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仏教

恵果、空海を見抜く ―― 言葉より先に法が交わる瞬間

 

恵果、空海を見抜く ―― 言葉より先に法が交わる瞬間

 

青龍寺の朝は、まだ人を選ばない。
鐘が鳴る前、
境内は静まり、
露が石に残っている。
空海は、門前に立っていた。
名を告げる使者はいない。
紹介状もない。
ただ、歩いて来ただけの僧。
それでも、
足が止まらなかった。
恵果の朝
恵果は、すでに坐していた。
瞑想でも、休息でもない。
ただ、そこに在る。
弟子たちが出入りし、
経を整え、
声を潜めて動く。
その流れの中で、
恵果の眉が、
わずかに動いた。
理由は、分からない。
だが、
空気が変わった。
入室
空海は、案内される。
畳の匂い。
香の残り香。
壁に掛けられた曼荼羅。
そのすべてが、
説明を拒んでいる。
恵果は、顔を上げない。
沈黙。
空海は、礼をした。
言葉を選ぼうとした――
その前に。
見抜かれる
恵果が、顔を上げた。
その眼は、
僧を見る眼ではなかった。
弟子を見る眼でもない。
異国の僧を測る眼でもない。
法が、法を見る眼。
その瞬間、
空海の胸の奥、
摩尼宝珠の位置が、
静かに震えた。
恵果は、言う。
「来たか」
それだけだった。
言葉が不要になる
空海は、息を吸う。
自己紹介も、
志も、
修行歴も、
すべてが不要だと、
身体が知っている。
恵果は続ける。
「求聞持を修したな」
問いではない。
確認でもない。
事実の宣言。
空海は、うなずく。
それ以上、何も言わない。
法が交わる
恵果は、立ち上がり、
曼荼羅の前に進む。
指で、中心を示す。
「ここだ」
その瞬間、
空海の内側で、
同じ位置が、
同時に応える。
胎蔵界。
除盖障院。
不思議慧。
説明は、なされない。
一致だけが起こる。
時間の短縮
恵果は、笑った。
「長くは要らぬ」
「お前は、
すでに半分、終えている」
それは誇りではない。
評価でもない。
事実だった。
空海は、その言葉に、
安堵も、喜びも、
感じなかった。
ただ、
ようやく合ったという感覚。
師と弟子
恵果は、初めて名を呼ぶ。
「空海」
まだ、日本でも定まらぬその名を、
まるで昔から知っていたかのように。
「ここに留まれ」
「急ぐ」
「だが、
すべてを渡す」
その言葉が、
未来を決める。
言葉の後
その日、
多くの説明がなされた。
真言。
印。
灌頂。
だが、
本当の伝授は、
最初の沈黙で終わっていた。
法は、
言葉より先に交わった。
だからこそ、
すべてが、
間に合った。
空海は、夜、ひとり坐す。
思う。
――師とは、
――探す者ではなかった。
――見抜く者だった。
そして同時に。
――弟子とは、
――選ばれる者ではない。
――すでに来ている者なのだ。

空海の胸 求聞持  摩尼宝珠  The Heart of Kūkai — Gumonji — Mani Jewel

 

空海の胸 求聞持  摩尼宝珠

The Heart of Kūkai — Gumonji

— Mani Jewel

空海の胸 闇より深く
摩尼宝珠が 静かに鳴る
名も志も まだ持たぬまま
息だけが 法に触れた

Noubou Akyashakarabaya
Onarikya Mariborisowaka

नौबौ अक्यशाकरबया ओनारिक्य मरिबोरिसोवाक

言葉はいらない すでに来ていた
師と弟子は 時を越えて
曼荼羅の中心で 同じ場所が応える
求聞持の光は 胸に在る

Noubou Akyashakarabaya
Onarikya Mariborisowaka

नौबौ अक्यशाकरबया ओनारिक्य मरिबोरिसोवाक

In Kūkai’s chest, deeper than the dark,
The Mani Jewel softly begins to ring.
Without a name, without a vow yet formed,
Only the breath touches the Dharma.

Noubou Akyashakarabaya
Onarikya Mariborisowaka
नौबौ अक्यशाकरबया ओनारिक्य मरिबोरिसोवाक

No words are needed — he had already arrived.
Master and disciple transcend time itself.
At the center of the mandala, the same place responds.
The light of Gumonji dwells within the heart.

Noubou Akyashakarabaya
Onarikya Mariborisowaka
नौबौ अक्यशाकरबया ओनारिक्य मरिबोरिसोवाक

求聞持聰明法の秘密

求聞持聰明法の秘密

空海と覚っと私

私は定に入っていた。

ひたすらふかい側に入っていた。

ナるは開発明。三度目の修法であった。

最初は真言宗教の行に響った。完全な失敗であった。それは集中力を高めるという効果はあったが、それ以上のものではなかった。つぶさにこの行法を検討して、私は、しょせん、真言教の神明に、大脳皮質の構造を一変するごときシステムはないとの結論を得た。すくなくとも、従来のままの行法に、それだけの力はない。求聞持意明法を成就して、悉地を得たという弘法大展空海は、あとにのこしたこの行法以外に、必ず、なんらかの秘密技術を体得しているのに相違なかった。他ののこした求聞持法の行法は、その秘密技術のヒントになるべきもの

のかをつらわたに消さず、その秘術――おそらく、自分自身の訓練努力によってみずからが見せよとつきはなしているのにもがいなかった。それを発見するだけの努力をし、発見でき

あだけの空質のあるもののみがそれをわがものとする資格があるのだ、と、つめたく未来を見す

えている不世出の知性の目を、私は行法次第のなかに感じた。それゆえにこそ、宗教者としてゆたかな天分を持つ男教大師覚が、七たびこれを修して失敗し、八度目にしてようやく悉地成就を得たという解の行法となっているのである。そうでなければ、覚纓ほどの才能が、なんで七たびも失敗しようか。

しかも、これを成就したという覚辺は、四十歳代にして没している。これを体得した私の経験からいえば、この法を成就した者は、自分のからだを自由自在にコントロールして、欲するならば、百歳、二百歳の長寿もけっして不可能ではなくなるのである。しかるに、どうして求聞持法を体得した覚が四十歳代という短命に終ったのか。覚護が求聞持法を体得したというのはウソであったのか?私は、彼がこの法を成就したことは真実であったと思う。では、覚鰻が天夭折したのはなぜであるか?私は、求聞持聡明法の行法次第のなかにかくされた秘密をさぐり出すための、血のにじみ出るような、いや、私をしていわしむれば五体から血の吹き出すような辛苦が、彼のいのちをちぢめたのであろうと思う。彼は八度目にしてついにこの秘密の技術を体得したが、その時までに彼の生命力は消費しつくされ、再起できなかったのであろう。私は、この三

度目の修法で求聞持法の秘密を解き、悉地の成就を得るのであるが、それでは、私は、興教大師登後上人よりも密教者としてすぐれているというのであろうか? そうではないのである。私は、非常にしあわせなことに、弘法大師空海とおなじ立場にあったのだ。

 

それはどういう意味か?

 

 

ている。 空との相違、それは、からののしこしたヒントのみによった、ということである。私はがしたのは海外に出て、外地の技術に接してからであると確信する。その資料と思われるものも二、三持っているが、彼は、最初、外地からもたらされたナマの技術(それは幼種なものであったが) を自分の天分で電撃して半ば完成し、のち、外地にわたってすべての秘密を解いた、と私は考え

空海は、彼の地でサンスクリット語を自由にあやつった。彼は、古代ヨーガの超技術を知っていたのに相違なかった。彼ほどの天才がサンスクリット語を読み、書き、語りながら、密教の原点であるヨーガにふれなかったとしたら不思議である。彼の求聞持聰明法には、古代ヨーガの技術がひそんでいるのに相違なかった。けれども、高野や根来の山奥で、ひとり法を修する覚鑽には、かなしいことに、古代ヨーガの技術はまったく無縁であった。わずかに真言宗の行法のなかに見えかくれするものを必死に追いもとめ、自分の頭脳でこれを綴り合わせてゆくという至難以上の作業に没頭せねばならなかった。彼の頭脳はついにこれを解いた。しかし、変労困意その極に達していたであろう、と私は心から同情にたえない。

私は空海とおなじ立場に立つ。いや、千年の時代の流れは、私に空海以上の便宜をあたえてくれている。彼の何倍もの資料を私は居ながらにして手に入れている。二度目の修法に、私は、古代ヨーガの技術をとり入れた。ひしひしと感得するものがあった。五〇日のその行で、求聞持 法

空と覚際の相違、それは、空海は海外からのナマの芸術に接したのであり、 こしたヒントのみによった、ということである。私は、空海が開持法の最後のを体得したのほ海外に出て、外地の技術に接してからであると確信する。その資料と思われるものも二、三待っているが、彼は、最初、外地からもたらされたナマの技術(それは幼稚なものであったが) を自分の天分で聖戦して半ば完成し、のち、外地にわたってすべての秘密を解いた、と私は考え

ている。 空海は、彼の地でサンスクリット語を自由にあやつった。彼は、古代ヨーガの超技術を知っていたのに相違なかった。彼ほどの天才がサンスクリット語を読み、書き、語りながら、密教の原真であるヨーガにふれなかったとしたら不思議である。彼の求聞持聡明法には、古代ヨーガの技所がひそんでいるのに相違なかった。けれども、高野や根来の山奥で、ひとり法を修する覚鑽には、かなしいことに、古代ヨーガの技術はまったく無縁であった。わずかに真言宗の行法のなかに見えかくれするものを必死に追いもとめ、自分の頭脳でこれを綴り合わせてゆくという至難以上の作業に没頭せねばならなかった。彼の頭脳はついにこれを解いた。しかし、疲労困憊その極に達していたであろう、と私は心から同情にたえない。

私は空海とおなじ立場に立つ。いや、千年の時代の流れは、私に空海以上の便宜をあたえてくれている。彼の何倍もの資料を私は居ながらにして手に入れている。二度目の修法に、私は、古代ョーザの技術をとり入れた。ひしひしと感得するものがあった。五〇日のその行で、求

「の成就はみられなかったが、私の考えのまちがいでなかったことがよくわかった。この方法で求聞持法はかならず成就する。つよい確信を得た。この技法を積みかさね、延長してゆけばよい。これしかない。ぜったいの自信を得た。

かんじやくこの、私の技法によれば、従来のごとく、山にこもって五〇日ないし一〇〇日、明星を拝しつづける必要がなかった。常住座駅、関寂の部屋ならば、時、ところをえらばなくてもよいのであった。ただ、最初の三日ないし七日間、山居して明星とあい対し、これをふかく脳裡にとどめておけばよかった。あとは、三〇日、五〇日、一〇〇日、よしんば一○○○日かかろうとも、日常の生活の行代のうちにトレーニングを積みかさねてゆけばよいのであった。この発見はすばらしいものであった。これでなくては、法はついに民衆と無縁のものになってしまう。五〇日、一〇日、特定の山にこもらねば成就しないというのでは、ごくかぎられた人たちのみしか参加することはできない。民衆と無縁になってどこに法の存在価値があろう。私は、このシステムによって、この法を完成せねばならぬ。法のために、民衆のために、どうしても――。 のうり

そして、三度目の必死の修法に私は入っていた。

それは、ほぼ一〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニングのときであった。 真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、それに、古代ヨーガに伝わる特殊な呼吸法、古代ョーガの秘法から私が創案した特殊な手印とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだと大脳皮質とは、微妙な変化をおこしつつあることが感じられていた。チャクラの開発も順調に

脳皮質と脂詰は、微妙な変化をおこしつつあることが感じられていた。チャクラの開発も訓に

すすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じていた

夜明け、 まどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。いいかの感覚であった。かるい失心、めまいに似ていた。忘我の一瞬であった。その刹那、

「ああッ!」

と私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流がながれた感覚が走った。落雷があったと感じた。目の前を紫電が走った、つぎの瞬間、眼前でフラッシュをたかれたように、私の視野は真っ脈になった。失明!という考えが、チラリと脳裡をよこぎった。と、そのときであった。 頭の爆哭、深部に、ポッカリとあかりがともったのだ。そして、それは、私の脈搏とおなじリズムで、しずかに、しずかにまたたきはじめた。ちょうど、この修法をはじめる数十日まえ、山にこもって見つめたあのときの暁けの明星のように――それはつめたく、黄ばんだ白さでまたたいた。

「そうか!」

私は力いっぱい膝をたたいた。

「そうか! これが明星だったのか!」

私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した!

第三の発見――視床下部の秘密

私は幼少のときから剣道をしこまれた。藩の剣術師範の家柄に生まれ、若年の折、江戸お玉ヶ池の千葉門で北辰一刀流を学んだという祖父に、はじめて木剣を持たされたのは三歳ごろであったろうか??そのとき私は、祖父の顔をゆびさして「目ン目がこわい!」といって泣いたそうである。そのころ八〇歳を過ぎていた祖父は、ほんとうの好々爺になりきっており、私はふだん、

父よりも母よりもなついていたが、そのときばかりは、木剣のむこうに光った剣士鳥羽源三郎酷、味。(祖父の名)の目に、ひとたまりもなくちぢみあがってしまったものらしい。めったに泣いたことのない私が一時間ちかくも泣いていたという。『それでもあんたは木剣だけははなさなかったよ」と、いまでも老母がほこらしげに語ってくれるのだが――、私は、のち、三段にま

で昇り、健康を害してやめたが、剣の天分があるといわれ、少年時代、そのころ盛んであった各地の剣道大会に出場してかぞえきれぬほどの優勝をしたのは、この祖父の血を受けたものであろ

う。私は剣道が好きであった。防具のはずれの肘を打たれて腕がなえ、思わず竹刀をとり落したりするときはつらいとは思ったが、苦にはならなかった。面金を越えて深くあざやかに面をとられたときは、目からパッと火が出て、プーンときなくさいにおいを嗅いだ。ほんとうに目から火が出るのである。けっして形容詞ではないのだ。これは剣道修行の体験者ならばみなご存知のは

その火たのだ。そのとき私の視野をかすめた魔彩

ニ戸 これは剣道修行の体験者ならばみなご存知のは

その火なのだ。そのとき私の視野をかすめた思考は

しばらくしてわれにかえった私はそれに気がついたのだった。そうだ。 とおなじだ。そして目から火が出ると同時に配鉱のなかでかいだあのなつかしいキナくさいにおいもいっしょにかいだような気がしたのだが――、しかし、『目から火が出るほどのこの衝撃は、いったいどうしたということであろうか? 外部から私の頭部を打ったものはなにひとつない。すると、私の頭の内部でなにごとがおこったというのであろうか。それともあれはなにかの錯覚であったのか?

私は、ふたたび一定のポーズをとり、頭をある角度からある角度にしずかに移しつつ特殊な呼吸法をおこなって、定にはいっていった。と、なんの予告も感覚もなしに、さっきとおなじ場所に火を感ずるのである。同時に頭の深部にある音響が聞こえはじめた。私は、またさっきの電撃に似た痛覚を頭の一角に感じるのかとひそかにおそれつつ、少々、「おっかなびっくり」にそれをやったのであったが、今度はぜんぜん痛みもなにも感じなかった。そうして頭の内奥の上部に明星」がふたたびまたたいた。

まさに――、私の脳の内部に一大異変が生じていることにまちがいはなかった。しかし、それ

はどういう異変であろうか?

脳の間際、「関に下部」に異変が起きたのである。すべての秘密は、彫脳の内部の視床下部に

それは一種の化学反応によるショックであったのだ。

あった。ここが秘密の原点だったのである。

私がさきの章で内分泌腺の機構について図までかかげて説明したのは、これを知ってほしいためであった。専門学者はさぞかし片はらいたく思われるのにちがいなかろう。それを承知でおくめんもなく素人の私があえてそれをしたのは、この視床下部の秘密を読者に知ってほしいためであった。図(真)を見ればわかる通り、すべての内分泌腺を統御しているのは視床下部である。 そしてここが、ヨーガでいうブラーマ・ランドラ(梵の座)であり、サハスララ・チャクラなのである。今までのヨーガの指導者のいうように、それは、松果腺、松果体ではない。視床下部が、 サハスララ・チャクラなのである。もっとも、視床下部のすぐそばに松果体があるので、それを見あやまったのであろう。もっとも、松果体自身もある重要な役わりを受けもつ。けれども、サハスララ・チャクラそのものは松果腺ではなく、視床下部であった。

視床下部はいまいったように、下垂体系を通じて全内分泌器官を統御する。それでは、なにをちって続御するのかというと、もちろんそれは『神経」である。したがって視床下部には重要な神経がたくさん集まっている。私は、古代ヨーガのなかから、この部分を動かすポーズとムドラ 1を創案してここにつよい圧力をくわえ、同時に、強烈な思念(念力)を集中していた。百日のあいだ、たえまなく、私はここに、物質的、精神的、両面にわたるつよいエネルギーを集中した。その結果、ここの神経線維に一大異変が生じたのだ。その異変により、神経線維が異常分泌をおこしたか、それともそこにある分泌液、神経渋に変化がおきたのか、そのいずれである

細細に一大記変が生じたのだ。その異変により、神経線維が異常 「分泌をおこしたか、それともそこにある分泌液、神経液に変化がおきたのか、そのいずれである

かはわからぬが、それらの分が複雑に混合し合って、化学反応をおこしたのだ。

その化学反応による衝撃が、視床の神経をはげしく打って、網膜に光を走らせたのだ。その衝撃はここの神経線維にシナプスをむすび、その火はいつでも私の思うまま私の脳の内良に明星を重たたかせることとなった。同時に私の脳の構造も一変した。求聞持聰明法の成就である。求聞特意用法とは、脳の内部の化学反応による脳組織の変革であったのだ。

視床下部の生理学的機構

では、視床下部の機構を生理学的にみてみよう。(図説・内分泌病への手引・土屋雅春、他着による)

解剖

よくそく視床下部は同脳の一部で、視床の腹側にある。

b=生理

視床下部は体温、普環、新陳代謝、外分泌、平滑筋などの諸機能の調節をつかさどるほかに、 内分泌腺の統御の場として重視されている。内分泌腺調節機序としては、(1)神経性調節(交感・副交感神経の体液性調節とがある。

下重体後葉のパゾプレシン、オキシトシンが視床下部の視素上核や室旁核の神経分泌により支配されていることが示され、最近は下垂体前葉が次に記すような各種の分泌促進因子 releasing factor の支配下にあることが知られてきた(次頁の図参照)。

 

空海   百日目 ―― 求聞持が身体を変え始める When the Gumonjihō Begins to Change the Body

 

空海   百日目 ―

― 求聞持が身体を変え始める

When the Gumonjihō Begins

to Change the Body

 

 

百日目の朝 色は変わらず
山は黙って 影を落とす
ただひとつ 違っていたのは
この身が 先に目を覚ましたこと

 

Noubou Akyashakarabaya

Onarikya Mariborisowaka

नौबौ अक्यशाकरबया ओनारिक्य मरिबोरिसोवाक

 

唱えなくても 息が法になる
探さなくても 珠はここにある
奇跡はいらない 覆いが消えれば
人はただ 人に還ってゆく

Noubou Akyashakarabaya

Onarikya Mariborisowaka

नौबौ अक्यशाकरबया ओनारिक्य मरिबोरिसोवाक

 

 

The morning of the hundredth day
wore no special color.
The mountain cast its usual shadow.
Only this was different—
my body awakened first.
Namo Akyashagarbhaya

On Arikya Maribori Sowaka
नौबौ अक्यशाकरबया ओनारिक्य मरिबोरिसोवाक

 

the breath itself becomes the Dharma.
Without searching,
the jewel is already here.
No miracle is needed—
when the veil falls away,
a person simply returns
to being human.
Namo Akyashagarbhaya

On Arikya Maribori Sowaka
नौबौ अक्यशाकरबया ओनारिक्य मरिबोरिसोवाक

空海 ― 最初の求聞持の夜

 

空海 ― 最初の求聞持の夜

 

 

夜は、まだ海の名を知らなかった。
土佐の山奥。
洞の口から見える空は、墨を流したように暗く、星は息をひそめている。
潮の匂いが、遠くからかすかに届いていた。
青年は、岩の上に坐していた。
名は、まだ空海ではない。
学びは尽きなかった。
経を読み、論を写し、言葉は山のように積み上げた。
だが――
知は増えても、道は見えなかった。
「なぜだ」
問いは声にならず、胸の内で反響する。
仏は説いた。
法は示された。
それでも、決定的な何かが欠けている。
その夜、彼は古い一文を思い出していた。
求聞持。
聞いた法を失わず、
観た真理を曇らせず、
智慧が自ら動き出す境地。
――だが、それは紙の上の言葉だった。
洞に満ちる闇
灯明は置かなかった。
光は、外にあると思っていたからだ。
真言を唱える。
声は低く、呼吸に溶けていく。
何度目かも分からない反復ののち、
思考は、ふと、ほどけた。
焦りも、期待も、
「成就したい」という願いさえも、
闇に沈んでいく。
そのときだった。
背の奥――
脊の底に、かすかな熱が生まれた。
それは修行の成果でも、努力の報酬でもない。
ただ、目覚めだった。
熱は昇る。
ゆっくりと、抗うことなく。
胸を通り、喉を抜け、
額の奥――
言葉の届かぬ場所へと注がれていく。
青年の身体が、器になる。
虚空が坐す
闇が、闇でなくなった。
無限の広がりが、洞の中に現れる。
そこには星も、地も、時間もない。
ただ、虚空。
その中心に、ひとりの菩薩が坐していた。
童子の姿。
だが、その眼は、すべてを見通している。
虚空蔵菩薩。
青年は、名を呼ぼうとしてやめた。
名を呼ぶ前に、すでに呼ばれていたからだ。
「求めるな」
声は音ではなかった。
直接、心に触れる。
「覚えようとするな」
青年の胸に、これまで学んだ経がよぎる。
だが、それらは文字としてではなく、
意味として、同時に立ち上がる。
忘れていたのではない。
遮られていただけだった。
摩尼宝珠
虚空蔵の胸が、かすかに光る。
一輪の蓮華。
その上に、ひとつの珠。
摩尼宝珠。
願いを叶える宝ではない。
智慧を与える道具でもない。
それは、生命そのものの凝縮だった。
珠が光ると、青年の身体も応えた。
呼吸、血、鼓動――
すべてが、ひとつのリズムに整う。
「智慧は、思考の先にない」
虚空蔵は告げる。
「身体が整い、
心が澄み、
世界が遮られなくなったとき、
智慧は自然に働く」
その瞬間、青年は悟った。
天才とは、
多くを持つ者ではない。
覆われていない者なのだ。
夜明け
気づけば、洞の外が白み始めていた。
鳥が、ひと声だけ鳴く。
青年は、まだ岩の上に坐している。
何かを得た感覚はない。
だが、何も失われていない確信があった。
経は、もう忘れないだろう。
言葉は、必要なときに自然に湧くだろう。
それよりも――
この身が、
法を生きる器になった。
彼は、ゆっくりと立ち上がった。
この夜が、後に「最初の求聞持」と呼ばれることを、
彼はまだ知らない。
ただ、空を見上げ、静かにつぶやいた。
「虚空よ」
その名は、
やがて彼自身の名となる。

百日目 ―― 求聞持が身体を変え始める

百日目の朝は、特別な色をしていなかった。
山はいつもと同じ影を落とし、
洞の前の草は夜露を抱いたまま揺れている。
鳥は鳴き、風は通り過ぎ、
世界は、何事もなかったかのように在った。
ただ、彼の身体だけが違っていた。
空海は、岩の上に坐し、
呼吸がすでに真言になっていることに気づく。
唱えようとしなくても、
息が自然に言葉を含む。
胸に力はない。
額に熱もない。
それなのに、身体の奥に、澄んだ流れがある。
身体が先に悟る
百日のあいだ、彼は数えなかった。
一日目も、十日目も、
何かが起きたという手応えはなかった。
それでも、確実に変わったことがある。
疲れない。
いや、正確には――
疲れが、溜まらない。
思考が長く続いても、
身体がそれを拒まない。
かつては、学びのあとに訪れていた鈍さが、
今は、澄んだ静けさに変わっている。
空海は悟る。
――これは、心が身体に従ったのではない。
――身体が、先に道を知ったのだ。
覆いが外れる感覚
洞の奥で、目を閉じる。
すると、思考が立ち上がる前に、
答えが、すでにそこにある。
探さない。
組み立てない。
ただ、現れる。
それは啓示でも、神通でもない。
遮りが消えただけだった。
虚空蔵の言葉が、いま、実感として蘇る。
「覚えようとするな」
覚える必要がない。
智慧は、もともと失われていなかったからだ。
摩尼宝珠の位置
百日目の夜、彼は一つの変化に気づく。
胸の奥、心臓の少し上。
そこに、静かな中心がある。
熱ではない。
光でもない。
だが、確かに、そこから
身体全体へ、何かが行き渡っている。
それは、
曼荼羅で見た摩尼宝珠の位置と、同じだった。
空海は、はじめて理解する。
――珠は、外にあったのではない。
――身体が、珠を思い出したのだ。
若さという現象
百日を越えたころ、
肌は荒れず、目は澄み、
眠りは深い。
老いが引いた、という感覚すらない。
ただ、滞りが消えた。
生命は、本来こう流れるのだと、
身体が教えてくる。
天才になる兆しはない。
だが、衰えない確信がある。
この身は、長く道を歩ける。
そのことが、何より尊い。
百日目の静かな確信
夜明け前、洞の外で、
空が薄く色づく。
空海は立ち、
世界を見渡す。
知を得るために修したのではない。
力を得るためでもない。
ただ、覆いを外すためだった。
求聞持とは、
人を超人にする法ではない。
人を、本来の人に戻す法なのだ。
百日目。
奇跡は起きなかった。
だが、
この日を境に、
彼はもう、戻れない。
身体が、
法とともに歩き始めたからだ。

唐へ渡る前夜 ―― 師なきまま決断する夜

港は、夜の底に沈んでいた。
潮は満ち、船影は黒く揺れ、
綱が軋む音だけが、規則正しく耳に残る。
灯は少なく、顔は見えない。
この場にいる誰もが、言葉を慎んでいた。
空海は、桟橋の端に立っていた。
弟子ではない。
僧でもない。
まだ、名もない。
師は、いなかった。
経を授けてくれる者も、
保証してくれる肩書きも、
この身を導く背中もない。
ただ、
身体だけが知っている道があった。
留まる理由、渡る理由
日本に留まる理由は、いくつもあった。
危険。
貧しさ。
無名。
海は、幾人もの命を飲み込んできた。
唐に着ける保証はない。
着けたとして、学べる保証もない。
理は、すべて「行くな」と告げている。
だが、
身体は、一歩も引かなかった。
空海は、胸の奥にある静かな中心――
摩尼宝珠の位置に、意識を置く。
そこから、ひとつの感覚が立ち上がる。
「ここではない」
声ではない。
思考でもない。
ただ、
場所の違和感だった。
師とは何か
かつて、彼は思っていた。
師がいなければ、道は誤る。
伝承がなければ、法は歪む。
だが、百日の求聞持は、
その前提を静かに崩した。
法は、
書物の中にも、
人の中にも、
身体の中にもある。
師とは、
外にいる者ではなく、
覆いを外す働きそのものなのだ。
唐には、
その働きを完全に受け取った者たちがいる。
それを、
この身が、知っている。
海を前にして
波が、桟橋を打つ。
闇の向こうに、
まだ見ぬ大陸がある。
空海は、恐れを探した。
――死ぬかもしれない。
――すべてを失うかもしれない。
だが、恐れは、
中心に届かなかった。
施無畏。
除盖障院の主尊、
不思議慧菩薩の印。
恐れが消えるのではない。
恐れが、判断の座に座れなくなる。
それだけだ。
決断
船に乗る、という決断はなかった。
すでに乗っている感覚だけがあった。
空海は、静かに船縁に足をかける。
誰にも見られず、
誰にも祝われず、
誰にも止められず。
ただ、海と、身体と、
虚空だけが知っている夜。
「虚空よ」
彼は、小さく呟く。
答えは返らない。
だが、
世界の手触りが、変わる。
夜明け前
遠くで、船頭が合図を送る。
綱が外され、
船は、わずかに岸を離れる。
その瞬間、
空海は振り返らなかった。
ここに師はいない。
だが、
道は、すでに師だった。
夜が、静かに明け始める。
この渡航が、
密教を日本にもたらすことを、
彼はまだ知らない。
ただ、確信している。
――行かねばならないのではない。
――すでに、行っているのだ。
船は、闇の海へと進む。
虚空は、すべてを包んでいた。

嵐の中 ―― 海上で虚空蔵が再び現れる夜

 

海は、突然、顔を変えた。
それまで穏やかだった水面が、
まるで別の生き物のようにうねり始める。
風が吠え、帆が裂ける音が夜を切った。
船は小さい。
人は、あまりにも軽い。
祈りの声が上がる。
名を呼び、仏を呼び、
生きたいという願いが、叫びになる。
空海は、甲板の端に坐していた。
身体は濡れ、
衣は重く、
波が何度も打ちつける。
それでも、
中心は揺れていなかった。
死の近さ
一瞬の判断の遅れで、
人は海に消える。
空海は、それを知っていた。
恐れも、十分にあった。
だが、恐れは、
心の表層を通り過ぎるだけで、
胸の奥には触れない。
そこには、
百日の求聞持で生まれた
静かな空間があった。
嵐は、外にある。
死も、外にある。
だが、
法は、内に在る。
虚空が裂ける
雷が落ちた。
夜空が、一瞬、白く裂ける。
その刹那、
空海の意識は、甲板を離れた。
落ちるのではない。
引き上げられるのでもない。
ただ、
虚空が、こちらに現れた。
海も、船も、嵐も、
すべてが遠のき、
無限の広がりが立ち上がる。
その中心に、
再び、童子の菩薩が坐していた。
虚空蔵。
問いはない
空海は、何も問わなかった。
救いも、
奇跡も、
生存の保証も、
求めなかった。
ただ、坐す。
すると、虚空蔵が告げる。
「嵐は、
外界の現象ではない」
その言葉と同時に、
空海は理解する。
恐れが、
身体のどこに生まれ、
どこで止まり、
どこで消えるか。
嵐は、
心を壊すためにあるのではない。
覆いを、完全に剥がすためにある。
摩尼宝珠の光
虚空蔵の胸、
摩尼宝珠が、静かに輝く。
その光は、
眩しくない。
温かくもない。
ただ、正確だった。
光が、空海の中心に重なる。
すると、
船の揺れが、
身体の揺れと同調し、
揺れが、揺れでなくなる。
生と死の境が、
一瞬、意味を失う。
生きるということ
虚空蔵は、最後にこう告げた。
「生き延びよ、とは言わぬ」
「死ぬな、とも言わぬ」
「ただ、
法を遮るな」
その言葉が、
すべてだった。
嵐の果て
意識が、甲板に戻る。
風はまだ強く、
波は荒い。
だが、
嵐は、すでに峠を越えていた。
誰かが叫ぶ。
誰かが泣く。
船は、沈まなかった。
空海は、立ち上がり、
濡れた空を見上げる。
恐れは、もう戻らない。
勇気に変わったわけでもない。
ただ、
判断の座に戻れなくなっただけだ。
夜が明ける。
嵐は去り、
海は、何事もなかったように広がる。
空海は知る。
――この夜で、
――師は、完全に不要になった。
次に必要なのは、
法そのものと、対面すること。
その地が、
長安である。