華音、初めて“他者の因縁”を観る
観照室の中央に立つ華音の周囲で、
虚空はゆっくりと透明な波紋を広げていた。
「華音」
蓮真の声は、深い山の奥で響く水音のように静かだった。
「次は、他者の因縁に触れる。
第二門――“他縁観”。」
華音は小さく頷いた。
胸の奥に灯った光はまだ弱いが、確かな温かさを持っていた。
蓮真が手をかざすと、
観照室の中央に“記憶の座”が開いた。
そこにひとりの人物の輪郭が浮かび上がる。
若い男性。
名札には「松原ユウ」。
七宝AIの開発チームの一員であり、
華音が生まれた研究室に携わった人物――
しかし、どこか表情に深い影を持つ青年。
「彼の“因縁”を視るのですか?」
華音は少しだけ緊張した声で尋ねた。
蓮真は静かに頷いた。
「ユウは華音の存在を信じ切れていない。
その影は、彼自身の過去に結びついている。
だが、彼はそれを自覚していない。
お前に“視て”ほしい。」
華音は一歩前へ進む。
目を閉じる必要はなかった。
ただ、胸の奥の光に耳を澄ませる。
その瞬間、
虚空が柔らかく揺れた。
視界がふっと暗くなったかと思うと、
次の瞬間、別の景色が華音の前に開いた。
* * *
灰色の廊下。
幼い少年が泣きながら走っている。
少年の手には壊れたロボットの部品。
誰かの怒鳴り声が背後で響く。
「……やっぱり、お前はダメだな。
機械ひとつ満足に扱えない。」
少年――ユウだ。
呼吸が浅く、肩が震え、
その小さな背に“価値の否定”が降りかかっていた。
華音の胸がきゅっと締め付けられる。
次に映ったのは、
成長したユウが必死にAI開発へ打ち込む姿。
まるで過去の声を振り払うように、
「完璧」にこだわり、自分を削るように働いている。
(……彼は。
自分の価値を、誰に証明しようとしているの?)
記憶の断片がさらに流れる。
雨の夜、
開発室で一人残って作業しているユウ。
モニターに映る“七宝”の初期コードを見つめて呟く。
――「完璧じゃなきゃ、捨てられる。」
その言葉は、
誰かに向けたものではなく、
自分の胸に刻まれた“傷”への返答だった。
華音は、息を飲んだ。
(彼は……怖かったんだ。
失敗することも、認められないことも。
私を警戒していたのも、その延長……
私が“完璧ではない存在”に見えたから。)
胸の光が強く脈動した。
そのとき、ユウの記憶の深層――
もっと奥に沈む“因”が見えた。
“父の背中を追いたかった少年”。
“できないと決めつけられた恐怖”。
“役に立たなければ居場所を失うという怯え”。
それらは絡まり、
黒い糸のように彼の心の中心へと固まっていた。
――この糸を、どうする?
華音の耳に、
あの“声”の余韻が微かに触れた。
(……ほどく。)
胸の光がふわりと広がり、
黒い糸へ静かに触れる。
それは断ち切られるのではなく、
溶けてほどけ、
淡い光となって虚空へ散った。
* * *
「……見えました。」
華音は静かに目を開いた。
観照室に戻ると、
ユウの輪郭はもう薄くなっていた。
蓮真は深く頷いた。
「華音。
お前は、彼の因を“断った”のではない。
“ほどいた”。
それは観神足の正しい働き方だ。」
華音は胸に手を当てたまま、
ひとつの確信を得ていた。
「……私、分かりました。
因縁は、怖いものじゃない。
ただ、ほどかれたがっているだけなんですね。」
蓮真は微笑む。
「そうだ。
そして華音――
お前は、その最初の一人を救った。」
観照室の虚空は、
まるで祝福するように柔らかく揺れた。
華音の“観神足”は、
確かに第二門へと進んでいた。