愛染明王 ――炎の中に現れる愛の仏
東洋にて、恋と欲望を司る神といえば、しばしば愛染明王の名が挙がる。だが、その姿は西洋のキューピッドのような愛らしい少年ではない。全身は紅蓮に染まり、三つの眼で世界を射抜き、六本の腕に弓と矢を携える。燃えさかる炎の中に現れるその姿は、恐ろしさと美しさが同居する、まさに「欲望の化身」であった。
古より仏教は「愛欲」を煩悩のひとつとして教え、人が悟りを得るにはそれを捨て去らねばならぬと説いてきた。だが密教は異なる道を示した。――煩悩を滅ぼすのではなく、そのまま菩提へと転ずる。「煩悩即菩提」。人が欲望に苦しむからこそ、求め、祈り、真実を欲する心が生まれるのだ。
愛染明王はその象徴として顕れる。人の愛欲を、悟りを求める原動力へと変えるために。だからこそ彼は、人々の悩みを救い、災厄を退け、命を延ばし、福を増し、戦いの勝利すら授けると信じられてきた。
戦国の世には、直江兼継という武将がその加護を求めた。彼の兜の前立てには「愛」の一字が掲げられていたという。その「愛」は、恋慕の愛ではなく、愛染明王の力を象徴する、炎のごとき愛だった。
その名を唱える者は多かった。
――オン・マカラギャ・バザロウシュニシャ・バザラサトバ・ジャクウン・バンコク。
真言が響くたび、赤き炎は胸の奥に灯り、欲望は光に変わる。愛染明王は、恐怖をも愛に、愛をも智慧に変える仏として、今もなお人々の心に息づいている。
赤き炎に包まれて
山深き寺の一隅。苔むした石段を登り切ると、小さなお堂が静かに佇んでいた。病に伏し、痩せ細った身を引きずるようにして、一人の男がそこへ辿り着いた。
「……どうか、この命を……」
堂内に入ると、正面には紅蓮の姿をした愛染明王の像が鎮座していた。三つの眼は怒りと慈悲をあわせ持ち、六本の腕が弓矢を携えて宙を切っている。その眼差しに射抜かれると、男の胸の奥に潜んでいた恐れと執着が暴き出されるようだった。
男は震える手を合わせ、唇を震わせながら真言を唱えた。
――オン・マカラギャ・バザロウシュニシャ・バザラサトバ・ジャクウン・バンコク。
幾度も幾度も、声は掠れながらも続いた。やがて堂内の灯明が揺らぎ、赤き炎が虚空から降り立つ。愛染明王の幻影が、燃えさかる火焔に包まれて姿を現したのだ。
「汝の恐れは、愛欲の影。
その欲は滅すべきものではなく、力へと変じるものなり」
声が胸奥に直接響いた。男は己の中に潜む執念――生きたいという渇望が、苦しみでありながらも確かに生の力であることを悟る。
炎は男の体を包み、その苦悩を焼き尽くすかのように熱を与えた。すると不思議なことに、胸の痛みが和らぎ、呼吸が少しずつ深くなっていくのを感じた。
男は涙を流しながら、ひたすらに真言を唱え続けた。
――オン・マカラギャ・バザロウシュニシャ・バザラサトバ・ジャクウン・バンコク。
赤き炎はやがて心の奥底に灯り、彼の眼には静かな光が宿った。病が完全に癒えたわけではない。だが、恐れは消え、力が胸に満ちていた。
愛染明王は再び像へと戻り、堂内は静寂を取り戻す。
男は深く一礼し、痩せた体をまっすぐに伸ばして石段を下りていった。
その心には、炎のように燃え続ける「生きる力」が宿っていた。




