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仏陀の法のメカニズム

 

筋に特殊な能力を持たせる呼吸法であるからである」

この中で、最も重要なのが、脳に特殊な能力を持たせる”という部分である。

どんな能力を脳に持たせるのか?

ひと口でいうと、脳の一部が、発信器、受信器に変わるのである。

アジナー・チャクラが受信器、サハスラーラ・チャクラが発信器になるのだ。

どんな発信器、受信器なのか?

第四次元をふくむ他次元世界との交信器である。

るのである。 これで死者の怨念を受信し、怨念を消滅させるエネルギーを発信して解脱成仏させ

成仏していない死者は、いうならば、三・五次元の世界において、怨念としての存在をつづけている。この存在にたいして、発信するのである。

なにを発信するのか?

仏陀のさとりの核ともいうべき「縁起の法」と「八正道の教え」である。

これで、死者の怨念は消滅する。

そういうと、いかにもかんたんなようであるが、決してそうではないのである。

最も大切なことは、発信者が、縁起の法と八正道を完全に身につけ、さとりの境地が、仏陀と同等のところにまで到達していなければならないということである。

相手は、つよい怨念を残して狂い苦しんでいる存在である。難解な縁起の法、八正道の教えを、そのまま説いたって、通じようはずがない。完全なさとりそのものを、 バイブレーションとして相手に発信するのである。発信は発振なのである。死者の怨念は、さきにものべたように、バイブレーションとして存在しているのである。その想念のバイブレーションに、仏陀の完全なさとりそのものをバイブレーションとして発択するのである。

ことばや概念ではない、純粋にさとりの心そのものを、バイブレーションとして発振するのである。だから、人種・民族・言語の障壁はない。すべての人間に即座に通ずるのである。それには、ウマの脳(心)や、ワニの脳(心)が少しでも残っていたら、相手の怨念を消滅することはできない。なぜならば、怨念とは、ワニの脳やウマ

の脳がつくり出したものであるからだ。

いかなる名僧、高僧といえども、仏陀が阿含経に説かれた成仏法七科三十七道品、ことにその中心である四神足法を体得していなければ、死者を成仏させることのできない理由が理解されたであろう。

たんなる念力だけでは、どんなに強い念力でも、死者の怨念には通じないのである。 仏陀の最上深秘の呼吸法によって脳を改造し、霊的バイブレーションの発信装置を持たなければ、異次元世界の存在である死者の怨念には通じないのである。

また、死者の怨念は、仏陀の縁起の法の真理以外、解くことができない。神の救いや、仏の慈悲をいくら脱いても、役に立たないのである。郡さめにはなるけれども、 完全解脱はできないのである。

のである。 人類は一律に、その深層意識に、死者の怨念による反覆強迫観念を持ち、不幸な運命の反覆に苦しんでいる。仏陀の成仏法なくして、人類に平和と安想は永久に来ない

その成仏法は、いま、日本にしかない。

ノストラダムスが「日の国によって保たれる」と予言したのは、まさにこのことをいっているのだ。

グエニュ日の国の法と金星の法が競いあう

予言のエスプリをわがものとしながら

双方たがいに耳をかたむけないが

偉大なるメシアの法は日の国によって保たれるだろう

日の国の法と金星の法が競いあう、という。この競い合うということばを、衝突する、争う、という意味に解いているひとがほとんどだが、前にのべたように、競いあって目的に進む、協力し合う、という意味にもとれるのである。

に解釈できる。 つまり、日の国の法と金星の法が、競いあってメシアの法を完成する、という意味

「予言のエスプリをわがものとしながら

仏陀の法のメカニズム

 

チャクラ覚醒の最極秘伝

チャクラ覚醒の最極秘伝

そう。 さて、以上、ムーラーグーラ、マニブーラ、アナーハタの三つのチャクラの開発修行を解説した。これでこの三つのチャクラの開発は、完全に出来るであ

つぎの実修类儀篇で、ヴィシュッグ、アージュニャー、サハスラーラ等の、 すべての部位の覚醒法を解説する。

いっぺんに全部の実修書を出すことはできない。というのは、ヴィシュッダ・チャクラ以上の実修は、非常な危険をともなうことが多いのである。履中、 身柱から上にかかる修行過程は、非常に慎重にやらないと、脳を痛めるおそれがある。基礎訓練を十分にやって、きたえておかねばならない。

もしも奥儀篇をいっしょに出してしまったら、性急な修行者は、基礎の修行

チャクラ覚醒の最極秘伝

もそこそこに、脳の開発訓練に入ってしまうだろう。もちろん、法の成就は出来っこないが、しかし、訓練のシステムは、たとえ修行者が未熟であっても、 それなりの力を発揮するから、やりそこなって脳を痛めるおそれが多分にあるのである。

また、それだけではない。それ以上の重要な理由がある。

それは、アージュニャー・チャクラから上の開発訓練は、意念を動かす媒体と方法が、これまでとまったく違うということである。それは全然ちがう特殊な方法である。それは、本書の基礎訓練をきちんとマスターした修行者でなければ、全く、といっていいほど実践不可能であろう。したがって、とにかくまずこの基礎実修を、わき目もふらず修行してほしいのだ。わたくしは、いま、 この基礎実修をきちんと終えた修行者にのみ、奥儀篇を履けてあげることにしようかと思っているほどなのである。

奥儀篇は、おそらく、一年半か、二年くらいのちに出すことになると思われる。それは、ちょうど、あなたがこの本を読んで一心に基礎訓練にはげんだと

して、それで大体マスターし、わたくしが、これならこの先を教えてもよいだろうと思うのが、ちょうどその頃になるのである。

なかろうか? が、そういうと、好奇心のつよい熱心な修行者は、おそらくこう言うのでは

いま著者は、アージュニャー・チャクラから上の開発訓練は意念を動かす媒体と方法がまったく違う。それは全然ちがう特殊な方法だ、といったが、それはいったいどう違うのか? ほんの一部、ちょっぴりでもいいから教えてほしい。そういうかも知れない。

よろしい、それでは、その特殊な秘法を、概略、ヒントとして明かしてあげよう。いや、これはヒント以上のものである。ほんとうのことをいうと、わたくしは、ここで、そこまでこれを明かしたくはないのである。これこそ、門外不出、一子相伝の最極秘伝なのだから。

しかし、ここで少しでも明かしておいてあげることにより、真剣な修行者の励みになるかも知れない。そう考えて、あえて公開することにする。

チャクク覚醒の最極秘伝

そこで、思いきって、チャクラの覚醒法の概要をのべよう。

さきにわたくしは、チャクラ・エネルギーのルートづくりが、チャクラ覚醒

の一助になるものであるとのべた。それはじっさいにその通りで、それなくてはチャクラの覚醒は不可能に近いといってよいであろう。殊に、アージュニャ

ー・チャクラへのルートづくりは、非常に重要な役わりをはたす。

ある。 しかし、それだけでは、チャクラの覚醒は成就しない。まったく別な方法で

その課程は大略、つぎのようなものである。

秘密マントラの特殊詠唱法

1、まず修行者は、自分のチャクラの正確な場所を把握する。

(チャクラの場所は個人差があるので、導師が、正確な場所を教示する)

ず、 2、このチャクラの場所に、或る特殊な振動を叩きつける。そのために、ま

3、この特殊な振動を伝える振動ルートをつくり出す。これまでにつくったチャクラ・エネルギーのルートと重複するルートも一部あるが、大部分は新しくつくり出す。それは直接チャクラにつながるルートである。このルートづくりに「××」を使う。(特に秘す。但し、本書をよく読めば、ヒ

ントを得られるはずである)

4、その特殊振動を発生させる。

5、その振動をルートに伝え、チャクラに叩きつける。

以上のようなものである。

のだ。 この振動が、チャクラを覚醒させる特殊秘法であり、わたくしの最極秘伝な

すのである。 この特殊振動というのは、横隔膜、胸腔、腹腔を使って、特殊な振動を起こ

 

チャクラ覚醒の極秘伝

この振動は、最初、声帯を使う。発声して振動を起こす。(特殊な秘密マントラを使う。秘伝である)

正しい振動を起こせるようになったら、発声しないで、おなじ振動を起こす訓練に入る。そこで、無音になるのであるが、振動は起こしているのである。 というのは、声帯を、体の内部に向けて発声しているのである。体の内部に向けて振動を送っているのである。(じっさいは、ここまでくると、声帯だけで

はないのだが、ここでは声帯としておく)

発声しているときは声帯を使って外部に向って振動を起こしている。このときその発声を導師が聞いて、正しいかどうか調べているわけで、正しい発声法 (つまり振動法)がなされていたら、これを指導して、内部に向ってその振動を送りこむようにさせる。(その方法を指導する)

送りこまれた振動を、胸腔の筋肉で共鳴させ、増幅させる。

さらにこれを、横隔膜を使って腹腔の中で増幅させる。(この場合、胞嚢が重大な役目を果たすことを付記しておく)

さいごに、これまでにつくっておいた振動のルートを使って、目的のチャクうに送りこむ、というよりも、叩きつけるのである。

以上はアナーハタ・チャクラまでの、チャクラ覚醒法である。

アージュニャー・チャクラ、そして究極のチャクラであるサハスラーラ・チ

ャクラになると、少し違ってくる。しかし、アナーハタ・チャクラまで覚醒し

ておれば、あとはそうむずかしいことはない。

以上、このへんで筆をおくことにする。諸君の研鑽を祈る。

古代インドの賢人伝説

古代インドに伝説がある。伝説というより、予言といったほうがよいだろう。

現在のこの地球が、一大危機に見舞われて、まさに壊滅に瀕するとき、千人

の賢人があらわれてこれを救う。というのである。

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2026年1月7日 今日の九星盤

20261月7日

今日の九星盤

乙巳 二黒土星 歳
己丑 九紫火星 節
辛巳 九紫火星 日

九紫火星の日

金銭問題、女性にかかわる苦労あり。人に背反されることあり。派手な苦労をする日。

躍動の週  親の日
趣味や仕事がはかどり、予想以上の成果が得られる日。
溜まったタスクや先送りにしていたことなどは、この日に片付けましょう。
恋愛運が上昇する日なので、意中の人に思い切ってアプローチしましょう

普賢菩薩 あらゆる場所に現れ、命あるものを救う慈悲を司る菩薩。

普賢菩薩

あらゆる場所に現れ、命あるものを救う慈悲を司る菩薩

名サマンタバドラ (Samanta bhadra) の「サマ 「タ」は「く」、「バドラ」は「賢」と漢訳しま す。 「賢」とは具体的には「さとりを求める心か 起こる、成仏しようとする願いと行ない」のこ とです。それが、ときとところを選ばず在して いるということを象徴したのがこの菩薩です。 で すから、菩薩行を実践する者をつねに守護するほ とけでもあります。

白象に乗り、文殊菩薩とともに釈迦如来 の脇侍をつとめます。 文殊菩薩のに対して、 (行)をつかさどります。

なお、密教では、堅固不壊の菩提心を象徴する

金剛薩埵と同体とします。

と巳年生まれの人の守り本尊とされていま

普賢菩薩(ふげんぼさつ)とは?

普賢とは「全てにわたって賢い者」という意味で、あらゆるところに現れ命ある者を救う行動力のある菩薩です。

文殊菩薩とともに釈迦如来の右脇侍として三尊で並ぶことが多いですが、独尊で祀られる場合もあります。文殊菩薩の智慧とともに修行を司る菩薩として、明晰な智慧で掴み取った仏道の教えを実践していく役割を果たすとされています。また、女性の救済を説く法華経の普及とともに女性に多く信仰を集めました。

ちなみに普賢菩薩から派生した仏に延命のご利益のある普賢延命菩薩があります。

ご利益

女性守護、修行者守護、息災延命、幸福を増やす増益のご利益があるとされています。また、辰・巳年の守り本尊です。

普賢菩薩(ふげんぼさつ)の像容

白象に乗っている姿が一般的です。3つや4つの頭の象に乗っている場合は普賢延命菩薩像の可能性が高いです。

文殊菩薩

文殊菩薩―mañjuśrī

五大――空・風・火・水・地――を貫き、
静かに正す。

Mañjuśrī — Bodhisattva of Wisdom

名を呼ぶ前の 沈黙の奥で
判断は まだ言葉にならず
ただ 在り方だけが息をする

On Alahasha Now

答えは もう在る
見えなくなるだけ
剣は怒りではなく
迷いを断つために

On Alahasha Now
オン・アラハシャ・ノウ。

 

問いを研ぎ澄ませ
正しさを超えて
オン・アラハシャ・ノウ
智慧は 今 目を開く

On Alahasha Now

The mantra pierces the Five Elements—
space, wind, fire, water, earth—
quietly restoring what has gone astray.
Before the name is spoken,
in the depths of silence,
judgment has not yet become words;
only being itself is breathing.

On Alahasha Now

The answer is already there,
it only fades from sight.
The sword is not for anger,
but to cut through delusion.

On Alahasha Now
On Alahasha Now.

Sharpen the question,
go beyond what is “right.”
On Alahasha Now
Wisdom opens its eyes—now.

On Alahasha Now

 

文殊菩薩

文殊菩薩――

 

その名は、まだ言葉になる前の「判断」の奥で、静かに響いている。
人が迷いの中で立ち止まるとき、
答えはすでに在るのに、それが見えなくなる瞬間がある。
文殊が司るのは、知識の量ではない。
物事の“ありよう”を、そのまま見抜く刃のような智慧だ。
古い経に語られるところによれば、
彼には人としての影があったという。
古代インド、コーサラ国の首都・舎衛城。
バラモン階級に生まれ、釈迦の言葉を聞き、
やがてそれを文字としてこの世に留める役目を担った者。
火のような信仰でも、水のような慈悲でもなく、
ただ、曇りなき「見極め」をもって。
釈迦如来の左脇に立つその姿は、
普賢の実践と並び、三尊として世界を支える。
だが時に、文殊は独りで現れる。
誰にも相談できぬ夜の只中に、
答えを求める者の前に。
獅子に乗るのは、力を誇るためではない。
恐れを越えて進む智慧が、最も静かで、最も強いからだ。
右手の剣は、怒りではなく、執着を断つために振るわれる。
左手の蓮華に載る経巻は、
言葉を超えた教えが、なお言葉として示されることの象徴。
密教において、文殊は童子の姿をとる。
五つの髻を結び、清らかなまま、鋭く在る。
それは未熟ではなく、
どこにも染まらぬ智慧のかたち。
人はよく言う。
「三人よれば文殊の知恵」と。
だが本当は、三人が集まったときに生まれるのは、
正しさではなく、問いだ。
文殊は答えを与えない。
問いを、正しい形に研ぎ澄ます。
オン・アラハシャ・ノウ。
その真言は、五大――空・風・火・水・地――を貫き、
思考が世界とずれる瞬間を、静かに正す。
学業成就、智慧明瞭。
そうした言葉で語られるご利益の奥に、
文殊はただ一つのことを示している。
――見るべきものを、見る力を持て。
迷いの闇を切り裂くのは、
光ではない。
曇りなき理解、その一瞬なのだ。