place that can be imagined around that area, “but this part is by no means a fantasy place. It certainly exerts a great power that seems to be mysterious, but it is clearly medically confirmed.
It is medically the “solar plexus” named Solar Plexus. Also called the peritoneal plexus or visceral arterial plexus, it is a large plexus of sympathetic nerves at the origin of the superior mesenteric artery that emerges from the peritoneal artery. (See the figure on the next page). It is a mysterious wheel-shaped place where the back of the stomach is laid on the back, and it is said to have 16 spokes. One theory is that it is the Manipira-cakra, which is the third from the bottom of the six chakras described in later Hatha yoga. In any case, see with the naked eye
It is supposed to belong to the ghost body, not the part that can be eaten. I don’t have time to elaborate on the chakras here. Since the umbilical ring is located in the center of the gas (the body consisting of life energy), it is said that the tissues inside the body can be understood by controlling it. “(” Commentary Yoga Sutra “Hirakawa Publishing Co., Ltd.)

It is explained that this is a little different.

 

The doctor is said to be a mysterious place that can be imagined around that area, but this part is by no means a fantasy place. It has great power, which seems to be mysterious, but it is clearly medically confirmed.

It is the “solar plexus” medically named Solar Plexus. Also called the peritoneal plexus or visceral arterial plexus, it is a large plexus of sympathetic nerves at the origin of the superior mesenteric artery that emerges from the peritoneal artery. (See the figure on the next page). The back of my stomach is on my stomach
This name was given because it sends nerves to each organ like the rays of the sun.

That is, the nerves exiting from here are distributed in the esophagus, stomach, abdominal blood vessels, liver, bile duct, pancreas, adrenal gland, intestine and the like. In addition, this nerve plexus is a collection of large and small visceral nerves, stray nerves, twelfth thoracic ganglion, first lumbar plexus, etc., and is the most important plexus as a visceral nerve. Until now, chakras have only been considered as fantasy and mysterious places.

 

These sites are by no means such things, and as mentioned earlier, they are deeply related to endocrine glands, nerve groups, enzymes, etc., and in fact, they are very important places from a medical point of view and are important. It is a place to work.

 

“If you point Samyama, you can know the tissues in your body,” but his Sammy am-a is a special concentration that has undergone special training. I will explain in detail later,
To know this organization is not just to know the organization, but to freely control the organization.
It means that you can call. When he actually concentrates his Samyama on this Navi Chakra, it controls everything from the esophagus to the stomach, liver, pancreas, spleen, adrenal glands, and intestines to the internal organs of this solar plexus. You can. If these organ officers are somehow too good, and if they are okay, they will immediately return to normal, okay, research, goyad net station, prestige, annihilation, etc. It’s a downtown area where you can get better and better, and at the same time, you’ll be able to look at the hearts of others, think about them, and interact with each other as a single item, frame, and mainly. It’s amazing to be able to understand things on the ground, and you can make it into a charboard. In other words, people don’t have it, I want to have it, energy has traces in this space, so at this chance, if it becomes the same as thorns, everything that the heart has, consciousness However, all intelligence is assimilated with oneself and becomes one’s own.

In that sense, if you become fully proficient in this chakra, you will be able to open the way to interact with the world of the spirit world (four dimensions).

HEART or CARDIAC
CAKRA
Anahata
Anahata

 

5 = Vishudda chakra

5 THROAT or LARYNGEAL Visuddha
CAKRA
Vishudda ”
Thyroid / epithelial body,
(Parathyroid gland) Salivary gland

 

It is the site of the thyroid gland and salivary glands.
By moving this chakra, superhuman hearing is provided. In fact, when this chakra becomes available, you will be able to hear certain sounds that you have never heard before. This is my own experience, but what kind of sound it is is
I’ll lie down here. When I teach a disciple, by examining what kind of sound the disciple heard, it becomes a criterion for judging whether or not the disciple really learned this chakra. Even if you don’t use such things as criteria, the leader knows, but if
If you let us know in advance that it is such a sound, you may hear such a sound by self-suggestion, so you should hide anything similar to it. It does not mean that the law is not open to the public. However, it can be said that human hearing is 40,000 to 50,
You can only hear vibration waves of 000 kHz, but if you master this chakra, your hearing will be more than doubled. The heart of a person who is 100 meters away
You can also hear the heartbeat of the viscera. By the way, the hearing of dogs is 80, 〇 〇
It is said to be 〇 to ​​90, 000 kilohertz.

Also, listen to various voices. You will hear the voice of the leading spirit clearly.
This is also the ability of Yoga Sutras to “understand the meaning of the screams of all creatures.” It is a Buddhist heavenly ear connoisseur.
In addition, this chakra is closely related to the muscle movements of the head, upper limbs (both arms) and chest.

 

6 = Ajnya Chakra

6 Pituitary gland
B BROW or FRONTAL
CAKRA
Ajñā
Ajunya

 

You will have abnormal clairvoyance. In “Yoga Sutras”, “By shining light on the manifestation of the mind, we can know even the finest things, hidden things that are hidden from the public, and things that are far away. Is the ability.
Telepathic ability is generated. This chakra is the Siddy that makes it possible to do the “Great Deflection” in “Yoga Sutras”.
This chakra is also called the command chakra, the desire fulfillment chakra, and the free power chakra, and when you become proficient, you will be able to command nature, move it freely, and control it freely.

 

7 Sahasrara chakra

CROWN OF CORONAL Sahasrara
CAKRA
Sahaslara
Pineal gland / pineal gland ”
Hypothalamus

It is the part of the pineal gland, pineal gland, and hypothalamus.

A chakra called Mirdha jyotis. Brahma-randhra Located just below the junction of the skull, the seat of the sword, the rift at the tip. The seat of the 梵, the rift of the 梵, means the place to be one with the 梵, that is, the sacred thing.

When you awaken this chakra, a light appears in this part and it shines brightly. The light in my head.

This chakra integrates all chakras and controls it freely. He gradually transforms when he has free control over all the chakras. Kundalini Yoga describes this as one with the sacred. It is said that the Holy Spirit will dwell in this chakra and will interact with the Holy Spirit. The practitioner who completed this chakra is called a superhuman, a master, and a savior. Baiyue transcends the physical world and is no longer restricted by time and space. In India, the Buddha is a superhuman, showing in form that he is the perfector of this chakra. The top of the Buddha’s head is raised as if he was wearing his hat, which is called “flesh training”. It shows that the training of the Sahaslara chakra is completed and the skull is developed in this way.

The above is the mystery of Kundalini Yoga.

チャクラと内分泌の表
ENGLISH NAME
SANSKRIT NAME
制御する内分泌療
及び内職
性腺・腎臓
1 ROOT or BASIC
CAKRA
Muladhara
ムラーダーラ
副腎・離職
2 SPLEEN O SPLENIC Svadhisthana
CAKRA
スヴァーディシュターナ
3 NAVEL or UMBILICAL Manipura
CAKRA
マニプーラ
太陽神經
(SOLAR PLEXUS)
副腎・膵臓・脾臓・胃・肝臓
胸腺・心臓・肺職
4 HEART or CARDIAC
CAKRA
Anahata
アナーハタ
5 THROAT or LARYNGEAL Visuddha
CAKRA
ヴィシュッダ」
甲状腺・上皮小体、
(副甲状腺)唾液腺、
脳下垂体
B BROW or FRONTAL
CAKRA
Ajñā
アージュニャー
CROWN OF CORONAL Sahasrara
CAKRA
サハスラーラ
松果腺・松果体」
視床下部

Table of chakras and endocrine
ENGLISH NAME
SANSKRIT NAME
Controlled endocrine therapy
And internal employment
Gonad / kidney
1 ROOT or BASIC
CAKRA
Muladhara
Muradara
Adrenal gland / dismissal
2 SPLEEN O SPLENIC Svadhisthana
CAKRA
Svadishtana
3 NAVEL or UMBILICAL Manipura
CAKRA
Manipula
Sun nerve
(SOLAR PLEXUS)
Adrenal gland, pancreas, spleen, stomach, liver
Thymus / heart / lung occupation
4 HEART or CARDIAC
CAKRA
Anahata
Anahata
5 THROAT or LARYNGEAL Visuddha
CAKRA
Vishudda ”
Thyroid / epithelial body,
(Parathyroid gland) Salivary glands,
Pituitary gland
B BROW or FRONTAL
CAKRA
Ajñā
Ajunya
CROWN OF CORONAL Sahasrara
CAKRA
Sahaslara
Pineal gland / pineal gland ”
Hypothalamus

 

秘伝

 そこで、思いきって、チャクラの覚醒法の概要をのべよう。

 

 さきにわたくしは、チャクラ・千不ルギーのルートづくりが、チャクラ覚醒の一助になるものであるとのべた。それはじっさいにその通りで、それなくて

はチャクラの覚醒は不可能に近いといってよいであろう。殊に、アージュニャー・チャクラヘのルートづくりは、非常に重要な役わりをはたす。

 

 しかし、それだけでは、チャクラの覚醒は成就しない。まったく別な方法である。

 

 その課程は大略、つぎのようなものである。

 

秘密マントラの特殊詠唱法

 

I、ず修行者は、自分のチャクラの正確な場所を把握する。

  場所は個人差があるので、ぎ帽が、正確な場所を教示する)

 2、このチャクラの場所に、或る特殊な振動を叩きつける。そのために、まず、

 3、この特殊な振動を伝える振動ルートをつくり出す。これまでにつくったチャクラ・千不ルギーのルートと重複するルートも一部あるが、大部分は新しくつくり出す。それは直接チャクラにつながるルートである。

このルートづくりに「××」を使う。‐(特に秘す。但し、’本書をよく読めば、ヒントを得られるはずである)

 4、その特殊振動を発生書せる。

 5、その振動をルートに伝え、チャクラに叩きつける。

 

以上のようなものである。

 この振動が、チャクラを覚醒させる特殊秘法であり、わたくしの最極秘伝なのだ。

 この特殊振動というのは、横隔膜、胸腔、腹腔を使って、特殊な振動を起こすのごある。

 

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secret

Therefore, let’s take the plunge and give an overview of the chakra awakening method.

 

Earlier, I mentioned that creating routes for chakras and Senfu ruggies would help awaken the chakras. That’s exactly right, without it

It can be said that the awakening of the chakra is almost impossible. In particular, route building for Ajnya Chakrahe plays a very important role.

 

However, that alone will not achieve the awakening of the chakras. It’s a completely different method.

 

The course is roughly as follows.

 

Secret mantra special chanting method

 

I, the practitioner knows the exact location of his chakra.

The location varies from person to person, so the cap will tell you the exact location)

2. Hit a special vibration on the place of this chakra. To that end, first

3. Create a vibration route that conveys this special vibration. There are some routes that overlap with the chakra / thousand ruggie routes that have been created so far, but most of them will be newly created. It is a route that leads directly to the chakras.

Use “XX” to create this route. -(Especially secret, but if you read this book carefully, you should be able to get a hint)

4. Can generate and write the special vibration.

5. Transmit the vibration to the route and hit the chakra.

 

It is as above.

This vibration is a special secret method that awakens the chakras, and is my most secret secret.

This special vibration uses the diaphragm, thoracic cavity, and abdominal cavity to cause special vibration.

 

Reincarnation Meditation III

 

意念を行逆させるためには、ひとつの物理的な「力」が必要であることも明白である。

意念はかたちなきものであり、物理的な力は、ないことはないけれども、非常に微弱なものである。強化する必要がある。それも、ただ単に行らすだけではなく、最終的には、チャクラを「動かす」「刺激する」ところまで強力なものにし
なければならぬのである。

つまり、心理作用を、物理作用にまで高めるための、一種の変換作業がなされなければならない。

変換といってオーバーだというのならば、強化といってもよい。ここに、「行息」の秘密があるのである。

意念と呼吸によって生じた力を、どこへ、どのようにめぐらし、どのようにとどめるかこれが、釈尊のクンダリニー・ヨーガの極意である。
それは行道づくりからはじまる

まず、チャクラエネルギーのルートを示す。

この基本ルートは、中国医学の「経絡」のルートを使う。

 

By the way, one physical “force” is needed to reverse the intention.
It is also clear that there is.

The intention is intangible, and the physical force is not without it, but it is very weak. Needs to be strengthened. It’s not just about doing it, it’s about making it powerful enough to “move” and “stimulate” the chakras in the end.
You have to.

In other words, a kind of conversion work must be done to enhance the psychological action to the physical action.

If conversion is over, it can be said to be strengthening. Here is the secret of “breathing”.

Where, how, and how to retain the power generated by will and breathing is the secret of Shakuson’s Kundalini Yoga.
It starts with making a path

First, the route of chakra energy is shown.

This basic route uses the “meridian” route of Chinese medicine.

 

 

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「天才の鍵:不老長寿を目指す求聞持聡明法

 

 

1. 「天才の鍵:不老長寿を目指す求聞持聡明法」
2. 「超人的能力開発法:仙道の秘密に迫る」
3. 「知能の限界を超える:密教の超能力トレーニング」

ヒトを天才にする求聞持聡明法は、古くから伝わる真言密教の秘法であり、その修行によって聡明さを得ることができると言われています。弘法大師空海や興教大師覚鏝など、多くの人がこの法を修行し、その効果を示したとされています。しかし、私が今回発表するのは、これまでの求聞持法とは異なる独自の方法です。私はそれを「駄都如意求聞持聡明法」と名付けました。

この法は、クンダリニー・ヨーガのチャクラを覚醒させ、超人的なエネルギーを生み出し、それを導引・気功の技術に乗せて体中に巡らせることで、特に大脳の機能を高めることを特徴としています。私はこの法を完成させるために長年を費やし、数々の著作を通じてその成果を示してきました。

しかし、ただ知識を高めるだけではなく、健康で若々しくありたいと願うのは当然のことです。私は興教大師覚鏝の短い寿命に触れ、自らの健康を心配しました。幸いにも、道教の導引・気功の技術を取り入れることで、不老長寿の目標を達成できる可能性があることを発見しました。

この駄都如意求聞持聡明法は、不老長寿を目指すことは本来の目的ではありませんでしたが、その結果としてその効果が現れました。これは仙道の理想を実現するものであり、若返りをもたらす可能性があると自負しています。

そして、ブッダ自身も超自然的な力の存在を説き、その開発法を提唱していました。知識や技術の限界を乗り越え、超人的な能力を身につけることが目指されています。密教はその伝統を引き継ぎ、超能力の開発技術を提供しています。

人々が宗教や教えを求めるのは、知能や精神能力が低いからだと言われています。しかし、それは限界に達していると言われる教えもあります。私はそれを変えるために、超能力開発法を通じて人々の知能を高め、より高い倫理観を持つことができる世界を目指しています。

これが密教の真の目的であり、私の信念でもあります。

 

 

ヒトを天才にする求聞持聡明法

 

ヒトを天才にする求聞持聡明法

求間持聡明法は、ヒトを聡明にし、天才にするという真言密教に伝わる秘法である。

弘法大師空海が、若くしてこれを修し、大天才となったということで、夙に知られてい

る。また、新義真言宗の開祖、興教大師覚鏝(一〇九五1一一四二)が、七度、この法を

修して成功せず、八度目に悉地を成じ、成功したと伝えられる。覚鏝上人ののこされた業

績をみれば、上人もまた天才でめったことは疑いない。ただ残念なことに、四十八歳で亡

くりれている。

真言密教の求聞持聡明法には、三種の法がある。

虚空蔵求聞持

観音求聞持

如意輪求聞持

であるが、ふつう、求間持法といえば、空海が修して有名な虚空蔵求間持をさす。この

つぶさ    ぶつせつこくうぞうほさつのうまんしよがんさいしようしんだら・にぐもんじほう

法を、具には「仏説虚空蔵菩薩能満諸願最勝心陀羅尼求聞持法」という。

しかし、わたくしがこのたびこの本で発表する求聞持聡明法は、これらのいずれでもない。わたくしが独白に創成した求聞持法で、わたくしはこれに、だとによい

駄都如意求聞持聡明法と名づけた。

この駄都如意求聞持聡明法は、真言密教につたわる求聞持法とはまったくちがうものである。

二つの特徴がある。

それは、

一、クンダリニー・ヨーガのチャクラを覚醒して、超人的千不ルギーを発生させる。

二、その超人的干1 ルギーを、中国・道教につたわる導引・気功の持つ生気ルートに

のせて、体の各要所、要部にめぐらせ、行きわたらせる。殊に、大脳の中枢である間脳・視床下部に送りこむ。

この二つの方法を、独特の方法で完成したのである。これは、前人未踏の領域であるといってよいであろう。わたくしは、半生を、というより、一生をこの法の完成に注いだ。いまから約二〇年前に発行した『変身の原理』以来、わたくしの著書はこの本で四〇冊になるが、それらの著書のすべてが、この法の完成に至る道のりをあらわしたものであるといってよい。

わたくしは、この本で、わたくしの得たほとんどのものを、出来るかぎり、明らかにした。クンダリュー・ヨーガも、道教の導引・気功も、いずれも超人的能力を獲得するための

最高の法である。この世界にこれ以上の超能力開発法ぱない。この二つの法の欠陥を補正して融合させ、さらにあらたな創案をくわえて完成したこの駄都如意求聞持聡明法は、ヒ

トにおける究極の超能力開発法であると自負するのである。

もちろん、。後世おそる、べし”という諺の通り、今後、これ以上の超能力開発法も出るかも知れないが、しかし、それも、クンダリュー・ヨーガと導引・気功を融合させたこの駄

都如意求間持聡明法のライン以外のものではないであろうと確信している。

この法を、指導通りに修行するならば、確実に、ヒトの知能は二倍に、体力は三倍に飛躍強化されるであろうことを断言する。

 

天才は不老長寿でなければならない

 

求聞持聡明法は、たしかにヒトを天才にする。

しかし、いくら天才になっても、そのために、病弱になったり、若死にしたりしたのでは、なんにもならない。天才は、いつまでも若々しく、健康で、世のため、人のため、その才能を発揮するもの

でなくてはならない。(寝たっきりの天才など、まっぴらである)

求聞持聡明法修得をこころざしたわたくしは、つねに、四十八歳という惜しむべき短命に終わった興教大師党員上人が念頭にあった。上人は、おそらく、過酷な求間持法修行のため、法は成就したものの、体を痛め、寿命を損じたのにちがいなかった。

このことは、年少、結核を病んで何年も病床に伏した苦しい経験を持つわたくしにとり、その恐れの念が特に深刻であった。

しかし、この憂慮は、幸いにして杷憂におわった。

道教の導引・気功の秘法をとり入れたことが、この心配を吹きとばしてくれたのである。

すなわち、道教の導引・気功は、仙道の流れを汲むものである。そして仙道の理想は、不老長寿、生きながら神仙に化することを目標とする。

駄都如意求聞持聡明法は、特に不老長寿を目ざすものではなかったのだが、結果はそうなってしまったのである。

期せずして、仙道の理想が実現されることになったのだ。

神仙に化することだけはちょっとむずかしいが、不老長寿はかならず達成される。 わたくしぱ断言してよい。仙選の秘法がとり入れられているこの駄都如意求聞持聡明法

は、二十歳代の人ならば、三歳から五歳、中年以上の人ならば、十歳から十五歳、若返ることができるであろう。

 

あなたが高年者として修行に入り、年齢のために天才になれなかったとしても、いつまでも若々しい肉体と、そして決してボヶることのない求聞持脳だけは獲得できるであろう。

 

Gumonji Gumonji that makes humans a genius

 

Gumonji Gumonji that makes humans a genius

The scholarship method is a secret method that is passed down to the Shingon esoteric Buddhism that makes humans wise and genius.

Kobo Daishi Kukai is known to the shuku for having mastered this at a young age and becoming a great genius.

To. In addition, the founder of the Shingi Shingon sect, Kakuban Kokyo Daishi (195111142), used this law seven times.

It is said that he did not succeed after repairing, but made a siddhi for the eighth time and succeeded. The work of the trowel trowel

Looking at his achievements, there is no doubt that his superiors were also geniuses. But unfortunately he died at the age of 48

He is cursed.

There are three types of Shingon Esoteric Buddhist esoteric Buddhist esoteric Buddhist esoteric Buddhism.

Gumonji Kokuzo

Gumonji Kannon

Gumonji

However, in general, the method of holding a sword is the famous Kokuzo sword that Kukai has repaired. this

Dharani, Dharani, Dharani, Dharani, Dharani

The law is called “Buddhist Theory Kokuzo Bosatsu Noman’s Wishes Most Victory Dharani Gumonji Law”.

However, the Gumonji Gumonji method that I am presenting in this book is neither of these. It’s a Gumonji method that I created in my own confession, and I’m good at this.

It was named Gumonji Gumonji.

This method of esoteric Buddhism is completely different from the method of esoteric Buddhism.

There are two characteristics.

that is,

1. Awaken the Kundalini Yoga chakra and generate a superhuman thousand irritations.

2. The superhuman dryness 1 Ruggy is used as an animation route for the guidance and qigong of Taoism in China.

Put it on and go around each important part of the body and spread it around. In particular, it is sent to the diencephalon / hypothalamus, which is the center of the cerebrum.

These two methods were completed in a unique way. It can be said that this is an unexplored area. I spent half my life, rather than my whole life, on the completion of this law. Since “The Principle of Transformation” published about 20 years ago, I have 40 books in this book, and all of them show the way to the completion of this law. It can be said that there is.

In this book, I have revealed as much as possible what I have gained. Both Kundalyu Yoga and Taoist guidance and qigong are for acquiring superhuman abilities.

The best law. There is no more psychic development method in this world. Gumonji Gumonji, which was completed by correcting and fusing the deficiencies of these two laws and adding new ideas, is

We take pride in being the ultimate psychic development method in Japan.

of course,. As the saying goes, “I’m afraid of posterity,” there may be more psychic development methods in the future, but it’s also a combination of Kundalyu Yoga and Guidance / Qigong.

I am convinced that it will not be anything other than the line of the Toyo-Kai-Machi-Satoshi Law.

I assert that if this law is practiced as instructed, human intelligence will surely be doubled and physical strength will be tripled.

 

Genius must be immortal and longevity

 

Gumonji Gumonji certainly makes humans a genius.

However, no matter how genius you become, if you become sick or die young because of that, nothing will happen. A genius is forever youthful, healthy, for the sake of the world, for the sake of others, and for the sake of others.

Must be. (A genius who sleeps completely, etc.)

I always had in mind a senior member of the Kokyo Daishi Party, who was 48 years old and had a regrettable short life. The superior must have been hurt and impaired his life, although the law was fulfilled, probably due to the harsh training of the quest.

This was especially afraid for me, a young man who had suffered from tuberculosis for many years and had a painful experience of lying in bed.

Fortunately, however, this concern was overwhelmed.

Incorporating the secrets of Taoist guidance and qigong has blown away this concern.

In other words, Taoist guidance and qigong follow the flow of Sendo. And the ideal of Sendo is to become an immortal and longevity, and to become a Shinsen while living.

The Gumonji Gumonji method did not specifically aim for immortality and longevity, but the result was.

Unexpectedly, the ideal of Sendo was realized.

It is a little difficult to turn into a Shinsen, but immortality and longevity are always achieved. I may affirm. This Gumonji Gumonji method that incorporates the secret method of Sensen

If you are in your twenties, you will be able to rejuvenate from three to five years old, and if you are middle-aged or older, you will be able to rejuvenate from ten to fifteen years old.

 

Even if you train as an elderly person and cannot become a genius because of your age, you will only be able to acquire a youthful body and a never-ending brain.

 

 

 

 

ゴータマーブッダは、普通、神秘的な力を信じたり、修行者がそういう力を持つことを願った

りするのを全く禁じたというように、仏教学者や仏教者は信じているようであるが、それは間違

いで、ブッダ自身、神足({乱石の教理、すなわち、仏道を完全に成就するためには超自然的な

力が必要であるとし、超人間的な能力開発の訓練法を説いているのである。これは、パーリ文献

によって容易に証明することができるのである。(略)

それによると、それは、″四神足“または、″四如意足″ともいわれる超能力開発法である。

ブッダは、菩提を成就するためには、単に、知性や理性をみがくだけでは不十分であると考

え、知性や理性の限界をうち破る力が必要であると考えた。

そのために、彼は、そういう力を開発するための行法をつくりあげた。それは、彼が学んだ超

能力開発法を加えて編成したものと見てよいであろう。

それは、三十七種の技法から成り立つもので、四神足というのは、その中心になる技術であ

る。神通、如意を得るための定を、四種類の手法に分けて説明している。

欲神足(願望、理想、創造のためのアプローチ)

勤神足(体と心のトレーニング法)

心神足(潜在意識のトレーニング法)

観神足(深層意識のトレーニング法)

きづまりを打破するために、大乗仏教のなかにとり入れられて体系化され、密教と呼ばれになったのである。いうわけで、密教は二つの面を持っている。

一つは、超能力の開発技術

 

 

 

 

The Gotama Buddha usually believed in mysterious powers and wished that the practitioners would have such powers.

Buddhist scholars and Buddhists seem to believe that they have forbidden to do anything, but that is a mistake.

Then, Buddha himself, Godfoot ({Random stone doctrine, that is, supernatural to fully fulfill Buddhism)

He says that power is needed and preaches a training method for superhuman skill development. This is the Pali literature

Can be easily proved by. (Omitted)

According to it, it is a supernatural power development method also called “Iddhipada” or “Iddhipada”.

Buddha thinks that simply brushing intellect and reason is not enough to fulfill the bodhi.

Well, I thought that I needed the power to break the limits of intellect and reason.

To that end, he created a method for developing such powers. It’s the super he learned

It can be seen that it was organized by adding the capacity development method.

It consists of thirty-seven kinds of techniques, and Iddhipada is the central technique.

To. He explains Shinto, the rule for getting the will, by dividing it into four types of methods.

Desire foot (desire, ideal, approach for creation)

Working God’s foot (body and mind training method)

Mind god foot (subconscious training method)

Kanjin foot (deep consciousness training method)

In order to break the stalemate, it was incorporated into Mahayana Buddhism and systematized, and became known as esoteric Buddhism. So esoteric Buddhism has two sides.

One is the development technology of supernatural powers.

 

 

 

 

人が宗教的教えを必要とナるのは、知的能力が低いからである。要するに、愚かだからである。人の道徳意識が低いのは、知能、精神能力が低いからだ。ほんとうに知能が高くなれば、人は、いま人類の持っている程度の宗教意識などけるかに超えたもっと高い倫理観を持つ。オリヴイエ教授のいう「無限に発展した道徳意識の保有」である。

教え(宗教)による人類の道徳意識の開発は、すでに限界に達してしまっている。

見よ。

 

地上にあまねくくりひろげられている人類のこの大愚行を。殺し合い、奪い合い、罵り合い。

どこに「知恵あるヒト」のおもかげがあるか? 「大愚人類」そのものではないか?

要するに、バカにいくら結構な教えを説いてもだめなのだということだ。

もっと忌憚なくいわしてもらうならば、(これは私がいうのではない。みんな密教の神サマが

おっしやるのであります)ちっとましなバカが、しょうのないバカに一心に教えを説いているというのが、いまの宗教のすがたというものではないのか?

宗教だけではない。科学と技術だってそうではないか。見さかいなくいい気になっていろんなものをつくり出し、あとで公害だ有害物質だと困っている。こういうおろかなことは、もう少し人類の知能が高くなったら、そんなバカなことはたのまれなくともしなくなる。要するに知能が低いからだ。

政治も、経済、思想も、みんなそうだと、あなたは真実思わないか?

要するに、すべて、″ヒトの知能が低い″ことに原因があるのである。

この世界を住みよく、たのしいものにするのには、革命ごっこよりもなによりもまず、ヒトの知能を高めることだ。そう、あなたは思わないか?

さて、話をもとにもどそう。

教えの限界とはヒトの知能の限界だ。

密教はその限界をうち破るのである。

技術によって超能力をあたえ、いっきょにヒトを改造して、宗教などという低い次元をいっぺんに飛び越し、想像を絶する叡智を持った、高い倫理的生物をつくり出そうというのだ。

それが、密教だ。

 

 

 

 

People need religious teaching because of their low intellectual ability. In short, it’s stupid. People’s moral awareness is low because their intelligence and mental abilities are low. If the intelligence is really high, one will have a higher ethical sense that goes beyond the religious consciousness that human beings have now. This is what Professor Oliveyer calls “the possession of an infinitely developed moral consciousness.”

The development of human moral awareness through teaching (religion) has already reached its limit.

Behold.

 

This great folly of mankind that is spread all over the earth. Killing, scrambling, and swearing.

Where is the essence of “wisdom humans”? Isn’t it the “great fool” itself?

In short, no matter how much you teach a fool, you can’t.

If you want to be more frank, (I don’t mean this, everyone is the esoteric god Sama.

Isn’t it the current religion that a little idiot is preaching to a foolish idiot with all his heart?

It’s not just religion. Isn’t it the case with science and technology? I feel good about it and create various things, and later I am in trouble that it is a toxic substance that is a pollution. Such stupid things will not be uncommon if human intelligence becomes a little higher. In short, it has low intelligence.

Don’t you think it’s true that politics, economy, and thought are all the same?

In short, it’s all due to “low human intelligence”.

To make this world livable and enjoyable, first and foremost, to enhance human intelligence, rather than playing a revolution. Yeah, don’t you think?

Well, let’s get back to the story.

The limit of teaching is the limit of human intelligence.

Esoteric Buddhism breaks that limit.

They are trying to give supernatural powers by technology, remodel human beings together, jump over the lower dimensions such as religion at once, and create highly ethical creatures with unimaginable wisdom.

That is esoteric Buddhism.

究極の平穏:釈尊の秘められた修行法   「四神足法」  Ultimate peace: Shakyamuni’s secret training method “Four God Foot Methods

 

 

  • クンダリニー・ヨーガでは、チャクラを統合して制御し、超常的な力を得ることが目指される。
  • サハスラーラ・チャクラはクンダリニー・ヨーガの最終目標で、完成した修行者は超人と呼ばれる。
  • 仏陀の頭部が大きく盛り上がった「肉髻」は、サハスラーラ・チャクラの完成を象徴している。
  • 四神足法は欲神足法、勤神足法、心神足法、観神足法の四つの修行法から成り立ち、大聖者に至る。
  • 四神足法の修行者は欲神足法から出発し、精神的能力を高めていく。
  • 釈尊の成仏法において、「法」の中心は四神足法であり、これには五力法が補助として関与する。
  • クンダリニー・ヨーガのチャクラ開発と四神足法の関連があり、各チャクラのエネルギーを統合させる技法が必要とされる。
  • クンダリニーの覚醒は仏陀の成仏法には含まれず、危険で限定的な方法であるため、代わりに安那般那(アーナーパーナ)の法が教えられた。

 

このチャクラはすべてのチャクラを統合してこれを自由に制御する。 すべての チャクラを自由に制御することができるようになると、彼はしだいに変身する。 クンダリニー・ヨーガでは、これを聖なるものと一体になる、と形容する。 このチャクラに、聖霊が宿り、聖霊と交流するようになるといっている。この チャクラを完成した修行者を、超人、大師、救済者と呼ぶ。 超人は物質世界を超 越し、時間と空間の制限を受けなくなる。

インドでは、仏陀が超人であるとして、このチャクラの完成者であることを、 形を示している。それは、仏像の頭頂がまるで帽子でもかぶったように大きく盛り上がっており、これを「肉髻」と呼ぶ。サハスラーラ・チャクラの修行が 完成して頭骨がこのように発達していることを示すのである。

以上が、 クンダリニー・ヨーガの奥義として伝えられるものである。

では、このクンダリニー・ヨーガの修行法と、釈尊の成仏法との関連は、どの

ようなものであろうか? とくに、輪廻転生瞑想法の原典である四神足法との関 連はどのようなものであるか。

まず、四神足法について見てみよう。

四神足法解説

欲神足法

勤神足法

心神足法

人間の生命力の、とくに肉体上における根源的諸条件を、完全なものにする修

欲神足法で得た能力をベースに、肉体上の基本的諸条件を、さらに飛躍的に向 上させる修行法。

観神足法

肉体的能力の向上発達を基に、精神的能力を充実させ、さらに段階的にその能 力を飛躍向上させていく。

すなわち、脳の欠陥部分を補強するための準備段階として、古い脳を人に進化 させる修行法である。ワニとウマの獣性の脳を霊性の脳に変えていくのである。

新しい脳である新皮質を向上させるとともに、霊性の場である間脳を開く。 同時に、 間脳に付属する視床下部と、古い脳辺縁系との神経回路を補充強 化する修行法である。知性と霊性の完全なる融合だ。

以上が、四神足法の概略である。

四神足法を成就したとき、その修行者は、仏陀に準ずる大聖者となる。業を 超え、因縁を解脱し、生者、死者ともに解脱成仏させる大聖者である。

種に分類できる。

七科三十七道品の釈尊の成仏修行法は、大きく分けて、「教え」と「法」の二

「法」の中心は、四神足法である。

いや、中心というより、法は、四神足法のみである。

五力法も修行法であるが、これは、四神足法の補助のようなもので、 四神足法 に対し、つぎのように付随される。

(四神足法) (五力法)

欲神足

精進力(信力)

勤神足-

念力

心神足

定力

観神足 慧力

四神足法 五力法以外の道品、すなわち、 四念住、四正断、 七覚支、八正道

は、「教え」 である。これらの教えは、四神足法について、つぎのように付随さ れる。

(なお、五根法は、五力法のベースとなる瞑想と実践である)

  • 欲神足

四正断 七党支 八正道

 

勤神足 心神足

主觀神足

ただし、観神足を体得した聖者には、もはや教えは不要であって、八正道は、他の三神足修行者にすべて対応される教えである。

四神足法とクンダリニー・ヨーガ

さて、以上の四神足法の修行は、どのようになされるのであろうか?

それは、クンダリニー・ヨーガのチャクラの開発からはじまるのである。

その関係はつぎのとおりである。

ムーラーダーラ・チャクラ

欲神足

スヴァーディシュターナ・チャクラ

勤神足

マニプーラ・チャクラ

アナーハタ・チャクラ

心神足

ヴィシュッダ・チャクラ

観神足

アージュニャー・チャクラ サハスラーラ・チャクラ

以上であるが、ここに非常に重大なことがある。

それは、四神足法は、 クンダリニー・ヨーガのチャクラを開発しただけでは不 十分だということである。 チャクラを開発すると同時に、各チャクラを統合して

機能させていく技法が必要なのである。 わたくしはいま、非常に重大、という言 葉を使ったが、それはそれ以上、絶対に必要なポイントなのである。

それは、どういうことか?

 

チャクラは、チャクラを覚醒、発動させる技術によって活動を開始し、チャク ラ特有の力を発生する。 しかし、それだけでは、四神足法が目的とする神力(超 常的能力)にまではとうてい、至ることができない。どうしても、これらのチャ クラを統合して、さらにパワーを加圧加増して、重点的にはたらかせる技法が 必要なのである。

それは、二つの技法である。

 

1、各チャクラが発生したエネルギーを、自由にコントロールし、かつ、自分 必要とする場所に自在に送達させることのできる回路を持つ。

とくに、脳に対しての回路が重要である。

2、その回路作製を可能ならしめるための神経経路を補強、 さらに、新たにつ

これは、とくに、「新皮質と視床下部をつなぐ神経経路を補強する」とい

うことにも、必要欠くべからざる技法なのである。

この二つの技法は、クンダリニー・ヨーガにはないものである。

ただし、まったくないのではなく、これに類似した技法がひとつある。 それは、スシュムナー管と、ピンガラ、イダーという気道を使う法である。 クンダリニー・ヨーガというのは、だれもが体内に持つクンダリニーと名づけ 強大な生命の根源力を目ざめさせて、これにより、超常的体力を獲得し、特殊 な精神領域に到達しようとするヨーガである。

クンダリニーは、脊柱のいちばん下部、尾骨のチャクラ (ムーラーダーラ) の部分に、蛇が三巻き半、 とぐろを巻いたようなかたちで眠っている。 クンダリ ニーというのは、「巻かれているもの」という意味である。

リンガクンダリニーは、そこにあるスヴァヤンプーという男根のまわりに巻きついて

いて、その頭部で、スシュムナー管の入口を閉ざしている。

スシュムナー管は、脊柱の中空部にある生気の通る路で、尾骨から脳の下部

ないの延髄にまで届いている。また、スシュムナー管の内側には、ヴァジリニーとよ ばれる気道があり、さらにその内側には、クモの糸のように細かいチトリニとよ ばれる気道がある。

特殊な瞑想・思念・ムドラー・マントラ詠唱などの動作によってチャクラが 発動し、 クンダリニーが目ざめると、クンダリニーは噴火した火のような激しい 勢いで、スシュムナー管を上昇していく。 クンダリニーを Serpent fire (サーペン ト・ファイア、蛇の火) とよぶのも、そこからきているのである。

クンダリニーの目ざめとともに、スシュムナー管の両側にあるピンガラとイ ダーという二つの気道が開き、クンダリニーのエネルギーは、この二つの気道を も螺旋状に上昇していく。この二つの気道は、その後のクンダリニーの力を調 節するはたらきをする。

クンダリニー・ヨーガの目的は、聖なるものと一体となる至高の境地を目ざす

ので、スシュムナー管、ピンガライダーの両気道を上昇するクンダリニーのエ ネルギーは、最終的に、サハスラーラ・チャクラにまで到達して、その目的を達 するのである。

以上が、 クンダリニー・ヨーガの気道の技法とされるものである。

四神足法も、このクンダリニー・ヨーガの技法を、そのまま使ったらよいので はなかろうか?

そうはいかないのである。単にチャクラを目ざめさせ、そのエネルギーを発動 させただけでは、四神足法の目的を達成することはできないのである。各チャク ラを統合し、そのエネルギーをさらに増幅して目的のものに集中する方法が、 ど うしても必要なのである。

では、クンダリニーを覚醒させ、これを使ったらいいではないか。

わたくしは、阿含経はもとより、釈尊にまつわるさまざまな伝説に至るまで、 あらゆるものを分析した結果、釈尊の成仏法には、クンダリニー・ヨーガのクン ダリニー覚醒法がもちいられた形跡を発見することができなかった。(彼自身は、それを完全に成就していたであろうが) なぜか?

クンダリニーの覚醒は、あまりにも激烈、過激すぎて、 完全な脳を新しくつく りあげるのには適切でないのである。 クンダリニー・ヨーガは、人間の脳の欠陥を是正する方法ではなく、そこを通り抜けて一挙に、別次元の高度の意識領域に 突入してしまう方法なのである。

これは危険すぎるし、かつ、ごく限られた特殊な人にしかもちいられない方法 であった。

釈尊は、だれでもが実行できる修行法を教えた。一心に修行さえすれば、だれ でもが成仏できる方法を教えたのである。だから、チャクラを使うことはとり入 れたが、 クンダリニー・ヨーガの覚醒法はとり入れなかったのである。 クンダリ ニー・エネルギーは使ったけれども、その方法はまったくちがっていたのであ

では、どのようにしたのであろうか?

仏陀の Anāpāna の法

アーサーバー

釈尊の修行法の中心である安那般那について、最もくわしく説いた経が雑阿含

是の如く我れ聞きぬ。一時、仏、舎衛国の祇樹給孤独園に住まいたまえ 雨の時世尊、諸の比丘に告げたまわく 「安那般那の念を修習せよ。 若し 比丘の安那那の念を修習するに多く修習せば身心止息することを得て有 覚、有観、寂滅、 純一にして明分なる想を修習満足す。 何等を安那般那の を修習するに多く修習し巳らば身心止息し、有覚、有観、寂滅、純一にし 明分なる想を修習満足すと為す。是の比丘、若し聚落城邑に依りて止 朝に衣を著け鉢を持ち、村に入りて乞食するに善く其の身を護り、諸 門を守りく心を繋けて住し、乞食し巳つて住処へ還えり、衣鉢を挙げ 足を洗っては林中の閑房の樹下、或は空露地に入りて端身正坐し、念

 

 

 

Kundalini yoga aims to integrate and control the chakras and gain supernatural powers.
Sahasrara Chakra is the ultimate goal of Kundalini Yoga, and practitioners who have achieved it are called superhumans.
The swollen “flesh topknot” on the Buddha’s head symbolizes the completion of the Sahasrara chakra.
The Four God Foot Methods consist of four training methods: Desire God Foot Method, Kinshin Foot Law, Shinshin Foot Law, and Kanshin Foot Law, and lead to becoming a great sage.
Practitioners of the Shishin Ashiho start from the Desireshin Ashiho and increase their mental abilities.
In Shakyamuni Buddha’s method of attaining Buddhahood, the center of the “Dharma” is the Four Gods’ foot method, to which the Five Powers method is involved as an auxiliary.
There is a connection between chakra development in Kundalini Yoga and the Four God Foot Method, which requires a technique that integrates the energy of each chakra.
Kundalini awakening was not part of the Buddha’s Dharma of Buddhahood, and as it was a dangerous and limited method, the Dharma of Annapana was taught instead.

 

This chakra integrates all chakras and controls them freely. Once he is able to freely control all his chakra, he gradually transforms. In Kundalini Yoga, this is described as becoming one with the sacred. It is said that the Holy Spirit resides in this chakra and that you will be able to communicate with the Holy Spirit. Practitioners who have perfected his chakra are called superhumans, masters, and saviors. Superhumans transcend the material world and are no longer subject to the limitations of time and space.

In India, the Buddha is considered to be a superhuman being and is the perfector of this chakra. The top of the statue’s head is raised as if it were wearing a hat, and this is called the “meat topknot.” This indicates that the cultivation of the Sahasrara chakra has been completed and the skull has developed in this way.

These are the secrets of Kundalini Yoga.

So, what is the relationship between this Kundalini Yoga training method and Shakyamuni Buddha’s Buddhahood method?

In particular, what is its relationship with the Four Gods Foot Method, which is the original source of the reincarnation meditation method?

First, let’s take a look at the Four God Foot Laws.

Explanation of the Four God Foot Laws

Desire foot method

Kushin foot method

Shinshin foot method

Training to perfect the fundamental conditions of human life force, especially in the physical body.

A training method that dramatically improves the basic physical conditions based on the abilities gained through the Desire Foot Method.

Kanshin foot method

Based on the improvement and development of physical abilities, mental abilities will be enriched, and those abilities will be further improved step by step.

In other words, it is a training method that allows the old brain to evolve into a human being as a preparatory step for reinforcing the defective parts of the brain. It transforms the beastly brains of crocodiles and horses into spiritual brains.

It improves the neocortex, the new brain, and opens the diencephalon, the place of spirituality. At the same time, it is a training method that replenishes and strengthens the neural circuits between the hypothalamus, which is attached to the diencephalon, and the old limbic system. It is the perfect fusion of intellect and spirituality.

The above is an outline of the Four God Foot Methods.

When a practitioner achieves the four divine foot practices, he or she becomes a great sage on a par with the Buddha. He is a great sage who transcends karma, liberates from fate, and enables both the living and the dead to attain liberation and Buddhahood.

Can be classified into species.

Shakyamuni Buddha’s training methods for attaining Buddhahood in the Seven Courses and Thirty-Seven Ways can be broadly divided into two parts: “teachings” and “dharma.”

The center of the “Dharma” is the Four God Foot Laws.

No, rather than the center, the law is only the Four Divine Foot Laws.

The five-power method is also a training method, but it is something like an auxiliary method to the four god foot method, and is attached to the four god foot method in the following way.

(Four God Foot Law) (Five Power Law)

greedy legs

Devotion (faith)

God foot –

telekinesis

Shinshinashi

constant force

Kanshin Foot Keiriki

The four divine foot practices, the teachings other than the five power practices, namely, the fourfold meditation, the four right judgments, the sevenfold enlightenment, and the eightfold path.

is “teaching”. These teachings are annexed to the Shishin Ashiho as follows.

(Furthermore, the Five Root Law is the meditation and practice that is the basis of the Five Power Law.)

four

greedy feet

Four Right Decisions, Seven Parties, Eightfold Path

 

Shinshin-ashi Shinshin-ashi

Main sightseeing foot

However, the teachings are no longer necessary for saints who have mastered the Kanshin-ashi, and the Eightfold Path is a teaching that applies to all other practitioners of the Three Divine Foot.

Four God Foot Methods and Kundalini Yoga

Now, how is the above-mentioned training of the Four Gods Ashiho practiced?

It begins with the development of the Kundalini Yoga chakras.

The relationship is as follows.

mooladhara chakra

greedy legs

svadhisthana chakra

God foot

manipura chakra

anahata chakra

Shinshinashi

Vishuddha chakra

Kanshin foot

ajna chakra sahasrara chakra

That being said, there is something very important here.

This means that it is not enough to develop the chakras of Kundalini Yoga for the Four Gods. Develop your chakras and at the same time integrate each chakra.

We need techniques to make it work. I just used the word “very important,” but it is more than that, it is an absolutely necessary point.

What does that mean?

 

Chakras are activated by techniques that awaken and activate chakras, generating a power unique to chakras. However, this alone will never reach the level of divine power (supernatural ability) that Shishin Ashiho aims to achieve. There is a need for a technique that integrates these chakras, increases their power even more, and works in a focused manner.

There are two techniques.

 

1. It has a circuit that allows it to freely control the energy generated by each chakra and send it wherever it is needed.

In particular, circuits for the brain are important.

2. Reinforcement of neural pathways to enable circuit creation, and new connections.

In particular, this is said to “reinforce the neural pathways connecting the neocortex and hypothalamus.”

Indeed, it is an indispensable technique.

These two techniques are not found in Kundalini Yoga.

However, there is one technique that is similar to this one. It is a method that uses the Sushumna tube and the airways called Pingala and Ida. Kundalini Yoga is a yoga that aims to awaken the powerful fundamental power of life called Kundalini, which everyone has within their bodies, thereby acquiring supernatural physical strength and reaching a special spiritual realm.

Kundalini lies at the bottom of the spinal column, in the coccygeal chakra (muladhara), shaped like three and a half coils of a snake. Kundalini means “that which is coiled.”

The Linga Kundalini is wrapped around the phallus called Svayamphu.

and its head closes the entrance to the Sushumna tube.

The Sushumna canal is a passageway for vital air in the hollow part of the spinal column, from the coccyx to the lower part of the brain.

It has reached the medulla oblongata. Also, inside the Sushumna canal there is an airway called the Vasilini, and further inside that there is an airway called the Chitrini, which is as fine as a spider’s thread.

When the chakras are activated and the kundalini is awakened through special actions such as meditation, thought, mudra, or chanting of mantras, the kundalini moves up the sushumna channel with the intensity of an erupting fire. This is why Kundalini is called Serpent fire.

With the awakening of Kundalini, the two airways, Pingala and Ikonda, on either side of the Sushumna channel open, and Kundalini energy spirals up through these two airways as well. These two airways serve to regulate the subsequent Kundalini force.

The purpose of Kundalini Yoga is to reach the highest state of unity with the divine.

Therefore, the Kundalini energy that ascends through both the Sushumna channel and the Pingalida airway eventually reaches the Sahasrara Chakra and achieves its purpose.

The above are the airway techniques of Kundalini Yoga.

Why not use this technique of Kundalini Yoga as it is for the Four God Foot Method?

That doesn’t happen. Simply awakening the chakras and activating their energy will not achieve the purpose of Shishin Ashiho. We desperately need a way to integrate the chakras, amplify their energy, and focus it on a goal.

So why not awaken Kundalini and use it?

As a result of analyzing everything from the Agon Sutra to various legends related to Shakyamuni Buddha, I have found evidence that Shakyamuni Buddha’s method of attaining Buddhahood was based on Kundalini Yoga’s Kundalini Awakening Method. I couldn’t do it. (though he himself would have accomplished it perfectly) Why?

The awakening of the kundalini is too violent, too extreme, to be suitable for his ascension to create a new, complete brain. Kundalini Yoga is not a method of correcting defects in the human brain, but a method of passing through them and suddenly entering another dimension of higher consciousness.

This method was too dangerous and could only be used by a very limited number of special people.

Shakyamuni Buddha taught a method of ascetic training that anyone can practice. He taught how anyone can attain Buddhahood as long as they practice earnestly. Therefore, although he adopted the use of chakras, he did not adopt the awakening method of Kundalini Yoga. Kundali He used knee energy, but in a completely different way.

So how did we do it?

Buddha’s Anāpāna Dharma

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The most detailed explanation of Annabanna, which is the center of Shakyamuni’s training method, is in the Zaragon.

Just like that, I won’t listen. For a time, the Buddha resided in the Solitary Garden of Gishukya in the Savi state.During the rainy season, the Blessed One said to all the bhikkhus, “Practice the thought of Annahna; The more you practice, the more you will be able to calm your body and mind, and the more you will be satisfied with the practice of sentience, thoughts, annihilation, pure and clear thoughts. When one’s body and mind are at rest, one becomes aware, one’s thoughts are lost, one is pure, and one is satisfied with the practice of clear thoughts.If a bhikkhu were to rest in the village of Jurakseong, in the morning he would put on his robes and take a bowl. When he enters the village and begs, he protects himself and lives there with a heart that protects the gates. After begging, he returns to his home, takes up his clothes, washes his feet, and goes to a quiet room in the forest. Go under a tree or in an open field, sit upright, and pray.

 

 

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一つは、心理学者、L・ソンディの「運命心理学」である。 もう一つは、運命のもとになる因縁に深いかかわりのある不成仏霊の存在である

 

昭和五十年、その年はまだ遥かなる過去にあるが、それが始まりだった。彼は書物を手にした。表紙には大胆な文字が刻まれていた。「チャンネルをまわせ」――その意味は彼にとって未知の世界への扉を開くものだった。

彼はその本を開き、密教から阿含教への旅に連れて行かれた。そのページには、因縁という言葉が踊っていた。因縁とは、運命を形作る細かな糸。彼はその意味を深く噛みしめた。

心理学者、L・ソンディの「運命心理学」。それは彼に新たな洞察をもたらした。因縁によって形作られる運命。そして、不成仏霊の存在。彼の霊視能力が目を覚ます。

彼は少年Kの物語を語り、その背後にある霊を見た。因縁とは血の繋がりを超え、深層意識に刻まれたものだった。彼はそれを「霊障」と名付け、心理学的に解明しようとした。

「守護霊を持て」「霊障を解く」――その後の本が生まれる源泉となったのは、「チャンネルをまわせ」である。彼の霊視能力が開眼され、新たな章が始まった。

彼の本は、有機的に繋がっている。一つのテーマを何冊もの本で追求する。その中の一冊だけで彼を理解することはできない。彼は困ったように笑った。

 

 

チャンネルをまわせ』の意義
この本は、昭和五十年(一九七五年)に出版された。
この本でわたくしは、密教から阿含教へとチャンネルを回したわけである。わたくしの
密教と阿含経との中間点に位置するのがこの本である。運命を形成する要素は因縁である。ではその因縁を構成するのは何んであるのか、真剣に考えはじめた。この本の中では、因縁に「チャンネル」とルビを振っている。それは、人間を動かす代表的なチャンネルとして因縁というものを、もう歩掘り下げて考えはじめていたからである。`
この本は、二つの柱から成っている。
一つは、心理学者、L・ソンディの「運命心理学」である。
もう一つは、運命のもとになる因縁に深いかかわりのある不成仏霊の存在である。
ソンディ心理学によると、人間の運命を決定する因子として、「家族吟無意識Lというものが設定されている。この家族的無意識というのは、「個人のなかに抑圧されている祖先の欲求が、恋愛・友情・職業・疾病、および死亡における無意識的選択行動となって、個人の運命を決定する」というものである。
これは、そのまま、それまでのわたくしの持論である因縁論になる。そこで、わたくしはこれを紹介すると同時に、そのソンディ理論の欠陥をも、この本の中で書くことにした
のである。ソンディ博士は、ユングとも並び称せられるほどの大心理学者であり、その大心理学者の理論に欠陥があるというのは大変なことであるが、それは、わたくしに霊視能力が出てきたことによって出来たのである。霊視能力をもったことにより、ソンディ理論の欠陥を発見することができたのだ。
わたくしは、その頃から、霊視能力が出てきていた。以前から偶然的に霊視能力があらわれて、人に憑いている霊やその霊障を見ることがよくあったが、この頃から意志的に、系統立てて、そういうものが見えるようになってきた。それが、ソンディ理論の欠陥の補足というかたちになってあらわれたので、そういう意味で、わたくしの一つの進歩を示すきわめて歴史的な転機としての本ということができる。この本の中にK少年の話か出てくるが、この実在する少年の背後霊をわたくしははっきりと見ていたわけである。霊障となっている不成仏霊をはつきりと捉えた上で、その少年を指導し、この本を書いたわけである。しかし、この本では霊障という通俗的な言葉を使わなかったが、それは、わたくしのいう霊障というのは、一般にいう幽霊のような意味とは根本的にちがっているからで誤解を招くおそれを避けて、この言葉を使わなかったのである。この本では、K少年の例でいえば、曾祖父の抑圧意識が、少年の深層意識に入り込んでいるという表現を用いたが、この曾祖父とK少年は、血がつながっていないのである。それなのに、ソンディ流にいうと、抑圧意識が伝わってい
る。それはどうして伝わったのか? DNAという遺伝子機構を通らずにどうして伝わったのか? 一種の霊的バイブレーションを想定するしかない。そしてそれをわたくしは見たのである。そのわたくしの見たものを、わたくしはと 霊障 名づけたのである。この
本ではその「霊障」を心理学的に説明したわけである。
後にベストセラーとなった『守護霊を持て』の守護霊や、『霊障を解く』の霊障の深層心理学的解明を試みたのがこの本であった。この『チャンネルをまわせ』で突きとめた成果をもとに、非常に通俗的にわかりやすく書いたのが『守護霊を持て』その他である。
ところで、この「チャンネルをまわせ」の中で使った主要文献の佐竹隆三著『運命心理学入門』という本は、あとで知ったことだが、力富崇志氏の御父君の経営される黎明書房から刊行された本だったのである。力富氏とお会いした時、そう聞かされて、非常にびっくりしたものである。力富氏との出会いに、何かわたくしは因縁的なものを感ずるのである。
守護霊ブームと霊障ブーム
『守護霊を持て』でわたくしは、全国的な守護霊ブームや霊障ブームをつくり出したわけであるが、その源は『チャンネルをまわせ』である。この『チャンネルをまわせ』を書いた時点で、すでに実質的には『守護霊を持て』を書きはじめていたといって過言ではない。
『守護霊を持て』の中で紹介した霊障を指導した実例も、すでにこの『チャンネルをまわせ』の中に先駆的な形で出しているわけである。K少年の例はまさにそれに該当する。
以後の執筆の源となったという意味において、あるいはわたくし自身の霊視能力がその頃開眼されたということ、この二つの意味でこの『チャンネルをまわせ』は、非常に大きなわたくしの転換期を象徴する所産であった。
わたくしの本は、すべて有機的につながっている。一つのテーマを何年にもわたって何冊の本かで追求してゆく。その中の一冊だけ読んで、鬼の首でもとったように批判されて
も困るのだ。むずかしい本は読まず、やさしく通俗的に書いた本だけ読んでの批判は、見当ちがいである。

“A Journey of Fate: The Path from Esoteric Buddhism to Agon Buddhism” “The Deep Secret of the Channel: A Story of Fate and Spiritual Vision”

 

The year 1975 is still far in the past, but it was the beginning. he held a book in his hand. Bold letters were engraved on the cover. “Turn the channel” — its meaning was to open the door to an unknown world for him.

He opened the book and was taken on a journey from Esoteric Buddhism to Agon Buddhism. On that page, the word fate was dancing. Fate is a thin thread that shapes fate. He deeply understood its meaning.

“Fate Psychology” by psychologist L. Sondhi. It gave him new insight. Destiny shaped by fate. And the existence of unattainable Buddha spirits. His psychic powers awaken.

He told the story of the boy K and saw the spirit behind him. Fate goes beyond blood ties and is engraved in the deep consciousness. He named it “spiritual disorder” and tried to explain it psychologically.

“Having a Guardian Spirit” and “Resolving Spiritual Obstacles” — “Turn the Channel” was the source of subsequent books. His psychic powers were opened and a new chapter began.

His books are organically connected. Pursue a single theme through multiple books. You can’t understand him just by looking at one of those books. He laughed confusedly.

 

 

 

Significance of “Turn the channel”
This book was published in 1975.
With this book, I changed the channel from Esoteric Buddhism to Agon Buddhism. my
This book is located at the midpoint between Esoteric Buddhism and Agon Sutra. The element that shapes destiny is fate. So I began to think seriously about what constitutes this connection. In this book, fate is referred to as a “channel”. This is because I had already begun to think more deeply about fate as a typical channel that moves humans. `
This book consists of two pillars.
One is the “psychology of fate” by psychologist L. Sondhi.
The other is the existence of unattainable Buddha spirits, who are deeply involved in the causes that form the basis of one’s destiny.
According to Sondhi psychology, the factor that determines human destiny is the “Family Unconscious L”. It becomes an unconscious choice behavior in love, friendship, occupation, illness, and death that determines an individual’s fate.”
This becomes my theory of causality up until then. Therefore, I decided to introduce this theory and at the same time write about the flaws in the Sondhi theory in this book.
It is. Dr. Sondhi is a great psychologist who is comparable to Jung, and it is a serious matter to say that the theory of this great psychologist is flawed, but this is due to the fact that I have developed the ability to see psychically. It was possible. By having psychic powers, he was able to discover flaws in the Sondhi theory.
Around that time, I began to develop psychic powers. Before, I had the ability to see spirits by accident, and I often saw spirits possessing people and their spiritual disorders, but around this time I began to be able to see things voluntarily and systematically. . This appeared in the form of supplementing the flaws in Sondhi’s theory, so in that sense, this book can be considered a very historical turning point, marking one of my advances. There is a story about a boy named K in this book, and I clearly saw the spirit behind this real boy. Having clearly grasped the spiritual hindrance of the unborn Buddha, he taught the boy and wrote this book. However, in this book, I did not use the common word “spiritual disorder,” because the term “spiritual disorder” that I use is fundamentally different from the general meaning of “ghostly,” and it may lead to misunderstandings. I didn’t use this word to avoid it. In this book, in the case of Boy K, I use the expression that his great-grandfather’s sense of oppression has entered the boy’s deep consciousness, but this great-grandfather and Boy K are not related by blood. Yet, in Sondhi’s style, a sense of oppression is being conveyed.
Ru. How did that get across? How did it get transmitted without passing through the genetic mechanism called DNA? We can only assume a kind of spiritual vibration. And that’s what I saw. What I saw, I called it “Spiritual Disorder”. this
In this book, this “spiritual disorder” is explained psychologically.
This book was an attempt to provide a deep psychological explanation of guardian spirits in “Have a Guardian Spirit,” which later became a bestseller, and spiritual disorders in “Dissolving Spiritual Obstacles.” Based on the findings of “Turn the Channel”, I wrote “Have a Guardian Spirit” and other books that are very popular and easy to understand.
By the way, I learned later that the main document used in this article, “Introduction to Fate Psychology” by Ryuzo Satake, was published by Reimei Shobo, which is run by Takashi Chikaratomi’s father. It was a book published by. I was very surprised to hear this when I met Mr. Chikaratomi. I feel something connected to my encounter with Mr. Chikaratomi.
Guardian spirit boom and spiritual disorder boom
With “Have a Guardian Spirit,” I created a nationwide boom in guardian spirits and psychic disorders, and the source of that was “Change the Channel.” It is no exaggeration to say that by the time he wrote “Turn the Channel,” he had essentially already begun writing “Have a Guardian Spirit.”
The example of teaching spiritual disorders introduced in “Have a Guardian Spirit” has already been presented in pioneering form in “Change the Channel.” The example of boy K falls under this category.
“Turn the Channel” symbolizes a huge turning point for me, both in the sense that it became the source of my subsequent writings, and in the sense that my own psychic powers were awakened around that time. It was a product of doing so.
All my books are organically connected. He pursues a single theme over many years and in several books. I read only one of them and was criticized as if I had taken the head of a demon.
It’s also a problem. It is misguided to criticize someone by not reading difficult books and only reading books that are written in a simple and popular way.

 

 

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