仏眼仏母 ― 真理を見つめる眼 ―
薄闇の堂内に、香の煙が静かに漂っていた。
僧は金色に輝く尊像の前に膝をつき、深く息を整えた。
その尊は、仏眼仏母――真理を見つめる眼を神格化した存在。
人を仏へと生まれ変わらせる「眼」をもつ母であった。
彼女は微笑んでいた。
怒りでも威圧でもない、すべてを見抜いたうえでなお包み込む微笑。
その眼差しは、過去も、現在も、未来も、ひとつの光として映していた。
「人は真理を見ることで目覚める。
そして目覚めた者こそ、仏なのだ。」
そう語るかのように、仏眼仏母の眼は静かに輝いていた。
彼女は、ただ仏を生む母ではない。
人に真理を“見せ”、仏として生まれ変わらせる、宇宙の慈悲そのものだった。
三つの姿
経典によれば、仏眼仏母には三つの顕現があるという。
大日如来の変化身として現れるとき、彼女は法界そのものを映す眼となる。
釈迦如来の変化身として現れるとき、彼女は衆生を導く慈悲の母となる。
金剛薩埵の変化身として現れるとき、彼女は煩悩を砕き、悟りへと導く金剛の眼となる。
その三昧耶形は、如来の眼、金剛の眼、あるいは如意宝珠。
その種子は「ギャ」あるいは「シリー」。
すべては、「目覚めを生む力」を象徴していた。
開眼の儀
僧が唱える真言が、堂内に響く。
「オン ブツゲン ブツモ ソワカ……」
その音は、像に命を吹き込み、
眠っていた仏の眼を、静かに、しかし確かに、開かせる。
仏像はその瞬間、ただの像ではなくなる。
真理を見る眼を宿し、
人を目覚めへと導く存在となる。
仏眼仏母は、その儀式の中心にいる。
彼女こそが「目を開いて仏として生まれ変わらせる者」だからだ。
一字金輪仏頂との関係
仏眼仏母の背後には、もうひとつの尊格が静かに立っていた。
一字金輪仏頂――
「ボロン」という一文字に、すべての功徳を凝縮した、最勝最尊の仏。
彼は輪宝をもって悪神を折伏し、
仏眼仏母は眼差しをもって悪神を摂受し、導く。
打ち砕く力と、抱きとる力。
剣と眼。
怒りと慈悲。
二尊は、表と裏のように、
決して離れることなく曼荼羅の中に並び立っていた。
「人肌の如来」と呼ばれる一字金輪仏頂が、
人の苦悩をそのまま受け止めるならば、
仏眼仏母は、その苦悩を“悟りの眼”へと変える存在であった。
下化衆生の誓願
『大日経疏』は語る。
――諸仏は、衆生を観察し、
最も相応しい姿をとって、この世に現れる。
観音として現れるときもある。
文殊として現れるときもある。
普賢として、不動明王として、愛染明王として、薬師如来として――
しかし、そのすべての背後で、
衆生に真理を見せる眼が、静かに開かれている。
それが、仏眼仏母であった。
結び
僧は静かに合掌した。
仏眼仏母は、遠くの存在ではない。
誰かの心に、
ふと気づきが生まれるその瞬間、
すでにそこに、彼女の眼は宿っている。
「目覚めは、外から与えられるものではない。
ただ、見ることを思い出すだけなのだ。」
香煙の中で、
仏眼仏母は、今日も微笑んでいた。




