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仏教

阿弥陀如来 ――光の彼方より

 

阿弥陀如来 ――光の彼方より

――西の空が金に染まる頃、風はひとすじの光を運んでいた。
その光はやがて形を成し、静かに佇む如来の姿となる。

装飾もなく、ただ一つの慈悲を纏うだけ。
その眼差しは、苦しみの底に沈む者をも等しく照らし出していた。
誰もが捨てられず、誰もが救われる――その誓いを胸に、如来は言葉ではなく、光そのもので語る。

「南無阿弥陀仏と唱えるすべての者を、必ず極楽へ導こう」

それは古より続く四十八の誓願のひとつ。
限りない寿命を持ち、無量の光を放つことから「無量寿如来」とも呼ばれる。
彼の光は時間を越え、死をも越え、命あるものの尽きぬ願いを受け止めていた。

その背後には、聖観音と勢至菩薩――阿弥陀三尊が寄り添う。
さらに二十五の菩薩たちが雲に乗り、遥かな西方から往生者を迎えに降り立つという。
それは「来迎」と呼ばれる瞬間、死ではなく、目覚めの旅立ち。

指先には、ねじれるように結ばれた来迎印。
恐れを除き、願いを与えるその印は、阿弥陀が差し伸べる救いの手そのものだった。
戌年、亥年に生まれた者たちは、知らず知らずこの光に守られているという。

中には、宝冠を戴く姿の阿弥陀もいれば、衣を脱ぎ捨てた裸形の像もある。
また、振り返りながら微笑む「見返り阿弥陀」の姿は、
まだ迷いの中にいる我々を見届ける慈悲のまなざしであった。

やがて金色の風が止み、空が静けさを取り戻すとき――
どこからともなく、深い響きが世界を包む。

オン・アミリタ・テイ・ゼイ・カラ・ウン
On Amirita Tei Ze Kara Un

その真言は、限りなき命の呼吸。
すべての命が帰るべき光の音だった。

阿弥陀如来

阿弥陀如来

命あるものすべてを救うべく誓いを立て、極楽浄土に導く

無限の寿命を持つことから無量寿如来ともいいます。限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされており、西方極楽浄土の教主です。四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、その中には「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くとあり、広く民衆から信仰されました。ちなみに他力本願も四十八願の誓いから来ており、本来は阿弥陀様にすがって極楽に行こうという意味です。

阿弥陀三尊として聖観音と勢至菩薩と並ぶ姿が多いです。さらに二十五菩薩を従え、雲に乗って往生者を迎えにやってくるといわれています。そのほか来迎の様子をあらわす場合もあります。

極楽往生、現世安穏のご利益があります。また、戌・亥年生まれ守り本尊です。

釈迦如来と同じく装飾品は一切ないです。来迎印という印は、極楽浄土に迎えに来たことを意味していますよ。この印相は施無畏・与願印に似ていますが、第1指ともう1本の指をねじるのが特徴です。

特殊な例としては、宝冠阿弥陀像、裸形阿弥陀像、斜めうしろを振り返る姿をしている見返り阿弥陀などがあります。

オン・アミリタ・テイ・ゼイ・カラ・ウン

阿弥陀如来(あみだにょらい)は、大乗仏教における信仰対象である如来の一尊(報身仏)。

概略

阿弥陀如来は諸仏の中で最も光明が優れていて、唯一どんなに罪の重い衆生でも無条件で救うことのできる如来である。西方にある極楽浄土という仏国土(浄土)の教主とされる(東方は薬師如来)。大乗仏教は多元的な世界観であるが現世から西方に十万億仏土過ぎた先に阿弥陀如来の教化する極楽浄土があるとする。悟りを得て如来になった者は仏々相念という神通力(現代的に言えばテレパシー)を使用できるようになり他の如来と意思疎通ができるようになるが、釈迦如来は阿弥陀如来と意思疎通し、阿弥陀如来の功徳を説いたという。『阿弥陀経』は釈迦が阿弥陀如来と西方浄土について説くという内容だが、阿弥陀如来への帰依を最重視する浄土真宗では、釈迦は阿弥陀如来の存在を説くために現れた存在だと解釈する。

浄土教系の仏教では、阿弥陀如来は自らの名を称える者(「南無阿弥陀仏」と称名念仏をする者)を必ず極楽浄土に迎え入れるという誓いを立てたとし、阿弥陀如来への帰依で浄土に往生し輪廻から解脱できると説く。浄土教系諸宗派の教義によれば、六道輪廻で生まれ変わることのできる最上位の天界の天人(天の人々)は清浄であるが不老不死ではなく寿命を迎えれば六道のいずれかに転生するのに対して、阿弥陀如来の教化する極楽浄土に往生した者は永遠の生命と至福が得られるという。『往生要集』では現世の人間より遥かに楽欲を受ける天人でも最後は天人五衰の苦悩を免れないと説いて、速やかに阿弥陀如来に帰依して六道輪廻から解脱し浄土に往生すべきと力説している。

浄土教系諸宗派の来世

AI による概要

阿弥陀は、大乗仏教における重要な仏であり、西方極楽浄土の教主です。また、衆生を救済するという四十八の誓願を立て、「南無阿弥陀仏」と唱える人々を必ず極楽浄土へ導くともされます。法然や親鸞らによって広められ、浄土宗浄土真宗時宗などの浄土教仏教の中心的な本尊です。

阿弥陀仏の概要

意味:

梵語の「Amitābha」(無量光)や「Amitāyus」(無量寿)の音写で、「無限の光明」や「無限の寿命」を意味します。

役割:

西方極楽浄土を建て、そこから一切の衆生を救うという誓いを立てた仏です。

善行・悪行にかかわらず、すべての衆生を平等に救済するとされます。

信仰:

平安時代以降に貴族の間で信仰され、多くの阿弥陀仏像が造られました。

鎌倉時代には法然、親鸞らによって民衆に広く広まり、浄土教諸派が成立しました。

「阿弥陀が迎えに来てくれる」という「来迎」の信仰が盛んになり、それを表した絵画や彫刻が多く制作されました。

象徴:

浄土三部経(『無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』)に説かれています。

阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊で表されることが多く、観音菩薩が慈悲、勢至菩薩が智慧を司るとされます。

補足

その他: 「阿弥陀

智の炎 ― 金剛界の大日 Flame of Wisdom ― Vajradhatu Dainichi

智の炎 ― 金剛界の大日

Flame of Wisdom ―

Vajradhatu Dainichi

虚空は沈黙のままに燃え
智の炎が 闇を照らす
掌に結ぶ 古の印
指先に 世界の問い集う
On Basaradatoban

オン バサラ ダトバン――
光よ、思想となれ
心の剣で 無明を裂け
真実の炎 永遠に輝け
On Basaradatoban

The void burns in silent stillness,
The flame of wisdom lights the dark.
In the palm, an ancient seal is drawn,
All the world’s questions gather at the fingertips.
On Basaradatoban

On Basaradatoban――
O light, transform into thought,
With the sword of the heart, cleave ignorance,
Let the flame of truth shine eternally.
On Basaradatoban

大日如来曼荼羅 ――智と慈の融合

 

大日如来曼荼羅 ――智と慈の融合

序 虚空の胎動

はじめに、音はなかった。
光もなく、闇も名を持たぬ。

ただ、静寂があった。
その静寂が、微かに揺らめいたとき、
ひとつの呼吸が生まれた。

息吹は虚空を満たし、
そこに見えぬ炎が立ちのぼる。
それは燃えず、焦がさず、
ただ“照らす”ための光。

やがて、声なき声が響く。

――「我、摩訶毘盧遮那なり」

宇宙はその名をもって目覚めた。
それは、
すべての始まりであり、すべての帰り場所である存在。

第一章 智の炎 ― 金剛界の大日

彼の座すところ、
光は火となり、真理は形を持つ。

炎は燃えあがらず、
冷たく、静かに、虚空を照らす。

その掌には印が結ばれていた。
左の人差し指を立て、
右の手で包みこむ――智拳印。

その指先に、世界のすべての問いが集う。
知るとは、切り裂くこと。
無明の闇を貫き、真の姿を映し出すこと。

「オン バサラ ダトバン」

真言が放たれると、
音は光へと変わり、光は思想へと転ずる。
その光は無数の菩薩となり、
曼荼羅を描きながら広がっていった。

智の炎は、
真実を求める者の胸に灯り、
いつか燃え尽きぬ剣となって輝く。

第二章 慈の海 ― 胎蔵界の大日

智の炎が天を満たすとき、
地はやわらかな水を求めた。

胎蔵界の大日は、
その水となってすべてを包む。
母胎のように、
喜びも悲しみも分け隔てなく抱きとめる。

両の手を胸の前で組む――法界定印。
その中で、無限の命が息づく。

「オン アンビラウンケン」

真言が響くたびに、
虚空は月光に染まり、
波紋のごとく慈悲が広がる。

怒りも、恐れも、憎しみさえも、
彼の胸に触れると光に還る。
慈とは赦し、赦しとは生成。

この海の底に、
いのちは眠り、
また生まれる。

すべては彼の胎内で、
ひとつの夢を見るのだ。

第三章 遍照 ― 宇宙そのものとなる光

やがて、火と水が出会う。
炎は溶け、水は燃える。

智と慈、二つの界が溶け合うとき、
宇宙は一つの呼吸となった。

その中心に現れたのが、遍照の大日如来。
彼はもはや「存在」ではなく、
「存在そのもの」だった。

火は彼の眼、
水は彼の心、
風は彼の言葉、
地は彼の座。

「オン アビラ ウンケン バザラ ダトバン」

真言は鼓動となり、
銀河はその波の上に揺れる。

人が瞼を閉じるとき、
その光は内に在る。
呼吸の間に、
遍照はともに息をしている。

結 光の曼荼羅

大日如来とは、
空に坐す仏ではない。
心の中に生まれ、
心の中に還る光である。

智の炎は悟りを照らし、
慈の海は命を抱く。

その二つが和すとき、
人は己の中に宇宙を見る。

それが――遍照。

無限の光は、
いまも私たちの胸の奥で燃え、
波打ち、息づいている。

見よ、
汝の心に大いなる日輪を。
そこに、摩訶毘盧遮那は常に在る。

🕉️
大日如来曼荼羅 ――智と慈の融合
「火と水、智と慈。
この二つがひとつに融けるとき、
宇宙は目覚め、汝は仏となる。」

 

普賢菩薩の詩 The Song of Samantabhadra

 

普賢菩薩の詩
The Song of Samantabhadra­

白き風よ 森を渡れ
青き蓮に 光の声
六つの牙は 時を越え
静けさの中 慈悲は生まれる
Ong Sanmaiyya Satvan

オン・サンマイヤ・サトバン
その響き 命を包む
すべての闇に 花を置き
ただ慈悲を生きよ 普賢のように
Ong Sanmaiyya Satvan

White wind, drift through the forest,
On the blue lotus, a voice of light.
Six tusks pierce beyond all time,
In silent grace, compassion is born.
Ong Sanmaiyya Satvan

Ong Sanmaiyya Satvan
Its resonance embraces all life.
Upon every shadow, a flower is laid—
Live in pure compassion, like Samantabhadra.
Ong Sanmaiyya Satvan