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仏陀 人間の生命の再生 The Buddha Rebirth of Human Life

 

仏陀

人間の生命の再生

The Buddha
Rebirth of Human Life

 

私は見た 輪の深さを
生と死が 絡む道を
救いを求め 泣く声が
風より先に 胸を打つ

生まれ変わる そのたびに
苦は形を 変えてくる
断ち切るのは 神ではない
気づいた心 ただそれだけ

名もなき民衆

今日を生きて 明日を恐れ
死の先を 夢に見る
終わらぬ命が あるならば
なぜ心はこんなに重い

 

生まれては また迷い
業に縛られ 歩いてる
救いがあると 信じたい
この輪の

外へ 出るために

 

 

I have seen how deep the wheel goes
Where life and death are tightly bound
The cries that search for saving grace
Reach my heart before the wind makes sound
With every birth, the shape of pain

Is changed, yet never truly gone
No god can cut these chains away
Only the waking mind moves on
The Nameless People
We live today, we fear tomorrow
We dream of what lies past the end

If life goes on and never breaks
Why do our hearts feel crushed again?
Born again, we lose our way
Bound by karma, step by step
We want to trust there is a path
That leads us past the wheel at last

仏陀   人間の生命の再生

 

 

仏陀

人間の生命の再生

 

私は見た 輪の深さを
生と死が 絡む道を
救いを求め 泣く声が
風より先に 胸を打つ

生まれ変わる そのたびに
苦は形を 変えてくる
断ち切るのは 神ではない
気づいた心 ただそれだけ

名もなき民衆

今日を生きて 明日を恐れ
死の先を 夢に見る
終わらぬ命が あるならば
なぜ心はこんなに重い

 

生まれては また迷い
業に縛られ 歩いてる
救いがあると 信じたい
この輪の

外へ 出るために

輪と業 ――ある思想の胎動

輪と業 ――ある思想の胎動
仏陀は、神話の彼方から現れた存在ではない。
彼は、確かにこの地上に生まれた一人の人間だった。
乾いた風が吹き、ガンジスの流れが人々の生活を支えていた古代インド。
仏陀の言葉は、未来に向けて語られたのではなく、当時を生きる民衆の不安と疑問に、まっすぐ向けられたものだった。
その土壌は、すでに深く耕されていた。
遥か以前、アーリア人によって記されたヴェーダの詩句があり、
そこから、世界の根源を問うウパニシャッドの哲学が生まれた。
人はどこから来て、どこへ行くのか。
生きるとは何か。
死とは終わりなのか。
やがて、その問いに満足できなくなった者たちが現れる。
彼らは「自由思想家」と呼ばれた。
祭祀と伝統に縛られたバラモンの教えに異を唱え、
己の思索と体験によって、真理を掴もうとした人々。
仏陀も、その群れの中の一人だった。
同じ時代、マハーヴィラもまた、沈黙と苦行の道から真理を探し、
後にジャイナ教を打ち立てることになる。
思想は百花繚乱のごとく現れ、
やがてそれらは体系化され、凝縮され、
ヒンドゥー教という巨大な精神の河となって、人々の生活を規定していった。
だが――
どれほど多様な思想があろうとも、
そこには一つの共通した骨格があった。
輪廻と業。
それは、どの思想にも通奏低音のように流れていた。
仏教も、ジャイナ教も、
その最終目的は同じだった。
輪廻と業から、いかにして解放されるか。
違いがあるとすれば、それは解決の方法だけだった。
革命的と呼ばれた自由思想家たちでさえ、
輪廻そのものを否定しようとはしなかった。
否定できなかったのだ。
それほどまでに、この思想はインドの人々の魂に根を下ろしていた。
もちろん、異端はいた。
世界は物質だけで成り立つと説く者、
業も来世も疑わしいと笑う者。
だが、彼らの声は大衆の心に届かなかった。
残されたのは、仏教やジャイナ教の経典に記された、
「論破される側」としての名前だけである。
では――
それほどまでに人々を捉えて離さなかった
輪廻と業とは、何だったのか。
それは、単純な考えであり、同時に恐るべき考えだった。
人の生命は、死によって終わらない。
肉体は朽ち、土と水に還る。
だが、人を人たらしめている本質――
アートマン、すなわち個体我は、そこから抜け出て、
別の生命へと移っていく。
生まれ変わりを駆動するもの。
それが、業である。
行為、意志、欲望。
そのすべてが力となり、次の生を決定する。
永遠の生命。
そう聞けば、祝福のように思えるかもしれない。
だが、古代インドの人々は、そこに救いを見なかった。
なぜなら、輪廻とは、終わらないことだからだ。
生まれ、老い、病み、死ぬ。
そして、また生まれる。
そこに休息はない。
確実なのは、次の生が今より良いとは限らないという事実だけだった。
現代の私たちは、死を恐れる。
すべてを失い、無に帰すことを恐れる。
しかし、輪廻を信じる人々にとって、
死の恐怖は、そこにはなかった。
彼らを震え上がらせたのは、
また生まれてしまうことだった。
どんな姿で。
どんな苦しみの中に。
どんな業を背負って。
死は終わりではない。
むしろ、次の苦しみへの扉かもしれない。
だからこそ、人は問うたのだ。
――どうすれば、この輪から抜け出せるのか。
その問いのただ中に、
静かに坐す一人の男がいた。
彼は神を語らず、
世界の始まりを語らず、
ただ、人間の苦しみを見つめ続けた。
その名を、仏陀という。

千手観音   千の手と千の目で一切の衆生を救う観音菩薩 Thousand-Armed Avalokiteśvara सहस्रभुज (Sahasrabhuja)

千手観音

千の手と千の目で一切の衆生を救う観音菩薩

Thousand-Armed Avalokiteśvara
सहस्रभुज (Sahasrabhuja)

 

闇が 名前を失くす場所で
千のまなざしが 静かにひらく
泣けない声を 先に見つけて
光より先に 手が伸びる

On Bazara Tarama Kilik
बाजार तारमा किलिक पर

千の手で 千の痛みを抱いて
千の眼で 世界を見逃さない
愛も罪も そのままにして
すべてを 蓮華へ還す王

On Bazara Tarama Kilik
बाजार तारमा किलिक पर

大悲よ ここに在れ
迷いの底まで 届くように
千手観音 名を呼ばずとも
あなたは もう見つけている

On Bazara Tarama Kilik
बाजार तारमा किलिक पर

 

 

The Bodhisattva who saves all beings
with a thousand hands and a thousand eyes
Where darkness has lost its name,
a thousand gazes quietly open.
Before tears can fall, unheard voices are found,
and hands reach out before the light arrives.
On Bazara Tarama Kilik
बाजार तारमा किलिक पर

 

With a thousand hands, a thousand pains are held.
With a thousand eyes, no world is overlooked.
Love and sin, just as they are,
are all returned to the lotus—
the King of Compassion.
On Bazara Tarama Kilik
बाजार तारमा किलिक पर

O Great Compassion, be here now.
Reach even the deepest depths of delusion.
Thousand-Armed Kannon—
even without calling your name,
you have already found us.
On Bazara Tarama Kilik
बाजार तारमा किलिक पर

千手観音

 

――千手観音(せんじゅかんのん)――
夜明け前、まだ世界が痛みの名を持たなかったころ、
その菩薩はすでに立っていた。
名を
千手千眼観自在菩薩――
または 大悲観音、蓮華王。
梵に सहस्रभुज(サハスラブジャ)。
千の手と、千の目をもつ者。
だが、その姿を見た者は知っている。
そこにあるのは、数ではない。
手は慈悲の広がりであり、
目は逃さぬ智慧であった。
合掌する二本の手は、
世界そのものを抱くために胸の前で静かに重なり、
その周囲に伸びる四十の脇手は、
迷いの数だけ、救いの道を差し出していた。
一本の手が、二十五の世界を救う。
だから四十の手は、
千に等しい。
救われぬ場所は、どこにもない。
その掌には、
宝剣があり、髑髏杖があり、
水瓶があり、蓮華があった。
怒りを断つための剣、
死を越えるための杖、
渇きを癒す水、
そして再生の花。
菩薩の背後には、
阿修羅が立ち、金剛力士が地を踏みしめ、
二十八部衆が沈黙の陣を敷く。
だが命令は下されない。
なぜなら、
この菩薩の力は、
「守る」ことではなく、
「気づく」ことだからだ。
千の眼は、
叫びにならぬ苦しみを見つける。
言葉になる前の孤独を、
涙になる前の痛みを。
餓鬼道に迷う者、
病に伏す者、
寿命を恐れる者、
愛に傷ついた者――
夫婦のすれ違いも、
恋に震える胸も、
すべては同じ光の中にある。
だから人々は祈った。
厄を除いてほしいと。
命を延ばしてほしいと。
病を癒してほしいと。
愛を、もう一度信じられるようにと。
子年に生まれた者は、
この菩薩を守り本尊として仰ぐ。
始まりの年に生まれた魂を、
始まりへと導くために。
千手観音は、
王の名を持ちながら、
玉座には坐らない。
王であるとは、
最も低い場所まで降りることだからだ。
蓮華王――
泥の中に立ち、
それでも花を咲かせる者。
今日もまた、
誰にも気づかれぬ場所で、
一本の手が伸び、
一つの目が、
静かに、あなたを見つけている。