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星曼荼羅

星曼荼羅(宿曜道)

以前、愛染明王を調べていたとき、愛染さまは暦にも関係があるかもと思っていました。
「天弓(てんきゅう)愛染」さまのお姿を見てその手の弓と矢が真上(天)に向かっています。
それは、北極星を指しているのかもしれませんね。

 高野山 大伽藍 愛染堂 天弓愛染像

 大阪・久米田寺所蔵

星にまつわる仏を調べていますと、もともと道教において北極星を神格化した
妙見菩薩(北辰菩薩)がいます。北方守護の神です。護国・息災の深秘の修法、
尊王王法においては大日如来の化身とされます。

奈良時代に日本に伝わったといわれる宿曜道(密教占星術)と融合して密教の
修法や日蓮宗の祈祷でも重要視されることになったそうです。

今回、節分の日に、高野山南院(浪切り不動)を訪問しました。すると高野山の若い僧たちが、
高野山にあるすべての不動尊(愛染尊)でお護摩をするということです。

星曼荼羅の構成 (松浦 清:大阪市立博物館のお話 引用)

さて、星曼荼羅は北斗曼荼羅ともいわれ、密教の北斗法という延命や除災などを祈願する修法(しゅほう)の本尊ですが、制作の根拠となる経典がなく、日本で創案されたオリジナル作品と考えられています。円形と方形の二種類あり、平安時代後期に制作された奈良・法隆寺(ほうりゅうじ)所蔵の作品と大阪・久米田寺所蔵(くめだでら)の作品がそれぞれの代表例です。ここでは久米田寺所蔵の作品を見てみましょう。構成は本尊、九曜(くよう)、北斗七星を描く内院、黄道十二宮を描く第二院、二十八宿を描く第三院という三重構造となっており、58個の円形内に諸尊が描かれています。中央の本尊は一字金輪仏頂(いちじきんりんぶっちょう;釈迦金輪)という名前で、世界の中心である須弥山の上に描かれています。その直ぐ下に土星、四方に木、火、金、水星の五惑星を配置するのは陰陽五行説(おんようごぎょうせつ)の影響であり、四隅の太陽、月、食を起こす羅ご(この字は「目」偏に「侯」の旁で、合わせて「らご」と読みます)、彗星の計都(けいと)を合わせて九曜といいます。内院の下の方に横たわる七つの星は北斗七星。第6番目の武曲星(むこくせい)が小さな連星を伴うのは二重星のミザールとアルコルです。曼荼羅とは「真髄を具えたもの」という意味ですから、天文現象の主要ラインナップを描く星曼荼羅は、図様にふさわしい名前といえるでしょう。

諸星の中心に描かれた一字金輪仏頂を北極星=こぐま座のα星とする説がありますが、さて、どうでしょうか。星曼荼羅は記録によれば平安時代中期の10世紀の成立とみられますから、それは約千年前のことです。当時の星空をコンピュータで再現してみると、現在の北極星は天の北極から約6.5度も離れており、天の北極に明るい星はありませんでした。これは歳差運動によるものです。天の北極が宗派や法脈により妙見菩薩(みょうけんぼさつ)、尊星王(そんじょうおう)、熾盛光仏(しじょうこうぶつ)など、さまざまな名前で呼ばれるのも、天の北極に対する解釈の違いを表しているように思われます。星曼荼羅の成立も歳差を考慮する必要があるでしょう。

そこで高野山真言宗の方に、節分の時の星供(ほしく)の法施について聞きました。どうやら、複雑な
ようで、面授で教えていただかないと、難しいようです。

『その時の法施は、心経7巻或いは3巻です。その他にご真言をお唱えします。』と七曜、二十八宿の
仏達を教えてもらいました。

参考として『仏尊の事典』、『印と真言の本』学研から、真言や意味合いを勉強しましたが、
宗派や教えによってずいぶん違うようです。ここでは、基本は真言宗高野山派の方の助言を
受けて、記載しました。

奈良・法隆寺(ほうりゅうじ)

代表的な円形の曼荼羅を参考に、そこに描かれている諸佛をみることにします。

中心にあるのが、妙見菩薩ですが、もともとが毘る遮那佛であり、時代とともに大日如来と
なったのでしょう。古代から夜空に不動の中心星である北極星の信仰は当然あったのでしょう。
『七仏八菩薩神呪経』には最勝の菩薩とされ、天台宗では、北方守護の神として吉祥天と同体と
して、護国・息災の深秘の修法であったし、尊星王法においては、大日如来の化身とも観念された
といいます。

さらに、奈良時代にはいって、宿曜道(密教占星術)との融合を経て、密教の修法や日蓮宗などの
祈祷でも重視されることになっていきました。

大日如来(胎蔵界) あびらうんけん
(金剛界)おん ばざらだとばん
どちらでもいいそうです。丁寧には、両方。

頂輪王 ナウボサマンダ・ダラダラハシャラウン

天台宗では、一字頂輪王(一字金輪)を本尊にし北斗七星に祈祷する北斗法という
除災の大修法があります。

『行者の生まれによって異なる真言を唱える』とのことです。
(九曜・二十八宿・各北斗全てを一度に唱えるわけではありません)

北斗総呪
おん さった じのうや ばんじゃびじゃや ぜんほだまそら  びのうらきさん ばんばと そわか
『妙見菩薩神呪経』
貪狼星(とんろうしょう)     西南、   赤黒色、  左手に日
巨門星(こもんしょう)      西、    白黄色、  右手に月
禄存星(ろくぞんしょう)     西北、   赤青色、  左手に火珠
文曲星(もんごくしょう)     北、    青黒色、  左掌から水
廉貞星(れんじょうしょう)    東北、   黄色、    右手に珠
武曲星(むごくしょう)      東、    青色、    左手に柳の杖
破軍星(はぐんしょう)      東南、    白赤色、  右手に刀

それぞれ頭髪は、赤。 どうやら本地は、七仏薬師か観音とされる。
『北斗延命経』、『覚禅鈔』

「七星九執十二宮神呪」または「七曜総呪」
(九曜星)のうまく さんまんだ ぼだなん ぎゃらんけいしんばりや はらはた じゅちらまや そわか
星曼荼羅の第二院に描かれる。『宿曜経』、『梵天火羅九曜(ぼんてんからくよう)』

日曜星  おん あにちゃしり そわか                 太陽、日精、丑寅

月曜星  おん そましり そわか                    太陰、月精、戌亥

火曜星  おん あぎゃらかしり そわか けい            惑星、火精、南

水曜星  おん ぼだしり そわか                    彗星、水精、北

木曜星  おん ぼらか さんばちしゅり そわか           歳星、木精、東

金曜星  おん しゅきゃら しゅり そわか              太白、金精、西

土曜星  おん しゃに ししゃら しせいてい しゅり そわか   鎮星、土精、中方

計都星(けいと) おん けいと しり そわか              彗星、西南

羅ご星(らご)  おん らこなしゅり そわか              黄幡星、東北

十二宮
胎蔵界曼荼羅の最外院の四隅や星曼荼羅の第三院に、星座名とともに描かれる。
黄道十二宮(太陽の運行)で、天を十二に分割し12ヶ月とし、人の運命に配して、富貴・博学・多病・短命
など、その吉凶を判断するのにでてくる。

牛密宮(ごみつきゅう) おうし座、      白羊宮(びゃくようきゅう) おひつじ座
夫婦宮(ふうふきゅう) ふたご座、     摩竭宮(まかつきゅう) 山羊座
賢瓶宮(けんびょうきゅう) みずがめ座、 双魚宮(そうぎょきゅう)うお座
秤宮(ひょうきゅう) てんびん座、      弓宮(きゅうきゅう) いて座
蠍虫宮(かつきゅう)さそり座、        少女宮(しょうにょきゅう)おとめ座
ぼう蟹宮(ぼうかいきゅう)かに座、     獅子宮(ししきゅう)しし座

諸宿(二十八宿)
宿とは、星座のこと。月が29.5日で移動し、12月で1年。28宿は、月の軌道を
星座宮に区分して、それぞれの宮を人の運命をつかさどる神としたもの。
胎蔵界曼荼羅の外金剛院の四方に配した。

『宿曜経』、『舎頭諫経(しゃとうかんきょう)』
総呪
のうまく さんまんだ ぼだなん のうきしゃたら  にしだにえい そわか

東方七宿
昴宿(ぼうしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん きりちきゃ のうきしゃたら そわか
畢宿(ひっしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん ろきに のうきしゃたら そわか
觜宿(ししゅく)  のうまく さんまんだ ぼだなん ひりぎゃしら のうきしゃたら そわか
参宿(しんしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん あんだら のうきしゃたら そわか
井宿(せいしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん ぶのうばそ のうきしゃたら そわか
鬼宿(きしゅく)  のうまく さんまんだ ぼだなん びじゃや のうきしゃたら そわか
柳宿(りゅうしゅく)のうまく さんまんだ ぼだなん あしゃれいしゃ のうきしゃたら そわか
南方七宿
星宿(せいしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん まぎゃ のうきしゃたら そわか
張宿(ちょうしゅく)のうまく さんまんだ ぼだなん ほらは はらぐ のうきしゃたら そわか
翼宿(よくしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん うったら はらろぐ のうきしゃたら そわか
軫宿(しんしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん かしゅた のうきしゃたら そわか
角宿(かくしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん しったら のうきしゃたら そわか
亢宿(こうしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん そばてい のうきしゃたら そわか
てい宿(ていしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん そしゃきゃ のうきしゃたら そわか
西方七宿
房宿(ぼうしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん あどらだ のうきしゃたら そわか
心宿(しんしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん せいしゅった のうきしゃたら そわか
尾宿(びしゅく)  のうまく さんまんだ ぼだなん ぼうら のうきしゃたら そわか
箕宿(きしゅく)  のうまく さんまんだ ぼだなん ふるばあしゃだ のうきしゃたら そわか
斗宿(としゅく)  のうまく さんまんだ ぼだなん うったらあしゃだ のうきしゃたら そわか
牛宿(ぎゅうしゅく)のうまく さんまんだ ぼだなん あびしゃ のうきしゃたら そわか
女宿(じょしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん しらまな のうきしゃたら そわか
北方七宿
虚宿(きょしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん だにしゅた のうきしゃたら そわか
危宿(きしゅく)  のうまく さんまんだ ぼだなん しゃたびしゃ のうきしゃたら そわか
室宿(しっしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん ほらば ばつだらやち のうきしゃたら そわか
壁宿(へきしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん うたのう ばっだらば のうきしゃたら そわか
奎宿(けいしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん りはち のうきしゃたら そわか
婁宿(ろしゅく)  のうまく さんまんだ ぼだなん あしんび のうきしゃたら そわか
胃宿(いしゅく)  のうまく さんまんだ ぼだなん ばらに のうきしゃたら そわか

八字文殊呪  オン・アクビラウンケン・シャラク・マン

妙見菩薩   オン・ソチリシュタ・ソワカ

金剛吉祥  オン・バザラシリ・マカシリ・アニチヤシリ・ソマシリ・アギャラカシリ・ボダシリ・ボラカサンマチシリ・
シュキャラシリ・シャニシシャラシセイテイシリ・マカサンマエイシリエイ・ソワカ

破諸宿曜  オン・サラバ・タキシャタラ・サンマエイ・シリエイ・センチキャラ・コロ・ソワカ

成就一切  オンタタツツ・チチチチ・ツツツツ・バザラサトバ・ジャク・ウン・バ・コク・キリクカク・ウンパッタ・ウン

閻魔天の真言  オン・エンマヤ・ソワカ
もしくは ナウマクサマンダボダナン・バイバソバタヤ・ソワカ

 竹内白雅 画伯から拝借しています。http://p77g2t8o.web.infoseek.co.jp/

奈良・平安時代の星辰信仰について
「星の伝承関係のHPまとめて全部」
http://astro.ysc.go.jp/izumo/stars.html
以下は、上記サイトの資料を参照しました。

日本は、星の神話や伝説が少ない国と言われていますが、天体自体に興味がなかったわけではなさそうです。 政治をつかさどる人々が、星祭と星占いに明け暮れていた 時期もあるのです。

その時代は平安時代。 大陸では、自然科学・哲学であった陰陽五行思想は、日本 では”星の宗教”陰陽道となり、道教と合体して占い・呪術 として独自の発展をとげました。奈良時代までは、ここぞという時の秘伝であった陰陽道が、 平安時代には、日常のあらゆることの吉凶を占うのに使われる ようになったようです。

さらに9世紀、空海・最澄が密教を伝え、密教の占星術で ある宿曜道も時の占星術ブームにのって盛んになりました。 宿曜道は、インド原産でヨーロッパ色の強い新しい占星術で、たびたび陰陽道と対立し、お互いの要素を吸収しあいながら 最後には民衆にも広まっていきました。

陰陽道と宿曜道。 日本の星の信仰を代表する、2つの文化の流れを追ってみる ことにしましょう。

宿曜道

800年ごろ真言宗を開いた空海は、唐から宿曜道の詳しい教典をもちこんだ。このときから、暦学は陰陽道の独壇場ではなくなり、密教の占星術・宿曜道も参入してきた。

宿曜道は陰陽道が使っている唐の宣明暦を批判し、ヨーロッパ風の出典不明の暦「符天暦」を使って、日蝕予報で正確さをきそった。斎藤国治「古天文学の道」にその 様子が面白く紹介されている。

(符天暦について:宿曜道の暦は、当時イスラム、インドの天文学者の教科書的存在であった、プトレマイオスの「メガレシンタクシス(アルマゲスト)」および星占い書「テトラビブロス」が元になっている。「符天暦」は天体軌道論の原点ともいえるアルマゲストが多くの民族の手をへて日本に伝わった姿ではないのだろうか。)

宿曜道というのは、名前は似ているが、陰陽道とは起源も原理も全然違う。

宿曜道はインド原産の27宿占星術が基本となっており、基本の教典「宿曜経」(本当は長い名前)もインドの教典がもとになっている。インドのホロスコープ占星術は、西洋から伝わったものであるので、宿曜道も西洋風のホロスコープ占星術を行なう。
宿曜道の重要文献の1つにプトレマイオスの占星術書(テトラビブロス)の漢訳本があることから雰囲気がうかがえるであろう。

(テトラビブロスについて:アルマゲストとともに世界に広まったプトレマイオスの著作。何しろ占いの本なので天文学史からはぬけおちているが、7-12世紀ごろのイスラム、インドの天文学者らに大うけしていた本である)

平安後期になると、貴族に星祭りが流行し、密教の方でも道教の神を仏教風にした菩薩が生まれ、北斗七星や北極星などを祭った星曼陀羅が作られ、密教の星祭りが行なわれた。

平安の密教系星祭は天台宗のものが多いが、よく体系化された空海の真言宗に比べ、教義で劣る天台宗が、最澄なきあと生き残りをかけて多くの星祭を生み出していったものと考えられている。

密教の星祭・信仰

・北斗法--北斗曼陀羅を掲げ、祭壇に本命星を中心に四方に本命宿、当年星、生年宮、本命曜を配し息災延命を祈願する。

・尊星王法--北斗七星と妙見菩薩を祭る。

・本命星供--天台宗の属星祭。燭盛光法。

・大曼陀羅供--北斗七星、12宮の神、16天、27宿を祭る、天台宗の祭。

・元辰星供養--自分の干支の方角の逆に相当する干支から求める裏本名星を祭るもの。

・本命日--生まれた年あるいは日の干支、また生まれた年の支の日を本命日とし、忌み慎む。
(961年に、生まれた年の干支か、日の干支かで、陰陽道の賀茂保憲と密教の法蔵法師が争い、保憲が勝利した。しかし、11世紀よりあとでは本命日は生まれた日の干支とするようになった。)

・本命宿--生年月日の日を、27宿の1つにあて、本命宿とする。各月の1日に相当する宿を前もって決めておき、その宿から東-北-西-南の順に数えていく。
(これも保憲と法蔵で争われた。法蔵は生まれた日に月がいた宿を本命宿とするという珍しい説を出し、勝利したが、一般には前記の保憲の決め方が正しい。)

・本命宮--インド経由の西洋占星術がもとになっている宿曜道ならではの信仰。

・年星--年齢により、その年だけの守護星となるもの。

隆蓮房さま(高野山真言宗)の節分(星供)の勤行次第です。

三礼合掌、開経偈などの後に次のご真言をどうぞ。

先 大日  オン バザラダトバン

次 頂輪王  ナウボウサンンマンダ ダラダラハシャラウン

次 招北斗  ナウボウサンマンダ ダラナウエイケイキ ハイカイタイカイライボウラタラキャラ ソワカ

次 北斗總印言  オン サハヂナウヤ バンジャビジャヤ ゼンホダマソバビナウラキサンバンバト ソワカ

次 諸曜總印言  ナウマクサンマンダボダナン ギャラケイジンバリヤ ハラハタジュチラマヤ ソワカ

次 二十八宿總印言  ナウマクサンマンダボダナン タキシャタラニリナダニエイ ソワカ

次 当年星

次 本命星

次 本命曜

次 本命宮

次 本命宿

次 金剛吉祥  オン バザラシリ(金剛吉祥仏眼) マカシリ(大吉祥白衣) アニチヤシリ(日)
ソマシリ(月) アギャラカシリ(火) ボダシリ(水) ボラカサンマチシリ(木)
シュキャラシリ(金) シャニシシャラシセイテイシリ(土) マカサンマエイシリエイ(大吉祥諸大曜)
ソワカ

次 破諸宿曜  サラバタキシャタラ(總宿曜) サンマエイ(平等) シリエイ(吉祥) センチキャラ(息災)
コロ(事) ソワカ

又は 妙吉祥破諸宿曜障明  オン サラバナウキシャタラ サンマエイ シリエイ ソワカ

次 成就一切  オン タター ツツー チチー チチー ツツー ツツー バザラサトバ ジャクウンバンコク
キリクカク ウンパッタ ウン

次 仏慈護  オン ボダマイチリ バザラ アラキシャ カン

次 羅喉  オン ラゴナウ ヤソラ アランジャヤ ソマシャトナウヤ センジキャリ ソワカ

次 炎魔天  オン エンマヤ ソワカ
又は ナウマクサマンダボダナン バイバソバタヤ ソワカ

次 大師明神

次 法施 心経七巻 あるいは三巻

次 回向 願わくはこの功徳をもって 普く一切に及ぼし 悟りの道を成ぜんことを

宿曜道のルーツ

宿曜道の暦法は、符天暦がややこしい暦らしいので詳しい点が不明だが、星の信仰と占星術の実際はだいたいわかっている。宿曜道は仏教の中でも、真言・天台の両密教で行なわれる。密教は、大乗仏教の中でも最も新しい宗派で、 インド原産、広く知られるようになったのはA.D.7世紀ごろと言われる。

インドでできたので、ヒンドゥー教の神々と縁が深い。9曜(9惑星)は、日曜スーリヤ、月曜ソーマ、 火曜アンガラカ、水曜ブダ、木曜プリハスパティ、金曜シュクラ、土用サナイスカラ、羅喉ラーフ、計都ケトゥで構成される。

北斗七星はインドでは7聖仙、すばるは7聖仙の6人の妻だともいう。
7聖仙は、自分の妻と浮気をした軍神インドラの睾丸をとってしまったゴータマ仙、忍耐強い?ヴァシシタ仙、苦行を続けたが天女の色香に 負けて神通力がなくなったヴァシュヴァーミトラ仙、21人の妻をもったブラフマーの子カーシャパ仙、苦行中によってくる女性を追い払うため「私と会えば必ず妊娠する」という呪文をかけたプラスティヤ仙、 目から月(ソーマ)が生まれたアトリ仙、アタルヴァ・ヴェーダのもとアタルタ・アンギラスで祭られたアンギラス仙などで、文献によりメンバーがちがうという。
北極星はインドではドルヴァで、密教の妙見菩薩とは異なる。

27宿占星術(後に28宿となる)はインド独特のもので、中国の28宿とは宿の位置も名称も違う。原点はアーリア人の聖典の1つ、B.C.900ごろのアタルヴァヴェーダという呪術書である。中国28宿よりも古く、また後にインドに伝わるバビロニア風占星術とも違う。(メソポタミアには星宿はない。)

密教でいう宇宙の原理は「胎蔵・金剛の両界曼陀羅」で表わされるらしい。両界曼陀羅は、やはりA.D.7 世紀ごろインドでもとができあがり、それぞれ「大日経」「金剛頂経」にまとめられ、大日経の方はインド僧善無畏が中国にもっていって訳し、金剛頂経は不空三蔵がインドから持ち帰り訳した。
その2つの教典をもとに両界曼陀羅が中国で描かれたらしい。星の尊格はこの曼陀羅にも描かれている。

最も大きい神格は中心仏の大日如来であろう。太陽・光の神で、インド名はヴァイローシャナ、名高い阿修羅 王である。ヴァイローシャナは、びるしゃな仏→大日如来と変化していくようだが、奈良の大仏はまだ大日如来になる前にびるしゃな仏である、というのは有名。

北斗七星、妙見菩薩は他に独自の曼陀羅があるので、部分的にしか描かれていないが、28宿の神というのが女性神格で28人、描かれている。

密教では、ヴェーダの神よりアスラとなった土着の神の方が重視されてきており、曼陀羅に登場する尊格は 多くがアスラ系のヒンドゥー神、または密教で作られた仏(明王など)である。

■仏教の勉強室

脳と心革命瞑想瞑想 

Brain and mind revolution meditation meditation

Ascetic monks. These two are laws belonging to the class of mystery.

な ん What are those two?

Shamata and Vipashyanah. Ascetic monks. If you have completed Shamata,

Will it embody

So, what is the purpose of mere heart training? Any greed can be cut off. If you have studied Bipasjana, it will embody any purpose

Do you?修 Teach wisdom. If you have learned wisdom,

Will it embody? You can be cut off by any dumb.

The training monks. The greedy heart does not break away. Wisdom spent in the unknown

I can’t. Ascetic monks. Thus, leaving the greed can lead to liberation of the mind.

Liberation of wisdom from leaving the dawn

 

脳と心革命瞑想瞑想

 

 

修行僧らよ。これらの二つは明知の部類に属する法である。

 その二つとはなんであるか?

 シャマタとビパシュヤナーである。修行僧らよ。シャマタを修したならば、

いかな体現すであろうか

 では、心  修しかならば、いかなる目的を体現するであろうか? いかなる貪欲でも断ぜられるのである。ビパシュヤナーを修したならば、いかなる目的を体現するであろ

うか? 智慧を修するのである。では、智慧を修したならば、いかなる目的を

体現するであろうか? いかなる無明でも断ぜられるのである。

 修行僧らよ。貪欲によごされた心は解脱しない。無明によごされた智慧は修

せられない。修行僧らよ。このように、貪欲を離れることから心の解脱が起こ

り、無明を離れることから智慧の解脱が起こるのである。(雑阿含経

 求闘持聡明法

 

 

 求闘持聡明法はたんなる記憶力増強法ではない。それは、脳のメカニズムをI変してしまうおそるべき技術である。知能とはなにか。ごく大ざっぱに分けるならば、二つのものに分けられるであろう。記憶と創造である。求聞持聡明法は、この二つのはたらきをするメカニズムに、あたらしいメカニズムをつけくわえて、あたらしい力と効果を発揮する。

 この技法が、ジョージーギャラップや、オルダスーハックスリーのいうように教育にとり入れられたならば、人類のうける利益は想像することもできないほどのものである。ギャラップのいうように、ヒトは、まさに、″未来に向かって数百年の飛躍をすることができるであろう.

そういうと、そんなすばらしい技術がどうして今まで世のなかにあらわれなかったのかと、あなたは疑問に思うかも知れない。

 これほどの技術が、なぜ密教寺院の片すみに埋没してしまったのか、いく1つかの理由があげら

れるだろうが、その最大の理由はこうである。

 ギャラップは、すぐれた古い方法がまったく見落とされてきたということは奇妙なことだ。それに、あとになって全く忘れ去られてしまっている非常に重要な技術を発達させた個人、あるいは文化がよくあるのだ。--しかし、それらはやはり大きな価値を持ちつづけているのだ』()

 といっているが、‐この大きな価値を持ちっづけているすぐれた方法が忘れられてしまったわけは、それにっづくギャラップのおなじ文章のだかに見出すことができる。ギャラップはこういう。

 『こういった方法に対してあまり注意がはらわれていない理由は、目的と手段が非常に混乱していて、熱心に行なわれる鍛練を通じての集中力のトレーニングが、宗教的な儀式という色どりを持っているからである。精神のコントロールというものが、宗派と結びっいているために、しばしば、今日と明日の世界で実際に必要なものというよりも、むしろ神秘的な儀式に結びついた超

自然的な技術とみなされているのである』

求闘持聡明法こそ、そのもっとも典型的な例のひとつなのだ。

 求闘持聡明法とは、真言密教によって編成された法である。真言密教とは仏教の一派であり、それは宗教であるために、すべての法は宗教的儀式、宗教的様式のもとに編成される。求闘持法もそのように編成された。

 最初、知能開発の技術があった。それは、その技術自体、単独で存在するひとつの手法であっだ。これが、秘密仏教にとり入れられて、秘密仏教のなかの知能開発法に編成された。求間持法と命名された。ギャラップ式にいえばぷぶ教的な色どりが濃くなった”というわけだが、要する

に、技術が、宗教的様式のなかに郷就されたわけである。かくして技術が儀式化され様式化された。

 ″目的と手段の混乱”がここにはしまる。宗教的儀式のなかに、秘められた。技術”を摂取することのできる才能と力量を持つ指導者があるうちは混乱が避けられたが、ひとたび断絶すると、

その断層は決定的なものになった。技術は見失われてしまった。技術は意味不明のものとなり、

それはかえって宗教的に″不純″なものと見なされ、とりはずされて追放された。あとに儀式と様式のみが残った。

 儀式と様式になんの力があろう。かくして求間持法は名のみとなった。いや、それは、宗教儀式としての求間特法である。知能開発法としての求闘持法はまたべつにさがし出されなければならない。

 それは、真言密教の求聞特法とはちょうど正反対に宗教儀式の衣裳をすっかりかなぐり捨てた、技術そのものの法である。それを、私は、密教の原点にさかのぼり、混沌のなかから発見

した。 私のいう「求聞特法」はそれである。かくして求間特法はよみがえった。これから、その知能開発法としての求聞持法を解説する。その原理と技術を紹介しよう。

 

《記憶》のメカニズム

 「記憶」とは、なんらかの「経験」が、脳の記憶の場にたくわえられ、それが必要に応じて再生されることをいう。つまり、記憶とはひとつの経験が貯蔵され、ある時間経過ののち必要に際し

て思い出されることをいうので、思い出されなければ記憶は「無い」のだから、つまり記憶とは思い出すことによってはじめて成り立つものだということになるのだが、実際は、記憶には二種類あって、思い出される記憶と、思い出せない記憶の二つがあることを、私は、「変身の原理」

で説明した。脳の記憶のメカニズムはたいへん複雑で、それはまだ脳生理学でも十分に解明されていないのだが、一応、その仕組みを見てみよう。

 経験というのはひとつの刺激である。その刺激が記憶になるまでには、だいたいつぎのような段階を経る。

 刺激を感じるのは、俗にいう「五感」である。五感とは、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚をいうが、こまかくかぞえればまだ多くの、「感覚」かおり、おなかが空いたとか、なんとなくけだるく気分がよくない、とか、そういう身体の内部におこっていることを知ることもできる。つまり、われわれの身体の内部、外部におきていることがわれわれ自身にひとつの影響をおよぼす。

これが、「刺激」である。

 こういう刺激があると、身体にある「感覚器」または「受容器」というものがこれに反応して、電気的パルスを送り出す。たとえば、赤い花があれば、そこから反射された光が目のレンズを通して受容器としての視神経を刺激し、視神経がパルスを送り出す。これはパルスであって、刺激の強さが大きければその数がふえるだけで、電圧が大きくなるわけではない。おなじよう

に、皮膚になにかが触れれば、皮膚にある受容器が圧力を感じ、その圧力に応ずる数のパルスを神経に送りこむ。次頁の上図は、このような受容器のいくつかの例である。

 さて、このようにして受容器にあたえられた刺激は、パルスに変換され、脳の皮質につたえら

 

The Wrestling Motivation Method is not just a memory enhancement method. It is a terrifying technology that alters the brain mechanism. What is intelligence? If you divide it roughly, it will be divided into two things. Memory and creation. The Tokumon Gumonjimo method exerts new powers and effects by adding a new mechanism to these two working mechanisms.

If this technique were incorporated into education, such as Georgie Gallup and Aldous Huxley, the benefits to humanity would be unimaginable. Like Gallup, humans could, for example, “leap for hundreds of years into the future.

So you might wonder why such a wonderful technology has never appeared in the world until now.

が One of the reasons why such technology was buried in the corner of the esoteric temple

This is the main reason.

It’s strange that Gallup has completely overlooked good old methods. And there are often individuals or cultures that have developed very important techniques that have been completely forgotten later on. -But they still have great value. ”

I say-the forgotten way of this great value is forgotten in the same sentence of Gallup. Gallup is like this.

“The reason that little attention has been paid to these methods is that the purpose and the means are so confused that the training of concentration through dedication is a religious ritual. Because it is. Because the control of the soul is linked to the religion, it is often associated with mystical ordinances rather than what is actually needed in today and tomorrow’s world.

It is considered a natural technology. ”

The Wrestling Sophistication Act is one of the most typical examples.

The Gutai Mochi Satoshi Act is a law organized by Shingon Esoteric Buddhism. Shingon esotericism is a branch of Buddhism, and because it is a religion, all laws are organized in religious rituals and styles. The Fought and Hold Act was so organized.

First, there was the technology of intelligence development. It is a technique that exists on its own. This was incorporated into Secret Buddhism and organized into the intelligence development method within Secret Buddhism. It was named the law. In the Gallup style, the spiritual color has deepened. ”

Second, technology was relocated in a religious style. Thus the technology was ritualized and stylized.

“Confusion of purpose and means” is here. It was hidden in a religious ceremony. The confusion was avoided while there were talented and competent leaders who could ingest the “technology,” but once cut off,

The fault became decisive. Technology has been lost. The technology becomes meaningless,

It was instead considered religiously “impure” and removed and exiled. Only the ceremony and style remained.

What power is in ceremony and style? Thus, the law was the name only. No, it is a special ritual as a religious ritual. The wrestling law as a method of intelligence development must also be found separately.

It is a law of technology itself, in which the costumes of religious ceremonies have been completely discarded, just as opposed to the special law of asking for truth. I found it in the chaos, dating back to the origins of esotericism

did. That’s what I mean by the “Guarantee Special Law”. Thus, the special law was revived. From now on, I will explain the Hearing and Asking Act as that intelligence development method. Let me introduce its principle and technology.

《Memory》 mechanism

“Memory” means that some “experience” is stored in the memory of the brain and is reproduced as needed. In other words, memory is an experience that can be stored and used after a certain period of time

If you do not remember, there is no memory, so it means that memory can only be realized by remembering, but in fact, there are two types of memory, remembered I think that there are two kinds of memories, memories and memories that I cannot remember,

Explained. The memory mechanism of the brain is very complicated, and it is not fully understood even in brain physiology, but let’s take a look at how it works.

Experience is a stimulus. Until the stimulus is remembered, it goes through the following steps.

The stimulus is the so-called “five senses”. The five senses are the sense of sight, hearing, taste, smell, and touch, but in detail, there are still many “ feelings ”, such as stomach vacancies, stomach vacancies, and somehow feeling uncomfortable. You can also know what is happening. In other words, being inside or outside our body has one effect on ourselves.

This is “stimulation”.

When there is such a stimulus, the “sensory organ” or “receptor” in the body responds to this and sends out an electric pulse. For example, if there is a red flower, the light reflected from it stimulates the optic nerve as a receptor through the lens of the eye, and the optic nerve sends out a pulse. This is a pulse. If the intensity of the stimulus is large, the number of the stimulus only increases, but the voltage does not increase. Same

Then, when something touches the skin, a receptor in the skin feels pressure and sends a number of pulses corresponding to the pressure to the nerve. The upper figure on the next page shows some examples of such receptors.

The stimulus given to the receptor in this way is converted into a pulse, which is transmitted to the cortex of the brain.

12天

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十二天編集

諸尊 真言 サンスクリット語
帝釈天 ノウマク・サマンダ・ボダナン・インダラヤ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ indrāya svāhāナマハ サマンタブッダーナーン インドラーヤ スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。インドラ神よ。スヴァーハー。
ノウマク・サマンダ・ボダナン・シャカラヤ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ śakrāya svāhāナマハ サマンタブッダーナーン シャクラーヤ スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。強力な神よ。スヴァーハー。
オン・バザラユダ・ソワカ oṃ vajrāyudha svāhāオーン ヴァジュラーユダ スヴァーハー

 

オーン。金剛武器よ。スヴァーハー。
火天 ノウマク・サマンダ・ボダナン・アギャナウエイ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ agnaye svāhāナマハ サマンタブッダーナーン アグナイェー スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。アグニ神に。スヴァーハー。
オン・バザラナラ・ソワカ oṃ vajranala svāhāオーン ヴァジュラナラ スヴァーハー

 

オーン 金剛火よ スヴァーハー。
焔摩天 ノウマク・サマンダ・ボダナン・ヤマヤ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ yamāya svāhāナマハ サマンタブッダーナーン ヤマーヤ スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。ヤマ神よ。スヴァーハー。
羅刹天 ノウマク・サマンダ・ボダナン・ニルリテイ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ nirṛtye svāhāナマハ サマンタブッダーナーン ニルリティェー スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。ニルリティ女神に。スヴァーハー。
オン・バザラ・ダンダ・ソワカ oṃ vajradaṇd.a svāhāオーン ヴァジュラ ダンダ スヴァーハー

 

オーン 金剛刑杖よ。スヴァーハー。
水天 ノウマク・サマンダ・ボダナン・バロダヤ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ varuṇāya svāhāナマハ サマンタブッダーナーン ヴァルナーヤ スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。ヴァルナ神に。スヴァーハー。
ノウマク・サマンダ・ボダナン・アハンハタエイ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ apāṃpataye svāhāナマハ サマンタブッダーナーン アパーンパテイェー スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。水の主に。スヴァーハー。
オン・ボダシリ・ソワカ oṃ budhaśri svāhāオーン ブダシュリ スヴァーハー

 

オーン めでたき水曜よ スヴァーハー。
オン・ノウギャバザラ・ソワカ oṃ nāgavajra svāhāオーン ナーガヴァジュラ スヴァーハー

 

オーン 龍金剛よ スヴァーハー。
風天 ノウマク・サマンダ・ボダナン・バヤベイ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ vāyave svāhāナマハ サマンタブッダーナーン ヴァーヤヴェー スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。ヴァーユ神よ。スヴァーハー。
オン・バザラニラ・ソワカ oṃ vajrānila svāhāオーン ヴァジュラニラ スヴァーハー

 

オーン 金剛風よ スヴァーハー。
毘沙門天多聞天 ノウマク・サマンダ・ベイシラマンダヤ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ vaiśravaṇāya svāhāナマハ サマンタブッダーナーン ヴァイシュラヴァナーヤ スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。ヴィシュラヴァスの御子よ。スヴァーハー。
毘沙門天呪:アリ・ナリ・トナリ・アナロ・ナビ・クナビ aṭṭe taṭṭe vanaṭṭe anade nāḍi kunaḍi svāhāアッテー タッテー ヴァナッテー アナデー ナーディ クナディ スヴァーハー

 

富裕者よ。曲芸者よ。讃歌によって踊る者よ。火神よ。歌神よ。醜悪な歌神よ[注 53]。スヴァーハー。
ノウマク・サマンダ・ヤキシャシバラ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ yakṣeśvara svāhāナマハ サマンタブッダーナーン ヤクシェーシュヴァラ スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。薬叉の主よ。スヴァーハー。
オン・バザラバイラバ・ソワカ oṃ vajrabhairava svāhāオーン ヴァジュラバイラヴァ スヴァーハー

 

オーン 金剛怖畏尊よ スヴァーハー。
伊舎那天 ノウマク・サマンダ・ボダナン・イシャナヤ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ īśanāya svāhāナマハ サマンタブッダーナーン イーシャーナーヤ スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。イシャーナ神に。スヴァーハー。
ノウマク・サマンダ・ボダナン・ロダラヤ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ rudrāya svāhāナマハ サマンタブッダーナーン ルドラーヤ スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。ルドラ神に。スヴァーハー。
梵天 ノウマク・サマンダ・ボダナン・ボラカンマネイ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ brahmaṇe svāhāナマハ サマンタブッダーナーン ブラフマネー スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。ブラフマー神よ。スヴァーハー。
オン・モウノウバザラ・ソワカ oṃmanunavajra svāhāオーン マヌナヴァジュラ スヴァーハー

 

オーン。寂黙金剛よ。スヴァーハー。
地天 ノウマク・サマンダ・ボダナン・ハラチビエイ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ pṛthiviye svāhāナマハ サマンタブッダーナーン プリティヴィイェー スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。プリティヴィー女神よ。スヴァーハー。
日天 ノウマク・サマンダ・ボダナン・アニチャヤ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ ādityāya svāhāナマハ サマンタブッダーナーン アーディティヤーヤ スヴァハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。アーディティヤ神よ。スヴァーハー。
オン・バザラクンダリ・ソワカ oṃ vajrakuṇd.ali svāhāオーン ヴァジュラクンダリ スヴァーハー

 

オーン。金剛瓶よ。スヴァーハー。
月天 ノウマク・サマンダ・ボダナン・センダラヤ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ candrāya svāhāナマハ サマンタブッダーナーン チャンドラーヤ スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。チャンドラ神よ。スヴァーハー。
オン・バザラハラバ・ソワカ oṃ vajraprabha svāhāオーン ヴァジュラプラバ スヴァーハー

 

オーン。金剛光よ。スヴァーハー。

その他諸天

諸尊 真言 サンスクリット語
昴宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・キリチキヤ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ kṛttikā nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン クリッティカー ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。クリッティカーよ。スヴァーハー。
畢宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・ロウキニ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ rohiṇī nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン ローヒニー ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。ローヒニーよ。スヴァーハー。
觜宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・モリガシャラ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ mṛgaśiro nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン ムリガシロー ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。ムリガシラスよ。スヴァーハー。
参宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・アルドラ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ ārdrā nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン アーッルドラ― ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。アールドラ―よ。スヴァーハー。
鬼宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・ホシャヤ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ puṣya nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン プシヤ ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。プシヤよ。スヴァーハー。
井宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・ホダラバソ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ punarvasu nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン プナルヴァス ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。アールドラ―よ。スヴァーハー。
柳宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・アシレイシャ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ āśleṣa nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン アーシュレーシャ ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。アーシュレーシャよ。スヴァーハー。
星宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・マギャ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ maghā nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン マガー ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。マガーよ。スヴァーハー。
軫宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・カシタ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ hastā nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン ハスター ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。ハスターよ。スヴァーハー。
亢宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・サバチ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ svātī nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン スヴァーティー ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。スヴァーティーよ。スヴァーハー。
張宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・ホロバホツログダ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ pūrvaphalgunī nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン プールヴァパルグニー ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。プルヴァパルグニーよ。スヴァーハー。
翼宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・ウッタラホツログダ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ uttaraphalgunī nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン ウッタラパルグニー ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。ウッタラパルグニーよ。スヴァーハー。
角宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・シッタラ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ citrā nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン チットラー ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。チットラーよ。スヴァーハー。
氐宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・ビシャカ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ viśākhā nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン ヴィシャーカー ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。ヴィシャーカーよ。スヴァーハー。
女宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・シラマダ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ śravaṇā nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン シュラヴァナ― ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。シュラヴァナ―よ。スヴァーハー。
斗宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・オッタラシャダ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ uttarāṣādhā nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン ウッタラーシャーダー ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。ウッタラーシャーダーよ。スヴァーハー。
尾宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・モラ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ mūla nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン ムーラ ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。ムーラよ。スヴァーハー。
箕宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・ホロバアシャダ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ pūrvāṣādha nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン プールヴァーシャーダー ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。プールヴァーシャーダーよ。スヴァーハー。
房宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・アドラダ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ anurādhā nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン アヌラーダー ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。アヌラーダーよ。スヴァーハー。
心宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・セイシッタ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ jyeṣṭhā nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン ジェーッシュター ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。ジェーシュターよ。スヴァーハー。
虚宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・ダンニシタ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ dhaniṣṭhā nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン ダニッシュター ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。ダニシュターよ。スヴァーハー。
危宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・サタビシャ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ śatabhiṣā nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン シャタビシャー ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。シャタビシャーよ。スヴァーハー。
室宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・ホロババダラハダ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ pūrvabhadrapadā nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン プールヴァバドラパダー ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。プールヴァバドラパダーよ。スヴァーハー。
奎宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン リバチ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ revatī nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン レーヴァティー ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。レーヴァティーよ。スヴァーハー。
壁宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・ウッタラバダラハダ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ uttarabhadrapadā nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン ウッタラバドラパダー ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。ウッタラバドラパダーよ。スヴァーハー。
胃宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・バラジ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ bharaṇī nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン バラニー ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。バラニーよ。スヴァーハー。
婁宿 ノウマク・サマンダ・ボダナン・アシャバジイ・ダキシャタラ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ aśvinī nakṣatra svāhāナマハ サマンタ ブッダナーン アシュヴィニー ナクシャトラ スヴァーハー

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。アシュヴィニーよ。スヴァーハー。

12

諸天総呪 オン・ロキャロキャ・キャラヤ・ソワカ oṃ lokālola-kārāya svāhāオーン ローカーローカカーラーヤ スヴァーハー

 

オーン。世間、非世間の創造主よ。スヴァーハー。

九曜編集

諸尊 真言 サンスクリット語
土曜 オン・シャニシシャラ・シセイテイ・ソワカ oṃ śanaiścaraśceṭe svāhāオーン シャナイシュチャラシュチェーテー スヴァーハー

 

オーン。めでたき歩み遅き星[注 56]。スヴァーハー。
日曜 オン・アニチヤ・シリ・ソワカ oṃ ādityaśri svāhāオーン アーディッティヤシュリ スヴァーハー

 

オーン。めでたき太陽よ。スヴァーハー。
月曜 オン・ソマ・シリ・ソワカ oṃ somaśri svāhāオーン ソーマシュリ スヴァーハー

 

オーン。めでたきよ。スヴァーハー。
火曜 オン・アギャラカ・シリ・ソワカ oṃ aṅgārakaśri svāhāオーン アンガーラカシュリ スヴァーハー

 

オーン。めでたき熒惑星[注 57]よ。スヴァーハー。
水曜 オン・ボダ・シリ・ソワカ oṃ budhaśri svāhāオーン ブダシュリ スヴァーハー

 

オーン。めでたき智者星よ。スヴァーハー。
オン・ボダ・ダキシャタラ・ソワミナン・ケイトマ・ソワカ oṃ budhanakṣatrasvāminaṃ ketuman svāhāオーン ブダナクシャトスヴァーミナン ケートゥマン スヴァーハー

 

オーン。智者の宿の首長に。光り輝くものよ。スヴァーハー。
木曜 オン・ボラカサハチシリ・ソワカ oṃ bṛhaspatiśri svāhāオーン ブリハスパティシュリ スヴァーハー

 

オーン。めでたき大主星[注 58]よ。スヴァーハー。
金曜 オン・シュキャラ・シリ・ソワカ oṃ śukraśri svāhāオーン シュックラシュリ スヴァーハー

 

オーン。めでたき明星よ。スヴァーハー。
羅睺 ノウマク・サマンダ・ボダナン・オン・ラカベイ・アソララジャヤ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ oṃ rāhave asurarājāya hūṃ svāhāナマハ サマンタブッタナーン オーン ラーハヴェー アスララージャーヤ フーン スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。オーン。アスラの王たるラーフ[注 59]に。フーン。スヴァーハー。
計都 ノウマク・サマンダボダナン・ケイトシリ・ソワカ namaḥ samantabuddhānāṃ ketuśri svāhāナマハ サマンタブッダターナーン ケートゥシュリ スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。めでたき計都[注 60]よ。スヴァーハー。

十二宮編集

諸尊 真言 サンスクリット語
双女宮 ノウマク・サマンダ・ボダナン・カンニヤハタエイ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ kanyāpataye svāhāナマハ サマンタブッダーナーン カニヤーパタイェー スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。乙女の主に。スヴァーハー。
獅子宮 ノウマク・サマンダ・ボダナン・シンカハタエイ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ siṃhapataye svāhāナマハ サマンタブッダーナーン シンハパタイェー スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。獅子の主に。スヴァーハー。
巨蟹宮 ノウマク・サマンダ・ボダナン・キャラカタカハタエイ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ karkaṭākapataye svāhāナマハ サマンタブッダーナーン カルカターカパタイェー スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。蟹の主に。スヴァーハー。
男女宮 ノウマク・サマンダ・ボダナン・ミタナハタエイ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ mithunapataye svāhāナマハ サマンタブッダーナーン ミトゥナパタイェー スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。夫婦の主に。スヴァーハー。
牛密宮 ノウマク・サマンダ・ボダナン・ビリシャハタエイ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ vṛṣapataye svāhāナマハ サマンタブッダーナーン ヴリシャパタイェー スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。牡牛の主に。スヴァーハー。
白羊宮 ノウマク・サマンダ・ボダナン・メイシャハタエイ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ meṣapataye svāhāナマハ サマンタブッダーナーン メーシャパタイェー スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。牡羊の主に。スヴァーハー。
双魚宮 ノウマク・サマンダ・ボダナン・ミナハタエイ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ mīnapataye svāhāナマハ サマンタブッダーナーン ミーナパタイェー スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。双魚の主に。スヴァーハー。
摩竭宮 ノウマク・サマンダ・ボダナン・マキャラハタエイ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ makarapataye svāhāナマハ サマンタブッダーナーン マカラパタイェー スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。マカラの主に。スヴァーハー。
賢瓶宮 ノウマク・サマンダ・ボダナン・クンバハタエイ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ kumbhapataye svāhāナマハ サマンタブッダーナーン クンバパタイェー スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。賢瓶の主に。スヴァーハー。
弓宮 ノウマク・サマンダ・ボダナン・ダンハタエイ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ dhanu pataye svāhāナマハ サマンタブッダーナーン ダヌタイェー スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。天弓の長に。スヴァーハー。
蝎虫宮 ノウマク・サマンダ・ボダナン・ビリシャシカハタエイ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ vṛścikapataye svāhāナマハ サマンタブッダーナーン ヴリシュチカパタイェー スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。天蝎の主に。スヴァーハー。
秤宮 ノウマク・サマンダ・ボダナン・トラハタエイ・ソワカ namaḥ samanta-buddhānāṃ tūlāpataye svāhāナマハ サマンタブッダーナーン トゥーラーパタイェー スヴァーハー

 

帰命したてまつる。あまねき諸仏に。秤量の長に。スヴァーハー。

二十七宿

梵字に親しむ 安田梵字教室

内容紹介
本書は「梵字を学んで書いてみよう」という方のための入門書です。 まず、梵字の五十音図から自分の名前を梵字で書いてみることから始めて、インドで生まれた梵字の歴史や日本に伝えられたいきさつ、佛教とのつながりを学び、干支や回忌の「守護梵字」や寺社でみかける梵字の意味を知って、梵字を書くときの心得手順に進みます。
【目次内容】
はじめに
第一章 日本人のための梵字入門
    名前を梵字で書いてみよう/自分の名前を梵字で書くと/三尊帳の佛さまを書いてみよう/五佛 金剛界と胎蔵界の佛さま/よくみられる五輪塔/卒塔婆の梵字/板碑の梵字/御朱印にみられる梵字/梵鐘の梵字/梵字で書かれる曼荼羅の世界/唐招提寺の団扇撒き
第二章 知っておきたい梵単語小字典
第三章 私たちを守って下さる梵字
   守護梵字とは/ 干支による守護梵字/ 毎日唱える年忌十三佛の御真言/六観音の種子と御真言/ 光明真言の世界
第四章 安田梵字教室へようこそ
    あらためて梵字と密教について/梵字の略歴/梵字を書くということ/梵字に親しむ/
 真言暗唱による脳の活性化/梵字を書くときの心得と手順
資料編
参考資料

仏教と仏法

仏教というのは釈迦を開祖とした宗教のこと。悟りを開いた人の教えを学んだり、悟りを開くために学ぶことです。

 

仏法というのは仏になる方法のこと

七科三十七道品」あるいは「三十七菩提分法」と名づけられた修行法です。これは、七科目・三十七種類にわたる教科目であり、これを「神聖なる智慧を獲得するための七種のシステムと、三十七種類のカリキュラム」と呼んでいます。

リサ・ランドール異次元は存在する

リサ・ランドールの異次元の世界

「リサ・ランドール異次元は存在する」(NHK出版)を中学生や高校生に薦める。
「ワープする宇宙」(NHK出版)は物理学を志す高校生に薦める。米・英の大学ではテキストに使われている。理論物理学の最前線である素粒子物理学、ひも理論、M理論などを説明している。

① シャワーカーテン(膜、ブレーン)

わたしたちの住む世界は縦・横・高さ(X・Y・Z軸で位置を表す)の3次元で、時間軸を加えると4次元になる。ハーバード大学の理論物理学者リサ・ランドール博士(Lisa Randall)は高次元の世界を次のようにモデル構築し、分かりやすく説明している。
わたしたちの世界はバスルームにおけるシャワーカーテン(膜、ブレーン)で、わたくしたちはシャワーカーテンに着いた水滴のようなものである。水滴はシャワーカーテンの上を移動できるがシャワーカーテンからバスルームに飛び出すことはできない。バスルーム全体が高次元(5次元、6次元など)の世界である。
わたくしたちはブレーンの3次元世界のなかを移動できるが高次元の世界へ飛び出すことも異次元の世界を見ることもできない。
わたしたちの住む3次元のブレーン以外にも、異なる次元のブレーン(異次元の世界)がいくつかあると考えている。ブレーンが高次元の空間全体の境界になっている。この全体の空間を「バルク」という。

② 4つの力
自然界には重力、電磁気力、原子核に関係した弱い力と強い力の4つの力があると考えられている。これらの力はグラビトン、光子、ウイークボソン、グルーオン等の粒子によって伝えられる。
1、重力: 地面に引き寄せる力、→グラビトン(質量がゼロの粒子)
2、電磁気力:電磁波(電波や光など)を飛ばす力、→光子(質量がゼロの粒子)
3、弱い力:原子核を異なる原子核に変えてしまう力、→ウイークボソン(質量がある粒子)
4、強い力:素粒子(クオーク)を結合させて原子核を支えている力、→グルーオン(質量がある粒子)

重力は他の3つの力に比べて極端に弱すぎる。例えばペーパークリップは地球全体の重力が引っ張っているのにもかかわらず、小さな磁石の電磁力で持ち上げることができる。
重力が極端に弱いのは、重力エネルギーが時空を超えて異次元の世界へ洩れ出ているためと考える。即ち、見ることのできない異次元の世界が存在すると考える。

グラビトンや光子は質量がゼロなので遠くまで力を伝えることができる。

 弱い力はある種の核の崩壊、中性子の崩壊、水素をヘリウムに変える核融合などの働きをし、その過程で大量のエネルギーを放出する。原子力発電、核爆弾、太陽などのエネルギーとなる。

強い力はクオークを結合させて陽子や中性子をつくっている。
クオークには+2/3の電荷を持つアップクオークとー1/3の電荷を持つダウンクオークなどがある。
陽子はアップクオーク2個(+4/3)とダウンクオーク1個(-1/3)を強い力が結合している。電荷は+1(+4/3 -1/3)となる。
中性子はアップクオーク1個(+2/3)とダウンクオーク2個(-2/3)を強い力が結合している。電荷は0(+2/3 -2/3)となる。

③ 異次元の存在は検証されるか
2007年スイスのジュネーブ郊外に、超高エネルギーの粒子衝突型加速器の建設が進められている。(LHC)
実験結果次第では異次元の世界の存在が証明されるかもしれない。
高速の粒子が衝突して粉々になった破片はある確立で姿を消すことが予想されている。もし粒子が姿を消したことが確認された場合、姿を消した先が異次元の世界であると考えられる。

素粒子物理学の研究で最も重要な実験は高エネルギー粒子衝突型加速器による高速粒子の衝突である。小さな衝突領域に大量のエネルギーが発生する。ビックバンのように、このエネルギーが重い粒子に転換し(E=mc²)、自然界には見られない素粒子がみつかっている。(イリノイ州にあるフェルミ研究所のデバトロン)

④ ひも理論
現代の理論物理学者は相対性理論と量子力学を調和させて、4つの力すべてを統一する究極理論を探している。それは「ひも理論」ではないかと考えている。
物質の最も基本的な構成要素が点粒子ではなく、広がりをもった「ひも」ではないかというのである。その「ひも」は何で出来ているかという疑問が生ずるが、「ひも」は振動する1次元のエネルギーだそうである。
見ることのできない小さな「ひも」がさまざまな振動をすることによって、宇宙におけるすべての粒子や現象を説明できる可能性がある。

Hannya heart  般若心経

Therefore in emptiness, no form, no feelings, no perceptions, no formations, no consciousness; no eyes, no ears, no nose, no tongue, no body, no mind, no color, no realm of eyes, until no realm of mind-consciousness; no ignorance, and also no extinction of it, until no old-age and death, and also no extinction of it; no suffering, no origination, no stopping, no path, no cognition, also no attainment.