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日の国の法と、金星の法が一つになって、仏陀の成仏法の中心であるメシアの法

日の国の法と、金星の法が一つになって、仏陀の成仏法の中心であるメシアの法

The Law of the Land of the Sun and the Law of Venus unite to form the Law of the Messiah—the core of the Buddha’s teaching on attaining enlightenment.

 

長文の宗教的・思想的テキストをもとに小説化する場合、元の主張をそのまま断定的に描くのではなく、蓮真と龍岳の対話を通して「修行者がどのように理解していくか」という物語にすると読みやすくなります。
文章作成
秋の夜は深まり、山あいの道場は静寂に包まれていた。
障子越しの月明かりが畳を青白く照らし、香炉から立ちのぼる白い煙がゆるやかに天井へ昇っていく。
蓮真は古びた書物を閉じ、師である龍岳の前に静かに座った。
「老師――日の国の法と金星の法とは、いったい何なのですか。」
龍岳はしばらく目を閉じたまま黙していた。
やがて静かに口を開く。
「それは二つの流れでありながら、一つの源へ帰る道だ。」
外では杉木立を渡る風が低く鳴っていた。
「日の国の法とは、日本の古代に伝えられた息吹き永世の法である。」
龍岳はゆっくりと言葉を続けた。
「人は呼吸によって生きる。しかし真の修行者は、呼吸を通して生命そのものを知る。古代の行者たちは、熱い息と冷たい息を自在に使い分ける特殊な呼吸を伝えていた。」
「熱い息と冷たい息……。」
蓮真は驚いた。
「それはクンダリニー・ヨーガでいうピンガラとイダーに対応している。」
龍岳は胸の中央に手を置いた。
「太陽の気道と月の気道。昂揚と沈静。活動と静寂。その二つの力が調和するとき、人の内に眠る生命力が目覚める。」
香の煙が揺れた。
まるで目に見えない気流が道場を流れているようだった。
「では、金星の法とは?」
蓮真が尋ねる。
龍岳は微笑んだ。
「求聞持聡明法だ。」
その言葉に蓮真の胸が高鳴った。
「弘法大師空海も修したという、あの秘法ですか。」
「そうだ。しかし多くの人は誤解している。」
龍岳は障子の向こうの夜空を見つめた。
「人々は明星とは空に輝く金星だと思っている。しかし真の明星は外にはない。」
「外にはない……?」
「脳の深奥に現れる。」
龍岳の声は静かだった。
「修行が深まり、心が完全に沈静するとき、視界の奥に冷たい白銀色の光が現れる。それは夜明け前の金星のように静かに瞬く。」
蓮真は息を呑んだ。
「それが明星……。」
「そうだ。」
龍岳はうなずいた。
「金星の法とは、脳を変革する法なのだ。人間の意識を拡大し、智慧を開き、眠れる可能性を目覚めさせる。」
道場の空気はさらに静まり返った。
しばらく沈黙が続いたあと、蓮真はもう一つの疑問を口にした。
「では、日の国の法と金星の法が一つになるとは、どういうことなのでしょう。」
龍岳はゆっくりと立ち上がった。
香炉の煙の向こうに、その姿が揺らぐ。
「日の国の法は生命エネルギーを開く。」
「はい。」
「金星の法は脳を開く。」
「はい。」
「生命と智慧。その二つが結びついたとき、人は初めて仏陀の道を歩むことができる。」
蓮真は静かに聞き入った。
龍岳の声はさらに深みを帯びる。
「それがメシアの法である。」
風が障子を揺らした。
「メシアとは特定の人物ではない。」
龍岳は言った。
「人々を苦しみから解放する智慧そのものだ。」
「智慧……。」
「仏陀が説いた縁起の法。そして八正道。その真理を体得した者は、自らの心を超え、他者の苦しみに寄り添うことができる。」
龍岳は天を見上げた。
「熱と冷。太陽と月。生命と智慧。日の国の法と金星の法。その二つが一つになったとき、人の内に四神足の力が育まれる。」
蓮真の胸に、不思議な感覚が広がった。
それは理解というより、遠い記憶が呼び覚まされるような感覚だった。
香の煙は静かに昇り続けている。
月は杉木立の上に輝いていた。
そして蓮真は思った。
人類が求め続けてきた救済とは、遠い未来から訪れる奇跡ではない。
それは、一人ひとりの内に眠る生命と智慧が目覚めることなのかもしれない、と。
道場の静寂の中で、龍岳は最後にこう語った。
「真の明星は空にはない。」
その言葉は深く心に響いた。
「それは、人の内なる仏性の光なのだ。」
夜明けは、まだ遠かった。

日の国の法

日の国の法

それが、「日の国の法」だったのである。

ノストラダムスがその予言詩で、

日の国の法と金星の法が競い合う

といった「日の国の法」がこれだったのである。

わたくしは、さきに、「日の国の法」とは、日本の古代神法「息吹き永世の法」であるとのべた。

仏陀の法のピンガラ、イダーを開発形成する法は、日本の古代神法「息吹き永世」 の中にあったのである。

わたくしは、いまから一九年も前の一九七二年に刊行した『密教・超能力の秘密』 の中で、このことをいっている。さきに抜粋したものをもう一度のせてみよう。

私も以前、修行中に、これが息吹き長世の法であるという二、三の法に接したが、 世にいうほどの秘法とも思われず、さりとて、私にもそれが本当のものであるか、 そうでないかを見きわめるほどの古神道の素養もなく、そのまま過ごしてきたことであった。

ところが、クンダリニーの覚醒に際して、私は、まったく思いがけず、この息吹き長世の呼吸法を発見したのである。

息吹き長世の法の特長は、この法成就するや、寒熱自在の息を長嘯す、とあるように、定に入ると、凍るように冷たい息と、熱風のように熱い息とを交互に、自在に吐くのである。この、寒熱自在の息は不思議な力があって、法の通りにこれを息吹くと、いかなる病気も、怪我もたちどころに痛みが去り、快癒におもむくとされている。瀕死の病人にむかい息吹くとき、神の新鮮な生命力を吹きこまれて、たちどころによみがえり、元気充実す、という。おかしたる罪けがれも一切浄化される。 天地四方にむかって息吹くときは、悪霊、怨念、低級の霊、すべての障害が消滅する。「是レ、神ノ息吹キ也」とある。修行者が常時これを修すると、神人合一して

三〇〇歳の長寿を得るという。

私が、クンダリニー覚醒に際して、痛烈なショックをうけたときに、もっともいちじるしいことは、急激な寒さと、燃えるような熱さとが、交互に全身を襲ったことであった。そうして、寒さにおそわれたときには、吐く息も、氷のように冷たい息であった。腹の底からかあッと熱いものがこみあげてきたときには、息もたえだえに熱風のような息を吐いた。二、三○秒おきにこの寒熱が全身をおそうのであるから、たまったものではないのだ。からだ中の細胞がバラバラになってしまうのではないかと思われ、大の男が思わず悲鳴をあげてしまう。

このときは気がつかなかった。のちになって、このときの呼吸のしかたが異常だったことに気がつき、何度もそれをくりかえしてみた。最初はできなかったが、定に入り、腹部と胸部のチャクラを使うと、次第にこの特殊な呼吸法ができるようになった。寒熱自在の息を吐く呼吸法のコツが体得できた。はなしに聞く息吹き長世の呼吸法がこれであると合点された。

息吹き長世の原点は、古代ヨーガのなかにあったのである。この呼吸の技術は、

古代ヨーガ虫寺の

古代ヨーガ独特のものである。息吹き長世の秘法は、この技術によるものであることは疑いない。

この古代ヨーガの技術がどのようにしてわが国の古代神道にとり入れられたものか、私にも判然としない。おそらくは、神代とよばれる古い時代に、古代ヨーガを体得した超人が、大陸から渡来してこれをつたえたものであろう。あるいは、それが、この国で神とよばれるこの国の始祖になったのかも知れない。

たしかに、この特殊な呼吸法は、肺と心臓の機能をいちじるしく強化して、全身の血流を浄化し、体力を異常にたかめると同時に精神をふかく鎮静させ、頭脳を新鮮な思考力でみたしてくれる。また、それは心のおくふかくわかわかしいロマンをかきたててくれるようである。それは古代の神への回帰であろうか。ふかい定に入ると、たくましい古代の神々が、果てしなく深い青空にむかって、厚い胸をそらし、 声をかぎりに神叫びにおらぶ、ゆたかな声量がわが胸に躍動してくる思いだ。この刹那の悠揚たる充実を持ちつづけるならば、人はたしかに三○○歳を生きつづけることも難事ではあるまい。私はいま、この呼吸法を、だれでも容易に体得できるよ

う、あたらしい古代神法、『息吹き長世』の復元をはかりつつある。古神道の行法にのっとり、クンダリニー・ヨーガのチャクラをとり入れたピンガラ、イダーの開発法はすでにほとんど完成している。ただ、この法は、ごくデリケートな呼吸の操作を必要とし、もし間違えるとよくない影響もあると考えられるので、ペンだけの表現でつたえることは不可能である。実地の指導なくしては体得し得ない。読者はべつな機会を持ってほしいのである。

(『密教・超能力の秘密』平河出版社刊)

一九年の昔の、まだ修行途上時代の筆であるから、いまから見ると、思い違いをしている部分もあり、完全に把握していない部分もある。しかし、大筋において間違ってはいない。

以来、十数年の間、わたくしは、わき目もふらず、ひとすじに、この法を追求しつづけてきた。そして、結局、これが、仏陀の法につながっていたことをさとったのである。

右の文章中、「古代ヨーガ」とあるのは、「仏陀の法」だったわけである。当時のわたくしには、そこまでの眼がなかったのである。勉強不足であった。十数年間の一筋の修行が、その目をひらかせてくれたわけである。(阿含経に深くふれたのは、このあとのことであった)

前の節にのべたビンガラ・イダーを開発する「秘密マントラ特殊詠唱法」の呼吸法が、じつは古代神法「息吹き永世」の呼吸法なのである。

というのは、息吹き永世の法では、『寒熱自在の息を吐く」のであるが、これは、 ピンガラ、イダーのはたらきによるものと思われるからだ。

クンダリニー・ヨーガでは、

とされ、 ピンガラは「太陽の気道」と呼ばれ、高い熱気を伴う

とされる。 イダーは、「月の軌道」と呼ばれ、冷寒を伴う

仏陀の法では、ビンガラが発する熱を、「発動・昂揚」のエネルギーに変え、イダ

う、あたらしい古代神法、『息吹き長世」の復元をはかりつつある。古神道の行法にのっとり、クンダリニー・ヨーガのチャクラをとり入れたピンガラ、イダーの開発法はすでにほとんど完成している。ただ、この法は、ごくデリケートな呼吸の操作を必要とし、もし間違えるとよくない影響もあると考えられるので、、 表現でつたえることは不可能である。実地の指導なくしては体得し得ない。読者はべつな機会を持ってほしいのである。

(『密教・超能力の秘密』平河出版社刊)

てはいない。 一九年の昔の、まだ修行途上時代の筆であるから、いまから見ると、思い違いをしている部分もあり、完全に把握していない部分もある。しかし、大筋において間違っ

ある。 以来、十数年の間、わたくしは、わき目もふらず、ひとすじに、この法を追求しつづけてきた。そして、結局、これが、仏陀の法につながっていたことをさとったので

右の文章中、「古代ヨーガ」とあるのは、「仏陀の法」だったわけである。当時のわたくしには、そこまでの眼がなかったのである。勉強不足であった。十数年間の一筋の修行が、その目をひらかせてくれたわけである。(阿含経に深くふれたのは、このあとのことであった)

前の節にのべたピンガラ・イダーを開発する「秘密マントラ特殊詠唱法」の呼吸法が、じつは古代神法「息吹き永世」の呼吸法なのである。

というのは、息吹き永世の法では、『寒熱自在の息を吐く」のであるが、これは、 ピンガラ、イダーのはたらきによるものと思われるからだ。

クンダリニー・ヨーガでは、

とされ、 ピンガラは「太陽の気道」と呼ばれ、高い熱気を伴う

とされる。 イダーは、「月の軌道」と呼ばれ、冷寒を伴う

仏陀の法では、ビンガラが発する熱を、「発動・昂揚」のエネルギーに変え、イダ

―が発する寒冷を「沈静・凝縮」のエネルギーに変えたのであろう。

のである。 息吹き永世では、このエネルギーを「神の息吹き」として、人びとの救済に用いた

る。 こういうかたちで、仏陀の法が古代神法の中に生きていたのだと思うと、一九年の昔も今も、わたくしの胸は、古代の神々への限りない回帰の念にうちふるえるのであ

この法の伝授については、一九年の昔の文章をそのままのせるしかないであろう。

即ち、『この法は、ごくデリケートな呼吸の操作を必要とし、もし間違えるとよくない影響もあると考えられるので、ペンだけの表現でつたえることは不可能である。実地の指導なくしては体得し得ない。読者はべつな機会を持ってほしいのである。と。

グエニュ金星の法

ノストラダムスの予言詩にある「金星の法」とは、求聞持聡明法のことであると、

さきにのべた。

求聞持聡明法は、「明星」すなわち金星を祀って観想を凝らし、マントラを唱えて、 修行をする。これ以上に、「金星の法」というのにふさわしい法はないであろう。しかも、この法は、人の脳を改造し、すぐれた賢人にする法とされている。まさに、救世主の法とするに足る法ではないか。

それはなにか? しかし、わたくしが、この求聞持聡明法を以て、金星の法と断定するのは、それだけのことではないのである。もっと深い理由があるのである。

そのことについて、わたくしは、一九年前のむかし、『密教・超能力の秘密』で、 “求聞持聡明法・明星の秘密』と題して、つぎのようにのべているのである。

まず、最初、真言密教の求聞持法をのべてみる。

「この法を修するには、東南西三方の晴れたるところを最上とする。東方のみでも悪くはない。道場の東壁に小窓をつくる。これは虚空蔵の化現である明星(金星) あらわれ

の光を道場にさし入れるためである。また、朝日夕月の光を本尊にあてる意もあり、 あるいは小窓に絹を張り、黄色の種字の字を書いて、そこから、明星の光をとおして本尊にあてるためでもある」

とまず場所を制定し、つぎに、さだめられた本尊の印明を百万べん、五十日あるいは百日に読誦するのであるが、日蝕または月蝕の時に結願するよう開白(はじめること)しなければならぬとある。

弘法大師空海は、求聞持聡明法成就の体験を、

「阿国大滝の缶にのぼりよじ、上州室戸の崎に動念す。谷響を惜しまず、明星来影す。云々」

ってしまう。 と語っている。阿波の大滝岳にのぼり、土佐の室戸岬でこの法の修行にはげんだところ、谷はこだまし、明星があらわれるなど、法にいわれている通りの現証があり、法が成就した――、というのであるが、これは、このまま鵜呑みにすると間違

真言密教の求聞持聡明法秘伝に、こうある。

と。 「明星来影す、というのは、結願に際して、香に火を置き、明星を拝したとき、四方が暗く明星が見えなければ、修行が成功せず、失敗したのである。暗くても明星が現われれば下品の成功であり、四方が少々晴れて明星が現われれば中品、ことごとく晴れて明星現われれば成就、明星が眼前に現われ遊曳するのが、最高の成功である。四方が晴れても明星が現われなければ、失敗である」 ゆうえい

これがちがうのである。全くちがう。

こういう口伝や奥伝を頼りにいくら修行しても、気の毒だが、求聞持聡明法は成

就しない。

なぜか?

明星は、天空には現われないのである。

では、どこにあらわれるのか?

その結果が、二○○○年にわたるキリスト教国、イスラム、ユダヤ教国の絶えざる戦乱、殺し合いではないのか? そしてそれは今もつづいている。

生者、死者を問わず、解脱成仏させる法は、仏陀の法にしかないのである。仏陀が、 阿含経に説かれた七科三十七道品の成仏法にしかないのである。

どうしてそういうことがいえるのか?

仏陀の成仏法について解説しよう。

メシア仏陀の成仏法のメカニズム

さきに、わたくしは、仏陀が、『すべての呼吸法において、これ以上のものはない最上の呼吸法である」と説かれた四つの呼吸法を紹介した。 そして、こうのべた。

「この呼吸法が、なぜ最上深秘のものであるのかというと、この呼吸法は、専ら脳を対象としたものであるからだ。脳のチャクラを動かし、脳の神経経路を改造し、殊に、

 

 

 

 

 

それについて、わたくしは、別のページで、つぎのように修行体験をのべている。

夜明け、

――――、三度目の必死の修法に私は入っていた。

それは、ほぼ一〇〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニングのときであった。真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、それに古代ヨーガに伝わる特殊な呼吸法、古代ヨーガの秘法から私が創案した特殊な手印とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだと大脳皮質と脳髄は、微妙な変化をおこしつつあることが感じられていた。チャクラの開発も順調にすすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じていた。

「ああッ!」 まどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。しびれの感覚であった。かるい失心、めまいに似ていた。忘我の一瞬であった。その刹那、

と私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流がながれた感覚が走った。落雷があったと感じた。目の前を紫電が走った。つぎの瞬間、眼前でフラッシュをた

いおうかれたように、私の視野は真っ暗になった。失明! という考えが、チラリと脳裏をよこぎった。と、そのときであった。頭の内奥、深部に、ポッカリとあかりがともったのだ。そして、それは、私の脈順どおなじリズムで、しずかに、しずかにまこの修法をはじめる数十日まえ、山にこもって見つめたたきはじめた。ちょたあのときの暁けの明星のように――それは冷たく、黄ばんだ白さでまたたいた。

「そうか!」

私は力いっぱい膝をたたいた。

「そうか! これが明星だったのか!」

私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した!

つまり、明星とは現実の明星ではないのである。

大脳のある部分をある方法で刺激すると、目の前に光が見えるのである。

その光は、形も色も大きさも、いろいろに見えるが、意識を記憶の座に向けて沈静させると、つめたい、やや黄色みを帯びた白銀色になって、しずかに目の中でま

たたく。それはちょうど明星そっくりに見えるのである。

これが明星なのだ!

(『密教・超能力の秘密」)

脳のチャクラが開発されたとき、間脳、視床下部の辺で、光を感ずるような刺激が生ずるのである。神経経路がスパークするのであろうか。

わたくしがここでいいたいのは、ノストラダムスが予言した「金星の法」は、真言密教の求聞持聡明法ではなく、仏陀の求聞持聡明法であったということである。 なぜならば、脳にきらめくこの金星は、仏陀の法でない限り、ぜったいにあらわ

れないからである。

ノストラダムスは見たのである。四五〇年の昔、未来の世にあらわれる仏陀の脳の

奥ふかく燦然ときらめく金星の光を。

そして名づけたのだ。「金星の法」と。

メシアの法

救世主の法は、他のものが持たぬ二つの力を持たねばならない。

それは、第一に、これまで説いてきたように、人間の脳の致命的な欠陥を、根本的に改造する力である。

第二に、メシアの法は、生者を救うだけではなく、死者をも救済する力を持っていなければならない。全地球上にみなぎる死者の怨念を消滅させる力である。

霊的な力を持つ聖者ならばだれでも、地球を覆う死者の悲泣呻吟の声を耳にして、 心痛の限りを尽くさぬものはない。

この死者の怨念のバイブレーションが、すべての人の深層意識を動かしている。ことにおそろしいのは、もの心つかぬ幼少年の心に深い傷や亀裂をあたえていることだ。 フロイトによると、ヒトが生まれてからの数年は、一種の催眠に似ており、その数

年間に幼児はさまざまな影響と暗示をうける。それらの影響と暗示が、のちになって

現実と衝突し、その結果、葛藤や精神外傷が生ずる。子どもは、そしておとなになってからも、それらのことをなにも想い出せないが、かれが気づかなくとも、それらはかれの行動にたえず影響をおよぼす、と説く。

一種の催眠状態にある幼少児の柔い脳と深層意識に、死者の怨念のバイブレーションは、深くきざみこまれる。成長してから、どんなに平和思想を教えられても、それは消えない。かえってそれはかれのこころに葛藤と精神外傷をあたえるだけだ。

ノストラダムスの予言詩によれば、メシアの法は、日の国によって保たれるという。

日の国とは、日本のことである。日の国、というから日本だという単純な発想でいっているのではないのである。必然的な論理がある。

それは、キリスト教にも、イスラム教にも、ユダヤ教にも、死者の怨念を消滅させる法がない、ということである。

だつじようよっ死者の怨念を消滅させることを、解脱・成仏させるという。この考えかたは、キリスト教にも、イスラム教にも、ユダヤ教にもない。そういう考えかたがないのだから、

そういう法がないのは当然である。

 

と。 脳に特殊な能力を持たせる呼吸法であるからである」

この中で、最も重要なのが、脳に特殊な能力を持たせる。という部分である。

どんな能力を脳に持たせるのか?

ひと口でいうと、脳の一部が、発信器、受信器に変わるのである。

アジナー・チャクラが受信器、サハスラーラ・チャクラが発信器になるのだ。

どんな発信器、受信器なのか?

第四次元をふくむ他次元世界との交信器である。

るのである。 これで死者の怨念を受信し、怨念を消滅させるエネルギーを発信して解脱成仏させ

成仏していない死者は、いうならば、三・五次元の世界において、怨念としての存

在をつづけている。この存在にたいして、発信するのである。

なにを発信するのか?

仏陀のさとりの核ともいうべき「縁起の法」と「八正道の教え」である。

これで、死者の怨念は消滅する。

そういうと、いかにもかんたんなようであるが、決してそうではないのである。

最も大切なことは、発信者が、縁起の法と八正道を完全に身につけ、さとりの境地が、仏陀と同等のところにまで到達していなければならないということである。

発振するのである。 相手は、つよい怨念を残して狂い苦しんでいる存在である。難解な縁起の法、八正道の教えを、そのまま説いたって、通じようはずがない。完全なさとりそのものを、 バイブレーションとして相手に発信するのである。発信は発振なのである。死者の怨念は、さきにものべたように、バイブレーションとして存在しているのである。その怨念のバイブレーションに、仏陀の完全なさとりそのものをバイブレーションとして

ことばや概念ではない、純粋にさとりの心そのものを、バイブレーションとして発振するのである。だから、人種・民族・言語の障壁はない。すべての人間に即座に通ずるのである。それには、ウマの脳(心)や、ワニの脳(心)が少しでも残っていたら、相手の怨念を消滅することはできない。なぜならば、怨念とは、ワニの脳やウマ

の脳がつくり出したものであるからだ。

いかなる名僧、高僧といえども、仏陀が阿含経に説かれた成仏法――七科三十七道品、ことにその中心である四神足法を体得していなければ、死者を成仏させることのできない理由が理解されたであろう。

たんなる念力だけでは、どんなに強い念力でも、死者の怨念には通じないのである。 仏陀の最上深秘の呼吸法によって脳を改造し、霊的バイブレーションの発信装置を持たなければ、異次元世界の存在である死者の怨念には通じないのである。

また、死者の怨念は、仏陀の縁起の法の真理以外、解くことができない。神の救いや、仏の慈悲をいくら説いても、役に立たないのである。慰さめにはなるけれども、 完全解脱はできないのである。

人類は一律に、その深層意識に、死者の怨念による反覆強迫観念を持ち、不幸な運命の反覆に苦しんでいる。仏陀の成仏法なくして、人類に平和と安穏は永久に来ないのである。

その成仏法は、いま、日本にしかない。

双方たがいに耳をかたむけないが。

ということばは、前の詩句の、日の国の法と金星の法、にかかるのではなく、そのあとの、偉大なるメシアの法、にかかるのである。

つまり、こうなる。

日の国の法と金星の法が競いあう

予言のエスプリをわがものとしながら双方たがいに耳をかたむけないが偉大なる

メシアの法は日の国によって保たれるだろう

これで、意味が通ずるようになる。

大体、メシアの思想というのは、他の宗教にもないことはないが、ユダヤ教、キリスト教に最も顕著のものである。そこで、双方たがいに、というのは、ユダヤ教とキリスト教のことと思われる。この双方は、おなじ根から出ていて、おなじ予言のエスプリ」すなわち、ともにメシアの救済の予言を持っている。それでいて、たがいにあい容れないでいる。たがいに自己主張をしていて、双方、耳をかたむけようとしな

い。

この二行の句の意味は、ユダヤ教もキリスト教も、メシア救済を説くが、どちらにもメシアは期待できない、偉大なメシアの法は、日本によって保たれ、日本から出現するであろう。

という意味なのである。

われわれはすでに、このことを知っている。

日の国の法と、金星の法が一つになって、仏陀の成仏法の中心である四神足法が完

成される。その過程をあなたはつぶさに見てきた。

このままでは、確実に地球は潰され、人類は滅亡するだろう。われわれは、つい昨日、神の名を口にする人たちによって大量の殺し合いがおこなわれ、すさまじい環境

破壊がおこなわれるのを目にしてきた。そしてそれはいまもつづいている。

いまがギリギリのタイムリミットだ。

起て! 日の国の、メシアの法の使徒たちよ。

 

 

 

 

反重力の修行 Anti-gravity training

反重力の修行
Anti-gravity training

 

 

秋の月影 杉を照らし
静かな風が 夜を渡る
香の煙は 空へ昇り
明星の光が 今目覚める

カルマの鎖に 縛られながら
人は幾度も 生まれ変わる
見えない重力 運命の波に
流され続ける 魂の旅路

だが師は語る 静かに深く
「解脱とは空へ飛び立つこと」
間脳の奥に 眠れる光
その扉を開けと 呼びかける

反重力の修行よ いま羽ばたけ
輪廻の重力圏を 越えてゆけ
白銀の明星よ 心に灯れ
智慧と慈悲の空へ 導きたまえ

九種の印明 百日の祈り
呼吸は静かに 天へ昇る
雷のような 閃光のあと
脳の奥深くに 星が生まれた

言葉を超えて 伝わる力
如来の波動が 胸を満たす
王者の相承 光の流れ
魂は目覚めて 空を翔ける

反重力の修行よ いま解き放て
カルマの鎖さえ 光に変えて
黄白の明星よ 永遠に輝け
視床下部の彼方に 仏性は眠る
南無仏 南無法 南無僧
明星の光とともに

反重力の修行 Anti-gravity training

反重力の修行
Anti-gravity training

 

秋の夜は更けていた。
山あいの道場を囲む杉木立の間を、冷たい風が静かに吹き抜けてゆく。
障子越しの月明かりが畳を青白く照らし、香炉から立ちのぼる白い煙がゆらゆらと天井へ昇っていた。
蓮真は龍岳の前に正座していた。
古びた机の上には、一冊の分厚い書物が開かれている。
龍岳はそのページに目を落としながら、静かに語り始めた。
「蓮真よ。昔、あるジャーナリストが私に尋ねたことがあった。」
「どのようなことでしょうか。」
「エレクトロニクスと霊性を結ぶものは何か、と。」
龍岳は微かに笑った。
「私はこう答えた。『それは瞑想から始まる』と。」
蓮真はうなずいた。
瞑想。
それは仏教修行の基本であり、心を静め、智慧を育てる道である。
しかし龍岳は首を横に振った。
「だが、そこで話は終わらなかった。」
「終わらなかった……?」
「その人は続けて聞いたのだ。『では、間脳の開発も瞑想なのですか』と。」
龍岳は静かに目を閉じた。
「私は答えた。『いいえ』と。」
蓮真は思わず身を乗り出した。
「瞑想ではないのですか?」
「瞑想から始まる。しかし、瞑想だけではない。」
道場の空気が静まり返る。
龍岳の声だけが、夜気の中に響いた。
「霊性の完成とは、心を落ち着かせることではない。欲望を抑えることでもない。ましてや思考を変える程度のものでもない。」
香の煙がゆっくりと揺れた。
「霊性の完成とは、カルマを超えることだ。」
蓮真は息を呑んだ。
カルマ。
業。
生まれながらに背負う因果の流れ。
龍岳は窓の外を見つめた。
「カルマとは、地球の引力のようなものだ。」
「引力……。」
「人も、動物も、木々も、すべては引力に支配されている。同じように、人間は輪廻のカルマに支配されている。」
月明かりが龍岳の横顔を照らした。
「だから解脱とは、引力から飛び立つことだ。」
蓮真は目を見開いた。
龍岳はゆっくりと言った。
「反重力の修行だ。」
その言葉は雷のように蓮真の胸へ落ちた。
反重力。
それは単なる精神論ではない。
存在を変えてしまう修行だった。
「では、その力はどこから生まれるのですか。」
龍岳は自らの額を指さした。
「間脳だ。」
「間脳……。」
「特に視床下部。」
龍岳の目が鋭く輝く。
「ここが変わると、人間全体の波動が変わる。」
「波動……。」
「カルマという重力圏を越えるためには、自分自身の振動数を変えねばならない。」
蓮真は静かに聞き入っていた。
「その結果、全身のエネルギーが変化し、特殊な精神状態と肉体状態が生まれる。」
龍岳は続けた。
「やがて光が発生する。」
「光?」
「オーラだ。」
香炉の煙が月光を受けて銀色に輝いた。
「その光の発光源は間脳にある。」
蓮真は思わず額に手を当てた。
第三の目。
アージュニャー。
視床下部。
それらが一本の線で結ばれていくように感じられた。
「では、どうすれば間脳は開発されるのでしょう。」
龍岳は静かに答えた。
「練行だ。」
「練行……。」
「サンスクリットでいうタパス。」
その声には確信があった。
「多くの人は苦行と訳す。しかし私はそうは思わない。」
龍岳は拳を握った。
「魂と肉体と脳を鍛え上げる訓練。」
「それが練行だ。」
しばらく沈黙が流れた。
やがて龍岳は別の話を始めた。
「チベット密教には三つの相承がある。」
蓮真は姿勢を正した。
「思念による王者の相承。」
「象徴による持明者の相承。」
「耳を通した言葉による人の相承。」
龍岳の声は静かだった。
しかしその内容は壮大だった。
「最高のものは王者の相承だ。」
「どのようなものですか。」
「完成した如来が、言葉も象徴も使わず、直接その心を伝える。」
蓮真は息を呑んだ。
「心から心へ……。」
「いや。」
龍岳は首を振った。
「心というより、力だ。」
道場の空気が震えたように感じられた。
「仏陀の波動そのものが流れ込む。」
「それが王者の相承。」
蓮真は静かに目を閉じた。
言葉を超えた伝達。
それはまさに霊的バイブレーションだった。
「しかし、その最高の伝達を受けるにも準備がいる。」
龍岳はそう言った。
「準備とは。」
「タパスだ。」
そして龍岳の表情が変わった。
遠い過去を見つめるような眼差しになった。
「私もかつて求聞持聡明法を修した。」
蓮真は顔を上げた。
龍岳が自らの修行体験を語ることは珍しい。
「三度目の挑戦だった。」
「三度目ですか。」
「最初は失敗した。」
龍岳は苦笑した。
「集中力は増した。しかしそれだけだった。」
「二度目は。」
「古代ヨーガの呼吸法を取り入れた。」
龍岳の目が輝く。
「そこで確信した。」
「この道だ、と。」
夜明け前の静寂。
百日目の修行。
九種の印明。
特殊な呼吸。
特殊な姿勢。
すべてが一つに結びついた。
そのときだった。
突然、脳の奥に電流が走った。
落雷だった。
世界が真っ白になった。
失明したかと思った。
しかし次の瞬間――
頭の奥深くに、小さな光が灯った。
それは静かに瞬いていた。
呼吸に合わせるように。
鼓動に合わせるように。
冷たく。
黄みを帯びた白銀色に。
まるで夜明け前の空に輝く明星のように。
龍岳はその時の驚きを思い出したように目を細めた。
「そうか……。」
蓮真は思わず身を乗り出した。
龍岳は静かに言った。
「これが明星だったのか。」
その言葉とともに、道場は再び静寂に包まれた。
障子の向こうでは、東の空がわずかに白み始めていた。
そして蓮真は感じていた。
明星とは空にある星ではない。
それは人間の脳の奥深く――
視床下部の彼方に眠る、
覚醒への光なのだということを。

反重力の修行

反重力の修行

わたくしは、さきに、ジャーナリストのK氏から、エレクトロニクスと霊性をむすぶものはな

にかと質問されて、それは瞑想からはじまると答えた。

そのあと、はなしが大分すすんでから、

「それでは、間脳の開発をするのも、瞑想ですか?」

と聞かれた。わたくしは、

「いいえ」

とかぶりをふった。

「瞑想じゃないのですか?」

「いいえ」

とわたくしはこれにもかぶりをふった。

K氏は、けげんそうな表情でわたくしを見つめた。

そこでわたくしは答えた。

「それは瞑想からはじまるのです」

なるほど、というようにK氏はうなずいた。わたくしは説明した。

のだ。 それは瞑想からはじまるのだが、瞑想だけではないのだ。霊性の完成は、瞑想だけでは不可能なのである。こころの安定、欲望の調節、本能の抑制、といった程度のものでは、とうてい到達できない境界である。思念、想念の変化くらいでは、ぜったいに行きつくことのできない次元な

なぜか?

霊性完成の到達点は、カルマからの超越である。

元が変るのである。 カルマとはなにか? いうならば、地球における引力のようなものである。地球上に存在するものすべて、地球引力の支配下にある。いかなるものも、引力からのがれることはできない。いや、地球という存在そのものが、引力によって成り立っているのである。人間におけるカルマもその通りである。ひとはすべて、輪廻のカルマの絶対的な規制をうけている。 もろもろの「因縁」が生じて、人間を繋解しているのである。いや、カルマと因縁によって、人間が成立しているのだ。このカルマと因縁の緊縛から完全に解脱したときが、霊性の完成である。いうならば引力からの脱出である。反重力の修行なのだ。その修行によって自分の存在の次

初布とはなにか? それは究棚のところ『設動”である。『自分”という波動を変えてしまうのだ。それによりカルマ」という波動を越えてしまうのである。人間という存在の波動を変える原点は間脳の視床下部にある。ここの波動を変えることにより、全身の波動が変り、特殊な精神改動と肉体波動を持つ存在になる。それは、カルマの規制を受けない、ふつうの人間とはまたことなった、高度な霊的存在とよぶよりほかない存在となるのである。これが成就すると、特殊な「光」が発生するようになる。この特殊なオーラの発生は、全身の波動が変化したことを示すのである。オーラについてはまたあとでのべるが、このオーラの発光源は間脳なのである。 瞑想だけでは、以上のような次元の変化”は不可能である。もちろん、こころの安定、集中、 まったくあたらしい高い次元へのメディテイト、等、瞑想はこの修行にぜったい必要なものである。しかし、それは一つの手段にすぎない。瞑想は、大脳辺縁系と新皮質脳しか動かすことができない。だから瞑想だけではだめなのである。間脳をはたらかす瞑想でなければ、オーラは発生

しない。したがって、カルマを越えることはできないのである。

では、なにが必要なのか?

特殊なtapas (練行)である。

学者は tapas を苦行と訳しているが、わたくしはこれを、練行と訳したい。そしてこの練

行がぜったいに必要なのである。

思念による王者の相承

チベット密教のニンマ派では、古くから解脱の完成に三つの方法があると説いている。

思念による王者の相承rgyal ba dgongs pa’i brgyud pa

象徴による持明者の相承―rig ‘dzin brda’i brgyud pa

である。

耳を通したコトバによる人の相承――gang zag snyan -gang zag snyan gyi brgyud pa

けの『思念による王者の相承』とは、霊界の法の世界において、法の完成者タターガタ(如来)

が常慣に法を説いている。この法身タターガタが、コトバや象徴という媒介なしに、直接相手のこころに自分のこころを伝達するものである。この場合、こころ、というのはたんなる思念のこころではなく、パワーを主としたものと思うべきである。これによって、相手はたちどころにブッグとして完成するのである。

る。 これは最高であり、理想的なものであること、もちろんである。「王者の」、という所以であ

白の『象徴による持明者の相承』とはどういうものかというと、象徴とは、ある言葉、形、 音、色などに複雑な思想の内容を圧縮してつめこんだものをいい、また、持明者(rig ‘dzin) は、純粋なこころで実相をそのまま見ることができる真如の世界に到達した者たちのことである。この相承(方法)では、真如の理解を持つ持明者たちは、導師から象徴を示されることで、 密教の深奥に到達する教法を授けられるのである。

以上のすぐれた方法にたいし、ふつうの人間は、霊感はなかなか得がたく、また象徴だけでは深い密教の教法を即座に理解することはできない。そこで、ラマが、いろいろなコトバを用いてくわしく説き明かし、弟子に理解させてゆく。いわゆる『口頭伝授』である。これが、回の『耳を通したコトバによる人の相承』である。 こうとうせんじゅ

以上の三つの方法を、わたくしは、つぎのように分類する。

思念による王者の相承――間脳系霊的バイブレーション

象徴による持明者の相承――新皮質系=マントラ、タントラ、コトバ、音楽、象徴、

耳を通したコトバによる人の相承―――大脳辺縁系=コトバ、マントラ、音楽

きゆうきよくしじようこれは、チベット密教だけではない。世界中のいかなる宗教でも、究極至上のものに到達するためには、この三つの方法しかないであろう。

しかし、究極至上のものに到達するためには、この三つだけでは不十分なのである。欠けてい

るものがある。なにが欠けているのか? さきにのべた練行 tapas である。

だが、そういうと、けは最高理想のものなのであるから、他のなにものも必要ないのではないかといわれるかも知れない。そうではないのである。その最高理想のものを受けるために、 tapasは必要なのである。では、そのtapasとはどんなものか?

それには、一つの例として、わたくしの修行体験をおはなしするしかないと思われる。

それを見ていただくことにしよう。

いまからおよそ、十二、三年前の修行体験である。『密教・超能力の秘密』からの抜粋である。

求聞持聡明法の秘密

私は定に入っていた。

 

ひたすらふかい錠制に入っていた。

修するは求聞持聡明法。三度目の修法であった。

最初は真言宗教の行法に拠った。完全な失敗であった。それは集中力を高めるという効果はあったが、それ以上のものではなかった。つぶさにこの行法を検討して、私は、しょせ

ん、真言宗密教の求聞持聡明法に、大脳皮質の構造を一変するごときシステムはないとの結論を得た。すくなくとも、従来のままの行法に、 行法に、それだけの力はない。求聞持聡明法を成就して、悉地を得たという仏弘法大師空海は、あとにのこしたこの行法以外に、必ず、なんらかの秘密技術を体得しているのに相違なかった。彼ののこした求聞持法の行法は、その秘密技術のヒントになるべきもののみをつらねたに過ぎず、その秘密技術は――おそらく、自分自身の訓練努力によってみずからが発見せよとつきはなしているのにちがいなかった。それを発見するだけの努力をし、発見できるだけの資質のあるもののみがそれをわがものとする資格があるのだ、と、つめたく未来を見すえている不世出の知性の目を、私は行法次第のなか

に感じた。それゆえにこそ、宗教者としてゆたかな天分を持つ興教大師覚が、七たびこれを修して失敗し、八度目にしてようやく悉地成就を得たという難解の行法となっているので

ある。そうでなければ、覚鏢ほどの才能が、なんで七たびも失敗しようか。

(略)二度目の修法に私は、古代ヨーガの技術をとり入れた。ひしひしと感得するものがあ

った。五〇日のその行で、求聞持法の成就はみられなかったが、私の考えのまちがいでなかったことがよくわかった。この方法で、求聞持法はかならず成就する。つよい確信を得た。 この技法を積みかさね、延長してゆけばよい。これしかない。ぜったいの自信を得た。

しつづける必要がなかった。常住座臥、閑寂の部屋ならば、時、ところをえらばなくてもよいのであった。ただ、最初の三日ないし七日間、山居して明星とあい対し、これをふかく脳裡にとどめておけばよかった。あとは、三〇日、五〇日、一〇〇日、よしんば一〇〇〇日か

かろうとも、日常の生活の行忙のうちにトレーニングを積みかさねてゆけばよいのであっ

かんじゃくこの、私の技法によれば、従来のごとく、山にこもって五〇日ないし一〇〇日、明星を拝ために、どうしても。

た。この発見はすばらしいものであった。これでなくては、法はついに民衆と無縁のものに

なってしまう。五〇日、一〇〇日、特定の山にこもらねば成就しないというのでは、ごくかぎられた人たちのみしか参加することはできない。民衆と無縁になってどこに法の存在価値

があろう。私は、このシステムによって、この法を完成せねばならぬ。法のために、民衆の

そして、三度目の必死の修法に私は入っていた。

それは、ほぼ一〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニングのときであっ

た。真言宗に伝わる求間持法の九種の印明、それに、古代ヨーガに伝わる特殊な呼吸法、古

代ヨーガの法から私が創案した特殊な平とポーズ、この三つによる』」

のからだと大脳皮質と脳は、微妙な変化をおこしつつあることが感じられていた。チャクうの開発も順調にすすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じていた。

夜明け、

まどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。いびれの感覚であった。 かるい失心、めまいに似ていた。夜の一瞬であった。その刹那、

「ああァー」

「そうか!」

と私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流がながれた感覚が走った。落雷があったと感じた。目の前を電が走った、つぎの瞬間、駅でフラッシュをたかれたように、私の視野はなっ旅になった。失明!という考えが、チラリと脳をよこぎった。と、そのときであった。頭の内、深部に、ポッカリとあかりがともったのだ。そして、それは、私のとおなじリズムで、しずかに、しずかにまたたきはじめた。ちょうど、この修法をはじめる敵十日まえ、山にこもって見つめたあのときの晩けの明星のように―――それはつめたく、黄ばんだ白さでまたたいた。

私は力いっぱい膝をたたいた。

「そうか!これが明星だったのか!」

私は目をみはって呼んだ。私はついに明星の秘密を発見した!

第三の発見床下部の秘密

ろであ私は幼少のときから剣道をしこまれた。落の剣術師範の家柄に生まれ、若年の折、江戸お玉ヶ池の千葉門で北辰一刀流を学んだという祖父に、