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護摩

護摩

 

 

7/26(土)、27(日)は、北陸本部を発信道場として7月例祭が行われ、本部・各道場へ中継されます。

■ライブビューイング会場
・土曜…「砂川南地区コミュニティセンター」「稚内みどりスポーツパーク」「富良野瑞穂コミュニティセンター」
・日曜…「北見サテライト」「遠軽サテライト」「網走オホーツク文化交流センター」

■ライブ配信URL
★土曜例祭 7/26(土) 13:20
https://agon-live.com/sa7kr

★日曜例祭 7/27(日) 13:20
https://agon-live.com/su1tn
※再配信:両日とも当日18時から72時間

日曜正午からは、北海道本部において、伊藤英隆少僧都を導師として、「凖胝尊護摩堂 神仏両界 解脱宝生祈願護摩法要」が行われます。

各道場・サテライト・ご自宅等で、ライブ配信でご参拝いただけます。
千日行でお世話をしている方がいれば、ぜひ視聴をお勧めください

■「凖胝尊護摩堂 神仏両界 解脱宝生祈願護摩法要」ライブ配信
★7/26(日) 11:53分頃中継開始(予定)
https://bit.ly/j250727

それでは、皆様のご参拝お待ちしております。合掌
———————————————–
阿含宗 北海道本部
住所:札幌市厚別区厚別中央3−3
TEL:(011)892-9891
——————————————–

 

例祭

https://agon-live.com/sa7kr/

仏舎利宝珠尊 和讃(現代語意訳) 仏舎利の光(ほとけしゃりのひかり) The Light of the Sacred Relic

 

 

仏舎利宝珠尊 和讃(現代語意訳)

仏舎利の光(ほとけしゃりのひかり)
The Light of the Sacred Relic

 

 

 

仏の深い願いは
末法の時代に生きる私たちを救うため
法身が変化し、仏舎利となられた
その霊跡は、世に数多く存在する

その中でも「法身駛都如意宝珠尊」こそ
無限の慈悲をもって私たちを導き、救われる存在
あらゆる悪業を断ち切って
この仏舎利を安置する地には
人々の心は安らかに、
疫病や苦しみ、災いは近づかない

もし真心をこめて礼拝し、供養すれば
仏舎利は、そこにとどまり続けてくださる
ここに祀られた聖なる祠は
仏舎利尊の宝塔であり、
深い慈悲と神秘のはたらきに満ちている

その功徳は計り知れず、
どんな困難も、恐れずに過ごせる
たとえ牛や馬であっても、恩恵を受ける
ゆえに、修行者はこの宝塔を忘れずに供養し
疫病や苦難から守られることを信じよ

この宝塔は、法身如来の現れであり、
まばゆく光り輝き、
あまねく十方世界を照らし出す
その光の中で、微妙な法が説かれ、
迷いの衆生の心に染みわたってゆく

たとえ過去世に
衣もなく貧しさに苦しんでいたとしても
真心をもって宝を祈れば、
三つの宝珠に変化し、
豊かな福徳が授けられる

礼拝を続けるならば、
たとえ瓦や木のかけらであっても、
七宝の輝きへと変じ、
紫磨黄金の光を放つ

光の中に響く声──
それは法身如来の声であり、
すべての願いが成就する
その「声なき声」こそ、最も尊い

罪や悪業に苦しむ人にも、
如来は宝の雨を降らせてくださる
高貴な衣、美しい宝、
その人は日々、富貴な人生を歩むだろう

たとえ重い病や業病に苦しむ者も、
真心をこめて供養すれば、
その日から病は癒えはじめる

供養の徳は数えきれず、
世の人が羨むような富でさえも、
悪い因縁があれば不幸の種となる

家系の因縁を断ち切り、
父母や祖父母、そして子や孫へと
連なる因縁を浄めることで、
病は癒え、天寿をまっとうできる

まずは深く信心を持ち、
何より「解脱」を願うべき
巨万の富も、地位や名声も
すべて苦しみのもと

先祖の業障を除くことが肝心
忘れられた因縁によって
身にふりかかる苦しみもある
その因縁を悔い、清めよ

まずは「事の供養」──
花を手向け、灯をともし、
供養の種をまくことが大切
種をまかずに、実りはない

福徳を得たいと願うなら、
惜しまずに種をまけ
身を惜しまず、日々の供養を尽くせば
仏道はひらかれる

次に「行の供養」──
自分や家族を助けたいと願うなら、
まず他者を救うことが大切
これが因果の大法であり、
釈迦如来の教えそのもの

自己中心では因縁はほどけぬ
人を助ける徳を積み、
仏舎利を供養する者は、
自然と悟りの門に入る

慢心や怒りに惑わされず
苦しむ人々を救う者となれ
それこそが仏舎利供養の真意である

最後に「理の供養」──
三十七道品の教えを広め
真理の灯を世に伝えること
それが理の供養であり、
仏舎利供養の根本

生きた如来の説かれた法は、
すべての世界を救う願いに通じている
その供養の功徳によって
行者は昼夜、諸仏に守られる

如来の加持をうけ、
諸天善神が守りを与え
仏舎利尊の宝塔を拝む者は
その身に福徳が宿る

大いなる慈悲の変化身──
仏舎利尊に帰依し、
尊き道を歩む者は、
因縁を断ち、解脱へと導かれる

仏舎利尊、まことにありがたき存在
仏舎利尊、まことに尊きかな

帰命頂礼 仏舎利尊
この和讃は、
後の世の人々の信仰と解脱のしるべとして
謹んでここに綴るものなり

 

仏舎利宝珠尊 和讃(現代語意訳)

仏舎利宝珠尊 和讃(現代語意訳)

仏の深い願いは
末法の時代に生きる私たちを救うため
法身が変化し、仏舎利となられた
その霊跡は、世に数多く存在する

その中でも「法身駛都如意宝珠尊」こそ
無限の慈悲をもって私たちを導き、救われる存在
あらゆる悪業を断ち切って
この仏舎利を安置する地には
人々の心は安らかに、
疫病や苦しみ、災いは近づかない

もし真心をこめて礼拝し、供養すれば
仏舎利は、そこにとどまり続けてくださる
ここに祀られた聖なる祠は
仏舎利尊の宝塔であり、
深い慈悲と神秘のはたらきに満ちている

その功徳は計り知れず、
どんな困難も、恐れずに過ごせる
たとえ牛や馬であっても、恩恵を受ける
ゆえに、修行者はこの宝塔を忘れずに供養し
疫病や苦難から守られることを信じよ

この宝塔は、法身如来の現れであり、
まばゆく光り輝き、
あまねく十方世界を照らし出す
その光の中で、微妙な法が説かれ、
迷いの衆生の心に染みわたってゆく

たとえ過去世に
衣もなく貧しさに苦しんでいたとしても
真心をもって宝を祈れば、
三つの宝珠に変化し、
豊かな福徳が授けられる

礼拝を続けるならば、
たとえ瓦や木のかけらであっても、
七宝の輝きへと変じ、
紫磨黄金の光を放つ

光の中に響く声──
それは法身如来の声であり、
すべての願いが成就する
その「声なき声」こそ、最も尊い

罪や悪業に苦しむ人にも、
如来は宝の雨を降らせてくださる
高貴な衣、美しい宝、
その人は日々、富貴な人生を歩むだろう

たとえ重い病や業病に苦しむ者も、
真心をこめて供養すれば、
その日から病は癒えはじめる

供養の徳は数えきれず、
世の人が羨むような富でさえも、
悪い因縁があれば不幸の種となる

家系の因縁を断ち切り、
父母や祖父母、そして子や孫へと
連なる因縁を浄めることで、
病は癒え、天寿をまっとうできる

まずは深く信心を持ち、
何より「解脱」を願うべき
巨万の富も、地位や名声も
すべて苦しみのもと

先祖の業障を除くことが肝心
忘れられた因縁によって
身にふりかかる苦しみもある
その因縁を悔い、清めよ

まずは「事の供養」──
花を手向け、灯をともし、
供養の種をまくことが大切
種をまかずに、実りはない

福徳を得たいと願うなら、
惜しまずに種をまけ
身を惜しまず、日々の供養を尽くせば
仏道はひらかれる

次に「行の供養」──
自分や家族を助けたいと願うなら、
まず他者を救うことが大切
これが因果の大法であり、
釈迦如来の教えそのもの

自己中心では因縁はほどけぬ
人を助ける徳を積み、
仏舎利を供養する者は、
自然と悟りの門に入る

慢心や怒りに惑わされず
苦しむ人々を救う者となれ
それこそが仏舎利供養の真意である

最後に「理の供養」──
三十七道品の教えを広め
真理の灯を世に伝えること
それが理の供養であり、
仏舎利供養の根本

生きた如来の説かれた法は、
すべての世界を救う願いに通じている
その供養の功徳によって
行者は昼夜、諸仏に守られる

如来の加持をうけ、
諸天善神が守りを与え
仏舎利尊の宝塔を拝む者は
その身に福徳が宿る

大いなる慈悲の変化身──
仏舎利尊に帰依し、
尊き道を歩む者は、
因縁を断ち、解脱へと導かれる

仏舎利尊、まことにありがたき存在
仏舎利尊、まことに尊きかな

帰命頂礼 仏舎利尊
この和讃は、
後の世の人々の信仰と解脱のしるべとして
謹んでここに綴るものなり

虚空蔵菩薩

無限の智慧と慈悲の心を人々に与える菩薩

虚空の蔵 ― 光の記憶

星のない夜だった。
月すら隠れた静寂の中、少年ユウマは山中の古寺へと足を踏み入れた。彼の手には、くたびれた古本が一冊。それは「虚空蔵求聞持法」と書かれた、亡き祖父の遺品だった。

本に導かれるように、本堂へと足を運ぶ。蝋燭の灯が揺らぐその奥に、ひときわ光り輝く像があった。

──剣を掲げ、宝珠を抱く菩薩。

「オン・バサラ・アラタンノウ・オン・タラク・ソワカ……」
声に出して唱えると、空気が変わった。

虚空蔵菩薩。
宇宙のように無限なる智慧と慈悲を宿すその名は、まるで宇宙そのものの記憶を収める蔵だった。

ユウマは語りかける。「僕に智慧をください。記憶をください。亡き祖父の願いを継ぐために――」

すると、像が静かに光を放ち始めた。
その光は、まるで彼の心の奥底まで照らすかのようだった。

かつて、弘法大師・空海もまたこの法に身を投じ、百万遍の真言を唱えたという。虚空蔵の蔵を開き、仏の智慧を体得した者。彼もまた、同じよう

そして今、ユウマの内にもまた、一つの「蔵」が開かれた。
思い出せなかった知識、忘れかけていた記憶、そして祖父の声が甦ってくる。

──すべては、虚空の中にあった。

東西南北、そして中央。五方に分かたれた智慧の光が、彼の心を満たしていく。それは五大虚空蔵菩薩の加護。金剛界五仏の力が、彼の魂と響き合っていた。

やがて夜が明け、山に陽が差した。

ユウマはゆっくりと立ち上がる。記憶力も、理解力も、技芸も、何ひとつ手に入ってはいない。だが、不思議と頭は冴え、心は澄みきっていた。

「願いは叶えられる。それは、智慧と慈悲の蔵に手を伸ばすことから始まるんだね……」

そして、彼はまた唱える。

オン・バサラ・アラタンノウ・オン・タラク・ソワカ
──願いは、虚空に響く真言とともに。

 

第二章 第一の光 ― 東方・金剛虚空蔵との出会い

夜明け前の空はまだ青黒く、山の稜線をかすめる風がユウマの頬を冷たく撫でていた。
古寺の本堂で真言を唱えた翌朝、彼は自然に足を東の尾根へと向けていた。心の奥で何かが呼んでいる。

「オン・バサラ・アラタンノウ・オン・タラク・ソワカ…」

その言葉は、すでに彼の呼吸のように馴染んでいた。
山道を登り詰めたその先、一本の杉の木の下に、不思議な石碑があった。表面には古代梵字が刻まれている。その中心に、小さな仏像が嵌め込まれていた。

右手に剣、左手に宝珠。
その像は、昨夜の本堂で出会った虚空蔵菩薩に似ていたが、どこか異なる威厳と鋭さを湛えていた。

風が止む。大気が震える。

「我は、金剛虚空蔵――東方の門を守る者」
――声が、像の中から響いた。

ユウマは思わず後ずさったが、身体は動かない。
光の粒子が像から立ち上がり、まるで意識に直接注ぎ込まれるようだった。

「汝、学びを求むか。智慧を得たき者よ、まず剣を持て」

するとユウマの手の中に、一振りの光の剣が現れた。
それは鉄ではなく、記憶と信念の結晶で出来ているようだった。

「学びとは、時に自らを裂く剣である」
「思い出すということは、忘れることと引き換えだ」

「え……?」

「一つの智慧を得るごとに、一つの記憶を蔵に還す。汝は、何を手放す?」

ユウマの胸に、古い記憶が浮かび上がる。
幼いころ、祖父と一緒に見た夕焼け。肩車をしてもらった時の温もり。声。笑顔。

それを、手放せと――?

だが、虚空から語りかける声は優しかった。

「すべては蔵に還る。真に必要なものは、いつでも呼び戻せる。
だが、恐れがある限り、智慧は定着せぬ」

ユウマは目を閉じ、深く息を吸った。
「……わかりました。祖父の声を、一時、預けます」

すると剣がまばゆい光を放ち、ユウマの額にひとすじの閃光が走った。
金剛の智慧――物事を貫く視座が、彼の中に灯った。

目を開けたとき、石碑の像はすでに静かに沈黙していた。
だが、その背後の空には、うっすらと五色の光が広がっていた。
それは、東の空を告げる「第一の光」であった。

ユウマは立ち上がり、胸に手を当てる。
失った記憶は確かにそこにある。だが、同時に得たものも、確かに心に刻まれていた。

「ありがとう、金剛虚空蔵さま……。次は、どこへ向かえばいいのか……」

答えは風に乗って、南の谷間から届いた。
次なる光、「宝光虚空蔵」が待つ地へ――

第三章 第二の光 ― 南方・宝光虚空蔵の試練

山を下りたユウマは、南へと導かれるように足を運んでいた。
金剛虚空蔵の試練を越えた今、心の内に微かな灯が点り続けている。
それは、彼が確かに「智慧の蔵」と繋がった証だった。

数日後、彼はある古い集落にたどり着いた。
そこには一軒の廃屋があり、中からは時折、美しい笛の音が聞こえてきた。
だが近づいてみると、中には誰もいなかった。ただ、色褪せた絵画と、一面に散らばる画材だけが残されていた。

その中心に、蓮華座に坐すもうひとつの虚空蔵像があった。

それは、金剛虚空蔵とは異なる雰囲気を持っていた。
微笑を湛え、柔らかい光を放つその像は、まるで心の奥に眠る“何か”を撫でるようだった。

「……君は、宝光虚空蔵だね」

その瞬間、絵の具の香りが部屋いっぱいに満ち、光が像からあふれ出した。
光は風となってユウマを包み、彼の意識はふわりと宙に浮かぶ。

気がつくと、彼は知らぬ空間に立っていた。
そこは、無数の色彩が舞う異界。形あるものも、言葉もなく、ただ感覚だけが存在する世界だった。

「ここは、“未だ描かれざる記憶”の世界」
宝光虚空蔵の声が、彼の意識に響く。

「芸とは、記憶の別の表現だ。
見たこともない風景、会ったことのない人……だが心はそれを“知って”いる。
それを形にする力が、芸術であり、智慧のもう一つの姿」

ユウマの目の前に、一枚の真っ白なキャンバスが現れる。
「ここに、汝の“知られざる記憶”を描いてみよ」

ユウマは戸惑いながらも、手にした筆を取った。
何も描けないと思った。だが、筆先は自然と動き始めた。

──藍色の空。
──砂に埋もれた塔。
──見知らぬ少女が、笛を吹いている。

気がつけば、ユウマは涙を流していた。

「これは……僕が昔、夢で見た風景……。でも、どうして……?」

「それは前世かもしれぬ。あるいは魂が記録した“宇宙の記憶”。
だが、それを形にできる力こそが、芸術の智慧――“宝光”の力」

その瞬間、描かれた絵から金色の光が立ち上がり、彼の胸へと流れ込んできた。

「汝は今、“色の言葉”を思い出した。
次に目指すべきは、西方――“音の言葉”を司る者のもとへ向かうがよい」

ユウマは再び現実へ戻ると、絵が不思議に乾いていた。
あの少女も、空も、塔も、まるで現実の一場面のように。

そしてふと、風の中に笛の音が戻ってきた。
今度は、遠く西の山々から。

第四章 第三の光 ― 西方・蓮華虚空蔵の問い

風が変わったのは、ちょうど夕暮れの峠道だった。
南の集落を後にしたユウマは、西へと歩を進めていた。空には金色の雲がたなびき、遠くから、まるで誰かの声が風に乗って届いてくるようだった。

「言葉のない言葉だ……」

呟いた瞬間、山のふもとにぽつんと佇む一軒の庵が目に入った。
近づくと、中から老女の読経する声が聞こえてきた。

「オン・バサラ・アラタンノウ・オン・タラク・ソワカ……」
声は優しく、まるで彼の魂を撫でるようだった。

庵の中に入ると、香が焚かれ、中央に一体の像が安置されていた。
蓮華の上に坐し、口元に柔らかな微笑を浮かべた菩薩。
その右手には蓮の花、左手には巻物を持ち、静かに佇んでいる。

「これが……蓮華虚空蔵……?」

老女は言葉なくうなずき、彼に一冊の古びた書を手渡した。
それは“書かれていない本”だった。ページは白く、何も記されていない。

「読むのではなく、聞きなさい」と、老女が初めて口を開いた。

「その本は“沈黙の記録”――言葉になる前の想い、記されなかった祈りの残響。
真の智慧とは、語ることではなく“聞く力”なのです」

ユウマはその本を抱き、蓮華虚空蔵の像の前に坐った。
しばらくの間、ただ沈黙が流れた。

ふいに、彼の心の奥から、祖父の声が聞こえた。

──「言葉にならなかったけれど、ずっとお前に伝えたかったんだ」
──「ありがとう、ユウマ。お前なら、道を見つけられる」

それは、死の間際に交わすことのできなかった最後の言葉。
涙が頬を伝った。

その瞬間、像の巻物が光り、空中に文字が浮かび上がった。

「聞くことは、最も深い祈りである」

蓮華虚空蔵の声が、再び心に響いた。

「言葉とは、形ではない。
真言の力は、“音”の奥にある想念そのもの。
汝が得た“沈黙の智慧”は、音なきものを聞き取る耳。
次に向かうは、北――“業の蔵”を開くとき」

ユウマはそっと本を閉じ、老女に一礼した。
老女は静かにうなずくと、再び真言を唱えはじめた。

外に出ると、空にはもう星が瞬いていた。
だが西の空に沈んだ夕陽の残光が、まるで彼の胸の奥に残る“ことばにならぬ声”を照らしているようだった。

「ありがとう、蓮華虚空蔵さま……。
沈黙の中にも、確かに光がある」

ユウマは北を見やった。
そこには、記憶の奥底にある“因と果”の蔵が、彼を待っていた。

第五章 第四の光 ― 北方・業用虚空蔵と業の蔵

夜が明ける前の森は、静かすぎるほどに沈黙していた。
ユウマは北へ向かう山道を、ゆっくりと歩いていた。足元には霜が降り、白い吐息が凍るほどの冷たさ。
だが彼の心には、不思議な温かさがあった。西方の蓮華虚空蔵が教えてくれた、“沈黙の智慧”が、今も彼の胸の奥で灯っている。

その日、森の奥で不意に霧が立ち込めた。すべての輪郭が滲み、時間すら失われたような空間。
そして霧の向こうに、一つの黒ずんだ岩窟が現れた。

その中に、いた。
鋭いまなざしを持ち、五色の光輪に包まれた像。
右手に法輪、左手に如意宝珠を掲げ、堂々と坐している菩薩。

「これが……業用虚空蔵……?」

像の目がゆっくりとユウマを見た気がした。

「来たな、記憶を織る者よ」
声は、岩窟の壁から、そして自分自身の内から聞こえてきた。

「汝はこれまで、知の蔵、芸の蔵、言の蔵に触れた。
だが今、開くべきは“業の蔵”――
魂の履歴書とも呼ばれる、時を越えて記された行為の記録」

ユウマの前に、一本の道が現れた。それは記憶の道。
だがそれは、過去の自分の行いすべてをありのまま映す、“逃げ場なき鏡”のようなものだった。

道の先に、幼き自分の姿が見えた。
誰かを責め、誰かを傷つけ、そして後悔から目をそらしてきた記憶。
祖父の最期に手を握れなかった自分。
助けを求めていた同級生の声を、見ぬふりをした自分。

「それも、私なのか……?」

「そうだ。それを否定せず、認めることから“智慧”は始まる。
すべての行為は因となり、果を生む。
だが、“見ること”を選べるのは、目覚めた者だけだ」

ユウマの目から、ぽろりと涙がこぼれた。

「じゃあ、僕はもう……この先に進んでいいのかな」

その瞬間、像の法輪が光り、道が音もなく閉じた。
しかし、ユウマの胸には、確かな熱が残っていた。
それは“受け入れたこと”の証だった。

「汝に、カルマを紐解く智慧を授けよう。
その智慧は、誰かを裁くものではなく、照らす光だ。
次に向かうは、中央――五つの蔵の中心、“持光虚空蔵”のもとへ」

霧が晴れ、森に光が差し込んだ。

ユウマは深く一礼し、背筋を伸ばして立ち上がった。

「……もう、過去に縛られない。僕は前に進みます。
業(カルマ)を越えて、光の中心へ」

その背中を、凛とした風が押した。
中央に坐す第五の虚空蔵――“本願の蔵”へ。
ついに、旅は最後の門へと向かう。

第六章 第五の光 ― 中央・持光虚空蔵と本願の目覚め

四方の旅を終え、ユウマは最後の地、中央へと向かっていた。
道はもう見えない。ただ空と大地の狭間を、心が導くままに歩いている。

東の金剛虚空蔵が授けた「切り開く智慧」
南の宝光虚空蔵が映した「創造の記憶」
西の蓮華虚空蔵が語った「沈黙の真理」
北の業用虚空蔵が照らした「因果の光」

それらすべてが、今、ユウマの中に共鳴していた。

そしてついに――
彼は、巨大な曼荼羅のような聖域にたどり着いた。
大地に蓮華が咲き、空には金と白の光がゆらめいている。
その中央に、一体の菩薩が坐していた。

全身が光そのものであり、顔も腕も――形の定まらぬ、真なる蔵の主。

「……あなたが、持光虚空蔵」

声を出す前に、想いが伝わっていた。

菩薩は、にこりと微笑んだ。

「ユウマ。よく来ました。
四つの蔵を開いた今、あなたの内には、宇宙の智慧が宿っています。
だがそれらはまだ、“個”の光。
本当の智慧とは、“すべてを照らす光”――本願の記憶に目覚めること」

すると、ユウマの胸にふと、問いが浮かんだ。

「……僕は、なぜこの旅をしてきたのですか?」

その問いに、持光虚空蔵はそっと答えた。

「あなたがかつて“願った”からです。
過去世のあなたは、あらゆる存在の苦しみを見つめ、
“誰かの記憶となりたい”と願ったのです。
忘れられた祈りを思い出させる者となるために」

その瞬間、ユウマの胸に大きな光が差し込んだ。

遠い記憶がよみがえる――
戦火の中で幼子に経を唱えた自分。
病に倒れた者の手を取り、真言を口ずさんだ自分。
記憶の海を泳ぎ、人々の「想い」を守ろうとした幾つもの命。

それは“ユウマ”という名の、遥か以前の魂の履歴だった。

「……僕は、“記憶の守り人”になろうとしていたんだ」

「そう。そしてその願いは今、ようやく果たされた。
あなたはすでに、智慧の蔵と一体となった。
これからは、あなた自身が“蔵”となり、他者の中の光を開く者となるのです」

持光虚空蔵が掲げた如意宝珠から、まばゆい光があふれた。

ユウマの身体もまた、ゆっくりと光に包まれていく。

「オン・バサラ・アラタンノウ・オン・タラク・ソワカ……」

その真言とともに、彼は静かに目を閉じた。

夜明け。
森の中の小さな祠に、青年が一人、そっと手を合わせていた。
その目は穏やかに光り、背にはかすかな蓮の気配をまとっていた。

彼の名はユウマ。
かつて、虚空蔵の智慧を求めた旅人。

今では、自らが“誰かの蔵”となり、
祈りを聞き、願いを記憶する者であった。

そしてまた、新たな旅が――どこかで始まろうとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『釈迦如来 ― 真理を歩んだ王子』

遥か古の時代──
ヒマラヤを望む大地に、ひとつの小さな国があった。名をカピラヴァストゥ。そこに釈迦族の王子として生まれた少年は、やがて**「ゴータマ・シッダールタ」**と呼ばれる存在となり、後に世界中で「釈迦如来」として知られることになる。

少年の目に映る王宮の暮らしは、きらびやかであった。だがその心は、ふとした瞬間に現れる“問い”に深く揺れていた。

──なぜ人は老いるのか?
──なぜ病に倒れ、死を迎えるのか?

ある日、王子は城の外に出て、**「四つの門」**をくぐり、老い、病、死、そして修行者の姿に出会う。そこに人生の根本的な苦しみと、それに向き合う人々の姿を見た。

29歳の春の夜、彼はすべてを捨てて王宮を去る。家族の愛も、地位も、未来さえも背に置いて──。

山深くに分け入り、苦行の日々を送った。肉を削り、息を詰め、身体を極限に追い込んだ。だがその先に「悟り」はなかった。
ある日、川辺で倒れた彼に、ひとりの少女が乳粥を差し出す。その一杯の温もりが、彼に「中道(ちゅうどう)」の智慧を思い起こさせた。

そして彼は一本の菩提樹の下に坐る。
「私はこの座を離れない。たとえ肉が裂け、骨が砕けようとも──真理を得るまでは」

やがて夜が明けるころ、彼はすべての迷いを越えて、**「覚り(さとり)」に至る。35歳であった。
その瞬間、彼は「仏陀(ブッダ)=目覚めた者」**となった。

🌾 伝道と導きの旅

目覚めた者となった釈迦は、ただ静かに坐っていたわけではなかった。
彼は立ち上がり、旅に出た。苦しみの渦中にある人々を見捨てることはできなかった。

最初に訪れた地はサールナート。かつて共に修行した5人の仲間に向けて、初めての説法を行う。
それは**「初転法輪(しょてんぽうりん)」**と呼ばれ、仏教の核となる教え──「四諦(したい)」と「八正道(はっしょうどう)」──が語られた。

その教えはやがて、多くの人々に広がっていく。
身分も、性別も、階級も越えて、彼は誰にも等しく道を説いた。
比丘(出家僧)も比丘尼(尼僧)も生まれ、ひとつの「教団=サンガ」が生まれた。

彼は説いた。
「この世は縁によって成り立つ。すべてはつながりの中にある」

彼は導いた。
「苦しみを終わらせる道がある。その道は、誰にでも歩める道だ」

そして彼は、言葉と沈黙をもって真理を伝える実践者として、人々の心の中に生き続けていった。

🌸 涅槃(ねはん)への旅路

80年の生涯の終わり、釈迦は静かに横たわる。
クシナガラという町で、サーラ樹の下に頭を北に向け、右脇を下にして寝るその姿──それを人々は**「涅槃像」**として後世に刻んだ。

その最期の言葉は、今もなお多くの者を照らす光である。

「自らを灯火とせよ。法(ダルマ)を灯火とせよ」

釈迦は、神ではなかった
人として生まれ、人として苦悩し、そして自らの内なる光によって「仏」となった存在。

だからこそ、私たちもまた、その教えの道を歩むことができる。
釈迦如来──それは、「人が仏となることが可能である」という、永遠の証明なのだ。

無量の光、無量の命 ― 阿弥陀如来の誓い

《無量の光、無量の命 ― 阿弥陀如来の誓い》

遥かな時の彼方、幾千もの仏国土が広がる彼方の世界。その一角に、名もなき一人の修行者がいた。彼の名は――法蔵(ほうぞう)。

法蔵は見た。無数の命が、苦しみと迷いの海に漂い、終わりなき輪廻の中に沈んでいくさまを。老い、病み、争い、愛し、また離れる――その繰り返しを。

「わたしは、すべての者を救う世界を築きたい」

そう誓った法蔵は、あるとき立ち上がり、果てなき宇宙を旅した。数え切れぬ仏たちのもとを訪れ、彼らの教えを学び、ついに一つの大願を心に描いた。

それは四十八の誓い。

中でも、ひときわ光を放つひとつの誓いがあった――第十八願。

「もし、我が浄土に生まれたいと願い、南無阿弥陀仏なむあみだぶつと、たとえ十声でも名を称える者があれば、必ずその者を極楽浄土に迎えよう。もしそれが叶わぬなら、我は決して仏とはならぬ」

この言葉とともに、法蔵は長劫の修行を経て、ついに**阿弥陀如来(あみだにょらい)**と成った。

その名は梵語でアミターバ(Amitābha)――「無量光仏」。限りない智慧の光を放つ仏。

また別の名はアミターユス(Amitāyus)――「無量寿仏」。永遠なる命の仏。

彼の住む世界は、西方十万億の仏国土を超えた彼方にあるとされる――極楽浄土。

この浄土には、苦しみはなく、争いはなく、命は朽ちることがない。花は常に咲き、鳥たちは仏法を語り、光は昼夜を問わず世界を照らす。

そしていまも、阿弥陀如来はその光と命をもって、衆生を見守っている。

 

ある密教の行者が、護摩の炎の前に坐し、静かに印を結ぶ。その唇からは、古より伝わる真言が静かに唱えられる。

オン・アミリタ・テイ・ゼイ・カラ・ウン。

それは、阿弥陀の智慧と慈悲の名を呼ぶ、命の祈り。

彼の声は、霊的な風となって宇宙を巡り、やがて西方の光へと届く。

 

「この名を呼ぶ者、心を向ける者は、たとえいかなる業を背負おうとも、我が浄土に迎え入れよう」

そう、阿弥陀は誓った。

光は尽きることなく、命は終わることがない。

人々が迷いの闇に立ち尽くすその時、無量の光は、そっと彼らの背を照らしている。

 

 

 

《灯火の名を呼ぶ者 ― 阿弥陀の名にすがりて》

風が冷たい谷を渡る夕暮れ、人里離れた山のふもとに、ひとりの老いた旅人が倒れていた。名を**信成(しんじょう)**という。かつては町の役人であったが、失政により人を傷つけ、名を捨ててさすらいの身となった。

「私は、取り返しのつかぬことをした……もう、生きる資格などない」

痛む足を引きずり、信成は岩陰に身を横たえる。胸に重くのしかかるのは、過ちの記憶、裁けぬ罪、そして孤独。

――そのときだった。

耳に、どこからか届く声があった。

 

「ただ、名を呼びなさい」

 

それは風の中の幻聴か、それとも遠い昔に聞いた誰かの言葉だったか。老いた心に、その言葉が、灯火のようにともる。

彼は、かすれた声で唱えた。

 

「なむあみだぶつ……」

 

もう一度。震える声で。

「なむあみだぶつ……なむ……あみ……だぶつ……」

 

すると不思議なことに、涙が溢れた。まるで、凍っていた川が、春の陽射しに溶けるように。苦しみが、ほんの少し和らいだ気がした。

 

その夜、夢の中に光が現れた。

光の中に坐す一人の仏。その顔は怒りでもなく、憐れみでもない、ただ、深い慈悲と静寂に満ちていた。

仏は微笑み、こう語った。

 

「そなたが名を呼ぶたび、我はそなたのそばにいた」

 

目覚めた信成は、頬をぬらす涙を拭わず、ただ、深く合掌した。

あの夜を境に、彼はどこか穏やかな目を持つ老人として、村人たちに慕われるようになった。朝には念仏を唱え、誰彼なく手を差し伸べ、静かに生を全うしていったという。

 

――その葬の日。

遠くの空に、蓮の花が咲いたという噂が村に広がった。

それはまるで、極楽浄土へと導かれる者の魂が、蓮に乗って旅立ったかのように。

 

「名を呼ぶ者は、必ず救う」

阿弥陀如来の誓いは、今もこうして、ひとりひとりの心の中で果たされている。

《西方十万億土の彼方 ― 極楽浄土の光》

その瞬間は、まるで夢から醒めるようだった。

重く閉ざされた瞼が開き、信成は静かに目をひらいた。見渡すかぎり、柔らかな光が辺りを包んでいた。そこには苦しみも、寒さも、飢えもない。ただ、あたたかな風と、やさしい音が、どこからともなく響いていた。

 

「……ここは……?」

 

信成が目にしたのは、まばゆいばかりの蓮の大地。金色の砂が敷かれたその土地には、無数の蓮華が咲き誇り、空には七宝の楼閣が浮かんでいた。池には清らかな八功徳水が湧き、水面には光が踊るようにきらめいている。

その池の名は七宝池(しっぽうち)。

香り高い水は、触れる者の心を洗い清め、どこまでも澄んでいた。

空には鳥たちが舞い、その羽音が仏法の言葉となって降り注いでいる。カラヴィンカ、共命鳥、孔雀……どの声も、心に深くしみわたるような、やさしい調べだった。

 

そのとき――

空のかなたから、光が射した。

金色の輝きの中から、一人の仏が歩み出てくる。胸に慈悲をたたえ、眼差しはすべてを包み込むように深い。

その姿を見たとき、信成は跪いた。

涙が、自然と頬を伝う。

 

「……阿弥陀如来……」

 

仏は、微笑んだ。

声はなかったが、心に直接響いてくる。

「そなたは、名を呼んだ。ゆえに、ここへ来た」

 

信成は、何も言えなかった。ただ、静かに手を合わせ、頭を垂れた。

あの日の念仏は、無駄ではなかったのだ。名もなき旅人の声すら、阿弥陀如来は聞いておられた。

 

ふと顔を上げると、彼の隣に、かつての家族の面影があった。母が、弟が、そして若き日の妻が、同じく蓮の上に立ち、微笑んでいる。

 

「……おかえりなさい」

 

その一言に、信成はもう何も問わなかった。

極楽とは、かつて求めていたすべてが、慈悲という光の中に還る場所だった。

 

阿弥陀如来の背後には、観音菩薩と勢至菩薩が立ち、そのすべての光景を、やさしく見守っていた。

 

ここは、無量光と無量寿の国。
迷いも苦しみも越えた、安らぎの世界。

そして、あらゆる衆生が、ただ念仏一つをもって迎えられる――真実の浄土である。

 

《灯火の名を呼ぶ者 ― 阿弥陀の名にすがりて》

風が冷たい谷を渡る夕暮れ、人里離れた山のふもとに、ひとりの老いた旅人が倒れていた。名を**信成(しんじょう)**という。かつては町の役人であったが、失政により人を傷つけ、名を捨ててさすらいの身となった。

「私は、取り返しのつかぬことをした……もう、生きる資格などない」

痛む足を引きずり、信成は岩陰に身を横たえる。胸に重くのしかかるのは、過ちの記憶、裁けぬ罪、そして孤独。

――そのときだった。

耳に、どこからか届く声があった。

 

「ただ、名を呼びなさい」

 

それは風の中の幻聴か、それとも遠い昔に聞いた誰かの言葉だったか。老いた心に、その言葉が、灯火のようにともる。

彼は、かすれた声で唱えた。

 

「なむあみだぶつ……」

 

もう一度。震える声で。

「なむあみだぶつ……なむ……あみ……だぶつ……」

 

すると不思議なことに、涙が溢れた。まるで、凍っていた川が、春の陽射しに溶けるように。苦しみが、ほんの少し和らいだ気がした。

 

その夜、夢の中に光が現れた。

光の中に坐す一人の仏。その顔は怒りでもなく、憐れみでもない、ただ、深い慈悲と静寂に満ちていた。

仏は微笑み、こう語った。

 

「そなたが名を呼ぶたび、我はそなたのそばにいた」

 

目覚めた信成は、頬をぬらす涙を拭わず、ただ、深く合掌した。

あの夜を境に、彼はどこか穏やかな目を持つ老人として、村人たちに慕われるようになった。朝には念仏を唱え、誰彼なく手を差し伸べ、静かに生を全うしていったという。

 

――その葬の日。

遠くの空に、蓮の花が咲いたという噂が村に広がった。

それはまるで、極楽浄土へと導かれる者の魂が、蓮に乗って旅立ったかのように。

 

「名を呼ぶ者は、必ず救う」

阿弥陀如来の誓いは、今もこうして、ひとりひとりの心の中で果たされている。

《西方十万億土の彼方 ― 極楽浄土の光》

その瞬間は、まるで夢から醒めるようだった。

重く閉ざされた瞼が開き、信成は静かに目をひらいた。見渡すかぎり、柔らかな光が辺りを包んでいた。そこには苦しみも、寒さも、飢えもない。ただ、あたたかな風と、やさしい音が、どこからともなく響いていた。

 

「……ここは……?」

 

信成が目にしたのは、まばゆいばかりの蓮の大地。金色の砂が敷かれたその土地には、無数の蓮華が咲き誇り、空には七宝の楼閣が浮かんでいた。池には清らかな八功徳水が湧き、水面には光が踊るようにきらめいている。

その池の名は七宝池(しっぽうち)。

香り高い水は、触れる者の心を洗い清め、どこまでも澄んでいた。

空には鳥たちが舞い、その羽音が仏法の言葉となって降り注いでいる。カラヴィンカ、共命鳥、孔雀……どの声も、心に深くしみわたるような、やさしい調べだった。

 

そのとき――

空のかなたから、光が射した。

金色の輝きの中から、一人の仏が歩み出てくる。胸に慈悲をたたえ、眼差しはすべてを包み込むように深い。

その姿を見たとき、信成は跪いた。

涙が、自然と頬を伝う。

 

「……阿弥陀如来……」

 

仏は、微笑んだ。

声はなかったが、心に直接響いてくる。

「そなたは、名を呼んだ。ゆえに、ここへ来た」

 

信成は、何も言えなかった。ただ、静かに手を合わせ、頭を垂れた。

あの日の念仏は、無駄ではなかったのだ。名もなき旅人の声すら、阿弥陀如来は聞いておられた。

 

ふと顔を上げると、彼の隣に、かつての家族の面影があった。母が、弟が、そして若き日の妻が、同じく蓮の上に立ち、微笑んでいる。

 

「……おかえりなさい」

 

その一言に、信成はもう何も問わなかった。

極楽とは、かつて求めていたすべてが、慈悲という光の中に還る場所だった。

 

阿弥陀如来の背後には、観音菩薩と勢至菩薩が立ち、そのすべての光景を、やさしく見守っていた。

 

ここは、無量光と無量寿の国。
迷いも苦しみも越えた、安らぎの世界。

そして、あらゆる衆生が、ただ念仏一つをもって迎えられる――真実の浄土である。

 

 

 

 

 

 

 

 

光と寿命を無限に持つ仏

極楽の時は、苦しみを知らない静謐(せいひつ)な調べに満ちていた。

だがその中にあっても、ひとつの問いが信成の心に芽生えつつあった。

 

――自分は、救われた。だが、あの世にはまだ、多くの者が迷っている。

 

かつて自らの罪に苦しみ、救いを知らずに命を絶った者たち。戦乱の中で子を失った母。孤独の闇に沈む老人――

あの人々は、今もなお、闇の中で声なき声をあげているのではないか。

 

そのとき、彼の前に現れたのは観音菩薩だった。

白き蓮の上に立つその姿は、慈悲そのものであった。

 

「阿弥陀の浄土に至った者よ。そなたに問う」

 

「安らぎにとどまり、この光の中で無量の寿命を楽しむか。
あるいは、再び彼岸を渡り、迷いの世界に還って、苦しむ者たちに手を差し伸べるか」

 

信成は、しばし黙した。

だがその背後から、静かに声が聞こえた。

「父上……私も、共に参ります」

 

それは、若くして病で亡くなった娘の声だった。彼女もまた、極楽に導かれた者のひとりであった。

 

やがて、かつて娑婆で罪を重ねた男、老いた尼僧、名もなき若者たち――
多くの者が、次々と蓮華の上に立ち、口をそろえて言った。

 

「私たちは、還ります。今度は、誰かのために」

 

その光景を見て、阿弥陀如来はゆるやかにうなずいた。

 

「そなたらは、すでに仏の道を歩み始めておる」

 

そして、光に包まれた如来の掌から、ひとつひとつの**光珠(こうじゅ)**が彼らの胸に落とされた。

 

それは――慈悲と智慧の火。

闇の中でも消えることなく、すべての命を照らす灯火。

 

観音菩薩が、優しく微笑む。

 

「そなたらは、いまより菩薩なり」

 

「迷いの者と共に歩き、共に苦しみ、共に涙し、そして共に救われるであろう」

 

蓮の花が、ひとつ、またひとつ閉じるように、彼らの姿は光に溶けていった。

新たなる誓いを胸に、彼らは――再び、この世に降りる。

 

誰も知らぬ町の片隅に、
静かに微笑むひとりの僧侶が立つ。

あるいは、ホームレスに温かい食事を届ける少女。

あるいは、自分を責める者に、たったひとこと「だいじょうぶ」と言える青年。

 

彼らこそ、極楽より還ってきた者たち。

人知れずこの世を照らす、菩薩の化身である。

 

名を呼び、救われた者が、次は誰かの名を呼ぶ者になる。

それが、阿弥陀如来の願いを果たす道なのだ。

 

西方十万億土の彼方 ― 極楽浄土の光

《西方十万億土の彼方 ― 極楽浄土の光》

その瞬間は、まるで夢から醒めるようだった。

重く閉ざされた瞼が開き、信成は静かに目をひらいた。見渡すかぎり、柔らかな光が辺りを包んでいた。そこには苦しみも、寒さも、飢えもない。ただ、あたたかな風と、やさしい音が、どこからともなく響いていた。

 

「……ここは……?」

 

信成が目にしたのは、まばゆいばかりの蓮の大地。金色の砂が敷かれたその土地には、無数の蓮華が咲き誇り、空には七宝の楼閣が浮かんでいた。池には清らかな八功徳水が湧き、水面には光が踊るようにきらめいている。

その池の名は七宝池(しっぽうち)。

香り高い水は、触れる者の心を洗い清め、どこまでも澄んでいた。

空には鳥たちが舞い、その羽音が仏法の言葉となって降り注いでいる。カラヴィンカ、共命鳥、孔雀……どの声も、心に深くしみわたるような、やさしい調べだった。

 

そのとき――

空のかなたから、光が射した。

金色の輝きの中から、一人の仏が歩み出てくる。胸に慈悲をたたえ、眼差しはすべてを包み込むように深い。

その姿を見たとき、信成は跪いた。

涙が、自然と頬を伝う。

 

「……阿弥陀如来……」

 

仏は、微笑んだ。

声はなかったが、心に直接響いてくる。

「そなたは、名を呼んだ。ゆえに、ここへ来た」

 

信成は、何も言えなかった。ただ、静かに手を合わせ、頭を垂れた。

あの日の念仏は、無駄ではなかったのだ。名もなき旅人の声すら、阿弥陀如来は聞いておられた。

 

ふと顔を上げると、彼の隣に、かつての家族の面影があった。母が、弟が、そして若き日の妻が、同じく蓮の上に立ち、微笑んでいる。

 

「……おかえりなさい」

 

その一言に、信成はもう何も問わなかった。

極楽とは、かつて求めていたすべてが、慈悲という光の中に還る場所だった。

 

阿弥陀如来の背後には、観音菩薩と勢至菩薩が立ち、そのすべての光景を、やさしく見守っていた。

 

ここは、無量光と無量寿の国。
迷いも苦しみも越えた、安らぎの世界。

そして、あらゆる衆生が、ただ念仏一つをもって迎えられる――真実の浄土である。

灯火の名を呼ぶ者 ― 阿弥陀の名にすがりて

《灯火の名を呼ぶ者 ― 阿弥陀の名にすがりて》

風が冷たい谷を渡る夕暮れ、人里離れた山のふもとに、ひとりの老いた旅人が倒れていた。名を**信成(しんじょう)**という。かつては町の役人であったが、失政により人を傷つけ、名を捨ててさすらいの身となった。

「私は、取り返しのつかぬことをした……もう、生きる資格などない」

痛む足を引きずり、信成は岩陰に身を横たえる。胸に重くのしかかるのは、過ちの記憶、裁けぬ罪、そして孤独。

――そのときだった。

耳に、どこからか届く声があった。

 

「ただ、名を呼びなさい」

 

それは風の中の幻聴か、それとも遠い昔に聞いた誰かの言葉だったか。老いた心に、その言葉が、灯火のようにともる。

彼は、かすれた声で唱えた。

 

「なむあみだぶつ……」

 

もう一度。震える声で。

「なむあみだぶつ……なむ……あみ……だぶつ……」

 

すると不思議なことに、涙が溢れた。まるで、凍っていた川が、春の陽射しに溶けるように。苦しみが、ほんの少し和らいだ気がした。

 

その夜、夢の中に光が現れた。

光の中に坐す一人の仏。その顔は怒りでもなく、憐れみでもない、ただ、深い慈悲と静寂に満ちていた。

仏は微笑み、こう語った。

 

「そなたが名を呼ぶたび、我はそなたのそばにいた」

 

目覚めた信成は、頬をぬらす涙を拭わず、ただ、深く合掌した。

あの夜を境に、彼はどこか穏やかな目を持つ老人として、村人たちに慕われるようになった。朝には念仏を唱え、誰彼なく手を差し伸べ、静かに生を全うしていったという。

 

――その葬の日。

遠くの空に、蓮の花が咲いたという噂が村に広がった。

それはまるで、極楽浄土へと導かれる者の魂が、蓮に乗って旅立ったかのように。

 

「名を呼ぶ者は、必ず救う」

阿弥陀如来の誓いは、今もこうして、ひとりひとりの心の中で果たされている。