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脳と心の革命想

そうだ、これだ!

わたくしは歓喜の声をあげた。そして、定に入ったまま、釈尊の教える呼吸法

を、つぎからつぎへと、試みていった。

もちろん、そのときは、すべてにわたってわかったとはいえない。しかし、大づ

かみに、釈尊の教えている呼吸法のポイントをつかんだと確信した。

「釈尊は、後代の「クンダリニー・ヨーガ」の原点となるものを、教えていた

のである。

人間のからだの中の「力の湧き出る泉」

クンダリニー・ヨーガは、古来、超人的能力を生み出すことで有名である。

クンダリニー・ヨーガが超人的能力を生み出す秘密は、ホルモンの分泌を自由に

調節するところにあった。

クンダリニー・ヨーガは、人間のからだの中に、七ヵ所の「力の湧き出る泉」を

発見し、この泉を自由に操って、超人的能力を発生する技術をつくり出したのである。そうして、この「力の湧き出る泉」を「チャクラ」と名づけた。

チャクラがどうして超人的ともいうべき特殊な力を発生するのか、長い間、それは神秘的なナゾとされていたが、近代生理学の発達によって、そのナゾは解けた。

チャクラの場所は、すべて、ホルモンを分泌する内分泌腺と一致するのである。

る。 クンダリニー・ヨーガの熟達者は、特殊な修行によって得た力で、チャクラを刺激し、ふつうの人間の持たない力を発生させるのであるが、その「特殊な修行」というのが、仏陀釈尊の「特殊な呼吸法」であることを、わたくしは発見したのであ

釈尊の呼吸法の特徴をあげよう。

行息

止息

である。

前の節で、わたくしは、

「身の行息」

について、

これは、身において気息を行らすこと。即ち、体の特定の場所に気息をめぐらして行くことである。特定の場所とはどこか? また「行らす」とはどういうことか? あとでのべよう。

と書いているが、この「特定の場所」というのが「チャクラ」なのである。

「行らす」というのは、チャクラは数カ所あるので、それらを、つぎつぎとたどっ

て行くことの表現である。

つぎに、

について、

「身止息身において気息を止念す」

気息を身と心に止め、念ずるのである。身と心の、どこに止め念ずるのか?

また「止める」とは、どういうことか? あとでのべよう。

と書いている。

どこに止め、念ずるのか?

「チャクラ」しかないではないか。

チャクラは、長い間、神秘的なナゾとされていたが、それは、すべて、ホルモン

を分泌する内分泌腺と一致していたのである。

ホルモンは、著名な科学評論家により、酵素・ビタミンとならんで、

「魔法の化学物質」

とよばれている。用いかたによっては、魔法としか思えないような驚異的結果を生み出すからである。

クンダリニー・ヨーガの熟達者は、さ

 

きにのべたように、特殊な修行によって得

た力で、このチャクラを刺激し、魔法のような力を発揮するのである。

それは、内分泌豚ホルモンが、その力の発生源だったのだ。

チャクラを、近代医学による内分泌腺と対照してみよう。(表1)

チャクラの効能

チャクラは、ホルモンを分泌する内分泌腺と同一の場所にあり、ホルモンが持つ

驚異的な力を発現させる場所であることをのべた。

では、各チャクラは、どのような力を発揮するのであろうか。

16)

クンダリニー・ヨーガの秘伝として伝えるところのものを記してみよう。(図4

1、ムーラーダーラ・チャクラ

内分泌腺の性腺、腎臓の部位である。

 

このチャクラを覚醒すると、体力が異常に増進して、普通の人の三~五倍の精力をもつようになる。三日、四日の徹夜くらい平気になる。一切の病気を受けつけず、健康体そのものとなる。病弱だった者は、その悪いところが、みな癒ってしまう。このチャクラに Samyama (サンヤマ)を集中してそのエネルギーが発動したとき、瀕死の病人でも床を蹴って立ち上がるだろう。男女ともに実際の年齢より十歳以上若くなる。

される。 このチャクラの体現者は、八十歳の翁にして三十歳の壮者をしのぐ精力を持つと

そのかわり、強烈な性欲と生殖力を持つようになるので、そのエネルギーを、オージャスという知能のエネルギーに変える方法をあわせ用いる。(それもチャクラ

によって、ホルモンを使うのである)

2、スヴァーディシュターナ・チャクラ

ゆうしゆっ闘いのホルモン、英雄ホルモンを湧出させる副腎の部位である。

 

このチャクラが覚醒してエネルギーが発動すると、気力が充実し、勇敢になって、積極果敢な行動力を発揮するようになる。

なにものをも恐れず、なにごとにも惑わず、大胆不敵、不動の信念をもってどんな困難にもひるまない。生死を超越した超人的手腕力量を発揮する。そのために、このホルモンを「英雄のホルモン」 とよぶのである。

3、マニブーラ・チャクラ

ヨーガの奥義書である『ヨーガ・スートラ」にこうある。

「Nabhi cakra () Sarpyama を向けることにより、体内の配列、組織を知る

ことができる」(自在力 第二九節)

この章について、故・佐保田鶴治博士は、

というのである。 (nabhi-cakra)というのは、実際の臍の孔ではなくて、そのあたりにありと想像される神秘な車輪状の部位のことで、一六の幅をもっていると言われる。一説では、後世のハタ・ヨーガで説く六つのチャクラの中の下から三番目にあるマニプーラ(manipura)・チャクラのことであるともいう。いずれにせよ、肉眼で見える部分ではなく、幽体に属するものとされている。チャクラについては、ここで詳説する暇がない。勝輪は気体(生命エネルギーからなる身体)の中央にあるから、これに綜制をおこなうと身体内の組織がわかる、

(『解説ヨーガ・スートラ』)

 

と解説されておられるが、私見を少し加えたい。

博士は、そのあたりにありと想像される神秘的な」といわれるが、この部位は、

決して空想的な場所ではない。たしかに神秘的とも思われる偉大な力を発揮するけれども、医学的にもはっきり確認されているのである。

それは、医学的には、ソーラー・プレクサスと名づけられた「太陽神経叢」のことである。

腹腔神経叢、内臓動脈軸叢ともいわれ、腹腔動脈より出る上腸間膜動脈の起始部にある交感神経の大きい神経叢である(図5参照)。胃の裏がわにあってさながら、

太陽の光線のごとく各臓器に神経を送っているのでこの名前がつけられた。 すなわち、ここから出る神経は、食道、胃、腹部血管、肝、輸胆管、膵臓、副腎、腸等に分布している。

また、この神経叢は、大小内臓神経、迷走神経、第十二胸神経節、第一腰神経節などが集まっており、内臓の神経としては最も重要な数である。

チャクラというのは、いずれも、今まで、空想的、神秘的場所とのみ考えられて

きた。だが、これらの部位は、決してそういうものではなく、さきに述べたように、内分泌腺、神経群、酵素などに深い関係があり、実際に、医学的見地からみても非常に重要な場所であり、大切なはたらきをする場所であるのである。

「Samyamaを向ければ、体内の組織を知ることができる」とあるが、このSamya-というのは、特別な修行を経た特殊な集中力をいう。

この「組織を知る」というのは、単に組織を知るだけではなく、組織を自由にコ

ントロールすることができるという意味である。

実際にこのナービ・チャクラに Samyama を集中すると、この太陽神経叢に属す

る内臓器官それは食道から、胃、肝臓、膵臓、脾臓、副腎にいたるまで、すべてを自分の思うようにコントロールできるのである。それは、ホルモン分泌もおなじことで、これらの内臓器官が、どんな状態であるかをすぐに知り、少しでも異常

があればすぐに正常にもどしてしまう。

また、それは、自分のからだだけではなく、他人のからだも自由にコントロールする力を持つから、他人の病気なども即座に癒してしまうのである。

4、アナーハタ・チャクラ

胸腺・心臓・肺臓の部位である。

このチャクラの体現により、いちじるしい感覚器官の増幅が見られる。

究極の力では、不可視光線(赤外線、紫外線)を見ることができ、超音波を聞く

ことができる。その結果、天災地変を予知することができるようになる。

それは、その超感覚と高度の知能の結合によるものである。それらは、自分の肉

体を思うままに統御する能力から来る。マニプーラ・チャクラとの結合である。

5、ヴィシュッダ・チャクラ

甲状腺・唾液腺の部位である。

感覚器官の増幅が、高い次元に向かってなされる。

聖置と交流し、聖なるものの声を聞くことができるようになる。

また、自分にとって不可解な、理解できぬことなどを、天地にみちた、すぐれた

 

心、智慧のエネルギーに同化して、そこから聞くことができる。つまり、人の肉体はほろびても、その人の持っていた心のエネルギーは、この空間に痕跡をとどめているので、このチャクラでその心の波動と同じになれば、その心が持っていたすべてのもの、意識も知能もみな自分と同化して、自分のものになるということである。

つまり、それは、霊界(四次元の世界)との交通の道が開けることを意味するのである。

6、アージュニャー・チャクラ

極度に発達した知能を持つ。

一度、目にふれ、一度、耳にしたことは、ぜったいに忘れることのない記憶力。

どのように複雑な構造でも組織でも、瞬間的に分析し、推理し、理解して、本質を把握してしまう演繹と帰納の力。

コトバという間接思考を経ない純粋思考から発する超飛躍的な創造力。

究極には、仏教でいう「常楽我浄」の四徳を完成し、仏陀の感性に到達する。

7、サハスラーラ・チャクラ

松果腺・松果体・視床下部の部位である。

これを体現すると、仏陀の覚性に到達する。すなわち、霊性の完成である。

このチャクラは、「頭の中の光明」 (Mürdha-jyotis) とよばれる。このチャクラが

目ざめた刹那、この部位に光明があらわれて、燦然とかがやくからである、という。(極秘口伝あり)

このチャクラはすべてのチャクラを統合してこれを自由に制御する。すべてのチャクラを自由に制御することができるようになると、彼はしだいに変身する。

クンダリニー・ヨーガでは、これを聖なるものと一体になる、と形容する。

このチャクラに、聖霊が宿り、聖霊と交流するようになるといっている。このチャクラを完成した修行者を、超人、大師、救済者と呼ぶ。超人は物質世界を超越し、時間と空間の制限を受けなくなる。

インドでは、仏陀が超人であるとして、このチャクラの完成者であることを、形

にくけい 「を以て示している。それは、仏像の頭頂がまるで帽子でもかぶったように大きく盛り上がっており、これを「肉撃」と呼ぶ。サハスラーラ・チャクラの修行が完成して頭骨がこのように発達していることを示すのである。

以上、クンダリニー・ヨーガの奥義として伝えられるものに、わたくしの体験による私見を加えて記述した。

クンダリニー瞑想のしかた

どのようにしてチャクラを動かすのであろうか?

それは、

こころ意念

と、

呼吸

と、

 

筋肉

の相乗作用である。

しかし、だれにしても、いきなり最初から、クンダリニー・ヨーガの訓練に入る

ことは無理である。

不可能といってよい。

まず、ふつうの「瞑想」からはじめるべきである。

だから、この本の第二章「瞑想のしかた」を読んで、実践し、ふつうの瞑想のしかたに熟達していただきたい。それからでなければ、クンダリニー・ヨーガの修行は無理といわねばならない。

してほしい。 そこで、ここからさきは、あなたが、ふつうの瞑想に、ある程度、熟達しているものと考えて、書くことにする。しかし、それも、ヒントしか書けないことを諒解

しかし、このヒントをもとに、あとにのべるいくつかの瞑想法を実習すれば、しだいに奥義に進むことも、可能であろう

ところで、いま、わたくしは、どのようにしてチャクラを動かすのか、といって、それは、意念と呼吸と筋肉の相乗作用だといった。

しかし、呼吸も筋肉も、意念(潜在意識もふくめて)の支配下にあるのであるから、究極的には、「意念」だということになる。

かきそんな、わかりきったことを、承知の上でなぜ、意念・呼吸・筋肉とならべたの

る。 それは、意念を使う上で、どうしても、呼吸の力を借りなければならぬからであ

それはどうしてか?

意念を「行らす」ためである。

意念は行らさなければならぬのである。

では、意念を、どのようにして行らすのか?

また、行息息を行らすからには、行道行らす道も、おのずから無

 

 

ければならぬことを知らなければならない。

 

意念をめぐらすために、呼吸はこの上なく重大なはたらきをする。いや、それなくして意念はめぐらすことができないのだ。

というのは、意念を行道させるためには、ひとつの物理的な「力」が必要だがらである。

意念はかたちなきものであり、物理的な力は、全く無いことはないけれども、非

常に微弱なものである。

だから強化しなければならない。

それも、ただたんに行らすだけではなく、最終的には、チャクラを「動かす」

「つよく刺激する」ところまで、強力なものにしなければならぬのである。

つまり、心理作用を、物理作用にまでたかめるための、一種の変換作業がなされなければならないのだ。ここに、「行息」「止息」の秘密があるのである。

意念と呼吸によって生じた力を、

どかわやかかべ、どのようにかぐらし、どのようにとどめるか

これが仏陀のクンダリニー・ヨーガの極意である。

これは、文字などでは伝えきれない。わたくしについて実地に修練するか、もし

独習したいのであれば、わたくしの他の著書などを参考にして工夫されたい。

筋肉の使い方はもっとむずかしい。この「筋肉」とは、心の中にある筋肉である。つまり、「心の筋肉」だ。むずかしいのは当然であろう。しかし、最終段階で、

クンダリニーを覚醒させるためには、これがぜったいに必要なのである。

これは、最終奥義であって、ブッダの「親行」の中に入る。

ブッダの種行は、実地に指導をうけるしかない。

瞑想の基本・呼吸法

仏陀釈尊が、感想を教えるにあたって、まず呼吸法を説いているわけをのべよ

脳と心の革命瞑想——136

 

135脳と心の革命想

 

 

脳と心の革命瞑想——134

 

433話と心の革命想

 

脳と心の革命瞑想——132

 

 

131――脳と心の革命想

 

脳と心の革命想—————130

127――脳と心の革命瞑想

 

脳と心の革命想——126

 

 

125

話と心の革命队想

 

脳と心の革命想—————124

脳と心の革命想

122

 

脳と心の本命想-120

 

 

119――脳と心の革命瞑想

 

脳と心の革命想-118

 

117――脳と心の革命想

 

 

脳と心の革命想-116

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阿含経

犀の角のようにただ独り歩め。――「阿含経』

友よ、あなたを苦しめる苦のもとはなんであろうか?「利益」

こそそれである。それを得たならば、それを失いたくない苦しみに苦しみ、得なければ得られぬ苦しみに苦しむ。

友よ、「利益」を越えた道を、犀の角のごとく独り雄々しく歩もうではないか。 おお

阿含宗開祖・桐山靖雄

73 第二章 関の開発法

それは瞑想からはじまる

わたくしは、前章で紹介した「間脳思考」で、エレクトロニクスと霊性を結

ぶものはなにかと質問されて、それは瞑想からはじまると答えた。

そのあと、話がだいぶ進んでから、

「それでは、間脳の開発をするのも、瞑想ですか?」

と聞かれた。わたくしは、

「いいえ」

とかぶりをふった。

「瞑想じゃないのですか?」

「いいえ」

とわたくしは、これにもかぶりをふった。

彼は、けげんそうな表情でわたくしを見つめた。

そこでわたくしは答えた。

「それは瞑想からはじまるのです」

なるほど、というように彼はうなずいた。わたくしは説明した。

それは瞑想からはじまるのだが、瞑想だけではないのだ。重性の完成は、既

想だけでは不可能なのである。心の安定、欲望の調節、本能の抑制、といった程

度のものでは、とうてい到達できない境界である。思念、想念の変化くらいでは

、絶対に行き着くことのできない次元なのだ。

なぜか?

◎霊性完成の到達点は、カルマからの超越である。

カルマとはなにか? いうならば、地球における引力のようなものである。

地球上に存在するものすべて、地球引力の支配下にある。いかなるものも、引力から逃れることはできない。いや、地球という存在そのものが、引力によって成り立っているのである。人間におけるカルマもそのとおりである。人はす べて、輪廻のカルマの絶対的な規制を受けている。このカルマから、もろもろ の 「因縁」が生じて、人間を緊縛しているのである。いや、カルマと因縁によっ

て、人間が成立しているのだ。このカルマと因縁の繋縛から完全に解脱したときが、霊性の完成である。いうならば引力からの脱出である。反重力の修行なのだ。その修行によって自分の存在の次元が変わるのである。

存在とはなにか? それは究極のところ『波動”である。『自分”という波動 ・を変えてしまうのだ。それにより『カルマ”という波動を越えてしまうのである。

人間という存在の波動を変える原点は、間脳の視床下部にある。ここの波動を変えることにより、全身の波動が変わり、特殊な精神波動と肉体波動を持つ存在 「になる。それは、カルマの規制を受けない、ふつうの人間とはまた異なった、高 「度な霊的存在とよぶよりほかない存在となるのである。これが成就すると、特殊な「霊光」が発生するようになる。この特殊なオーラの発生は、全身の波動が変化したことを示すのである。オーラについてはまたあとでのべるが、このオーラの発光源は間脳なのである。瞑想だけでは、以上のような『次元の変化”は不可能である。もちろん、心の安定、集中、まったく新しい高い次元へのメディテイト等、瞑想はこの修行に絶対必要なものである。しかし、それはひとつの

手段にすぎない。瞑想は、大脳辺縁系と新皮質脳しか動かすことができない。

 

手段にすぎない。瞑想は、大脳辺縁系と新皮買脳しか動かすことができない。だから瞑想だけではだめなのである。間脳をはたらかす瞑想でなければ、オーラは発生しない。したがって、カルマを越えることはできないのである。

では、なにが必要なのか?

特殊なtapas (練行)である。

学者は tapas を苦行と訳しているが、わたくしはこれを、練行と訳したい。そしてこの練行が絶対に必要なのである。

思念による王者の相承

チベット密教のニンマ派では、古くから解脱の完成に三つの方法があると説いている。

じみようしゃ二、象徴による持明者の相承ギャルワゴンパーギューパ rgyal ba dgongs pa’i brgyud pa rig ‘dzin brda’i brgyud pa キューバ

三、耳を通した言葉による人の相承gang zag snyan gyi brgyud pa

いる。 である。 霊界の法の世界において、法の完成者タターガタ(如来)が常恒に法を説いて

一の「思念による王者の相承」とは、この法身タターガタが、言葉や象徴という総介なしに、直接相手の心に自分の心を伝達するものである。この場合、 心、というのは単なる思念の心ではなく、パワーを主としたものと思うべきである。これによって、相手はたちどころに仏陀として完成するのである。

これは最高であり、理想的なものであること、もちろんである。「王者の」、という所以である。

(この「余徴による持明者の相承」とはどういうものかというと、象徴とは、ある言葉、かたち、背、色などに複雑な思想の内容を圧縮して詰め込んだものをいい、また、持明者(rig’dzin)とは、純粋な心で実相をそのまま見ることがで

 

輪転生想法 76

 

 

一、思念による王者の相承

75

第二章 開の開発

 

輪転生類想法 74

 

 

 

73

第二章 関の開発法