UA-135459055-1

ヒトを改造する技術 求閒持聪明法秘伝 2  駄如求聞持明法 memorization ability and intelligent system 2

因縁解脱というのは、運命を成り立たせる因子である「因縁」から超越してし まうことである。或いは、「因縁」を消滅させてしまうことである。人間とい うものを成立させているところの「因縁」から超越し、「因縁」を消滅させて しまったとき、そのヒトは、人間を超えた存在である「ブッダ」になる。 ブッ ダにはもはや運命はない。これが仏教の教理である。

ブッダになるための修行法を「成仏法」という。「因縁解脱法」ともいう。 かれは、「成仏法」こそ、人間の運命を完全に、そして最高のものに変えて しまう方法であると考えた。そう考えたかれは、成仏法を求めて仏教の門に入 った。仏教の門に入ったかれが間もなく知ったことは、これまでの日本のどの 仏教にも、完全な「成仏法」がないということであった。

これはかれにとってじつに不思議でならないことであった。仏教というのに どうして成仏法がないのか? 因縁解脱法がなぜないのか? 成仏法のない仏 教は仏教ではないのではないか? かれは不審に思いつつ、成仏法を求めて一 心に大な経典群ととり組み、すべての宗派の勉強をした。かれが特定の宗派に入らず、特定の師を持たなかったのはこの為である。どの宗派にも確立した 成仏法がない上に、一つの宗派に入ると、束縛されてしまって、成仏法を求め る自由な修行が出来ないからである。かれは、仏教だけにとどまらず、中国の 道教、インドのヨーガにも目を向け、修練にはげんだ。道教では導引・気功、 ヨーガではクンダリニー・ヨーガを学んだ。

真言密教の修行に入ったとき、「求聞持聡明法」という法に出会った。これ は、ヒトを天才にするということで有名な法であった。

求聞持聡明法というのは、日本の仏教の中で真言宗という密教の一派を開い 弘法大師空海(七七四年一八三五年)が修行して、大天才になったという有名

空海は、若くして密教の修行をはじめるにあたり、こう考えたのである。 密教は非常に難解であるから、ふつうの頭脳で修行しても、到底理解する ことが出来ない。 幸い、密教には人を聡明にする求聞持聡明法という法がある。 まず、この法を学んで、自分の脳を改善しよう

そして空海はこの法を修行して天才になった。

このことは、空海自身、かれの伝記の中ではっきり書いており、そして空海 は、日本の歴史の中で最高レベルの知性を持つ天才である。

求聞持というのは、一度見聞したことはぜったいに忘れない”という意 味であり、聡明”というのは、“師なくして天地自然の真理をさとる知恵のこ という”とある。

要するに、求聞持は記憶力のことで、聡明は創造力のことであろうとかれは 考えた。あるいは、求聞持とはハードウエアのことであり、聡明はソフトウエ アということであろう。この二つの能力は、ものごとを学び、研究する上で最

高の武器である。日本の仏教に見あたらない成仏法をさがす上で、これは絶対 不可欠な能力といえよう。 それにまた、普通の頭脳の持ちぬしが天才になると いうのは、これまた立派な運命の変換というべきではなかろうか?

そう考えて、かれは求聞持聡明法の修行に入ったのである。

かれは、手に入るかぎりの文献を集め、さらに、若い頃、この法を修行した という老僧に伝授を受けた。(この老僧は、残念ながら、天才にはなっていな かったがしかし、この老僧は師から伝統にのっとって伝授を受け、その通 修行した人である)かれは、その老僧の指導を受け、法の命ずる通りの修行を二度くり返した。 二度とも法は成功しなかった。集中力と思考力がいくらかよくなった程度で、 到底、天才とはほど遠いものであった。

かれは、自分の修行のしかたが間違っていたのではないかと、何度も緻密に

くり返し検討した。

その結果得た結論は、これまで伝えられていた求聞持聡明法は間違っているとかれに言い、

というものであった。少なくとも、なんらかの欠陥がある、というのであった。 つまり、自分にミスがあるのではなく、法の方に欠陥があるのだというのであ る。人が聞いたら、なんという自信過剰!と呆れるかも知れない。いや、真 密教の僧侶が聞いたら、法に対する旗だと、かんかんになるであろう。し

かし、かれはぜったいに自分が正しいと確信した。かれが調査したところによ ると、むかしから無数の密教修行者たちが天才になろうとしてこの法に挑戦し、 ことごとく失敗しているというのであった。それも単なる失敗ではなく、その 大半は、精神病か結核になって、天折しているというのであった。

大正年代から昭和初期にかけて(一九一七年三五年頃)かなりの数の犠牲者 が出て、それ以来、この修行をする者はほとんど無くなったということであっ た。修行したとしても形式だけのものになったようである。

かれに法を伝えてくれた老僧は、法の伝授が終わったあとで、

「あまり真剣になって根をつめるとやられるようじゃから、注意せんといかん のう。ほどほどにせんとな」

「わしは幸い、肺病にも気ちがいにもならんじゃったが、その代わり、天才に

もなれなんだわ。ははは

と笑った。そして、

「大天才になられたのは空海さまだけじゃ。あのお方は、最初から天才じゃっ たのと違うかな」

と言ってまた笑った。

かれは苦笑いしながら、そうかも知れない、と思ったが、しかしおれは徹底 的にやって必ず成功してみせるぞ、と思ったのであった。

しかし、失敗して、さまざまな角度から検討してみて、 これは、伝えられて いる法が不備なのだと考えたのである。 どう考えてみても、こういう修行の方 法で、人間が天才になれるはずはないと考えたのである。 この不完全な法で天 才になろうと思って必死に修行をつづけたら、体力、気力を消耗し尽くして、 さいごには、結核かノイローゼになるのは当然だと考えたのである。

そう考えたが、しかし、かれは、求聞持聡明法の修行をやめてしまおうとは 思わなかった。

かれはこう考えた。

明星の秘密

もともと空海は天才であったのかも知れない。しかし、かれがこの求聞持

明法を修行して、相当な効果のあったこともまた間違いない事実であると思わ れる。なぜならば、かれ自身、奇蹟的な結果を得たと記しているからである。 自分がもともと天才であってこの法を修しても格別に効果がなかったのである なら、こんなことを仰々しく書くことはなかったであろう。 おそらく求聞持 明法は修したとしても、この法についてなに一つ、かれは書くことをしなかっ たであろう。 効果があったからこそ、あったと書いたのである。効果がなかっ たのに、あったとウソを書く必要はない。 ただ一つ考えられることは、真言密 教の法の力の偉大さをアピールするためにそうしたということであるが、かれ ほどの大天才がそんな姑息な手段をとるなど考えられず、またもしそういう必 要があるならば、もっと別な方法をとったであろう。だから、求聞持聡明法は、

必ず効果があるはずである。ただ、その方法は、いま伝えられているものでは 効果がないということだ。 自分は、一生かけてもその欠けている部分をさがし 出し、この偉大な法を完成しよう。なぜならば、それは自分自身にも必要であ るが、自分以外の多くの人にもまた、大きな利益をもたらすからだ」

そうして、かれは、そのために、それから何年も血の出るような努力を重ね

結論を言おう。かれはついにこの法の完成に成功したのである。

それについて、かれは、一九七二年に刊行した著書『密教・超能力の秘密』 でつぎのように述べている。

「求聞持聡明法」を完全なものにしたという確信を持ったかれは、著書の中で、

求聞持聡明法とは、ヒトの大脳を改善強化して、博覧強記、比類なき

記憶力と聡明さをあたえる秘法であるが、これを、何十ぺん、何百ぺん、昔 から伝えられる法の通りに修行したところで、その結果は徒労におわるであ ろう。 生命を賭して修行すれば、多少の効果はあろうが、宗祖の空海が得た ような霊験を得ることは、まず不可能であろう。

なぜならば、真言密教の「虚空蔵菩薩求聞持聡明法」には、印真観想によ 精神集中の「法」はあるけれども、現実的に生理器官である大脳皮質その ものを動かす「技術」は持っていないのである。

前の著書『変身の原理」で求聞持聡明法について語って以来、私は、十指 を越える真言宗の僧侶、阿闍梨耶 (ācárya=教授) がたから、手紙あるいは 直接、この法の修行について相談をうけた。そのほとんどは、自分も一度な いし数度にわたって求聞持法を修したが、いっさい効験がみられなかった、

修行のしかた、あるいは心構えに間違いがあったのであろうか、というもの であった。 また、何度か修行してみてあの行法にそんな神秘的な力がひそん でいようとは思われぬ、という疑惑の声もあった。中には、お気の毒にも健 康を害してしまって、再起不能になったと訴えてきた阿闍梨耶もおられた。 お気の毒であるが、当然なのである。

真言密教の阿闍梨耶がたが、いくら求聞持聡明法をくりかえしても、成就 できないのは当然なのである。もちろん、絶対に、とはいわない。万人に秀 でる天才、英才であったら、その奥に達することができるかも知れぬ。しか まず不可能といってよいであろう。

私が発見し、編成した「求聞持法」でなければ不可能と断言しても、決し てオーバーではないであろう。それについては後でまた改めてくわしく書く が、ここで、求聞持法の秘密の一端を明かすことにする。

まず、先に、伝統的に伝えられている真言密教の「虚空蔵菩薩求聞持聡明

 

 

Liberation from karma means transcending “karma,” which is the factor that establishes one’s destiny. Or, it means to eliminate “karma.” When a person transcends the “fate” that makes the human being what it is, and eliminates the “fate”, he becomes a “Buddha,” a being that transcends humans. Buddha no longer has a destiny. This is the doctrine of Buddhism.

The training method to become a Buddha is called the “Buddhahood method”. It is also called the “method of releasing one’s fate.” He believed that “the method of attaining Buddhahood” was the way to completely and supremely change a person’s destiny. Thinking so, he entered Buddhism in search of the method to attain Buddhahood. What he soon learned after entering Buddhism was that there was no perfect “method for attaining Buddhahood” in any of Japan’s previous forms of Buddhism.

This was very strange to him. Even though it is Buddhism, why does he not have a method for attaining Buddhahood? Why is there no method for releasing oneself from one’s fate? Isn’t Buddhism without a method for attaining Buddhahood not really Buddhism? Although he was suspicious, he devoted himself to great efforts in search of the method for attaining Buddhahood. He worked on the scriptures and studied all the sects. This is why he did not join any particular sect or have any particular teacher. This is because none of the sects has an established method for attaining Buddhahood, and if you join one, you will be bound and unable to practice freely in pursuit of the method for attaining Buddhahood. In addition to Buddhism, he turned his attention to Chinese Taoism and Indian yoga, and devoted himself to training. He studied Taoism and Qi Gong, and Kundalini Yoga.

When he entered the training of Shingon esoteric Buddhism, he came across a law called “Gumonji Somyoho.” This method was famous for turning people into geniuses.

Gumonji Sōmeiho is a famous school of Buddhism in Japan, where Kobo Daishi Kukai (774-1835) trained and became a great genius.

This is what Kukai thought when he began training in esoteric Buddhism at a young age. Esoteric Buddhism is so difficult to understand that even if you practice it with your normal mind, you will never be able to understand it. Fortunately, in Esoteric Buddhism there is a law called Gumonji Shumeiho that makes people wise. First, learn this method and improve your brain.

Kukai practiced this method and became a genius.

Kukai himself clearly wrote about this in his biography, and Kukai is a genius with the highest level of intelligence in Japanese history.

The word “gumonji” means “one never forgets what one has seen or heard,” and the word “intelligent” means “he has the wisdom to understand the truth of heaven, earth, and nature without a teacher.”

In short, he thought that “knowledge” refers to memory, and “smartness” refers to creativity. Alternatively, “Gyubunmochi” refers to hardware, and “Smartness” refers to software. These two abilities are the most important in learning and researching things.

It is a high-quality weapon. This can be said to be an absolutely essential ability in searching for the method of attaining Buddhahood that is not found in Japanese Buddhism. Besides, isn’t it another wonderful transformation of fate that he says that someone with an ordinary brain can become a genius?

With this in mind, he entered the training of Gumonjisomeiho.

He collected as much literature as he could get his hands on, and also received initiation from an old monk named He, who had practiced this Dharma when he was young. (Unfortunately, this old monk did not become a genius. However, this old monk received initiation from his teacher according to tradition, and was a person who trained through it.) After receiving guidance, he repeated the training twice as instructed by the law. Both times the law was unsuccessful. His concentration and thinking ability improved somewhat, but he was far from a genius.

Chi

He repeatedly questioned whether his method of training was wrong.

I considered it repeatedly.

I told him that the conclusion I had reached was that the Gumonji Someiho that had been passed down until now was wrong.

That’s what it was. At the very least, there was some kind of flaw. In other words, he argues that it is not his fault, but the law’s fault. If people heard this, they might be shocked and think, “How overconfident!” No, if a Shin Esoteric Buddhist monk heard this, he would be furious, thinking it was a flag against the Dharma. death

But he was absolutely convinced that he was right. According to his research, countless practitioners of Esoteric Buddhism had tried this method in the past in an attempt to become geniuses, but had all failed. This was not just a failure; most of them suffered from mental illness or tuberculosis, and were said to have given up.

From the Taisho era to the early Showa era (around 1917), there were a considerable number of victims, and since then, almost no one practices this practice. Even if he did practice, it seems to have become only a formality.

After the old monk who taught him the Dharma had finished teaching him the Dharma,

“If you get too serious and get too serious, you might get killed, so you have to be careful, he’s crazy.”

“Fortunately, I didn’t suffer from lung disease or go insane, but instead I became a genius.”

I’m familiar with you. Hahaha

he laughed. and,

“Kukai-sama is the only one who became a great genius. He was a genius from the beginning, isn’t he?”

He laughed again.

He thought with a wry smile that this might not be the case, but he also thought that he would work thoroughly and be sure to succeed.

However, after failing and considering it from various angles, he realized that this was due to a flaw in the law that had been passed down to him. No matter how you think about it, he thought that there was no way a person could become a genius through this type of training. He believed that if he tried desperately to become a genius using this imperfect method, he would exhaust his physical strength and energy, and eventually develop tuberculosis or neurosis.

That’s what he thought, but he had no intention of giving up his practice of Gyomonjisomeiho.

This is what he thought.

The secret of the star

Kukai may have been a genius to begin with. However, he is the

It is also a fact that there is no doubt that practicing Myoho has had considerable effects. This is because he himself wrote that he had obtained miraculous results. If he had been a genius to begin with, and had practiced this method without any particular effect, he would not have written such an exaggerated statement. Even though he had practiced Gumon Jimyoho, he probably did not write anything about this law. He wrote that it existed because it was effective. There’s no need to lie and say he had it when it didn’t work. The only thing I can think of is that he did it to emphasize the great power of the law of Shingon Esoteric Buddhism, but he could not imagine that such a great genius would take such a palliative measure. If that was necessary, I would have taken a different approach. Therefore, the “Gumonji Sōmeiho” is

It should definitely be effective. However, the method currently being communicated is not effective. I will spend my whole life searching for the missing parts and perfecting this great Dharma. Because while it is necessary for yourself, it also brings great benefits to many other people.

He spent many years working tirelessly to achieve this goal.

Let me conclude. He finally succeeded in perfecting this law.

Regarding this, he wrote the following in his book “Esoteric Buddhism and the Secret of Supernatural Powers” published in 1972.

In his book, he was convinced that he had perfected the “Gumonji Sōmeiho.”

Gumonji Smart Method is to improve and strengthen the human cerebrum, to strengthen the human brain, and to develop an unparalleled knowledge.

It is a secret method that gives you memory and intelligence, but even if you practice it for tens or even hundreds of hours according to the laws that have been passed down from ancient times, the result will be in vain. If you put your life on the line for training, you may get some results, but it is unlikely that you will be able to obtain the same miraculous powers that the founder of the sect, Kukai, achieved.

This is because, although the “Kokuzo Bodhisattva Seeking and Jusimeiho” of Shingon Esoteric Buddhism has a “method” of concentrating the mind through Inshin contemplation, it actually moves the cerebral cortex itself, which is a physiological organ. They don’t have the technology.

Since I talked about the Gumonji Somyo method in my previous book, The Principle of Transformation, I have had more than a dozen Shingon monks, ācárya (professors), contact me by letter or in person to discuss the practice of this method. I received it. Most of them said that he himself had practiced Gumonjiho several times, but he had never seen any effect.

Perhaps there was a mistake in the way he practiced or his mindset. There were also voices of doubt that even after practicing the practice several times, it was hard to believe that there was such a mystical power hidden in that practice. Among them was an Acharya who complained that his health had deteriorated and he was unable to recover. I feel sorry for you, but it is natural.

It is natural that the Acharyas of Shingon Esoteric Buddhism cannot achieve their goals no matter how many times they repeat the teachings of wisdom. Of course, I’m not saying absolutely. If you are a genius or gifted person who excels at all people, you may be able to reach the depths. However, it can be said that it is impossible for him to do so.

He would not be going overboard if he declared that it would be impossible without the “Gimonjiho” that I discovered and organized. I will write about this in more detail later, but I will now reveal some of the secrets of the Gumon Jiho method.

First, let’s talk about the traditionally handed down Shingon esoteric Buddhism’s “Kokuzo Bodhisattva Gumonji Sōmei”.

ヒトを改造する技術 求閒持聪明法秘伝 3  駄如求聞持明法 memorization ability and intelligent system 3

 

 

書いている。

此の法を修行するのには、東南西三方の開けたところを最上とする。但し、

東方のみでも悪くはない。修行する場所 道場の東壁に小窓をつくる。これは虚空蔵菩薩の化現である明星 (金星)の光を道場にさし入れるためで

しゅに

ある。また、朝日、夕月の光を本尊にあてる意もあり、あるいは小窓に絹を 張り、黄色の種字(虚空蔵菩薩という仏のシンボルの文字)を書いて、そこか 明星の光を透して本尊にあてるためでもある」

とまず場所を制定し、つぎに、明星を凝視しつつ、さだめられた本尊 (虚空蔵菩薩の印明(真言と印契)を一〇〇万べん、五〇日あるいは一〇〇日 読誦するのであるが、日蝕または月触の時に結願(完了) するように開白(はじめること)しなければならぬ、とある。

そして、弘法大師空海は、この法の成功した自分の体験を、つぎのように

 

明星来す。云々

阿国大滝のにのぼりよじ、土州室戸の崎に勤念す。 谷響をおしまず、

つまり、自分は阿波の国の大滝が岳という山にのぼり、土佐の室戸岬でこ の修行にはげんだところ、最終の日に、谷はこだまし、明星があらわれるな 法に伝えられている通りの奇瑞(不思議な現象)があらわれ、法が成就 した、というのである。 じられてい

この文章中、明星来影す” とあるのは、求聞持聡明法が成就したという 意味で、それは、求聞持聡明法の秘伝に、こう伝えられているところによる のである。

「明星来影すとは、結願(修行の完了)の時に、香に火を置き、 明星を拝 するに、四方が暗く明星が見えねば悉地成就(修行が成功したこと)ではない。 暗くても星が現すれば下品の成就であり、四方が少々晴れて星が現すれば中 天になく、ことごとく晴れて星現ずれば成就、四方が晴れても星現ぜ

れば成ぜざるなり」

とあり、さらに、星の現われかたも修行者の身近であるほどよいとされる。最もよいのは天気晴朗、明星が修行者の眼前に遊してくれば最上の成就とされるのである。 弘法大師空海の場合は、結願の日、天気晴朗にして、 宝剣、 いずれからともなく忽然と座の前に落ち、明星飛んで口に入って悉地成就の

相を現じたと伝えられる。

以上が、求聞持聡明法成就に関する口伝であり、秘伝なのである。したが って、修行者はこれを目標に必死に修行を重ねる。そして失望する。当 然なのだ。なぜならば、この秘伝が間違っているのだ。

こういう口伝や秘伝を頼りにいくら修行しても、気の毒だが求聞持法は成 就しない。まるっきり違うのだ。どう違うのか?

明星とは、現実の明星ではないのである。 はるか彼方の空間にきらめく明 星ではないのだ。それは、なんと! 修行者自身の脳の内部にまたたく閃光 なのだ。

私の体験を語ろう。

「ああっ!」

私は三度目の必死の修行に入っていた。

それは、ほぼ一〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニン

グのときであった。真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、それに、古代ヨ ガに伝わる特殊な呼吸法、古代ヨーガの秘伝から私が創案した特殊な印契 とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだと大脳皮質と脳髄は、 微妙な変化を起こしつつあることが感じられていた。 チャクラの開発も順調 にすすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じていた。

夜明けなさい まどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。 しびれの 感覚であった。 かるい失神、めまいに似ていた。忘我の一瞬であった。その 刹那、

と私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流が流れる感覚が走った。

落雷かと感じ、瞼の裏を紫電が走った。つぎの瞬間、眼前でフラッシュをた かれたように、私の視野は真っ暗になった。 失明! という考えがチラリと

脳裡をよぎった。と、そのときであった。頭の内奥、深部に、ポッカリと明されるのである。 弘法大師空海の場合は、結願の日、天気晴朗にして、 宝剣、 いずれからともなく忽然と座の前に落ち、明星飛んで口に入って悉地成就の

相を現じたと伝えられる。

以上が、求聞持聡明法成就に関する口伝であり、秘伝なのである。したが って、修行者はこれを目標に必死に修行を重ねる。そして失望する。当 然なのだ。なぜならば、この秘伝が間違っているのだ。

こういう口伝や秘伝を頼りにいくら修行しても、気の毒だが求聞持法は成 就しない。まるっきり違うのだ。どう違うのか?

明星とは、現実の明星ではないのである。 はるか彼方の空間にきらめく明 星ではないのだ。それは、なんと! 修行者自身の脳の内部にまたたく閃光 なのだ。

私の体験を語ろう。

「ああっ!」

私は三度目の必死の修行に入っていた。

それは、ほぼ一〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニン

グのときであった。真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、それに、古代ヨ ガに伝わる特殊な呼吸法、古代ヨーガの秘伝から私が創案した特殊な印契 とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだと大脳皮質と脳髄は、 微妙な変化を起こしつつあることが感じられていた。 チャクラの開発も順調 にすすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じていた。

夜明けなさい まどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。 しびれの 感覚であった。 かるい失神、めまいに似ていた。忘我の一瞬であった。その 刹那、

と私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流が流れる感覚が走った。

落雷かと感じ、瞼の裏を紫電が走った。つぎの瞬間、眼前でフラッシュをた かれたように、私の視野は真っ暗になった。 失明! という考えがチラリと

脳裡をよぎった。と、そのときであった。頭の内奥、深部に、ポッカリと明

「そうか!」

かりがともったのだ。 そして、それは、私の脈搏とおなじリズムで、 しずか にしずかにまたたきはじめた。ちょうど、この修法をはじめる一〇〇日前、 山にこもって凝っと見つめたあのときの明星 暁けの明星のように、それ はつめたく、黄ばんだ白さでまたたいた。

私は力いっぱい膝をたたいた。

「そうか! これが明星だったのか!」

私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した!

明星とは現実の明星ではなかったのである。

大脳の或る部分を或る方法で刺激すると、目の前に光が見えるようになる のである。その光は、かたちも色も大きさも、いろいろに見えるが、意識を 記憶の座に向けて沈静させると、つめたい、やや黄色みを帯びた白銀色にな って、しずかに眼の奥でまたたく。それはちょうど明星そっくりに見えるの である。

これが明星なのだ!

或る特殊なトレーニングにより、この部位(大脳の視床下部のあたり)への 刺激が、目のなかに光を浮かばせるのである。目を或る角度に向けると、目 開いていても閉じていても、ポッカリと光が浮かんで見える。

この光が見えるようになると、大脳の記憶の座が自由にあやつれるように なるばかりでなく、さまざまな、奇蹟としか思えぬような力が出てくる。 す なわち、 求聞持聡明法の成就である。

これが、求聞持法、明星の秘密である。 大空を一〇〇年ながめて空中の明 星を見つめていてもムダだ。 明星はわが大脳の奥にあるのだから。

このことは、密教五〇〇〇年の歴史に、私がはじめてつかんだ秘密である。 私以外にこれを知る者はついになかった。 求聞持法の秘密を私はついにつか んだ。私はそれを誇りに思う。

私は先に、求聞持聡明法の口伝は間違っていると言った。しかし、この口

伝は決して間違っていたのではなかったのである。修行が成就すればたしか

ヒトを改造する技術

  • 求開持聪明法秘伝

みやくほく

「そうか!」

かりがともったのだ。 そして、それは、私の脈搏とおなじリズムで、 しずか にしずかにまたたきはじめた。ちょうど、この修法をはじめる一〇〇日前、 山にこもって凝っと見つめたあのときの明星 暁けの明星のように、それ はつめたく、黄ばんだ白さでまたたいた。

私は力いっぱい膝をたたいた。

「そうか! これが明星だったのか!」

私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した!

明星とは現実の明星ではなかったのである。

大脳の或る部分を或る方法で刺激すると、目の前に光が見えるようになる のである。その光は、かたちも色も大きさも、いろいろに見えるが、意識を 記憶の座に向けて沈静させると、つめたい、やや黄色みを帯びた白銀色にな って、しずかに眼の奥でまたたく。それはちょうど明星そっくりに見えるの である。

これが明星なのだ!

或る特殊なトレーニングにより、この部位(大脳の視床下部のあたり)への 刺激が、目のなかに光を浮かばせるのである。目を或る角度に向けると、目 開いていても閉じていても、ポッカリと光が浮かんで見える。

この光が見えるようになると、大脳の記憶の座が自由にあやつれるように なるばかりでなく、さまざまな、奇蹟としか思えぬような力が出てくる。 す なわち、 求聞持聡明法の成就である。

これが、求聞持法、明星の秘密である。 大空を一〇〇年ながめて空中の明 星を見つめていてもムダだ。 明星はわが大脳の奥にあるのだから。

このことは、密教五〇〇〇年の歴史に、私がはじめてつかんだ秘密である。 私以外にこれを知る者はついになかった。 求聞持法の秘密を私はついにつか んだ。私はそれを誇りに思う。

私は先に、求聞持聡明法の口伝は間違っていると言った。しかし、この口

伝は決して間違っていたのではなかったのである。修行が成就すればたしかにはなれないのだ。

同じことである。

に明星は眼前に現われるのである。ただし、それが頭の深奥に現われるのだ ということは、修行者自身が心血を注ぐ努力、工夫をしてつかまねばならぬ 秘密なのである。その秘密が解けない修行者は、失格なのだ。 つまり、天才

密教の秘伝とか、口伝というものは、つねにこのような表現で真実を現わ (あるいは隠しているのである。その隠されたナゾ解きが、密教の「修 「行」というものなのである。 法を成就した導師は、決してそれを素直に表現 して教えようとはしない。 それは決して意地悪や不親切なのではないのであ る。ストレートに密教の秘密の技術を出してしまったのでは、その秘密技術 を弟子は身につけることができないのである。 それを身につける力が生じな いからである。

禅宗には、「公案」がある。一つの公案のナゾ解き (悟り)に何年も、時 には何十年も心血を注ぐ。 ナゾを解くことはもちろん大切でありそれが目的 だが、ナゾを解く過程の努力が、その修行者に力をつけるのである。 それと

それにしても、明星が眼前を「遊曵する」とはなんという巧みな比喩であ ろうか。空海の場合には、「明星が飛んで口の中に入った」という。法が成 就して、その秘密を身を以て体験した者には、「なあんだ」といおうか、「な るほど」といおうか、拍子抜けするような感じであるが、真剣になって、虚 空はるかにまたたく金星をなんとか目の前に遊させようと必死になり、時 には口の中に飛びこませようと大きな口をあけて待った無数の修行者を考え ると、おかしくもあり、気の毒でもあるという思いである。私はこれをもと にして、私の「求聞持聡明法」を編成した。これは、今までの「法」などと いうアイマイなものではない。 生化学と生理学をもとにした「技術」であり、 システムである。正しい指導のもとに訓練を積めば、必ず、だれでも効果を得られる技術である。

 

本来ならば、こういうことは、私の「大極秘伝」として、ごく限られた者 だけに、ひそかに伝えてゆくべきものなのだろう。だが、私は、敢えて、れをひろく公開する。 なぜならば、私は、世界中の人びとが、この法によっ 知能を高め、いっさいの愚行 殺し合い、奪い合い、傷つけ合い、憎み

合いから、離れ去ってほしいからである。

人類のすべての不幸の原因はただ一つ。愚かだからである。

求聞持聡明法は、ヒトの知能を三倍にする。

しかし、その半分でもよい。 人類の知能が今の水準より平均一・五倍飛躍 したら、この世界から、犯罪も戦争もいっさいなくなるだろう。そうい うものがあるのは、人類が愚かだからだ。 求聞持法によって知能指数が倍加 したら、そういうことがいかに愚かで馬鹿馬鹿しいことか、大人が子供のケ ンカが馬鹿馬鹿しくて見ていられないように、いっさい、しなくなる。

私や私の周囲のごく一部の者が、この法によっていくら賢くなろうとも、 それがなにになろう。 世界の大勢にどれほどの影響があろう。よしんば私が、 この法によって、古今無比の大聖者と仰がれる程の力を持とうとも、世界の どこかで、権力をにぎっている馬鹿が、核バクダンのボタンをひとつ押した

ら、それっきりなのである。 世界中はふっ飛んでしまう。 古今無比の大聖者 もいっしょに!

まあ、古今無比の大聖者ともなれば、事前にそれくらい察知して、 安全な ところに待避してしまうであろうが、世界中が壊滅して、助かった者も核の 灰に汚染されて、半死半生の者ばかりという世の中に、自分とごく少数の一 族だけが生き残ってなにになろう。 ノアの方舟の時とは状況がまったくちが うのである。

このままでは、必ず世界は崩壊する。 人類の大愚行はぜったいに止めさせ なければならぬ。そのために私は、この求聞持聡明法を、世界中にひろめね

ばならぬのである。密教・超能力の秘密』より)

 

writing.

The best place to practice this Dharma is an open area on three sides, east and southwest. however,

It’s not bad even if it’s just Touhou. Place for training Create a small window on the east wall of the dojo. This is to let the light of Myojo (Venus), the incarnation of Kokuzo Bodhisattva, shine into the dojo.

Shuni

be. There is also the idea of letting the light of the morning sun and evening moon shine on the principal image, or by covering a small window with silk and writing yellow seed characters (characters representing the symbol of the Buddha, Kokuzo Bodhisattva), allowing the light of the morning star to shine through. It is also to dedicate it to the principal image.”

First, establish a place, and then, while gazing at the morning star, recite the enshrined principal image (Kokuzo Bodhisattva’s inmei (mantra and seal) for 1,000,000 days, 50 or 100 days. However, it is said that one must open the prayer (completion) at the time of a solar eclipse or lunar eclipse.

Then, Kobo Daishi Kukai described his own successful experience with this method as follows:

 

The morning star is coming. Things like that

tree

He climbs up the Okuni Otaki waterfall and works hard at Toshu Muroto no Saki. Don’t let Tanihiro down,

In other words, I climbed a mountain called Ōtakigadake in Awa Province and engaged in this training at Cape Muroto in Tosa, and on the last day, the valley echoed and a morning star appeared. It is said that the miracle (mysterious phenomenon) of the street appeared and the law was fulfilled. Being teased

In this passage, the phrase “Myojo Raiseisu” means that Gumonjisoteiho was fulfilled, and this is what is said in the secret of Gumonjisoteiho.

“To see the shadow of the morning star” means to light incense and worship the morning star at the time of prayer (completion of training), but if it is dark on all sides and the morning star cannot be seen, it is not complete fulfillment (the training has been successful).It is dark. If a star appears on all sides, it is a fulfillment of vulgarity; if it is a little clear on all sides and a star appears, it is not in the middle of the sky, but if it is completely clear and a star appears, it is a fulfillment; even if it is clear on all sides, a star appears.

If you do, it won’t happen.”

Furthermore, it is said that the closer the star appears to the practitioner, the better. The best thing is when the weather is clear and the star shines in front of the practitioner’s eyes, which is considered the greatest accomplishment. In the case of Kobo Daishi Kukai, on the day of his wish, the weather was clear and sunny, his treasured sword suddenly fell in front of his throne, and the star flew into his mouth, and he was said to have achieved complete fulfillment.

It is said that he has appeared.

The above is an oral tradition and a secret regarding the fulfillment of the Law of Gumonji and Sage. Therefore, practitioners train desperately to achieve this goal. And disappointed. Of course. Because this secret is wrong.

No matter how much you practice relying on such oral traditions and secrets, you will never be able to achieve the Gumonjiho method. It’s completely different. What’s the difference?

The morning star is not an actual morning star. It is not a bright star twinkling in a faraway space. It’s amazing! It’s a flash of light that flashes inside the brain of the practitioner himself.

Let me tell you about my experience.

“Ah!”

I was on my third desperate training.

It was almost the 100th day, the 100th training in my legal system.

It was at the time of Through training using the nine types of inmei of Gyomonjiho passed down in the Shingon sect, special breathing techniques passed down in ancient yoga, and special inji and poses that I created from the secrets of ancient yoga, I It was felt that subtle changes were occurring in his body, cerebral cortex and brain spinal cord. Chakra development was also progressing smoothly. My six senses knew that the time was ripe.

Dawn! It felt like I was in a slumber. But it wasn’t sleepy. It was a feeling of numbness. It was similar to faint fainting and dizziness. It was a moment of forgetfulness. That moment,

I was screaming in pain. I felt a current flowing through a corner of my brain.

It felt like lightning, and purple electricity ran behind my eyelids. The next moment, my field of vision went black, as if a flash had been fired right in front of my eyes. A glimmer of the thought of going blind!

It crossed my mind. That was then. It will suddenly become clear to you, deep inside your head. In the case of Kobo Daishi Kukai, on the day of his wish, the weather was clear and sunny, his treasured sword suddenly fell in front of his throne, and the star flew into his mouth, and he was said to have achieved complete fulfillment.

It is said that he has appeared.

The above is an oral tradition and a secret regarding the fulfillment of the Law of Gumonji and Sage. Therefore, practitioners train desperately to achieve this goal. And disappointed. Of course. Because this secret is wrong.

No matter how much you practice relying on such oral traditions and secrets, you will never be able to achieve the Gumonjiho method. It’s completely different. What’s the difference?

The morning star is not an actual morning star. It is not a bright star twinkling in a faraway space. It’s amazing! It’s a flash of light that flashes inside the brain of the practitioner himself.

Let me tell you about my experience.

“Ah!”

I was on my third desperate training.

It was almost the 100th day, the 100th training in my legal system.

It was at the time of Through training using the nine types of inmei of Gyomonjiho passed down in the Shingon sect, special breathing techniques passed down in ancient yoga, and special inji and poses that I created from the secrets of ancient yoga, I It was felt that subtle changes were occurring in his body, cerebral cortex and brain spinal cord. Chakra development was also progressing smoothly. My six senses knew that the time was ripe.

Dawn! It felt like I was in a slumber. But it wasn’t sleepy. It was a feeling of numbness. It was similar to faint fainting and dizziness. It was a moment of forgetfulness. That moment,

I was screaming in pain. I felt a current flowing through a corner of my brain.

It felt like lightning, and purple electricity ran behind my eyelids. The next moment, my field of vision went black, as if a flash had been fired right in front of my eyes. A glimmer of the thought of going blind!

It crossed my mind. That was then. Deep inside my head, there is a sudden brightness.

“Really!”

A light was lit. Then, it began to beat again and again, in the same rhythm as my heartbeat. It twinkled with a cold, yellowish whiteness, just like the dawn star that I had gazed upon while holed up in the mountains 100 days before I began this practice.

I patted my knee as hard as I could.

“I see! This was the morning star!”

I looked up and screamed. I finally discovered the secret of the star!

The morning star was not a real morning star.

If you stimulate a certain part of your brain in a certain way, you will be able to see light in front of your eyes. The light appears to be of various shapes, colors, and sizes, but when you turn your attention to the seat of memory and calm down, it turns into a cold, slightly yellowish silver color, and silently shines again in the back of your eyes. Taku. It looks exactly like a morning star.

This is the star!

Through some special training, stimulation of this area (around the hypothalamus of the brain) causes light to appear in the eyes. If you turn your eyes at a certain angle, whether your eyes are open or closed, you will see a flash of light floating in your eyes.

When he becomes able to see this light, he not only becomes able to freely manipulate the memory seat of his cerebrum, but also a variety of powers that can only be considered miraculous emerge. In other words, it is the fulfillment of the law of seeking wisdom.

This is the secret of Gumonjiho and Myojo. There is no point in staring at the sky for 100 years, staring at the morning star in the sky. Because the morning star is deep within my cerebrum.

This is the first secret I have discovered in the 5,000 year history of Esoteric Buddhism. In the end, no one else knew this except me. I finally grasped the secret of Gumonjiho. I’m proud of it.

I said earlier that the oral tradition of Gumon Jisomeiho is wrong. But this mouth

The legend was never wrong. It is true if the training is successful

Technology to modify humans

The secret of seeking enlightenment and enlightenment

Miyakuhoku

“Really!”

A light was lit. Then, it began to beat again and again, in the same rhythm as my heartbeat. It twinkled with a cold, yellowish whiteness, just like the dawn star that I had gazed upon while holed up in the mountains 100 days before I began this practice.

I patted my knee as hard as I could.

“I see! This was the morning star!”

I looked up and screamed. I finally discovered the secret of the star!

The morning star was not a real morning star.

If you stimulate a certain part of your brain in a certain way, you will be able to see light in front of your eyes. The light appears to be of various shapes, colors, and sizes, but when you turn your attention to the seat of memory and calm down, it turns into a cold, slightly yellowish silver color, and silently shines again in the back of your eyes. Taku. It looks exactly like a morning star.

This is the star!

Through some special training, stimulation of this area (around the hypothalamus of the brain) causes light to appear in the eyes. If you turn your eyes at a certain angle, whether your eyes are open or closed, you will see a flash of light floating in your eyes.

When he becomes able to see this light, he not only becomes able to freely manipulate the memory seat of his cerebrum, but also a variety of powers that can only be considered miraculous emerge. In other words, it is the fulfillment of the law of seeking wisdom.

This is the secret of Gumonjiho and Myojo. There is no point in staring at the sky for 100 years, staring at the morning star in the sky. Because the morning star is deep within my cerebrum.

This is the first secret I have discovered in the 5,000 year history of Esoteric Buddhism. In the end, no one else knew this except me. I finally grasped the secret of Gumonjiho. I’m proud of it.

I said earlier that the oral tradition of Gumon Jisomeiho is wrong. But this mouth

The legend was never wrong. If you complete your training, you cannot become one.

It’s the same thing.

The morning star will appear before your eyes. However, the fact that he appears in the depths of one’s mind is a secret that the practitioner must put his whole heart and soul into and use his ingenuity to grasp. A practitioner who cannot solve the secret is disqualified. In other words, genius

Esoteric Buddhism’s secret teachings and oral traditions always reveal (or hide) the truth using expressions like this.The unraveling of these hidden mysteries is the “practice” of Esoteric Buddhism. Successful masters never try to teach by expressing it honestly. This is not because they are mean or unkind. If they give out the secret techniques of esoteric Buddhism straight away, they will never try to teach. Disciples cannot acquire this because they do not have the strength to acquire it.

In Zen Buddhism, there are “koans.” People spend years, even decades, pouring their heart and soul into solving the mystery (enlightenment) of a single koan. Solving the riddles is of course important and the goal, but the effort in the process of solving the riddles gives the practitioner strength. And with that

In any case, what a clever metaphor it is to say that the morning star is “towing” right in front of our eyes. In Kukai’s case, “Myojo flew into his mouth.” For those who have experienced the Dharma’s fulfillment and its secrets firsthand, they may say, “Wow!” or “I see!”, but when they become serious, they realize that the sky is far away. When I think of the countless practitioners who desperately tried to get the twinkling Venus to play in front of their eyes, sometimes with their mouths wide open in hopes of letting it fly into their mouths, it was both strange and pitiful. I believe that there is. Based on this, I organized my “Gumonjisōmeiho.” This is not what he calls the “law” of the past. It is a “technology” and a system based on biochemistry and physiology. It is a technique that anyone can benefit from if trained with the right guidance.

 

Normally, this would be something that I should secretly tell only a very limited number of people as my “big secret”. However, I dare to publish it widely. Because I want people all over the world to use this law to increase their intelligence and avoid all foolishness, killing, robbing, hurting, and hating each other.

Let’s go away from each other

 

 

Buddha Japan journal
日本の仏教を発信します
Send Japanese Buddhism

ニルヴァーナを智慧と慈悲をめざす。

“Nirvana aims for wisdom and compassion.”

http://cyber-price.com/buddha/

ヒトを改造する技術 求閒持聪明法秘伝 2  駄如求聞持明法 memorization ability and intelligent system 2

因縁解脱というのは、運命を成り立たせる因子である「因縁」から超越してし まうことである。或いは、「因縁」を消滅させてしまうことである。人間とい うものを成立させているところの「因縁」から超越し、「因縁」を消滅させて しまったとき、そのヒトは、人間を超えた存在である「ブッダ」になる。 ブッ ダにはもはや運命はない。これが仏教の教理である。

ブッダになるための修行法を「成仏法」という。「因縁解脱法」ともいう。 かれは、「成仏法」こそ、人間の運命を完全に、そして最高のものに変えて しまう方法であると考えた。そう考えたかれは、成仏法を求めて仏教の門に入 った。仏教の門に入ったかれが間もなく知ったことは、これまでの日本のどの 仏教にも、完全な「成仏法」がないということであった。

これはかれにとってじつに不思議でならないことであった。仏教というのに どうして成仏法がないのか? 因縁解脱法がなぜないのか? 成仏法のない仏 教は仏教ではないのではないか? かれは不審に思いつつ、成仏法を求めて一 心に大な経典群ととり組み、すべての宗派の勉強をした。かれが特定の宗派に入らず、特定の師を持たなかったのはこの為である。どの宗派にも確立した 成仏法がない上に、一つの宗派に入ると、束縛されてしまって、成仏法を求め る自由な修行が出来ないからである。かれは、仏教だけにとどまらず、中国の 道教、インドのヨーガにも目を向け、修練にはげんだ。道教では導引・気功、 ヨーガではクンダリニー・ヨーガを学んだ。

真言密教の修行に入ったとき、「求聞持聡明法」という法に出会った。これ は、ヒトを天才にするということで有名な法であった。

求聞持聡明法というのは、日本の仏教の中で真言宗という密教の一派を開い 弘法大師空海(七七四年一八三五年)が修行して、大天才になったという有名

空海は、若くして密教の修行をはじめるにあたり、こう考えたのである。 密教は非常に難解であるから、ふつうの頭脳で修行しても、到底理解する ことが出来ない。 幸い、密教には人を聡明にする求聞持聡明法という法がある。 まず、この法を学んで、自分の脳を改善しよう

そして空海はこの法を修行して天才になった。

このことは、空海自身、かれの伝記の中ではっきり書いており、そして空海 は、日本の歴史の中で最高レベルの知性を持つ天才である。

求聞持というのは、一度見聞したことはぜったいに忘れない”という意 味であり、聡明”というのは、“師なくして天地自然の真理をさとる知恵のこ という”とある。

要するに、求聞持は記憶力のことで、聡明は創造力のことであろうとかれは 考えた。あるいは、求聞持とはハードウエアのことであり、聡明はソフトウエ アということであろう。この二つの能力は、ものごとを学び、研究する上で最

高の武器である。日本の仏教に見あたらない成仏法をさがす上で、これは絶対 不可欠な能力といえよう。 それにまた、普通の頭脳の持ちぬしが天才になると いうのは、これまた立派な運命の変換というべきではなかろうか?

そう考えて、かれは求聞持聡明法の修行に入ったのである。

かれは、手に入るかぎりの文献を集め、さらに、若い頃、この法を修行した という老僧に伝授を受けた。(この老僧は、残念ながら、天才にはなっていな かったがしかし、この老僧は師から伝統にのっとって伝授を受け、その通 修行した人である)かれは、その老僧の指導を受け、法の命ずる通りの修行を二度くり返した。 二度とも法は成功しなかった。集中力と思考力がいくらかよくなった程度で、 到底、天才とはほど遠いものであった。

かれは、自分の修行のしかたが間違っていたのではないかと、何度も緻密に

くり返し検討した。

その結果得た結論は、これまで伝えられていた求聞持聡明法は間違っているとかれに言い、

というものであった。少なくとも、なんらかの欠陥がある、というのであった。 つまり、自分にミスがあるのではなく、法の方に欠陥があるのだというのであ る。人が聞いたら、なんという自信過剰!と呆れるかも知れない。いや、真 密教の僧侶が聞いたら、法に対する旗だと、かんかんになるであろう。し

かし、かれはぜったいに自分が正しいと確信した。かれが調査したところによ ると、むかしから無数の密教修行者たちが天才になろうとしてこの法に挑戦し、 ことごとく失敗しているというのであった。それも単なる失敗ではなく、その 大半は、精神病か結核になって、天折しているというのであった。

大正年代から昭和初期にかけて(一九一七年三五年頃)かなりの数の犠牲者 が出て、それ以来、この修行をする者はほとんど無くなったということであっ た。修行したとしても形式だけのものになったようである。

かれに法を伝えてくれた老僧は、法の伝授が終わったあとで、

「あまり真剣になって根をつめるとやられるようじゃから、注意せんといかん のう。ほどほどにせんとな」

「わしは幸い、肺病にも気ちがいにもならんじゃったが、その代わり、天才に

もなれなんだわ。ははは

と笑った。そして、

「大天才になられたのは空海さまだけじゃ。あのお方は、最初から天才じゃっ たのと違うかな」

と言ってまた笑った。

かれは苦笑いしながら、そうかも知れない、と思ったが、しかしおれは徹底 的にやって必ず成功してみせるぞ、と思ったのであった。

しかし、失敗して、さまざまな角度から検討してみて、 これは、伝えられて いる法が不備なのだと考えたのである。 どう考えてみても、こういう修行の方 法で、人間が天才になれるはずはないと考えたのである。 この不完全な法で天 才になろうと思って必死に修行をつづけたら、体力、気力を消耗し尽くして、 さいごには、結核かノイローゼになるのは当然だと考えたのである。

そう考えたが、しかし、かれは、求聞持聡明法の修行をやめてしまおうとは 思わなかった。

かれはこう考えた。

明星の秘密

もともと空海は天才であったのかも知れない。しかし、かれがこの求聞持

明法を修行して、相当な効果のあったこともまた間違いない事実であると思わ れる。なぜならば、かれ自身、奇蹟的な結果を得たと記しているからである。 自分がもともと天才であってこの法を修しても格別に効果がなかったのである なら、こんなことを仰々しく書くことはなかったであろう。 おそらく求聞持 明法は修したとしても、この法についてなに一つ、かれは書くことをしなかっ たであろう。 効果があったからこそ、あったと書いたのである。効果がなかっ たのに、あったとウソを書く必要はない。 ただ一つ考えられることは、真言密 教の法の力の偉大さをアピールするためにそうしたということであるが、かれ ほどの大天才がそんな姑息な手段をとるなど考えられず、またもしそういう必 要があるならば、もっと別な方法をとったであろう。だから、求聞持聡明法は、

必ず効果があるはずである。ただ、その方法は、いま伝えられているものでは 効果がないということだ。 自分は、一生かけてもその欠けている部分をさがし 出し、この偉大な法を完成しよう。なぜならば、それは自分自身にも必要であ るが、自分以外の多くの人にもまた、大きな利益をもたらすからだ」

そうして、かれは、そのために、それから何年も血の出るような努力を重ね

結論を言おう。かれはついにこの法の完成に成功したのである。

それについて、かれは、一九七二年に刊行した著書『密教・超能力の秘密』 でつぎのように述べている。

「求聞持聡明法」を完全なものにしたという確信を持ったかれは、著書の中で、

求聞持聡明法とは、ヒトの大脳を改善強化して、博覧強記、比類なき

記憶力と聡明さをあたえる秘法であるが、これを、何十ぺん、何百ぺん、昔 から伝えられる法の通りに修行したところで、その結果は徒労におわるであ ろう。 生命を賭して修行すれば、多少の効果はあろうが、宗祖の空海が得た ような霊験を得ることは、まず不可能であろう。

なぜならば、真言密教の「虚空蔵菩薩求聞持聡明法」には、印真観想によ 精神集中の「法」はあるけれども、現実的に生理器官である大脳皮質その ものを動かす「技術」は持っていないのである。

前の著書『変身の原理」で求聞持聡明法について語って以来、私は、十指 を越える真言宗の僧侶、阿闍梨耶 (ācárya=教授) がたから、手紙あるいは 直接、この法の修行について相談をうけた。そのほとんどは、自分も一度な いし数度にわたって求聞持法を修したが、いっさい効験がみられなかった、

修行のしかた、あるいは心構えに間違いがあったのであろうか、というもの であった。 また、何度か修行してみてあの行法にそんな神秘的な力がひそん でいようとは思われぬ、という疑惑の声もあった。中には、お気の毒にも健 康を害してしまって、再起不能になったと訴えてきた阿闍梨耶もおられた。 お気の毒であるが、当然なのである。

真言密教の阿闍梨耶がたが、いくら求聞持聡明法をくりかえしても、成就 できないのは当然なのである。もちろん、絶対に、とはいわない。万人に秀 でる天才、英才であったら、その奥に達することができるかも知れぬ。しか まず不可能といってよいであろう。

私が発見し、編成した「求聞持法」でなければ不可能と断言しても、決し てオーバーではないであろう。それについては後でまた改めてくわしく書く が、ここで、求聞持法の秘密の一端を明かすことにする。

まず、先に、伝統的に伝えられている真言密教の「虚空蔵菩薩求聞持聡明

 

 

Liberation from karma means transcending “karma,” which is the factor that establishes one’s destiny. Or, it means to eliminate “karma.” When a person transcends the “fate” that makes the human being what it is, and eliminates the “fate”, he becomes a “Buddha,” a being that transcends humans. Buddha no longer has a destiny. This is the doctrine of Buddhism.

The training method to become a Buddha is called the “Buddhahood method”. It is also called the “method of releasing one’s fate.” He believed that “the method of attaining Buddhahood” was the way to completely and supremely change a person’s destiny. Thinking so, he entered Buddhism in search of the method to attain Buddhahood. What he soon learned after entering Buddhism was that there was no perfect “method for attaining Buddhahood” in any of Japan’s previous forms of Buddhism.

This was very strange to him. Even though it is Buddhism, why does he not have a method for attaining Buddhahood? Why is there no method for releasing oneself from one’s fate? Isn’t Buddhism without a method for attaining Buddhahood not really Buddhism? Although he was suspicious, he devoted himself to great efforts in search of the method for attaining Buddhahood. He worked on the scriptures and studied all the sects. This is why he did not join any particular sect or have any particular teacher. This is because none of the sects has an established method for attaining Buddhahood, and if you join one, you will be bound and unable to practice freely in pursuit of the method for attaining Buddhahood. In addition to Buddhism, he turned his attention to Chinese Taoism and Indian yoga, and devoted himself to training. He studied Taoism and Qi Gong, and Kundalini Yoga.

When he entered the training of Shingon esoteric Buddhism, he came across a law called “Gumonji Somyoho.” This method was famous for turning people into geniuses.

Gumonji Sōmeiho is a famous school of Buddhism in Japan, where Kobo Daishi Kukai (774-1835) trained and became a great genius.

This is what Kukai thought when he began training in esoteric Buddhism at a young age. Esoteric Buddhism is so difficult to understand that even if you practice it with your normal mind, you will never be able to understand it. Fortunately, in Esoteric Buddhism there is a law called Gumonji Shumeiho that makes people wise. First, learn this method and improve your brain.

Kukai practiced this method and became a genius.

Kukai himself clearly wrote about this in his biography, and Kukai is a genius with the highest level of intelligence in Japanese history.

The word “gumonji” means “one never forgets what one has seen or heard,” and the word “intelligent” means “he has the wisdom to understand the truth of heaven, earth, and nature without a teacher.”

In short, he thought that “knowledge” refers to memory, and “smartness” refers to creativity. Alternatively, “Gyubunmochi” refers to hardware, and “Smartness” refers to software. These two abilities are the most important in learning and researching things.

It is a high-quality weapon. This can be said to be an absolutely essential ability in searching for the method of attaining Buddhahood that is not found in Japanese Buddhism. Besides, isn’t it another wonderful transformation of fate that he says that someone with an ordinary brain can become a genius?

With this in mind, he entered the training of Gumonjisomeiho.

He collected as much literature as he could get his hands on, and also received initiation from an old monk named He, who had practiced this Dharma when he was young. (Unfortunately, this old monk did not become a genius. However, this old monk received initiation from his teacher according to tradition, and was a person who trained through it.) After receiving guidance, he repeated the training twice as instructed by the law. Both times the law was unsuccessful. His concentration and thinking ability improved somewhat, but he was far from a genius.

Chi

He repeatedly questioned whether his method of training was wrong.

I considered it repeatedly.

I told him that the conclusion I had reached was that the Gumonji Someiho that had been passed down until now was wrong.

That’s what it was. At the very least, there was some kind of flaw. In other words, he argues that it is not his fault, but the law’s fault. If people heard this, they might be shocked and think, “How overconfident!” No, if a Shin Esoteric Buddhist monk heard this, he would be furious, thinking it was a flag against the Dharma. death

But he was absolutely convinced that he was right. According to his research, countless practitioners of Esoteric Buddhism had tried this method in the past in an attempt to become geniuses, but had all failed. This was not just a failure; most of them suffered from mental illness or tuberculosis, and were said to have given up.

From the Taisho era to the early Showa era (around 1917), there were a considerable number of victims, and since then, almost no one practices this practice. Even if he did practice, it seems to have become only a formality.

After the old monk who taught him the Dharma had finished teaching him the Dharma,

“If you get too serious and get too serious, you might get killed, so you have to be careful, he’s crazy.”

“Fortunately, I didn’t suffer from lung disease or go insane, but instead I became a genius.”

I’m familiar with you. Hahaha

he laughed. and,

“Kukai-sama is the only one who became a great genius. He was a genius from the beginning, isn’t he?”

He laughed again.

He thought with a wry smile that this might not be the case, but he also thought that he would work thoroughly and be sure to succeed.

However, after failing and considering it from various angles, he realized that this was due to a flaw in the law that had been passed down to him. No matter how you think about it, he thought that there was no way a person could become a genius through this type of training. He believed that if he tried desperately to become a genius using this imperfect method, he would exhaust his physical strength and energy, and eventually develop tuberculosis or neurosis.

That’s what he thought, but he had no intention of giving up his practice of Gyomonjisomeiho.

This is what he thought.

The secret of the star

Kukai may have been a genius to begin with. However, he is the

It is also a fact that there is no doubt that practicing Myoho has had considerable effects. This is because he himself wrote that he had obtained miraculous results. If he had been a genius to begin with, and had practiced this method without any particular effect, he would not have written such an exaggerated statement. Even though he had practiced Gumon Jimyoho, he probably did not write anything about this law. He wrote that it existed because it was effective. There’s no need to lie and say he had it when it didn’t work. The only thing I can think of is that he did it to emphasize the great power of the law of Shingon Esoteric Buddhism, but he could not imagine that such a great genius would take such a palliative measure. If that was necessary, I would have taken a different approach. Therefore, the “Gumonji Sōmeiho” is

It should definitely be effective. However, the method currently being communicated is not effective. I will spend my whole life searching for the missing parts and perfecting this great Dharma. Because while it is necessary for yourself, it also brings great benefits to many other people.

He spent many years working tirelessly to achieve this goal.

Let me conclude. He finally succeeded in perfecting this law.

Regarding this, he wrote the following in his book “Esoteric Buddhism and the Secret of Supernatural Powers” published in 1972.

In his book, he was convinced that he had perfected the “Gumonji Sōmeiho.”

Gumonji Smart Method is to improve and strengthen the human cerebrum, to strengthen the human brain, and to develop an unparalleled knowledge.

It is a secret method that gives you memory and intelligence, but even if you practice it for tens or even hundreds of hours according to the laws that have been passed down from ancient times, the result will be in vain. If you put your life on the line for training, you may get some results, but it is unlikely that you will be able to obtain the same miraculous powers that the founder of the sect, Kukai, achieved.

This is because, although the “Kokuzo Bodhisattva Seeking and Jusimeiho” of Shingon Esoteric Buddhism has a “method” of concentrating the mind through Inshin contemplation, it actually moves the cerebral cortex itself, which is a physiological organ. They don’t have the technology.

Since I talked about the Gumonji Somyo method in my previous book, The Principle of Transformation, I have had more than a dozen Shingon monks, ācárya (professors), contact me by letter or in person to discuss the practice of this method. I received it. Most of them said that he himself had practiced Gumonjiho several times, but he had never seen any effect.

Perhaps there was a mistake in the way he practiced or his mindset. There were also voices of doubt that even after practicing the practice several times, it was hard to believe that there was such a mystical power hidden in that practice. Among them was an Acharya who complained that his health had deteriorated and he was unable to recover. I feel sorry for you, but it is natural.

It is natural that the Acharyas of Shingon Esoteric Buddhism cannot achieve their goals no matter how many times they repeat the teachings of wisdom. Of course, I’m not saying absolutely. If you are a genius or gifted person who excels at all people, you may be able to reach the depths. However, it can be said that it is impossible for him to do so.

He would not be going overboard if he declared that it would be impossible without the “Gimonjiho” that I discovered and organized. I will write about this in more detail later, but I will now reveal some of the secrets of the Gumon Jiho method.

First, let’s talk about the traditionally handed down Shingon esoteric Buddhism’s “Kokuzo Bodhisattva Gumonji Sōmei”.

ヒトを改造する技術 求閒持聪明法秘伝 1  駄如求聞持明法 memorization ability and intelligent system 1

ヒトを改造する技術

求閒持聪明法秘伝

これを、

 

「求聞持聡明法」  ぐもんじ そういう

という。

超人間を、脱文明を、精神動物王国を、超ヒトを、ホモ・エクセレンスを、 ほんとうに生み出し、ほんとうにつくり出す技術体系がここにある。

古代密教、道教、ヨーガを複合した秘密技術である。

それがどのような力をヒトにあたえるものか、その実例を一つみていただこ う。

運命への挑戦

ここに一人の男がいる。

一九二年生まれであるから、今年六八歳である。

かれは、生まれつき特に強健でもなく、また、虚弱でもなく、普通人なみの 健康であった。知能も同様、特に人にすぐれたところもなく、また、特に愚劣 というのでもなかった。普通人なみの知能といえよう。

五歳のとき、サムライであった祖父から剣術の手ほどきを受け、小学校三年 の時に、講道館柔道の町道場に入門した。 一七歳の時、これらの武術にあまり熱中したため、肋膜炎になった。しかしなおも、武術の練習を止めなかった ため、翌年、大喀血をし、結核となった。かれは療養所に入ったが、当時、どこの程度の病状であったかは、ちょうどその頃勃発した太平洋戦争中、遂に一度 も召集令、徴用令が来なかったということで、大体わかるであろう。その当 時、四〇歳半ばの男性まで、戦場に駆り出されたものである。

つぎつぎと戦地に出て行く級友たちからの手紙を病床で読みながら、祖国に何も報いることのできぬ不甲斐ない自分に、かれは涙を流した。 軍務に関して、 かれは、「丙種」という最下位のランクであった。これは、当時にあっては非国民扱いされるものであった。

医師は、かれの母に、あと二、三年の生命であろうと告げた。母はそのこと かれに告げはしなかったが、かれは大体それを察していた。(この時期と、 のちに仕事に失敗した時と、合計三度、かれは自殺をはかった)

死への恐怖をまぎらすために、かれは手あたりしだいに、宗教書や哲学書を むさぼり読んだ。また、人間の運命というものに深い興味を持ち、手に入るか ぎり、運命学の書物を読んだ。

敗戦を病床でむかえたかれは、不思議に、といおうか、幸いに、といおうか、 敗戦の混乱の中で、少しずつ健康を回復していった。もっとも、のんびりと療 養生活などしていられる社会状勢ではなかったのである。飢え死にしないため に、だれもかれも、必死に働かなければならない時代であった。働くといって も、ヤミ商売でもするしかない時代であった。 今の人たちには信じ難いことで あろうが、その頃は、大学教授が、サッカリンや地下足袋を売り歩いていたも のである。

二七歳の時、かれは、酒税法違反という罪を犯し、一年間、刑獄の人となっこのことはかれに強烈な衝撃をあたえた。もちろん、だれだって刑務所に入 ることになったら平気でいられるはずはない。 しかし、かれには、特別な理由 が一つあったのである。

かれは、前に述べたように、療養中、かず多くの運命学の本を読んだ。古代 から東洋に伝わる『易経』をはじめ、西洋の占星術に至るまで、広範に及んだ。 医師の目を盗んで、熱中したものであった。数年のちには、実際に人の運命を 視る力も、かなり高度のものになっていた。自分の運命を視て、自分に「刑獄

あることを知った。刑獄の星とは、刑法にふれて刑務所に入る運命を

示す星である。かれはそれまでの経験で、運命を視る自分の力が高度のもので あり、かつ、非常に正確であることを知っていた。従って、それ以来、かれは

その事について十分に注意していたはずである。もっとも、その反面、自分が刑法にふれるようなバカなことなどぜったいにするはずがない、と信じる気持

があった。しかし、そう信じながら、かれは常にそのことに注意をはらっていた。にもかかわらず、気がついたら、かれは酒税法違反という刑罰を宣告され る身となっていたのである。ピング 対気がついたら”などと、他人ごとのように聞こえるであろうが、それがかれ の実感であった。いいわけのようにとられるであろうが、どこからそうなって しまったのか、グループで仕事をしていたのだったが、最初はだれもそういう つもりではなかったのに、いつのまにかそうなってしまったのである。 ルーズ なかれの性格にも大きな原因があった。 その自分の欠点についても自覚はして いたのだが、大体、欠点とか癖というものは、それが出ている時には、本人は 気のつかぬことが多いのである。あとから気がついて後悔するのだ。 この事で れが痛感したのは、「いくら注意していても、人間の力は運命には勝てない のか」ということであった。「運命というものは、予知していてもそれを変え ることは出来ないのだろうか」ということであった。 残 かれが運命学に興味を持った動機は、最初、人間に運命はあるのかどうか、 という疑問を持ったからであった。 人間の運命は生まれてから死ぬまで決定し

てしまっているのか、決定していないのか、つまり、人生とは偶然なのか、必 然なのかという問題の答を知りたいと思ったのである。運命学はそれにたいし 答を出すだろうと思った。

はじめ、かれは、運命が生まれつき決定してしまっているとは思わなかった。 自分の努力しだいで人生はどのようにでも変えられるものだと思っていた。と ころが結核で入院中) 運命学を研究し、その方法で自分の運命を視たところ、 自分が若くして呼吸器疾患にかかる率が九〇%以上あることを示す星を発見し

て愕然となったのである。それからかれは手あたりしだいに人の運命を視それが一〇〇〇人を越した時点で、やはり人間の運命は生まれつき決定しているのだと信ぜざるを得ぬことになったのである。

そこでかれはこう考えた。

高度の運命学を学んで自分の運命を予知し、それによってすべての不幸な出来事を避け、幸運の道だけを選んで歩んで行ったら、ぜったいに成功し、幸福人生を得られるであろう、と。それはいとも幼稚な考えである。しかし、若くして死に直面するほどの病気になるという不運に遭い、さらにこれからもい くつかの不幸に見舞われるであろうと予測されるかれにとって、これは笑えぬ真剣な考えだったのである。

この考えの一番のポイントは、予知した運命の中から、あらゆる不幸な出来 事を巧みにすり抜けて、幸運だけを見事につかみ取るという大変な能力を、い かにして持つかということであろう。そういう能力をほとんどの人は生まれつ き持っていない。ということは、そのこと自体その人間の運命なのではあるま いか。そういう能力なり素質なりを持ち得たという人は、そのこと自体がすで に運命であって、そういう運命の人は、自分の運命を変えようなどという考え など持つことなく、すばらしい人生を易々と歩んでいくのではなかろうか? つまり、運命を予知してそれを変えたとしたら、その変えたということ自体 はじめから決定されていた運命なのではないのか? だから、論理的に、運命 とは変えられないものなのだということになるのではないか? とすると、運 命を予知するなどということは無駄なことになる。いや、無駄だけではなく、

それはかえって悩みのもとになるだろう。たとえば、明日、死ぬような事故に 遭うと予知したとして、それを防ぐことがぜったいに不可能だとしたら、それ を知った男の苦悩はどんなものであろうか? いや、事故に遭うというような ことであったらまだよい(よいことはないが!)。もしも自分が殺人を犯すと 予告されたら、そしてそれはぜったいに避けることが出来ないと知らされたら いったいどうするか?

かれにはもう一つの悩みがあった。

かれは、「ガンの星」を持っており、四八歳から四九歳にかけて、「天命殺」 という凶運期に発病する恐れがあったのである。現にかれの妹が、二六歳の若 さて、「膵臓ガンで亡くなっていた。彼女の発病直後、医師の診断以前に、 かれは、彼女にガンの星のあることを知って、母に告げていたのである。しかまさか二六歳の若さでガンになるとは考えられなかったので、一〇年後の、

次の「天命殺」がその時期と考え、いずれ三〇歳になったらそれを本人に告げ、

定期検診や食事のとり方など、教えてやろうと思っていたのである。

それが間に合わなかった。そこにもかれは運命の絶対的な力を感じたのであ ったが、その妹と同じ星を、かれは持っているのである。かれは、それを予知 したことにより、これを十分に防ぐことが出来ると考えていたのであるが、も しもそれが出来ないとすると、 かれは、頭をかかえた。

一〇歳代で結核という難病にかかり、二〇歳代で前科を持ち、四〇歳代でガ になって生涯を終わる、ということになったら、一体、おれの人生とは何ん なんだ。そうかれは叫びたかった。

どうあっても、人間は運命に勝つことは出来ないのか?

かつて読んだギリシア悲劇をかれは思い浮かべた。

ソフォクレスの「オイディプス』をはじめ、ギリシア悲劇のテーマは、すべ て、過酷な運命の力とたたかって敗北する人間の宿命の悲劇であった。意 すると、古代の天才たちもおなじことを考え、正しい答を出していたのであ

長い苦悩の末、かれはついに決意した。 運命へ挑戦することにしたのである。 かれは、これからの自分の人生のテーマを、これ一つにしぼることにした。 運命を変える!

たとえ敗北したにせよ、それは壮烈かつ華々しいたたかいになるであろう。 金銭や名声に挑戦して敗北するよりも、それはすくなくともすがすがしい。 そ れにまた、考えてみると、一人の人間の運命を変えることは、人類すべての運 命を変えることであり、人類すべての運命を変えることは世界の歴史を変え ることである。すでに予測されたこれから先のかれのあまりぞっとしない人生 のことを考えると、そこには、壮大きわまりないユメがある。かれは、すでに 前科を持った瞬間から、世俗的な出世とか成功というものを、一切あきらめてしまっていたのである。

運命を変える方法があるとしたら、それは、宗教にしかないであろうとかれは考えた。かれはそれまでにかず多くの宗教書を読んでいたが、いくつかある宗教の中で、仏教にそれがあると思った。仏教の目標は「解」であるが、

 

 

Technology to modify humans

The secret of how to gain understanding

this,

 

“Gumonji Somyoho” Gumonji That’s it.

That’s what it means.

Here is a technological system that will truly produce and truly create superhumans, post-civilization, the spirit animal kingdom, superhumans, and homo excellence.

It is a secret technique that combines ancient esoteric Buddhism, Taoism, and yoga.

He would like to see an example of what kind of power it gives to humans.

Challenge to destiny

There’s a man here.

He was born in 192, so he is 68 years old this year.

He was not born particularly strong or frail, and was in good health on par with the average person. He was neither intelligent nor particularly good at people, nor was he especially stupid. It can be said that he is as intelligent as a normal person.

At the age of five, he received instruction in swordsmanship from his grandfather, who was a samurai, and in the third year of elementary school, he entered the local Kodokan Judo dojo. When he was seventeen years old, he became so enthusiastic about these martial arts that he developed pleurisy. However, he still did not stop practicing martial arts, and the following year he coughed up a lot of blood and developed tuberculosis. He entered a sanitarium, but the extent of his illness at the time can be roughly gauged by the fact that during the Pacific War, which was just around the time that the Pacific War broke out, he never received a draft or conscription order. At that time, even men in their mid-40s were sent to the battlefield.

As he read letters on his sickbed from his classmates, who were going off to war one after another, he shed tears at how worthless he was, unable to give anything back to his homeland. In terms of military service, he held the lowest rank of “Class C”. This was considered unpatriotic at the time.

Doctors told his mother that he likely had two or three years to live. Her mother didn’t tell her boyfriend about it, but he pretty much figured it out. (He attempted suicide three times, during this period and later when he failed in his work.)

To allay his fear of death, he devoured whatever religious and philosophical books he could get his hands on. He also had a deep interest in human destiny and read as many books on fate as he could get his hands on.

He faced the defeat in his hospital bed, but miraculously, or should I say fortunately, amidst the chaos of defeat, he gradually recovered his health. However, the social situation was not one in which he could live a leisurely life of medical treatment. It was a time when everyone had to work hard to avoid starving to death. There was a time when he had no choice but to work or engage in black market business. It may be hard for people today to believe that he was a man, but back then he was a university professor who was peddling saccharin and jikatabi.

At the age of twenty-seven, he committed the crime of violating the Liquor Tax Law and was imprisoned for a year, which had a strong impact on him. Of course, no one can stay calm if they end up in prison. However, he had one special reason.

During his recuperation, he read many books on fate, as mentioned above. It covers a wide range of subjects, from the I Ching, which has been passed down to the East since ancient times, to astrology in the West. I was so passionate about it that I didn’t notice the doctor. After a few years, his ability to actually see people’s fate had become quite advanced. Look at your own fate and say to yourself, “Prison.”

I learned something. The Prison Star is a symbol of one’s destiny of going to prison by violating the criminal law.

It is a star that indicates He knew from his previous experience that his power to see destiny was both highly advanced and extremely accurate. Therefore, since then he

He should have been careful about that. However, on the other hand, he believes that he would never do something stupid that would bring him into violation of the criminal law.

was there. However, even though he believed this, he was always careful about it. Nevertheless, before he knew it, he had been sentenced to prison for violating the Liquor Tax Law and was on his way. It may sound like someone else is talking about it, but that’s how he really felt.It may be taken as a good excuse, but I don’t know where it came from. At first, no one had intended it to be that way, but before they knew it, it had become what it was.Luz’s personality was also a major cause.He was not aware of his own shortcomings. However, in most cases, people are not aware of their flaws or habits when they appear.They only realize it later and regret it.This made me keenly aware. The question was, “No matter how careful we are, human strength cannot overcome fate.” The question was, “Even if we have predicted fate, is it still possible for us to change it?” The reason he became interested in fate was that he initially wondered whether humans had a destiny. A person’s fate is determined from birth to death.

He wanted to know the answer to the question of whether he is determined or undecided; in other words, is life a coincidence or a necessity? I thought fate science would provide an answer to that question.

At first he did not believe that his destiny was determined by birth. He believed that his life could change in any way depending on his efforts. (He was hospitalized with tuberculosis when he was younger) He studied fate, and when he used that method to view his own destiny, he discovered a star that showed that he had a 90% or more chance of contracting a respiratory disease at a young age. discovered

He was shocked. From then on, he began to see the fates of people at random, and when he saw more than 1,000 people, he was forced to believe that the fate of each person was determined by birth. be.

So he thought this way.

If you study advanced fate and predict your own destiny, thereby avoiding all unfortunate events and choosing only the path of good fortune, you will definitely succeed and live a happy life. and. That is a very childish idea. However, for someone who had the misfortune of falling ill at a young age and who was predicted to have many more misfortunes in the future, this was a ridiculously serious thought.

The main point of this idea is that he has the extraordinary ability to deftly bypass all kinds of unfortunate events and seize only the lucky ones out of the predicted fate. Probably. Most people are not born with such abilities. So, that in itself is the fate of that person, so what about him? People who have such abilities and qualities are already destined to live a wonderful life without thinking of changing their fate. In other words, if you predict your fate and change it, isn’t that change itself a fate that was determined from the beginning?So, logically, fate is different from fate. Doesn’t this mean that it is impossible to predict one’s fate? In that case, it would be pointless to try to predict one’s fate. No, it’s not just wasteful,

That would be a source of trouble. For example, if a man predicted that he was going to have a fatal accident tomorrow, but it was absolutely impossible to prevent it, what would be the agony he would feel if he knew that? It would be better if it was about him (though it’s not a good thing!). What would he do if he was told that he was going to commit murder, and that it was completely inevitable?

He had another problem.

He had the “Star of Cancer” and was at risk of developing the disease during the bad luck period of “Death’s Death” from the age of 48 to 49. In fact, his younger sister had died of pancreatic cancer at the young age of twenty-six. Immediately after her onset of the disease, and before the doctor’s diagnosis, he learned that she had cancer and told his mother. However, I never thought that I would get cancer at the young age of 26, so 10 years later,

Thinking that the next “Death of Destiny” will be the time, I will tell him about it when I turn 30.

He wanted to teach her about things like regular check-ups and how to eat.

It didn’t arrive in time. He went there because he felt the absolute power of destiny, and he has the same star as his sister. He thought that he could sufficiently prevent this by foreknowing it, but if he could not, he was puzzled.

If I were to contract an incurable disease called tuberculosis in my 10s, have a criminal record in my 20s, and end my life by becoming a moth in my 40s, what would my life be like? What is he? He wanted to scream.

No matter what happens, can humans never win against fate?

He thought of a Greek tragedy he had read.

The theme of all Greek tragedies, including Sophocles’ Oedipus, was the tragedy of the fate of humans who struggle against the harsh forces of fate and are defeated. I thought about it and came up with the correct answer.

After a long struggle, he finally made up his mind. He decided to challenge fate. He decided to narrow down the theme of his life from now on to this one thing. Change your destiny!

Even if we lose, it will be a fierce and spectacular struggle. It’s at least more refreshing than trying for money or fame and losing. Also, if you think about it, changing the fate of one person means changing the fate of all humankind, and changing the fate of all humankind means changing the history of the world. When I think about the not-so-horrible life he will have in the future, which has already been predicted, there is a dream of the utmost grandeur. From the moment he had a criminal record, he had given up all hope of worldly advancement or success.

He thought that if there was a way to change one’s destiny, it would be through religion. He had read many religious books up until then, and among the several religions he thought Buddhism had it. The goal of Buddhism is “solution”, but

大日如来 すべての生き物の根本となる仏

大日如来

すべての生き物の根本となる仏

 

 

大日如来(だいにちにょらい)とは?

大日とは「大いなる日輪」という意味です。太陽を司る毘盧舎那如来がさらに進化した仏です。密教では大日如来は宇宙の真理を現し、宇宙そのものを指します。また、すべての命あるものは大日如来から生まれたとされ、釈迦如来も含めて他の仏は大日如来の化身と考えられています。

 

大日如来には悟りを得る為に必要な智慧を象徴する金剛界大日如来と、無限の慈悲の広がりを象徴する胎蔵界大日如来という2つの異なる捉え方があります。金剛とはダイヤモンドのことを指し、智慧がとても堅く絶対に傷がつくことがないことを意味しています。また、胎蔵とは母親の母胎のようにすべての森羅万象が大日如来の中に包み込まれている様を意味しています。この2つが揃って大日如来を本尊とする密教の世界観が出来上がるのです。

ご利益

現世安穏、所願成就。また、未・申年生まれ守り本尊です。

大日如来(だいにちにょらい)の像容

本来、如来は出家後の釈迦の姿をモデルとしているため装飾品は身に付けていませんが、大日如来だけは別格で豪華な装飾品や宝冠を付けています。また、螺髪(らほつ)ではなく、髪を結い上げています。

 

金剛界、胎蔵界の姿でそれぞれ印の形が違います。金剛界の大日如来は、左手の人差し指を立て、その人差し指を右手で包みこむ智拳印の印相をしています。一方、胎蔵界の大日如来は、腹の前で両手の全指を伸ばして組み合わせる定印です。

勢至菩薩 偉大な智慧の光を持つ菩薩

勢至菩薩(せいしぼさつ)、梵名マハースターマプラープタ (महास्थामप्राप्त [mahāsthāmaprāpta])は、仏教における菩薩の一尊。「大勢至菩薩」、「大精進菩薩」、「得大勢菩薩」の別名がある。現在日本では年の守り本尊、十三仏一周忌本尊として知られている。三昧耶形は未敷蓮華(ハスの蕾)。種子(種子字)はサク(सः saḥ)。

 

 

勢至菩薩

偉大な智慧の光を持つ菩薩

勢至菩薩(せいしぼさつ)とは?

正しくは大勢至菩薩といいます。智慧の光ですべてのものを照らし、人々を迷いや苦しみから救うとされています。大勢至菩薩と表記されることもあります。智慧とは物事のあり方を正しく見極める力・判断力を意味します。

 

阿弥陀如来の右脇侍として観音菩薩と共に三尊で表され、独尊で祀られることはほとんどありません。

 

浄土信仰の高まりとともに流行する来迎形式の阿弥陀三尊の場合、観音菩薩が死者の霊をのせる蓮台を持ち、勢至菩薩が合掌をする姿でつくられます。その姿勢は、立像・坐像のほかにひざまずいた姿の跪像もみられます。

ご利益

智慧明瞭、家内安全、除災招福のご利益があるとされています。午年の人々を守る守護本尊であり、午年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるともいわれています。

勢至菩薩(せいしぼさつ)の像容

手を合わせているか水が入っている水瓶(すいびょう)を持っている姿が一般的です。

 駄如求聞持明法 memorization ability and intelligent system

ヒトを天才にする求聞持聡明法

 

駄如求聞持明法 memorization ability and intelligent system

ヒトを天才にする求聞持聡明法
求間持聡明法は、ヒトを聡明にし、天才にするという真言密教に伝わる秘法である。
弘法大師空海が、若くしてこれを修し、大天才となったということで、夙に知られてい
る。また、新義真言宗の開祖、興教大師覚鏝(一〇九五1一一四二)が、七度、この法を
修して成功せず、八度目に悉地を成じ、成功したと伝えられる。覚鏝上人ののこされた業
績をみれば、上人もまた天才でめったことは疑いない。ただ残念なことに、四十八歳で亡
くりれている。
真言密教の求聞持聡明法には、三種の法がある。
虚空蔵求聞持
観音求聞持
如意輪求聞持
であるが、ふつう、求間持法といえば、空海が修して有名な虚空蔵求間持をさす。この
つぶさ    ぶつせつこくうぞうほさつのうまんしよがんさいしようしんだら・にぐもんじほう
法を、具には「仏説虚空蔵菩薩能満諸願最勝心陀羅尼求聞持法」という。
しかし、わたくしがこのたびこの本で発表する求聞持聡明法は、これらのいずれでもない。わたくしが独白に創成した求聞持法で、わたくしはこれに、だとによい
駄都如意求聞持聡明法と名づけた。
この駄都如意求聞持聡明法は、真言密教につたわる求聞持法とはまったくちがうものである。
二つの特徴がある。
それは、
一、クンダリニー・ヨーガのチャクラを覚醒して、超人的千不ルギーを発生させる。
二、その超人的干1 ルギーを、中国・道教につたわる導引・気功の持つ生気ルートに
のせて、体の各要所、要部にめぐらせ、行きわたらせる。殊に、大脳の中枢である間脳・視床下部に送りこむ。
この二つの方法を、独特の方法で完成したのである。これは、前人未踏の領域であるといってよいであろう。わたくしは、半生を、というより、一生をこの法の完成に注いだ。いまから約二〇年前に発行した『変身の原理』以来、わたくしの著書はこの本で四〇冊になるが、それらの著書のすべてが、この法の完成に至る道のりをあらわしたものであるといってよい。
わたくしは、この本で、わたくしの得たほとんどのものを、出来るかぎり、明らかにした。クンダリュー・ヨーガも、道教の導引・気功も、いずれも超人的能力を獲得するための
最高の法である。この世界にこれ以上の超能力開発法ぱない。この二つの法の欠陥を補正して融合させ、さらにあらたな創案をくわえて完成したこの駄都如意求聞持聡明法は、ヒ
トにおける究極の超能力開発法であると自負するのである。
もちろん、。後世おそる、べし”という諺の通り、今後、これ以上の超能力開発法も出るかも知れないが、しかし、それも、クンダリュー・ヨーガと導引・気功を融合させたこの駄
都如意求間持聡明法のライン以外のものではないであろうと確信している。
この法を、指導通りに修行するならば、確実に、ヒトの知能は二倍に、体力は三倍に飛躍強化されるであろうことを断言する。

天才は不老長寿でなければならない

求聞持聡明法は、たしかにヒトを天才にする。
しかし、いくら天才になっても、そのために、病弱になったり、若死にしたりしたのでは、なんにもならない。天才は、いつまでも若々しく、健康で、世のため、人のため、その才能を発揮するもの
でなくてはならない。(寝たっきりの天才など、まっぴらである)
求聞持聡明法修得をこころざしたわたくしは、つねに、四十八歳という惜しむべき短命に終わった興教大師党員上人が念頭にあった。上人は、おそらく、過酷な求間持法修行のため、法は成就したものの、体を痛め、寿命を損じたのにちがいなかった。
このことは、年少、結核を病んで何年も病床に伏した苦しい経験を持つわたくしにとり、その恐れの念が特に深刻であった。
しかし、この憂慮は、幸いにして杷憂におわった。
道教の導引・気功の秘法をとり入れたことが、この心配を吹きとばしてくれたのである。
すなわち、道教の導引・気功は、仙道の流れを汲むものである。そして仙道の理想は、不老長寿、生きながら神仙に化することを目標とする。
駄都如意求聞持聡明法は、特に不老長寿を目ざすものではなかったのだが、結果はそうなってしまったのである。
期せずして、仙道の理想が実現されることになったのだ。
神仙に化することだけはちょっとむずかしいが、不老長寿はかならず達成される。 わたくしぱ断言してよい。仙選の秘法がとり入れられているこの駄都如意求聞持聡明法
は、二十歳代の人ならば、三歳から五歳、中年以上の人ならば、十歳から十五歳、若返ることができるであろう。

あなたが高年者として修行に入り、年齢のために天才になれなかったとしても、いつまでも若々しい肉体と、そして決してボヶることのない求聞持脳だけは獲得できるであろう。
『求聞持聡明法秘伝』平河出版社刊。まえがき”より

「等価変換展開理論」

そんなことがほんとうにできるのか? いったいどうやってそんなことができるのだ、と。
それもたしかにもっともなことで、私自身、身をもってこの密教の秘密に挑戦し、自分でこの
技術を解明するまでは、ぜったいに信ずることができなかった。私は単身、五〇〇〇年の間秘密
のヴェールにつっまれてきたこの不思議な技術にいどみ、その秘密を解いた。それは、信ずるこ
とのできないほど精緻微妙な生化学に立脚したおどろくべき技術の応用であった。
たとえば、
さきにもちょっとふれたが、市川亀久弥博士は、最近の著作のなかマ(≒柚計器)お得意の
「等価変換展開理論」にもとづき、イモ虫からサナギヘの変化を例にして未来社会への脱皮を説
いておられる。この理論はまことにみごとで、まさにほれぼれするほどあざやかである。こと
に、イモ虫がサナギに変身する理論的うらづけは、近来しきりに輩出する未来論のなかで、まさ
に出 色のものであるというべきである。
ただ、まことに残念なことに、それは理論と説明と期待にとどまり、それをいかにヒトに応用
して実現させるかという方法を示していない。それは、もちろん、氏自身、同書のはしがきのな
かで、これは、″単に人類のあるべき未来社会に関するソフトーウェアの主張の範囲にとどまる
ものである”とことわり、この。ソフトーウェアに対するハードーウェアの具体的な提唱″は
″旺い将七に公長する~定である″ということであるから、われわれはまさに刮目してそれを待、ぐに、その″ソフトーウにアに対するハード・
ウェアの具体的な技術″を持っているのである。密教は、その持つ技術のひとつに、この市川理
論の「イモ虫からサナギヘの脱皮」技術を持っていて、数千年も前から、それをヒトの変身技術
に応用、実践していたのである。
密教は、現代の創造理論の大家が提唱する未来に関する花形理論を、とうに実践していたので
ある。五〇〇〇年も前にI。
地を這いまわることしか知らぬ生物であるイモ虫が、サナギになり、そして、空を舞う生物に
変身することは、二次元の世界に生きる生物が三次元生物に変化したことを意味するものだ。密
教がおなじ技術をもってヒトを変身させることは、三次元生物であるヒトをそれより上の次元に
飛躍させることを意味する。密教の変身技術はそれなのである。その生物の次元を変えてしまう
のだ。
しかも、それは、今までいわれてきたように、ただ神秘的、神がかり的なアイマイな方法でな
く、適確な生化学の技術をもっておこなうのだ。そうしてそれは密教の持ついくつかの技術のな
かのひとつに過ぎない。
いったい、どんな智恵がそれをなしとげていたというのであろうか? 密教の技術を神秘とい
うのなら、その点をこそ神秘というべきだろう。しかし、それは、それこそまさに数千年生え出
現した超・ヒトが、孤独にたえつつ、その持つ人類最高の智恵「照明智」を駆使してつくり上げ
た未来人のためのカリキュラムにほかならぬのだというよりはかないであろう。

さて、それでは、密教の技術に関係のある市川理論「等価変換展開理論」とはどんな理論か?
それがどのように密教の技術と関連があるのか?
それを説くまえに、もう少し知っておいていただかねばならぬことがある。
ここで、私は、密教とヨーガという二つのことばについて述べておかねばならぬと思うのだ。
拙著「変身の原理」で、私は、密教についてっぎのように述べた。少し長いが引用してみる。
『真言宗という宗派仏教と、密教すなわち秘密仏教とは、ふかいつながりかおる。だが、それは
どこまでもふかいつながりという関係であって、普通考えられているように、密教即真言宗、真
言宗即密教というものではないのである。
真言宗とは、インドにおいて発生し、大成した密教を、ああいう独白の形に体系化し、組織化
したものであって、密教そのものではないのである。密教のひとつの体系ではあるけれども、密
教そのものではない。
それは、それまでにほぼ完成していたけれども、分派し、多様化していたインド密教を日本密
教の開祖空海が、独自の見識と叡智によって、ひとつの体系につくりあげたということである。
おなじように、天台宗においても、天台密教というひとつの密教体系を組織完成しており、こ
れもまた、密教のひとつの流れということである。
そういうわけで、密教というものを正しく理解するためには、どうしても、]度、密教の原点
に立ちもどって考えてみなければならないのである。
密教は、最初、ひとつの手法(技術)であった。
けっして、最初から密教というひとつの宗教があったわけではない。
ゴータマーブッダがあらわれて、仏教というあたらしい教えを説きはじめるはるか以前、バラ
モンの時代から、インドには、入に超能力をあたえるひとつの手法があった。そういう手法が完
成されて、一部の人たちの間につたえられていた。それは、精神と肉体のきびしい錬磨から得ら
れる神秘的な力で、彼らは、それを、ひとつの技術にまでっくりあげていた。
われわれは、その流れのひとつを、現在、ヨーガのなかに見ることができる。(ただしそれは、
いまの日本で行なわれているアクロバティックな体操のヨーガではない。ヒマラヤの奥地の聖者
たちの間に伝承されている正統ヨーガである)
ヨーガは、その手法のひとつの流れである。この超能力を開発する技術は、仏教があらわれる
以前においてはバラモンにとり入れられ、仏教があらわれると、仏教もまたこれをとり入れた。
ゴータマーブッダは、かれ自身、この手法をまなんで、これにより超能力を持ったが、弟子た
ちにはこれを学ぶことを禁じた。なぜかというと、この技法によって多少の力がつくと、かれら
はすぐにそれがブッダのいう「ホトケ」という境地に達したものと考えてしまい、修行のさまた

げになるからであった。
ただし一部の、素質のきわめてすぐれた弟子たちには、ひそかにこれを許した。
ゴータマーブッダは、普通、神秘的な力を信じたり、修行者がそういう力を持つことを願った
りするのを全く禁じたというように、仏教学者や仏教者は信じているようであるが、それは間違
いで、ブッダ自身、神足({乱石の教理、すなわち、仏道を完全に成就するためには超自然的な
力が必要であるとし、超人間的な能力開発の訓練法を説いているのである。これは、パーリ文献
によって容易に証明することができるのである。(略)
それによると、それは、″四神足“または、″四如意足″ともいわれる超能力開発法である。
ブッダは、菩提を成就するためには、単に、知性や理性をみがくだけでは不十分であると考
え、知性や理性の限界をうち破る力が必要であると考えた。
そのために、彼は、そういう力を開発するための行法をつくりあげた。それは、彼が学んだ超
能力開発法を加えて編成したものと見てよいであろう。
それは、三十七種の技法から成り立つもので、四神足というのは、その中心になる技術であ
る。神通、如意を得るための定を、四種類の手法に分けて説明している。
欲神足(願望、理想、創造のためのアプローチ)
勤神足(体と心のトレーニング法)
心神足(潜在意識のトレーニング法)
観神足(深層意識のトレーニング法)
きづまりを打破するために、大乗仏教のなかにとり入れられて体系化され、密教と呼ばれになったのである。いうわけで、密教は二つの面を持っている。
一つは、超能力の開発技術
一つは、大乗仏教の教義
この二つである。
この二つのものがむすばれることにより、大乗仏教よりさらに高度の教義が完成されて、「金
剛大乗」と呼ばれる新しい仏教が誕生した。これが密教である』
-との引用の文章でわかるように、「変身の原理Lにおいて語られている「密教」というコ
トバは、「秘密仏教」という意味での「密教」である。仏教のなかにとり入れられた、いわゆる
真言密教、あるいは真言宗密教の密教である。
しかし、本書において私がいう「密教」は、それらの密教、「変身の原理」のなかで使われて
いる密教とは全くちがうものであることを、読者はご承知ありたいのである。

本書における「密教」とは、真言密教以前、いうならば仏教にとり入れられる以前の、いや、
バラモンにさえもとり入れられる以前の、引用文でいえば4  R教は最初、ひとつの手法(技術)であった。ゴータマーブッダがあらわれて、仏教というあたらしい教えを説きはじめるはる
か以前、バラモン時代から、インドには、入に超能力をあたえるひとつの手法があった。そういう手法が完成されて、一部の人たちの間につたえられていた。それは、精神と肉体のきびしい錬磨から得られる神秘的な力で、彼らは、それを、ひとつの技術にまでっくりあげていた。と
あるその「技術」、つまり、いうならば、″古代マーガ″と″真言密教″と、この二つを結合したものであると承知していただきたいのである。即ち本書でいう密教とは、ヨーガと真言密教と、
この二つをむすびつけて生まれた新しい技術であるということである。
なぜ、そういうことをしなければならなかったのか、というその理由を語ることはそのまま、密教の法を解説することにもなるので、読者はここのところをよく知っておいていただきたいのである。
引用文のなかにしるされているごとく、行きづまった大乗仏教は、ヨーガの技術にその打開の道を求めた。さきの頃で述べたごとく、精神の高度の飛躍は、その前提に、感覚器官の高度の増幅がなければならぬ。しかし、大乗仏教には教えだけあって、なんの技術もない。大乗仏教という教えであり、教えをあきらかにするだけのもので、技術というべきものはなんにもない。つい
に行きづまることは当然であり、やがてヨーガの技術に救いをもとめるのはさらに当然というべ
きことであった。
かくして、金剛大乗、真言密教が生まれた。ヨーガには、さきにあげた通り、ジョルジューオリヴィエ教授の表現を借りていえば、五つの能力開発技術がある。それは、①第四次元の理解、合複雑な全体をとっさに把握する能力、③第六感の獲得、④無限に発展した道徳意識、⑤とくに
われわれの悟性には不可解な精神的特質、というものであるが、これらの能力開発の技術は、それがそのまま大乗仏教にとり入れられたわけではない。おのずから、ひとつの偏向傾斜があった。
それは当然のことで、大乗仏教の指導者たちは、この技術を彼らの信奉する仏教教義とその目的に沿って取り入れた。一般的でないと思われる技術は捨てられ、あるいはごく一部の指導者にだけつたえられ、あるいは変形された。こうして秘密仏教というあたらしい教義と体系が完成した。しかし、多くのすぐれた開発技術は、この仏教教義を完成させるための補助的技術に変容さ
せられてしまった。あるいは形骸だけがとどめられた。これが、秘密仏教の「行法」であった。
これを究極的に完成したのは、日本密教、すなわち真言宗の開祖空海であった。秘密仏教がインドから中国につたえられ、そのころ中国にわたった空海がそれに接した時点において、秘密仏教はまだ完全にはできあかっていなかった。その混沌たる素材を取捨選択して、これをいま見る
真言宗というかたちにまとめ上げ、整然たる宗教にしたのは空海であった。それはまさに大天才のみがなしとげることのできる偉業であったが、同時に、秘密仏教はあまりにも整然と様式化された日本的なものになってしまった。それまでかなり残っていた密教的な部分はほとんどかげにかくれ、一-法」は、様式化された宗教儀式になってしまった。
しかし、それは、当時の目本の国情や、文化水準を背景にしたとき、やむを得ないことであったのである。というよりもむしろ当然であったというべきだろう。そうしなければ宗教として存
立することができなかったのである。
だが、そのために、いまいった通り「法」はその力を失った。宗教的に様式化され、儀式化されてしまった「法」では、真の能力開発は困難である。というよりもそれは絶望に近い しかし、それはそれでいいのだ。真言密教というものが、宗教であって能力関発の技術ではな
く、仏教という信仰のワクのなかで教えを説き礼拝をつづけているだけでよいなら、それはそれでいいだろう。それに、ほとんど儀式化された「法」であっても、天分のある才能が懸命の努力を集中するなら、「法」の成就も不可能ではない。やってやれないことはないのである。けれども、それは何世紀にひとりというような稀有の才能を必要とするのではないのか。そういうすぐれた頭脳によれば、様式化された法のあとをたどって、ついにその源泉に到達し、そのなかに秘められた法の技術を発見し、体得することもできよう。あるいはまた、頭脳ではなく、熱烈な信仰が、そこへ導いていってくれることもあるかも知れぬ。だが、それは、万人に期待できることではない。
要するに、真言密教成立の当時と全く時代が変ってしまった現在、真言密教が、他の宗教と根本的にちがうその本来の任務をほんとうに果たそうと思うならば、真言密教は大吝く変わらねばならぬ。真言密教はナみやかにその原点に立ちもどり、「法」を技術としてシステム化しなければならぬ。そうして、だれでもが平易にまなべる体系を編成ナることである。
それは決して「法」を解体し、「法」を壊滅してしまうことではない。むしろ、そうすることによって法が生きるのである。また、それは決して宗教の解体ではない。
法によって高い知的能力を得たならば、人はおのずから高い道徳意識、倫理観を持つものである。

人が宗教的教えを必要とナるのは、知的能力が低いからである。要するに、愚かだからである。人の道徳意識が低いのは、知能、精神能力が低いからだ。ほんとうに知能が高くなれば、人は、いま人類の持っている程度の宗教意識などけるかに超えたもっと高い倫理観を持つ。オリヴイエ教授のいう「無限に発展した道徳意識の保有」である。
教え(宗教)による人類の道徳意識の開発は、すでに限界に達してしまっている。
見よ。

地上にあまねくくりひろげられている人類のこの大愚行を。殺し合い、奪い合い、罵り合い。
どこに「知恵あるヒト」のおもかげがあるか? 「大愚人類」そのものではないか?
要するに、バカにいくら結構な教えを説いてもだめなのだということだ。
もっと忌憚なくいわしてもらうならば、(これは私がいうのではない。みんな密教の神サマが
おっしやるのであります)ちっとましなバカが、しょうのないバカに一心に教えを説いているというのが、いまの宗教のすがたというものではないのか?
宗教だけではない。科学と技術だってそうではないか。見さかいなくいい気になっていろんなものをつくり出し、あとで公害だ有害物質だと困っている。こういうおろかなことは、もう少し人類の知能が高くなったら、そんなバカなことはたのまれなくともしなくなる。要するに知能が低いからだ。
政治も、経済、思想も、みんなそうだと、あなたは真実思わないか?
要するに、すべて、″ヒトの知能が低い″ことに原因があるのである。
この世界を住みよく、たのしいものにするのには、革命ごっこよりもなによりもまず、ヒトの知能を高めることだ。そう、あなたは思わないか?
さて、話をもとにもどそう。
教えの限界とはヒトの知能の限界だ。
密教はその限界をうち破るのである。
技術によって超能力をあたえ、いっきょにヒトを改造して、宗教などという低い次元をいっぺんに飛び越し、想像を絶する叡智を持った、高い倫理的生物をつくり出そうというのだ。
それが、密教だ。
求闘持法《明星》の秘密

私はこのことを念力の護摩の修得に際してさとった。
先年、私は、念力の護摩法の伝授を受け、悉地成就の修行に入った。けれども、その行法の次
第を、何十ぺん何百。へんくり返しても、念力の火は出なかった。煙さえたちのぼる気配はなかっ
た。私かそのままその法の次第を忠実にくりかえしていたら、永久に念力の火は出なかったであ
ろう。出るはずがないのである。念力の護摩法の次第を、いくらくりかえしたって火は出ない。
そんなことで出るのだったら、今日までに、何百人、何千人の阿闇梨が念力の護摩を焚いていた
だろう。真言密教の念力の護摩法だけでは、ぜったいに火は出ない、それは、密教の技術によっ
て、サマーナ気を克服したとき(274頁参照)、はじめて肉体から火焔を発することができ、念力の
護摩は完成するのである。絶望した私は真言密教をはなれ、身を転じて古代インドの秘密経典に
むかった。
私はそこでインドの聖典、バガヴァットーギータを続み、そこに念力の護摩の秘法がかたられ
ていることを知った(口絵写真参照)。そこから、ギータと不二の関係にあるヨーガに入った。ヨ
ーガに本当の念力の護摩があることを知った。ヨーガにおける私のいのちがけの修行がはじまっ
た。ヨーガの技術でなければ念力の火は出ないことがわかったからである。真言密教の念力の護摩法次第は、ほんの心おぼえ程度のものに過ぎず、これでは、だれがどうしたって火の出るはずがなかった。いや、この肉体が火となるための「法」としては心おぼえ程度のものですらなく、むしろ、バガヴァツトーギータの聖句のほうが、はるかに示唆に富んでいるといえた。ヨーガの念力の護摩は、ただ単なる観想の羅列ではなく、どの生理器官をどのように統御しどのように動かすという現実的具体的な「技術」があった。この技術によってトレーニングすれば、多少なりと素質のある者だったら、必死の修行によって念力の火を出すことは不可能ではない。真言密教の念力護摩法次第だけでは、大天才といえども不可能にちかい難事である。この秘密を知らずして、古来、いく人の密教修行者が、念力の護摩の次第と秘伝を前に、血と汗の絶望をくりかえしたことであったろう。思えばツミな″次第″である。
これと全くおなじことが、真言密教につたえる「求聞持聡明法」についてもいうことができる。求闘持とは、古書に、『見聞覚知のことを憶持して長く忘れず、師なくして天地の感応を待つ、これを″求″といい、教なくして真如妙理を覚る。これを″聞″といい、一度覚るとながく忘れない、
これを″持″という』とあるように、求闘持法とは、ヒトの大脳を強化して、博覧強
卸、比類なき記憶力と聡明さをあたえる秘法であるが、これをなん十。へんなん百ぺん行法の次第通りに修行したところで、その結果は、おそらく念力の護摩とたいしてかわらない結果におわるであろう。生命を賭して修法すれば、多少の効果はあろうが、宗祖が体験を以て示したような霊験を得ることはまず難い。なぜならば、真言密教の「虚空蔵菩薩求聞持法」には印信観想による
精神集中の「法」はあるけれども、現実に生理器官である大脳皮質そのものを動かす「技術」を持っていないのである。ヨーガの「聡明法」は、どの器官をどう使ってどのように大脳皮質を動かすかという「技術」がある。また、それだけではない。根本的にちがうものがあるのである。
’それは、まったく根本的にちがう。
拙著「変身の原理」で求闘持聡明法についてかたって以来、私は、十指を越える真言僧侶、阿閉梨がたから、手紙あるいは直接、この法の修行について相談をうけた。そのほとんどは、自分も一度ないし数度にわたって求聞持法を修したが、いっさい効験がみられなかった。修法の行じかた、あるいは心構えに越法のところがあったのであろうかというのであった。また、何度か修してみて、あの行法にそんな神秘的な力がひそんでいようとは思われぬというものがあった。なかにはお気の毒にも健康を害してしまって、再起不能になったと訴えてきた阿閉梨もおられた。
お気の毒であるが、当然なのである。
真言密教の阿開梨がたが、いくら求闘持法をくりかえしても、成就できないのは当然なのである。もちろん、絶対に、とはいわない。万人に秀いでる天才、英才であったら、その極に達することができるかも知れぬ。しかしまず、不可能にちかいというべきだろう。
私か発見した密教の「求闘持法」でなければ、まず不可能にちかいといってよいであろう。こ
の法については章をあらためてくわしく書くが、ここで、求聞持法の秘密の一端を明かそう。まず、最初、真言密教の求聞持法を述べてみる。
『比の法を修するには、東南西三方の晴れたるところを最上とする。東方のみでも悪くはない。

道場の東壁に小窓をつくる。これは虚空蔵の似沢である明星の光を道場にさし入れるためである。また、朝日夕月の光を本尊にあてる意もあり、あるいは小窓に絹を張り、黄色の種字の字を書いて、そこから、明星の光をとおして本尊にあてるためでもある』
とまず場所を制定し、つぎに、さだめられた本尊の印明を百万べん、五十目あるいは百日に読誦するのであるが、日蝕または月蝕の時に結願するよう開白(はじめること)しなければならぬとある。
けれども、密教の求聞持法では、べつに場所はえらばぬのである。静かな場所でありさえすればよい。また、いつはじめてもよいのである。明星を拝するのも、行のはじめに際して、あるひととき、星と月に対すればよいのである。
また、これこそが密教のもっとも奥義とするところなのだが、弘法大師空海は、求聞持法の成就の体験を、
『―阿国大滝の岳にのぼりよじ、土州室戸の崎に勤念ナ。谷響を惜しまず、明星来影す。
言々』
と語っている。すなわち、阿波の大滝にのぼり、土佐の室戸岬でこの法の修行にはげんだところ、谷はこだまし、明星があらわれるなど、法にいわれている通り現証があり、法が成就した、
というのであるが、これは、空海のひとつの表現であって、これをそのまま鵜呑みにしてしまうからいけないのである。これはどこまでもひとつの表現なのだ。
伝にいわく、
『明星来影す、とは、結願のときに、香に火を置き、明星を拝するに、四方が暗く明星が見えねば悉地就成ではない。暗くても星が現ずれば下品の成就であり、四方が少々晴れて星が現ずれば中品、天に暗なく、ことごとく晴れて星現ずれば成就、四方が晴れても星現ぜざれば悉地成せざるなり』
とあるが、これがちがうのである。まるっきりちがう。
こういう口伝や奥伝をたよりにいくら修行しても、気の毒だが、求聞持法は成就しない。
明星とは現実の明星ではないのである。
大脳のある部分をある方法で刺激すると、目の前に光が見えるのである。
その光は、かたちも色も大きさも、いろいろに見えるが、意識を記憶の座に向けて沈静させる
と、つめたい、やや黄色みを帯びた白銀色になって、しずかに目のなかでまたたく。それはちょうど明星そっくりに見えるのである。
これが明星なのだ!
268頁をもう一度、読みかえしていただこう。
″頭のかかの光明に日を向けるならば″
とある。これがそれなのである。
ある特殊なトレーニングにより、この部位(大脳の視床下部のあたり)の刺激が、目のなかに光を浮かばせるのである。目をある角度に向けると、目を開けていても閉じていても、ポッカリと光が浮かんで見える。
この光が見えるようになると、記憶の座が自由にあやっれるようになるばかりでなく、さまざまな、奇蹟としか思えぬような力がついてくる。
これが、「求聞持法」の明星の秘密である。大空を百年ながめて空中の明星を見つめていても、ムダだ。明星はわが大脳のなかにあるのだからI。
このことは、密教五〇〇〇年の歴史に、私がはじめてっかんだ秘密である。私以外にこれを知る者はついになかった。求闘持法の秘密を私はついにつかんだ。私はそれを誇りに思う。
これをもとにして、私は、私の「求闘持聡明法」を編成した。これは、今までの「法」などというアイマイなものではない。生化学と生理学をもとにした「技術」である。正しい指導のもとに訓練を積めば、必ず、だれでもできるようになる技術である。
本来ならば、こういうことは私の、「太極秘伝」として、ごくかぎられた者だけにひそかにつたえてゆくべきものなのだろう。だが、私はこれをひろく公開する。なぜならば、私は、世界中の人びとがこの法によって知能を高め、いっさいの愚行-殺し合い、奪い合い、罵り合い、にくみ合いから遠ざかってほしいのである。
求聞持聡明法は、人の知能を三倍にナる。
しかし、その半分でもよい。人類の知能が今の水準より平均一・五倍飛躍したら、この世
から、犯罪も戦争もいっさいなくなる。そういうものがあるのは、人間が愚かだからだ。求闘持法によって知能指数が倍加したら、そういうものがいかに愚かで馬鹿々々しいことか、大人が子
供のヶンカが馬鹿々々しくて見ていられないように、いっさい、しなくなる。
私や、私の周囲のごく一部の者が、この法によっていくら賢くなろうとも、それがなにになろう。世界の大勢にどれはどの影響があろう。よしんば、私か、この法によって、古今無比の大聖者と仰がれるほどの力を持とうとも、世界のどこかで、権力を握っている馬鹿が、核バクダンのボタンをひとつ押したら、それっきりなのである。世界中はふっ飛んでしまう、古今無比の大聖
者もいっしよに!
まあ、古今無比の大聖者ともなれば、事前にそれくらい察知して、安全な所に待避してしまうであろうが、世界中が壊滅して、助かった者も核の灰に汚染されて半死半生ばかりという世のなかに、自分とごく少数の一族だけが生き残ってなにになろう。ノアの方舟の時とは状況が全くちがうのである。
このままでゆけば、核戦争がはじまるのはぜったい確実である。私にははっきりそれがわかる。この大愚行だけはやめさせなければならぬ。
革命よりも、階級闘争よりも、人種闘争よりも、なによりも、いま、人類に必要なのはこれだ。これが根本的に人類を救う道だ、とそう私は思う。ヒトの知能が二倍になったら、いま、人類がかかえているあらゆる問題はすべて解決してしまう。そう、あなたも思わないか?
私か、この求聞持法を惜しげもなく公開し、ひとりでも多く、一目でも早く、修得してほしいとねがうのは、そのためなのだ。
さて、はなしが少々よこにそれたが、この大脳の部位のことは、インドのヨーガの指導者も知っており、ヨーガのほうでは、この部位のことを、
「頭のなかの光座の座」
とか、
「梵の座、梵の裂け目」(brahma randhro
とか、
「サハスララーチャクラ」
と名づけ、頭の中の光明がかがやいている部分であると考えている。しかし、これも解釈がちがっている。
頭のなかに光明がかがやいているのではない。私の発見した求闘持法とおなじ原理である。大脳のある部位を、あるエネルギーで刺激すると、あるひとつの物質が分泌され、それが脳の神経組織を刺激して、目に光を感じさせる。                  『- それが、頭と目の微妙な角度のちがい、刺激の相違で、目のなか、目の前、および、頭のなか、というように、光の浮かぶ場所がちがうのである。
求聞特法の湯合は、目の前の、やや上方、ニメートルから三メートルくらいのところに浮かんでみえる。目の角度と、瞳孔の絞りかたによっては、はるか遠くの空に小さくかがやくように
(ちょうど明星のように)見えないこともない。もし、人里はなれた山のなかであったら、明けの明星のように見えることもできるだろう。私の経験では、目のななめ上方一メートル内外のところに見えるようにするのが、一番、″上品″のようである。
目を閉じて、目の奥の上方、つまり、ヨーガでいう”梵の座”のあたりに、光明を感じさせる
技術は、頭の角度と、脳の刺激する揚所が、求聞特法と少しちがう。したがって、これは、求聞持法ではなく、ちがう力を発現する。また別な法である。この法については、またあとで別に章をもうけて説明しよう。

(サマーナ気統御の技術》と《護摩法》の合体
おなじような例がいくっもある。
たとえば″五相成身観”である。
これは、真言宗徒がかならずおさめねばならぬ金剛界法という法のなかにあり、密教門でもと
くに重要な観法とされる行法である。
凡夫がホトヶという超能力者になるまでの過程を五つに分け、修行者は、ひとつひとつその境界を体験してゆくのであるが、これが、いずれも密教の重要な修行課目になっており、あきらか
に密教から出たものであることがわかる。
しかも、真言密教では、印と観想の二つからなる”観法″であるが、密教においては、観法だ
けではなく、特殊な技術による鍛 練によって生理的器官を動かし、実際に五つの境界に対応す
る力をつける訓練となっている。
また、真言密教においてもっとも重要とされる金剛界九会マンダラもそうである。金剛界九会
マンダラは、凡夫がホトケになる九つの段階と、ホトケというものの力、ホトケのはたらきを図
像にえがきあらわしたものであるが、要するに、ホトケの説明である。
もっとも、真言密教は、このマンダラにもとづいて、前記した金剛界法という行法を編成し、
。観法″によってこれを修行者に体得させようとする。これは、一般仏教、顕教が、その修行方
法として、ただ、経典の読誦と、念仏、唱名題目しか持だないのに対し、一段と進歩したすぐれ
た修行方法であるというべきだが、しかし、これも、真言密教が″観法”だけであるのに対し、
密教は、九会マンダラにあらわされた九つの力を実際に体得させる訓練技術を持っている。
例をあげれば、微細会マンダラがそうである。これは九会マンダラのなかの東南方に位するマ
ンダラで、ホトケの微妙幽玄にして不可思議なる智恵の力とはたらきをあらわすものである。
密教には、実際にこの力を生ぜしめる訓練がある。
真言密教では、ただ、。観想″による″観法″しかない。現実にそういう″力″を持たせると
ころの″技術″がない。
276頁を見ていただこう。
。あきらかに、微細会マンダラは、ヨーガのこの訓練から出ている。ナくなくとも、この訓練に
よって得られる力を背景にしたものであることは間違いない。
これは、密教の技術で、胸の部分の或る部位に力を集中することによって得られる力である。
-こうしてみてくると、真言密教がとるべき道は、おのずから明らかであるといわねばなるまい。真言密教の行法は、密教の技法をとり入れることにより、本当の力が生ずるのではないのか?
そういうと、密教がそんなにすぐれたものであるというなら、密教は真言密教をはなれて、密教独自の道を歩んだらよいではないかという意見が出るかも知れない。その通りである。それでもよいのだ。そういう道もあると私も思う。
しかし、それにもかかわらず、私か真言密教にある価値を見出すのは、その表現様式である。おもしろいことだと思う。
様式だけになってしまっている(と私が思う)真言密教の、その様式が、なかなか貴重なのだ。
私が体得した密教の秘奥の技術を、さて、どのように表現しようかと、その様式を考えてゆくと、結局、真言密教の様式がいちばん便利なのである。たとえば、私の体得創案した「求聞持法」は、ヨーガの技術から発見したもので、真言密教の「求聞持法」とは全然ちがう。そのことは、前の項でおわかりになったことと思う。

より 「等価変換展開理論」

求聞持聡明法秘伝』平河出版社刊。まえがき”より

「等価変換展開理論」

そんなことがほんとうにできるのか? いったいどうやってそんなことができるのだ、と。
それもたしかにもっともなことで、私自身、身をもってこの密教の秘密に挑戦し、自分でこの
技術を解明するまでは、ぜったいに信ずることができなかった。私は単身、五〇〇〇年の間秘密
のヴェールにつっまれてきたこの不思議な技術にいどみ、その秘密を解いた。それは、信ずるこ
とのできないほど精緻微妙な生化学に立脚したおどろくべき技術の応用であった。
たとえば、
さきにもちょっとふれたが、市川亀久弥博士は、最近の著作のなかマ(≒柚計器)お得意の
「等価変換展開理論」にもとづき、イモ虫からサナギヘの変化を例にして未来社会への脱皮を説
いておられる。この理論はまことにみごとで、まさにほれぼれするほどあざやかである。こと
に、イモ虫がサナギに変身する理論的うらづけは、近来しきりに輩出する未来論のなかで、まさ
に出 色のものであるというべきである。
ただ、まことに残念なことに、それは理論と説明と期待にとどまり、それをいかにヒトに応用
して実現させるかという方法を示していない。それは、もちろん、氏自身、同書のはしがきのな
かで、これは、″単に人類のあるべき未来社会に関するソフトーウェアの主張の範囲にとどまる
ものである”とことわり、この。ソフトーウェアに対するハードーウェアの具体的な提唱″は
″旺い将七に公長する~定である″ということであるから、われわれはまさに刮目してそれを待、ぐに、その″ソフトーウにアに対するハード・
ウェアの具体的な技術″を持っているのである。密教は、その持つ技術のひとつに、この市川理
論の「イモ虫からサナギヘの脱皮」技術を持っていて、数千年も前から、それをヒトの変身技術
に応用、実践していたのである。
密教は、現代の創造理論の大家が提唱する未来に関する花形理論を、とうに実践していたので
ある。五〇〇〇年も前にI。
地を這いまわることしか知らぬ生物であるイモ虫が、サナギになり、そして、空を舞う生物に
変身することは、二次元の世界に生きる生物が三次元生物に変化したことを意味するものだ。密
教がおなじ技術をもってヒトを変身させることは、三次元生物であるヒトをそれより上の次元に
飛躍させることを意味する。密教の変身技術はそれなのである。その生物の次元を変えてしまう
のだ。
しかも、それは、今までいわれてきたように、ただ神秘的、神がかり的なアイマイな方法でな
く、適確な生化学の技術をもっておこなうのだ。そうしてそれは密教の持ついくつかの技術のな
かのひとつに過ぎない。
いったい、どんな智恵がそれをなしとげていたというのであろうか? 密教の技術を神秘とい
うのなら、その点をこそ神秘というべきだろう。しかし、それは、それこそまさに数千年生え出
現した超・ヒトが、孤独にたえつつ、その持つ人類最高の智恵「照明智」を駆使してつくり上げ
た未来人のためのカリキュラムにほかならぬのだというよりはかないであろう。

さて、それでは、密教の技術に関係のある市川理論「等価変換展開理論」とはどんな理論か?
それがどのように密教の技術と関連があるのか?
それを説くまえに、もう少し知っておいていただかねばならぬことがある。
ここで、私は、密教とヨーガという二つのことばについて述べておかねばならぬと思うのだ。
拙著「変身の原理」で、私は、密教についてっぎのように述べた。少し長いが引用してみる。
『真言宗という宗派仏教と、密教すなわち秘密仏教とは、ふかいつながりかおる。だが、それは
どこまでもふかいつながりという関係であって、普通考えられているように、密教即真言宗、真
言宗即密教というものではないのである。
真言宗とは、インドにおいて発生し、大成した密教を、ああいう独白の形に体系化し、組織化
したものであって、密教そのものではないのである。密教のひとつの体系ではあるけれども、密
教そのものではない。
それは、それまでにほぼ完成していたけれども、分派し、多様化していたインド密教を日本密
教の開祖空海が、独自の見識と叡智によって、ひとつの体系につくりあげたということである。
おなじように、天台宗においても、天台密教というひとつの密教体系を組織完成しており、こ
れもまた、密教のひとつの流れということである。
そういうわけで、密教というものを正しく理解するためには、どうしても、]度、密教の原点
に立ちもどって考えてみなければならないのである。
密教は、最初、ひとつの手法(技術)であった。
けっして、最初から密教というひとつの宗教があったわけではない。
ゴータマーブッダがあらわれて、仏教というあたらしい教えを説きはじめるはるか以前、バラ
モンの時代から、インドには、入に超能力をあたえるひとつの手法があった。そういう手法が完
成されて、一部の人たちの間につたえられていた。それは、精神と肉体のきびしい錬磨から得ら
れる神秘的な力で、彼らは、それを、ひとつの技術にまでっくりあげていた。
われわれは、その流れのひとつを、現在、ヨーガのなかに見ることができる。(ただしそれは、
いまの日本で行なわれているアクロバティックな体操のヨーガではない。ヒマラヤの奥地の聖者
たちの間に伝承されている正統ヨーガである)
ヨーガは、その手法のひとつの流れである。この超能力を開発する技術は、仏教があらわれる
以前においてはバラモンにとり入れられ、仏教があらわれると、仏教もまたこれをとり入れた。
ゴータマーブッダは、かれ自身、この手法をまなんで、これにより超能力を持ったが、弟子た
ちにはこれを学ぶことを禁じた。なぜかというと、この技法によって多少の力がつくと、かれら
はすぐにそれがブッダのいう「ホトケ」という境地に達したものと考えてしまい、修行のさまた

げになるからであった。
ただし一部の、素質のきわめてすぐれた弟子たちには、ひそかにこれを許した。
ゴータマーブッダは、普通、神秘的な力を信じたり、修行者がそういう力を持つことを願った
りするのを全く禁じたというように、仏教学者や仏教者は信じているようであるが、それは間違
いで、ブッダ自身、神足({乱石の教理、すなわち、仏道を完全に成就するためには超自然的な
力が必要であるとし、超人間的な能力開発の訓練法を説いているのである。これは、パーリ文献
によって容易に証明することができるのである。(略)
それによると、それは、″四神足“または、″四如意足″ともいわれる超能力開発法である。
ブッダは、菩提を成就するためには、単に、知性や理性をみがくだけでは不十分であると考
え、知性や理性の限界をうち破る力が必要であると考えた。
そのために、彼は、そういう力を開発するための行法をつくりあげた。それは、彼が学んだ超
能力開発法を加えて編成したものと見てよいであろう。
それは、三十七種の技法から成り立つもので、四神足というのは、その中心になる技術であ
る。神通、如意を得るための定を、四種類の手法に分けて説明している。
欲神足(願望、理想、創造のためのアプローチ)
勤神足(体と心のトレーニング法)
心神足(潜在意識のトレーニング法)
観神足(深層意識のトレーニング法)
きづまりを打破するために、大乗仏教のなかにとり入れられて体系化され、密教と呼ばれになったのである。いうわけで、密教は二つの面を持っている。
一つは、超能力の開発技術
一つは、大乗仏教の教義
この二つである。
この二つのものがむすばれることにより、大乗仏教よりさらに高度の教義が完成されて、「金
剛大乗」と呼ばれる新しい仏教が誕生した。これが密教である』
-との引用の文章でわかるように、「変身の原理Lにおいて語られている「密教」というコ
トバは、「秘密仏教」という意味での「密教」である。仏教のなかにとり入れられた、いわゆる
真言密教、あるいは真言宗密教の密教である。
しかし、本書において私がいう「密教」は、それらの密教、「変身の原理」のなかで使われて
いる密教とは全くちがうものであることを、読者はご承知ありたいのである。

本書における「密教」とは、真言密教以前、いうならば仏教にとり入れられる以前の、いや、
バラモンにさえもとり入れられる以前の、引用文でいえば4  R教は最初、ひとつの手法(技術)であった。ゴータマーブッダがあらわれて、仏教というあたらしい教えを説きはじめるはる
か以前、バラモン時代から、インドには、入に超能力をあたえるひとつの手法があった。そういう手法が完成されて、一部の人たちの間につたえられていた。それは、精神と肉体のきびしい錬磨から得られる神秘的な力で、彼らは、それを、ひとつの技術にまでっくりあげていた。と
あるその「技術」、つまり、いうならば、″古代マーガ″と″真言密教″と、この二つを結合したものであると承知していただきたいのである。即ち本書でいう密教とは、ヨーガと真言密教と、
この二つをむすびつけて生まれた新しい技術であるということである。
なぜ、そういうことをしなければならなかったのか、というその理由を語ることはそのまま、密教の法を解説することにもなるので、読者はここのところをよく知っておいていただきたいのである。
引用文のなかにしるされているごとく、行きづまった大乗仏教は、ヨーガの技術にその打開の道を求めた。さきの頃で述べたごとく、精神の高度の飛躍は、その前提に、感覚器官の高度の増幅がなければならぬ。しかし、大乗仏教には教えだけあって、なんの技術もない。大乗仏教という教えであり、教えをあきらかにするだけのもので、技術というべきものはなんにもない。つい
に行きづまることは当然であり、やがてヨーガの技術に救いをもとめるのはさらに当然というべ
きことであった。
かくして、金剛大乗、真言密教が生まれた。ヨーガには、さきにあげた通り、ジョルジューオリヴィエ教授の表現を借りていえば、五つの能力開発技術がある。それは、①第四次元の理解、合複雑な全体をとっさに把握する能力、③第六感の獲得、④無限に発展した道徳意識、⑤とくに
われわれの悟性には不可解な精神的特質、というものであるが、これらの能力開発の技術は、それがそのまま大乗仏教にとり入れられたわけではない。おのずから、ひとつの偏向傾斜があった。
それは当然のことで、大乗仏教の指導者たちは、この技術を彼らの信奉する仏教教義とその目的に沿って取り入れた。一般的でないと思われる技術は捨てられ、あるいはごく一部の指導者にだけつたえられ、あるいは変形された。こうして秘密仏教というあたらしい教義と体系が完成した。しかし、多くのすぐれた開発技術は、この仏教教義を完成させるための補助的技術に変容さ
せられてしまった。あるいは形骸だけがとどめられた。これが、秘密仏教の「行法」であった。
これを究極的に完成したのは、日本密教、すなわち真言宗の開祖空海であった。秘密仏教がインドから中国につたえられ、そのころ中国にわたった空海がそれに接した時点において、秘密仏教はまだ完全にはできあかっていなかった。その混沌たる素材を取捨選択して、これをいま見る
真言宗というかたちにまとめ上げ、整然たる宗教にしたのは空海であった。それはまさに大天才のみがなしとげることのできる偉業であったが、同時に、秘密仏教はあまりにも整然と様式化された日本的なものになってしまった。それまでかなり残っていた密教的な部分はほとんどかげにかくれ、一-法」は、様式化された宗教儀式になってしまった。
しかし、それは、当時の目本の国情や、文化水準を背景にしたとき、やむを得ないことであったのである。というよりもむしろ当然であったというべきだろう。そうしなければ宗教として存
立することができなかったのである。
だが、そのために、いまいった通り「法」はその力を失った。宗教的に様式化され、儀式化されてしまった「法」では、真の能力開発は困難である。というよりもそれは絶望に近い しかし、それはそれでいいのだ。真言密教というものが、宗教であって能力関発の技術ではな
く、仏教という信仰のワクのなかで教えを説き礼拝をつづけているだけでよいなら、それはそれでいいだろう。それに、ほとんど儀式化された「法」であっても、天分のある才能が懸命の努力を集中するなら、「法」の成就も不可能ではない。やってやれないことはないのである。けれども、それは何世紀にひとりというような稀有の才能を必要とするのではないのか。そういうすぐれた頭脳によれば、様式化された法のあとをたどって、ついにその源泉に到達し、そのなかに秘められた法の技術を発見し、体得することもできよう。あるいはまた、頭脳ではなく、熱烈な信仰が、そこへ導いていってくれることもあるかも知れぬ。だが、それは、万人に期待できることではない。
要するに、真言密教成立の当時と全く時代が変ってしまった現在、真言密教が、他の宗教と根本的にちがうその本来の任務をほんとうに果たそうと思うならば、真言密教は大吝く変わらねばならぬ。真言密教はナみやかにその原点に立ちもどり、「法」を技術としてシステム化しなければならぬ。そうして、だれでもが平易にまなべる体系を編成ナることである。
それは決して「法」を解体し、「法」を壊滅してしまうことではない。むしろ、そうすることによって法が生きるのである。また、それは決して宗教の解体ではない。
法によって高い知的能力を得たならば、人はおのずから高い道徳意識、倫理観を持つものである。

人が宗教的教えを必要とナるのは、知的能力が低いからである。要するに、愚かだからである。人の道徳意識が低いのは、知能、精神能力が低いからだ。ほんとうに知能が高くなれば、人は、いま人類の持っている程度の宗教意識などけるかに超えたもっと高い倫理観を持つ。オリヴイエ教授のいう「無限に発展した道徳意識の保有」である。
教え(宗教)による人類の道徳意識の開発は、すでに限界に達してしまっている。
見よ。

地上にあまねくくりひろげられている人類のこの大愚行を。殺し合い、奪い合い、罵り合い。
どこに「知恵あるヒト」のおもかげがあるか? 「大愚人類」そのものではないか?
要するに、バカにいくら結構な教えを説いてもだめなのだということだ。
もっと忌憚なくいわしてもらうならば、(これは私がいうのではない。みんな密教の神サマが
おっしやるのであります)ちっとましなバカが、しょうのないバカに一心に教えを説いているというのが、いまの宗教のすがたというものではないのか?
宗教だけではない。科学と技術だってそうではないか。見さかいなくいい気になっていろんなものをつくり出し、あとで公害だ有害物質だと困っている。こういうおろかなことは、もう少し人類の知能が高くなったら、そんなバカなことはたのまれなくともしなくなる。要するに知能が低いからだ。
政治も、経済、思想も、みんなそうだと、あなたは真実思わないか?
要するに、すべて、″ヒトの知能が低い″ことに原因があるのである。
この世界を住みよく、たのしいものにするのには、革命ごっこよりもなによりもまず、ヒトの知能を高めることだ。そう、あなたは思わないか?
さて、話をもとにもどそう。
教えの限界とはヒトの知能の限界だ。
密教はその限界をうち破るのである。
技術によって超能力をあたえ、いっきょにヒトを改造して、宗教などという低い次元をいっぺんに飛び越し、想像を絶する叡智を持った、高い倫理的生物をつくり出そうというのだ。
それが、密教だ。
求闘持法《明星》の秘密

私はこのことを念力の護摩の修得に際してさとった。
先年、私は、念力の護摩法の伝授を受け、悉地成就の修行に入った。けれども、その行法の次
第を、何十ぺん何百。へんくり返しても、念力の火は出なかった。煙さえたちのぼる気配はなかっ
た。私かそのままその法の次第を忠実にくりかえしていたら、永久に念力の火は出なかったであ
ろう。出るはずがないのである。念力の護摩法の次第を、いくらくりかえしたって火は出ない。
そんなことで出るのだったら、今日までに、何百人、何千人の阿闇梨が念力の護摩を焚いていた
だろう。真言密教の念力の護摩法だけでは、ぜったいに火は出ない、それは、密教の技術によっ
て、サマーナ気を克服したとき(274頁参照)、はじめて肉体から火焔を発することができ、念力の
護摩は完成するのである。絶望した私は真言密教をはなれ、身を転じて古代インドの秘密経典に
むかった。
私はそこでインドの聖典、バガヴァットーギータを続み、そこに念力の護摩の秘法がかたられ
ていることを知った(口絵写真参照)。そこから、ギータと不二の関係にあるヨーガに入った。ヨ
ーガに本当の念力の護摩があることを知った。ヨーガにおける私のいのちがけの修行がはじまっ
た。ヨーガの技術でなければ念力の火は出ないことがわかったからである。真言密教の念力の護摩法次第は、ほんの心おぼえ程度のものに過ぎず、これでは、だれがどうしたって火の出るはずがなかった。いや、この肉体が火となるための「法」としては心おぼえ程度のものですらなく、むしろ、バガヴァツトーギータの聖句のほうが、はるかに示唆に富んでいるといえた。ヨーガの念力の護摩は、ただ単なる観想の羅列ではなく、どの生理器官をどのように統御しどのように動かすという現実的具体的な「技術」があった。この技術によってトレーニングすれば、多少なりと素質のある者だったら、必死の修行によって念力の火を出すことは不可能ではない。真言密教の念力護摩法次第だけでは、大天才といえども不可能にちかい難事である。この秘密を知らずして、古来、いく人の密教修行者が、念力の護摩の次第と秘伝を前に、血と汗の絶望をくりかえしたことであったろう。思えばツミな″次第″である。
これと全くおなじことが、真言密教につたえる「求聞持聡明法」についてもいうことができる。求闘持とは、古書に、『見聞覚知のことを憶持して長く忘れず、師なくして天地の感応を待つ、これを″求″といい、教なくして真如妙理を覚る。これを″聞″といい、一度覚るとながく忘れない、
これを″持″という』とあるように、求闘持法とは、ヒトの大脳を強化して、博覧強
卸、比類なき記憶力と聡明さをあたえる秘法であるが、これをなん十。へんなん百ぺん行法の次第通りに修行したところで、その結果は、おそらく念力の護摩とたいしてかわらない結果におわるであろう。生命を賭して修法すれば、多少の効果はあろうが、宗祖が体験を以て示したような霊験を得ることはまず難い。なぜならば、真言密教の「虚空蔵菩薩求聞持法」には印信観想による
精神集中の「法」はあるけれども、現実に生理器官である大脳皮質そのものを動かす「技術」を持っていないのである。ヨーガの「聡明法」は、どの器官をどう使ってどのように大脳皮質を動かすかという「技術」がある。また、それだけではない。根本的にちがうものがあるのである。
’それは、まったく根本的にちがう。
拙著「変身の原理」で求闘持聡明法についてかたって以来、私は、十指を越える真言僧侶、阿閉梨がたから、手紙あるいは直接、この法の修行について相談をうけた。そのほとんどは、自分も一度ないし数度にわたって求聞持法を修したが、いっさい効験がみられなかった。修法の行じかた、あるいは心構えに越法のところがあったのであろうかというのであった。また、何度か修してみて、あの行法にそんな神秘的な力がひそんでいようとは思われぬというものがあった。なかにはお気の毒にも健康を害してしまって、再起不能になったと訴えてきた阿閉梨もおられた。
お気の毒であるが、当然なのである。
真言密教の阿開梨がたが、いくら求闘持法をくりかえしても、成就できないのは当然なのである。もちろん、絶対に、とはいわない。万人に秀いでる天才、英才であったら、その極に達することができるかも知れぬ。しかしまず、不可能にちかいというべきだろう。
私か発見した密教の「求闘持法」でなければ、まず不可能にちかいといってよいであろう。こ
の法については章をあらためてくわしく書くが、ここで、求聞持法の秘密の一端を明かそう。まず、最初、真言密教の求聞持法を述べてみる。
『比の法を修するには、東南西三方の晴れたるところを最上とする。東方のみでも悪くはない。

道場の東壁に小窓をつくる。これは虚空蔵の似沢である明星の光を道場にさし入れるためである。また、朝日夕月の光を本尊にあてる意もあり、あるいは小窓に絹を張り、黄色の種字の字を書いて、そこから、明星の光をとおして本尊にあてるためでもある』
とまず場所を制定し、つぎに、さだめられた本尊の印明を百万べん、五十目あるいは百日に読誦するのであるが、日蝕または月蝕の時に結願するよう開白(はじめること)しなければならぬとある。
けれども、密教の求聞持法では、べつに場所はえらばぬのである。静かな場所でありさえすればよい。また、いつはじめてもよいのである。明星を拝するのも、行のはじめに際して、あるひととき、星と月に対すればよいのである。
また、これこそが密教のもっとも奥義とするところなのだが、弘法大師空海は、求聞持法の成就の体験を、
『―阿国大滝の岳にのぼりよじ、土州室戸の崎に勤念ナ。谷響を惜しまず、明星来影す。
言々』
と語っている。すなわち、阿波の大滝にのぼり、土佐の室戸岬でこの法の修行にはげんだところ、谷はこだまし、明星があらわれるなど、法にいわれている通り現証があり、法が成就した、
というのであるが、これは、空海のひとつの表現であって、これをそのまま鵜呑みにしてしまうからいけないのである。これはどこまでもひとつの表現なのだ。
伝にいわく、
『明星来影す、とは、結願のときに、香に火を置き、明星を拝するに、四方が暗く明星が見えねば悉地就成ではない。暗くても星が現ずれば下品の成就であり、四方が少々晴れて星が現ずれば中品、天に暗なく、ことごとく晴れて星現ずれば成就、四方が晴れても星現ぜざれば悉地成せざるなり』
とあるが、これがちがうのである。まるっきりちがう。
こういう口伝や奥伝をたよりにいくら修行しても、気の毒だが、求聞持法は成就しない。
明星とは現実の明星ではないのである。
大脳のある部分をある方法で刺激すると、目の前に光が見えるのである。
その光は、かたちも色も大きさも、いろいろに見えるが、意識を記憶の座に向けて沈静させる
と、つめたい、やや黄色みを帯びた白銀色になって、しずかに目のなかでまたたく。それはちょうど明星そっくりに見えるのである。
これが明星なのだ!
268頁をもう一度、読みかえしていただこう。
″頭のかかの光明に日を向けるならば″
とある。これがそれなのである。
ある特殊なトレーニングにより、この部位(大脳の視床下部のあたり)の刺激が、目のなかに光を浮かばせるのである。目をある角度に向けると、目を開けていても閉じていても、ポッカリと光が浮かんで見える。
この光が見えるようになると、記憶の座が自由にあやっれるようになるばかりでなく、さまざまな、奇蹟としか思えぬような力がついてくる。
これが、「求聞持法」の明星の秘密である。大空を百年ながめて空中の明星を見つめていても、ムダだ。明星はわが大脳のなかにあるのだからI。
このことは、密教五〇〇〇年の歴史に、私がはじめてっかんだ秘密である。私以外にこれを知る者はついになかった。求闘持法の秘密を私はついにつかんだ。私はそれを誇りに思う。
これをもとにして、私は、私の「求闘持聡明法」を編成した。これは、今までの「法」などというアイマイなものではない。生化学と生理学をもとにした「技術」である。正しい指導のもとに訓練を積めば、必ず、だれでもできるようになる技術である。
本来ならば、こういうことは私の、「太極秘伝」として、ごくかぎられた者だけにひそかにつたえてゆくべきものなのだろう。だが、私はこれをひろく公開する。なぜならば、私は、世界中の人びとがこの法によって知能を高め、いっさいの愚行-殺し合い、奪い合い、罵り合い、にくみ合いから遠ざかってほしいのである。
求聞持聡明法は、人の知能を三倍にナる。
しかし、その半分でもよい。人類の知能が今の水準より平均一・五倍飛躍したら、この世
から、犯罪も戦争もいっさいなくなる。そういうものがあるのは、人間が愚かだからだ。求闘持法によって知能指数が倍加したら、そういうものがいかに愚かで馬鹿々々しいことか、大人が子
供のヶンカが馬鹿々々しくて見ていられないように、いっさい、しなくなる。
私や、私の周囲のごく一部の者が、この法によっていくら賢くなろうとも、それがなにになろう。世界の大勢にどれはどの影響があろう。よしんば、私か、この法によって、古今無比の大聖者と仰がれるほどの力を持とうとも、世界のどこかで、権力を握っている馬鹿が、核バクダンのボタンをひとつ押したら、それっきりなのである。世界中はふっ飛んでしまう、古今無比の大聖
者もいっしよに!
まあ、古今無比の大聖者ともなれば、事前にそれくらい察知して、安全な所に待避してしまうであろうが、世界中が壊滅して、助かった者も核の灰に汚染されて半死半生ばかりという世のなかに、自分とごく少数の一族だけが生き残ってなにになろう。ノアの方舟の時とは状況が全くちがうのである。
このままでゆけば、核戦争がはじまるのはぜったい確実である。私にははっきりそれがわかる。この大愚行だけはやめさせなければならぬ。
革命よりも、階級闘争よりも、人種闘争よりも、なによりも、いま、人類に必要なのはこれだ。これが根本的に人類を救う道だ、とそう私は思う。ヒトの知能が二倍になったら、いま、人類がかかえているあらゆる問題はすべて解決してしまう。そう、あなたも思わないか?
私か、この求聞持法を惜しげもなく公開し、ひとりでも多く、一目でも早く、修得してほしいとねがうのは、そのためなのだ。
さて、はなしが少々よこにそれたが、この大脳の部位のことは、インドのヨーガの指導者も知っており、ヨーガのほうでは、この部位のことを、
「頭のなかの光座の座」
とか、
「梵の座、梵の裂け目」(brahma randhro
とか、
「サハスララーチャクラ」
と名づけ、頭の中の光明がかがやいている部分であると考えている。しかし、これも解釈がちがっている。
頭のなかに光明がかがやいているのではない。私の発見した求闘持法とおなじ原理である。大脳のある部位を、あるエネルギーで刺激すると、あるひとつの物質が分泌され、それが脳の神経組織を刺激して、目に光を感じさせる。                  『- それが、頭と目の微妙な角度のちがい、刺激の相違で、目のなか、目の前、および、頭のなか、というように、光の浮かぶ場所がちがうのである。
求聞特法の湯合は、目の前の、やや上方、ニメートルから三メートルくらいのところに浮かんでみえる。目の角度と、瞳孔の絞りかたによっては、はるか遠くの空に小さくかがやくように
(ちょうど明星のように)見えないこともない。もし、人里はなれた山のなかであったら、明けの明星のように見えることもできるだろう。私の経験では、目のななめ上方一メートル内外のところに見えるようにするのが、一番、″上品″のようである。
目を閉じて、目の奥の上方、つまり、ヨーガでいう”梵の座”のあたりに、光明を感じさせる
技術は、頭の角度と、脳の刺激する揚所が、求聞特法と少しちがう。したがって、これは、求聞持法ではなく、ちがう力を発現する。また別な法である。この法については、またあとで別に章をもうけて説明しよう。

(サマーナ気統御の技術》と《護摩法》の合体
おなじような例がいくっもある。
たとえば″五相成身観”である。
これは、真言宗徒がかならずおさめねばならぬ金剛界法という法のなかにあり、密教門でもと
くに重要な観法とされる行法である。
凡夫がホトヶという超能力者になるまでの過程を五つに分け、修行者は、ひとつひとつその境界を体験してゆくのであるが、これが、いずれも密教の重要な修行課目になっており、あきらか
に密教から出たものであることがわかる。
しかも、真言密教では、印と観想の二つからなる”観法″であるが、密教においては、観法だ
けではなく、特殊な技術による鍛 練によって生理的器官を動かし、実際に五つの境界に対応す
る力をつける訓練となっている。
また、真言密教においてもっとも重要とされる金剛界九会マンダラもそうである。金剛界九会
マンダラは、凡夫がホトケになる九つの段階と、ホトケというものの力、ホトケのはたらきを図
像にえがきあらわしたものであるが、要するに、ホトケの説明である。
もっとも、真言密教は、このマンダラにもとづいて、前記した金剛界法という行法を編成し、
。観法″によってこれを修行者に体得させようとする。これは、一般仏教、顕教が、その修行方
法として、ただ、経典の読誦と、念仏、唱名題目しか持だないのに対し、一段と進歩したすぐれ
た修行方法であるというべきだが、しかし、これも、真言密教が″観法”だけであるのに対し、
密教は、九会マンダラにあらわされた九つの力を実際に体得させる訓練技術を持っている。
例をあげれば、微細会マンダラがそうである。これは九会マンダラのなかの東南方に位するマ
ンダラで、ホトケの微妙幽玄にして不可思議なる智恵の力とはたらきをあらわすものである。
密教には、実際にこの力を生ぜしめる訓練がある。
真言密教では、ただ、。観想″による″観法″しかない。現実にそういう″力″を持たせると
ころの″技術″がない。
276頁を見ていただこう。
。あきらかに、微細会マンダラは、ヨーガのこの訓練から出ている。ナくなくとも、この訓練に
よって得られる力を背景にしたものであることは間違いない。
これは、密教の技術で、胸の部分の或る部位に力を集中することによって得られる力である。
-こうしてみてくると、真言密教がとるべき道は、おのずから明らかであるといわねばなるまい。真言密教の行法は、密教の技法をとり入れることにより、本当の力が生ずるのではないのか?
そういうと、密教がそんなにすぐれたものであるというなら、密教は真言密教をはなれて、密教独自の道を歩んだらよいではないかという意見が出るかも知れない。その通りである。それでもよいのだ。そういう道もあると私も思う。
しかし、それにもかかわらず、私か真言密教にある価値を見出すのは、その表現様式である。おもしろいことだと思う。
様式だけになってしまっている(と私が思う)真言密教の、その様式が、なかなか貴重なのだ。
私が体得した密教の秘奥の技術を、さて、どのように表現しようかと、その様式を考えてゆくと、結局、真言密教の様式がいちばん便利なのである。たとえば、私の体得創案した「求聞持法」は、ヨーガの技術から発見したもので、真言密教の「求聞持法」とは全然ちがう。そのことは、前の項でおわかりになったことと思う。

 

Hirakawa Publishing Co., Ltd. From “Foreword”

“Equivalent transformation expansion theory”

Can you really do that? How can you do that?
That’s certainly true, and I myself challenged the secrets of this esoteric Buddhism myself, and this myself.
Until I clarified the technology, I couldn’t believe it at all. I’m alone, a secret for 500 years
I stumbled upon this mysterious technique that had been caught in the veil of the world, and unraveled its secret. It’s a belief
It was a surprising application of technology based on the delicate biochemistry that could not be achieved.
for example,
As I mentioned earlier, Dr. Kikuya Ichikawa is good at Ma (≒ Yuzu Keiki) in his recent writings.
Based on the “equivalent transformation expansion theory”, the theory of molting to the future society is explained by taking the change from hornworm to sanagi as an example.
I’m here. This theory is truly spectacular and just as brilliant as it should be. matter
In addition, the theoretical envy that the hornworm transforms into a pupa is truly in the future theory that is constantly being produced.
It should be said that it is a color that appears in.
But, unfortunately, it remains a theory, explanation and expectation, and how to apply it to humans.
It does not show how to make it happen. That is, of course, the preface of the book himself.
So, this is “just within the scope of software’s claims about the future society that humanity should be.
“This is a concrete advocacy of hardware for software.”
Since it is “to be the chief of the savage Shoshichi-it is fixed”, we just take a look at it and wait for it.
Esoteric Buddhism has one of the techniques of esoteric Buddhism.
We have the technology of “molting from hornworms to sanagi”, and we have been using it for thousands of years as a human transformation technology.
It was applied and practiced in.
Esoteric Buddhism was finally practicing the flower-shaped theory of the future advocated by the landlord of modern creative theory.
be. I. 500 years ago.
The hornworm, a creature that only knows to crawl on the ground, becomes a pupa and becomes a creature flying in the sky.
Transforming means that the creatures living in the two-dimensional world have transformed into three-dimensional creatures. Dense
Transforming humans with the same technology by teaching brings human beings, which are three-dimensional creatures, to a higher dimension.
It means to make a leap. That is the transformation technique of esoteric Buddhism. Change the dimension of the creature
It is.
What’s more, it’s just a mysterious, divine, and mysterious way, as it has been said.
It is done with appropriate biochemical technology. And that’s some of the techniques of esoteric Buddhism
It’s just one of them.
What kind of wisdom did it do? The technique of esoteric Buddhism is called mystery
If so, that point should be called mystery. But that’s exactly what happened for thousands of years.
The super-human beings who have emerged are lonely and created by making full use of the best wisdom of humankind, “lighting wisdom”.
It is more than a curriculum for future people.

By the way, what kind of theory is the Ichikawa theory “equivalent transformation expansion theory” related to esoteric Buddhism technology?
How does it relate to esoteric techniques?
Before I preach it, there is something I need to know a little more.
Here, I think I have to mention two words, esoteric Buddhism and yoga.
In my book, The Principles of Transformation, I described esoteric Buddhism like a sword. It’s a little long, but I’ll quote it.
“There is a connection between Shingon Buddhism, a denominational Buddhism, and esoteric Buddhism, that is, secret Buddhism. But that’s
It is a relationship of forever fluffy connection, and as is usually thought, esoteric Buddhism Immediate Shingon Buddhism, Shin
It is not a esoteric Buddhism.
Shingon Buddhism is the systematization and organization of esoteric Buddhism that originated in India and was completed in the form of such a monologue.
It is not the esoteric Buddhism itself. Although it is a system of esoteric Buddhism, it is esoteric
It is not the teaching itself.
It was almost completed by then, but it was split and diversified from Indian esoteric Buddhism to Japanese esoteric Buddhism.
It is said that Kukai, the founder of the religion, created a system by his own insight and wisdom.
Similarly, in the Tendai sect, one esoteric Buddhist esoteric Buddhism system called Tendai Esoteric Buddhism has been completed.
This is also a flow of esoteric Buddhism.
Therefore, in order to understand esoteric Buddhism correctly, it is absolutely necessary to] degree, the origin of esoteric Buddhism.
You have to go back and think about it.
Esoteric Buddhism was initially a technique.
By no means, there was no single religion called esoteric Buddhism from the beginning.
Roses long before the Gotamer Buddha appeared and began to preach the new teaching of Buddhism.
Since the days of Mon, India has had one method of giving psychic powers. Such a method is complete
It was made and was sung among some people. It comes from the rigorous training of the mind and body
With mysterious power, they turned it into a technique.
We can now see one of those trends in yoga. (However, it is
It is not the yoga of acrobatic gymnastics that is practiced in Japan today. Himalayan hinterland saint
It is an orthodox yoga that has been handed down among us)
Yoga is one of the methods. Buddhism appears in the technology to develop this supernatural power
Previously it was incorporated into the Brahmin, and when Buddhism appeared, Buddhism also incorporated it.
Gotamer Buddha himself was a disciple, although he himself had supernatural powers by following this technique.
He forbade learning this. The reason is that when this technique gives some power, they
Immediately thought that it had reached the state of “hotoke” that Buddha called, and he was trained.

It was because it was a mess.
However, he secretly allowed this to some of the most talented disciples.
The Gotama Buddha usually believed in mysterious powers and wished that the practitioners would have such powers.
Buddhist scholars and Buddhists seem to believe that they have forbidden to do anything, but that is a mistake.
Then, Buddha himself, Godfoot ({Random stone doctrine, that is, supernatural to fully fulfill Buddhism)
He says that power is needed and preaches a training method for superhuman skill development. This is the Pali literature
Can be easily proved by. (Omitted)
According to it, it is a supernatural power development method also called “Iddhipada” or “Iddhipada”.
Buddha thinks that simply brushing intellect and reason is not enough to fulfill the bodhi.
Well, he thought he needed the power to break the limits of intellect and reason.
To that end, he created a method for developing such powers. It’s the super he learned
It can be seen that it was organized by adding the capacity development method.
It consists of thirty-seven kinds of techniques, and Iddhipada is the central technique.
NS. Jintou explains how to get the decency by dividing it into four types of methods.
Desire foot (desire, ideal, approach for creation)
Work God’s foot (body and mind training method)
Mind god foot (subconscious training method)
Kanjin foot (deep consciousness training method)
In order to break the stalemate, it was incorporated into Mahayana Buddhism and systematized, and became known as esoteric Buddhism. So esoteric Buddhism has two sides.
One is the development technology of supernatural powers.
One is the doctrine of Mahayana Buddhism
These two.
By combining these two things, a higher doctrine than Mahayana Buddhism was completed, and “Kim”
A new Buddhism called “Go Mahayana” was born. This is esoteric Buddhism. ”
As you can see in the text quoted as “-“, “Esoteric Buddhism” spoken in the principle of transformation L
Toba is “esoteric Buddhism” in the sense of “secret Buddhism.” The so-called incorporated into Buddhism
Shingon Esoteric Buddhism, or Shingon Buddhist Esoteric Buddhism.
However, in this book, “esoteric Buddhism” as I say is used in those esoteric Buddhism, the “principle of transformation”.
Readers want to know that it is completely different from the esoteric Buddhism that exists.

“Esoteric Buddhism” in this book means before Shingon Esoteric Buddhism, so to speak, before it was incorporated into Buddhism.
Before even being incorporated into Brahmin, in terms of quotation, 4R religion was initially a method (technology). Gotama Buddha appears and begins to preach a new teaching called Buddhism
Earlier, from the Brahmin era, India had one method of giving psychic powers. Such a method was completed and was sought after by some people. It is a mysterious power that comes from the rigorous training of the mind and body, and they have turned it into a technique. When
Please be aware that a certain “technology”, that is, “Ancient Marga” and “Shingon Esoteric Buddhism”, is a combination of the two. That is, the esoteric Buddhism in this book is yoga, Shingon esoteric Buddhism, and
It is a new technology created by connecting these two.
Readers should be familiar with this point, as it also explains the law of esoteric Buddhism, as it is to explain the reason why we had to do such a thing.
As the quote says, Mahayana Buddhism, which had come to a standstill, sought a way out of yoga technology. As I mentioned earlier, the high leap of the mind must be premised on the high amplification of the sensory organs. However, Mahayana Buddhism has only teaching and no technique. It is a teaching of Mahayana Buddhism, it only makes the teaching clear, and there is nothing that should be called technology. unintentionally
It is natural to get stuck in, and it is even more natural to seek salvation from yoga technology in due course.
It was a big deal.
Thus, Kongo Mahayana and Shingon Esoteric Buddhism were born. As I mentioned earlier, yoga has five skill development techniques, in the words of Professor Georges Olivier. It is (1) understanding of the fourth dimension, ability to grasp the complicated whole at once, (3) acquisition of the sixth sense, (4) infinitely developed moral consciousness, (5) especially.
It is a spiritual characteristic that is incomprehensible to our enlightenment, but these skills of skill development were not directly incorporated into Mahayana Buddhism. Naturally, there was one deflection slope.
Not surprisingly, Mahayana Buddhist leaders adopted this technique in line with their belief in Buddhist doctrine and its purpose. Techniques that appear to be uncommon have been abandoned, or have been addressed or transformed by only a few leaders. In this way, a new doctrine and system called secret Buddhism was completed. However, many good development techniques have been transformed into auxiliary techniques to complete this Buddhist doctrine.
I was forced to do it. Or only the skeleton was kept. This was the “law” of secret Buddhism.
The ultimate completion of this was Japanese esoteric Buddhism, the founder of the Shingon sect, Kukai. By the time Secret Buddhism was sung from India to China, when Kukai, which spanned China, came into contact with it, Secret Buddhism was not yet complete. Select the chaotic material and see this now
It was Kukai who put together the Shingon sect and made it an orderly religion. It was a feat that only a great genius could accomplish, but at the same time, secret Buddhism became too orderly and stylized Japanese. Most of the esoteric part that remained until then was almost hidden, and the “one-law” became a stylized religious ritual.
However, it was unavoidable in the context of the national situation and cultural standards of the book at that time. Rather, it should have been natural. Otherwise it exists as a religion
I couldn’t stand.
However, because of that, the “law” has lost its power as it is now. True capacity development is difficult in the religiously stylized and ritualized “law.” I say

 駄如求聞持明法 memorization ability and intelligent system

 

 

駄如求聞持明法 memorization ability and intelligent system

それによると、それは、″四神足“または、″四如意足″ともいわれる超能力開発法である。

ブッダは、菩提を成就するためには、単に、知性や理性をみがくだけでは不十分であると考え、知性や理性の限界をうち破る力が必要であると考えた。

そのために、彼は、そういう力を開発するための行法をつくりあげた。それは、彼が学んだ超能力開発法を加えて編成したものと見てよいであろう。
それは、三十七種の技法から成り立つもので、四神足というのは、その中心になる技術である。

神通、如意を得るための定を、四種類の手法に分けて説明している。

欲神足(願望、理想、創造のためのアプローチ)

勤神足(体と心のトレーニング法)

心神足(潜在意識のトレーニング法)

観神足(深層意識のトレーニング法)

きづまりを打破するために、大乗仏教のなかにとり入れられて体系化され、密教と呼ばれになったのである。いうわけで、密教は二つの面を持っている。

一つは、超能力の開発技術
一つは、大乗仏教の教義この二つである。

 

 

人が宗教的教えを必要とナるのは、知的能力が低いからである。要するに、愚かだからである。人の道徳意識が低いのは、知能、精神能力が低いからだ。ほんとうに知能が高くなれば、人は、いま人類の持っている程度の宗教意識などけるかに超えたもっと高い倫理観を持つ。

オリヴイエ教授のいう「無限に発展した道徳意識の保有」である。

教え(宗教)による人類の道徳意識の開発は、すでに限界に達してしまっている。

見よ。

 

地上にあまねくくりひろげられている人類のこの大愚行を。殺し合い、奪い合い、罵り合い。どこに「知恵あるヒト」のおもかげがあるか? 「大愚人類」そのものではないか?

要するに、バカにいくら結構な教えを説いてもだめなのだということだ。

もっと忌憚なくいわしてもらうならば、(これは私がいうのではない。みんな密教の神サマがおっしやるのであります)ちっとましなバカが、しょうのないバカに一心に教えを説いているというのが、いまの宗教のすがたというものではないのか?

宗教だけではない。科学と技術だってそうではないか。見さかいなくいい気になっていろんなものをつくり出し、あとで公害だ有害物質だと困っている。こういうおろかなことは、もう少し人類の知能が高くなったら、そんなバカなことはたのまれなくともしなくなる。要するに知能が低いからだ。

政治も、経済、思想も、みんなそうだと、あなたは真実思わないか?

要するに、すべて、″ヒトの知能が低い″ことに原因があるのである。

この世界を住みよく、たのしいものにするのには、革命ごっこよりもなによりもまず、ヒトの知能を高めることだ。そう、あなたは思わないか?

さて、話をもとにもどそう。
教えの限界とはヒトの知能の限界だ。
密教はその限界をうち破るのである。
技術によって超能力をあたえ、いっきょにヒトを改造して、宗教などという低い次元をいっぺんに飛び越し、想像を絶する叡智を持った、高い倫理的生物をつくり出そうというのだ。
それが、密教だ。求闘持法《明星》

 

According to it, it is a supernatural power development method also called “Iddhipada” or “Iddhipada”.

Buddha thought that simply brushing intellect and reason was not enough to fulfill the bodhi, and that he needed the power to break the limits of intellect and reason.

To that end, he created a method for developing such powers. It can be seen as an addition to the psychic development methods he learned.
It consists of thirty-seven kinds of techniques, and Iddhipada is the central technique.

He explains Shinto, the rule for getting the will, by dividing it into four types of methods.

Desire foot (desire, ideal, approach for creation)

Work God’s foot (body and mind training method)

Mind god foot (subconscious training method)

Kanjin foot (deep consciousness training method)

In order to break the stalemate, it was incorporated into Mahayana Buddhism and systematized, and became known as esoteric Buddhism. So esoteric Buddhism has two sides.

One is the development technology of supernatural powers.
One is the doctrine of Mahayana Buddhism.

 

 

 

People need religious teaching because of their low intellectual ability. In short, it’s stupid. People’s moral awareness is low because their intelligence and mental abilities are low. If the intelligence is really high, one will have a higher ethical sense that goes beyond the religious consciousness that human beings have now.

This is what Professor Oliveyer calls “the possession of an infinitely developed moral consciousness.”

The development of human moral awareness through teaching (religion) has already reached its limit.

Behold.

 

This great folly of mankind that is spread all over the earth. Killing, scrambling, and swearing. Where is the essence of “wisdom humans”? Isn’t it the “great fool” itself?

In short, no matter how much you teach a fool, you can’t.

To be more frank, (I’m not saying this, everyone is esoteric god Sama), a sardine idiot is preaching to a sardine idiot. But isn’t it the shape of the current religion?

It’s not just religion. Isn’t it the case with science and technology? I feel good about it and create various things, and later I am in trouble that it is a toxic substance that is a pollution. Such stupid things will not be uncommon if human intelligence becomes a little higher. In short, it has low intelligence.

Don’t you think it’s true that politics, economy, and thought are all the same?

In short, it’s all due to “low human intelligence”.

To make this world livable and enjoyable, first and foremost, to enhance human intelligence, rather than playing a revolution. Yeah, don’t you think?

Well, let’s get back to the story.
The limit of teaching is the limit of human intelligence.
Esoteric Buddhism breaks that limit.
They are trying to give supernatural powers by technology, remodel human beings together, jump over the low dimensions such as religion at once, and create highly ethical creatures with unimaginable wisdom.
That is esoteric Buddhism. Fighting possession method “Meisei”