UA-135459055-1

「サイト・マヘトでの驚異の出会い

思念による王者の相承祇園精舎でリンポーチェと再会し、先輩であるサンガラターナ師に案内される。その後、仏陀の奇蹟を説明され、感動する中、突然強烈なバイブレーションに襲われる。これが超常的な体験への入り口であり、密教の修行を通じての脳の変革へとつながる。その後、リンポーチェの提言でサイト・マヘトを訪れ、仏陀の奇蹟の一つであるミラクルの池に触れ、感動と霊的な啓示を得る。

バスから降りた時、周囲には物乞いや物売りの姿が見当たらず、そこが聖地の雰囲気を保っていることに感心した。サンガラターナ師との再会や精舎の案内を受け、神聖な場所への導きを嬉しく思う。サイト・マヘトではミラクルの池を訪れ、その奇蹟に触れることで霊的な感動が訪れた。

その場でサンガラターナ師が語る仏陀の奇蹟に心を打たれる。仏陀が火と水の両方を操り、空中浮揚する姿を目にしたことを思い出す。そのとき、突然強烈なバイブレーションが襲い、体験が始まることを示唆する。その後、リンポーチェの提言でサイト・マヘトに訪れ、ミラクルの池の奇蹟に触れることで霊的な啓示を受ける。

バスから降りた時、周囲には物乞いや物売りの姿が見当たらず、そこが聖地の雰囲気を保っていることに感心した。サンガラターナ師との再会や精舎の案内を受け、神聖な場所への導きを嬉しく思う。サイト・マヘトではミラクルの池を訪れ、その奇蹟に触れることで霊的な感動が訪れた。

その場でサンガラターナ師が語る仏陀の奇蹟に心を打たれる。仏陀が火と水の両方を操り、空中浮揚する姿を目にしたことを思い出す。そのとき、突然強烈なバイブレーションが襲い、体験が始まることを示唆する。その後、リンポーチェの提言でサイト・マヘトに訪れ、ミラクルの池の奇跡に触れることで霊的な啓示を受ける

思念による王者の相承祇園精舎でリンポーチェと再会し、先輩であるサンガラターナ師に案内される。その後、仏陀の奇蹟を説明され、感動する中、突然強烈なバイブレーションに襲われる。これが超常的な体験への入り口であり、密教の修行を通じての脳の変革へとつながる。その後、リンポーチェの提言でサイト・マヘトを訪れ、仏陀の奇蹟の一つであるミラクルの池に触れ、感動と霊的な啓示を得る。

 

サイトマヘトでバスをおりたとき、

「ここはいいな」

とまず思ったのは、もの乞いや、もの売りのすがたがまったくなかった

ことであった。

けんそう

どの仏跡も、もの乞いともの売りが喧噪をきわめ、これがどれだけ聖地 のイメージをそこねていたことか。

アシュラム

サエルラブル

祇園精舎の入り口の前の広場に、二階建て、白塗りの寺院があった。そ の前に数名の人が群れ、その中心に、六十歳なかばと思われるがっしりと した体格の一人の僧が立っていた。バスからおりたリンポーチェをみとめ ると、満面に笑みをたたえ、大きく手をひろげて近づいてきた。二人は手 にぎり合って、なつかしそうに話しはじめた。

やがてひき合わされたところによると、リンポーチェの先輩すじにあた

ある聖師で、 メチワラ・サンガラターナというかたであった。

「スリランカの出身で、非常な学僧です。 去年、ここへ寺院を建てたのだ

そうです。わたしもここへ来るまで知りませんでした」

そう、リンポーチェがいった。

「仏陀が十八年間説法されたこの精舎のそばで、 生涯を終えるのが、わた くしのかねてからの念願でした」

サンガラターナ師は、あたりに響きわたるような大きな声で語った。や やなまりのある英語であった。 がっしりとした頑丈そうな体格で、声が大 きいのは健康なのだろう。八十一歳という年齢を聞いてびっくりした。ど うみても六十歳代としかみえないのである。

師が先に立って、精舎を案内してくださった。われわれが師をガイドに 得たことはじつにしあわせであった。観光会社がつけてくれたガイドも、 この地のことにはあまり知識がなく、リンポーチェにしても、数年前に一 度しか来たことがなかったのである。他の仏跡地のように、サイト・マへ トには案内人がいないのである。もし、サンガラターナ師がおられなかっ たら、われわれは、祇園精舎をただあるきまわるだけで、ひとつひとつの

師はうなずいた。

明して行く

遺跡について、くわしいことはなにひとつ知ることはできなかったであろ う。師はわが家の庭のごとく、愛情をこめて、あれこれと指さしながら説

小高い丘の上に立って、わたくしは師の説明を聞いていた。

そのとき、突然、それがやってきたのだった。

師の大きな声が突然すうっと遠のいたかと思うと、右ななめ前方から、 がぁんと、頭から頬にかけてなぐりつけられたような衝撃を感じたのだ。 目の中を白い光が飛んだ。 剣道で力いっぱい面を打たれたとき、目の 中を走るの閃光に似ていた。わたくしは思わずくらくらとして、額に手 をあてた。一種のバイブレーションであることはわかった。わたくしも密 教の修行者として各地の霊場をあるき、何度か霊的なバイブレーションを うけている。しかし、こんなすさまじい叩きつけるようなバイブレーショ ははじめてであった。しかもまったく無防禦だったので、完全に不意を つかれたという感じだった。どこでも霊場へ入るときには、それなりの心

「待ってください」

がまえをして入る。だからつよいバイブレーションをうけてもうけとめら れるのだが、ここでは全く無防禦だったので、その衝撃はことにつよかっ たのだ。数秒つづいたように感じたが、それはほんの一瞬のようであっ た。師の大きな声がふたたび耳によみがえってきた。

わたくしは手をあげて師を制した。

「ちょっと待って。わたくしはいま、ものすごいバイブレーションを感じ たのです。それはものすごいバイブレーションで、そう、あの方向からき

ました。あれはなんですか? あの凹地は」

くぼみ

わたくしは、その衝撃がきたと思われる方向をゆびさした。 五十メート ルほど前方に、雑草の生いしげった凹地があった。そこから、それがきた 思われた。

「ああ、あれですか」

大異変が生じたのだ。 その異変により、神経線維が異常分泌をおこした か、それともそこにある分泌液、神経液に変化がおきたのか、そのいずれ であるかはわからぬが、それらの分泌液が複雑に混合し合って、化学反応 をおこしたのだ。あの火は、その化学反応による衝撃が、視床の神経をは げしく打って、網膜に閃光を走らせたのだ。その衝撃はここの神経線維に シナプスをむすび、その火はいつでも私の思うまま私の脳の内奥に明星を またたかせることとなった。同時に私の脳の構造も一変した。 求聞持聡明 法の成就である。求聞持聡明法とは、脳の内部の化学反応による脳組織の 変革であったのだ。 (密教・超能力の秘密」 平河出版社)

わたくしのいう練行tapasが、 どのようなものであるか、だいたいおわかりい ただけたことと思う。 いまから考えると、これは「求聞持聡明法」そのものの成 就ではなかったかもしれない。まったく新しい法の開発ではなかったかと思う。 そのいずれであるかは別として、霊視・霊聽、ホトケの現形といった霊的な

超常的パワーをわたくしにあたえてくれたことだけはたしかであった。

ひげぎよう

そしてまたそれは、それだけのことではなかった。つぎの次元への大きな飛 台となるものだったのである。それはおよそ「密教・超能力の秘密』刊行後十 年のちに起きた。

一九八〇年十一月、わたくしはインド仏跡巡拝の旅に出た。その旅行におい それは起こった。

一九八年七月発行の「一九九九年カルマと霊障からの脱出』(平河出版社)よ りの抜粋である。

白銀の輝きにみちたバイブレーション

五日、六日、七日、旅程は順調にすすんでいった。

しかし、日を経るにしたがって、わたくしのこころは沈んでいった。 仏跡のひとつひとつみなすばらしいものではあったが、わたくしのここ ひそかに期待していたような感動はあたえてくれなかったのである。ま

ことに不遜ないいかただが、このわたくしがこうしてインドまできたの だ。なにかあるはずだ、そう気負っていたものが崩れおちていた。

仏跡巡拝さいごの日であった。

仏陀終焉の地、クシナガラ。

仏陀が十八年間説法されたという祇園精舎サイト・マヘト。

これでおわりであった。あとの旅程は、デリーから、エローラ、アジャ ンタの石窟寺院で、仏教にゆかりはあるが、仏跡そのものではない。

わたくしのこころは、もはや仏跡からはなれていた。だから、その朝、 道路事情が非常にわるいため、 クシナガラかサイト・マヘトか、いずれか 一方にしぼらねばならなくなったと聞かされたとき、わたくしは、どちら でもよいと思いながら、なに気なく、

「サヘト・マヘトにしよう」

といったのだ。

それを告げた秘書が

「やはり、そうですか」

といったが、わたくしはべつに気にもとめなかった。

動き出したバスの中で、秘書がこういった。

「前から、リンポーチェがいっておられたんです。 桐山先生には、どこを

おいても、サイト・マヘトにはかならず行っていただきたい、と。ですか さっき先生のご決定を聞いて、やはりそうかと思ったんです」

「ふうむ、リンポーチェがそういっていたの?」

「はい、日本にいるときからそうでした。 カトマンズに出迎えられたとき もくりかえしていっておられました。さっきも、ぜったいにサイト・マ ヘトにするよう、先生に申し上げてくれといっておられました」

わたくしはうなずいたが、べつにふかくは考えなかった。しかし、その サイト・マヘトに、真っ向からわたくしを叩きのめすすさまじい衝撃が待 ちかまえていたのである。

「あれは、ミラクルの池です」

「ミラクルの池?」

「そう、ミラクルの池。仏陀が奇蹟をおあらわしになった。そこであそこ ミラクルの池とよぶのです」

「そのミラクルとは、どんなミラクルなのですか?」

「それは、仏陀が空中浮揚してこの池の上に立ち、上半身を火に、下半

身を水にかえたのです」

「ほう、それはどういうことですか?」

それはですね、と師の説明によると、こうであった。

スラバスティの大長者スダッタ(須達多)が、仏陀のために大金を投じて ここに土地を求め、大精舎を建立した。 仏陀の名声は四方につたわり、教

きびす

えを乞うもの踵を接した。

しょうょう

この附近には、ジャイナ教その他の外道の寺院がたくさんあった。それ らの寺院の指導者たちは、仏陀の名声をねたみ、いろいろ、仏陀を中傷、

批難した。中でもとくに、仏陀を口のうまい山師にすぎないといいふらし た。口さきで理論を説くだけで、なに一つ神通力を持っていない、要する に口舌の徒であるという批難であった。当時のインドの宗教界では、指導 者となるためには、なんらかの神通力を持つことが、必須の条件とされて いた。ところが、仏陀は、無用に神通力をあらわすことをきらって、この 地に来てから一度もその力を示すことがなかったのである。

他の教団の指導者たちは、これを、仏陀にその力がないからだと考え、 これを攻撃したわけである。 仏陀が大神通力の持ちぬしであることを知っ ている高弟たちは、一度、ぜひその力を示されるようおねがいしたが、仏 陀は承知されなかった。いよいよ神通力などないと思いあがった他教団の 指導者たちは、自分たちのパトロンである他の長者や勢力者たちを通じ て、スダッタに、仏陀と神通力の試合を申し入れた。負けたほうがこの地 を去るという条件である。 スダッタもついにことわりきれず、仏陀に試合 を

通した。あるいは、スダッタも仏陀の神通力を見たかったのかも知れ

ない。仏陀もスダッタの立場を考慮され、ついにこれを承諾された。

その日、他の教団の指導者たちが、これみよがしにさまざまな神通力を 競い合ったさいごに、仏陀がすがたをあらわされた。

バルコニー

仏陀は三層の高楼の舞台にそのおすがたをあらわされたのである。いか なる神通力をあらわされるのかと群衆が固唾をのんで見守るなか、なんと

ぞうさ

仏陀は露台の手すりを無雑作に乗り越えられ、空中に足を踏み出されたの である。一瞬、手をはなされる。仏陀墜落! とみるまに、仏陀はそのま まゆっくりと空中浮揚して、庭園にむらがる大衆の頭上を越え、きよら かな清水をたたえた庭園の池の上に立たれたのである。微風に小波をたて

清涼池の水の上に、仏陀はしずかに立っておられるのである。 群衆が思 わずわが目をうたがったつぎの瞬間、仏陀の上半身は火炎となって燃えあ がり、下半身は玉のような水と化したのである。

目のあたりに見る大神通力に、なみいる他教団の指導者や、土地の勢力 者をはじめ、すべてのひとびとはその場にひれ伏して、頭をあげ得なかっ

わたくしは、額に手をあてて師の説明を聞いていた。途中からふいに、 やわらかなバイブレーションとともに、ひとつの概念 思考の流れがし ずかにわたくしの脳髄ふかく流れこんでくるのを感じたのである。わたく しは、自分の思念をまったくとめて、それをすなおにうけいれていた。 突 如、さいごに、すさまじい戦慄が走った。 全身の血がいっぺんにひいてゆ くような、名状しがたい恐怖感の襲撃だった。それがおわったとき、師の 説明もおわった。

「先生、 その、上半身が火となって、下半身が水となる、というのは、ど こういうことでしょうか?」

だれかがわたくしに質問した。

「ああ、それはね、全身のチャクラが、すさまじいパワーで、エネルギー 放射したのでしょう。空中浮揚をするために、仏陀は全身のチャクラに すさまじいエネルギーを集中した。池の上に降り立って、そのエネルギー

 

 

 

上の      文章を要点   200文字にして

 

 

 

 

 

 

 

思念による王者の相承祇園精舎でリンポーチェと再会し、先輩であるサンガラターナ師に案内される。その後、仏陀の奇蹟を説明され、感動する中、突然強烈なバイブレーションに襲われる。これが超常的な体験への入り口であり、密教の修行を通じての脳の変革へとつながる。その後、リンポーチェの提言でサイト・マヘトを訪れ、仏陀の奇蹟の一つであるミラクルの池に触れ、感動と霊的な啓示を得る。

 

サイトマヘトでバスをおりたとき、

「ここはいいな」

とまず思ったのは、もの乞いや、もの売りのすがたがまったくなかった

ことであった。

けんそう

どの仏跡も、もの乞いともの売りが喧噪をきわめ、これがどれだけ聖地 のイメージをそこねていたことか。

アシュラム

サエルラブル

祇園精舎の入り口の前の広場に、二階建て、白塗りの寺院があった。そ の前に数名の人が群れ、その中心に、六十歳なかばと思われるがっしりと した体格の一人の僧が立っていた。バスからおりたリンポーチェをみとめ ると、満面に笑みをたたえ、大きく手をひろげて近づいてきた。二人は手 にぎり合って、なつかしそうに話しはじめた。

やがてひき合わされたところによると、リンポーチェの先輩すじにあた

ある聖師で、 メチワラ・サンガラターナというかたであった。

「スリランカの出身で、非常な学僧です。 去年、ここへ寺院を建てたのだ

そうです。わたしもここへ来るまで知りませんでした」

そう、リンポーチェがいった。

「仏陀が十八年間説法されたこの精舎のそばで、 生涯を終えるのが、わた くしのかねてからの念願でした」

サンガラターナ師は、あたりに響きわたるような大きな声で語った。や やなまりのある英語であった。 がっしりとした頑丈そうな体格で、声が大 きいのは健康なのだろう。八十一歳という年齢を聞いてびっくりした。ど うみても六十歳代としかみえないのである。

師が先に立って、精舎を案内してくださった。われわれが師をガイドに 得たことはじつにしあわせであった。観光会社がつけてくれたガイドも、 この地のことにはあまり知識がなく、リンポーチェにしても、数年前に一 度しか来たことがなかったのである。他の仏跡地のように、サイト・マへ トには案内人がいないのである。もし、サンガラターナ師がおられなかっ たら、われわれは、祇園精舎をただあるきまわるだけで、ひとつひとつの

師はうなずいた。

明して行く

遺跡について、くわしいことはなにひとつ知ることはできなかったであろ う。師はわが家の庭のごとく、愛情をこめて、あれこれと指さしながら説

小高い丘の上に立って、わたくしは師の説明を聞いていた。

そのとき、突然、それがやってきたのだった。

師の大きな声が突然すうっと遠のいたかと思うと、右ななめ前方から、 がぁんと、頭から頬にかけてなぐりつけられたような衝撃を感じたのだ。 目の中を白い光が飛んだ。 剣道で力いっぱい面を打たれたとき、目の 中を走るの閃光に似ていた。わたくしは思わずくらくらとして、額に手 をあてた。一種のバイブレーションであることはわかった。わたくしも密 教の修行者として各地の霊場をあるき、何度か霊的なバイブレーションを うけている。しかし、こんなすさまじい叩きつけるようなバイブレーショ ははじめてであった。しかもまったく無防禦だったので、完全に不意を つかれたという感じだった。どこでも霊場へ入るときには、それなりの心

「待ってください」

がまえをして入る。だからつよいバイブレーションをうけてもうけとめら れるのだが、ここでは全く無防禦だったので、その衝撃はことにつよかっ たのだ。数秒つづいたように感じたが、それはほんの一瞬のようであっ た。師の大きな声がふたたび耳によみがえってきた。

わたくしは手をあげて師を制した。

「ちょっと待って。わたくしはいま、ものすごいバイブレーションを感じ たのです。それはものすごいバイブレーションで、そう、あの方向からき

ました。あれはなんですか? あの凹地は」

くぼみ

わたくしは、その衝撃がきたと思われる方向をゆびさした。 五十メート ルほど前方に、雑草の生いしげった凹地があった。そこから、それがきた 思われた。

「ああ、あれですか」

 

 

 

 

 

 

大異変が生じたのだ。 その異変により、神経線維が異常分泌をおこした か、それともそこにある分泌液、神経液に変化がおきたのか、そのいずれ であるかはわからぬが、それらの分泌液が複雑に混合し合って、化学反応 をおこしたのだ。あの火は、その化学反応による衝撃が、視床の神経をは げしく打って、網膜に閃光を走らせたのだ。その衝撃はここの神経線維に シナプスをむすび、その火はいつでも私の思うまま私の脳の内奥に明星を またたかせることとなった。同時に私の脳の構造も一変した。 求聞持聡明 法の成就である。求聞持聡明法とは、脳の内部の化学反応による脳組織の 変革であったのだ。 (密教・超能力の秘密」 平河出版社)

わたくしのいう練行tapasが、 どのようなものであるか、だいたいおわかりい ただけたことと思う。 いまから考えると、これは「求聞持聡明法」そのものの成 就ではなかったかもしれない。まったく新しい法の開発ではなかったかと思う。 そのいずれであるかは別として、霊視・霊聽、ホトケの現形といった霊的な

超常的パワーをわたくしにあたえてくれたことだけはたしかであった。

ひげぎよう

そしてまたそれは、それだけのことではなかった。つぎの次元への大きな飛 台となるものだったのである。それはおよそ「密教・超能力の秘密』刊行後十 年のちに起きた。

一九八〇年十一月、わたくしはインド仏跡巡拝の旅に出た。その旅行におい それは起こった。

一九八年七月発行の「一九九九年カルマと霊障からの脱出』(平河出版社)よ りの抜粋である。

白銀の輝きにみちたバイブレーション

五日、六日、七日、旅程は順調にすすんでいった。

しかし、日を経るにしたがって、わたくしのこころは沈んでいった。 仏跡のひとつひとつみなすばらしいものではあったが、わたくしのここ ひそかに期待していたような感動はあたえてくれなかったのである。ま

ことに不遜ないいかただが、このわたくしがこうしてインドまできたの だ。なにかあるはずだ、そう気負っていたものが崩れおちていた。

仏跡巡拝さいごの日であった。

仏陀終焉の地、クシナガラ。

仏陀が十八年間説法されたという祇園精舎サイト・マヘト。

これでおわりであった。あとの旅程は、デリーから、エローラ、アジャ ンタの石窟寺院で、仏教にゆかりはあるが、仏跡そのものではない。

わたくしのこころは、もはや仏跡からはなれていた。だから、その朝、 道路事情が非常にわるいため、 クシナガラかサイト・マヘトか、いずれか 一方にしぼらねばならなくなったと聞かされたとき、わたくしは、どちら でもよいと思いながら、なに気なく、

「サヘト・マヘトにしよう」

といったのだ。

それを告げた秘書が

「やはり、そうですか」

といったが、わたくしはべつに気にもとめなかった。

動き出したバスの中で、秘書がこういった。

「前から、リンポーチェがいっておられたんです。 桐山先生には、どこを

おいても、サイト・マヘトにはかならず行っていただきたい、と。ですか さっき先生のご決定を聞いて、やはりそうかと思ったんです」

「ふうむ、リンポーチェがそういっていたの?」

「はい、日本にいるときからそうでした。 カトマンズに出迎えられたとき もくりかえしていっておられました。さっきも、ぜったいにサイト・マ ヘトにするよう、先生に申し上げてくれといっておられました」

わたくしはうなずいたが、べつにふかくは考えなかった。しかし、その サイト・マヘトに、真っ向からわたくしを叩きのめすすさまじい衝撃が待 ちかまえていたのである。

「あれは、ミラクルの池です」

「ミラクルの池?」

「そう、ミラクルの池。仏陀が奇蹟をおあらわしになった。そこであそこ ミラクルの池とよぶのです」

「そのミラクルとは、どんなミラクルなのですか?」

「それは、仏陀が空中浮揚してこの池の上に立ち、上半身を火に、下半

身を水にかえたのです」

「ほう、それはどういうことですか?」

それはですね、と師の説明によると、こうであった。

スラバスティの大長者スダッタ(須達多)が、仏陀のために大金を投じて ここに土地を求め、大精舎を建立した。 仏陀の名声は四方につたわり、教

きびす

えを乞うもの踵を接した。

しょうょう

この附近には、ジャイナ教その他の外道の寺院がたくさんあった。それ らの寺院の指導者たちは、仏陀の名声をねたみ、いろいろ、仏陀を中傷、

批難した。中でもとくに、仏陀を口のうまい山師にすぎないといいふらし た。口さきで理論を説くだけで、なに一つ神通力を持っていない、要する に口舌の徒であるという批難であった。当時のインドの宗教界では、指導 者となるためには、なんらかの神通力を持つことが、必須の条件とされて いた。ところが、仏陀は、無用に神通力をあらわすことをきらって、この 地に来てから一度もその力を示すことがなかったのである。

他の教団の指導者たちは、これを、仏陀にその力がないからだと考え、 これを攻撃したわけである。 仏陀が大神通力の持ちぬしであることを知っ ている高弟たちは、一度、ぜひその力を示されるようおねがいしたが、仏 陀は承知されなかった。いよいよ神通力などないと思いあがった他教団の 指導者たちは、自分たちのパトロンである他の長者や勢力者たちを通じ て、スダッタに、仏陀と神通力の試合を申し入れた。負けたほうがこの地 を去るという条件である。 スダッタもついにことわりきれず、仏陀に試合 を

通した。あるいは、スダッタも仏陀の神通力を見たかったのかも知れ

ない。仏陀もスダッタの立場を考慮され、ついにこれを承諾された。

その日、他の教団の指導者たちが、これみよがしにさまざまな神通力を 競い合ったさいごに、仏陀がすがたをあらわされた。

バルコニー

仏陀は三層の高楼の舞台にそのおすがたをあらわされたのである。いか なる神通力をあらわされるのかと群衆が固唾をのんで見守るなか、なんと

ぞうさ

仏陀は露台の手すりを無雑作に乗り越えられ、空中に足を踏み出されたの である。一瞬、手をはなされる。仏陀墜落! とみるまに、仏陀はそのま まゆっくりと空中浮揚して、庭園にむらがる大衆の頭上を越え、きよら かな清水をたたえた庭園の池の上に立たれたのである。微風に小波をたて

清涼池の水の上に、仏陀はしずかに立っておられるのである。 群衆が思 わずわが目をうたがったつぎの瞬間、仏陀の上半身は火炎となって燃えあ がり、下半身は玉のような水と化したのである。

目のあたりに見る大神通力に、なみいる他教団の指導者や、土地の勢力 者をはじめ、すべてのひとびとはその場にひれ伏して、頭をあげ得なかっ

わたくしは、額に手をあてて師の説明を聞いていた。途中からふいに、 やわらかなバイブレーションとともに、ひとつの概念 思考の流れがし ずかにわたくしの脳髄ふかく流れこんでくるのを感じたのである。わたく しは、自分の思念をまったくとめて、それをすなおにうけいれていた。 突 如、さいごに、すさまじい戦慄が走った。 全身の血がいっぺんにひいてゆ くような、名状しがたい恐怖感の襲撃だった。それがおわったとき、師の 説明もおわった。

「先生、 その、上半身が火となって、下半身が水となる、というのは、ど こういうことでしょうか?」

だれかがわたくしに質問した。

「ああ、それはね、全身のチャクラが、すさまじいパワーで、エネルギー 放射したのでしょう。空中浮揚をするために、仏陀は全身のチャクラに すさまじいエネルギーを集中した。池の上に降り立って、そのエネルギー

 

 

 

上の      文章を要点   200文字にして

 

 

 

強健な心身を築く呼吸術と生きる智恵

 

 

“強健な心身を築く呼吸術と生きる智恵”

 

– 心は意・念・気に分類され、呼吸と密接な関係があり、相互に影響を与える。
– 呼吸をコントロールすることで心を制御し、高度なテクニックを身につける。
– 正しい呼吸は健康に寄与し、体と心の調和を促進。
– 浅い呼吸は生命力低下や病気の温床になりかねない。
– 強い呼吸筋を養い、深い呼吸を身につけることが重要。

**心の分類:**
– 意: 心が一定の方向に向かって動いている状態を指す。
– 念: 意の動きが集まり、一つの力を持つ状態で、「念力」と表現される。
– 気: 念が身体の中を流れる状態で、意識的・無意識的な二種類があり、「元気」などに表れる。

**心の使い方:**
– 呼吸と心は密接に関係し、呼吸をコントロールすることで心も制御できる。
– 呼吸は心と体と一体であり、正しい呼吸が健康に寄与し、悪い呼吸は影響を及ぼす。

**呼吸:**
– 呼吸は生命そのものであり、心と体との一体性が重要。
– 正しい呼吸は健康促進に寄与し、体全体に酸素供給。
– 不十分な呼吸は生命力低下や病気のリスクを引き起こす可能性あり。

**基本的な呼吸法:**
– 強い呼吸筋による強くたくましい呼吸を体得することが基礎。
– 正しい呼吸は全身の細胞に影響し、健康で若々しい体と明敏な脳を育む。

 

 

 

 

心は意・念・気に分類され、呼吸と密接な関係がある。心の状態が呼吸に影響し、逆もまた然り。呼吸をコントロールすることで心を制御し、高度なテクニックを身につける。正しい呼吸は健康に寄与し、体と心の調和を促進。浅い呼吸は生命力低下や病気の温床になりかねない。強い呼吸筋を養い、深い呼吸を身につけることが重要。この基礎を築くことで、強健な心身と明敏な脳を育むことができる。

 

 

 

  1. 意とは心が一定の方向に向かって動いている状態を指し、「意志」などとも呼ばれる。
  2. 念は意の動きが集まり、一つの力を持つ状態で、「念力」と表現される。
  3. 気は念が身体の中を流れる状態で、意識的・無意識的な二種類があり、「元気」などに表れる。
  4. 心の使い方には呼吸との密接な関係があり、呼吸をコントロールすることで心もコントロールできる。
  5. 呼吸は心と体と一体であり、正しい呼吸が健康に寄与し、逆に悪い呼吸は影響を及ぼす。
  6. 正しい呼吸は体の生命力向上に寄与し、全身の細胞に酸素を供給することで健康を促進する。

箇条書きにまとめました。何か追加の質問や要望がありますか?

 

 

意と念と気ところで、その「心」を、わたくしは、そのはたらきの上から、つぎのように分類している。

 意・念・気

 である。

 意とは、意志、というように、心が一定の方向に向かって動いている状態をさす。

 念とは、意の動きが集申し高まって、ひとつの力を持つに至った状態で、念力、という名がこれをよく表現している。

 気とは、念がある方向に向かって身体の申を流れていく状態である。ただし、この気」には、意識的につくり出されたものと、無意識的・生理的に、自然に身体の中を流れているものと、二種類ある。たとえば、「元気だ」というような

言葉で表現されるものである。そこで、見方によっては、気を集中したものが念なのだ、ということもできるであろう。もともと、心というひとつのものを分けて考えているのであるから、そこのところはどうともいえるわけである。

 ここでは、便宜上このように分類して、「気」という場合は主として意識的につくり出されたものをいっていると考えていただきたい。

心をどのように使うのか

 さて、それでは、その「心」をいったいどのように使うのであろうか?

 心とは元来、この上なくとらえがたいものである。コロコロとつねに動いてと

どまらぬところから、これを約めてご』ころ”ということになったのだといわれるくらい、それは把握しがたいものである。いったいどうやって、これを思うとおりに駆使するのか?

 ひとつ、方法があるのである。

 なにか?

 心.

 心と呼吸とは、非常に密接な関係がある。

 心の状態がそのまま呼吸にあらわれ、呼吸の状態がそのまま心を映し出す。心が静まれば、呼吸も静まり、呼吸を静めれば心も静まる。

 心と呼吸は一体なのだ。

 そこら、呼吸をコントロールすることにより、心をコントロールするとい

う、高度のテクニックを使うのである。ここからスタートして、しだいに熟達し、ついには自分の思うように心を使うことができるようになるのである。

 いや、それだけではない。一歩進んで、体(筋肉)をも、思うとおりに使いこなすことができるようになるのである。というのは、呼吸は心と一体であるが、それだけではなく、体とも一体であるからだ。修行が進むと、今度は、呼吸と心が。体になって、心が描くイメージどおり、不随意筋をも動かすようになるのである。

 

呼吸

呼吸は。生き”である

 いま、わたくしは、心と呼吸は一体であるといったが、呼吸は、心と一体であるだけではなく体とも一体なのである。

 健康で心が安定していれば、呼吸もおだやかで安定している。

 体が不調であると、呼吸もリズムが乱れて不安定となる。疲れたときや病気が

重いとき、呼吸は浅く、荒くなる。精神的な激しいショックを受けたときもおなじである。

 また、心因性の病気を持つ人や、精神病者も、呼吸が荒く、正常ではない。

 まさに、呼吸は、〃生き”なのである。

 そこで、心をコントワールする呼吸法は、まず、正しい呼吸のしかたからスタートする。

 というのは、悪い呼吸をしていたら、超能力どころではない。体も、心も、また脳も、悪い影響を受けて、本来持っている力さえも、十分に発揮することができないのである。

 いや、それだけではない、健康を害して病気になったり、ときには大切右生命

まで失ってしまうおそれがあるのである。

 その反対に、正しいよい呼吸を身につけると、体は強健になり、いつまでも若々しく、心はつねに明るくさわやかに、脳もまた明敏なはたらきをするようになる。

 それがウソではない証拠に、その反対の、よくない呼吸をしてみよう。どうなるか?

 まず、最悪の呼吸のしかたである。

 そわは、浅い弱々しい呼吸と、それにもまして、悪いのは、しばし息を止める

呼吸である。

 たとえば、心配ごとや不安に心が閉ざされると

呼吸運動にほかならない。肺そのものは、決して自力で息を吸ったり吐いたりできないからである。

 したがって、呼吸筋を十分にはたらかせずに呼吸している人は、十分な呼吸をしていないということになる。

 だれだって、生体の維持に、呼吸がどれほど大切な役割を果たしているか、知らない人はないであろう。息が止まったら、即、死につながるのである。それほど大切な呼吸を、不十分なしかたでしているとしたら、一生を通じてどれほど不利益なことになるか、あなたは考えたことがあるだろうか? これは、生きるということの最も基本的なあり方の見直しというべきものである。

 呼吸運動の目的は、肺のガス交換だけではないのである。それは、血液循環に対しても重要な仕事を分担している。浅く弱い呼吸ばかりしていると、血液内の酸素〇にが不足するばかりでなく、炭酸ガスのFの体外への排出も不十分なことになる。また、血液の流れも悪くなる。したがって、こういう呼吸をつづけていると、体全体の生命力が低下してくる。当然、健康がおとろえ、病気に対する抵である。

抗力がなくなって、体は病気の温床となる。

 人間の体は、約六十兆といわれる膨大な数の細胞で構成されている、その

六十兆の細胞は、すべて流れている血液によって養われ、生きているのである。

酸素をたっぶり2  くんだ血液の流れる内臓にはガンも発生しないという。ガン細胞は酸素がきらいなのである。たかが呼吸が浅いくらいと、軽視してはならない

のだ。さらに、いまいったように、呼吸は、全身の細胞に深い関係があるだけではなく、呼吸運動は、自律神経系、ホルモン系、あるいはリンパの流れ、各臓器間の状態にまで強い影響をあたえるのである。

 それにはまず、強い呼吸筋による強くたくましい呼吸のしかたを体得しなければいけない。それによって、強くたくましい心身、明るく聡明な脳を獲得するのに必がな第一の基礎ができあがるのである。

“Breathing techniques and wisdom for living to build a strong mind and body”

 

– The mind is divided into intention, thought, and qi, which are closely related to breathing and influence each other.
– Control your mind by controlling your breathing and learn advanced techniques.
– Proper breathing contributes to health and promotes harmony between body and mind.
– Shallow breathing can reduce vitality and become a breeding ground for disease.
– It is important to develop strong breathing muscles and learn to breathe deeply.

**Classification of mind:**
– Meaning: Refers to a state in which the mind is moving in a certain direction.
– Nen: A state in which the movements of the mind come together and have a single power, which is expressed as “telekinesis.”
– Qi: A state in which thoughts flow through the body, and there are two types, conscious and unconscious, and is expressed in things such as “energy.”

**How to use your mind:**
– Breathing and the mind are closely related, and by controlling your breathing you can also control your mind.
– Breathing is integral to the mind and body, correct breathing contributes to health, and bad breathing affects health.

**Breathing:**
– Breathing is life itself, and the unity of mind and body is important.
– Proper breathing contributes to health promotion and provides oxygen throughout the body.
– Inadequate breathing can lead to decreased vitality and risk of illness.

**Basic breathing techniques:**
– The basics are to master strong and robust breathing using strong breathing muscles.
– Proper breathing affects cells throughout the body, fostering a healthy, youthful body and a sharp brain.

 

 

 

 

 

 

The mind is classified into intention, thought, and qi, and is closely related to breathing. Your state of mind affects your breathing, and vice versa. Control your mind by controlling your breathing and acquire advanced techniques. Proper breathing contributes to health and promotes harmony between body and mind. Shallow breathing can reduce vitality and become a breeding ground for disease. It is important to develop strong breathing muscles and learn to breathe deeply. By building this foundation, you can develop a strong mind and body and a sharp brain.

 

 

 

 

Intention refers to the state in which the mind moves in a certain direction, and is also called “will.”
Nen is a state in which the movements of the mind come together and have a single power, and is expressed as “psychic power.”
Qi is a state in which thoughts flow through the body, and there are two types, conscious and unconscious, and is expressed in things such as “energy.”
How you use your mind is closely related to your breathing, and by controlling your breathing you can also control your mind.
Breathing is integral to the mind and body, and correct breathing contributes to health, while bad breathing has negative effects.
Proper breathing contributes to improving the body’s vitality and promotes health by supplying oxygen to cells throughout the body.

I have summarized it in bullet points. Have any additional questions or requests?

 

 

 

Intention, Thought, and Mind By the way, I classify the “mind” as follows based on its functions.

Intention, Thought, Mind

It is.

Intention refers to a state in which the mind is moving in a certain direction, such as the will.

Nen is a state in which the movements of one’s thoughts have gathered together and become a single power, and the name “Nenpower” expresses this well.

Qi is a state in which thoughts flow through the body in a certain direction. However, there are two types of “Ki”: those that are consciously created, and those that flow naturally through the body unconsciously and physiologically. For example, “I’m fine.”

It is expressed in words. Therefore, depending on your point of view, it may be possible to say that what you concentrate on is nen. Since we are originally thinking about one thing, the mind, separately, we can say nothing about that.

Here, we will classify things this way for convenience, and when we say “ki,” we would like you to think that we are mainly referring to something that is consciously created.

how to use your mind

Now then, how exactly do we use that “heart”?

The mind is originally something that is extremely elusive. Always keep moving

It’s so hard to grasp that it’s said to have come to this conclusion out of nowhere. How on earth can we make full use of it as we wish?

There is one method.

something?

heart.

There is a very close relationship between the mind and breathing.

The state of your mind is directly reflected in your breathing, and the state of your breathing directly reflects your mind. When your mind becomes calm, your breathing becomes calm, and when you calm your breathing, your mind also becomes calm.

The mind and breathing are one.

By controlling your breathing, you can control your mind.

Well, it uses advanced techniques. Starting from this point, you will gradually become more proficient and eventually be able to use your mind as you wish.

No, that’s not all. Going one step further, you will be able to use your body (muscles) as you wish. This is because breathing is not only one with the mind, but also with the body. As your training progresses, your breathing and mind will become more important. It becomes a body and begins to move involuntary muscles just as the mind imagines.

 

breathing

As for breathing. “living”

I have just said that the mind and breathing are one, but breathing is not only one with the mind, but also one with the body.

If you are healthy and your mind is stable, your breathing will also be calm and stable.

If your body is not feeling well, your breathing will also become irregular and unstable. When you are tired or sick

When you’re heavy, your breathing becomes shallow and heavy. The same thing happens when you receive a severe mental shock.

Also, people with psychogenic illnesses and people with mental illness have rough breathing and are not normal.

Indeed, breathing is “living”.

Therefore, the breathing method that comptoirs the mind starts with the correct way to breathe.

That’s because if you’re breathing badly, you won’t have any supernatural powers. Our bodies, minds, and brains are adversely affected, and we are unable to fully utilize our original powers.

No, it’s not just that, it can damage your health, make you sick, and sometimes even destroy your precious life.

There is a risk that you may lose even more.

On the other hand, if you learn to breathe properly, your body will become strong and forever young, your mind will always be bright and refreshed, and your brain will also function more clearly.

To prove that it’s not a lie, let’s try the opposite, bad breathing. what will happen?

First of all, it’s the worst way to breathe.

Fidget is caused by shallow, weak breathing, and what’s even worse is holding your breath for a while.

It’s breathing.

For example, if your mind is closed off to worries and anxiety,

It is nothing but a breathing exercise. This is because the lungs themselves can never breathe in and out on their own.

Therefore, people who breathe without using their respiratory muscles adequately are not breathing enough.

There is probably no one who does not know how important role breathing plays in maintaining living organisms. If you stop breathing, it immediately leads to death. Have you ever thought about how much of a disadvantage you will be throughout your life if you take such an important breath and do it poorly? This is a reconsideration of the most basic way of living.

The purpose of breathing exercise is not just gas exchange in the lungs. It also plays an important role in blood circulation. If you only breathe shallowly and weakly, not only will there be a lack of oxygen in your blood, but you will also not be able to adequately discharge carbon dioxide (F) from your body. Also, blood flow becomes poor. Therefore, if you continue to breathe like this, the vitality of your entire body will decrease. Naturally, their health deteriorates and they are resistant to illness.

With no resistance, the body becomes a breeding ground for disease.

The human body is made up of a huge number of cells, approximately 60 trillion.

All 60 trillion cells are nourished and kept alive by flowing blood.

It is said that cancer does not occur in internal organs, which are filled with oxygen and blood flows through them. Cancer cells don’t like oxygen. Don’t underestimate it, just because your breathing is shallow.

Noda. Furthermore, as just mentioned, breathing is not only deeply related to cells throughout the body, but breathing exercise also has a strong influence on the autonomic nervous system, hormonal system, lymph flow, and the state between each organ. It is.

To do this, you must first learn how to breathe strongly and with strong breathing muscles. This creates the first foundation necessary for acquiring a strong and robust body and mind, as well as a bright and intelligent brain.

 

 

 

http://cyber-price.com/buddha/

Buddha  Japan Journal

Buddha Japan journal

日本の仏教を発信しますSend Japanese Buddhis

 

大日如来の智慧を表現した「金剛界」 .一印会 “Kongokai” expressing the wisdom of Dainichi Nyorai.Ichiinkai

 

胎蔵界曼荼羅 たいぞうかい Womb Realm Mandala Taizokai

 

瞑想のcyber–price

 

Buddha Japan journal

日本の仏教を発信しますSend Japanese Buddhis 2

 

運命学

 

 

 

 

 

 

 

「解脱にいたる四つの階梯」 ”Four stairs leading to liberation”

  •  

阿合仏教を分析すると、それは二つの部分から成り立つ。

1 教えとして「縁起の教理」
2 修行法として「七科三十七道品」(三十七菩提分法”とも呼ぶ)
である。
これを、後世の分類法で呼ぶと、「縁起の教理」は「顕教」である。
解脱にいたる四つの階梯
「解脱にいたる四つの階梯」
だれでも、解脱にいたるためには、この四つの段階を経なければならない。
そしてこの四つの階梯を、すぐれたる聖師にしたがって歩んで行くならば、だ
れごも解脱に到達できるのである。もちろん、あなたにしてもその通りだ。
四つの階梯とは、
一、シュダオン(須陀垣)
二 シダゴン(斯陀含)
三、アナゴン(阿那含)
四、アルハット(阿羅漢)
である。
説明すると、
シュダオン  けがれをすべてとり除いた聖者
シダゴン   められた聖者
アナゴン   (次元を)飛躍した聖者
アルハット   仏陀
大次元を)超越し、完成した聖者、「ブッダ」ともいう。
は、この四つの階梯を、修行者はどのようにして歩んでゆくのだろうか。
霊性完成の方法と体系
シャカが残した霊性完成の修行法がそれである。これを、「成仏法」とよんでいる。成仏とは霊性を完成したことをいい、それを成就したヒトを「ブッダ」とよぶ。だから、わたくしはその方法を、「成仏法」とよぶのである。
それは七つのシステムと三十七種のカリキュラムから或る成仏のための方法
と体系である。の仏教用語である。

シャカがじっさい説かれたのは阿合経だけであるという、歴史的な事実のほ
かに、阿含経以外には、この「成仏法」がないから、わたくしはそう言うので
ある。「成仏法」のない経典など、わたくしは真実の仏教経典とみとめること
はできないのである。もちろん、それなりの存在意義なり存在価値はあろう
が、本流ではない。傍流というべきである。
 
七科三十七道品とはつぎのようなものである。
四念処法-‐―身念処法 受念処法 心念処法 法念処法
四正断法--断断法
律儀断法
四神足法一-―‐―欲神足法 勤神足法
随護断法
心神足法
修断法
観神足法
五根法ー一信根法 精進根法 念根法 定根法 慧根法
五力法l‐信力法 精進力法 念力法 定力法 慧力法
七覚支法-‐‐‐択法覚支法 精進覚支法 喜覚支法 軽安覚支法
定覚支法 念覚支法
捨覚支法
情賄法
正念法
正定法
以上である。
この七科目、三十七種のカリキュラムは、
―、瞑想
2、実践
3、tapas(練行)
に分類できる。
四念処法・五根法は、瞑想である。
四正断法・五力法・七覚支法・八正道は、実践と瞑想である。
四神足法は、特種なtapasである。
神足とは、神通力(超能力)のことで、この四神足法は、超自然的な神通力
を得るための四種の修行法である。前に述べたわたくしのtapasはこれに属
するものである。
この七つの科目のうち、taPasを中心に、瞑想と実践の科目をとり入れて修
行するのである。
どの科目をどうとり入れて、どのように訓練するかは、聖師が決定する。修
行者それぞれ、みな素質と因縁がちがうので、それをみて、グルがきめるので
ある。
この修行において、グルの果たす役目は大きい。グルについて、少しのべよ
霊性の洗礼
まちがいなく霊性を開顕したグルを見つけて、そのグルに受け入れて
にしへ、力修け八分通り成功したといっていいくらいである。それくらい重要なことであり、かつ、むずかしいということ
である。
グルなくして、ただしい霊性開顕の仏道修行は不可能である。ふつうの仏教
信心とはちがうのである。信心のしかたや、信仰のしかた、経典の講義や解釈
を教わるという程度のものならばとにかく、霊性開顕の仏道修行は、強力な霊
的能力を持つ聖師のたすけなくしては、ぜったいといっていいほど、できない
のである。
たとえば、インド近代の聖者ラーマナーマハリシが、入門者にたいして、
「凝視の方法」で受け入れの儀式を行なったとき、かれの両眼の輝きと力が相
手の心をつらぬいて、その雑念の流れを断ち切ってしまったといわれる。時と
しては、まるで電流が身の内に流れこんだように相手は感じたともいわれる。
こういう霊的体験によって、弟子はまず心をきよめられ、霊的なものにたい
するあこがれ、霊的向上心をいだくようになるのである。

 

Analyzing Aai Buddhism, it consists of two parts.

 

1 As a teaching, “the doctrine of auspiciousness”
2 As a training method, “Seven departments and thirty-seven dozens” (also called “37 Bodhipakkhi”)
Is.
If this is called by the classification method of posterity, “the doctrine of auspiciousness” is “religion”.
Four steps leading to liberation
“Four steps leading to liberation”
Anyone must go through these four steps to reach liberation.
And if you follow these four steps according to the excellent Holy Master,
The lever can also reach liberation. Of course, you are right.
What are the four ladders?
One, Shudaon (Sudagaki)
2. Sidagon (including this)
Three, Anagon (including Anagon)
Four, Arhat (Arhat)
Is.
To explain,
Shudaon The saint who removed all his injuries
Sidagon, the saint
Anagon (a dimension) a leap of saint
Alhat Buddha
It is also called “Budda”, a saint who transcends (large dimensions) and is completed.
How will the practitioner walk through these four steps?
Method and system of spiritual completion
That is the practice of spiritual completion left by Shaka. This is called the “Buddhahood Law”. The Buddhahood means the completion of spirituality, and the person who fulfills it is called “Budda”. That is why I call that method the “Buddhahood Law.”
It is a method for a certain Buddhahood from seven systems and thirty-seven curriculums
And system. Is a Buddhist term.
..
The historical fact that Shaka was actually told only by Agama
Since there is no such “Buddhahood method” other than Agama, I say so.
be. I consider it a true Buddhist scripture, such as a scripture without the “Buddhahood Law”.
Cannot be done. Of course, there will be some significance and value of existence.
However, it is not the mainstream. It should be called a sidestream.

The seven departments and thirty-seven dozens are as follows.
Satipatthana method — Satipatthana method, Satipatthana method, Satipatthana method, Satipatthana method
Four Right Exertions — Cutting Method
Law
Iddhipada Iddhipada ——– Iddhipada Iddhipada
Defensive law
Shinshin foot method
Cutting method
Kanjin foot method
Indriya method-Ichishinne method, Seishin root method, Nene method, Samadhi method, Keine method
Five-strength method l-credit method, devotion method, psychokinesis method, definite power method, morality method
Seven Factors of Awakening — Selective Factors of Awakening
Jokaku support method
Seven Factors of Awakening
Compensation law
Mindfulness
Orthodox method
That is all.
These seven subjects, thirty-seven kinds of curriculum,
-,meditation
2, practice
3, tapas (training)
Can be classified into.
The Satipatthana method and the Indriya method are meditations.
The Four Right Exertions, the Five Strengths, the Seven Factors of Awakening, and the Noble Eightfold Path are practices and meditations.
Iddhipada is a special tapas.
Iddhipada is a mythical power (supernatural power), and this Iddhipada method is a supernatural mythical power.
There are four types of training to obtain. My tapas mentioned earlier belongs to this
To do.
Of these seven subjects, meditation and practice subjects are taken into consideration, centering on tapas.
Do it.
The priest decides which subjects to take and how to train. Osamu
Each person has different qualities and ties, so when you look at it, the guru decides.
be.
Guru plays a major role in this training. A little about Guru
Spiritual baptism
Undoubtedly find a guru that reveals spirituality and accept it
It can be said that he was successful as he was able to improve his skills. It ’s that important and it ’s difficult.
Is.
Without a guru, proper spiritual manifestation of Buddhist training is impossible. Ordinary Buddhism
It is different from devotion. How to believe, how to believe, lectures and interpretations of scriptures
Anyway, the Buddhist training of spirituality is a powerful spirit.
You can’t do it without the help of a doctor of the church
It is.
For example, the modern Indian saint Ramana Maharishi, to his introductory
When performing the acceptance ritual in the “method of staring”, he combined the brilliance and power of his eyes.
It is said that he broke the heart of his hand and cut off the flow of thoughts. With time
It is said that the other party felt as if an electric current had flowed into his body.
This kind of spiritual experience first cleanses the disciple and wants to be spiritual.
You will have a longing to do it, and you will have a spiritual aspiration.

 

http://cyber-price.com/buddha/

Buddha  Japan Journal

Buddha Japan journal

日本の仏教を発信しますSend Japanese Buddhis

Buddha 2Japan journala

日本の仏教を発信しますSend Japanese Buddhis   sサイト

大日如来の智慧を表現した「金剛界」 .一印会 “Kongokai” expressing the wisdom of Dainichi Nyorai.Ichiinkai

 

胎蔵界曼荼羅 たいぞうかい Womb Realm Mandala Taizokai

 

 

デジタル  健康   PC カメラ 家電

cyber-price

 

2024 年 3 月 19 日 今日の運命

2024 年 3 月 19 日

七赤金星の日

人より協力の依頼を受けたりする日。金運、喜び事あるも調子に乗って酒色に乱れぬよう心すべき日。小利に迷わず自他喜びを共にする心掛けも大切。

躍動の週 成の日

何事も期待通りの成果が得られる日

これまで積み重ねていたことが実を結び達成される日です。同時に、新しいことへの興味が芽生える日でもあるので、何かを始めるのにも良い日です。特に長期的に取り組まなければならない課題などをこの日に始めることで、成果や評価が積み重なり、良い結果を得ることができるでしょう。大きなプロジェクトのキックオフなどは是非この日を選んでください。さらに、過去に断念したり失敗したことがあれば、再チャレンジするにも適した日です。原因と対策をしっかり分析して勇気を持って臨めば、良い結果が得られます。

 

 

勢至菩薩 偉大な智慧の光を持つ菩薩

勢至菩薩(せいしぼさつ)、梵名マハースターマプラープタ (महास्थामप्राप्त [mahāsthāmaprāpta])は、仏教における菩薩の一尊。「大勢至菩薩」、「大精進菩薩」、「得大勢菩薩」の別名がある。現在日本では年の守り本尊、十三仏一周忌本尊として知られている。三昧耶形は未敷蓮華(ハスの蕾)。種子(種子字)はサク(सः saḥ)。

 

 

勢至菩薩

偉大な智慧の光を持つ菩薩

勢至菩薩(せいしぼさつ)とは?

正しくは大勢至菩薩といいます。智慧の光ですべてのものを照らし、人々を迷いや苦しみから救うとされています。大勢至菩薩と表記されることもあります。智慧とは物事のあり方を正しく見極める力・判断力を意味します。

 

阿弥陀如来の右脇侍として観音菩薩と共に三尊で表され、独尊で祀られることはほとんどありません。

 

浄土信仰の高まりとともに流行する来迎形式の阿弥陀三尊の場合、観音菩薩が死者の霊をのせる蓮台を持ち、勢至菩薩が合掌をする姿でつくられます。その姿勢は、立像・坐像のほかにひざまずいた姿の跪像もみられます。

ご利益

  • 智慧明瞭、家内安全、除災招福のご利益があるとされています。午年の人々を守る守護本尊であり、午年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるともいわれています。

勢至菩薩(せいしぼさつ)の像容

手を合わせているか水が入っている水瓶(すいびょう)を持っている姿が一般的です。

 

 

 

http://cyber-price.com/buddha/

Buddha  Japan Journal

Buddha Japan journal

日本の仏教を発信しますSend Japanese Buddhis

Buddha 2Japan journala

日本の仏教を発信しますSend Japanese Buddhis   sサイト

大日如来の智慧を表現した「金剛界」 .一印会 “Kongokai” expressing the wisdom of Dainichi Nyorai.Ichiinkai

 

胎蔵界曼荼羅 たいぞうかい Womb Realm Mandala Taizokai

 

 

 

デジタル  健康   PC カメラ 家電

cyber-price