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れもやはり愉快なことではありません。老いた人ならではの喜びもありましょう。けれども老いれば体力・気力・智力も落ちていくわけですから、「老い」は決して愉快なことではありません。 わたくしなども、朝起きて、ひげを剃るために鏡を見ると、
「ああ、我、老いたり」
という感をしばしば抱きます。自分では若い気でいても、若い時のような強い体力を発揮することはどうしてもできません。老いる苦しみというものは、だれしも味わうものです。
第三は病の苦です。生きているかぎりは、病気をすることもあります。だれが考えても、病気は楽しいものではありません。病気によって得るものもありますが、相対的に見れば病気は苦しいものです。
第四は死の苦しみです。人間だれしも死を迎えます。悟りきった人でないかぎり、死は寂しいし、つらいし、苦しいものです。
なります。 以上が四苦です。この四苦に愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦の四つを加えて八苦に
愛別離苦とは、自分が愛しているものと離別しなければならない苦しみです。どれほど愛し合っている恋人同士、あるいは夫婦、親子、兄弟、友人であっても、いつかは離別しなければなりません。生き別れもあれば死に別れもあります。いずれにしても愛する人と離別することは、本当に苦しく、つらいことですが、絶対に避けられません。
しかも、それは人間関係だけではありません。愛するものとは、必ずしも人間だけではありません。たとえば、お金をこよなく愛している人がいます。
「おれはお金だけが恋人だ。ほかにはなにもいらない」
また、地位を愛している人もいます。内閣総理大臣、会社の社長、重役、それぞれのポストを
こよなく愛しています。
けれども、お金であろうと、地位であろうと、いつかはそれらとおさらばしなければならない
時が必ずやってきます。いくら、
「いやだー」
と叫んでみたところで、どうなるものでもないわけです。
次の怨憎会苦とは、怒んだり憎んだりしている相手と会わなければならない苦しみですが、こ
れもまた愛別離苦に勝るとも劣らない苦しみです。
「憎んだり怒んだりしているような、それほど嫌なヤツならば、会わなきゃいいじゃないか」
そういうかもしれませんが、因縁によって離れることができなくなっているから、非常に苦しいのです。その一つが「対障害の因縁」です。最初は愛し合って結婚したとしても、怨憎会苦のもとになる「夫婦緑障害の因縁」があれば、夫婦お互いが憎しみ合うことになります。まるで親の仇のように憎み合って、朝から晩までけんかばかりしています。
「それならば、別れてしまえばいいじゃないですか」
理屈ではそのとおりです。ところが、それが別れられないのです。いろいろな人間関係・経済的理由、その他さまざまな事情があって、とても離婚できません。これが因縁の恐ろしいところです。しかたがないから我慢をしようと思うのだけれども、我慢しきれなくて、毎日けんかを繰り返すのですから、日々地獄です。
さらにひどい怨憎会苦は、「両親止相差の因縁」です。この因縁があると、親子・兄弟といった、血を分けた者同士が憎み合います。ひどい時には血を見るようなことがあります。まさに怨憎会苦です。嫌な相手と会わなければいけない、それも年中顔を合わせなければならない、これはまさしく地獄そのものです。
そこまでいかなくても、会社の上司、社長が嫌なヤツでどうしようもないけれども、月給をもらわなければいけないから、そこに勤めざるを得ない、というのも怨憎会苦です。お得意さんが嫌で嫌でたまらない、というのもあります。嫌なヤツだけれども、いろいろ買ってくれるから、
「毎度ありがとうございます」
とニコニコ笑うけれども、腹の中では、
「コンチクショウ」
「オギャー」 と思っている、これも怨憎会苦です。それで血圧が上がったり、心不全などになるのです。 求不得苦とは、求めて得られない苦しみです。これも深刻ですね。人間の一生などというもの
は、求めることの連続ではありませんか。
と生まれて、無意識のうちにお母さんのお乳を求めて、おっぱいを吸う。生まれてすぐに、お母さんの愛情とお乳を求めるわけです。大きくなるにつれて、求める対象がどんどん増えていきます。そして求めて、求めて、ずっと求め続けて、人生の最期に末期の水を求めて、それをゴクっと飲んで、この世とおさらばしていく。
その求め続ける人生の中で、どれだけ求めたものが得られるでしょうか?
お母さんのお乳と末期の水くらいは、求めて得られるでしょうが、一生涯で求めたもののうち、 その大半は得られません。百のことを求
お母さんのお乳と末期の水くらいは、求めて得られるでしょうが、一生涯で求めたもののうち、 その大半は得られません。百のことを求めて、得られるのはたった一つぐらいではありません
求めて求めて、求める人生。しかし、得られるものは百に一つ、これはまさに苦しみです。
そう考えていくと、この五体そのものが苦しみを盛る器のような気がしてきます。人間とは苦の域ではないか、とつくづく思わざるを得ません。これが最後の苦、五陰盛苦です。人間そして世界を構成する五つの要素、これを仏教では五陰(五)と呼びます。色(物質的現象)、受(感 (表)、意志)、(認識・知識)の五陰です。この五陰の執着からさまざまな苦しみが出てきます。したがって人間を構成する五陰は、まさに苦を盛る器であるというわけです。
たしかに、生きているということは、とてもすばらしいことです。生きているからこそ、喜びもあるし、自分が向上することもできます。けれどもトータルしてみると、やはり、この世は楽よりも苦の方が多く、生きること、すなわち苦であります。これが、お釈迦さまがこの世の中をご覧になった結論なのです。
来世を決定する末期の境界
生きていくことは苦しいものです。しかし、その苦しみに負けずに、それを乗り越えて、いか
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