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阿含経

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阿含歌

https://suno.com/song/256adc63-6c18-4298-8a6f-7920b59893e1

 

 

 

 

「お釈迦さまの弟子たちは、自分が救われるために出家をして、いろいろな修行をしたのではな いか。お釈迦さまはそのような弟子たちに法を説いたのだから、その説法をまとめた阿含経は小 「乗経典である」

と、わたくしは非難されました。

ですから、在家の方が「阿含経」の教えを世の中に広めていこうとする時、まず反対されるの はその点だと思います。

「お釈迦さまの仏教は出家仏教ではないか。 あなたは出家なのか?」

そういわれるでしょう。

それに対してどう答えればよいのでしょうか?

「ああ、そうですか。 それは知りませんでした」

というようなことではしかたがない。

逆に、お釈迦さまの仏教を出家仏教と考えるのはまったくの間違いであり、勉強不足なのだと 教えてあげなければいけません。

お釈迦さまの仏教は出家仏教でもなければ小乗仏教でもなく、 在家の者でも成仏できると説か れているのだ、ということがはっきり示されているのが、この『一切事経」なのです。 経文を読んでみましょう。

-如是我聞と「阿含経」

如是我聞 一時仏住迦毘羅衛国尼拘 律園中。爾時釈氏摩訶男来詣仏所。 稽首仏足退坐一面。白仏言。世尊。 何名優婆塞。仏告摩訶男。優婆塞 在家清白。乃至尽寿帰依三宝為優 婆塞証知我。

現代語訳

阿含経一切

かびらえ こくにく うつおん

是のくれ聞きぬ。一時、逆毘羅衛国尼拘律園

中に住まりたまえり。

いかん うばそくな

し、仏の足にしたてまつり退いて一面に坐し、仏 に白して言さく、「世尊よ、何が優婆塞と名づくるや」 仏、摩訶男に告げたまわく、「優婆塞とは在家清

我れを証知したまえ』」 と。

『寿尽くるまでぼう いまし、優婆塞とらん

このように私は聞きました。 ある時、仏さまがカピラヴァットゥ (迦毘羅衛国)のニグローダ (拘律)園におとどまりになっておられました。そこへ、在家の弟子であり、仏さまの従兄弟 でもあるマハーナーマ (摩訶男)が、数人の在家信者を引き連れて現われ、仏足頂礼の礼をして 仏さまの前に座り、質問いたしました。

「世尊よ、優婆塞 (在家仏教徒) とは、どのような人に対して名づけられたものでありましょう

仏さまはマハーナーマに、

「在家の者が仏や師となる僧侶のもとに行き、「自分が生きているかぎり、死ぬまでの今後一生 を通して三宝に帰依いたします。 私を優婆塞としてお認めください」と申し出て、仏や僧侶がそ れを認めるならば、その者は優婆塞となります」

と告げられました。

解説

まず、最初に「如是我聞(是の如くれ聞きぬ)」という言葉があります。 ほとんどのお経がこ の言葉で始まっておりますが、「私はこのように仏さまからうかがいました」という意味です。 この「私」とはだれか?

これは、お釈迦さまの十大弟子の一人で、記憶力第一といわれたアーナンダ (阿難であると されております。 アーナンダという方は、二十五年間にわたってお釈迦さまのおそば近くに仕え、 その説法の一言一句を残らず記憶していました。お釈迦さまがお亡くなりになった直後、このア ナンダや大長老のマハーカッサバ(摩訶迦葉)を含めた五百人の仏弟子たちがラージャガハ (王舎城)の七葉窟に集結し、お釈迦さまの教法の編纂を始めたわけです。

しちょうくつ

マハーカッサパが座長になり、アーナンダが自分の聞き覚えていたものを口述し、それを弟子

たち全員で議論していくという形で、教法はまとめられていきました。

たとえばアーナンダが、

ようや

「私は祇園精舎でこのような教えを拝聴しました」

と話すと、それに異論のある者は手を挙げて、

「それは私の記憶とは違う……」

阿含経一切

自分の記憶している内容を述べたわけです。すると座長のマハーカッサパが、

「みなさんはどのように記憶しておられますか?」

と、他の弟子たちに語り、それぞれが記憶をたどりながら、正しい答えを導き出してまとめて いったわけです 『南伝律」「小品」 十一秒)。 そのようにして編纂されていった経典が「阿含経」 です。

ごんぎよう

ですから、「阿含経」に「如是我聞」という言葉が使われているのは当然です。ところが、仏 後数百年経ってから創作された経典、たとえば『法華経』や『華厳経』などの大乗経典も、 「阿含経」の形式をまねて「如是我聞」の四文字から始まっています。 これは言語道断です。 ほ とんどの経典がこの「如是我聞」から始まるために、後世の人たちはすべてのお経はお釈迦さま 一代の教説である、と思い込んでしまったのです。さらには、間違った教相判釈が立てられ、 「阿含経」は小乗経典という、まったく見当違いの評価を受けるようになってしまいました。

きょうそうはんじ

「如是我聞」 はたった四文字の言葉ですが、これほど重要な意味を持っています。 わたくしたち 「は、「如是我聞」を使うことのできるお経は「阿含経」だけなのだという真実をよく理解すると 共に、それを世間に広めていかなければなりません。

それでは、お経の内容を解説いたしましょう。

ある時、お釈迦さまがカピラヴァットゥ(迦毘羅衛国)のニグローダ(尼拘律) 園におられまし た。カピラヴァットゥというのはお釈迦さまの故郷で、現在のネパールのタライ地方付近である といわれております。 そのカピラヴァットゥにニグローダ(サンスクリット語ではニヤグローダ。 バニヤンの樹)という樹木がたくさん生えている林があり、その中の精舎、つまり道場にお釈迦 さまは滞在されておられました。

そこへ、在家の弟子であり、またお釈迦さまの従兄弟でもあるマハーナーマ (摩訶男)が、数 人の在家信者を引き連れて現われ、仏足頂礼の礼をしてお釈迦さまの前に座り、質問いたしまし た。

仏門に帰依した者はすべてお釈迦さまの子であるという考えから、仏教徒を釈子あるいは釈氏 といいます。しかし、ここに登場するマハーナーマはお釈迦さまと同じ釈迦族の人ですから、こ こでいう釈氏は「仏教徒の」と訳すだけではなく、 「釈迦族の」と訳してもよいでしょう。

ぶっそくちょうらい

「仏の足に稽首したてまつり」とは仏足頂礼といい、五体を地につけてお釈迦さまのおみ足を 額にいただく礼拝のことです。インドではこれがいちばん丁寧で、心からの帰依を表す礼とされ ております。 仏足頂礼は五体を地につけて礼拝するので、五体投地とも呼びます。 スリランカな どの南伝仏教の国では、パーリ語で「ブッダム サラナム ガッチャーミわれ、仏に帰依したて

ごたいとうち

まつる)」と唱えて仏足頂礼の礼をします。 わたくしたちは勤行の時に膝をかがめて、

「オン サラバタタギャタ ハンナマンナノウ キャロミ」

礼拝いたしますが、これは五体投地を簡略化したものです。

しかし、形の上では簡略化してありますが、心の中では五体を地につけてお釈迦さまのおみ足

をいただいてる、と観想して礼拝しなければいけません。

と質問したわけです。

マハーナーマもこの時、仏足を頂礼してお釈迦さまにご挨拶し、

「世尊よ、優婆塞とは、どのような人に対して名づけられたものでありましょうか?」

優婆塞とはパーリ語・サンスクリット語のウパーサカを漢字に音写したもので、普通は男性の 在家信者を指します。 これに対して女性の在家信者は優婆夷と呼び、同じくパーリ語・サンスク リット語でウパーシカーといいます。

それでは、マハーナーマはそのようなことも知らなかったのか、というとそうではありません。 逆に、彼は優婆塞の深い意味をよく知った上で、質問しているのです。 それは、なぜでしょう か?

マハーナーマ自身は優婆塞についてよく知っているけれども、自分が連れてきた者たちはまだ よく分かっていない。そこで、優婆塞の心構えを知ってもらうために、わざと自分自身も知らな いふりをしてお釈迦さまに質問しているわけです。 このような質問の仕方を赴機間と呼びます。 仏教経典の中には、時々こういう赴機問が出てきます。

「無尽蔵菩薩優問。世尊相具。我今重”間彼。伝子名観世音 (爾

まさ

の時に、無意菩薩、偈を以て問うてさく、世尊は相具わりたまえり、我今重ねて彼を問いたて まつる、仏子何の因縁あってか名づけて観世音と為すやと)」

そういうと

諸君も、

阿含経切

と無意菩薩が仏さまに、観世音菩薩の名の由来についてお尋ねするところがあります。 無尽 意菩薩とは、無尽蔵の智慧による功徳と救済を象徴した菩薩ですから、そのくらいのことを知ら ないはずはない。

しかし、そばにいる者たちは知らないから、それについて仏さまから直接説明をしていただい て、皆に聞かせてあげようということで、無知な人たちになりかわって質問をしているのです。 マハーナーマもこれと同じなのです。

マハーナーマの赴機問に対して、お釈迦さまは「優婆塞とは、在家清白乃至 『寿尽くるまで 三宝に帰依し、優婆塞と為らん我れを証知したまえ』」とお答えになられました。

「家清白」とは、お釈迦さまに帰依して、仏教を信仰しようという清らかな心を持っている在 家の人、ということです。「寿尽くるまで三宝に帰依し」とは、自分が生きているかぎり、死ぬ までの今後一生を通じて三宝に帰依いたします、という意味です。 三宝とは仏・法・僧、つまり 仏さまと仏さまの教法、そしてお釈迦さまの教法を実践する僧伽(教団)のことです。その三宝 に対して、自分は死ぬまで帰依いたしますから、私を優婆塞としてお認めください、とお釈迦さ まや師となる僧侶に申し上げ、それが認められれば優婆塞になるというわけです。

阿含宗に入行する時も同じですね。 誓約書を提出して認められると道場にきて、わたくしと一 一緒にお護摩を焚く。続いて、ご本尊・真正仏舎利尊との仏縁を結ぶ灌頂を受け、これから一生懸

ぶっしゃり ほうじゅんげだつぼうしようよう

命に仏舎利宝珠尊解脱宝生行(以下、解脱宝生行)をやっていきます、と仏さまにお誓いを立て てからご宝塔をいただきます。 これも、このお経に則っているわけです。

「一生涯、修行するのですか?」

と聞く人がいるかもしれない。しかし、ひとたび入行して本当の仏さまの修行を始めたならば、 やはり一生涯にわたって仏さまの教えを守っていく、という気持ちが生ずるのは当然です。 もし も、そういう気持ちが起きないならば、解脱宝生行を完全に修行したとはいえません。 本当に修 行をしたならば、必ずこの修行を持続させようという気持ちが起きるのです。それが起きないな らば、本当に修行したとはとても考えられません。

「自分は生涯をかけて修行をする、というつもりで信仰をしているだろうか?」

よく考えてごらんなさい。 もしもそういう気持ちがなければ、因縁を切ることなどとても

できません。 もう一度それについて、自分の心に問いかけてごらんなさい。

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