日の国の法
それが、「日の国の法」だったのである。
ノストラダムスがその予言詩で、
日の国の法と金星の法が競い合う
といった「日の国の法」がこれだったのである。
わたくしは、さきに、「日の国の法」とは、日本の古代神法「息吹き永世の法」であるとのべた。
仏陀の法のピンガラ、イダーを開発形成する法は、日本の古代神法「息吹き永世」 の中にあったのである。
わたくしは、いまから一九年も前の一九七二年に刊行した『密教・超能力の秘密』 の中で、このことをいっている。さきに抜粋したものをもう一度のせてみよう。
私も以前、修行中に、これが息吹き長世の法であるという二、三の法に接したが、 世にいうほどの秘法とも思われず、さりとて、私にもそれが本当のものであるか、 そうでないかを見きわめるほどの古神道の素養もなく、そのまま過ごしてきたことであった。
ところが、クンダリニーの覚醒に際して、私は、まったく思いがけず、この息吹き長世の呼吸法を発見したのである。
息吹き長世の法の特長は、この法成就するや、寒熱自在の息を長嘯す、とあるように、定に入ると、凍るように冷たい息と、熱風のように熱い息とを交互に、自在に吐くのである。この、寒熱自在の息は不思議な力があって、法の通りにこれを息吹くと、いかなる病気も、怪我もたちどころに痛みが去り、快癒におもむくとされている。瀕死の病人にむかい息吹くとき、神の新鮮な生命力を吹きこまれて、たちどころによみがえり、元気充実す、という。おかしたる罪けがれも一切浄化される。 天地四方にむかって息吹くときは、悪霊、怨念、低級の霊、すべての障害が消滅する。「是レ、神ノ息吹キ也」とある。修行者が常時これを修すると、神人合一して
三〇〇歳の長寿を得るという。
私が、クンダリニー覚醒に際して、痛烈なショックをうけたときに、もっともいちじるしいことは、急激な寒さと、燃えるような熱さとが、交互に全身を襲ったことであった。そうして、寒さにおそわれたときには、吐く息も、氷のように冷たい息であった。腹の底からかあッと熱いものがこみあげてきたときには、息もたえだえに熱風のような息を吐いた。二、三○秒おきにこの寒熱が全身をおそうのであるから、たまったものではないのだ。からだ中の細胞がバラバラになってしまうのではないかと思われ、大の男が思わず悲鳴をあげてしまう。
このときは気がつかなかった。のちになって、このときの呼吸のしかたが異常だったことに気がつき、何度もそれをくりかえしてみた。最初はできなかったが、定に入り、腹部と胸部のチャクラを使うと、次第にこの特殊な呼吸法ができるようになった。寒熱自在の息を吐く呼吸法のコツが体得できた。はなしに聞く息吹き長世の呼吸法がこれであると合点された。
息吹き長世の原点は、古代ヨーガのなかにあったのである。この呼吸の技術は、
古代ヨーガ虫寺の
古代ヨーガ独特のものである。息吹き長世の秘法は、この技術によるものであることは疑いない。
この古代ヨーガの技術がどのようにしてわが国の古代神道にとり入れられたものか、私にも判然としない。おそらくは、神代とよばれる古い時代に、古代ヨーガを体得した超人が、大陸から渡来してこれをつたえたものであろう。あるいは、それが、この国で神とよばれるこの国の始祖になったのかも知れない。
たしかに、この特殊な呼吸法は、肺と心臓の機能をいちじるしく強化して、全身の血流を浄化し、体力を異常にたかめると同時に精神をふかく鎮静させ、頭脳を新鮮な思考力でみたしてくれる。また、それは心のおくふかくわかわかしいロマンをかきたててくれるようである。それは古代の神への回帰であろうか。ふかい定に入ると、たくましい古代の神々が、果てしなく深い青空にむかって、厚い胸をそらし、 声をかぎりに神叫びにおらぶ、ゆたかな声量がわが胸に躍動してくる思いだ。この刹那の悠揚たる充実を持ちつづけるならば、人はたしかに三○○歳を生きつづけることも難事ではあるまい。私はいま、この呼吸法を、だれでも容易に体得できるよ
う、あたらしい古代神法、『息吹き長世』の復元をはかりつつある。古神道の行法にのっとり、クンダリニー・ヨーガのチャクラをとり入れたピンガラ、イダーの開発法はすでにほとんど完成している。ただ、この法は、ごくデリケートな呼吸の操作を必要とし、もし間違えるとよくない影響もあると考えられるので、ペンだけの表現でつたえることは不可能である。実地の指導なくしては体得し得ない。読者はべつな機会を持ってほしいのである。
(『密教・超能力の秘密』平河出版社刊)
一九年の昔の、まだ修行途上時代の筆であるから、いまから見ると、思い違いをしている部分もあり、完全に把握していない部分もある。しかし、大筋において間違ってはいない。
以来、十数年の間、わたくしは、わき目もふらず、ひとすじに、この法を追求しつづけてきた。そして、結局、これが、仏陀の法につながっていたことをさとったのである。
右の文章中、「古代ヨーガ」とあるのは、「仏陀の法」だったわけである。当時のわたくしには、そこまでの眼がなかったのである。勉強不足であった。十数年間の一筋の修行が、その目をひらかせてくれたわけである。(阿含経に深くふれたのは、このあとのことであった)
前の節にのべたビンガラ・イダーを開発する「秘密マントラ特殊詠唱法」の呼吸法が、じつは古代神法「息吹き永世」の呼吸法なのである。
というのは、息吹き永世の法では、『寒熱自在の息を吐く」のであるが、これは、 ピンガラ、イダーのはたらきによるものと思われるからだ。
クンダリニー・ヨーガでは、
とされ、 ピンガラは「太陽の気道」と呼ばれ、高い熱気を伴う
とされる。 イダーは、「月の軌道」と呼ばれ、冷寒を伴う
仏陀の法では、ビンガラが発する熱を、「発動・昂揚」のエネルギーに変え、イダ
う、あたらしい古代神法、『息吹き長世」の復元をはかりつつある。古神道の行法にのっとり、クンダリニー・ヨーガのチャクラをとり入れたピンガラ、イダーの開発法はすでにほとんど完成している。ただ、この法は、ごくデリケートな呼吸の操作を必要とし、もし間違えるとよくない影響もあると考えられるので、、 表現でつたえることは不可能である。実地の指導なくしては体得し得ない。読者はべつな機会を持ってほしいのである。
(『密教・超能力の秘密』平河出版社刊)
てはいない。 一九年の昔の、まだ修行途上時代の筆であるから、いまから見ると、思い違いをしている部分もあり、完全に把握していない部分もある。しかし、大筋において間違っ
ある。 以来、十数年の間、わたくしは、わき目もふらず、ひとすじに、この法を追求しつづけてきた。そして、結局、これが、仏陀の法につながっていたことをさとったので
右の文章中、「古代ヨーガ」とあるのは、「仏陀の法」だったわけである。当時のわたくしには、そこまでの眼がなかったのである。勉強不足であった。十数年間の一筋の修行が、その目をひらかせてくれたわけである。(阿含経に深くふれたのは、このあとのことであった)
前の節にのべたピンガラ・イダーを開発する「秘密マントラ特殊詠唱法」の呼吸法が、じつは古代神法「息吹き永世」の呼吸法なのである。
というのは、息吹き永世の法では、『寒熱自在の息を吐く」のであるが、これは、 ピンガラ、イダーのはたらきによるものと思われるからだ。
クンダリニー・ヨーガでは、
とされ、 ピンガラは「太陽の気道」と呼ばれ、高い熱気を伴う
とされる。 イダーは、「月の軌道」と呼ばれ、冷寒を伴う
仏陀の法では、ビンガラが発する熱を、「発動・昂揚」のエネルギーに変え、イダ
―が発する寒冷を「沈静・凝縮」のエネルギーに変えたのであろう。
のである。 息吹き永世では、このエネルギーを「神の息吹き」として、人びとの救済に用いた
る。 こういうかたちで、仏陀の法が古代神法の中に生きていたのだと思うと、一九年の昔も今も、わたくしの胸は、古代の神々への限りない回帰の念にうちふるえるのであ
この法の伝授については、一九年の昔の文章をそのままのせるしかないであろう。
即ち、『この法は、ごくデリケートな呼吸の操作を必要とし、もし間違えるとよくない影響もあると考えられるので、ペンだけの表現でつたえることは不可能である。実地の指導なくしては体得し得ない。読者はべつな機会を持ってほしいのである。と。
グエニュ金星の法
ノストラダムスの予言詩にある「金星の法」とは、求聞持聡明法のことであると、
さきにのべた。
求聞持聡明法は、「明星」すなわち金星を祀って観想を凝らし、マントラを唱えて、 修行をする。これ以上に、「金星の法」というのにふさわしい法はないであろう。しかも、この法は、人の脳を改造し、すぐれた賢人にする法とされている。まさに、救世主の法とするに足る法ではないか。
それはなにか? しかし、わたくしが、この求聞持聡明法を以て、金星の法と断定するのは、それだけのことではないのである。もっと深い理由があるのである。
そのことについて、わたくしは、一九年前のむかし、『密教・超能力の秘密』で、 “求聞持聡明法・明星の秘密』と題して、つぎのようにのべているのである。
まず、最初、真言密教の求聞持法をのべてみる。
「この法を修するには、東南西三方の晴れたるところを最上とする。東方のみでも悪くはない。道場の東壁に小窓をつくる。これは虚空蔵の化現である明星(金星) あらわれ
の光を道場にさし入れるためである。また、朝日夕月の光を本尊にあてる意もあり、 あるいは小窓に絹を張り、黄色の種字の字を書いて、そこから、明星の光をとおして本尊にあてるためでもある」
とまず場所を制定し、つぎに、さだめられた本尊の印明を百万べん、五十日あるいは百日に読誦するのであるが、日蝕または月蝕の時に結願するよう開白(はじめること)しなければならぬとある。
弘法大師空海は、求聞持聡明法成就の体験を、
「阿国大滝の缶にのぼりよじ、上州室戸の崎に動念す。谷響を惜しまず、明星来影す。云々」
ってしまう。 と語っている。阿波の大滝岳にのぼり、土佐の室戸岬でこの法の修行にはげんだところ、谷はこだまし、明星があらわれるなど、法にいわれている通りの現証があり、法が成就した――、というのであるが、これは、このまま鵜呑みにすると間違
真言密教の求聞持聡明法秘伝に、こうある。
と。 「明星来影す、というのは、結願に際して、香に火を置き、明星を拝したとき、四方が暗く明星が見えなければ、修行が成功せず、失敗したのである。暗くても明星が現われれば下品の成功であり、四方が少々晴れて明星が現われれば中品、ことごとく晴れて明星現われれば成就、明星が眼前に現われ遊曳するのが、最高の成功である。四方が晴れても明星が現われなければ、失敗である」 ゆうえい
これがちがうのである。全くちがう。
こういう口伝や奥伝を頼りにいくら修行しても、気の毒だが、求聞持聡明法は成
就しない。
なぜか?
明星は、天空には現われないのである。
では、どこにあらわれるのか?
その結果が、二○○○年にわたるキリスト教国、イスラム、ユダヤ教国の絶えざる戦乱、殺し合いではないのか? そしてそれは今もつづいている。
生者、死者を問わず、解脱成仏させる法は、仏陀の法にしかないのである。仏陀が、 阿含経に説かれた七科三十七道品の成仏法にしかないのである。
どうしてそういうことがいえるのか?
仏陀の成仏法について解説しよう。
メシア仏陀の成仏法のメカニズム
さきに、わたくしは、仏陀が、『すべての呼吸法において、これ以上のものはない最上の呼吸法である」と説かれた四つの呼吸法を紹介した。 そして、こうのべた。
「この呼吸法が、なぜ最上深秘のものであるのかというと、この呼吸法は、専ら脳を対象としたものであるからだ。脳のチャクラを動かし、脳の神経経路を改造し、殊に、
それについて、わたくしは、別のページで、つぎのように修行体験をのべている。
夜明け、
――――、三度目の必死の修法に私は入っていた。
それは、ほぼ一〇〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニングのときであった。真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、それに古代ヨーガに伝わる特殊な呼吸法、古代ヨーガの秘法から私が創案した特殊な手印とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだと大脳皮質と脳髄は、微妙な変化をおこしつつあることが感じられていた。チャクラの開発も順調にすすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じていた。
「ああッ!」 まどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。しびれの感覚であった。かるい失心、めまいに似ていた。忘我の一瞬であった。その刹那、
と私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流がながれた感覚が走った。落雷があったと感じた。目の前を紫電が走った。つぎの瞬間、眼前でフラッシュをた
いおうかれたように、私の視野は真っ暗になった。失明! という考えが、チラリと脳裏をよこぎった。と、そのときであった。頭の内奥、深部に、ポッカリとあかりがともったのだ。そして、それは、私の脈順どおなじリズムで、しずかに、しずかにまこの修法をはじめる数十日まえ、山にこもって見つめたたきはじめた。ちょたあのときの暁けの明星のように――それは冷たく、黄ばんだ白さでまたたいた。
「そうか!」
私は力いっぱい膝をたたいた。
「そうか! これが明星だったのか!」
私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した!
つまり、明星とは現実の明星ではないのである。
大脳のある部分をある方法で刺激すると、目の前に光が見えるのである。
その光は、形も色も大きさも、いろいろに見えるが、意識を記憶の座に向けて沈静させると、つめたい、やや黄色みを帯びた白銀色になって、しずかに目の中でま
たたく。それはちょうど明星そっくりに見えるのである。
これが明星なのだ!
(『密教・超能力の秘密」)
脳のチャクラが開発されたとき、間脳、視床下部の辺で、光を感ずるような刺激が生ずるのである。神経経路がスパークするのであろうか。
わたくしがここでいいたいのは、ノストラダムスが予言した「金星の法」は、真言密教の求聞持聡明法ではなく、仏陀の求聞持聡明法であったということである。 なぜならば、脳にきらめくこの金星は、仏陀の法でない限り、ぜったいにあらわ
れないからである。
ノストラダムスは見たのである。四五〇年の昔、未来の世にあらわれる仏陀の脳の
奥ふかく燦然ときらめく金星の光を。
そして名づけたのだ。「金星の法」と。
メシアの法
救世主の法は、他のものが持たぬ二つの力を持たねばならない。
それは、第一に、これまで説いてきたように、人間の脳の致命的な欠陥を、根本的に改造する力である。
第二に、メシアの法は、生者を救うだけではなく、死者をも救済する力を持っていなければならない。全地球上にみなぎる死者の怨念を消滅させる力である。
霊的な力を持つ聖者ならばだれでも、地球を覆う死者の悲泣呻吟の声を耳にして、 心痛の限りを尽くさぬものはない。
この死者の怨念のバイブレーションが、すべての人の深層意識を動かしている。ことにおそろしいのは、もの心つかぬ幼少年の心に深い傷や亀裂をあたえていることだ。 フロイトによると、ヒトが生まれてからの数年は、一種の催眠に似ており、その数
年間に幼児はさまざまな影響と暗示をうける。それらの影響と暗示が、のちになって
現実と衝突し、その結果、葛藤や精神外傷が生ずる。子どもは、そしておとなになってからも、それらのことをなにも想い出せないが、かれが気づかなくとも、それらはかれの行動にたえず影響をおよぼす、と説く。
一種の催眠状態にある幼少児の柔い脳と深層意識に、死者の怨念のバイブレーションは、深くきざみこまれる。成長してから、どんなに平和思想を教えられても、それは消えない。かえってそれはかれのこころに葛藤と精神外傷をあたえるだけだ。
ノストラダムスの予言詩によれば、メシアの法は、日の国によって保たれるという。
日の国とは、日本のことである。日の国、というから日本だという単純な発想でいっているのではないのである。必然的な論理がある。
それは、キリスト教にも、イスラム教にも、ユダヤ教にも、死者の怨念を消滅させる法がない、ということである。
だつじようよっ死者の怨念を消滅させることを、解脱・成仏させるという。この考えかたは、キリスト教にも、イスラム教にも、ユダヤ教にもない。そういう考えかたがないのだから、
そういう法がないのは当然である。
と。 脳に特殊な能力を持たせる呼吸法であるからである」
この中で、最も重要なのが、脳に特殊な能力を持たせる。という部分である。
どんな能力を脳に持たせるのか?
ひと口でいうと、脳の一部が、発信器、受信器に変わるのである。
アジナー・チャクラが受信器、サハスラーラ・チャクラが発信器になるのだ。
どんな発信器、受信器なのか?
第四次元をふくむ他次元世界との交信器である。
るのである。 これで死者の怨念を受信し、怨念を消滅させるエネルギーを発信して解脱成仏させ
成仏していない死者は、いうならば、三・五次元の世界において、怨念としての存
在をつづけている。この存在にたいして、発信するのである。
なにを発信するのか?
仏陀のさとりの核ともいうべき「縁起の法」と「八正道の教え」である。
これで、死者の怨念は消滅する。
そういうと、いかにもかんたんなようであるが、決してそうではないのである。
最も大切なことは、発信者が、縁起の法と八正道を完全に身につけ、さとりの境地が、仏陀と同等のところにまで到達していなければならないということである。
発振するのである。 相手は、つよい怨念を残して狂い苦しんでいる存在である。難解な縁起の法、八正道の教えを、そのまま説いたって、通じようはずがない。完全なさとりそのものを、 バイブレーションとして相手に発信するのである。発信は発振なのである。死者の怨念は、さきにものべたように、バイブレーションとして存在しているのである。その怨念のバイブレーションに、仏陀の完全なさとりそのものをバイブレーションとして
ことばや概念ではない、純粋にさとりの心そのものを、バイブレーションとして発振するのである。だから、人種・民族・言語の障壁はない。すべての人間に即座に通ずるのである。それには、ウマの脳(心)や、ワニの脳(心)が少しでも残っていたら、相手の怨念を消滅することはできない。なぜならば、怨念とは、ワニの脳やウマ
の脳がつくり出したものであるからだ。
いかなる名僧、高僧といえども、仏陀が阿含経に説かれた成仏法――七科三十七道品、ことにその中心である四神足法を体得していなければ、死者を成仏させることのできない理由が理解されたであろう。
たんなる念力だけでは、どんなに強い念力でも、死者の怨念には通じないのである。 仏陀の最上深秘の呼吸法によって脳を改造し、霊的バイブレーションの発信装置を持たなければ、異次元世界の存在である死者の怨念には通じないのである。
また、死者の怨念は、仏陀の縁起の法の真理以外、解くことができない。神の救いや、仏の慈悲をいくら説いても、役に立たないのである。慰さめにはなるけれども、 完全解脱はできないのである。
人類は一律に、その深層意識に、死者の怨念による反覆強迫観念を持ち、不幸な運命の反覆に苦しんでいる。仏陀の成仏法なくして、人類に平和と安穏は永久に来ないのである。
その成仏法は、いま、日本にしかない。
双方たがいに耳をかたむけないが。
ということばは、前の詩句の、日の国の法と金星の法、にかかるのではなく、そのあとの、偉大なるメシアの法、にかかるのである。
つまり、こうなる。
日の国の法と金星の法が競いあう
予言のエスプリをわがものとしながら双方たがいに耳をかたむけないが偉大なる
メシアの法は日の国によって保たれるだろう
これで、意味が通ずるようになる。
大体、メシアの思想というのは、他の宗教にもないことはないが、ユダヤ教、キリスト教に最も顕著のものである。そこで、双方たがいに、というのは、ユダヤ教とキリスト教のことと思われる。この双方は、おなじ根から出ていて、おなじ予言のエスプリ」すなわち、ともにメシアの救済の予言を持っている。それでいて、たがいにあい容れないでいる。たがいに自己主張をしていて、双方、耳をかたむけようとしな
い。
この二行の句の意味は、ユダヤ教もキリスト教も、メシア救済を説くが、どちらにもメシアは期待できない、偉大なメシアの法は、日本によって保たれ、日本から出現するであろう。
という意味なのである。
われわれはすでに、このことを知っている。
日の国の法と、金星の法が一つになって、仏陀の成仏法の中心である四神足法が完
成される。その過程をあなたはつぶさに見てきた。
このままでは、確実に地球は潰され、人類は滅亡するだろう。われわれは、つい昨日、神の名を口にする人たちによって大量の殺し合いがおこなわれ、すさまじい環境
破壊がおこなわれるのを目にしてきた。そしてそれはいまもつづいている。
いまがギリギリのタイムリミットだ。
起て! 日の国の、メシアの法の使徒たちよ。