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ヒトを天才にする求聞持聡明法

ヒトを天才にする求聞持聡明法

求向持整可法は、とトを聡明にし、天才にするという真言密教に伝わる秘法である。 悲法大師空海が、若くしてこれを修し、大天才となったということで、風に知られかくはんている。また、新義真言宗の開祖、興教大師覚賃(一○九五―一一四三)が、七度、 この法を修して成功せず、八度目に悉地を成し、成功したと伝えられる。覚毀上人ののこされた業績をみれば、上人もまた天才であったことは疑いない。ただ残念なことつと

に、四十八歳で亡くなられている。

虚空蔵求聞持

真言密教の求聞持聡明法には、三種の法がある。

観音求聞持

如意輪求聞持

であるが、ふつう、求聞持法といえば、空海が修して有名な虚空蔵求聞持をさす。 この法を、具には「仏説虚空蔵菩薩能满諸願最勝心陀羅尼求聞持法」という。

駄都如意求聞持聡明法

と名づけた。

この駄都如意求聞持聡明法は、真言密教につたわる求聞持法とはまったくちがうも

のである。

とくらよう。 二つの特徴がある。

それは、

一、クンダリニー・ヨーガのチャクラを覚醒して、超人的エネルギーを発生させる。

とうきよどうきこう二、その超人的エネルギーを、中国・道教につたわる導引・気功の持つ生気ルートにのせて、体の各要所、要部にめぐらせ、行きわたらせる。殊に、大脳の中

枢である間脳・視床下部に送りこむ。

 

 

もちろん、後世おそるべし」という諺の通り、今後、これ以上の超能力開発法も出るから知れないが、しかし、それも、クンダリニー・ヨーガと導引・気功を融合させたこの駄都如意求聞持聡明法のライン以外のものではないであろうと確信している。

求聞持聡明法は、たしかにヒトを天才にする。

しかし、いくら天才になっても、そのために、病弱になったり、若死にしたりしたのでは、なんにもならない。

天才は、いつまでも若々しく、健康で、世のため、人のため、その才能を発揮するものでなくてはならない。(寝たっきりの天才など、まっぴらである)

 

駄都如意求聞持聡明法は、特に不老長寿を目ざすものではなかったのだが、結果はそうなってしまったのである。

期せずして、仙道の理想が実現されることになったのだ。

神仙に化することだけはちょっとむずかしいが、不老長寿はかならず達成される。

わたくしは断言してよい。仙道の秘法がとり入れられているこの駄都如意求聞持聡明法は、二十歳代の人ならば、三歳から五歳、中年以上の人ならば、十歳から十五歳、

若返ることができるであろう。

求聞持聡明法があたえる不思議な知慧

さいごに、駄都如意求聞持聡明法という、名称の由来をのべておこう。

る。 かいしようい真言密教の胎藏界マンダラ第三重南面に、除盖障院というマンダラがえがかれてい

 

除資障というのは、人間と人間社会におけるすべての蓋障(文字の通り、蓋のように覆っている障害)をとりのぞくという意味で、その蓋障をとり除く仏たちがまつられているのが、除盖障院である。

ふしぎえこの院の主尊、すなわち中心の仏を、「不思議慧菩薩」という。

のか。 まにほうじゅそのおすがたは、左手に蓮華を持ち、蓮華上に摩尼宝珠(如意宝珠)を置き、右の手は施無畏の印を組んで、胸の前に上げている。このおすがたはなにを表現している

仏のさずける不思議な智慧を象徴しているのである。

である。 わざわい施無畏というのは、一切の災禍をとり除いて、いかなる不安もない平穏無事の世界を実現するということで、それを実現するのが、不思議な仏の智慧である、というの

不思議、というのは、人間の思慮ではおしはかることのできない次元のことをいい、 不思議慧菩薩は、その不思議な智慧を象徴した仏である。

では、その不思議な仏の智慧はどこから来るのか?

それは、左の手の蓮華の上に奉安された、摩尼宝珠から来るのである。

求聞持聡明法のあたえる智慧は、この不思議な仏の智慧なのである。この仏の智慧

の不思議なはたらきによって、この地上の一切の災禍 ――を滅除して、無異なる平和世界を実現するのである。 核・戦争・環境破壊・貧困

駄都知章求聞持聪明法の奥儀の修行に入ると、この摩尼宝珠が、特殊な観法の中心となる。これなくしてこの法の成就はない。(如意宝珠法に関係があるのである)

じんしゃ摩尼宝珠というのは、仏陀シャカの御聖骨、真身舍利のことで、真身舍利を、「駄都」 だと

という。

これを以て、駄都如意求聞持聡明法と名づけたのである。

 

 

求聞持 ― 天才を生む珠の物語

 

夜明け前、山の庵はまだ闇に沈んでいた。
若い修行者・蓮真(れんしん)は、灯明の前に端坐し、ただ呼吸の音だけを聞いていた。
学べども覚えられず、考えども言葉にならぬ。
知は積もるのに、智慧にならない。
その壁の前で、人は自らを凡庸と呼ぶ。
だが、師は静かに言った。
「知が足りぬのではない。
覆われているのだ」
蓮真は顔を上げた。
「人の心と世には、蓋がある。
恐れ、疑い、執着、疲弊。
それらが智慧を覆っている」
その夜、師は古い名を口にした。
求聞持聡明法。
聞いたことを忘れず、
観たものを曇らせず、
思考を越えて、智慧が自ら働きだす法。
虚空蔵の座
修行は、言葉よりも静かだった。
山の洞で、蓮真はただ真言を繰り返す。
呼吸は深まり、脊柱の奥に、かすかな熱が灯る。
それは力ではなかった。
意思でもなかった。
ただ、目覚めだった。
熱は昇り、胸を抜け、喉を越え、
やがて頭蓋の中心――
思考の奥、名づけられぬ場所へと注がれていく。
そのとき、虚空が開いた。
無限の夜空に、ひとりの菩薩が坐していた。
童子の姿、だが老いも若さも超えた眼。
虚空蔵菩薩。
その胸には、数えきれぬ記憶が眠っている。
人の祈り、失われた言葉、
まだ生まれていない智慧。
「求めるな」
声は、直接、心に届いた。
「思い出せ」
除盖障院
夢か、覚醒か。
蓮真は曼荼羅の中に立っていた。
そこは除盖障院。
人と世界を覆う、すべての蓋を取り除く場。
その中心に坐すのは、
不思議慧菩薩。
左手には蓮華。
蓮華の上には、ひとつの珠――
摩尼宝珠。
右手は施無畏の印。
恐れを終わらせるかたち。
「智慧とは、考え抜いた末に得るものではない」
菩薩は語った。
「覆いが外れたとき、
すでに在ったものが、働きだす」
その瞬間、蓮真は悟った。
天才とは、特別な人間ではない。
智慧が、遮られていない人間のことなのだ。
駄都 ― 珠の正体
修行が深まるにつれ、
摩尼宝珠は単なる象徴ではなくなった。
それは、光であり、
震えであり、
身体そのものだった。
師は言った。
「その珠は、駄都。
仏陀の真身舎利――
生命そのものの凝縮だ」
生命が、生命を照らす。
だからこそ、この法は人を壊さない。
智慧は、身体を衰えさせず、
むしろ若返らせる。
老いは、智慧の不足ではなく、
生命循環の滞りなのだ。
天才とは何か
やがて、蓮真は山を下りた。
記憶は澄み、
言葉は自然に湧き、
人の苦しみが、理屈ではなく感覚として分かる。
だが、彼は奇跡を誇らなかった。
「寝たきりの天才など、意味はない」
師の言葉が、今も胸にある。
智慧は、
世のため、人のために働いてこそ、
真に智慧となる。
核も、戦争も、環境破壊も、
すべては人の心にかかった蓋から始まる。
それを外すのが、
不思議慧のはたらきなのだ。
夜明け。
庵の前で、風が静かに木々を揺らす。
蓮真は微笑み、歩き出した。
天才になるためではない。
ただ、覆われていない心で生きるために。
虚空は、今日もすべてを記憶している。

 

 

 

 

空海 ― 最初の求聞持の夜

 

 

夜は、まだ海の名を知らなかった。
土佐の山奥。
洞の口から見える空は、墨を流したように暗く、星は息をひそめている。
潮の匂いが、遠くからかすかに届いていた。
青年は、岩の上に坐していた。
名は、まだ空海ではない。
学びは尽きなかった。
経を読み、論を写し、言葉は山のように積み上げた。
だが――
知は増えても、道は見えなかった。
「なぜだ」
問いは声にならず、胸の内で反響する。
仏は説いた。
法は示された。
それでも、決定的な何かが欠けている。
その夜、彼は古い一文を思い出していた。
求聞持。
聞いた法を失わず、
観た真理を曇らせず、
智慧が自ら動き出す境地。
――だが、それは紙の上の言葉だった。
洞に満ちる闇
灯明は置かなかった。
光は、外にあると思っていたからだ。
真言を唱える。
声は低く、呼吸に溶けていく。
何度目かも分からない反復ののち、
思考は、ふと、ほどけた。
焦りも、期待も、
「成就したい」という願いさえも、
闇に沈んでいく。
そのときだった。
背の奥――
脊の底に、かすかな熱が生まれた。
それは修行の成果でも、努力の報酬でもない。
ただ、目覚めだった。
熱は昇る。
ゆっくりと、抗うことなく。
胸を通り、喉を抜け、
額の奥――
言葉の届かぬ場所へと注がれていく。
青年の身体が、器になる。
虚空が坐す
闇が、闇でなくなった。
無限の広がりが、洞の中に現れる。
そこには星も、地も、時間もない。
ただ、虚空。
その中心に、ひとりの菩薩が坐していた。
童子の姿。
だが、その眼は、すべてを見通している。
虚空蔵菩薩。
青年は、名を呼ぼうとしてやめた。
名を呼ぶ前に、すでに呼ばれていたからだ。
「求めるな」
声は音ではなかった。
直接、心に触れる。
「覚えようとするな」
青年の胸に、これまで学んだ経がよぎる。
だが、それらは文字としてではなく、
意味として、同時に立ち上がる。
忘れていたのではない。
遮られていただけだった。
摩尼宝珠
虚空蔵の胸が、かすかに光る。
一輪の蓮華。
その上に、ひとつの珠。
摩尼宝珠。
願いを叶える宝ではない。
智慧を与える道具でもない。
それは、生命そのものの凝縮だった。
珠が光ると、青年の身体も応えた。
呼吸、血、鼓動――
すべてが、ひとつのリズムに整う。
「智慧は、思考の先にない」
虚空蔵は告げる。
「身体が整い、
心が澄み、
世界が遮られなくなったとき、
智慧は自然に働く」
その瞬間、青年は悟った。
天才とは、
多くを持つ者ではない。
覆われていない者なのだ。
夜明け
気づけば、洞の外が白み始めていた。
鳥が、ひと声だけ鳴く。
青年は、まだ岩の上に坐している。
何かを得た感覚はない。
だが、何も失われていない確信があった。
経は、もう忘れないだろう。
言葉は、必要なときに自然に湧くだろう。
それよりも――
この身が、
法を生きる器になった。
彼は、ゆっくりと立ち上がった。
この夜が、後に「最初の求聞持」と呼ばれることを、
彼はまだ知らない。
ただ、空を見上げ、静かにつぶやいた。
「虚空よ」
その名は、
やがて彼自身の名となる。

 

百日目 ―― 求聞持が身体を変え始める

百日目の朝は、特別な色をしていなかった。
山はいつもと同じ影を落とし、
洞の前の草は夜露を抱いたまま揺れている。
鳥は鳴き、風は通り過ぎ、
世界は、何事もなかったかのように在った。
ただ、彼の身体だけが違っていた。
空海は、岩の上に坐し、
呼吸がすでに真言になっていることに気づく。
唱えようとしなくても、
息が自然に言葉を含む。
胸に力はない。
額に熱もない。
それなのに、身体の奥に、澄んだ流れがある。
身体が先に悟る
百日のあいだ、彼は数えなかった。
一日目も、十日目も、
何かが起きたという手応えはなかった。
それでも、確実に変わったことがある。
疲れない。
いや、正確には――
疲れが、溜まらない。
思考が長く続いても、
身体がそれを拒まない。
かつては、学びのあとに訪れていた鈍さが、
今は、澄んだ静けさに変わっている。
空海は悟る。
――これは、心が身体に従ったのではない。
――身体が、先に道を知ったのだ。
覆いが外れる感覚
洞の奥で、目を閉じる。
すると、思考が立ち上がる前に、
答えが、すでにそこにある。
探さない。
組み立てない。
ただ、現れる。
それは啓示でも、神通でもない。
遮りが消えただけだった。
虚空蔵の言葉が、いま、実感として蘇る。
「覚えようとするな」
覚える必要がない。
智慧は、もともと失われていなかったからだ。
摩尼宝珠の位置
百日目の夜、彼は一つの変化に気づく。
胸の奥、心臓の少し上。
そこに、静かな中心がある。
熱ではない。
光でもない。
だが、確かに、そこから
身体全体へ、何かが行き渡っている。
それは、
曼荼羅で見た摩尼宝珠の位置と、同じだった。
空海は、はじめて理解する。
――珠は、外にあったのではない。
――身体が、珠を思い出したのだ。
若さという現象
百日を越えたころ、
肌は荒れず、目は澄み、
眠りは深い。
老いが引いた、という感覚すらない。
ただ、滞りが消えた。
生命は、本来こう流れるのだと、
身体が教えてくる。
天才になる兆しはない。
だが、衰えない確信がある。
この身は、長く道を歩ける。
そのことが、何より尊い。
百日目の静かな確信
夜明け前、洞の外で、
空が薄く色づく。
空海は立ち、
世界を見渡す。
知を得るために修したのではない。
力を得るためでもない。
ただ、覆いを外すためだった。
求聞持とは、
人を超人にする法ではない。
人を、本来の人に戻す法なのだ。
百日目。
奇跡は起きなかった。
だが、
この日を境に、
彼はもう、戻れない。
身体が、
法とともに歩き始めたからだ。
次は、
「百八十日目――言葉が外界を変え始める」
あるいは
「唐へ渡る前夜、師なきまま決断する夜」
どちらへ進めますか。

唐へ渡る前夜 ―― 師なきまま決断する夜

港は、夜の底に沈んでいた。
潮は満ち、船影は黒く揺れ、
綱が軋む音だけが、規則正しく耳に残る。
灯は少なく、顔は見えない。
この場にいる誰もが、言葉を慎んでいた。
空海は、桟橋の端に立っていた。
弟子ではない。
僧でもない。
まだ、名もない。
師は、いなかった。
経を授けてくれる者も、
保証してくれる肩書きも、
この身を導く背中もない。
ただ、
身体だけが知っている道があった。
留まる理由、渡る理由
日本に留まる理由は、いくつもあった。
危険。
貧しさ。
無名。
海は、幾人もの命を飲み込んできた。
唐に着ける保証はない。
着けたとして、学べる保証もない。
理は、すべて「行くな」と告げている。
だが、
身体は、一歩も引かなかった。
空海は、胸の奥にある静かな中心――
摩尼宝珠の位置に、意識を置く。
そこから、ひとつの感覚が立ち上がる。
「ここではない」
声ではない。
思考でもない。
ただ、
場所の違和感だった。
師とは何か
かつて、彼は思っていた。
師がいなければ、道は誤る。
伝承がなければ、法は歪む。
だが、百日の求聞持は、
その前提を静かに崩した。
法は、
書物の中にも、
人の中にも、
身体の中にもある。
師とは、
外にいる者ではなく、
覆いを外す働きそのものなのだ。
唐には、
その働きを完全に受け取った者たちがいる。
それを、
この身が、知っている。
海を前にして
波が、桟橋を打つ。
闇の向こうに、
まだ見ぬ大陸がある。
空海は、恐れを探した。
――死ぬかもしれない。
――すべてを失うかもしれない。
だが、恐れは、
中心に届かなかった。
施無畏。
除盖障院の主尊、
不思議慧菩薩の印。
恐れが消えるのではない。
恐れが、判断の座に座れなくなる。
それだけだ。
決断
船に乗る、という決断はなかった。
すでに乗っている感覚だけがあった。
空海は、静かに船縁に足をかける。
誰にも見られず、
誰にも祝われず、
誰にも止められず。
ただ、海と、身体と、
虚空だけが知っている夜。
「虚空よ」
彼は、小さく呟く。
答えは返らない。
だが、
世界の手触りが、変わる。
夜明け前
遠くで、船頭が合図を送る。
綱が外され、
船は、わずかに岸を離れる。
その瞬間、
空海は振り返らなかった。
ここに師はいない。
だが、
道は、すでに師だった。
夜が、静かに明け始める。
この渡航が、
密教を日本にもたらすことを、
彼はまだ知らない。
ただ、確信している。
――行かねばならないのではない。
――すでに、行っているのだ。
船は、闇の海へと進む。
虚空は、すべてを包んでいた。

 

嵐の中 ―― 海上で虚空蔵が再び現れる夜

 

海は、突然、顔を変えた。
それまで穏やかだった水面が、
まるで別の生き物のようにうねり始める。
風が吠え、帆が裂ける音が夜を切った。
船は小さい。
人は、あまりにも軽い。
祈りの声が上がる。
名を呼び、仏を呼び、
生きたいという願いが、叫びになる。
空海は、甲板の端に坐していた。
身体は濡れ、
衣は重く、
波が何度も打ちつける。
それでも、
中心は揺れていなかった。
死の近さ
一瞬の判断の遅れで、
人は海に消える。
空海は、それを知っていた。
恐れも、十分にあった。
だが、恐れは、
心の表層を通り過ぎるだけで、
胸の奥には触れない。
そこには、
百日の求聞持で生まれた
静かな空間があった。
嵐は、外にある。
死も、外にある。
だが、
法は、内に在る。
虚空が裂ける
雷が落ちた。
夜空が、一瞬、白く裂ける。
その刹那、
空海の意識は、甲板を離れた。
落ちるのではない。
引き上げられるのでもない。
ただ、
虚空が、こちらに現れた。
海も、船も、嵐も、
すべてが遠のき、
無限の広がりが立ち上がる。
その中心に、
再び、童子の菩薩が坐していた。
虚空蔵。
問いはない
空海は、何も問わなかった。
救いも、
奇跡も、
生存の保証も、
求めなかった。
ただ、坐す。
すると、虚空蔵が告げる。
「嵐は、
外界の現象ではない」
その言葉と同時に、
空海は理解する。
恐れが、
身体のどこに生まれ、
どこで止まり、
どこで消えるか。
嵐は、
心を壊すためにあるのではない。
覆いを、完全に剥がすためにある。
摩尼宝珠の光
虚空蔵の胸、
摩尼宝珠が、静かに輝く。
その光は、
眩しくない。
温かくもない。
ただ、正確だった。
光が、空海の中心に重なる。
すると、
船の揺れが、
身体の揺れと同調し、
揺れが、揺れでなくなる。
生と死の境が、
一瞬、意味を失う。
生きるということ
虚空蔵は、最後にこう告げた。
「生き延びよ、とは言わぬ」
「死ぬな、とも言わぬ」
「ただ、
法を遮るな」
その言葉が、
すべてだった。
嵐の果て
意識が、甲板に戻る。
風はまだ強く、
波は荒い。
だが、
嵐は、すでに峠を越えていた。
誰かが叫ぶ。
誰かが泣く。
船は、沈まなかった。
空海は、立ち上がり、
濡れた空を見上げる。
恐れは、もう戻らない。
勇気に変わったわけでもない。
ただ、
判断の座に戻れなくなっただけだ。
夜が明ける。
嵐は去り、
海は、何事もなかったように広がる。
空海は知る。
――この夜で、
――師は、完全に不要になった。
次に必要なのは、
法そのものと、対面すること。
その地が、
長安である。

長安到着 ―― 名なき僧、唐の法門に立つ(予兆篇)

城門は、音もなく開いていた。
実際には、人の声があり、
荷車が行き交い、
無数の足音が土を踏み鳴らしている。
だが、空海の感覚では、
門は静かに迎え入れられた。
長安――
世界の中心と呼ばれる都。
香の匂い、土埃、
異国の言葉、衣の色。
それらすべてが、
圧倒するはずだった。
しかし、
彼の内側には、
すでに同じ都が在った。
名を持たぬということ
彼は、ただの僧だった。
紹介状もない。
後ろ盾もない。
名も、まだ知られていない。
だが、不思議と、
劣等感はなかった。
名を持たぬことは、
欠落ではなく、
余白だった。
余白があるからこそ、
法は、そのまま入ってくる。
都のざわめきの中で
大街路を歩く。
学僧たちが議論し、
経巻を抱え、
声を張り上げている。
論は鋭く、
知は深い。
だが、空海の身体は、
ある一点で、微かに止まる。
――ここではない。
否定ではない。
違和感でもない。
ただ、
波長のずれ。
彼が求めているのは、
言葉の完成ではない。
法そのものが、身体を通る場所。
呼ばれる方向
夕刻、
寺院の並ぶ一角に差し込む光が、
不意に変わる。
影が伸び、
石畳の一部だけが、
やわらかく照らされる。
空海は、足を止める。
そこに何があるかは、
まだ分からない。
だが、
そこから法が流れてくる。
百日の求聞持で開いた中心が、
わずかに応える。
摩尼宝珠の位置が、
静かに温度を持つ。
――この都に来た理由は、
――もう、ここにある。
名を知らぬ師
その夜、宿坊で、
空海は夢を見る。
夢とも言えぬほど、
現実に近い感触。
一人の老僧が、
静かに坐している。
言葉はない。
だが、
すでに教えは終わっている。
目が合う。
その瞬間、
空海は理解する。
――この人は、
――法を「持っている」のではない。
――法そのものだ。
目が覚める。
胸の奥、
摩尼宝珠が、
確かにそこに在る。
名は、まだ知らない。
だが、
出会いは、もう始まっている。
夜明け前の確信
長安の夜明けは早い。
空海は立ち、
外の空を仰ぐ。
探す必要はない。
焦る理由もない。
法は、
必ず、向こうから来る。
名なき僧は、
すでに唐の法門に立っていた。
そして――
次に開く扉の向こうに、
恵果がいる。

恵果、空海を見抜く ―― 言葉より先に法が交わる瞬間

 

青龍寺の朝は、まだ人を選ばない。
鐘が鳴る前、
境内は静まり、
露が石に残っている。
空海は、門前に立っていた。
名を告げる使者はいない。
紹介状もない。
ただ、歩いて来ただけの僧。
それでも、
足が止まらなかった。
恵果の朝
恵果は、すでに坐していた。
瞑想でも、休息でもない。
ただ、そこに在る。
弟子たちが出入りし、
経を整え、
声を潜めて動く。
その流れの中で、
恵果の眉が、
わずかに動いた。
理由は、分からない。
だが、
空気が変わった。
入室
空海は、案内される。
畳の匂い。
香の残り香。
壁に掛けられた曼荼羅。
そのすべてが、
説明を拒んでいる。
恵果は、顔を上げない。
沈黙。
空海は、礼をした。
言葉を選ぼうとした――
その前に。
見抜かれる
恵果が、顔を上げた。
その眼は、
僧を見る眼ではなかった。
弟子を見る眼でもない。
異国の僧を測る眼でもない。
法が、法を見る眼。
その瞬間、
空海の胸の奥、
摩尼宝珠の位置が、
静かに震えた。
恵果は、言う。
「来たか」
それだけだった。
言葉が不要になる
空海は、息を吸う。
自己紹介も、
志も、
修行歴も、
すべてが不要だと、
身体が知っている。
恵果は続ける。
「求聞持を修したな」
問いではない。
確認でもない。
事実の宣言。
空海は、うなずく。
それ以上、何も言わない。
法が交わる
恵果は、立ち上がり、
曼荼羅の前に進む。
指で、中心を示す。
「ここだ」
その瞬間、
空海の内側で、
同じ位置が、
同時に応える。
胎蔵界。
除盖障院。
不思議慧。
説明は、なされない。
一致だけが起こる。
時間の短縮
恵果は、笑った。
「長くは要らぬ」
「お前は、
すでに半分、終えている」
それは誇りではない。
評価でもない。
事実だった。
空海は、その言葉に、
安堵も、喜びも、
感じなかった。
ただ、
ようやく合ったという感覚。
師と弟子
恵果は、初めて名を呼ぶ。
「空海」
まだ、日本でも定まらぬその名を、
まるで昔から知っていたかのように。
「ここに留まれ」
「急ぐ」
「だが、
すべてを渡す」
その言葉が、
未来を決める。
言葉の後
その日、
多くの説明がなされた。
真言。
印。
灌頂。
だが、
本当の伝授は、
最初の沈黙で終わっていた。
法は、
言葉より先に交わった。
だからこそ、
すべてが、
間に合った。
空海は、夜、ひとり坐す。
思う。
――師とは、
――探す者ではなかった。
――見抜く者だった。
そして同時に。
――弟子とは、
――選ばれる者ではない。
――すでに来ている者なのだ。

 

「早かった」のではなく、すでに終わっていたものが表に出るだけの一月。

一月にして全伝 ―― 恵果、すべてを授ける理由
暦の上では、まだ一月も経っていなかった。
だが、青龍寺の空気は、
すでに別の時を生きていた。
恵果は、急がせなかった。
空海も、急がなかった。
それでも、
伝えるべきものは、
次々と、自然に終わっていった。
教えるという行為が消える
朝、曼荼羅の前に坐す。
恵果が印を結ぶ。
空海も、同時に結ぶ。
教えられてからではない。
同時だった。
真言が唱えられる前に、
息が、すでに同じ響きを持つ。
弟子たちは、
それを見て言葉を失う。
学びではない。
模倣でもない。
一致だった。
恵果の確信
ある夜、
恵果は、空海にだけ告げる。
「時がない」
それは老いの告白ではない。
予言でもない。
法の流れの認識だった。
「この地では、
もう、渡す相手がいない」
「お前は、
すでに受け取っている」
空海は、黙って聞く。
反論も、遠慮も、
そこには入る余地がない。
全伝とは何か
灌頂は、形式として行われた。
水が注がれ、
名が与えられ、
弟子の列に加えられる。
だが、
全伝は、儀式ではなかった。
全伝とは、
「すべてを教えた」という意味ではない。
「もう、教えることがない」
という意味だった。
法は、
空海の身体に、
すでに住んでいた。
なぜ一月なのか
恵果は、語らなかった。
だが、
その理由は、空海に分かる。
百日の求聞持。
嵐の夜。
長安の予兆。
すべてが、
この一月のためにあった。
時間は、
積み重ねるものではない。
整った瞬間に、消える。
師のまなざし
恵果は、ある日、
空海をじっと見つめて言う。
「お前は、
私の後を継ぐのではない」
「お前は、
向こう側へ行く」
それは、託す言葉ではない。
別れの準備だった。
最後の夜
夜、
恵果はひとり、
曼荼羅の前に坐す。
そこには、
すでに空海はいない。
だが、
法は、まだ残っている。
恵果は、静かに目を閉じる。
「間に合った」
それだけを、
心に置く。
受け取った者
空海は、
唐の空の下に立つ。
名は、すでに知られ始めている。
だが、
彼はそれに留まらない。
受け取ったのは、
技法ではない。
法が流れる方向だ。
それを、
東へ持ち帰る。
帰国命 ―― 恵果、空海を東へ送り出す

命は、静かに下された。
詔でもなく、
勅でもなく、
声を荒らげることもない。
ただ、
一言だった。
「帰れ」
恵果は、空海を呼び止めた。
伝授は、すでに終わっている。
灌頂も、名も、印も、
すべてが整っていた。
空海は、
しばらく唐に留まるつもりでいた。
学ぶためではない。
助けるためでもない。
ただ、
法がここに流れているあいだ、
その場に在るつもりだった。
だが、
恵果は言う。
「帰れ」
理由は、続かなかった。
なぜ、今なのか
空海はない。
だが、
胸の奥では、
すでに理解が始まっている。
唐では、
法はすでに完成している。
整いすぎている。
流れは、
ここでは、もう動かない。
「東だ」
恵果は、はじめて方向を示す。
「法は、
動かねばならぬ」
師の覚悟
恵果の背中は、
その日、
少しだけ小さく見えた。
老いではない。
衰えでもない。
役目を終えた者の姿だった。
「私は、
ここで終わる」
「だが、
法は終わらせぬ」
それは、
空海に背負わせる言葉ではない。
すでに、
背負われていることの確認だった。
渡すもの
恵果は、最後に、
ひとつだけ念を押す。
「急げ」
「だが、
広めるな」
矛盾ではない。
急ぐのは、
時間の問題。
広めぬのは、
器の問題。
法は、
受け取れる者にしか、
届かない。
それを、
空海は、よく知っている。
別れ
別れの儀式はなかった。
涙も、
抱擁も、
約束もない。
ただ、
目が合い、
うなずく。
それだけで、
すべてが通じた。
師と弟子は、
そこで終わった。
法と法だけが、
残った。
東へ
船に乗る夜。
空海は、
唐の空を見上げる。
感謝は、
言葉にしない。
それは、
返すものではなく、
流すものだからだ。
海は、再び暗い。
だが、
かつての嵐はない。
恐れも、
迷いも、
もう戻らない。
帰る者
空海は、知っている。
帰国とは、
元に戻ることではない。
場が変わるだけだ。
法は、
この身に在る。
虚空は、
どこにでも在る。
だから、
東でも、
必ず立つ。
最後の確信
船が動き出す。
恵果の姿は、
もう見えない。
だが、
胸の奥――
摩尼宝珠の位置が、
静かに応える。
――間に合った。
――今度は、こちらの番だ。
空海は、
東の闇へと進む。
その先で、
真言は、
日本の言葉になる。
そして、
人の身体の中で、
再び目を覚ます。
―― 終 ――

 

 

ヒトを天才にする求聞持聡明法 3

空海 ― 最初の求聞持の夜

 

 

夜は、まだ海の名を知らなかった。
土佐の山奥。
洞の口から見える空は、墨を流したように暗く、星は息をひそめている。
潮の匂いが、遠くからかすかに届いていた。
青年は、岩の上に坐していた。
名は、まだ空海ではない。
学びは尽きなかった。
経を読み、論を写し、言葉は山のように積み上げた。
だが――
知は増えても、道は見えなかった。
「なぜだ」
問いは声にならず、胸の内で反響する。
仏は説いた。
法は示された。
それでも、決定的な何かが欠けている。
その夜、彼は古い一文を思い出していた。
求聞持。
聞いた法を失わず、
観た真理を曇らせず、
智慧が自ら動き出す境地。
――だが、それは紙の上の言葉だった。
洞に満ちる闇
灯明は置かなかった。
光は、外にあると思っていたからだ。
真言を唱える。
声は低く、呼吸に溶けていく。
何度目かも分からない反復ののち、
思考は、ふと、ほどけた。
焦りも、期待も、
「成就したい」という願いさえも、
闇に沈んでいく。
そのときだった。
背の奥――
脊の底に、かすかな熱が生まれた。
それは修行の成果でも、努力の報酬でもない。
ただ、目覚めだった。
熱は昇る。
ゆっくりと、抗うことなく。
胸を通り、喉を抜け、
額の奥――
言葉の届かぬ場所へと注がれていく。
青年の身体が、器になる。
虚空が坐す
闇が、闇でなくなった。
無限の広がりが、洞の中に現れる。
そこには星も、地も、時間もない。
ただ、虚空。
その中心に、ひとりの菩薩が坐していた。
童子の姿。
だが、その眼は、すべてを見通している。
虚空蔵菩薩。
青年は、名を呼ぼうとしてやめた。
名を呼ぶ前に、すでに呼ばれていたからだ。
「求めるな」
声は音ではなかった。
直接、心に触れる。
「覚えようとするな」
青年の胸に、これまで学んだ経がよぎる。
だが、それらは文字としてではなく、
意味として、同時に立ち上がる。
忘れていたのではない。
遮られていただけだった。
摩尼宝珠
虚空蔵の胸が、かすかに光る。
一輪の蓮華。
その上に、ひとつの珠。
摩尼宝珠。
願いを叶える宝ではない。
智慧を与える道具でもない。
それは、生命そのものの凝縮だった。
珠が光ると、青年の身体も応えた。
呼吸、血、鼓動――
すべてが、ひとつのリズムに整う。
「智慧は、思考の先にない」
虚空蔵は告げる。
「身体が整い、
心が澄み、
世界が遮られなくなったとき、
智慧は自然に働く」
その瞬間、青年は悟った。
天才とは、
多くを持つ者ではない。
覆われていない者なのだ。
夜明け
気づけば、洞の外が白み始めていた。
鳥が、ひと声だけ鳴く。
青年は、まだ岩の上に坐している。
何かを得た感覚はない。
だが、何も失われていない確信があった。
経は、もう忘れないだろう。
言葉は、必要なときに自然に湧くだろう。
それよりも――
この身が、
法を生きる器になった。
彼は、ゆっくりと立ち上がった。
この夜が、後に「最初の求聞持」と呼ばれることを、
彼はまだ知らない。
ただ、空を見上げ、静かにつぶやいた。
「虚空よ」
その名は、
やがて彼自身の名となる。

 

百日目 ―― 求聞持が身体を変え始める

百日目の朝は、特別な色をしていなかった。
山はいつもと同じ影を落とし、
洞の前の草は夜露を抱いたまま揺れている。
鳥は鳴き、風は通り過ぎ、
世界は、何事もなかったかのように在った。
ただ、彼の身体だけが違っていた。
空海は、岩の上に坐し、
呼吸がすでに真言になっていることに気づく。
唱えようとしなくても、
息が自然に言葉を含む。
胸に力はない。
額に熱もない。
それなのに、身体の奥に、澄んだ流れがある。
身体が先に悟る
百日のあいだ、彼は数えなかった。
一日目も、十日目も、
何かが起きたという手応えはなかった。
それでも、確実に変わったことがある。
疲れない。
いや、正確には――
疲れが、溜まらない。
思考が長く続いても、
身体がそれを拒まない。
かつては、学びのあとに訪れていた鈍さが、
今は、澄んだ静けさに変わっている。
空海は悟る。
――これは、心が身体に従ったのではない。
――身体が、先に道を知ったのだ。
覆いが外れる感覚
洞の奥で、目を閉じる。
すると、思考が立ち上がる前に、
答えが、すでにそこにある。
探さない。
組み立てない。
ただ、現れる。
それは啓示でも、神通でもない。
遮りが消えただけだった。
虚空蔵の言葉が、いま、実感として蘇る。
「覚えようとするな」
覚える必要がない。
智慧は、もともと失われていなかったからだ。
摩尼宝珠の位置
百日目の夜、彼は一つの変化に気づく。
胸の奥、心臓の少し上。
そこに、静かな中心がある。
熱ではない。
光でもない。
だが、確かに、そこから
身体全体へ、何かが行き渡っている。
それは、
曼荼羅で見た摩尼宝珠の位置と、同じだった。
空海は、はじめて理解する。
――珠は、外にあったのではない。
――身体が、珠を思い出したのだ。
若さという現象
百日を越えたころ、
肌は荒れず、目は澄み、
眠りは深い。
老いが引いた、という感覚すらない。
ただ、滞りが消えた。
生命は、本来こう流れるのだと、
身体が教えてくる。
天才になる兆しはない。
だが、衰えない確信がある。
この身は、長く道を歩ける。
そのことが、何より尊い。
百日目の静かな確信
夜明け前、洞の外で、
空が薄く色づく。
空海は立ち、
世界を見渡す。
知を得るために修したのではない。
力を得るためでもない。
ただ、覆いを外すためだった。
求聞持とは、
人を超人にする法ではない。
人を、本来の人に戻す法なのだ。
百日目。
奇跡は起きなかった。
だが、
この日を境に、
彼はもう、戻れない。
身体が、
法とともに歩き始めたからだ。
次は、
「百八十日目――言葉が外界を変え始める」
あるいは
「唐へ渡る前夜、師なきまま決断する夜」
どちらへ進めますか。

唐へ渡る前夜 ―― 師なきまま決断する夜

港は、夜の底に沈んでいた。
潮は満ち、船影は黒く揺れ、
綱が軋む音だけが、規則正しく耳に残る。
灯は少なく、顔は見えない。
この場にいる誰もが、言葉を慎んでいた。
空海は、桟橋の端に立っていた。
弟子ではない。
僧でもない。
まだ、名もない。
師は、いなかった。
経を授けてくれる者も、
保証してくれる肩書きも、
この身を導く背中もない。
ただ、
身体だけが知っている道があった。
留まる理由、渡る理由
日本に留まる理由は、いくつもあった。
危険。
貧しさ。
無名。
海は、幾人もの命を飲み込んできた。
唐に着ける保証はない。
着けたとして、学べる保証もない。
理は、すべて「行くな」と告げている。
だが、
身体は、一歩も引かなかった。
空海は、胸の奥にある静かな中心――
摩尼宝珠の位置に、意識を置く。
そこから、ひとつの感覚が立ち上がる。
「ここではない」
声ではない。
思考でもない。
ただ、
場所の違和感だった。
師とは何か
かつて、彼は思っていた。
師がいなければ、道は誤る。
伝承がなければ、法は歪む。
だが、百日の求聞持は、
その前提を静かに崩した。
法は、
書物の中にも、
人の中にも、
身体の中にもある。
師とは、
外にいる者ではなく、
覆いを外す働きそのものなのだ。
唐には、
その働きを完全に受け取った者たちがいる。
それを、
この身が、知っている。
海を前にして
波が、桟橋を打つ。
闇の向こうに、
まだ見ぬ大陸がある。
空海は、恐れを探した。
――死ぬかもしれない。
――すべてを失うかもしれない。
だが、恐れは、
中心に届かなかった。
施無畏。
除盖障院の主尊、
不思議慧菩薩の印。
恐れが消えるのではない。
恐れが、判断の座に座れなくなる。
それだけだ。
決断
船に乗る、という決断はなかった。
すでに乗っている感覚だけがあった。
空海は、静かに船縁に足をかける。
誰にも見られず、
誰にも祝われず、
誰にも止められず。
ただ、海と、身体と、
虚空だけが知っている夜。
「虚空よ」
彼は、小さく呟く。
答えは返らない。
だが、
世界の手触りが、変わる。
夜明け前
遠くで、船頭が合図を送る。
綱が外され、
船は、わずかに岸を離れる。
その瞬間、
空海は振り返らなかった。
ここに師はいない。
だが、
道は、すでに師だった。
夜が、静かに明け始める。
この渡航が、
密教を日本にもたらすことを、
彼はまだ知らない。
ただ、確信している。
――行かねばならないのではない。
――すでに、行っているのだ。
船は、闇の海へと進む。
虚空は、すべてを包んでいた。

 

嵐の中 ―― 海上で虚空蔵が再び現れる夜

 

海は、突然、顔を変えた。
それまで穏やかだった水面が、
まるで別の生き物のようにうねり始める。
風が吠え、帆が裂ける音が夜を切った。
船は小さい。
人は、あまりにも軽い。
祈りの声が上がる。
名を呼び、仏を呼び、
生きたいという願いが、叫びになる。
空海は、甲板の端に坐していた。
身体は濡れ、
衣は重く、
波が何度も打ちつける。
それでも、
中心は揺れていなかった。
死の近さ
一瞬の判断の遅れで、
人は海に消える。
空海は、それを知っていた。
恐れも、十分にあった。
だが、恐れは、
心の表層を通り過ぎるだけで、
胸の奥には触れない。
そこには、
百日の求聞持で生まれた
静かな空間があった。
嵐は、外にある。
死も、外にある。
だが、
法は、内に在る。
虚空が裂ける
雷が落ちた。
夜空が、一瞬、白く裂ける。
その刹那、
空海の意識は、甲板を離れた。
落ちるのではない。
引き上げられるのでもない。
ただ、
虚空が、こちらに現れた。
海も、船も、嵐も、
すべてが遠のき、
無限の広がりが立ち上がる。
その中心に、
再び、童子の菩薩が坐していた。
虚空蔵。
問いはない
空海は、何も問わなかった。
救いも、
奇跡も、
生存の保証も、
求めなかった。
ただ、坐す。
すると、虚空蔵が告げる。
「嵐は、
外界の現象ではない」
その言葉と同時に、
空海は理解する。
恐れが、
身体のどこに生まれ、
どこで止まり、
どこで消えるか。
嵐は、
心を壊すためにあるのではない。
覆いを、完全に剥がすためにある。
摩尼宝珠の光
虚空蔵の胸、
摩尼宝珠が、静かに輝く。
その光は、
眩しくない。
温かくもない。
ただ、正確だった。
光が、空海の中心に重なる。
すると、
船の揺れが、
身体の揺れと同調し、
揺れが、揺れでなくなる。
生と死の境が、
一瞬、意味を失う。
生きるということ
虚空蔵は、最後にこう告げた。
「生き延びよ、とは言わぬ」
「死ぬな、とも言わぬ」
「ただ、
法を遮るな」
その言葉が、
すべてだった。
嵐の果て
意識が、甲板に戻る。
風はまだ強く、
波は荒い。
だが、
嵐は、すでに峠を越えていた。
誰かが叫ぶ。
誰かが泣く。
船は、沈まなかった。
空海は、立ち上がり、
濡れた空を見上げる。
恐れは、もう戻らない。
勇気に変わったわけでもない。
ただ、
判断の座に戻れなくなっただけだ。
夜が明ける。
嵐は去り、
海は、何事もなかったように広がる。
空海は知る。
――この夜で、
――師は、完全に不要になった。
次に必要なのは、
法そのものと、対面すること。
その地が、
長安である。

長安到着 ―― 名なき僧、唐の法門に立つ(予兆篇)

城門は、音もなく開いていた。
実際には、人の声があり、
荷車が行き交い、
無数の足音が土を踏み鳴らしている。
だが、空海の感覚では、
門は静かに迎え入れられた。
長安――
世界の中心と呼ばれる都。
香の匂い、土埃、
異国の言葉、衣の色。
それらすべてが、
圧倒するはずだった。
しかし、
彼の内側には、
すでに同じ都が在った。
名を持たぬということ
彼は、ただの僧だった。
紹介状もない。
後ろ盾もない。
名も、まだ知られていない。
だが、不思議と、
劣等感はなかった。
名を持たぬことは、
欠落ではなく、
余白だった。
余白があるからこそ、
法は、そのまま入ってくる。
都のざわめきの中で
大街路を歩く。
学僧たちが議論し、
経巻を抱え、
声を張り上げている。
論は鋭く、
知は深い。
だが、空海の身体は、
ある一点で、微かに止まる。
――ここではない。
否定ではない。
違和感でもない。
ただ、
波長のずれ。
彼が求めているのは、
言葉の完成ではない。
法そのものが、身体を通る場所。
呼ばれる方向
夕刻、
寺院の並ぶ一角に差し込む光が、
不意に変わる。
影が伸び、
石畳の一部だけが、
やわらかく照らされる。
空海は、足を止める。
そこに何があるかは、
まだ分からない。
だが、
そこから法が流れてくる。
百日の求聞持で開いた中心が、
わずかに応える。
摩尼宝珠の位置が、
静かに温度を持つ。
――この都に来た理由は、
――もう、ここにある。
名を知らぬ師
その夜、宿坊で、
空海は夢を見る。
夢とも言えぬほど、
現実に近い感触。
一人の老僧が、
静かに坐している。
言葉はない。
だが、
すでに教えは終わっている。
目が合う。
その瞬間、
空海は理解する。
――この人は、
――法を「持っている」のではない。
――法そのものだ。
目が覚める。
胸の奥、
摩尼宝珠が、
確かにそこに在る。
名は、まだ知らない。
だが、
出会いは、もう始まっている。
夜明け前の確信
長安の夜明けは早い。
空海は立ち、
外の空を仰ぐ。
探す必要はない。
焦る理由もない。
法は、
必ず、向こうから来る。
名なき僧は、
すでに唐の法門に立っていた。
そして――
次に開く扉の向こうに、
恵果がいる。

恵果、空海を見抜く ―― 言葉より先に法が交わる瞬間

 

青龍寺の朝は、まだ人を選ばない。
鐘が鳴る前、
境内は静まり、
露が石に残っている。
空海は、門前に立っていた。
名を告げる使者はいない。
紹介状もない。
ただ、歩いて来ただけの僧。
それでも、
足が止まらなかった。
恵果の朝
恵果は、すでに坐していた。
瞑想でも、休息でもない。
ただ、そこに在る。
弟子たちが出入りし、
経を整え、
声を潜めて動く。
その流れの中で、
恵果の眉が、
わずかに動いた。
理由は、分からない。
だが、
空気が変わった。
入室
空海は、案内される。
畳の匂い。
香の残り香。
壁に掛けられた曼荼羅。
そのすべてが、
説明を拒んでいる。
恵果は、顔を上げない。
沈黙。
空海は、礼をした。
言葉を選ぼうとした――
その前に。
見抜かれる
恵果が、顔を上げた。
その眼は、
僧を見る眼ではなかった。
弟子を見る眼でもない。
異国の僧を測る眼でもない。
法が、法を見る眼。
その瞬間、
空海の胸の奥、
摩尼宝珠の位置が、
静かに震えた。
恵果は、言う。
「来たか」
それだけだった。
言葉が不要になる
空海は、息を吸う。
自己紹介も、
志も、
修行歴も、
すべてが不要だと、
身体が知っている。
恵果は続ける。
「求聞持を修したな」
問いではない。
確認でもない。
事実の宣言。
空海は、うなずく。
それ以上、何も言わない。
法が交わる
恵果は、立ち上がり、
曼荼羅の前に進む。
指で、中心を示す。
「ここだ」
その瞬間、
空海の内側で、
同じ位置が、
同時に応える。
胎蔵界。
除盖障院。
不思議慧。
説明は、なされない。
一致だけが起こる。
時間の短縮
恵果は、笑った。
「長くは要らぬ」
「お前は、
すでに半分、終えている」
それは誇りではない。
評価でもない。
事実だった。
空海は、その言葉に、
安堵も、喜びも、
感じなかった。
ただ、
ようやく合ったという感覚。
師と弟子
恵果は、初めて名を呼ぶ。
「空海」
まだ、日本でも定まらぬその名を、
まるで昔から知っていたかのように。
「ここに留まれ」
「急ぐ」
「だが、
すべてを渡す」
その言葉が、
未来を決める。
言葉の後
その日、
多くの説明がなされた。
真言。
印。
灌頂。
だが、
本当の伝授は、
最初の沈黙で終わっていた。
法は、
言葉より先に交わった。
だからこそ、
すべてが、
間に合った。
空海は、夜、ひとり坐す。
思う。
――師とは、
――探す者ではなかった。
――見抜く者だった。
そして同時に。
――弟子とは、
――選ばれる者ではない。
――すでに来ている者なのだ。

 

「早かった」のではなく、すでに終わっていたものが表に出るだけの一月。

一月にして全伝 ―― 恵果、すべてを授ける理由
暦の上では、まだ一月も経っていなかった。
だが、青龍寺の空気は、
すでに別の時を生きていた。
恵果は、急がせなかった。
空海も、急がなかった。
それでも、
伝えるべきものは、
次々と、自然に終わっていった。
教えるという行為が消える
朝、曼荼羅の前に坐す。
恵果が印を結ぶ。
空海も、同時に結ぶ。
教えられてからではない。
同時だった。
真言が唱えられる前に、
息が、すでに同じ響きを持つ。
弟子たちは、
それを見て言葉を失う。
学びではない。
模倣でもない。
一致だった。
恵果の確信
ある夜、
恵果は、空海にだけ告げる。
「時がない」
それは老いの告白ではない。
予言でもない。
法の流れの認識だった。
「この地では、
もう、渡す相手がいない」
「お前は、
すでに受け取っている」
空海は、黙って聞く。
反論も、遠慮も、
そこには入る余地がない。
全伝とは何か
灌頂は、形式として行われた。
水が注がれ、
名が与えられ、
弟子の列に加えられる。
だが、
全伝は、儀式ではなかった。
全伝とは、
「すべてを教えた」という意味ではない。
「もう、教えることがない」
という意味だった。
法は、
空海の身体に、
すでに住んでいた。
なぜ一月なのか
恵果は、語らなかった。
だが、
その理由は、空海に分かる。
百日の求聞持。
嵐の夜。
長安の予兆。
すべてが、
この一月のためにあった。
時間は、
積み重ねるものではない。
整った瞬間に、消える。
師のまなざし
恵果は、ある日、
空海をじっと見つめて言う。
「お前は、
私の後を継ぐのではない」
「お前は、
向こう側へ行く」
それは、託す言葉ではない。
別れの準備だった。
最後の夜
夜、
恵果はひとり、
曼荼羅の前に坐す。
そこには、
すでに空海はいない。
だが、
法は、まだ残っている。
恵果は、静かに目を閉じる。
「間に合った」
それだけを、
心に置く。
受け取った者
空海は、
唐の空の下に立つ。
名は、すでに知られ始めている。
だが、
彼はそれに留まらない。
受け取ったのは、
技法ではない。
法が流れる方向だ。
それを、
東へ持ち帰る。
帰国命 ―― 恵果、空海を東へ送り出す

命は、静かに下された。
詔でもなく、
勅でもなく、
声を荒らげることもない。
ただ、
一言だった。
「帰れ」
恵果は、空海を呼び止めた。
伝授は、すでに終わっている。
灌頂も、名も、印も、
すべてが整っていた。
空海は、
しばらく唐に留まるつもりでいた。
学ぶためではない。
助けるためでもない。
ただ、
法がここに流れているあいだ、
その場に在るつもりだった。
だが、
恵果は言う。
「帰れ」
理由は、続かなかった。
なぜ、今なのか
空海はない。
だが、
胸の奥では、
すでに理解が始まっている。
唐では、
法はすでに完成している。
整いすぎている。
流れは、
ここでは、もう動かない。
「東だ」
恵果は、はじめて方向を示す。
「法は、
動かねばならぬ」
師の覚悟
恵果の背中は、
その日、
少しだけ小さく見えた。
老いではない。
衰えでもない。
役目を終えた者の姿だった。
「私は、
ここで終わる」
「だが、
法は終わらせぬ」
それは、
空海に背負わせる言葉ではない。
すでに、
背負われていることの確認だった。
渡すもの
恵果は、最後に、
ひとつだけ念を押す。
「急げ」
「だが、
広めるな」
矛盾ではない。
急ぐのは、
時間の問題。
広めぬのは、
器の問題。
法は、
受け取れる者にしか、
届かない。
それを、
空海は、よく知っている。
別れ
別れの儀式はなかった。
涙も、
抱擁も、
約束もない。
ただ、
目が合い、
うなずく。
それだけで、
すべてが通じた。
師と弟子は、
そこで終わった。
法と法だけが、
残った。
東へ
船に乗る夜。
空海は、
唐の空を見上げる。
感謝は、
言葉にしない。
それは、
返すものではなく、
流すものだからだ。
海は、再び暗い。
だが、
かつての嵐はない。
恐れも、
迷いも、
もう戻らない。
帰る者
空海は、知っている。
帰国とは、
元に戻ることではない。
場が変わるだけだ。
法は、
この身に在る。
虚空は、
どこにでも在る。
だから、
東でも、
必ず立つ。
最後の確信
船が動き出す。
恵果の姿は、
もう見えない。
だが、
胸の奥――
摩尼宝珠の位置が、
静かに応える。
――間に合った。
――今度は、こちらの番だ。
空海は、
東の闇へと進む。
その先で、
真言は、
日本の言葉になる。
そして、
人の身体の中で、
再び目を覚ます。
―― 終 ――

ヒトを天才にする求聞持聡明法 2

求聞持 ― 天才を生む珠の物語

 

夜明け前、山の庵はまだ闇に沈んでいた。
若い修行者・蓮真(れんしん)は、灯明の前に端坐し、ただ呼吸の音だけを聞いていた。
学べども覚えられず、考えども言葉にならぬ。
知は積もるのに、智慧にならない。
その壁の前で、人は自らを凡庸と呼ぶ。
だが、師は静かに言った。
「知が足りぬのではない。
覆われているのだ」
蓮真は顔を上げた。
「人の心と世には、蓋がある。
恐れ、疑い、執着、疲弊。
それらが智慧を覆っている」
その夜、師は古い名を口にした。
求聞持聡明法。
聞いたことを忘れず、
観たものを曇らせず、
思考を越えて、智慧が自ら働きだす法。
虚空蔵の座
修行は、言葉よりも静かだった。
山の洞で、蓮真はただ真言を繰り返す。
呼吸は深まり、脊柱の奥に、かすかな熱が灯る。
それは力ではなかった。
意思でもなかった。
ただ、目覚めだった。
熱は昇り、胸を抜け、喉を越え、
やがて頭蓋の中心――
思考の奥、名づけられぬ場所へと注がれていく。
そのとき、虚空が開いた。
無限の夜空に、ひとりの菩薩が坐していた。
童子の姿、だが老いも若さも超えた眼。
虚空蔵菩薩。
その胸には、数えきれぬ記憶が眠っている。
人の祈り、失われた言葉、
まだ生まれていない智慧。
「求めるな」
声は、直接、心に届いた。
「思い出せ」
除盖障院
夢か、覚醒か。
蓮真は曼荼羅の中に立っていた。
そこは除盖障院。
人と世界を覆う、すべての蓋を取り除く場。
その中心に坐すのは、
不思議慧菩薩。
左手には蓮華。
蓮華の上には、ひとつの珠――
摩尼宝珠。
右手は施無畏の印。
恐れを終わらせるかたち。
「智慧とは、考え抜いた末に得るものではない」
菩薩は語った。
「覆いが外れたとき、
すでに在ったものが、働きだす」
その瞬間、蓮真は悟った。
天才とは、特別な人間ではない。
智慧が、遮られていない人間のことなのだ。
駄都 ― 珠の正体
修行が深まるにつれ、
摩尼宝珠は単なる象徴ではなくなった。
それは、光であり、
震えであり、
身体そのものだった。
師は言った。
「その珠は、駄都。
仏陀の真身舎利――
生命そのものの凝縮だ」
生命が、生命を照らす。
だからこそ、この法は人を壊さない。
智慧は、身体を衰えさせず、
むしろ若返らせる。
老いは、智慧の不足ではなく、
生命循環の滞りなのだ。
天才とは何か
やがて、蓮真は山を下りた。
記憶は澄み、
言葉は自然に湧き、
人の苦しみが、理屈ではなく感覚として分かる。
だが、彼は奇跡を誇らなかった。
「寝たきりの天才など、意味はない」
師の言葉が、今も胸にある。
智慧は、
世のため、人のために働いてこそ、
真に智慧となる。
核も、戦争も、環境破壊も、
すべては人の心にかかった蓋から始まる。
それを外すのが、
不思議慧のはたらきなのだ。
夜明け。
庵の前で、風が静かに木々を揺らす。
蓮真は微笑み、歩き出した。
天才になるためではない。
ただ、覆われていない心で生きるために。
虚空は、今日もすべてを記憶している。

ヒトを天才にする求聞持聡明法

ヒトを天才にする求聞持聡明法

求向持整可法は、とトを聡明にし、天才にするという真言密教に伝わる秘法である。 悲法大師空海が、若くしてこれを修し、大天才となったということで、風に知られかくはんている。また、新義真言宗の開祖、興教大師覚賃(一○九五―一一四三)が、七度、 この法を修して成功せず、八度目に悉地を成し、成功したと伝えられる。覚毀上人ののこされた業績をみれば、上人もまた天才であったことは疑いない。ただ残念なことつと

に、四十八歳で亡くなられている。

虚空蔵求聞持

真言密教の求聞持聡明法には、三種の法がある。

観音求聞持

如意輪求聞持

であるが、ふつう、求聞持法といえば、空海が修して有名な虚空蔵求聞持をさす。 この法を、具には「仏説虚空蔵菩薩能满諸願最勝心陀羅尼求聞持法」という。

駄都如意求聞持聡明法

と名づけた。

この駄都如意求聞持聡明法は、真言密教につたわる求聞持法とはまったくちがうも

のである。

とくらよう。 二つの特徴がある。

それは、

一、クンダリニー・ヨーガのチャクラを覚醒して、超人的エネルギーを発生させる。

とうきよどうきこう二、その超人的エネルギーを、中国・道教につたわる導引・気功の持つ生気ルートにのせて、体の各要所、要部にめぐらせ、行きわたらせる。殊に、大脳の中

枢である間脳・視床下部に送りこむ。

 

 

もちろん、後世おそるべし」という諺の通り、今後、これ以上の超能力開発法も出るから知れないが、しかし、それも、クンダリニー・ヨーガと導引・気功を融合させたこの駄都如意求聞持聡明法のライン以外のものではないであろうと確信している。

求聞持聡明法は、たしかにヒトを天才にする。

しかし、いくら天才になっても、そのために、病弱になったり、若死にしたりしたのでは、なんにもならない。

天才は、いつまでも若々しく、健康で、世のため、人のため、その才能を発揮するものでなくてはならない。(寝たっきりの天才など、まっぴらである)

 

駄都如意求聞持聡明法は、特に不老長寿を目ざすものではなかったのだが、結果はそうなってしまったのである。

期せずして、仙道の理想が実現されることになったのだ。

神仙に化することだけはちょっとむずかしいが、不老長寿はかならず達成される。

わたくしは断言してよい。仙道の秘法がとり入れられているこの駄都如意求聞持聡明法は、二十歳代の人ならば、三歳から五歳、中年以上の人ならば、十歳から十五歳、

若返ることができるであろう。

求聞持聡明法があたえる不思議な知慧

さいごに、駄都如意求聞持聡明法という、名称の由来をのべておこう。

る。 かいしようい真言密教の胎藏界マンダラ第三重南面に、除盖障院というマンダラがえがかれてい

 

除資障というのは、人間と人間社会におけるすべての蓋障(文字の通り、蓋のように覆っている障害)をとりのぞくという意味で、その蓋障をとり除く仏たちがまつられているのが、除盖障院である。

ふしぎえこの院の主尊、すなわち中心の仏を、「不思議慧菩薩」という。

のか。 まにほうじゅそのおすがたは、左手に蓮華を持ち、蓮華上に摩尼宝珠(如意宝珠)を置き、右の手は施無畏の印を組んで、胸の前に上げている。このおすがたはなにを表現している

仏のさずける不思議な智慧を象徴しているのである。

である。 わざわい施無畏というのは、一切の災禍をとり除いて、いかなる不安もない平穏無事の世界を実現するということで、それを実現するのが、不思議な仏の智慧である、というの

不思議、というのは、人間の思慮ではおしはかることのできない次元のことをいい、 不思議慧菩薩は、その不思議な智慧を象徴した仏である。

では、その不思議な仏の智慧はどこから来るのか?

それは、左の手の蓮華の上に奉安された、摩尼宝珠から来るのである。

求聞持聡明法のあたえる智慧は、この不思議な仏の智慧なのである。この仏の智慧

の不思議なはたらきによって、この地上の一切の災禍 ――を滅除して、無異なる平和世界を実現するのである。 核・戦争・環境破壊・貧困

駄都知章求聞持聪明法の奥儀の修行に入ると、この摩尼宝珠が、特殊な観法の中心となる。これなくしてこの法の成就はない。(如意宝珠法に関係があるのである)

じんしゃ摩尼宝珠というのは、仏陀シャカの御聖骨、真身舍利のことで、真身舍利を、「駄都」 だと

という。

これを以て、駄都如意求聞持聡明法と名づけたのである。