阿閦如来(あしゅくにょらい、梵: Akṣobhya, アクショーブヤ)]
阿閦如来
物事に動じず、迷いに打ち勝つ強い心を授ける仏
語源は「揺るぎないもの」を意味し、物事に動じず迷いに打ち勝つ強い心を授けるといわれています。阿閦如来は「大円鏡智(だいえんきょうち)」と呼ばれる智慧を具現化した仏です。「大円鏡知」は知識や経験のない純粋な心、鏡のようにありのままを映し出す清らかな心という意味を持っています。
密教における大日如来の五つの智慧を表す五智如来の一尊で、薬師如来と同等と考えらました。そのため病気治癒、無病息災、滅罪の功徳があるといわれています。
阿閦(あしゅく)如来には、悟りを得るための発心が極めて強く、戒を律する事も堅く、何時も心が乱れ揺れることが無い事から不動・無動如来とも呼ばれたり、或いは、絶対に怒りの心を起こさないという義の無瞋恚(むしんに)如来という別称がある。
その名の由来は、過去に向かって、東方の千仏刹(釈迦を初めとする千に及ぶ仏国土)を越えた処に阿比羅提国世界があり、その浄土で大目如来が六度に亙(わた)って無極(仏の境地=ニルヴァーナ)の行を説法した時、一人の比丘が祈願して、至上の悟りを求める心(菩提心)を発し、瞋恚(怒り)を断ち、淫欲に溺れないことを誓って精進を宣言し、悟りを得て成仏し、師の大目如来よりその徳目を大いに称えられ、阿閦(瞋恚)如来の名号を得たものである。
現世のご利益 生後十一年目の守護仏
追善のご功徳 七回忌の守り本尊
当尊のご縁日 毎月四日
阿シュク如来は、成仏するための五つの智慧を授けて下さる五智如来の一つとして長く拝まれてきた。阿シュク如来は、もともと教主大日如来の前に集まっては説法を聞く若僧の一人であり、その教えに従って、 とらわれや、むさぼりを戒しめ、仏道を求める決心をしたと言われている。そして、
左手阿閦如来の誓い
東方の彼方、千の仏国土を越えた場所に、清らかなる浄土・阿比羅提国が広がっていた。その地は穢れなく、静謐な光に包まれていた。そこに大目如来という仏があり、六度にわたり無極の教えを説き続けていた。
その法座の下に、一人の比丘が座していた。彼の心には、ただ一つの願いがあった――悟りを得ること。彼は大目如来の説法を聞くうちに、自らの内に渦巻く怒りや欲望が、真の悟りを遠ざけるものであると気づいた。
「怒りを断ち、淫欲を捨て、ただひたすらに仏道を求めよう」
そう誓った瞬間、比丘の心は研ぎ澄まされ、迷いが消えた。その決意は揺るぎなく、彼の心は鏡のように澄み渡った。その様を見た大目如来は微笑み、彼に名を授けた。
「汝の心は決して揺らがぬ。怒りに染まることなく、煩悩に流されることもない。ゆえに汝を『阿閦如来』と称えよう」
その瞬間、比丘の身は輝く光に包まれ、彼は悟りを開いた。
―阿閦如来、ここに誕生す。
それから時は流れ、阿閦如来は五智如来の一尊として、迷える衆生に智慧を授ける存在となった。彼は降魔印を結び、右手を下げて大地に触れることで、恐怖や誘惑を退ける力を示した。
彼の教えは、まるで大円の鏡のごとく、清らかでありのままの真理を映し出す。怒りに囚われることなく、迷いに惑わされることなく、人々が悟りへと至る道を照らし続けるのだった。
「オン・アキシュビヤ・ウン」
彼の真言は、今もなお、世界のどこかで唱えられている。
衣服の端を握り、右手は指を下に伸ばす降魔印(ごうまいん)を結んでいます。これは恐怖や誘惑に打ち勝つ強い心を表しています。阿閦如来の単独の造像はほとんどありません。
真言
オン・アキシュビヤ・ウン
上の文章を小説風して