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仏教

完璧なる仏陀の気道 The Perfect Breath of Buddha

 

 

完璧なる仏陀の気道
The Perfect Breath of Buddha

 

背中を流れる 風が教える
生きることは ただの呼吸
止まることも 流れることも
宇宙が選んだリズムのまま

心をほどく 夜の中で
誰かの声が 微かに響く
「光は内にある」その言葉
胸にひとつ 灯がともる

吸いこめ 星の鼓動を
吐きだせ 闇の記憶を
この身体 ひとつの宇宙
今ここで 仏陀になる

息が止まる その瞬間に
すべての音が ひとつになる
風は言う 「永遠とは今」
呼吸こそが 悟りの詩

A wind that flows along my spine, it whispers
Living itself is just to breathe
To pause, to flow — both are the rhythm
Chosen by the universe beneath

In the night where the heart unwinds
A distant voice begins to ring
“The light is within,” it softly says
And in my chest, a flame begins to sing

Breathe in the pulse of the stars
Breathe out the memories of the dark
This body, a universe of one
Here and now, I become the Buddha

When my breath fades into stillness
All the sounds become as one
The wind whispers, “Eternity is now”
Breathing itself — the poem of awakening

 

完璧な仏陀の気道法

ど行照しつつ実践を重ねていくと、おのずから努衆と浮かんでくるものがあるのである。そしてさらに体験を重ね、錬磨し、修行を積んでいくと、突然、閃めきとともにかたちをあらわしてくるものがある。

わたくしは、三十にして仏道に志し、以来、ひとすじに仏陀の成仏法を求めつづけて四十年、ようやくこれをほぼ復肌し、体得したと確信するに至った。

そしてその瞬間、さとったのである。この法こそがいままさに壊滅せんとする地球を救済する、究極の救世主の法であったということを。

完璧な仏陀の気道法

ところで、わたくしは、前の節で、仏陀の気道の法は、クンダリニー・ヨーガの気

道法の不十分な部分を補足したものであるとのべた。

それはどういうことか?

クンダリニー・ヨーガの気道は三本ある。

一つはスジョムナー覧、他の二つは、ピンガライダーの気道である。

中心ど気道はスレョムナー管である。これは、さきにものべたように、尾骨から始まって、監督に至っている。

特殊な意念の力でクンダリニーが目ざめると、そのエネルギーは爆発的な勢いで、 ブショムナー皆を冠類まで上昇する。同時に、クンダリニーは、ピンガラ、イダーの気道をも上昇し、クンダリニーのエネルギー調節その他補助的なはたらきをする。

背盤の右側にあるピンガラは、太陽の気道と呼ばれ、熱を統御する気道とされる。 左側のイダーは、月の気道と呼ばれ、冷気の流れを統御する。もし誤ってピンガラを通ってクンダリニーが目ざめると、外から全くコントロールのきかないすさまじい体内熱のために、修行者は、最悪の場合、文字通り真っ黒になって焼け死んでしまうこどがあるという。

「クンダリニー」の著者、ゴービ・クリシュナは、この過ちのためにかれ自身、危うく死をまぬがれた体験を記している。

わたくしが、仏陀を、クンダリニー・ヨーガの完成者であると断定するのは、この

点からである。

さきにあげたミラクルの池の伝説や、雑阿含経に説かれる仏陀の奇蹟 上半身から火を出し、下半身から水を出すという奇蹟は、このピンガラとイダーを使ってのエネルギー放射なのである。この奇蹟は、クンダリニー・ヨーガ完成者独特のものなのだ。

さて、クンダリニーが目ざめ、スムーズにエネルギーが気道を上下するうちに、修行が順調に進むと、クンダリニーはサハスラーラ・チャクラに到達し、ここで修行が完成する。(ただし、ここまで到達できる修行者は、古今、稀である)

ではないのである。 びていこうこのように、クンダリニーは、尾獣骨から延髄にまで到達し、それからさらに上昇して、究極的には頭頂のサハスラーラ・チャクラにまで到達することになっているのだが、延髄からさきの、サハスラーラに至る経路がどのようになっているのか、明瞭

尾骶骨から延髄までは、脊柱が通っていて、いうならば一本道であるから、はっきりしている。しかし、延髄からさき、サハスラーラに至るルートは、一体どういう気

道を通るのか、明確ではないのである。クンダリニーが目ざめさえすれば、目ざめた

クンダリニーは、自動的にサハスラーラ・チャクラに到達することになっているのであって、修行者自身には、その経路はまったくわからないわけである。

これにたいし、仏陀の気道はどうであろうか。

仏陀の気道も、クンダリニー・ヨーガと共通する部分がある。

、尾性骨から延髄に至る脊柱の部分を通る気道である。スシュムナー管とほとんど変わらない気道である。しかし、クンダリニー・ヨーガのスシュムナー管は延側で終わっているが、仏陀の気道はさらに進んで、大脳の新皮質、旧皮質、古皮質をめぐって、間脳から視床下部にまで到達しているのである。そして、そのはっきりしたルートを持っているのである。

それだけではない。ルートはさらに前額部に進み、眉間から鼻柱の奥を通って顎から咽喉にくだる。つまり、サハスラーラからアージュニャー、そしてその周辺の神経経路をめぐって脳下垂体前葉、下垂体後葉に至っているのである。そしていまいったように、これらのルートは、明確に示されているのだ。熟達した導師の指導を受けれ

ば、初心の修行者でも把握が可能である。

どちらがすぐれているかは、いうまでもないことであろう。

これは、基本的に、クンダリニー・ヨーガの修行法と、仏陀の成仏法の、修行方法

の違いによるものである。

仏陀の方法は、ブラーナを「行らせる」という方法である。これは、修行者が自分の意念(意志)によっておこなうことを意味する。したがって、修行者は、プラーナを導いていくルートを知っていなければならないわけである。プラーナのいくさきを、 プラーナにまかせるのではなく、修行者が決定して進めていくのである。だから、修行者はその道すじを知っていなければならないのである。

クンダリニー・ヨーガの場合はこれとまったく違っている。

クンダリニーを目ざめさせるためには修行者の意念の力を必要とするが、一旦めざめたクンダリニーは、修行者の意志にかかわりなく、一気にスシュムナー気道を爆発的に上昇していくのである。それは、修行者が「めぐらす」などというものではない。 そしてそのあとも、クンダリニーまかせということになる。

わたくしは、ききに、仏陀が弟子たちにクンダリニー・ヨーガを用いさせなかった

のは、過激すぎるからだといったけれども、それはそれだけではなかったのである。

サンダリニー・ヨーガのチャクラ開発法は、不安定であり、不確実だったのである。

仏だは成仏法を作製して、弟子たちに教えたのである。

仏陀の修行法はまだつづく。

クンダリニー・ブラーナ

わたくしは、さきに、仏陀は修行法にクンダリニー・ヨーガをとり入れなかったといった

たしかにその通りである。仏陀は四神足法にクンダリニー・ヨーガをとり入れなかった。しかし、クンダリニー・エネルギーはとり入れていたのである。

人間の持つエネルギーで、クンダリニーほど強大なエネルギーはない。人間を改造する原動力として、これに匹敵するものはない。いや、このエネルギーを使わなかっ

仏陀の法 152

151

最上深秘の呼吸法

 

仏陀の法 150

 

 

149

最上深秘の呼吸法

 

仏陀の法 148

准胝観音

 

准胝観音

 

准胝とは、梵名チュンディー (Cundi) の音写で

「清浄無垢」という意味があり、さとりの道を歩ませる観音です。

別名、准胝仏母、七俱胝仏母とも呼ばれます。

七俱胝とは「無量」を意味しますから、多くの諸仏の母となります。そのため観音菩薩ではないとの説もあります。経軌にも観音として説かれていないことから、天台密教では准胝如来として仏部の尊としますが、真言密教では観音の一つとして六観音の中に加えます。

まんだら求児・安産の本尊としてもまつられます。もとは水の神で、その姿は女身といわれています。

なお、胎蔵曼荼羅中台八葉院の観音の種子は、 この准低観音のブ(bu)字が記されています。

提寺にある