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自利の八法 ―― 自利・利他の十六法

自利の八法 ―― 自利・利他の十六法
The Eight Methods of Self-Benefit — The Sixteen Methods of Self-Benefit and Altruism

 

夜の祇園に 月が揺れて
竹の葉音が 闇を流れる
静かな灯火 胸を照らして
法の言葉が 風に響いた

 

信を抱いて 戒を守り
施しの手で 苦しみを解く
深義を求め 法に近づき
一人歩くと 思っていた

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

けれど仏は 静かに語る
「己だけでは 道は満ちない」
灯を受けたなら 次へ渡せと
月より深い 慈悲を示した

 

自ら学び 人にも伝え
自ら歩み 人を導け
法の灯火は 胸から胸へ
未来を照らす 永遠の光

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

自ら信じ 人にも信を
自ら戒し 人にも戒を
智慧はひとり 閉ざすためでなく
苦しむ世界を 照らすために

 

夜風は静かに 竹林を渡り
白い月影 石畳を染める
マハーナーマの 胸の奥には
消えぬ法灯が 今も燃えている

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

成仏法が説かれた二つのお経

成仏法が説かれた二つのお経

阿含宗信徒が読誦する『仏舎利宝珠尊解脱宝生行聖典」(以下、「聖典」)には二つの「阿含経」 が載っています。一つは「瀬町・」(以下「応説経』。上巻・六三一八四頁)で、もう一

でしょうか? つは今回講義する「一阿含経・三世』(以下「三供養品」)です。 わたくしはなぜ、数ある「阿含経」の中から、この二つのお経を選び出し、唱えさせているの

この二つのお経には成仏法、つまり成仏の方法が説かれているからです。

二千数百年前、お釈迦さまは弟子たちに、成仏する方法をお教えになられました。その成仏の方法には大きく分けて二種類あります。

ません。 まず第一の成仏法は応説経に説かれる高度(帳・蔵)の成仏法で、七释三十、七道品を修行して成仏する方法です。わたくしはこれを成仏のための七つのシステム、三十七種類のカリキュラムと呼んでおります。「応説経」についてはすでに講義をしましたので、ここでは繰り返し

第二の成仏法は、現在は徳薄く福少ない者であっても、これを修行することによって必ず大きな福徳を身につけ、成仏に向かうことができるというド版(やぶ)の成仏法、三版です(この三根を阿含宗では三福道と呼んでおりますが、その理由については後で詳しく説明いたします。これは「三供養品」に説かれています。

お釈迦さまが説かれている成仏法は、この二つのお様に

最終的にはこの二つにまとめられるのです。お釈迦さまはこの二つの成仏法を時と場合、相手の能力に応じて、あらゆる角度からお説きになりました。したがって、このお経を読誦する功徳は、

計りしれないものがあります。ですから、わたくしは阿含宗信徒に読誦させているのです。

運と成功

さて、わたくしが他の宗派に攻撃されながらも阿含宗を立宗し、本山を開いて総本殿の建立計画を着々と進めている時、懇意にしてくださっているある宗派の高僧から、

「桐山先生は運の強い方ですね。人も財物も、どんどん先生のところに集まってきますね。本当に運がお強い!」

といわれました。

「いやあ、悪運が強いんでしょうな」

わたくしは笑ってそのようにお答えしましたが、実際問題として、宗教教団でも、個人でも、 運が強くなければどうしようもないと思います。特に一般の企業人ならばなおさらでしょう。企葉でも、個人でも、あるいは宗教団体でも、運が弱くて、さらに運が悪かったら、どうしようもありません。

わたくしはその高僧から、運が強い、といきますよ

ありません。いや、たしかに運が強いと思う部分もありました。しかし、その強運を無に帰してしまうほどに、運が悪かったのです。

運の分類には強い・弱いのほかに、よい・悪いがあります。いちばんよいのは運がよくて、さらに強い人です。反対に最悪なのが、運が弱くて、運が悪い人です。その中間に、運は弱いけれども運のよい人と、運は強いけれども運の悪い人がいます。

わたくしは運が強くても、運が悪い人間でした。ですから若い時は、ずいぶんと苦労をしたわけです。運が強いものですから、他人がとれないような大きな仕事をとってきます。ところが運が悪いために、最後は必ず失敗してしまいました。最初はうまくいっても、運が悪く失敗してしまう。この繰り返しでした。

ところが正しい仏教を信仰しはじめてからは、失敗することがなくなってきたのです。運が強いだけではなくて、運がよくなってきました。わたくしは運命学によると大晩年運といって、晩年になればなるほど運が強大になるタイプですから、たしかにそのおかげもあったでしょう。しかし仏教の修行・信仰をしなかったならば、悪い因縁のために強い運を活かせず、不運な一生を送っていただろうと思います。

わたくしは因縁解説の修行によって悪い運がなくなり、よい運が身についたのです。その上、 運がさらに強くなってきました。あなた方も信仰し、修行するのならば、運の強い人を師匠にしなければいけません。運の強い宗教教団に入って修行しなければ意味がありません。

以前、某大企業が入社の際、合否を試験の成績だけで判断するのではなく、運のよい人間を入

社させようということで、口頭試眼の

仕せようということで、日常の時に、

「君はこれまでの人生を振り返って、運がよかったと思いますか? 悪かったと思いますか?」

と聞いたそうです。そこでうっかり、

「私はど運の悪い者はいないと思います」

と答えた人は、どれほど優秀な成績の者でも不採用にしたそうです。反対に、

「私は運がよいと思います」

「どうしてそう思いますか?」

「この会社を受験できるということだけでも、私は運がよいと思います。それに、おそらく私は

入社できるでしょう。今まで私は幸運続きですから」

というようなことをいうと、一発で、

「君、入りたまえ」

となったようです。

わたくしは『人間改造の原理と方法』(平河出版社)で、日露戦争時の連合艦隊司令長官・東郷平八郎のことを書いております(同書二〇―三頁)。

明治三十六年、当時の日本は、強国帝政ロシアと戦端をひらく寸前で、全国民をあげて緊張していた。ロシアは当時世界最大の陸軍国であったが、結局、勝敗の帰趣を決するものは制海権であろうと見られていた。要するに海軍のたたかいである。その海軍の全艦隊をひきいてたたかう連合艦隊司令長官にはいったいだれがなるのか? 軍関係者ばかりでなく、

社させようということで、口頭試問の時に、

「君はこれまでの人生を振り返って、運がよかったと思いますか? 悪かったと思いますか?」

と聞いたそうです。そこでうっかり、

「私ほど運の悪い者はいないと思います」

と答えた人は、どれほど優秀な成績の者でも不採用にしたそうです。反対に、

「私は運がよいと思います」

「どうしてそう思いますか?」

「この会社を受験できるということだけでも、私は運がよいと思います。それに、おそらく私は

入社できるでしょう。今まで私は幸運続きですから」

というようなことをいうと、一発で、

「君、入りたまえ」

となったようです。

わたくしは「人間改造の原理と方法』(平河出版社)で、日露戦争時の連合艦隊司令長官・東郷

平八郎のことを書いております(同書二〇―二二頁)。

明治三十六年、当時の日本は、強国帝政ロシアと戦端をひらく寸前で、全国民をあげて緊張していた。ロシアは当時世界最大の陸軍国であったが、結局、勝敗の帰趨を決するものは制海権であろうと見られていた。要するに海軍のたたかいである。その海軍の全艦隊をひきいてたたかう連合艦隊司令長官にはいったいだれがなるのか? 軍関係者ばかりでなく、

OAK

全国民最大の関心のまとであった。朝野をあげて息をひそめて見まもるなかで、時の海軍大臣山本權民衛は、舞鶴鎮守府司令長官東郷平八郎を任命した。異常ともいうべき構であった。当然任命されてしかるべき有能な先輩たちがなんにんかいた。日高壮之系、柴山矢八などという立派な海将たちがおり、ことに佐世保の鎮守府司令長官である柴山は、十人が十人、 おそらくこのひとが連合艦隊の指揮をとることになろうと見られていた。東郷もすぐれた海将ではあったが、序列を越えて抜催されるほど、このひとたちを凌駕するずばぬけた能力を持つとは思われていなかった。山本のエコヒイキであるとのつよい批難の声が一部であがった。しかし山本はいっさい意にかいさなかった。あるとき、知名のジャーナリストが、山本に質問した。

「あなたが東郷を抜擢したのは、かれのどういうところを買ったのですか?」

「なあに」

と山本はかるく答えた。

「あいつは若いときから運のいい男でな」

「運がいいのですか?」

「うん、あいつほど運のいいやつはめずらしい」

ふうむ、と質問したジャーナリストは絶句してしばらく権兵衛の顔をみつめた。

要するに、能力にそれほどひらきがなく、おなじようなものだったら、結局、「運」 のいい人間をとるべきじゃないかというわけである。戦争なんて、バクチ以外のなにものでもないのじゃないかと、

この意傑とよばれた海軍大臣は腹の中で考えていたのかも知れない。

結局、歴史はこの山本権兵衛の選択が当を得ていたことを示している。帝政ロシアが誇るバ

ルチック艦隊は、ウラジオストックへ向けて出港以来、不運の連続であったと海戦史はつた

える。もちろん、三十八隻という大艦隊が、一五〇○○○○○カイリの長距離を乗りきって、半年

ちかくの航海をつづけて攻撃をかけてくるのだから、さまざまな困難や障害が生ずるのは当

然であるが、とにかく、ささいなことにまで思いがけぬトラブルの連続であったという。

これにたいし、東郷は、好運の連続であったといっていい。

実際に山本権兵衛のいうとおりではありませんか。やはり大将は運がよくなければいけません。

不運の大将のもとで闘う部下は、悲惨の一語につきます。

作家の司馬遼太郎(一九二三―一九九六)が、『新史太閤記』(新潮社)で、同じようなことを書いておられます。これも「人間改造の原理と方法』に引用しております(同書一八一二〇頁)。

うか? なにをするにしても、人間、運が悪くてはどうにもならない。人生、運が第一ではなかろ

司馬遼太郎氏の『新史太閤記』に適切な表現がある。中国攻めの陣で、羽柴秀吉は、懼中,

よしたか高松城を水攻めにすることにした。黒田官兵衛孝高がこれを宰領した。高さ二〇メートル、

幅二〇メートルの堤防を、戦々四キロにわたって築き、平地にある高松城をかこんでしまおうというのである。この堤防が満々と水をたたえたとき、高松城は湖の中心となって完全に

水没するだろう。しかし、その水をどうするか? 城の近くに二つの川が流れている。この

川を合流させ、流れを変えて堤防の中にそそぎこもうというのである。

この大工事を、人を動かすこと天下無類の大名人である秀吉は、わずか十二日で完成させた。水は徐々に人造湖に流れこんでゆく。が、堤防に立って様子をながめていた官兵衛は、 これはいかんと思った。これはむりだと思ったのである。出来たての湖は、流れこむ水の相当量を大地に滲みこませてしまって、水をためるというところまではいかないのである。この分では、いつになったら城が水没するほどの水量になるのかおぼつかない。水没するところまでいかなければ、城かたは降参するはずがないのである。そのうち、広島の本城から、 毛利の援軍がかけつけるであろう。

(これはむりだ)

と官兵衛はひそかに思った。

『が、官兵衛の心憂は、杞憂におわった。

築堤竣工して七日後、それまで空梅雨かとおもわれた天が、にわかに変ったのである。豪

雨が降った。豪雨が、三日も降りつづいた。陰曆五月は梅雨の季節である。いかにその季節とはいえ、まるで天をくつがえしたようなこれほどの雨がふるというのはまれであろう。

水にではない。 河上も湖水も増水した。みるみるうちに人造湖のが嵩があがり、二日目に城の丘が水没し、 三日目には城校の一階はことごとく水面下になり、樹々も梅が水面上に顔を出しているというだけの光景になった。城兵たちは二階にのぼり、梢の上に板を渡し、質をかけてそこに起居した。かれらにとって敵よりも水とのたたかいであった。官兵衛は舌を捲いた。

羽柴筑前守という、自分が見込んだあの男の運のよさに対してであった。官兵衛はこの点

 

羽柴筑前守という、自分が見込んだあの男の運のよさに対してであった。官兵衛はこの点

で戦国人であった。才器力量があっても運のわるい男を数かぎりとなく官兵衛はみてきた。 力量門地がそろっていても天運の援助のない男を、官兵衛は巨漢とは思わない。小事をなすのは力量である。大事をなすのは天運である。と官兵衛はおもっていた。 (あの男には、大運がついていそうだ)

そう思ったが、しかし大運といってもこの時期、ほんの来月にやってくる本能寺ノ変という巨大な事態のころがりこみまでを、官兵衛は予想したわけではなかった。しかしながら、 (筑前はいい)

と、自分の見込みがはずれなかったことをひそかによろこんだ。もはやためらう必要はなかった。あの男を輔け、命を賭けてあの男のためにはたらき、あの男を押し立てることによってわが身の運をひらくべきであろう。』(司馬遼太郎『新史太閤記』後篇 新潮社刊) まさに運と力量(能力)について表現しあますところがない。

ただし、司馬氏は、秀吉の運のよさを買った官兵衛を、この点で戦国人であった」といっている。しかし、わたくしは、むしろ、官兵衛のこの着眼を、近代人的であったと表現したい。すくなくとも、官兵衛孝高のこの発想は(もちろんこれはどこまでも司馬官兵衛孝高のわけだが)戦国時代も現代も一貫して不変の人間学といわれるべきものではなかろうか。

運が悪かったらどうしようもないというのは、戦国時代にかぎりません。現代も同じです。むしろ今は、戦国時代以上の苛烈な時代だと思います。どれほど才能にあふれていようとも、どれ

くらいの能力があろうとも、運が悪かったら絶対にだめなのです。

また、人間というものは、だれもが社長になり、だれもが大将になれるわけではありません。

したがって黒田官兵衛のように、運のよい大将を選んで、あるいは現代ならば運のよい社長を選び、そこに身を寄せて、自分の能力・才能・運をできるだけ伸ばすようにすべきだ、とわたくしは思うのです。もちろん、ただ運が強いだけではしかたがありません。強い運を基礎にして、必死の努力を重ねていく。そうすると、必ず大きな成果を得られるわけです。

けれども運が悪かったのでは、死にものぐるいの努力をしても、努力が実ることは少ないわけです。むしろ努力すればするほど裏目に出て、逆に窮地に立たされることもままあります。企業でも、また宗教団体であっても、人は運の強いところに身を寄せて、自分の能力・才能・運を大いに伸ばす努力をすべきである、とわたくしはかねてからそのように思っています。

しかし、さきにお話ししたとおり、わたくしは最初から運がよかったのではありません。 ころのわたくしは非常に不運でした。それが今のように運がよくなったのは、いったいどうしてでしょうか?

みましょう。 その秘密が『三供養品』に説かれています。仏教の原点ともいえるこのお経をさっそく読んで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お釈迦さまの不思議な問い ―― 申恕林の木の葉 The Buddha’s Mysterious Question — Leaves of the Grove

お釈迦さまの不思議な問い ―― 申恕林の木の葉
The Buddha’s Mysterious Question — Leaves of the Grove

夜明けの霧が 林を包む
風に揺れる 無数の葉よ
掌の中の 小さな真理
苦を越える 道を照ら

王舎城から 続く赤土
静かな足音 竹林に消える
世尊は黙って 葉を拾われた
誰も知らない 問いを抱いて

 

「どちらが多い」と 仏は語る
掌の葉か 森の葉かと
弟子たちは皆 頭を垂れて
風の音だけ 深く響いた

 

無数の知識より 救いの道を
人の苦しみを 終わらせるため
四聖諦の灯が 闇を破って
一枚の葉が 世界を照らす

 

星の巡りも 神々の名も
争う言葉も 消えてゆくけど
生まれ老いて 別れに泣く
その苦しみは 今も変わらない

 

だけど仏は 静かに示す
苦には終わる 道があると
執着の炎 吹き消すように
智慧の風だけ 林を渡る

 

無数の知識より 救いの道を
人の苦しみを 終わらせるため
四聖諦の灯が 闇を破って
一枚の葉が 世界を照らす

 

朝日の中で 葉は舞い落ちる
静かな掌 空へ開かれ
小さな葉には 法が宿って

お釈迦さまの不思議な問い ―― 申恕林の木の葉

 

夜明け前のマガダ国には、薄い霧が流れていた。
乾いた大地を渡る風が、竹林を静かに鳴らしている。遠くでは牛車の軋む音が聞こえ、まだ眠りから覚めきらぬ村々の煙が、空へ細く昇っていた。
そのころ、仏さまは弟子たちと共に各地を歩き、人々に法を説いておられた。
王舎城とパータリプッタの中間――竹林聚落に建てられた福徳舎には、多くの比丘たちが滞在していた。そこは、マガダ国の王・ビンビサーラが、仏さまと僧団のために建てた静かな宿所だった。
その朝、仏さまは静かに立ち上がられた。
弟子たちは、その気配だけで世尊がどこかへ向かわれることを悟った。
仏さまは言われた。
「比丘たちよ。申恕林へ行こう」
誰も理由を尋ねなかった。
ただ衣を整え、鉢を持ち、黙って世尊の後に従った。
道は赤土で、朝露に濡れていた。鳥たちが枝の上で鳴き、林へ近づくにつれて、空気は深く静かになってゆく。
申恕林――そこには無数の木々が立ち並び、葉が朝日に光っていた。
仏さまは一本の大樹の下に座られた。
弟子たちもその周囲に静かに座る。
しばらく、誰も言葉を発しなかった。
風だけが吹いていた。
やがて仏さまは、足元の枝へ手を伸ばし、二、三枚の葉を摘み取られた。
その葉を掌に乗せ、弟子たちを見渡される。
そして、不思議な問いを口にされた。
「比丘たちよ。今、私の手の中にある葉と、この林全体の葉とでは、どちらが多いだろうか」
弟子たちは顔を見合わせた。
あまりにも明らかな問いだったからだ。
やがて一人の老比丘が合掌して答えた。
「世尊よ。世尊の手の中の葉は、ほんのわずかです。しかし、この林の葉は数えることすらできません。比べものにはなりません」
仏さまは静かにうなずかれた。
朝の光が、その横顔を淡く照らしている。
「まさにその通りである」
そして仏さまは、掌の葉を見つめながら語られた。
「比丘たちよ。私が悟りによって知ったことは、この林の葉のように無量にある。しかし、人々に説いていることは、この掌の葉ほどしかない」
弟子たちは息を呑んだ。
仏陀とは、一切を知る者。
その仏さまが、自ら「説いていないことの方がはるかに多い」と言われたのである。
林の風が揺れた。
葉擦れの音が、波のように広がっていく。
仏さまは続けられた。
「だが、私が説く法は、すべて解脱のために必要なものである。苦を離れ、智慧を得、涅槃へ至るために役立つものばかりなのだ」
「反対に、説かなかった多くの知識は、たとえ知ったとしても、苦しみを終わらせる助けにはならない」
その言葉は静かだった。
だが、弟子たちの胸には深く響いた。
世の中には、知識が無数にある。
星の運行。 世界の始まり。 神々の名前。 呪術。 議論。 哲学。 学問。
だが仏さまは、それらを誇ろうとはされなかった。
「人はなぜ苦しむのか」
「どうすれば苦から解放されるのか」
ただ、その一点だけを見つめておられたのである。
やがて仏さまは、比丘たちを見渡しながら言われた。
「ゆえに比丘たちよ。まだ四聖諦を完全に悟っていない者は、強い願いを起こし、怠ることなく修行しなさい」
林は静まり返っていた。
弟子たちは、その言葉の重さを感じていた。
四聖諦。
それは仏教の中心であり、お釈迦さまの悟りの骨格そのものだった。
苦があること。 苦には原因があること。 苦は滅すること。 そして、苦を滅する道があること。
それは単なる思想ではない。
存在そのものの法則だった。
仏さまは、人間の人生を眺めた時、そこに「苦」があることを見抜かれた。
生きること。 老いること。 病むこと。 愛する者と別れること。 求めても得られないこと。
人は、楽しい瞬間を持ちながらも、結局は不安と執着の中で生きている。
だからこそ、仏さまは人間存在を代表する言葉として、「苦」を置かれたのである。
しかし、それは決して絶望ではなかった。
苦には原因がある。
ならば、その原因を滅すれば、苦もまた滅する。
そこに仏教の希望があった。
林の中で、朝日がさらに強くなっていく。
黄金色の光が無数の葉を照らし、風が吹くたびに木々はざわめいた。
仏さまは、その無数の葉を見上げながら、静かに掌を開かれた。
数枚の葉が、風に乗って地面へ落ちた。
その小さな葉の中に、人を苦しみから救う道のすべてが込められていたのである。

お釈迦さまの不思議な問い

  1. お釈迦さまの不思議な問い

 

「雜阿含経・申恕林産』(以下、『申紀林経』)の講義をいたします。これは短いお経ですが、内容は非常に重要です。まずは経文を読んでみましょう。

如是我聞。一時仏在摩竭国人間遊行。

王舎城波羅利弗。是中間竹林聚落大王。於中作福徳舎。爾時世尊。与諸大衆。於中止宿。爾時世尊告諸比丘。 汝等当行共至申恕林。爾時世尊。与諸大衆。到申恕林。坐樹下。爾時世尊。手把樹葉。告諸比丘。此手中葉為多耶。大林樹葉為多。

髪の気く戦れ聞きぬ。一時、似、摩場国の人間に在して遊行したまえり。王舎城と波羅利弗の、是の中間の竹林聚落に、太田、中に於て福徳舎を作れり。爾の時世尊、 『諸の太熟と中にがて止宿したまえり。雨の時世尊、諸のビ丘に告げたまわく「※」等当に行きて共に申怒械にいた至るべし」と。雨の時世尊、諸の大衆と申恕林に到り、 樹の下に坐したまえり。雨の時世尊、手に樹の葉を把りて、諸の比丘に告げたまわく「此の手中の葉多しと為す耶、大林の樹葉多しと為すや」と

現代語訳

解説

このように私は聞きました。ある時、仏さまはマガダ国の村々で布教伝道しておられました。

このマガダ国のラージャガハとパータリプッタの中間にある竹林精舎の中には、ビムビサーラ王が建立した福徳舎があり、仏さまはマガダ国で布教している間は、多くの弟子たちと共にここに滞在されておられました。その時、世尊はもろもろの弟子たちに、

「私はこれから申怨林に行くから、おまえたちもついてきなさい」

とおっしゃいました。そして、仏さまは弟子たちと共に申恕林へ向かわれました。

申恕林に到着すると仏さまは大きな木の下に座られ、木の葉を二、三枚ちぎると、それを弟子

たちに見せながら、

「今、私の手の中にある木の葉の方が多いでしょうか? それとも、この林中の木に生えている葉の方が多いでしょうか?」

とお尋ねになりました。

難しい語句がいくつかありますから、その説明から始めましょう。

摩国とはマガダ国のことです。マガダ国というのは、お釈迦さまがいらっしゃった当時のインドの十六大国の一つで、現在のビハール州のガンジス河南部付近にあったとされており

次に、「人間道行」というのは、人々の間を遊行、つまり布教伝道するということです。なぜわざわざこのようにいうのかと申しますと、お釈迦さまたちは雨季の二カ月間と雨季が終わった後の一カ月間の計三カ月間は、洞窟などで安居されていたからです。インドは雨季になると豪雨が続きますから、この間は外に出て布教することはできません。日本の梅雨のような雨ならばまだよいのですが、インドの雨季の雨は本当に凄い土砂降りで、ふだんは小さな川でも水かさが増して大洪水を起こします。外に出て布教をして歩くことなど、とてもできません。

ですから雨季の間は、比丘たちは一カ所に集まって安居し、乾季の間の修行の懺悔や反省、そ

してこれからどのように布教・修行していくかを勉強しました。

また、雨季が終わった後も、だいたい一カ月間は安居したようです。雨季が明けた直後は、草木がどんどん新芽を出し、虫や小動物がたくさん発生します。もし比丘たちがそこを歩き回ると、 当然のことながら虫たちを踏み殺してしまい、不殺生戒を破ることになります。そこで、この雨季後の約一カ月間も、比丘たちは洞窟などで安居したのです。要するに、合計三カ月間は安居したわけです。そして、残りの九ヵ月間は布教して歩いていました。

王舎城はマガダ国の首都で、パーリ語ではラージャガハと呼びます。現在のラジギールです。 このラージャガハとパータリブッタというところの中間に竹林聚落がありました。竹林聚落とは別名を竹林精舎といい、パーリ語ではヴェールヴァナ・カランダカニヴァーパと呼びます。これはコーサラ国の祇園精舎と並ぶ仏教の聖地で、ギッジャクータ(霊鷲山)の麓にあります。

経中にある大王とは、マガダ国のビムビサーラ(観察沙羅)王のことを指します。この王はお釈迦さまに深く帰依しており、仏典にもしばしば登場します。このビムビサーラ王は竹林聚落の

中に福徳舎という、宿泊施設の整った公民館のようなものを造っておられました。お釈迦さまと弟子たちは、マガダ国で布教している間、ここに滞在されていたわけです。 このお経は、大変興味深い内容です。

お釈迦さまほどのお方が突然に、自分の手の中にある木の葉と林の木々に生えている葉とどちらが多いか、と訊かれたわけですから、比丘たちはびっくりしたことでしょう。みな、お釈迦さまはなにをおっしゃっているのだろうか?と考えたと思います。

暑い中をテクテク歩いて涼しい林にきたわけですから、居眠りを始めた者もいたかもしれません。ところが、お釈迦さまが急に木の葉を手にとって、この手の中にある葉と林中の木に生えている葉とどちらが多いかという、分かりきったことをおっしゃったのですから、居眠りをしていた連中も目を皿のようにして、お釈迦さまを注目したことでしょう。

さて、そのお釈迦さまの不思議な質問に対して、弟子たちはどのように答えたのでしょうか?

成仏に役立つ教え

比丘白仏。世尊。手中樹葉甚少。彼大林中樹葉無量。百千億万倍。乃至

大林の中に樹葉は無量百千万側にして、乃至菓飲響比丘仏に白さく「世尊よ、手中の樹葉は割だ少く、彼の

釈迦さまに深く帰依しており、仏典にもしばしば音場します ニ

中に福徳舎という、宿泊施設の整った公民館のようなものを造っておられました。お釈迦さまと弟子たちは、マガダ国で布教している間、ここに滞在されていたわけです。

このお経は、大変興味深い内容です。

お釈迦さまほどのお方が突然に、自分の手の中にある木の葉と林の木々に生えている葉とどちらが多いか、と訊かれたわけですから、比丘たちはびっくりしたことでしょう。みな、お釈迦さまはなにをおっしゃっているのだろうか? と考えたと思います。

暑い中をテクテク歩いて涼しい林にきたわけですから、居眠りを始めた者もいたかもしれません。ところが、お釈迦さまが急に木の葉を手にとって、この手の中にある葉と林中の木に生えていろ葉とどちらが多いかという、分かりきったことをおっしゃったのですから、居眠りをしていた連中も目を皿のようにして、お釈迦さまを注目したことでしょう。

さて、そのお釈迦さまの不思議な質問に対して、弟子たちはどのように答えたのでしょうか?

成仏に役立つ教え

比丘白仏。世尊。手中樹菜甚少。彼大林中樹葉無量。百千億万倍。乃至

比丘仏に白さく「世尊よ、手中の樹葉は割だ少く、彼の大林の中に樹葉は無量で、ぜ万側にして、乃至算数響

奉行

算数響類不可為比。如是諸比丘。我

成等正覺。自所見法。為人定説者。

如手中樹葉。所以者何。彼法義饒益。

法饒益。梵行饒益。明慧正覚。向於

涅槃。如大林樹葉。如我成等正觉。

自知正法。所不說者。亦復如是。所

以者何。彼法非義饒益。非法饒益。

非梵行饒益。明慧正覚。正向涅槃故。

是故。諸比丘。於四聖諦。未無間等

者。当勤方便起增上欲。学無間等。

仏説此経已。諸比丘聞仏所説。歓喜

現代語訳

比丘たちは仏さまに、

一二六

麗もてピを為す可からず」と。「是の如く諸の比丘よ、 我れ等正覚を成じて自ら見し所の法をば人の器に宣するに手中の樹葉の如し。所以は何ん。彼の法は義もて益し、法もて饒益し、燃行もて饒益し、明感もて正

ぜして、理製に向えばなり。大林の樹葉の如くなる、我とう

が等正覚を成じて自ら正法を知りて説かざる所の如きは、ボ復是の如し。所以は何ん。彼の法は義もて饒益するに恥ず、法もて饒益するに非ず、梵行もて饒益し、明慧もて正覚して、正しく涅槃に向うに非ざるが故なり。

是の故に、諸の比丘よ、四聖諦に於て、未だ無間等ならずんば、当に眺め方便して増上欲を起こして無間等を学ぶべし」と。仏此の経を説きじりたまいしに、諸のそうじようよく比丘、仏の説かせたまう所を聞きて、歓喜し奉行しき。

 

比丘たちは仏さまに。

「世尊よ、世尊の手の中の木の葉は非常に少ないですが、この大きな林の中の木の葉は一つ、二つと数えられるような数量ではありません。おそらく、手の中の葉の無量百千億万倍はあるでしょうから、比べものにさえならないと思います」

と申し上げました。すると、仏さまは、

「まさにそのとおりです。そのことは、私の説法にもいえるのです。私は等正覚を得て仏陀になり、この大きな林中の木の葉のようなさまざまな知識や智慧を得ました。しかし、私が人に説いているのは、その無数の知識や智慧の中のごく一部なのです。たとえるならば、この手の中の木の葉くらいのものです。しかし、それらはどれも法の意義を以て利益を与え、法を以て利益を与え、梵行を以て利益を与え、明らかな智慧を以て、正しい悟りを得ることができ、完全解脱(涅槃)に至ることができるものばかりなのです。

このほかにも、私はたくさんの知識を修行によって得ています。それは、おまえたちに説いているものとは比べものにならないほど多量にありますが、あえて説いていません。なぜならば、 これらの法の意義を以て利益を与えられるものでもなく、法を以て利益を与えられるものでもなく、梵行を以て利益を与えられるものでもなく、明らかな智慧を以て正しい悟りを得ることも、 また完全解脱に至ることもできないからです。

そのようなわけですから、おまえたちの中で四聖諦の悟りを体得していない者は、一生懸命に精進して、増上欲を起こして学び、実践して、正しい悟りが早く得られるように心がけなさい」 とおっしゃいました。仏さまのこの教えを聞き、弟子たちは大いに喜びました。

 

解説

ここにも難しい言葉がいくつか出てきます。

映益という言葉が何度も出てきますが、これは大いに役立つという意味です。明慧正覚とは、 明らかな智慧と正しい悟りのことです。無間等とは正しい智慧のことで、増上欲とは強い求道心をいいます。非常に傲慢な人を増上慢と呼びますから、増上欲と聞くとなにか悪いことのように思われるかもしれませんが、これは自分をよい方向に引き上げ高めようとする、よい欲なのです。 この増上欲を仏道修行者は必ず持たなければいけません。

お釈迦さまはここで弟子たちに対して、自分の説く法は自分の持っている知識や智慧のごく一帯だが、それらは涅槃を得るのに役立つことばかりであり、説いていない残りの多くの知識は、 涅槃を得るためには役立たないものばかりなのだ、とおっしゃったわけです。

わたくしはこれを読んだ時に、お釈迦さまがおっしゃっていることとは別の意味で、なるほどなとつくづく思いました。

それはこういうことです。毎月いくらかの人が仏縁を頂戴して、阿含宗に入信いたします。しかし、せっかく入信して修行を始めても、途中で脱落していく人が多少なりともあるわけです。 阿含宗をやめる理由を見ていくと、だいたい二つのタイプに分けられます。一つは、わたくし

るのだが、 の説くことをよく理解していない人たちです。もう一つは、わたくしの説くことを理解はしてい

「管長の説くことはこのくらいのものだ。この程度ならば、自分はみな理解してしまった」

と考える人たちです。

と考える人たちです。

この二つのタイプのうちで、わたくしは特に後者を気の毒に思います。たとえば、わたくしはいくつかの著書で、高度の瞑想法や特殊な密教の法を紹介しておりますが、それを読んで、

「自分もこの法を学びたい。超能力を持ちたい」

と考えて、阿含宗の門を叩く人が少なからずいます。

しかし、わたくしがそれらの人々を霊視してみると悪因縁だらけであり、霊障のホトケが何体もいるわけです。これでは高度の密法や瞑想法は、とても伝授するわけにはいきません。たとえ伝授をしても、悪因縁や霊障のホトケが障害となって身につけることができませんし、もしも百歩譲って身につけることができたとしても、正しく使うことはできません。ともすると、それが原因で不幸になってしまうことさえあります。

となるわけです。

そのようなわけで、まず因縁解脱の行をさせて解脱供養を勧めるのですが、辛抱できずにやめてしまって、

「桐山靖雄は、すばらしい法があると本に書くだけで、実際には伝授してくれない。きっと本当は自分も知らないのだ」

などといいふらす人がいます。ところがしばらくしてから、その法の伝授を始めると、

「ああ、やっぱり続けていればよかった」

たしかに、わたくしはお釈迦さまの足もとにもおよばない存在です。しかし、お釈迦さまがおっしゃるのと同じで、わたくしが今説いていることや本に書いたことは、わたくしが持っている

もののすべてではありません。わたくしは現在説いていることの、何十倍もの知識や法を得ています。その中から、今はこれを教えるのがよいだろう、と考えて指導しているわけです。その背後には何十、何百倍というものを持っています。はたして一生のうちに、これらのすべてを教えされるだろうか、とさえ考えてしまうほどの量です。

だいたい、知識を詰め込んで教えるだけでは仕方がありません。役に立つものを必要な時に教え、さらにそれらを身につけることができるように指導をする。これが、師匠としていちばん大切なことです。そうでなければ師匠とはいえません。

そのような理由で、わたくしは「申思林経」を読んだ時に、お釈迦さまがおっしゃったのとは違う意味で、なるほどなと思ったわけです。

四諦の法門

さて、お釈迦さまは自分が説くものはわずかなものではあるが、どれもこれも解脱に役立つものばかりなのだから、絶対にこれは吸収しなければいけないぞとおっしゃってから、「諸の比丘よ、四聖諦に於て、未だ無間等ならずんば、当に勤め方便して増上欲を起こして無間等を学ぶべし」と説かれております。

悟りをまだ十分に体得していない者は、四聖を一生命に修行し、勉強してこれを

す。 完全に身に備えなさいという意味ですが、ここがこのお経の最も重要な部分です。この『申恕林経」は、四聖諦は仏の教えの中で最高のものである、とお釈迦さまがお説きになったお経なので

四聖諦は四語、あるいは四諦の法門とも呼びますが、お釈迦さまの悟りの教学的な部分の根底をなすものです。このことについては『阿含密教いま』(平河出版社)で詳しく書いておりますので見てみましょう。

この縁起の法からみちびかれて出てきたのが、有名な四つの図式です。

これあるによりてこれあり

これ生ずればこれ生ずこれなきによりてこれなくこれ滅すればこれ滅す

この四つの図式を、人間(の苦)にあてはめたのが「四諦」です。四諦が最初にあったのではなく、最初にあったのは、殺起の法のこの四つの図式です。いうならば、「存在の構造に関する四つの図式」といってもよいでしょう。苦があるとか、なにがあるとかいうのではなく、ものの存在に関する構造を四つにあらわしたものです。なにがある、かにがあると、 限定したものはなにも出していないのです。原理なのです。この原理を人間に即し、人間に

あてはめて説かれたとき、人間における最大のテーマ、「苦」を主題にして述べられたので

す。それが「四歸」です。そう解釈しなければいけません。

この四蹄がどう説かれたかというと、アーガマの一つの経によれば(相応部経典五六・三一

「申思、漢訳の同本雑阿含経一五・四五「申恕林」)つぎのようなものです。

一、こは苦なり

(Idam dukkhan)

二、こは苦の生起なり

(Ayam dukkhasamudaya)

三、こは苦の滅尽なり

(Ayam dukkhanirodha)

四、こは苦の滅尽にいたる道なり

(Ayam dukkhanirodhagamini pațipadā)

これが時により、別の経ではつぎのように説かれたと記されています。

比丘たちよ、苦の聖諦とはこれである。

比丘たちよ、苦の生起の聖諦とはこれである。

比丘たちよ、苦の滅尽の聖諦とはこれである。

出正たちよ、苦の生態の意識とはこれで見る出臣たちよ、哲の満足その空とはこれである。

比丘たちよ、苦の足にいたる道の聖とはこれである。

これを、訳者たちが、陽的に、

とし、さらに簡潔に、

と、してしまったのです。これが四時です。

これはわたくしが、「阿含経は苦を実在と見るから低い教えである」という大乗仏教の意見に対する反論という形で着いた文章です。大乗仏教の人たちは、「阿含経」で尊ぶ四時の最初に苦があることから、「会話」は男を実在と見る低い小東の教えだといいました。しかし、これは明らかに間違いです。

良いておりますが、さまは最初の法では「苦」ということと」

 

っていません。引用部分にあるように、四語はものの存在の原理である縁起の法を、人間にあてはめて頂いたものなのです。ものの存在の構造を原理的に説いているわけです。

一三四

これあるによりてこれあり

これ生ずればこれ生ず

これなきによりてこれなく

これ読すればこれ滅す

実に簡単明瞭な教えです。この縁起の法を人間において考えたとき、「これあるによりて」の 「これ」という言葉に「苦」をあてはめざるをえません。なぜかといえば、人間存在は「苦」によって代表されるからです。たしかに人間には、楽しいこともたまにはありますが、苦しいことの方が多いものです。小説家の林芙美子さんが好んだ言葉に、

「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」

という名句を記しております。もちろん花の中には、牡丹・与薬のようにたいへんきれいな花もあれば、道端に咲く小さな花もあります。しかし、どのような花でも苦しいことに耐えて生きています。人間も同じで、なにかしらの苦に耐えて生きているのです。人間も花を咲かせるために、苦に耐えています。ですからお釈迦さまは、あるいはお釈迦さまの直弟子たちは、「苦」

というものが人間の存在を表わす代表的なものだ、とお考えになられたのです。

 

 

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