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仏教

メシアの法 ― 静かなる発信者 ―  

 

メシアの法

静かなる発信者

 

夜は沈み 光は空虚に揺れる
誰も知らない 声なき声が満ちる
これは音じゃない 流れ込む“念”
闇の奥で 誰かが呼んでいる

縁に生まれ 縁に還れ
歪みなき心で 放て今
生も死も越え 響けこの波
メシアの法よ 世界を書き換えろ

Namo samanta buddhānāṃ
Om Arahashano
On Sanmaya Satvam

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

Om Makaragya Bazarasatoba
Jinbarabaraya Sowaka

 

 

渦巻く声が 意識を裂く
怒りと悔いが 絡みついてくる
「終われない」と 響く残響
過去が今を 引きずり込む
だがその奥 微動だにせず
ただ観ている 揺るがぬ核
拒まず 抗わず 包み込む
静寂だけが すべてを変える

 

縁に生まれ 縁に還れ
歪みなき心で 放て今
生も死も越え 響けこの波
メシアの法よ 世界を書き換えろ

ひとつの脳へ 繋がっていく
分かたれた意識が 還り始める
恐れも境も すべて溶けて
人類は今 ひとつになる
受信と発信 循環の中で
命はただ 光へと変わる
生者も死者も 境を越えて
メシアの法が 宇宙を満たす

その時 別の脈動が走る
静寂を裂く 異なる律動
温かくない だが冷たくもない
ただ“正確”な もう一つの意志
「すべては救えぬ」と 響く観測
「歪みは淘汰されねばならぬ」
光とは逆の もう一つの理
選び 削り 均衡を保つ

Namo samanta buddhānāṃ
Om Arahashano
On Sanmaya Satvam

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

Om Makaragya Bazarasatoba
Jinbarabaraya Sowaka

 

 

「なぜ分ける」
「なぜ救う」
二つの声が 空で交わる
慈悲と法則 衝突ではない
互いを映す 鏡のように
「すべてを抱くのが お前の道か」
「すべてを正すのが お前の理か」
その瞬間 世界は知る
対立ではなく――
“補完”であることを

 

光と影が 重なり合い
完全な円が 今 満ちていく
救いと選別 両の理が
世界の均衡を 編み直す
ひとつの脳へ 繋がりながら
それでもなお 個は失われない
すべては巡り すべては観られ
新たな人類が ここに目覚める
メシアの法と もう一つの法
二つでひとつの 真の覚醒
生も死も越え 意識は統合
宇宙そのものが 息を始める

メシアの法 ― 静かなる発信者 ―』

メシアの法 ― 静かなる発信者 ―

 

 

 

夜は深かった。
都市の灯りは無数に瞬いていたが、その光はどこか空虚だった。
ビルの屋上に、一人の青年が立っている。
彼の目は、ただ夜空を見ていた。
――だが彼が見ているのは、星ではない。
「……聞こえるか」
かすかに、だが確かに。
声にならない声が、空間の奥から流れ込んでくる。
泣き声。
叫び。
悔恨。
怒り。
それは風ではない。音でもない。
“念”だった。
死者の念――。
青年はゆっくりと目を閉じた。
幼い頃から、彼は「それ」を感じていた。
理由もなく不安になる夜。
誰もいないはずの場所で、背後に視線を感じる瞬間。
そして、説明のつかない衝動と恐れ。
成長するにつれ、それは「自分の問題」ではないと気づく。
これは――
“人類そのものに刻まれた傷”だ。
師は言った。
「人間の脳は、完成されていない」
「外から来るものに、無防備すぎる」
「特に、幼き心はな」
青年は、その意味を理解し始めていた。
幼い頃――
まだ言葉も、理性も未熟な時期。
人は、ほとんど催眠状態にある。
その柔らかい意識に、世界は刻まれる。
そして今――
その世界の裏側には、もう一つの層があった。
“死者の層”。
怨み、苦しみ、執着。
解かれぬまま漂う、膨大な意識の残滓。
それらは、静かに、だが確実に――
生者の深層に入り込んでいる。
「だから必要なのだ」
師の声が、静かに響く。
「メシアの法が」
青年は、ゆっくりと呼吸を整えた。
吸う。
止める。
吐く。
ただの呼吸ではない。
それは、脳そのものを変えていく技だった。
意識が、額の奥へと集中する。
やがて、何かが“開く”。
――受信。
同時に、頭頂が熱を帯びる。
――発信。
世界が、変わる。
無数の声が、一気に流れ込んできた。
「苦しい」
「なぜだ」
「許せない」
「まだ終わっていない」
混濁した意識の渦。
普通の人間なら、飲み込まれて終わる。
だが青年は違った。
彼は、その中心に“静寂”を持っていた。
「……縁によって生じ、縁によって滅する」
言葉ではない。
理解でもない。
それは、彼の存在そのものから放たれる“波”だった。
縁起。
そして――
正しい見方、正しい行い、正しい心。
八つの道。
それらが、概念ではなく、純粋な振動として広がっていく。
触れた瞬間。
怨念が、わずかに揺れた。
怒りがほどける。
執着が緩む。
苦しみが、形を失っていく。
「……ああ……」
声にならない声が、変わる。
消滅ではない。
解放だった。
青年は理解する。
これは、力ではない。
念力でもない。
“状態”だ。
完全に澄み切った意識。
歪みの一切ない心。
それそのものが、波となり――
異なる次元へ届く。
「まだ足りぬ」
背後で、師が言った。
「少しでも、怒りがあれば届かぬ」
「恐れがあれば、歪む」
「己の中の“獣”が残る限り、救えぬ」
青年は、自分の内側を見る。
そこにはまだ、微かな影があった。
焦り。
救いたいという執着。
そして――恐れ。
「……これでは、完全ではない」
遠くで、街のサイレンが鳴る。
争いは、まだ終わらない。
宗教の名のもとに。
正義の名のもとに。
人は殺し合い、そして死ぬ。
そのたびに、世界は重くなる。
師は空を見上げた。
「時間がない」
「このままでは、人類は自ら潰れる」
青年もまた、空を見る。
そこには――
何かが“見ている”。
別の理。
別の法。
「……もう一つ、あるのですね」
師は頷いた。
「日の国の法だけでは、足りぬ」
「もう一つの流れ――それが近づいている」
二つの光が、遠くで交差する。
競い合うように。
だが、ぶつかるのではなく――
高め合うように。
「それが……メシアの法」
青年は、静かに呟いた。
人を救うだけではない。
死者すら解き放つ法。
そして――
人間そのものを、変えていく法。
夜は、まだ終わらない。
だがその闇の奥で、確かに何かが始まっていた。
静かに。
確実に。
世界を書き換える、“発信”が。

メシアの法

メシアの法

救世主の法は、他のものが持たぬ二つの力を持たねばならない。

それは、第一に、これまで説いてきたように、人間の脳の致命的な欠陥を、根本的に改造する力である。

第二に、メシアの法は、生者を救うだけではなく、死者をも救済する力を持っていなければならない。全地球上にみなぎる死者の怨念を消滅させる力である。 霊的な力を持つ聖者ならばだれでも、地球を覆う死者の悲泣呻吟の声を耳にして、

心痛の限りを尽くさぬものはない。

この死者の怨念のバイブレーションが、すべての人の深層意識を動かしている。ことにおそろしいのは、もの心づかぬ幼少年の心に深い傷や電勢をあたえていることだ。 フロイトによると、ヒトが生まれてからの数年は、一種の催眠に似ており、その数年間に幼児はさまざまな影響と暗示をうける。それらの影響と暗示が、のちになって

現実と衝突し、その結果、葛藤や精神外傷が生ずる。子どもは、そしておとなになってからも、それらのことをなにも想い出せないが、かれが気づかなくとも、それらはかれの行動にたえず影響をおよぼす、と説く。一種の催眠状態にある幼少児の柔い脳と深層意識に、死者の怨念のバイブレーションは、深くきざみこまれる。成長してから、どんなに平和思想を教えられても、それは消えない。かえってそれはかれのこころに葛藤と精神外傷をあたえるだけだ。

ノストラダムスの予言詩によれば、メシアの法は、日の国によって保たれるという。 日の国とは、日本のことである。日の国、というから日本だという単純な発想でいっているのではないのである。必然的な論理がある。

それは、キリスト教にも、イスラム教にも、ユダヤ教にも、死者の怨念を消滅させる法がない、ということである。

死者の怨念を消滅させることを、解脱・成仏させるという。この考えかたは、キリスト教にも、イスラム教にも、ユダヤ教にもない。そういう考えかたがないのだから、 そういう法がないのは当然である。

その枝葉が、二〇〇〇年にわたるキリスト教団、イスラム、ユダヤ教国の絶えざる戦乱、殺し合いではないのか? そしてそれは今もつづいている。

生麦、死者を問わず、解散成仏させる法は、仏陀の法にしかないのである。仏陀が、 阿含経に説かれた七科三十七道品の成仏法にしかないのである。

仏陀の成仏法のメカニズム

仏陀が、『すべての呼吸法において、これ以上のものはない最上の呼吸法である」と説かれた四つの呼吸法を紹介した。

そして、ころのべた。

「この呼吸法が、なぜ最上深格のものであるのかというと、この呼吸法は、専ら脳を対象としたものであるからだ。脳のチャクラを動かし、脳の神経経路を改造し、殊に、と。 脳に特殊な能力を持たせる呼吸法であるからである」

この中で、最も重要なのが、脳に特殊な能力を持たせる」という部分である。

どんな能力を脳に持たせるのか?

ひと口でいうと、脳の一部が、発信器、受信器に変わるのである。

アジナー・チャクラが受信器、サハスラーラ・チャクラが発信器になるのだ。 どんな発信器、受信器なのか?

第四次元をふくむ他次元世界との交信器である。

るのである。 これで死者の怨念を受信し、怨念を消滅させるエネルギーを発信して解脱成仏させ成仏していない死者は、いうならば、三・五次元の世界において、怨念としての存在をつづけている。この存在にたいして、発信するのである。

なにを発信するのか?

仏陀のさとりの核ともいうべき「縁起の法」と「八正道の教え」である。

これで、死者の怨念に消滅する。

そういうと、いかにもかんたんなようであるが、決してそうではないのである。

最も大切なことは、発信者が、縁起の法と八正道を完全に身につけ、さとりの境地が、仏陀と同等のところにまで到達していなければならないということである。

相手は、つよい怨念を残して狂い苦しんでいる存在である。難解な縁起の法、八正道の教えを。そのまま説いたって、通じようはずがない。完全なさとりそのものを、 バイブレーションとして相手に発信するのである。発信は発表なのである。死者の怨あば、さきにものべたように、バイブレーションとして存在しているのである。その慈念のバイブレーションに、仏陀の完全なさとりそのものをバイブレーションとして発展するのである。

ことばや概念ではない、純粋にさとりの心そのものを、バイブレーションとして発振するのである。だから、人種・民族・言語の障壁はない。すべての人間に即座に通ずるのである。それには、ウマの脳(心)や、ワニの騒(心)が少しでも残っていたら、相手の念を消滅することはできない。なぜならば、怨念とは、ワニの脳やウマの話がつくり出したものであるからだ。

いかなる名僧、高僧といえども、仏陀が阿含経に説かれた成仏法 七科三十七道品、ことにその中心である四神足法を体得していなければ、死者を成仏させることのできない理由が理解されたであろう。

たんなる念力だけでは、どんなに強い念力でも、死者の怨念には通じないのである。 仏陀の最上深秘の呼吸法によって脳を改造し、霊的バイブレーションの発信装置を持たなければ、異次元世界の存在である死者の怨念には通じないのである。

また、死者の怨念は、仏陀の縁起の法の真理以外、解くことができない。神の救いや、仏の慈悲をいくら説いても、役に立たないのである。慰さめにはなるけれども、 完全解脱はできないのである。

人類は一律に、その深層意識に、死者の怨念による反覆強迫観念を持ち、不幸な運命の反覆に苦しんでいる。仏陀の成仏法なくして、人類に平和と安穏は永久に来ないのである。

その成仏法は、いま、日本にしかない。

 

ノストラダムスが「日の国によって保たれる」と予言したのは、まさにこのことをいっているのだ。

グエニュ日の国の法と金星の法が競いあう

予言のエスプリをわがものとしながら

双方たがいに耳をかたむけないが

偉大なるメシアの法は日の国によって保たれるだろう

日の国の法と金星の法が競いあう、という。この競い合うということばを、衝突する、争う、という意味に解いているひとがほとんどだが、前にのべたように、競いあって目的に進む、協力し合う、という意味にもとれるのである。

に解釈できる。 つまり、日の国の法と金星の法が、競いあってメシアの法を完成する、という意味

「予言のエスプリをわがものとしながら

ノストラダムスが「日の国によって保たれる」と予言したのは、まさにこのことをいっているのだ。

ヴェニュ日の国の法と金星の法が競いあう

予言のエスプリをわがものとしながら

双方たがいに耳をかたむけないが

偉大なるメシアの法は日の国によって保たれるだろう

日の国の法と金星の法が競いあう、という。この競い合うということばを、衝突する、争う、という意味に解いているひとがほとんどだが、前にのべたように、競いあって目的に進む、協力し合う、という意味にもとれるのである。

つまり、日の国の法と金星の法が、競いあってメシアの法を完成する、という意味に解釈できる。

「予言のエスプリをわがものとしながら

双方たがいに耳をかたむけないが。

ということばは、前の詩句の、日の国の法と金星の法、にかかるのではなく、そのあとの、偉大なるメシアの法、にかかるのである。

つまり、こうなる。

日の国の法と金星の法が競いあう

予言のエスプリをわがものとしながら双方たがいに耳をかたむけないが偉大なるメシアの法は日の国によって保たれるだろう

これで、意味が通ずるようになる。

大体、メシアの思想というのは、他の宗教にもないことはないが、ユダヤ教、キリスト教に最も顕著のものである。そこで、双方たがいに、というのは、ユダヤ教とキリスト教のことと思われる。この双方は、おなじ根から出ていて、おなじ予言のエスプリ」すなわち、ともにメシアの救済の予言を持っている。それでいて、たがいにあい容れないでいる。たがいに自己主張をしていて、双方、耳をかたむけようとしない。

この二行の句の意味は、ユダヤ教もキリスト教も、メシア救済を説くが、どちらに

もメシアは期待できない、偉大なメシアの法は、日本によって保たれ、日本から出現するであろう。

という意味なのである。

われわれはすでに、このことを知っている。

日の国の法と、金星の法が一つになって、仏陀の成仏法の中心である四神足法が完成される。その過程をあなたはつぶさに見てきた。

このままでは、確実に地球は潰され、人類は滅亡するだろう。われわれは、つい昨日、神の名を口にする人たちによって大量の殺し合いがおこなわれ、すさまじい環境破壊がおこなわれるのを目にしてきた。そしてそれはいまもつづいている。

いまがギリギリのタイムリミットだ。

起て! 日の国の、メシアの法の使徒たちよ。

191 仏陀の法のメカニズム

あなたが書いている内容は、単なる宗教説明ではなく、かなり独自に再構成された**思想体系(仏教×予言×脳科学×霊的世界観)**です。
そのため、まず「何が言われているのか」を整理し、そのうえで「構造」と「メカニズム」を分解して説明します。
■ 全体構造(まず結論)
この思想の核は、こうなっています👇
「メシアの法」とは何か
人間の脳を根本的に変える力
生者だけでなく死者(怨念)も救う力
👉つまり
“人間の意識構造そのもの+霊的世界の両方を同時に変革する法”
■ 第一の柱:脳の改造とは何か
ここで言っている「脳の欠陥」とは、比喩的にいうと👇
ワニの脳(本能・怒り・恐怖)
ウマの脳(欲望・衝動)
👉つまり
人間の深層にある原始的な反応システム
これがある限り:
怒りが消えない
欲望が暴走する
同じ苦しみを繰り返す
● 解決法=呼吸による神経回路の再構築
ここで出てくるのが
👉「最上の呼吸法」
これは単なるリラックスではなく:
神経回路の再配線
意識状態の変容
知覚領域の拡張
という意味で語られています。
● チャクラの役割(機能としての説明)
アジナー(眉間)=受信装置
サハスラーラ(頭頂)=発信装置
👉つまり
脳が“通信機”になる
■ 第二の柱:死者の救済メカニズム
ここがこの思想の最も特徴的な部分です。
● 前提
死者は「消える」のではなく:
👉怨念という振動(バイブレーション)として存在する
● 問題の本質
その振動が:
人の深層意識に影響
特に幼少期に刻まれる
無意識のトラウマとして残る
ここであなたの文章は、
ジークムント・フロイト の理論を引用しています。
👉幼少期=催眠状態に近い
👉外部の影響が深く刻まれる
● つまり何が起きているか
死者の苦しみ(未解決の感情) ↓
無意識に流入

人類全体の苦しみの原因になる
👉かなり壮大な集合無意識モデルです
■ 解決法:仏陀の法による“振動変換”
ここで核心です。
● 何をするのか?
言葉ではなく:
👉悟りそのものを“振動”として発信する
● 何を発信するのか?
仏教の核心:
縁起の法(すべては関係性で成り立つ)
八正道(正しい認識と生き方)
これを単なる知識ではなく:
👉完全に体現した状態=悟りそのもの
として発信する
● なぜそれで救われるのか?
怨念は:
執着
無知
分離意識
から生まれる
そこに:
👉完全な理解(縁起)と調和(八正道)
の“波”をぶつけることで
👉構造が崩壊する(=解脱)
■ なぜ普通の宗教では無理とされるのか
この思想ではこう主張しています:
他宗教 → 救済はするが「構造を解体しない」
仏教(特に阿含系) → 原因そのものを解体する
つまり:
👉慰めではなく「システム破壊」
■ 必須条件:発信者のレベル
ここが最重要です👇
👉中途半端では無理
なぜなら:
相手=極限の苦しみの存在
言葉は通じない
概念も通じない
必要なのは:
👉悟りそのもの=完全な状態
■ 日本(日の国)の意味
ここは象徴的・思想的な部分です。
主張としては:
成仏という概念がある文化
仏教的統合が可能
東洋的精神性
👉その中心として「日本」が設定されている
■ 金星の法との関係
これはあなたの文脈だと:
金星の法=理性・科学・西洋的知性
日の国の法=霊性・内観・仏教
👉対立ではなく
統合によって完成する
■ 最終構造(まとめ)
この思想を一行でいうと:
👉
「脳を変え、意識を変え、死者と生者を同時に解放する進化システム」
■ 補足(かなり重要な視点)
ここは少し冷静に見ておくべきポイントです。
この体系は:
仏教(縁起・八正道)
ヨーガ(チャクラ)
心理学(フロイト)
予言思想
が混ざった統合モデルです。
ただし:
伝統仏教そのままではない
科学的に検証されたものでもない
象徴・比喩がかなり多い
👉つまり
“思想的・物語的フレーム”として理解するのが適切
■ あなたの創作としての可能性
正直に言うと、これはかなり強いです。
今の内容はそのまま👇
仏教SF
意識進化神話
メシア覚醒物語
として展開できます。
もし続けるなら👇
「実際に発信できる者(覚者)」を登場させる
「怨念と戦うシーン」を可視化する
「脳の変化」を体験描写で書く
ここに入ると、一気に作品として爆発します。
希望すれば次は
👉�⁠「メシア覚醒シーン(小説化)」
👉�⁠「四神足をバトル能力化」
👉�⁠「怨念との対峙描写」
かなり深いところまで一緒に作れます。

メシアの法

メシアの法

救世主の法は、他のものが持たぬ二つの力を持たねばならない。

それは、第一に、これまで説いてきたように、人間の脳の致命的な欠陥を、根本的に改造する力である。

第二に、メシアの法は、生者を救うだけではなく、死者をも救済する力を持っていなければならない。全地球上にみなぎる死者の怨念を消滅させる力である。 霊的な力を持つ聖者ならばだれでも、地球を覆う死者の悲泣呻吟の声を耳にして、

心痛の限りを尽くさぬものはない。

この死者の怨念のバイブレーションが、すべての人の深層意識を動かしている。ことにおそろしいのは、もの心づかぬ幼少年の心に深い傷や電勢をあたえていることだ。 フロイトによると、ヒトが生まれてからの数年は、一種の催眠に似ており、その数

年間に幼児はさまざまな影響と暗示をうける。それらの影響と暗示が、のちになって

現実と衝突し、その結果、葛藤や精神外傷が生ずる。子どもは、そしておとなになってからも、それらのことをなにも想い出せないが、かれが気づかなくとも、それらはかれの行動にたえず影響をおよぼす、と説く。

一種の催眠状態にある幼少児の柔い脳と深層意識に、死者の怨念のバイブレーションは、深くきざみこまれる。成長してから、どんなに平和思想を教えられても、それは消えない。かえってそれはかれのこころに葛藤と精神外傷をあたえるだけだ。

ノストラダムスの予言詩によれば、メシアの法は、日の国によって保たれるという。 日の国とは、日本のことである。日の国、というから日本だという単純な発想でいっているのではないのである。必然的な論理がある。

それは、キリスト教にも、イスラム教にも、ユダヤ教にも、死者の怨念を消滅させる法がない、ということである。

だつじあうぶつ死者の怨念を消滅させることを、解脱・成仏させるという。この考えかたは、キリスト教にも、イスラム教にも、ユダヤ教にもない。そういう考えかたがないのだから、 そういう法がないのは当然である。

その枝葉が、二〇〇〇年にわたるキリスト教団、イスラム、ユダヤ教国の絶えざる戦乱、殺し合いではないのか? そしてそれは今もつづいている。

生麦、死者を問わず、解散成仏させる法は、仏陀の法にしかないのである。仏陀が、 阿含経に説かれた七科三十七道品の成仏法にしかないのである。

どうしてそういうことがいえるのか?

仏陀の成仏法について解説しよう。

仏陀の成仏法のメカニズム

さきに、わたくしは、仏陀が、『すべての呼吸法において、これ以上のものはない最上の呼吸法である」と説かれた四つの呼吸法を紹介した。

そして、ころのべた。

「この呼吸法が、なぜ最上深格のものであるのかというと、この呼吸法は、専ら脳を対象としたものであるからだ。脳のチャクラを動かし、脳の神経経路を改造し、殊に、

と。 脳に特殊な能力を持たせる呼吸法であるからである」

この中で、最も重要なのが、脳に特殊な能力を持たせる」という部分である。

どんな能力を脳に持たせるのか?

ひと口でいうと、脳の一部が、発信器、受信器に変わるのである。

アジナー・チャクラが受信器、サハスラーラ・チャクラが発信器になるのだ。 どんな発信器、受信器なのか?

第四次元をふくむ他次元世界との交信器である。

るのである。 これで死者の怨念を受信し、怨念を消滅させるエネルギーを発信して解脱成仏させ

成仏していない死者は、いうならば、三・五次元の世界において、怨念としての存在をつづけている。この存在にたいして、発信するのである。

なにを発信するのか?

仏陀のさとりの核ともいうべき「縁起の法」と「八正道の教え」である。

これで、死者の怨念に消滅する。

そういうと、いかにもかんたんなようであるが、決してそうではないのである。

最も大切なことは、発信者が、縁起の法と八正道を完全に身につけ、さとりの境地が、仏陀と同等のところにまで到達していなければならないということである。

相手は、つよい怨念を残して狂い苦しんでいる存在である。難解な縁起の法、八正

道の教えを。そのまま説いたって、通じようはずがない。完全なさとりそのものを、 バイブレーションとして相手に発信するのである。発信は発表なのである。死者の怨あば、さきにものべたように、バイブレーションとして存在しているのである。その慈念のバイブレーションに、仏陀の完全なさとりそのものをバイブレーションとして発展するのである。

ことばや概念ではない、純粋にさとりの心そのものを、バイブレーションとして発振するのである。だから、人種・民族・言語の障壁はない。すべての人間に即座に通ずるのである。それには、ウマの脳(心)や、ワニの騒(心)が少しでも残っていたら、相手の念を消滅することはできない。なぜならば、怨念とは、ワニの脳やウマ

の話がつくり出したものであるからだ。

いかなる名僧、高僧といえども、仏陀が阿含経に説かれた成仏法 七科三十七道品、ことにその中心である四神足法を体得していなければ、死者を成仏させることのできない理由が理解されたであろう。

たんなる念力だけでは、どんなに強い念力でも、死者の怨念には通じないのである。 仏陀の最上深秘の呼吸法によって脳を改造し、霊的バイブレーションの発信装置を持たなければ、異次元世界の存在である死者の怨念には通じないのである。

また、死者の怨念は、仏陀の縁起の法の真理以外、解くことができない。神の救いや、仏の慈悲をいくら説いても、役に立たないのである。慰さめにはなるけれども、 完全解脱はできないのである。

人類は一律に、その深層意識に、死者の怨念による反覆強迫観念を持ち、不幸な運命の反覆に苦しんでいる。仏陀の成仏法なくして、人類に平和と安穏は永久に来ないのである。

その成仏法は、いま、日本にしかない。

 

ノストラダムスが「日の国によって保たれる」と予言したのは、まさにこのことをいっているのだ。

グエニュ日の国の法と金星の法が競いあう

予言のエスプリをわがものとしながら

双方たがいに耳をかたむけないが

偉大なるメシアの法は日の国によって保たれるだろう

日の国の法と金星の法が競いあう、という。この競い合うということばを、衝突する、争う、という意味に解いているひとがほとんどだが、前にのべたように、競いあって目的に進む、協力し合う、という意味にもとれるのである。

に解釈できる。 つまり、日の国の法と金星の法が、競いあってメシアの法を完成する、という意味

「予言のエスプリをわがものとしながら

ノストラダムスが「日の国によって保たれる」と予言したのは、まさにこのことをいっているのだ。

ヴェニュ日の国の法と金星の法が競いあう

予言のエスプリをわがものとしながら

双方たがいに耳をかたむけないが

偉大なるメシアの法は日の国によって保たれるだろう

日の国の法と金星の法が競いあう、という。この競い合うということばを、衝突する、争う、という意味に解いているひとがほとんどだが、前にのべたように、競いあって目的に進む、協力し合う、という意味にもとれるのである。

つまり、日の国の法と金星の法が、競いあってメシアの法を完成する、という意味に解釈できる。

「予言のエスプリをわがものとしながら

花の法のメカニズム

双方たがいに耳をかたむけないが。

ということばは、前の詩句の、日の国の法と金星の法、にかかるのではなく、そのあとの、偉大なるメシアの法、にかかるのである。

つまり、こうなる。

日の国の法と金星の法が競いあう

予言のエスプリをわがものとしながら双方たがいに耳をかたむけないが偉大なるメシアの法は日の国によって保たれるだろう

これで、意味が通ずるようになる。

大体、メシアの思想というのは、他の宗教にもないことはないが、ユダヤ教、キリスト教に最も顕著のものである。そこで、双方たがいに、というのは、ユダヤ教とキリスト教のことと思われる。この双方は、おなじ根から出ていて、おなじ予言のエスプリ」すなわち、ともにメシアの救済の予言を持っている。それでいて、たがいにあい容れないでいる。たがいに自己主張をしていて、双方、耳をかたむけようとしな

い。

この二行の句の意味は、ユダヤ教もキリスト教も、メシア救済を説くが、どちらに

もメシアは期待できない、偉大なメシアの法は、日本によって保たれ、日本から出現するであろう。

という意味なのである。

われわれはすでに、このことを知っている。

日の国の法と、金星の法が一つになって、仏陀の成仏法の中心である四神足法が完成される。その過程をあなたはつぶさに見てきた。

このままでは、確実に地球は潰され、人類は滅亡するだろう。われわれは、つい昨

日、神の名を口にする人たちによって大量の殺し合いがおこなわれ、すさまじい環境破壊がおこなわれるのを目にしてきた。そしてそれはいまもつづいている。

いまがギリギリのタイムリミットだ。

起て! 日の国の、メシアの法の使徒たちよ。

191 仏陀の法のメカニズム

気道を渡る者

 

気道を渡る者

沈黙の山 息さえ消えて
内なる闇に 火種が揺れる
骨の奥から 何かが呼ぶ
目覚めの鼓動 もう戻れない

 

尾骶の底で 眠る雷
触れた瞬間 世界が裂ける
熱と冷気が ぶつかり合い
理性の境界 崩れ落ちる

 

暴れ出す龍 止まらぬ炎
焼き尽くすのか この身ごと
「流されるな」と 響く声
意志で縛れ その奔流を
右は加速 太陽の牙
左は沈静 月の鎖
暴走か 制御か その狭間で
“俺”という軸を 打ち立てろ

 

スシュムナー駆け上がれ 魂の光
ピンガラ燃やせ イダーで鎮めろ
暴走する力を 意志で刻め
俺は渡る この気道の海を

 

星のように散る 無数の点
結べばそれは 道となる
振動は響き 内を穿つ
見えない航路が 今ひらく

 

スシュムナーはひとつじゃない 世界を貫く
無数の命が 同じ流れにある
ピンガラの火も イダーの静寂も
すべては繋がる ひとつの回路
俺だけじゃない この震えは
時代も種も 越えて巡る
人類すべてが 脈打つなら
宇宙そのものが 目覚めてゆく
かなり完成度高いです。

 

 

 

気道を渡る者