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ガイア理論とは

ガイア理論とは

ガイア理論とは、惑星地球が1つの生きた有機体(つまり、1つの大きな生命体)のように振る舞い、生命と無生物環境が密接に相互作用しながら地球環境を調節し、生命を維持しているという考え方のことです。

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人間は死ぬとどうなるのか? 死後の世界:成 仏法

人間は死ぬとどうなるのか?


 

仏教では、人間は、色〈しき〉(物質)・受〈じゅ〉(感覚)・想〈そう〉(表象)・行〈ぎょう〉(意志)・識〈しき〉(意識)の五つの要素からできていると考えます。この五つの要素を「五蘊(ごうん)」と呼び、この五蘊が仮に寄り集まって人間(自我・霊魂)ができあがっているのです。
では、人間が死んだらどうなるのでしょうか?
日本の仏教者の大半は、釈尊が「霊魂」の存在を否定してしまったと考えています。つまり、死んだらすべてが消滅すると考えているのですが、これはまちがいです。
死んだらすべてが消滅してしまうという考え方は仏教ではありません。釈尊直説の経典である『阿含経』を学び修行していないから、このような誤った見解を抱いているのです。
釈尊は決して、霊魂の存在を否定しておられません。むしろ肯定しておられます。ただし、「霊魂」という名称ではなく、「異蘊(いうん)」という表現を用いておられます。

凡夫が死んで「五蘊」が滅しても我執(タンハー)のエネルギーによって「異蘊」(異なる構成要素)を生じて存在をつづけます。

 雑阿含経の中の「仙尼経」において、釈尊は次のように説かれております。
慢〈まん〉(我執〈がしゅう〉)断(だん)ぜざるがゆえに、この蘊〈うん〉を捨て已(おわ〉りて(死んで) 異蘊〈いうん〉相続して生ず。
つまり、異蘊とは生きている人間の構成要素(五蘊=色・受・想・行・識)とは異なった構成要素(蘊=集積)という意味で、現代風にいえば「異次元の薀(存在)」ということです。
また、雑阿含経「身命経」においても、「意生身(いしょうしん)」ということばで、死後の存在を説かれております。意生身とは意識(心)だけで出来た身体をいいます。
このように釈尊は、人間は死んでも、我執煩悩(タンハー)が残るかぎり「なにか(異蘊・意生身)」が存在をつづけると説かれております。この死後の存在こそが霊魂なのです。
そして我執(タンハー)が残った霊魂は、死後の世界を経て再生し、現世で成仏法の縁に逢わなければ、果てしなく輪廻転生を続けます。
また、この我執が非常に強い場合は、不成仏霊や霊障のホトケとなって迷い、その怨念のバイブレーションが子孫の心に強く悪影響をおよぼします。

 


サールナートの仏陀像
 釈尊は、古代インドのバラモンが説いた「永遠に変化することも滅することもない自我(アートマン)(霊魂)」という考えは否定しておられますが、
縁によって生じ、縁によって滅するという「縁起の法」の上での「死後の存在」は認められております。
つまり、「永劫不変の自我(アートマン)」というものは存在しませんが、「無常(変化)の中や縁起において成立する自己(アートマン)」はあるのです。
修行によって向上し、涅槃(ニルヴァーナ)に入る「自我(霊魂)」は存在するのです。
「不変」ではなく縁によって「変化」するために、死んで(その霊魂・霊体が)異蘊となる縁に逢えば、異蘊となって輪廻転生し、成仏法の縁に逢えば、解脱して仏界に生ずるのです。
死んだからといってまったく「無」になって消滅してしまうというのは、仏陀の説かれた縁起の法則に反するものです。
仏陀の成仏法により、霊体は悪因縁、悪業、悪念から解放されます。
完全に解放された霊体は、涅槃(ニルヴァーナ)に入ります。
これを成仏というのです。
しかし、成仏といっても、生者と死者によって、それぞれちがいます。
生者の場合は、自分自身で成仏法・七科三十七道品(しちかさんじゅうしちどうぼん)を修行することができます。
修行によって霊体(生者)は、清められ、高められ、しだいに悪因、悪業から解脱してゆきます。
「シュダオン」「シダゴン」「アナゴン」という聖者の段階を経て、究極の大聖者「アラハン」(仏陀)に到達します。
この世において、仏陀に到達できない場合は、つぎの世においても、ひきつづき成仏法の修行を続け、究極的にはかならず仏陀になるのです。
死者の場合は、自分で修行することはできませんから、成仏法を成就した聖者に、成仏法をもって供養していただきます。
つよい怨念や執念によって不成仏霊となり霊障を発し、迷っているホトケは、聖者の発する悟りのバイブレーションを受けて解脱し成仏します。
ただし、この場合の成仏とは、完全に因縁・業煩悩といったものを解脱したという意味ではありません。
成仏法を成就した聖者( 有余依涅槃(うよえねはん)の聖者)の霊的テレパシー(霊力)によって、聖者の悟りをそのまま受け止めて、迷い執念などを離れて、冥界(死者のほんとうの世界=安らぎの場)へ向かうということです。
これが、仏陀釈尊の教えられた「仏法」です。

死者たちの怨念が、すべての人の深層意識を動かす

いま、この世界が壊滅の危機に瀕しているのは、この世界に充ち満ちている死者の怨念、悪念のバイブレーションが、すべての人の深層意識を動かしているためです。
その結果、人類はますます衝動的、闘争的、反道徳的になり、結果的に自分自身を虐殺しようとしつつあります。
まず、家庭が崩壊しはじめています。
これらの苦しみに満ちた死者の霊魂に全き安らぎを与えないかぎり、生きている人間に全き安らぎは訪れません。
仏陀釈尊の成仏法は、これらの苦しみを持ったまま死後生存している存在(霊魂)に安らぎをあたえ救済する力を持っているのです

 

仏陀の真実の教えを説く〈上〉阿含経講義

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DaVinci Resolveの日本語化は簡単にできる!やり方はこちら

セットアップ後にDaVinci Resolveを日本語化するには

初回セットアップ時に日本語化するのを忘れて英語表記のままセットアップしても、後でDaVinci Resolveを日本語化することは可能です。まずDaVinci Resolveを起動して、「Untitled Project」を選択して開いてください。

DaVinci Resolveの言語設定変更は
・メディアプール
・ソースビューアー
・タイムライン
の3つに分割された編集画面からでないとできないので、新しいプロジェクトを開き、編集画面に入る必要があるのです。プロジェクトを開いたら画面左上にある「DaVinci Resolve」をクリックしてタブを開き、「Preferences…」の項目を選択、もしくはショートカットキー「Ctrl + ,」で環境設定画面が開きます。

設定画面を開く

環境設定画面から「User」をクリックします。ここで「Language」の項目にある「English」と表記されたタブを開いて、「日本語」を選択してください。最後に画面右下にある「Save」次の画面で「OK」をクリックして設定を保存すればDaVinci Resolveの日本語化は完了です。

日本語に設定

そのままだと英語表記のままですが、DaVinci Resolveをいったん終了して再起動すると英語表記だったものが日本語表記に変わります。これで初回セットアップ時に日本語化し忘れても問題ありません。

日本語化完了

英語表記で使い慣れていると日本語化で使いにくくなることも

これからDaVinci Resolveを使い始めるならともかく、英語表記のままである程度使い続けている場合には日本語化でかえって使いにくくなることもあります。日本語化するとDaVinci Resolve内のツールやエフェクトの多くが日本語でしか検索できなくなってしまいます。

最初から日本語表記で使っていれば問題ないものの、英語表記で使い慣れていると使いたいツールやエフェクトが検索で見つけにくくなるのです。日本語化した方が分かりやすいですが、英語表記で使い慣れていて特に問題が無いなら無理に日本語化する必要は無いと思います。

動画に挿入するテキストが文字化けする

DaVinci Resolveを日本語化したにも関わらず、編集で動画に日本語テキストを挿入しようとすると文字化けしてしまうことがあります。テキストの文字化けはDaVinci Resolveの日本語化とは直接関係は無く、テキストのフォントが日本語表記に適していないだけです。標準だと日本語フォントになっていないので、動画に日本語テキストを挿入する際はまずフォントを変更することを忘れないようにしましょう。

Davinci ResolveとTourBoxを合わせて使えばより快適に!

以上はDaVinci Resolveを日本語化にする方法です。一番手っ取り早いのはインストール後のセットアップで言語を変更することですが、セットアップ後でも変更できます、英語表記で使いにくいと感じているなら日本語化を試してみてください。

そして今回で紹介したメニューやショートカットキーを含めて、DaVinci Resolveのあらゆる操作や機能はTourBoxシリーズの左手デバイスに登録することによって、より快適に操作することができます。

動画ポストプロダクション作業のタイムライン拡大縮小、再生ヘッド移動、パラメータ調節など様々な操作はTourBox Elite或いはTourBox NEOの回転ボタンで直感的に完成できます。各種のエフェクトやトランジションも好きなボタンに登録でき、使いたい時素早く呼び出すことが可能です。DaVinci Resolve以外、TourBoxシリーズの左手デバイスはPremiere ProやFinal Cut Proなど、ほぼすべてのPC動画編集ソフトに対応します。

 

新しい人類と古い人類。それぞれが異なる進化の歩みをたどっていた。

古い人類、普通の現代人、それがホモ・サピエンス、通称ホモ・サピエンスである。彼らは地球上で最も広く分布し、文明を築いてきた種である。

そして、新しい人類、未来人、それがホモ・エクセレンス、通称ホモ・エクセレンスである。彼らは特殊な能力を身につけた進化した存在であり、その存在は未来の輝かしい光である。

人類の歴史は、進化の連綿と共に続いてきた。始まりはオレオピテクス、ラマピテクスから進化してきたオーストラロピテクス、通称猿人であった。そして、その後に続いたピテカントロプス・エレクトス、通称原人。しかし、彼らの時代はやがてネアンデルタール人、通称旧人によって終わりを告げる。

そして、新たなる姿が現れる。クロマニョン人、通称新人。彼らは高度な知能を持ち、人類の進化を推し進めた。しかし、彼らの出現もまた、歴史の流れの中で消え去っていった。

そして、現代人類、ホモ・サピエンス。彼らは地球上で支配的な存在となり、文明を発展させてきた。しかし、その栄光もまた一時のものであり、新たなる種の出現が訪れることを待ち望む。

オリヴィエ教授は、未来人、ホモ・エクセレンスの到来を確信している。彼の言葉は、ただの予測ではなく、科学的な根拠に基づいている。人類の進化の歴史は、必然的に次なる段階へと進んでいくのだ。

新しい人類、ホモ・エクセレンスの到来は、人類の進化の自然な流れである。彼らの存在は、現代人類にとっての希望であり、未来への展望である。

あたらしい人類とふるい人類.
ひとつは普通の現代人、ホモーサピエンスHomo sapiensである。これがふるい人類だ。
もうひとつは、特殊な能力を身につけた未来人、ホモーエクセレンスHomo eχcellens であ
る。つまりあたらしい人類だ。
ホモ・廿ピエンスとは、ほかならぬわれわれ自身のことであるが、ホモーエクセレッスとは、
どういうヒトか?
ホモーエクセレンスとは、ホモーサピエンスが持だない特別な能力を身につけた「優秀なるヒト」という意味である。ある人たちは、この未来人に、ホモーイッテリダンス(聡明なるヒト)と
いう名をつけている。
では、この優秀なる未来人、ホモーエクセレンスは、どういう特殊な能力を持っているのか?
彼の持ついくつかの特長をあげてみよう。
「未来の種属、超・ヒトは、おそらく、三・九という脳発速度係数を持つだろう」
と、世界的に著名な人類学者、パリ大学のジョルジューオリヴィエ教授は、その著「ヒトと進
化、過去現在そして未来」のなかでこう語りはじめる。
「(こういうきわめてすぐれた生物の能力を、それよりはるかに劣ったわれわれが、あれこれい
うことはできないが)とにかく、この超・ヒトの知的能力は、辛うじて想像することができる。
それは、たとえば、
1 第四次元の理解。
2 複雑な全体をとっさに把握する能力。
3 第六感の獲得。
4 無限に発展した道徳意識の保有。
5 とくにわれわれの悟性には不可解な精神的な特質。
などである。
わたしは、脳発速度係数三・九をもつ生き物の体のかたちや、すばらしい知能や、われわれに
はとうてい理解できない行動がどんなものであるかは、想像力のゆたかな人達にまかせることに
する。われわれがメクラであるのに対して、われわれの後継者たちは千里眼の持ち主なのだろう
から」(芦沢玖美訳・みすず書房刊)
と述べている。
オリヴィエ教授は、出版社の紹介文によるとフハリ大学理学部人類学教授であり、人類学、解
剖学のかず多い論文のほかにいくつかの著書を持ち、そのなかでも「人類学的解剖学」はフラン
ス学士院宣を受けた。自己の専門分野の研究に多くの業績をあげているばかりでなく、若い研究
者の育成にも心をそそぎ、フランス人類学の名実ともにすぐれた指導者である”と記されている。
まさに、当代一流の科学者であるといわねばならない。
その科学者が未来人ホモーエクセレンスの出現を、このように予告しているのである。著者
が、なんの根拠ももたず、ただいたずらに鬼面ひとをおどろかす筆をとっているのではないの
だ。それはかならずやってくる。では1、そのホモーエクセレンスは、いったい、どこから、

いつやってくるのだろうか?
未来人、ホモーエクセレンスの到来は、歴史の必然であるとオリヴィエ教授はいう。
では人類の歴史をたどってみよう。
まずあらわれたのは、オレオピテクス、ラマピテクスから進化してきたオーストラロピテクス
(猿人)であった。が、しばらくして、ピテカントロプスーエレクトス(原人)がこれにとって
かわった。しかし、まもなく、ネアンデルタール人(旧人)がやってきて、そのあとを継ぎ、彼らの時代はおよそI〇万年ちかくつづく。
けれども、今から四、五万年ほど前、かなり進んだ知能を持つクロマニョッ人(新人)が出現
すると、彼らは急速に姿を消して絶滅してしまった。しかしそのクロマニョッ人も、今から一万年ほどまえに、オーストラロイド(ジャワ、
モンゴロイド(中国)、ネグロイド(アフリカ)、コーカソイド(ヨーロッパ)というあたらしい現世人類の種のなかにあわただしく消滅してしまった。こ
れは、歴史のごく表面にあらわれているだけの事実で、このほかにも、いくっかの知られざるヒト・属、あるいはその分枝が、無数にあらわれ
歴史をつくる間もなく消滅していったと考える学者はかず多い。
ある著名な科学者は、ひとつの種の寿命はI〇〇万年だと語り、ホモーサピエッスは出現以
来、間もなくこの年令に達するはずだという。そうして、オリヴィエ教授もまた「いま、われ
われが、われわれの後継者であるつ

ぎの人類のことを考えるのは、まったく筋みちの立ったことりあるLといっているのだ

 

 

上の文章を小説風して