真正仏舎利について|仏舎利(ぶっしゃり)の来歴
仏舎利(ぶっしゃり)の来歴

仏陀・釈尊は、いまから約二千数百年前の古代インドにおいて誕生され、修行の末に仏陀となられ、その一生を成仏法(仏陀になる法)の布教に捧げられたのち、八十歳にしてクシナーラーにおいて臨終をむかえ、涅槃(ニルヴァーナ)に入られました。
そのお体をクシナーラーのマッラ族が黄金の棺に入れ、香木をもって薪とし、荼毘に付ふして、そのご遺骨の一部分をそれぞれ他の七つの部族に分配したのです。
彼ら八部族は、そのご遺骨をもってそれぞれ自国内に仏舎利塔をつくりました。
そして、約百年の後(二百年説も)、インドを統一した最初の大帝王アショーカ王(阿育王)が、戦争のために多くの命を断った滅罪生善のために、仏舎利塔建立を思い立ち、先述の八つの部族の一つマガダ国のアジャータサットウ王(阿闍世王)がラージャガハ(王舎城)に建立した仏舎利塔を発掘して、少分をとどめてその塔を修理し、その余を持ち帰って、各地に宝塔を建てて供養した、と『阿育王伝』『大阿育王経』等にあります。
真正仏舎利、第1の渡来
真正仏舎利、第1の渡来
由緒正しい真正仏舎利が海を越えて日本に渡ってきたことは、これまでに2度ありました。
第1回目は、1900年(明治33年)6月に、シャム(現タイ王国)の国王より日本に贈られた仏舎利です。
この仏舎利は、1898年(明治31年)、英国人ペッペが釈尊誕生の地であるルンビニーの遺跡から発掘したものであり、発掘に際しては仏舎利の他にもいくつかの歴史的に貴重な遺物が発見され、当時の学会から、たしかに貴重な釈尊の遺宝であると認められました。
ペッペは、発掘されたこれらの遺宝(仏舎利と宝物)を英国政府に寄贈。英国政府は、仏舎利を、当時、仏教を信仰する王としては世界でただ一人の方であったシャムの国王に贈りました。

ペッペが発掘した石棺。この中から仏舎利を
納めた舎利容器が発見された。
その後、日本の公使からのシャム国王への懇望の結果、この聖なる釈尊の遺骨の一部が、国家から国家に贈るという形で贈与されることになったのです。
この知らせを受けて、日本のすべての仏教宗派がこれを歓迎して仏舎利をお迎えすることになり、1900年(明治33年)5月23日に代表団18名が日本を発って、6月12日にシャム国の首都バンコクに到着し、国王から直々に仏舎利を授与され、7月19日に京都に到着しました。
百一発の花火の轟に迎えられて京都に到着した仏舎利は、仮かりの奉安殿に奉安するために、新しく作られた輿こしの上に安置され、日本の仏教諸宗派が行列を作って約3キロの順路を練り歩きました。行列には僧侶が1万人以上連つらなり、その信徒とあわせて3万人以上の人が参加したため、行列の長さは3キロにもなったと伝えられています。
行列が練り歩いた道路に面した家々では、仏旗を軒先に掲て仕事を休み、また、家の宝として大切に保管していた屏風を道路に面して公開したりと、大歓迎しました。
仏舎利の通過を見ようと集まった人々は数十万人に達したという、前代未聞、空前絶後の大イベントでした。
このように、当時の日本人は仏教にたいする信仰が篤く、真正仏舎利の到来を心から喜び迎えました。なぜなら、当時の日本人にとって、仏舎利はたんなる釈尊の遺骨ではなく、化身であり、生きた如来であったからです。

仏舎利渡来の模様を1ページ全面にわたるなど。繰り返し報じた「日出新聞」。(現京都新聞)
上は明治33年7月20日付の記事。下はイラストでバンコクでの奉迎の模様を伝えた6月14日付の記事。
当時の熱狂的な様子がうかがえる。
しかし、その後、幾多の戦争その他の大きな歴史的変動の中で人々の信仰心も薄れ、「仏舎利」とは、宗旨宗派の別なくすべての仏教徒にとって「お釈迦さま」そのものであり、いかに貴重なものであるかという伝統的・基本的知識が、忘れ去られてしまったのです。そのためか現行の日本史の書籍には、これほどの歴史的出来事が記述されていません。(このときの真正仏舎利は、現在、愛知県名古屋市の覚王山日泰寺に納められています。この寺はどの宗派にも属しておらず、各宗派の管長が、3年交代で住職を務めています)
国内に伝えられている「仏舎利塔」の真実
日本で最も尊い仏教聖地を挙げるならば、あなたはどこを選ぶだろう。聖徳太子が開基の法隆寺? 鎮護国家仏教の象徴である東大寺? 弘法大師空海が開いた高野山金剛峯寺? あるいは伝教大師最澄が開いた比叡山延暦寺? それともこの世の極楽を思わせる京都の鹿苑寺金閣だろうか。
いずれもわが国を代表する仏教寺院には違いない。だが、仏教徒ならば一生に一度は参拝に訪れなければならない、聖地中の聖地がある。名古屋の日泰寺である。ここには日本で唯一、釈迦の真骨が納められている。
寺院史に詳しい人は、こう言うかもしれない。
「日本には仏舎利塔はいくつもあって、そこにはお釈迦様の遺骨が納めてあるはずでしょ」
確かに五重塔などの仏塔は、釈尊の遺骨を祀るために造られたストゥーパを発祥とする。例えば大阪市天王寺や奈良の法隆寺の五重塔には、仏舎利が納められていると伝わる。
また、民間で仏舎利塔を建造したケースもある。
静岡県御殿場市にある平和公園の仏舎利塔は直径45メートル、高さ47メートルの白亜の塔で、御殿場市のランドマークになっている。これはスーパーマーケットチェーン三徳の社長がインド・ネルー首相から贈られた釈尊の遺骨を、私財を投げ打って1964(昭和39)年に建てたものだ。また、東京都稲城市のよみうりランドには、スリランカのミヒンタレー寺院より贈られた仏舎利と、バングラデシュのチッタゴン寺院より贈られた遺髪をあわせて安置した仏舎利塔が同じく、1964年に完成している。
わが国だけで仏舎利を祀る施設は、200か所以上はあると言われている。だが、日本の仏舎利塔に納められている釈尊の遺骨、遺髪の類は、それを象徴する瑪瑙や翡翠などの宝石や経典などに置き換えられたものがほとんど。先述のよみうりランドの場合、バングラデシュから正式に贈られた遺髪という一見、信憑性がありそうな感じもするが、そもそも釈尊は出家後、剃髪をしており、また火葬されているので遺髪は残りようがないのである。
真正仏舎利を本尊とし、
釈尊直説の成仏法を修行する
ヒトはみな、環境(国や時代、家族等)や性別、容貌、体質、性格等において、それぞれ異なる条件を持って生まれます。
さらに、これらの条件の他に、生涯の流れの中で運命を決定するような条件もあるのです。
それはたとえば必ずガンを発症する、離婚をする、横変死する、といったものです。
このような生まれつき持った人生上の条件を「因縁」と呼びます。
仏陀の法は、これらの「因縁」を断ち切ってヒトを自由にし、同時に最高の運命を創造する究極の力(成仏力)を修行者にもたらします。その究極の状態が「完全なる因縁解脱を成就する=仏陀になる」ことです。
お釈迦さまはまずご自身が修行によって仏陀になられ、その後、八十歳で入滅されるまでの生涯を、人々に仏陀になる教えと方法(成仏法)を布教して歩かれたのです。
阿含宗は、ゴータマ・ブッダ=釈迦が直説された唯一の経典「阿含経(あごんぎょう)」を
依経(よりどころ)とする、仏教の一宗派です。仏教学上の分類では、根本仏教になります。
この「阿含」というのは、梵語āgama(アーガマ)の音写であり「来きたる」という意味を持ちます。
すなわち「伝承された教え」のことです。
日本で一般にお釈迦さまの教えが説かれているとして知られている経典は、
ほとんどすべてが大乗経典であり、これはお釈迦さまが亡くなられて数百年経ってから徐々に創作されたものです。
つまり、仏陀直説といえる経典は阿含経だけなのです。
仏教における信仰は、
仏法僧の「三宝」によって成り立つ
それまで、阿含経は小乗仏教とされて、大乗仏教の宗派から全くかえりみられることなく過ごしてきました。
桐山管長が、その歴史上の誤りを正され、阿含宗を立宗してお釈迦さまが説かれた真実の仏教を信仰の面から世に弘めることになった意義は、まことに大きいものです。
仏教における信仰は、「仏」「法」「僧」の三大要素によって成り立ちます。仏教教団は、この三つの要素が正しいものであると同時に、すべてそろっていなければなりません。
つまり、正しい教団か否かは、それによって決定するわけです。

阿含宗の本尊である真正仏舎利尊の祀られた祭壇
真正仏舎利、第2の渡来
第2回目は、1986年(昭和61年)4月7日、スリランカの首都コロンボ市(当時)の大統領官邸において、J・R・ジャヤワルダナ大統領閣下から桐山管長に直接授与されたものです。この真正仏舎利は、第1回目の渡来とは異なり、日本国にではなく一宗教団体としての阿含宗に贈られました。
 
この拝受は阿含宗から望んでお願いしたのではなく、スリランカ側からのお申し出により実現しました。いくら望んでも到底得ることのできるはずがない貴重極まる真正仏舎利が、なぜ阿含宗にもたらされることになったのでしょうか。
スリランカ側の当事者のご説明では、阿含宗は日本でただ一つ、釈尊直説の経典である「阿含経」を奉持する仏教団体であるから、ということでした。ただただ、仏縁–仏さまのご意志によるものとしかいいようのない不思議なご縁です。
この真正仏舎利は、1881年、英国の考古学者カニンガムによって、釈尊成道の聖地、ブッダガヤー(現ボードガヤー)の大塔(大菩提寺)の金剛宝座の下から発掘されたものであり、アショーカ王が埋蔵したものとみられています。
 
スリランカとブッダガヤーとの結びつきは非常に古く、ことに、アショーカ王の創建した精舎をさらに増広して大菩提寺を建立したのは、4世紀のセイロン(現スリランカ)王メーガヴァンナです。
こういう因縁によって、大菩提寺の管長には、スリランカの高僧が選ばれることが多かったのですが、1944年当時、大菩提寺の管長であった高僧がスリランカに帰住するにあたって、金剛宝座の下から発掘された仏舎利の一部(49個)をスリランカへ移管して奉安しました。この仏舎利のうち数個が、スリランカ大統領J・R・ジャヤワルダナ大統領閣下に献上され、これを大統領が、阿含宗に寄贈されたのです。
なお、スリランカからは再度、真正仏舎利が阿含宗に授与されています。
AI による概要
阿含宗における「仏舎利」は、
開祖である桐山靖雄氏がスリランカから正式に拝受した「真正仏舎利」と、修行用の「舎利石」の2種類があります。信者は「仏舎利宝珠尊解脱宝生行」と呼ばれる修行を行う中でこれらを拝みます。
阿含宗における仏舎利の種類
真正仏舎利: スリランカの名刹から譲り受けた、仏教の開祖である釈迦の真の遺骨のことです。
舎利石: 真正仏舎利の代わりに用いられる、メノウ(玉髄)でできた石です。これは「仏舎利」の代わりとして阿含宗内で祀られているものです。
仏舎利の役割
修行: 仏舎利は、阿含宗の信者が成仏を目指して行う修行の一環として拝まれます。
法要: 護摩法要など、阿含宗の儀式にも用いられます。
第2の渡来 | 真正仏舎利について | 先祖供養の総本山 阿含宗
それは、南伝大蔵経『大王統史』所載の由緒ある真正仏舎利で、1990年(平成2年)1月28日に、阿含宗関東別院にて「真正仏…

阿含宗

真正仏舎利、第2の渡来
第2回目は、1986年(昭和61年)4月7日、スリランカの首都コロンボ市(当時)の大統領官邸において、J・R・ジャヤワルダナ大統領閣下から桐山管長に直接授与されたものです。この真正仏舎利は、第1回目の渡来とは異なり、日本国にではなく一宗教団体としての阿含宗に贈られました。
 
この拝受は阿含宗から望んでお願いしたのではなく、スリランカ側からのお申し出により実現しました。いくら望んでも到底得ることのできるはずがない貴重極まる真正仏舎利が、なぜ阿含宗にもたらされることになったのでしょうか。
スリランカ側の当事者のご説明では、阿含宗は日本でただ一つ、釈尊直説の経典である「阿含経」を奉持する仏教団体であるから、ということでした。ただただ、仏縁–仏さまのご意志によるものとしかいいようのない不思議なご縁です。
この真正仏舎利は、1881年、英国の考古学者カニンガムによって、釈尊成道の聖地、ブッダガヤー(現ボードガヤー)の大塔(大菩提寺)の金剛宝座の下から発掘されたものであり、アショーカ王が埋蔵したものとみられています。
 
スリランカとブッダガヤーとの結びつきは非常に古く、ことに、アショーカ王の創建した精舎をさらに増広して大菩提寺を建立したのは、4世紀のセイロン(現スリランカ)王メーガヴァンナです。
こういう因縁によって、大菩提寺の管長には、スリランカの高僧が選ばれることが多かったのですが、1944年当時、大菩提寺の管長であった高僧がスリランカに帰住するにあたって、金剛宝座の下から発掘された仏舎利の一部(49個)をスリランカへ移管して奉安しました。この仏舎利のうち数個が、スリランカ大統領J・R・ジャヤワルダナ大統領閣下に献上され、これを大統領が、阿含宗に寄贈されたのです。
なお、スリランカからは再度、真正仏舎利が阿含宗に授与されています。

それは、南伝大蔵経『大王統史』所載の由緒ある真正仏舎利で、1990年(平成2年)1月28日に、阿含宗関東別院にて「真正仏舎利拝受式」が執り行われ、南部スリランカの名刹マハー・マンティンダ・ピリベナ寺から授与されました。
阿含宗は不思議なことに、これまでにもたびたび仏舎利とご縁がありました。
1974年(昭和49年)に某篤信者より、仏舎利五粒が(この方の二代前のご先祖が、明治初期より東海地方の大本山寺院に奉安されていたのですが、その寺院から引き上げて)阿含宗に寄贈されました。
以来、つぎつぎと毎年のように寄贈の方があらわれたのですが、中でも、1979年(昭和54年)、会津の豪族であった須田一族より贈られた仏舎利は、弘法大師空海が中国より請来されたものとの由来書があり、中に一粒、金色の舎利が含まれていました。
続いて、1983(昭和58年)三月、第14世ダライ・ラマ法王猊下より、数粒の仏舎利を拝受。これには、ダライ・ラマ政府よりの、真正仏舎利である旨の由来書がついております。これに次いで前述の、スリランカよりの拝受があったのです。
第1の渡来 | 真正仏舎利について | 先祖供養の総本山 阿含宗
この仏舎利は、1898年(明治31年)、英国人ペッペが釈尊誕生の地であるルンビニーの遺跡から発掘したものであり、発掘に際…

阿含宗


それは、南伝大蔵経『大王統史』所載の由緒ある真正仏舎利で、1990年(平成2年)1月28日に、阿含宗関東別院にて「真正仏舎利拝受式」が執り行われ、南部スリランカの名刹マハー・マンティンダ・ピリベナ寺から授与されました。
阿含宗は不思議なことに、これまでにもたびたび仏舎利とご縁がありました。
1974年(昭和49年)に某篤信者より、仏舎利五粒が(この方の二代前のご先祖が、明治初期より東海地方の大本山寺院に奉安されていたのですが、その寺院から引き上げて)阿含宗に寄贈されました。
以来、つぎつぎと毎年のように寄贈の方があらわれたのですが、中でも、1979年(昭和54年)、会津の豪族であった須田一族より贈られた仏舎利は、弘法大師空海が中国より請来されたものとの由来書があり、中に一粒、金色の舎利が含まれていました。
続いて、1983(昭和58年)三月、第14世ダライ・ラマ法王猊下より、数粒の仏舎利を拝受。これには、ダライ・ラマ政府よりの、真正仏舎利である旨の由来書がついております。これに次いで前述の、スリランカよりの拝受があったのです。
一、仏
その宗旨における信仰の絶対対象である仏を「本尊」と呼びます。阿含宗の本尊は、釈迦の聖霊(せいれい)が宿る聖物(せいもつ)として、昔から仏教徒の間で深く尊崇されている「真身舎利(しんじんしゃり)」です。
阿含宗では、これを「真正仏舎利尊(しんせいぶっしゃりそん)」と呼んでいます。
仏教徒にとって、ゴータマ・ブッダ=お釈迦さまのご聖骨である真正仏舎利は「生いける釈迦」そのものであり、仏教では唯一最高の本尊です。
想像や概念上の仏ではなく、木像や図像の仏でもなく、ブッダとして実在した釈迦の聖骨であり、仏教における最高の本尊です。
二、法
阿含宗には、三つの修行法があります。
「成仏法(じょうぶつほう)」
生者、死者を問わず、カルマ(業)を断ち切り、因縁解脱(成仏)してブッダ(真理に目覚めた人)になる方法です。
釈尊が阿含経の中で説かれている、「七科三十七道品」がその成仏法です。
「如意宝珠法(にょいほうじゅほう)」
真言密教において、最高最奥義とされる秘法です。この法を修するためには真身舎利が必要です。真身舎利を奉安して如意宝珠法を修すると、真身舎利変じて如意宝珠となるのです。如意宝珠法とは、願うがままに、福徳宝生・因縁解脱の功徳を与えてくださる秘法です。
「求聞持聡明法(ぐもんじそうめいほう)」
古くから真言密教に伝わる、人を天才にする法です。しかし、これまでに多くの高僧たちがこの法を修してきましたが、そのほとんどは目的を達成することができませんでした。
阿含宗の求聞持聡明法は、真言密教に伝わるものとはまったく異なる独自の法です。
管長猊下は「求聞持聡明法」の原点が、釈迦の成仏法「七科三十七道品」の中にあることを発見されました。
七科三十七道品の中の「四神足法(しじんそくほう)」こそ、人間の頭脳を改造し、凡夫をして仏陀のさとりに至らしめる法であることを発見、これを復元されました。
三、僧
僧とは、教団そのもの、または指導者を指します。
阿含宗は、桐山靖雄管長を指導者として仰ぎ、真正仏舎利尊を本尊とする、サンガ(僧伽)、すなわち教団です。
「すべてのカルマを断つ釈迦直説の成仏法」「解脱宝生の徳が授かる如意宝珠法」「新しい二十一世紀を創り出すホモ・エクセレンス※を輩出する求聞持聡明法」。阿含宗は、この三大秘法を有するサンガです。
※ホモ・エクセレンス= ホモ・サピエンスが持たない特別な能力をを身につけた「優秀なるヒト」
■おすすめ書籍なぜ新しい宗派を立てたのか?
阿含宗は、開祖・桐山靖雄大僧正によって、1978年(昭和53年)4月8日に立宗されました。
日本の仏教界に新しい宗旨が開創されたのは鎌倉時代(1192年〜1333年)以来です。
ではなぜ、阿含宗という新しい宗旨を立てなければならなかったのでしょうか?
阿含宗立宗までの約24年間、桐山管長は「観音慈恵会」という仏教教団を主宰していました。
この観音慈恵会は、大乗仏教の経典「観音経」を依経としておりました。
しかし、桐山管長は、お釈迦さまが説かれたはずの因縁解脱法(成仏法)を探求しつづけた結果、
ついに大乗経典にはそれが無いことを知り、それまで小乗の経典と卑しめられていた「阿含経」こそが、
お釈迦さまが直説された唯一の経典であり、この「阿含経」だけに成仏法が説き示されていることを知ったのです。
成仏法を抜きにした仏教は、たんなる哲学、倫理、道徳でしかありません。
哲学・倫理・道徳でカルマからの脱出・因縁解脱などぜったい出来るはずがないのです。
たんにお釈迦さまの直説経典というだけではありません。仏教の目的である成仏するということ、
つまり仏陀になるための方法が、阿含経にしか説かれていないのです。
この事実を知りながら仏弟子として黙殺することはできません。
そのために、艱難辛苦(かんなんしんく)を覚悟して阿含宗を立宗されたのです。
この成仏のための修行法が、仏教学上、「七科三十七道品」と呼ばれているもので、
桐山管長は、これを「ブッダになるための、七種のシステムと三十七種類のカリキュラム」と呼んでおられます。
AI による概要

阿含宗(あごんしゅう)は、桐山靖雄氏が開いた仏教系の新宗教で、釈迦が直接説いたとされる「阿含経」を依経としています。仏教学上の分類では根本仏教に位置づけられます。
概要:1954年に「観音慈恵会」として設立され、その後、幾度かの変遷を経て1981年に阿含宗を名乗りました。
本拠:東京都港区に本部を置いています。
依経:釈迦が直説した唯一の経典とされる「阿含経」を根本経典としています。
特徴:
「阿含」は梵語āgama(アーガマ)の音写で「伝承された教え」を意味します。
密教の教えを、釈迦の教えである阿含経の境地と結びつけて説いています。
密教の護摩行「念力の護摩」を成就し、その聖火を用いた「大柴燈護摩供(だいさいとうごまく)」を世界平和を祈るために行っています。
本山:京都市山科区に阿含宗本山があります。
年中行事:毎年2月11日には本山で「炎の祭典・阿含の星まつり」が開催されます。
その他:桐山靖雄氏は阿含宗の開祖であり、本名と法名については桐山靖雄氏の項目で確認できます。