UA-135459055-1

勢至菩薩 ― 偉大な智慧の光 ―

 

 

勢至菩薩 ― 偉大な智慧の光 ―

 

白い霧の向こう 静かな光
闇を拒まず 包むぬくもり
声なき声が 胸に届く
智慧の風が 目を覚ます

On Sanzansaku Sowaka

सन्जान्साकु सोवाका पर

裁くためじゃない 見極めるため
正しさじゃなく あり方を照らす
剣でも炎でもない ただ光
迷いの奥に 真実を映す

On Sanzansaku Sowaka

सन्जान्साकु सोवाका पर

智慧明瞭 心ひらけ
除災招福 道はここに
闇は光を 拒まない

 

On Sanzansaku Sowaka

सन्जान्साकु सोवाका पर

水瓶に映る 真実の顔
洗い流すのは 煩悩じゃなく
見つめ直すのは 自分自身
魂は すでに知っていた

On Sanzansaku Sowaka

सन्जान्साकु सोवाका पर

智慧明瞭 心ひらけ
除災招福 道はここに
闇は光を 拒まない

On Sanzansaku Sowaka

सन्जान्साकु सोवाका पर

脳の奥へと 魂の底へ
時間を越えて 広がる波動
光は消えない もともとそこに
あなたの内に 宿っている

On Sanzansaku Sowaka

सन्जान्साकु सोवाका पर

勢至菩薩 梵名マハースターマプラープタ 

 

勢至菩薩

梵名マハースターマプラープタ   महास्थामप्राप्त  mahāsthāmaprāpta

偉大な智慧の光を持つ菩薩

 

白い霧の向こうから、静かな光が差し込んでいた。
それは燃えるように激しくはない。だが、どんな闇も拒まず、すべてを包み込みながら、確かに進んでくる光だった。
その光の中心に、ひとりの菩薩が立っていた。
勢至菩薩――正しくは、大勢至菩薩。

合掌したその姿は、声を発することなく、しかし言葉以上の力で世界を照らしていた。智慧の光。迷いを断ち、苦しみの根を照らし出す、沈黙の導師である。
「智慧とは、裁く力ではない。見極める力だ。」
その声は、風のように心に届いた。
正しさを押しつけるのではなく、物事のあり方をそのまま照らし出す光――それこそが、勢至の智慧だった。

人々はこの菩薩を、「大勢至」と呼んだ。
偉大な力を持つ者、すべてを照らす者。
だがその力は、剣ではなく、炎でもなく、光そのものだった。
さらに古い経には、「得大勢」とも記されている。
大いなる力を得た者――それは、己を超え、迷いを超え、智慧そのものと一体となった存在を意味していた。

勢至菩薩は、阿弥陀如来の右脇に立ち、観音菩薩とともに三尊の一角を成している。
観音が慈悲の手を伸ばすなら、勢至は智慧の光を注ぐ。
ひとりで現れることは少ないが、常に「導きの側」に在る存在だった。
来迎の場面では、観音が死者の魂を蓮台に迎え、勢至は合掌して立つ。
ときに坐し、ときにひざまずき、しかし常に静かに、魂の行く先を照らしている。
「恐れるな。闇は、光を拒まない。」
そのまなざしに触れた者は、混乱の中で正しさを見いだし、迷いの中で進む道を知る。
勢至の智慧は、苦しみを消すのではない。
苦しみの奥にある真実を、見せるのである。
家内は安らぎ、災いは遠ざかり、心は澄み渡る

午年に生まれた者たちは、特にこの光に守られていると言われる。
だが本当は、年も立場も関係なく、智慧を求めるすべての魂が、この光の対象だった。
勢至菩薩の手には、ときに水瓶がある。

その水は、煩悩を洗い流すものではなく、心の曇りを映し出す鏡である。
澄んだ水面に映るのは、真実の自分自身だった。
静かな声が、再び響く。

「智慧明瞭。
除災招福。
迷いの森に、光を。」

そして、真言が唱えられる。
――オン・サンザンサク・ソワカ。

On Sanzansaku Sowaka

सन्जान्साकु सोवाका पर

その音は、言葉ではなく、波動だった。

脳の奥、魂の底、時間の彼方へと、静かに広がっていく。
光は消えない。

それは、あなたの内にすでに宿っている。

as 8

https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=ZSL9D+DHTSQ2+5WS+BYDTT

勢至菩薩

勢至菩薩

 

勢至菩薩

梵名マハースターマブラーブタ (Mahāsthā -maprāpta)を大勢至、あるいは得大勢と訳し、それを略して「勢至」といいます。

その名のとおり、大勢力をもって修行者を守り、 阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを妨げる悪神の力を砕くとされています。

また、その智慧の光は一切を照らし、三途(地獄・餓鬼・畜生の三悪道)を離れさせる無上の力を有するといわれ、衆生に菩提心の種子を与えるとされています。

ません。 観音菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍をつとめますが、独立した本尊としてはあまり信仰されてい

午年生まれの人の守り本尊とされています。

102

 

白利の人法

にして他を積めばよいのか?」

と自分の身に照らして考え、よく理解しなければなりません。そうする。

内布自分のものになります。法話の内容を観察工夫すること、これが

きてこれで、完全になるための条件は、信・・・開

さまは、まだ足りないとおっしゃいます。

まだ、なにが必要なのでしょうか?

白利の人法

十随后知法次法向,是用不具。以

放精的方便。信成施聞受持観

星名满足一切種優婆塞事。摩訶

百名。世尊。

云何名優婆塞能自安

「雨も出町に顔して知らざるは、是れ則ち具せざるなり。具せざるを以ての故に精勤方便す。信成施もて 、観察し、深義を了達し、法次法向に随順してげず、摩同男よ、是れを一切態の優婆塞事を満足すと名づく」と。摩訶男、仏に白さく、「世尊よ、云何が優能く自ら愛し他を安勉せずと名づくるや」と。 仏、摩訶男に告げたまわく、

驰不安慰他。仏告摩訶男。若優婆塞能自立戒不能令他立於正戒。自持净

戒。不能令他持戒具足。自行布施。

不能以施建立於他。自詣塔寺見諸沙

門。不能勧他令詣塔寺往見沙門。自

専聴法。不能劾人楽聴正法。聞法自

持。不能令他受持正法。自能観察甚

深妙義。不能动人令観深義。自知深

法能随顺行法次法向。不能勧人令随

順行法次法向。摩訶男。如是八法成

就者。是名優婆塞能自安慰不安慰他。

に立つも絶をして正裁に立たしむること能わず。自ら

こんとゆう净成をべつも他をして持戒具足ならしむること能わず。

自ら布施を行ずるも施を以て他を建立すること能わず。 自ら塔寺に詣で諸の沙門を見るも、他に勧めて塔寺に詣て往いて沙門を見せしむること能わず。自ら専ら聴法するも、人を勧めて正法を楽聴せしむること能わず。法を聞いて自ら持するも他をして正法を受持せしむること能わず。自ら能く甚深の妙義を観察するも、人を勧めて深義を混ぜしむること能わず。自ら深法を知り能く法次法向に随順して行ずるも、人をして勧めて法次法向に随順して行ぜしむること能わず。摩訶男よ、髪の姉き心潜む。

戴着は、是れを優婆塞能く自ら安慰し他を安慰せずと名づくなり」と。

現代語訳

「信・破・・間・持・観を行っても)法に近づく法次と、法を追求する法向を実践しなけれ

真の優婆塞とはいえません。努力と工夫によって、信・戒・施・聞・持・観を行い、さらに法次・法向を実践しなさい。マハーナーマよ、これらすべてを実践してこそ真の優婆塞といえるのです」

と説かれました。

マハーナーマは仏さまに質問しました。

「世尊よ、自分を安慰しても他を安慰しない優婆塞とは、どのような優婆塞を指すのでしょう

か?」

仏さまはマハーナーマに告げられました。

学芸增進

「自分は仏の戒を受けてそれを守っても、他者に仏の正しい戒を受けることも、またそれを保つこども勧めない。自分は布施を行っても、他者が布施を実践するようには勧めない。自分は塔寺に参詣してもろもろの沙門に見えても、他者に塔寺に参詣してもろもろの沙門に見えるようには勧めない。自分は熱心に沙門の説法を拝聴しても、他者に正法を拝聴してそれを受け保つようには勧めない。自分は仏法の深遠な教義をよく観察してそれについて熟考しても、他者には仏法の深遠な教義をよく観察して、それについて熟考するようには勧めない。自分は深遠な仏法を知り、 法に近づき、法を追求しても、他者が法に近づき、法を追求するようには勧めない。

と。 マハーナーマよ、このように八法だけを成就する者は、自分を安らかにし慰めても他を安らかにし慰めない優婆塞というのです」

解説

お釈迦さまは、「而も法次法向に随願して知らざる、是れ則ち具せざるなり」とおっしゃっておられますが、法次とは法に近づくことで、法向とは法を追及することです。ですから、仏さまや沙門の法話を聞き、観察・工夫しても常に法に近づき、法を追及しようとする努力がないならば、満足な優婆塞とはいえない、ということです。

満足な優婆塞となるための条件を最初から挙げると、まず第一が信、そして順番に戒、施、聞、 持、観、法次、法向と全部で八つあります。これを、「優婆塞の八法」と呼びます。

それぞれの意味を箇条書きにすると、次のようになります。

信………………正しい智慧で信心の心を起こす

②根・・・・・信の心を元に、やってよいことと悪いことの分別をつけ、仏教徒としてやってはい

①施………………徳を積むために布施の行をする

けないことはやめ、やらなければいけないことは積極的にやる

間……………道場(精舎)に行って、仏さまや沙門の話を聞く

持……………聞いた説法の内容を受持し、実行する

観・・・・受持した教法の深い意味をよく観察し工夫する

法次・・・法に近づく

注同法を追及していく

となります。

物芸増進

お釈庫さまは、この八法を行うならば優婆塞事を満足する、とおっしゃいました。

どころがそれにもかかわらず、マハーナーマはさらに、

「世尊。云何が優要能く自ら安慰し他を安慰せずと名づくるや」

と質問をしました。これは、自分を安慰させても、人を安慰させることのできない優婆塞とい

うのは、どういう優要塞でしょうか、という意味です。

それに対してお釈迦さまは、次のような優婆塞は自分を安慰させることができても、人を安慰

させることはできない、とおっしゃっております。

自分が信を持っても、他の者に信心を起こさせない

自分が彼を保っても、他の者が戒を保つように努めない

自分が布施をしても、他の者が布施をするように努めない

自分が道場に参詣して法話を聞いても、他の者に参詣と法話の拝聴を勧めない

自分が正法を受持しても、他の者に正法を受持するように勧めない

自分が教法の深い意味を観察しても、他の者が教法の深い意味を観察するように勧めない自分が教法の深い意味を知り、法に近づこうとしても、他の者が教法の深い意味を知り、

決に近づこうとするように勧めない

自分が教法の深い意味を知り、法を追及しても、他の者が教法の深い意味を知り、法を追

及するように勧めない

更するに、八法を自分で実践するだけでは人を救うところまではいかない、ということです。 自分だけが修行をするだけで、それを人に動かないようでは真の仏道とはいえない、ということ

「若し優婆塞能く、自ら戒