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幻の法を求めて 2 密教こそ唯一の未来宗教

私たちを教育したり、お説教したりして、いたずらに抑圧と葛藤をおこさせて、私たちの はたらく意欲と力をそこなうようなことはやめてほしい。

それよりも、私たちの力をひき出し、高めて、私たちの力を思うぞんぶん活用する方 法>を使って下さい。

そういう方法がたしかにあるのだから。

今日は、あなたにモンクをつけにきたんじゃない。それを教えてあげたいと思ってやって きたんだ。

それでは、さよなら さよなら、さよなら」

とどこかで聞いたような声でそうくりかえしながら、海馬氏はすうっと消えていった。

3 密教は旧皮質に直接アタックする

「なんだ夢だったのか」

私は、初夏のこころよい風に吹かれながら、書斎でうたたねをしていたのであった。原稿

用紙が数枚とびちっている。

夢かと私はつぶやきながら、しかしまた同時に、待てよ、と思った。 これは、原稿に 苦しんでいる私を見かねて、私の深層記憶の海馬氏が助けに出てきてくれたのではなかろう そういえば、私の言いたいことをすべて私以上によく語ってくれている。もうあらため 私の言うことはない。 そうだ。 海馬氏の言ったことをそのまま書けばよいではないか。 そ こで、といったわけである。

ところで、あなたは、この海馬氏の主張を、たんなる夢ものがたりと読みすごしてしまっ てよいであろうか?

そうはいかないようである。 三三七ページのジャン=ポール・シャリエの文章をもう一度 読みかえしていただきたい。

「第一に、抑圧は心理的葛藤を生じさせる。••••••抑圧された諸傾向は、決して消滅する

ことはなく、社会的習慣の背後に身を潜め、思いがけないきっかけを利用して外に表わ れてくる。その表われ方はさまざまで、ときには、遊戯、戦争、迫害などの形ではし ほとばしり出たり……あるいは、言い間違い、失錯行為、神経症的行動となって浮か びあがってくる。 ……」

これらの抑えつけられたエネルギーは、人間の高尚な活動、すなわち芸術的・科学的・技

術的・宗教的活動などに昇華されることもあるが、かんじんの、

「文化は大体においてこの任務をしくじっており、われわれの不安、苦悩、暴力の原因 はそこにある」

これは、文化と教育が、新皮質の知性と理性を通じて大脳辺縁系の深い層の意識を抑圧し その反発が起きることを意味する。

「まず第一に、教育は無意識の感情層を知らず、子どもに精神外傷を与える」

おなじことをいっているわけて、教育とは学校教育だけにかぎらず、道徳や宗教の教え ることはすべてこの場合教育であり、おなじように、子どもとは、年齢の問題ではなく <教える〉ことを受けるがわは、すべて<子ども〉ということになる。

第二に、社会の中で抑圧された深い層のエネルギーを、高尚な活動に昇華できるのは、ほ んのわずかなエリートだけであって、ほとんど、

「大部分の人間は、依然として社会的・道徳的・宗教的拘束のもとに生活しており、な ぜそうしなければならないのかの理由を理解できず•••• 大衆の精神的みじめさと不安定 はそこから生ずる」

「こころ

あらゆる〈教え〉は、それが道徳であっても宗教であっても、深い層の意識にとっては拘 抑圧しかなく、それの強制は、人間にとって、不幸と不安とみじめさを増大するだけ だといい、

「第三に、社会的制裁は、つねに宗教的おどしと組み合わさっており、人間を二度 ふたたび立ち直れないほど責めさいなむ。そのため、病的な集合的罪悪感がはぐくま 重大な精神的不安の原因となる」

社会的制裁とは、社会通念上の道徳観念をさし、宗教的おどしとは、キリスト教における 原罪思想、ある種の仏教団体などが強調する法罰法思想である。

その結果生ずる「病的な集合的罪悪感」「重大な精神的不安」は、たんなる精神上の不安 や昏迷だけを生ずるのではなく、肉体上にも、医学で解決できない多数の心因性疾患を生み 出すのである。

以上の結論するところのものはなんであろうか。

要するに、教育と、〈教え〉を主にした宗教の完全な敗退である。

そして、その敗退をごまかそうとして強調する原罪や法罰などの宗教的おどし、制裁を

てつけつ

近代心理学はようしゃなく別抉して否定する。 そういう宗教はけっして現代の人間を救うも

それはともあれ、

のではなく、かえって混迷におとしいれる前時代的なものであると結論する。百年、二百年 前の素朴単純な人々は、そういうもので人生の悩みや矛盾を抑圧され、まぎらわされていた であろうが、複雑な精神機構を持ち、高度な教養と合理的精神をそなえるようになった現代 人にとって、そんなものは〈まやかし以外のなにものでもない。

実際、それは、新しい地獄ゴクラク論ではないか。それは、数百年前の人々を教えみちび いた地獄ゴクラクの教育譚を、新しく粉飾してさし出したものにすぎない。たとえどんなに 理論化して、巧妙に表現したところで、それは、新しい地獄ゴクラク論である。 法罰とか、 法などということで、人生の矛盾に悩み苦しむ大衆を恫喝し、抑圧してひっぱってゆこう とする宗教団体の人々、ことにその指導者にたいして、私は、つねにいぶかしく思うのだ。 この人たちは、深く自分をかえりみて、恥ずかしいと思ったことがないのであろうか?

もう

自分たちの主張するそういうものを、心の奥そこから深く信じて少しもうたがわないとす れば、それは、まさにおどろくべき無知と迷妄に満ちた精神というよりほかなく、もしも信 じておらずに、その職業的立場からやむをえず主張し叫んでいるとすれば、虚妄以外のなに ものでもない。いずれにしても現代の宗教家として恥ずべきことではないか。

マスゲーム

抑圧され、さらに宗教的おどしによっていっそう圧迫されたエネルギーを転化するために、 きびしい布教活動に追い立て、「病的な集合的罪悪感」をまぎらわすために大声で戦闘的な 歌を合唱させ 団体競技や大集会をもよおして欲求不満をごまかそうとする。もしそのよう 宗教があるならば、それは、抑圧されたエネルギーをまぎらわしているだけで、まぎらわ されたエネルギーは、けっきょく自分自身をきずつけるのだと近代心理学はきめつけるので ある。

それでは、密教はこれにたいして、どのような方法で対処するのか?

こころ

大脳辺縁系の深い層の意識にじかにはたらきかけるのである。

こころ

教えの宗教の欠陥は、新皮質の「知性・理性」を通じて深層意識にはたらきかけよう とするところにある。これが、新皮質とはまったく異質の機構を持つ深い層の意識に抑圧と 感じられ、葛藤をおこし、反発のエネルギーを生ずるわけである。

密教は、まったくちがう。

在に動かすのである。

新皮質を使わずに、深い層の意識に、じかにはたらきかけるのだ。そして、これを自由自

密教は特殊な技術により、欲望を教えやおどかして抑圧せず、リビドーの源泉である深層 意識と直結して、直ちにこれを昇華させる方式をとる。

ジャン=ポール・シャリエは、社会の中で抑圧された深い層のエネルギーを、高尚な活動 昇華できるのは、ほんのわずかなエリートだけであって、といっているが、それはたしか にほんのひとにぎりの天才にしかなし得ぬわざである。密教は、特殊な技術により、欲望の 源泉である深い層の意識を新皮質の知性と直結して、直ちにそれを昇華させてしまう。これ が、「即身成仏」なのである。 「即身成仏」とはこれ以外のなにものでもない。

それは、コトバを使わないから「教え」ではない。「技術」である。 「方法」である。 そして、それが、密教の「大随求法」と名づけられた法なのだ。

おわかりであろうか? 三五〇ページで、私は、「大随求法」とは「深層記憶、深層意識 を自由自在にコントロールする技法である」と言い、「このことがいったいなにを意味する ものか、それがどれほどの価値を持つものなのか」と言った。これが、その答えである。 密教をたんなる加持祈疇だなどと信じていた人々、そう主張していた人々は、心から恥ず べきである。密教こそ他に類のない高度に組織された宗教であり、まさに未来宗教ともいう べきすぐれた技法をもった宗教ではないか。あなたはそう思わないか?

 

幻の法を求めて

億年の進化の経験と記憶を秘めたこの部分を解明することにより、その多くが明らかになる ものと私は信ずる。

が、まあ、いずれにしても、人間にとってかけがえのない人である。

その人の縁皮質が、なにゆえあって、今日はあんな大あばれをしたのか、ひとつその 言い分を聞いてやらねばならぬ。

お説教はやめてくれ

「今日はどうもうちの若い者たちがとんださわぎを起こしまして、申しわけございません」 口をきったのは、辺縁皮質の代表者、海馬氏である。中年ながら、たくましいかっぷく、 浅ぐろい顔に目がするどい。

「ここのところたいへんなオーバーワークで、みんな気が立っておりまして。 いらいらし ているところへ、新皮質の連中の騒動を耳にしたものですから、いっぺんにわあっというこ ことになってしまった。

けれども、私はね、あれてよかったと思っている。 あればあっと発散してしまったから

よかったので、あれを我慢して、 いらいらが高ずると、御存知の欲求不満で、あなた方み んな病気になってしまう。

いまさかんにいわれている「心因性の病気」ですよ。

いわゆる精神身体医学で、発病や経過に、心理的要因が重要な意味を持つ身体疾患」と いわれるものです。専門医によれば、人間の全肉体疾患のおよそ八〇パーセントはこの部類 に属するといわれていますな。

ストレス説で有名なハンス・セリエ博士あたりになると、伝染性の疾患もふくめた事実上 (あらゆる疾患が、心因性によるものだと断言しておりますよ。

そこまでいかなくとも、現代医学で確実に心因性の疾患としてあつかわれ、治療されるよ うになった肉体疾患の種類を言ってみましょうか」

さすがに記憶のベテランだけあって、海馬氏はメモも見ずに、おちついた口調で、すらす 病名をあげはじめた。

「結核、枯草熱、気管支炎、 ぜんそく、静脈洞炎、胃カイヨウ、大腸炎、便秘、下痢、痔、

心臓病、流産、パーキンソン病、各種硬化症、テンカン、ジンマシン、湿疹など、以上があ げられますな。 さいさんでは、関節炎、 滑液囊炎、弱視、ある種の禿頭なども、この部類に

かぞえられるようになりました。禿頭もですよ」

海馬氏は、こちらのうすくなった頭のあたりをじろりと見て、

「まさか禿頭までとお思いかしらんが、アメリカの臨床医S・J・パン・ペルト博士の研究 報告 心因治療をうけた男性患者の禿頭に、すこしずつ頭髪が生えはじめたと報告されて います。

いかがです。 これらの病気が、みな、私たちの調子一つて起きてくるんですぞ」

「おじさん、そんなアタリのやわらかいことを言っていたんじゃあ、いつまでたっても、ラ チがあきませんよ」

たまりかねたように、いらいらした口調で言葉をはさんだのはG・Iカットのせいか んな面がまえ、旧皮質の兄さんだ。

「あたしたちにはね、なんといっても十億年間のキャリアというものがあるんだ。 人間がこ うしてなんとかかんとかやっているのは、みんな、あたしたちのおかげですぜ。 それを、昨 今日出てきた新皮質あたりの連中に大きな顔をされて、はい、さいですかとひっこんでい られるかっていうんだ。

もとをただせば、このあたりだって、みんなあたしたちの領域だった。それを、なんとか

かんとかいって、だんだん手をひろげて、今じゃあほとんど表通りのいいところはみんなあ の中に占められて、あたしたちは、ろくに日の目を見ない隅っこのほうで、 手足かがめて 暮らしている始末だ。 それじゃあ、あたしたちが役立たずの能なしなのかというと、そうじ あない。あたしたちが協力しなければ、あの連中だってなに一つできないんじゃあないか。 しかしまあ、それも時世時節で、人間一家の発展のためと思って胸をさすって我慢をして いると、どうですか、今日のざまは。

ふだんから、あたしたちにお説教して、人間には理性知性が大切だ。 暴力はイカン、ケン 力はいかんと、しょっちゅうえらそうなことばかり言っているくせに、衆人環視の真ん中で、 手前たちがなぐり合いをはじめるとは、なんですか。

言いたいことなら、こっちの方が山ほどあるんだ。

今日という今日は黙っていられなくなって、 とび出したんだが、このおさまりは、どうつ けてくれるんです?」

ぐいとにらんだところは、さすがに十億年のかんろく十分といったところ。

「まあまあ、いいから、いいから」

海馬氏は、大きな手をあげて、

「今日のところは私に万事まかせておくんだ。それでなくとも、私たちは、本能族ですぐに

感情的になって暴力をふるうなどと誤解をされているんだ。冷静に、今日はじっくり私たち の言い分を聞いてもらわなくちゃならんのだ」

となだめてから、こちらを向いて、

では申しましょう。

「なにしろ、このごろひどい過労で、みんな気が立っておりましてな。御承知の通り、私た ちは二十四時間フル勤務で、一分一秒も休みというものがない。あなた方が、一杯、やって、 いい気持ちでぐっすり眠っているときでも、私たちは休んじゃいられない。 四方八方、体の 内外に気をくばって、あなた方を守っていなければならん。

そこへもってきて、このごろは、複雑になった人間関係とか、公害からくるいろいろな障 とか、心身ともに気を使うことばかりで、年じゅう、いらいら、むらむらの連続なんです。 え?ところで私たちがなんで腹を立てたのか、とおっしゃるのですか?

新皮質の中に、よけいなおせっかいはやめてほしいということです。

うちの若い連中の一番がまんできないのは、あの人たちが、えらそうな顔をして、お説教 理屈をこねることなのです。 私たちを教育しようとするあの考えかたです。 年じゅう、こ

ごとを言ったり、干渉したり、抑えつけたりする、そいつをやめてほしいのです。 あの人たちの考えかたはこうです。

自分たちは知性、理性のかたまりの文化人で、私たちは本能のかたまりの野蛮人ばかりだ。 ちょっとでも目をはなしたら、なにをしでかすかわからん。だから、いつも自分たちが看視 していて、きびしく教育してやらにゃあいかん、とこう考えている。

だいたい、これはね、学者の先生がたがいかんのです。

やつらを、文明文化の恩人にしたてて、知性、理性、創造性のかたまりだなんておだてあ げる。そうして私たちは古い記憶や本能のかたまりだから、自由にさせておいたらなにをし てかすかわからん。君たち、よく見はって、勝手なことをさせちゃあいかん、なんというも だから、連中、すっかりその気になっちゃった。

そこへもってきて、宗教や教育の先生たちが、こういうように教えろ、ああいうように仕 込めとけしかける。そういうわけで、やつら、ハシの上げ下ろしにまで目を光らせて、イチ ャモンつけるというわけです。

アメリカの脳生理学の先生で、マックリンなんて先生は、私たちを競馬ウマにたとえ、新

皮質の連中がそれを御す騎手だなんていう説を発表して、新皮質の知性や理性で、あばれ馬

である私たちを調教しなければいかんなんてことをおっしゃったものだから、どうです、 あ の連中といそうな顔。

牧師さんやら、坊さんやら、新興宗教やら、倫理道徳の先生やら、つぎからつぎへとえら そうな顔をして、小理屈をこね、お説教をたれる。 中には、原罪 法だ、法罰だなんて、 愚にもつかないおどかしをかけたりする先生もいる。 みんな、新皮質の連中がつれてくるん です。

ところが、これがまったくの見当ちがい。 笑うべき愚行なんですよ。 いや、われわれに とっては笑って過ごせることではないので、おそるべき愚行と訂正しましょうか。

なぜならば、私たちに、そういう教えや信仰はぜんぜん役に立たんです。 いや、役に立たないだけならまだいいのですが、 害になるから困るのです。 つまり、有害無益なんだな。

その証拠に、うちの若い連中は、ちかごろ、うるささのあまり神経障害を起こして、みん もうやる気をなくしてしまっています。 それでなくても、さきほど申し上げた通り、忙し くて忙しくて、いらいら、むらむらの連続なんですからなあ」

超能力をひき出せ

海馬氏は、首をふって、目の前のコップをとりあげると、つめたい水をグッとあけた。

「どうしてか? とおっしゃるのですか?」

海馬氏は、しずかにコップをおいて、

「わかっちゃいないんだなあ、あなた方も、それから、牧師さんも、坊さんも、新興宗教の 先生、倫理道徳の先生、それから生理学の先生も、わかっちゃいないんだなあ。

そういう、教育とか、宗教とか、理論とか、そういうものが必要なのは、新皮質の連中な んで、私たちに、そういうものは、不要というよりも、通じないのです。

通じないものをむりにおしつけるのは、むだだけじゃない、有害です。

そういうものをむりにおしつけられると、私たちは、いや気がさしてきて、はたらきたく なくなるのです。それをさらにおしつけると。フロイト氏が言ったでしょう。 <抑圧> 葛藤が生じて、さっき述べた心因性の病気にかかる。それだけではなく、精神のはた らきの上にもいろいろな障害が起こって、人間はメチャメチャになってしまうのです。 え? なぜそんなけっこうな教えがおまえたちには通じないのか、とおっしゃるのです

現代的課題

制御パターンの一つとみてそんなに大きな見当違いを犯していることはないと思っているので あります」 ということであるから、そうすると、 平安、鎌倉時代は、ヒトの持つ生産出力が馬一頭 分、すなわち一馬力程度のものだったのだから、一億六千万馬力から原子力時代にまで突入した現 代社会の制御はとうてい不可能だということになる。この点からだけでも、古代および中世期時代 のパターンをくりかえしている現在の仏教では、現代社会および現代人の制御や救済など、及びも つかないことであることがわかるであろう。

それは、市川氏が、「主権在民をかかげて出現した近代デモクラシーの社会におきましては、 富の生産のため”だとか、“大衆のため”だとか、あるいは、ある種の思想(イデオロギー)とか の権威が、それ(宗教)に代わっているのであり、それまでの長い人類の社会システム史に強度の

を発揮してきましたアブソリューティズム(絶対制)としての神観念というものは、ふたたび その社会システム史的な意味を表わすことは、おそらくないだろうと思います」という通りなので ある。これまでのようなパターンの) 神仏の観念は、さまざまなスローガンやイデオロギーに とってかわられてしまっており、もはやふたたび現代社会の指導原理とそして制御的役割り)は 果たし得ないということなのである。

荒廃する現代社会に、現代の宗教がほとんど無力であるかのごとくに見えるのは、まったくこの ためなのである。現代社会において、宗教がわずかにささえとなっているのは、宗教そのものの力 ではなく、すぐれた宗教家たちの個人的パーソナリティによるものであることを、われわれは直視 しなければならない。

五抑圧意識を強める情報洪水

ところで、生産出力の増大とはなんであろうか?

それは、コミュニケーションの面からみた場合、「情報」の増大を意味するであろう。

市川教授は、生産出力の増大による変革を、社会機構の面からとらえたのであるが、わたくしは、 それを、ヒトの精神機構の面からみてみようと思うのだ。

すなわち、生産出力の増大ということを、コミュニケーションの面からみた場合、 それは、「情 報」の質量の増大を意味する。馬一頭分・一馬力の出力時代から、 一億六千万馬力 原子力とい 驚異的なパワーへの飛躍は、そのまま、情報量の飛躍的増大にほかならない。これが、ヒトの精 神機構にどのような影響をもたらすか。

先年、アメリカの「外交政策協会」が刊行した『西暦二〇一八年』に、このことにふれた文章が

コンピューターシステムでは、一個の情報を bit という単位であらわす。 現代社会に生きるわれ われは、いま、平均、一分間に三〇万ビットから五〇万ビットの情報を受けとり、 それを、意識的、 無意識的に処理しているという。これが二十一世紀の前半になると、人類は一〇〇万ビットの百万 倍という、じつに想像を絶した情報量を処理しなければならなくなるであろうとこの書物は警告し ている。こういう想像もできないような厖大な情報量にさらされたとき、人間はどうなるであろう

か? ヒトの知的能力ではとうてい処理しきれず、 そこにいたるまでに、ヒトの大半は、抑圧によ

って生ずる心理的ヒズミで神経的に崩壊してしまうであろうという。 情報エネルギーの抑圧にたえ かねて、人になってしまうのだ。 だから、その頃、生きのこった人類は、脳にコンピューターを 直結して、増大する情報に対処するよりほかないという。

ヒトと機械の共同生体を「キメラ」という。つまり、キメラ人間になることによってのみ、二十 一世紀を生きぬくことができるであろうというのだが、わたくしは、かれらがたいへん重大なこと を見落していると思うのだ。かれらはあまりに安易に考えすぎているようである。そうかんたんに はいかないのである。いくつかの越えがたい問題が残るのだ。 それはなにかというと、人間の「こ ころ」の問題である。かれらは、殺到する情報の処理だけを考えて、人間のこころのはたらきを無 視している。脳とコンピューターを直結することにより、表面的に情報は処理されるであろうが、 潜在的に残る心理的抑圧をどうするかということである。心理的抑圧は、処理されない、あるいは 処理できないという場合にだけ生ずるのではないのである。処理されても生する場合がある。い や、そのほうがむしろ多いといっていいだろう。というのは、われわれは、社会的通念や道徳的慣 習のために、 こころの奥底ではなっとくできなくてもやむを得ず、そういったものに従って処理す ることが少なからずある。そういう場合、表面的には一応処理されても、 こころの奥底に残るもの がある。つまり、心情的に、未解決、未消化のまま、意識層の下部に沈滅してゆくものがあるので ある。それは抑圧意識としてあとに残る。抑圧意識の程度のものは時間の経過につれて、「忘れる」 というかたちで消化されるが、つよいものはしだいに堆積して、やがて「ストレス」となり、心因

性の病気をひき起こす。ストレスは、抑圧意識のごく一部が肉体を通じて外にあふれ出てきたもの に過ぎず、それがさらに内部でじると、「葛藤」を生ずる葛藤はヒトの神と肉体を破壊して しまう。人にしてしまうか、あるいはそのヒトを暴走させて、破滅的行動に走らせる。 その 在意識下の抑圧と葛藤をどう解決するかというのである。

そういうと、化学薬品による一種の記憶忘却剤のようなものか、物理的な電気ショックのような もので、潜在意識に増大する抑圧意識を消滅させたらどうかという論が出てくるかも知れない。た とえば、LSDのようなドラッグが考えられるが、それは要するに現実逃避であり、さらには現実 無視であり、ついには現実と夢との区別がなくなり、やがて人格崩壊にいたるだろう。あるいは、 かえって抑圧を深くし、やしがたい」となって狂的状態をひき起こすだろう。 どんな薬品、

を使っても、記憶は消すことができるであろうが抑圧や傷を消すことはできない。なぜなら ば、そういうこと自体がかえって抑圧や傷痕を深め、あるいは新たな抑圧・傷をつくり出すこと になるからである。記憶と抑圧はちがうのである。 それは傷なのである。記憶は(表面的に消え ても傷は残る。残った傷痕は、深層意識の中の、本人自身でさえも意識されない無意識の意識層 にひそんで、思いがけないときに飛び出してきて、そのヒトに精神的・肉体的にダメージをあたえ たり、あるいはそのヒトを動かして、思いがけない行動に走らせたりする。これはすでに近代心理 学の常識である。

そういうと、 それでは、潜在意識も深層意識もひっくるめて、いっさい消去してしまったらどう なんだというひとが出てくるかも知れない。 冗談ではない、深層意識を消したら人間ではなくなっ

てしまう。それは人間を人間として立せしめている根本的な要素である。 深層意識には、 人間が 生物として発生したアメーバー以来の記憶がインプットされ、きざみこまれているのである。そ を消失させることは、人間を消失させることにほかならない。

というと、それは二十一世紀の問題ではないか、いまからクヨクヨ心配したってしょうがないと いわれるかも知れない。そうではない。 これは決して二十一世紀の問題ではない。現在、すでにわ れわれ自身の上に起きはじめていることなのだ。 西暦二〇一八年の未来世界のできごとではないの である。いま、われわれの上に起きつつあることなのだ。 いま、われわれが解決しなけれ ばならない問題なのだ。

六脳細胞活動の限界要因

わたくしは思うのだが、現代人は、現在、ほとんどその知的能力の限界にまで達してしまってい るのではないかと思うのだ。

人間の脳の中には約百四十億個の神経細胞があると考えられている。一個の神経細胞には、二 千万個以上のRNA分子 (遺伝因子のDNAを伝達する分子)があって、一個のRNA分子は数百 ビットの情報を処理することができる。その結果、平均して人間の脳は一生のあいだに、約一千 ビットの情報をとり入れることができると推定されている。 そこで、アメリカの著名な科学評論

家兼生化学者兼SF作家のアイザック・アシモフはつぎのように述べるのだ。

「そういうわけで、RNAは、人間が行なうどんな膨大な学習や記憶でもさらにはその十億 倍もの作業でも、完全に処理できるファイリングシステムの役をはたしていることは疑いない」

だが、そうはいかないのである。 それは前の節で述べた通りだ。 その前に、ヒトは抑圧と葛藤で パニック状態をひき起こしているだろう。

わたくしが、ヒトは現在知的能力の限界に達していると考えるのは、つぎのようなデーターから だ。

いま、ヒトは平均して一分間に三〇万ビットから五〇万ビットの情報を受けとり、これを処理し ている。間もなくそう、あと十年のちには間違いなくヒトは毎分一〇〇万ビットの情報を処理 しなければならなくなるだろう。ヒトの平均寿命を六十年として、一生におよそ三〇兆ビットにな る。これがヒトの限界なのだ。

そういうと、脳生理学者はヒトの一生に約一〇〇〇兆ビットの情報を処理できるといった、と、 いま述べたばかりではないかといわれるかも知れない。その通りである。だが、それは、一四〇億 個の脳細胞がフルに動いた場合のことである。ところが、ヒトは、平均、持っている脳細胞の二な いし三%しか活用していないのである。いや、活用できないのである。 なぜできないのか? それ 人体のナゾとされている。なぜだかわからない。 しかしわたくしにはわかっている。 それは、ヒ 「こころ」がそのへんを限界としているからだ。脳は一〇〇〇兆ビット処理できるであろう。

人はどんな因縁を

 

因縁  2

江戸川に

次の間で毒が薬を煎じてる」

という句があるが、これは、まさにこの因縁を持つ女性をズバリと旬にしているものと感心させ られる。この句の意味は、亭主が年中病弱で寝ている。 その家をたずねてみると、亭主の寝ている 次の部屋で、若い美しい君が、かいがいしく薬を煎じている。 しかし実際はこの美しい君が 身の亭主にとっては毒なのだ、というところから、君が薬を煎じているのを、毒が薬を、と皮肉 っているわけである。

この因縁を持つ女性を妻に持つと、その夫は年中病弱となるか、または仕事がうまくいかず、年 中失敗したり、渋滞しがちとなる。 生命力を削られるところから、運が非常に悪くなるのである。 いかに才能、手腕があろうとも、必ずなにか一つの不運につきまとわれる。 君が一心につかえれ ばつかえるほど夫の運気が悪くなるのであるからである。

よく、世間にあることだが、立派な君を持った夫が、他に女をつくり、その女より妻君のほう がはるかに色も頭もすぐれているので人が不思議があるが、これは、君のほうに、この 夫の運気を剋する因縁があるために、夫が、生命力自衛の本能から、無意識に君に反発して、そ ういう因縁のない運気のおだやかな女性を求め、逃避するためなのである。 中年になってそういう ことがよく起こるのは、もちろん、中年代で経済的に余裕ができたり、君の色が衰えてきたと いうことも理由の一つにはなるが、根本的には、若いうちは、夫のほうも生命力が強いのでより実

気翹害にも平気で耐えられているからそれほど感じないが、年をとるにつれて生命力が の場が欲しくなってくるのである。

この因縁の強いものを持つ女性が、いわゆる「後家運」とよばれるもので、色情の因縁のある夫 は、前記したように他の女性に逃避し、色情因縁のない夫は、趣味に逃避したり、仕事に没頭した 冷たい家庭となるのである。もし、生命力の弱い夫であったら、死んでしまう。 すなわち 家運とよばれるゆえんである。 女性として幸せな家庭を持とうと思ったら、まず、 まっさきに切 らねばならぬ因である。

8 夫婦障害の因縁 (阿失理沙星)

夫婦 結婚生活に障害が起きる因縁である。

なんとなくおたがいに性格が合わず、年中不満を持ち合ってゴタゴタが絶えず、冷たい家庭にな

または、おたがいに愛情は持ち合っているのだが、どちらかが気になって別居をよぎなくされ とか、仕事の関係で別れ別れに住む、シュウトなどの関係で夫婦仲がうまくいかぬ、等とに かく、愛情の有無にかかわらず、結果的に夫婦仲がうまくいかない。離婚してしまうというところ まではいかぬが、とにかく、年中その一歩手前までいってゴタゴタしているのである。

9 夫婦縁破れる因縁 (布沙也星)

この因縁を持っている人は、男女とも、必ず生別か死別をまぬがれない。生別となるか死別とな るかは、相手かたの生命力の強弱による。

人はどんな因縁をもつか 2

江戸川に

次の間で毒が薬を煎じてる」

という句があるが、これは、まさにこの因縁を持つ女性をズバリと旬にしているものと感心させ られる。この句の意味は、亭主が年中病弱で寝ている。 その家をたずねてみると、亭主の寝ている 次の部屋で、若い美しい君が、かいがいしく薬を煎じている。 しかし実際はこの美しい君が 身の亭主にとっては毒なのだ、というところから、君が薬を煎じているのを、毒が薬を、と皮肉 っているわけである。

この因縁を持つ女性を妻に持つと、その夫は年中病弱となるか、または仕事がうまくいかず、年 中失敗したり、渋滞しがちとなる。 生命力を削られるところから、運が非常に悪くなるのである。 いかに才能、手腕があろうとも、必ずなにか一つの不運につきまとわれる。 君が一心につかえれ ばつかえるほど夫の運気が悪くなるのであるからである。

よく、世間にあることだが、立派な君を持った夫が、他に女をつくり、その女より妻君のほう がはるかに色も頭もすぐれているので人が不思議があるが、これは、君のほうに、この 夫の運気を剋する因縁があるために、夫が、生命力自衛の本能から、無意識に君に反発して、そ ういう因縁のない運気のおだやかな女性を求め、逃避するためなのである。 中年になってそういう ことがよく起こるのは、もちろん、中年代で経済的に余裕ができたり、君の色が衰えてきたと いうことも理由の一つにはなるが、根本的には、若いうちは、夫のほうも生命力が強いのでより実

気翹害にも平気で耐えられているからそれほど感じないが、年をとるにつれて生命力が の場が欲しくなってくるのである。

この因縁の強いものを持つ女性が、いわゆる「後家運」とよばれるもので、色情の因縁のある夫 は、前記したように他の女性に逃避し、色情因縁のない夫は、趣味に逃避したり、仕事に没頭した 冷たい家庭となるのである。もし、生命力の弱い夫であったら、死んでしまう。 すなわち 家運とよばれるゆえんである。 女性として幸せな家庭を持とうと思ったら、まず、 まっさきに切 らねばならぬ因である。

8 夫婦障害の因縁 (阿失理沙星)

夫婦 結婚生活に障害が起きる因縁である。

なんとなくおたがいに性格が合わず、年中不満を持ち合ってゴタゴタが絶えず、冷たい家庭にな

または、おたがいに愛情は持ち合っているのだが、どちらかが気になって別居をよぎなくされ とか、仕事の関係で別れ別れに住む、シュウトなどの関係で夫婦仲がうまくいかぬ、等とに かく、愛情の有無にかかわらず、結果的に夫婦仲がうまくいかない。離婚してしまうというところ まではいかぬが、とにかく、年中その一歩手前までいってゴタゴタしているのである。

9 夫婦縁破れる因縁 (布沙也星)

この因縁を持っている人は、男女とも、必ず生別か死別をまぬがれない。生別となるか死別とな るかは、相手かたの生命力の強弱による。

10 刑獄の因縁(帝屋)

運の時に、必ず刑事事件を起こして、刑務所につながれることになる因縁である。

たいていほかの悪い因縁をあわせ持っていて、それらの悪い因縁とからみ合って起きるのがふつ である。

ごく悪い因縁がほかにあると、殺人強盗等の凶悪犯となり、軽い場合には業務上の過失、選挙違 反等で刑罪にふれる。この因縁があると、心がけのよい悪いにかかわらず、必ず罪にふれることに 先日相談に来た人でよい例があった。立派な人格者で、某大学の助教授であるが、ほんのわ ずか交際の酒をのんで帰りの車を運転し、暗がりで人をひいて重傷を負わせてしまった。飲酒運転 の罪に問われ、裁判中である。

1 目を失い、手足を断つ肉体障害の因縁(哩)

目がつぶれて失明したり、手足を断つ、というように、肉体に障害をうける因である。つまり

怪我の因縁で、自動車、汽車、電車等の事故に遭うのはみなこの因縁を持っている人である。人から 傷害をうけるのもこの因縁である。 別に、病気の因縁を持っている人は、その因縁と結びついて、 手術という形になってあらわれる場合も少なくない。

事故で手足を失う、というように出る場合のほか、神経痛、リウマチ等で手足が痛んだり足腰が 立たなくなったりする。

脳障害の因縁をあわせ持つ人は、脳いっ血、または脳軟化症などから中気になって長年寝たきり となる。

この因縁が内臓のほうにあらわれた場合、肺結核、気管支炎、息等の呼吸器疾患を病む。 幼児でこの因縁を持った子が、年中この因縁にからだを責められるため、発育不良になったり、 病質になったり、強度の神経質、夜泣きなどするようになることがある。 (幼児 少年の神経質 <カン症は、脳障害の因縁からくる場合と、この肉体障害の因縁に責められてなる場合と、二と おりあるのである)

1 横変の因縁(阿

肉体障害の因縁がさらに強くなり、悪化したもので、必ず横死、変死をする。 自殺、殺、事故 死のいずれかをまぬがれることができない。 三代以内の血縁中に、同じ因縁で亡くなった縁者を持 っている人が多いのが特徴である。

求聞持脳の目ざめ

 

**イントロ**
音は呼吸に乗せて
命の力を宿し
炎の呼吸で響かせ
魂に深く刻み込む

**サビ**
チャクラの波に乗り
声は脳に響く
共鳴する心の奥
秘めた力、目覚める

 

 

音声とは、呼吸、発声、そして共鳴。この三つの要素で成り立っている。いずれも等しく重要であり、互いに密接に結びついている。発声はその音を生み出し、共鳴はその振動を倍加し、呼吸はその二つを動かす原動力である。

クンダリニー・ヨーガの呼吸法――「火の呼吸」とも呼ばれるそれは、まるでフイゴのように強く、そして激しい。これが発声と共鳴の源となり、その力強さは想像を超えるものである。しかし、この三つの要素を完全に活かすためには、身体全体を鍛え上げる必要がある。特に、強靭な肋間筋と腹筋、そして頑丈な横隔膜が求められるのだ。

私は、ムラダーラとマニピューラの二つのチャクラが、この重要な筋肉群を支配していることを知っていた。この二つのチャクラが目覚めたなら、これらの器官を自由自在に操ることができる。私が以前からこれらのチャクラを鍛えていたことは、今にして思えば幸運だった。

呼吸法と発声が完成したとき、次に私が取り組んだのは、独自の共鳴腔を作り上げることだった。

音声の共鳴は、喉腔を囲む骨組みの付加運動によって作られる。頭部の中にある腔と振動が共鳴し、音を増幅させるのだ。これは、練習すれば誰でも習得できる技術である。もちろん、上手下手の差はあるが――。しかし、私の場合は、さらに特殊な工夫が必要だった。その共鳴を、自然の法則に逆らって内部に取り入れる必要があったからだ。

生物の発声器官は、すべて外部に向かって音を発するように作られている。それを、私は内部に向けようと試みた。無謀な挑戦であったが、ついに私はそれを成し遂げた。それを可能にしたのは、やはりチャクラの力であった。

発声し、腔内で共鳴させた真言の振動を脳の深部に送り込む作業は、マニピューラ、スヴァジスターナ、アナハタの各チャクラの力を借りなければ絶対にできないと悟った。私は思い切って、完成したこの秘密技術の一部を明かそう。喉腔内で作り上げた共鳴の振動を、そのまま脳の深部に送り込むことはできない。それは絶対に不可能だった。何百回、何千回と試行錯誤した結果、私はようやくその限界を理解した。それは生体の法則であるのだろう。

では、どうすれば良いのか?

最後の試みが成功した。振動を一度下部のマニピューラ・チャクラに伝え、そこで共鳴させるのだ。そしてその共鳴をスヴァジスターナ、アナハタと続くチャクラの伝達系を通じて脳のチャクラに送り込む。チャクラはそれぞれが独立して存在するのではなく、すべてが密接に連結しているからこそ可能な技法である。この方法を使わなければ、声の振動を脳の深部に送り込むことは決してできなかった。それは、音(振動)をそのまま遠くへ伝達することができないが、電流のバイブレーションに変えて電線を通じれば、どこへでも届くようなものだ。

 

 

 

開聡明法の世界

だが、それだけではないのである。 宇宙線は生物の組織を破壊もするが、生長の促進もするので ある。 或る天体から放射された宇宙線の波動は、人間の内分を刺激して、気分を昂揚させたり、 能力を高めるはたらきをする。たとえば、火星が「戦争の星」とよばれるのは、その血のように赤 い色からだけではなく、火星が近づいたとき、地球上の生物は、ある腺を刺激されて狂暴な気分を かきたてられるからである。その結果、この星と大きな戦争の関連性が、歴史の上で実証されてい る。古代ギリシアにおいては、火星が戦争の神アリーズと結びつけられ、戦いのときがくると、そ の神殿にそなえられた神聖な槍を手に、司祭と執政官が、「星よ、目ざめよ」と叫び、戦意を 揚したとつたえられ、占星術では、この星が、「攻撃、怒りっぽい、残忍、向うみず、論争好き、 利己的、生殖腺、副腎、腎臓、切傷、火傷、武器」等の表象とされていることは、まことに興味ぶ かいことである。あるドイツの学者は、火星の位置と、大都市における自動車事故の増減に、動か しがたい数値のあることを発表している。

また、新月と殺傷事件の関連について発表した犯罪学者の統計がある。 月といえば、気象学者の 根本順吉氏は、その著書 『氷河期へ向う地球』の中で、月が人体に及ぼす影響についていくつかの 興味ある例をあげている。 月と女性の生理的周期の間にみられるふかい関連性、また、多くの臨床 と共同研究した結果、月齢といろいろな病気の発病との間に密接な関係があるという発見、また、 月と地震(地球上の)の発生にふかい因果関係があることを示すデータなど、かず多くの例証が述 べられている。

あんなにも遠く、あんなにも小さい宇宙のかなたの星々が、人間にそんなに大きな影響をあたえ などとはまことに信じがたいことであるが、それはいなめない事実なのである。人間は、原始的 生物から、現在にいたるまでの段階において、何度か信じられないような変化をしてきたが、その 原動力は、宇宙線の変化による突然変異に求めるよりほかないと、遺伝学者はいっている。遺伝子 突然変異を起こすような、強烈きわまる宇宙線の出現は、何千年、あるいは何万年に一度の隠れ 出来ごとであろうが、無数に降りそそぐ宇宙線の波動の中から、すぐれた人間をつくり出す波動 をえらびとり、これを活用するということはできないものであろうか?

W・ワトスンはその著『スーパーネイチュア』の中でこう述べている。

「大地震、大気の潮汐 宇宙線などにすべて共通していることは、それらが非常に低いエネ ルギーで作用しており、きわめて弱な信号を送り出していることである。見えない月の位置、見 ることのできないイオンの濃度、地平線上の惑星の数弱な磁気の影響などのような刺激に反応する 生物の明らかに超自然的な能力は、すべて単一の物理的現象 共鳴の原理に帰することができ る」

求聞持法における「明星」は、まさしくその応用だったのである。

チャクラが目ざめてからはじめて、暮れかけた東南の空に向って座ったわたくしはすぐにわかっ た。 明星が、決して単なる神秘感をいだかせるだけのものではないことを

真言の説による脳の覚醒だけでは充分でないことがわかった。 それは、金星からの波動の受信 装置、共鳴装置と思えばよかった。それと、行が成就したのちにさらに明確になったことがある。

 

それは、主役は明星だけではなかったのである。 明星に付随してかならずあらわれる或る星(秘)

がある。その星との相乗効果が重要であったのだ。日月のもふかい関係があった。

以上のことがすべてわかった。同時に、いままでだれも気がつかなかったおもしろい「受信装 のあることに、わたくしは気がついたのである。

十四 仏像の身体を飾る宝石の謎

そのとき、わたくしは、御本尊準胝如来の御尊前で、ふかい瞑想に入っていた。定からさめてゆ っくりと目をひらいた瞬間、あ!と思った。きらりと如来の眉間が光ったのである。

といってべつにふしぎなことではない。準如来は、眉間に、いわゆる「第三の目」を持ってお られる。いわゆる「仏」「霊」である。尊像の眉間のその場所には、透明の宝石がされてい る。それがローソクの光に映えてきらりと光ったのである。が、そのとき、あっと思ったのは、そ の瞬間に、ずっと以前に読んだ古代ヨーガのある秘法が、ばっと念頭にひらめいたからである。そ れは、ある種の宝石を、 ある形状・形式で身につけることにより、ひとつの超人的能力を獲得する という法であった。

御尊像の第三の目は、クンダリニー・ヨーガの「アジナー・チャクラ」にあたり、求聞持法で最 初に覚醒するのがこの部位である。わたくしは、そのとき、このチャクラの定に入っていた。目を ひらいた瞬間、御尊像の同じ部位がきらりと光り、 その刺、まるで自分のその部位がきらりと光

ったように感じられたのである。

「そうだ、このチャクラに宝石をつけてみたら?」

われながら突飛な考えであったが、その意識の奥に、鉱石ラジオの記憶があったのかも知れない。 御承知の通り、ラジオ放送の初期の頃には、ラジオ受信器といえば、鉱石検波器を使った鉱石ラ ジオばかりであった。まだ真空管が実用化されていなかった時代である。もちろん感度がよくなく、 弱い電波の場合、受信するのにたいへんな苦労をするし、その上、分離もよくない。 しかし、電気 は不要で、鉱石そのものが電波を受信してくれる。 しごく簡単な構造でとにかく受信するラジオが つくれるので、たいへん便利であった。この鉱石ラジオは、 その後、真空管の実用化がすすみ、 一 まったくすたれてしまったのであるが、真空管の小型化が要求されるようになった結果、レーダ など、昔にもどってふたたび鉱石検波器を使うようになった。ところが、苦肉の策でやむを得ず 使った鉱石が、皮肉にも、真空管よりはるかに性能のよいトランジスターを生むきっかけになった のである。すなわち、ゲルマニウム・ダイオードの発見である。

科学に弱いわたくしも、これくらいのことは知っている。鉱石には電気の波動を受信する性能が ある。そうして、古代ヨーガでは、ある種の宝石を身につけることにより、超人的能力を獲得する 方法を教えている!

わたくしは夢中になって、手に入るかぎりの鉱石をためしてみた。さいわい、わたくしは、あら ゆる物体が発する振動を感受し、そのさまざまな影響を見わける能力を持っている。 興味ある結果 がつぎつぎと出た。鉱石は、ラジオ検波器のように受信するだけではないのである。振動を発しも

するのである。受信し、発掘するのである。 一定の振動を発しており、また、他からの振動を受け て、べつな振動に変えることもある。つまり、他の鉱石や金属と組み合わせて、まったくべつな 動に変えることもできる。中には、こちらのリズムをかきみだすような振動を発するものもあった。 わたくしは思うのだが、世間でよくいわれる「呪いの宝石」などというのは、悪い振動を発して、 その所有主の知能や理性をゆがめ、判断力を狂わせ 重要なはたらきをする内分泌腺の機能を低下

病気や不幸におとしいれるのであろう。もちろん、その反対に、ひとによい影響をあたえる 宝石もたくさんある。あきらかに病気を直すようなはたらきをすると思える鉱石もあった(尤も、そ の最大のものがラジウムであろうが)。 わたくしは、以前、仏や菩薩の尊像が、 なぜ多くの宝石や瓔珞 身を飾るのか、不審でならなかったのだが、これでその意味がわかったような気がした。無欲な 聖者がある種の宝石を珍重する意味も理解できた。

では、求聞持法ではどうだったろうか?

ある種のサファイアが、顕著なはたらきをすることをつきとめた。

これを眉間のチャクラに置くことにより、このチャクラの覚醒をうながすのである。もちろん、 わたくしとても、サファイアが金星とおなじ振動数を持っているなどというつもりはない。しかし、 この宝石をチャクラにつけて明星に対するとき、この宝石はたしかにアジナー・チャクラを刺激す るのである。時には痛いほどの刺激を感ずることがある。

ところで、サファイアは、色がちがうだけで、ルビーと同種のものである。そのルビーは、殺人 光線のレーザーのレンズに不可欠のものだといわれる。このへん、もっと突きつめていったら、お

もしろいものが発見されるような気がする。 チャクラ用のサファイアは、合成でも性能に変わりは ない。かんじんなのは色である。 それと、もう一種、日本で産出する或る鉱石に、おもしろい性能 を発見している。しかしこれはまだここでは発表できない。

求聞持聡明法の世界

この法を成立させるいくつかの要素がある。 その最大の要素が「音響」であった。 それをわたく しはついに解いたのである。

 

求聞持聡明法の行法次第を仔細に検討してみると、それは三つの要素から成り立っていることが わかる

1 衣・食・住という環境を規制することにより、修行者の身心を規制し、

かぎられた日数内に百万べんの真言ダラニをとなえさせる。

この三つである。 この三つのものは、いったいどんな意味を持っているのであろうか?

1の、衣・食・住の規制はわかる。

2の真言読誦は、心の散乱を防いで、精神統一の役目をはたすのであろう。

の、明星礼拝は、本尊の虚空蔵菩薩が明星の化身であるというところから、これを礼拝するの であるが、これは修行者の心に神秘感をよび起こして修行の効果をたかめるのであろう。

大体、以上のように推測される。

が、この三つのもののどこに、頭脳を明敏ならしめ、記憶を増強するという効果が秘められてい るのか?世には相乗効果という言葉があるが、この三つをどう組み合わせてみたところで、大脳

に対していかなる相乗作用も生ずるもののように思われない。いったいこれはどういうことか? 日夜、定に入ってわたくしはひたすら思いをこらした。あるとき、ふっとひらめくものがあった。 それは2の百万べんの真言であった。 これだ! ここに秘密を解くカギがある! そう心に ひらめいたのだった。

三滝行でのある体験

それは、若いころからのヨーガの習練のおかげであったといえよう。 二十歳代のはじめから、わ たくしはヨーガに興味を持ち、ハタ・ヨーガの実修をしていた。 それが、求聞持法実の数年前か ら、クンダリニー・ヨーガの修行に入っていた。指導してくれる師は日本にいなかったが、いくつ かの研究書や秘伝書を手に入れ、独自の研究のもとに修行をすすめていた。

クンダリニー・ヨーガでは、人体の七か所に、超人的能力を発生させる特殊な部位(チャクラと 呼ぶ)のあることを発見し、その部位を、それぞれ、ムラダーラ、マニピューラ、スヴァジスター ナ、アナハタ、ヴィシュダー、アジナー、サハスララ、 とよぶ。 (拙著『密教・超能力の秘密』参照) このチャクラとよぶ人間のからだの秘密にわたくしが気づいた最初は、滝行の修行にうちこん いる時であった。

三十代のはじめ、わたくしはひたすら苦行にかりたてられていた。

年間の滝行の誓願を立て、毎冬、十月から四月まで、京都伏見の五社の滝にかよった。京都の

真冬はきびしい。 毎朝、霜ばしらを踏みしだき、ときには真向から降りしきる雪を浴びてあえぎな がら時間の山道をたどった。滝つぼに張りつめた氷に足をすべらせて、腰を打ったこともあった。 べつに、それで神通力を得ようとか、さとりを得ようなどと考えたわけではない。そこに何かがあ るだろうと思ったからであった。いや、何もなくてもよい、ただひたむきに苦行にかりたてるなに かがあったのだ。

零下何度という厳寒に滝にはいるときには、前夜から、その意志を、からだのすみずみにまでつ たえておかねばならなかった。 ねむるときから表情のかわっているのが自分でもわかった。 体つき さえもがちがってくる。暗いうちに目をさまし、洗顔をすませると、ただちに仮宿さきの寺内を出 る。約二キロの山道を、 一歩、一歩、大股にあがってゆく。 これから受ける冷水の洗礼にそなえて、 一歩ごとに、全身の細胞が緊張度をくわえてゆくのがよくわかる。

五社の滝に着いて社務所で行と着がえる。そのときである。自分の体臭が異常につよく高まっ ているのを感じたのだ。 その体臭に遠い記憶とほのかな郷愁があった。それはまぎれもなくわたく しの十七、八歳のころの体臭にちがいなかった。 三十歳代に入った男の体臭ではなく、少年から青 年にうつり変わるころの特徴のある体臭であった。 三十を越えたわたくしが、少年の日の体臭をは なつ………。

最初のうちは、ふっと興味をそそられた程度のものだったが、しだいに注意を向けるようになっ た。

そのうち、その体臭に微妙な変化のあることに気がついた。気温がことに低くなって寒気がきび しさを増したり、こころの緊張が高まっているときほど、体臭は濃く、つよかった。春さき ある いは夏の水浴のときには体臭に異常がなかった。

「おもしろい現象だな」

そのころ、苦行によって五官の感覚がとぎすまされ、異常に鋭敏になっていたのであろう。そう いう微妙な変化が実によくわかった。

「どういうわけだろうか?」

その年の冬ことに寒さがきびしく、毎日、わたくしはその現象に考えを集中していた。

あるとき、とつぜんわかった。

厳寒に氷を割って滝に飛びこむという、肉体にとって最大の危機にそなえ、全身の細胞が全エネ ルギーを燃やしてたたかっているのだとわかった。 凍りつくような寒気の中で飛び散る水しぶきを 目にしながら行衣と着がえるとき、わたくしの全細胞は奮い立ち、その結果、十数年、若返ってい たのである。

それは、七日間の断食と一日四回の滝行を兼ねた吹雪の中の荒行にはいっていたときであった。 わたくしはそのとき苦行の頂点に立っていた。全身にふりかかる雪まじりの滝水の中に立って、行 の頂点に立っていた。そのときわたくしは一種の異常感覚の境にはいっていた。わたくしのからだ の奥かくでひとつの機能が死にものぐるいでたたかっているのが感じられた。それがどのように してたかっているのか、そのときのわたくしの目ははっきりととらえていた。そのとき、肉体の

全く消失し、べつな目が肉体の外にあってわたくしを見つめていた。その目はわたくしの内臓 のすみずみまで見透していた。

行が終わると、わたくしは、例になっている社務所の奥さまの出してくださる熱いお茶もいただ かず、いっさんに山をくだった。

「いま見たあれは何なのか?」

それだけが念頭にあった。

それからというもの、わたくしは、ヨーガの奥義書や東西の秘密教典はもちろん、生化学書 医 学書、大脳生理学の専門書までひもといて、それを追求した。

その結果、あのとき、わたくしに啓示をあたえた体臭の異常、また、わたくしの生体をささえる ため必死にたたかっていたのが、副腎とよぶ機能の高まりであったこと、そうしてそれは、 クンダ リニー・ヨーガで、ムラダーラ、およびマニピューラとよばれるチャクラの部位であることがわか ったのである。

以来、わたくしは、クンダリニー・ヨーガの体得にふかく没頭していったのである。

 

七つのチャクラと、人体の機能の関係をあげてみると、

1 ムラダーラ・チャクラ 性腺・腎臓

2スヴァジスターナ・チャクラー副腎臓

3マニピューラ・チャクラ

太陽神経叢・副腎・膵臓・脾臓・肝臓

4 アナハタ・チャクラ 胸腺・心臓・肺臓

5ヴィシュダー・チャクラ

甲状腺上皮小体・唾液腺

6 アジナー・チャクラ サハスララ・チャクラ

脳下垂体

サハスラーラ

松果腺・松果体・視床下部

以上であるが、このうち、6のアジナー・チャクラと、11のサハスララ・チャクラが、頭脳のチ クラである。わたくしは、この二つのチャクラが求聞持法に関係があるのであろうと思った。そ のころ、わたくしはムラダーラとマニビューラの二つのチャクラを目ざめさせかけていた。 チャク ラというのは、だれでも持っているのだが、自然のまま放置していたのでは、いつまでたっても力 は発生しない、チャクラを目ざめさせ、超人的な能力を発生させるための特殊な技術があり、その 技術で調練しなければだめである。 いま述べたように、わたくしはそのころムラダーラとマニピュ ーラの二つのチャクラを目ざめさせかけていた。その技法は、ひと口でいうなら、特殊な呼吸法と、 それを可能にする特殊な体技(体の訓練)および十数種の語の読誦によって、チャクラに特殊な

つよい振動をあたえるのである。

わたくしは、求聞持法を検討する実習にはいってからも、このチャクラ開発の訓練をつづけてい たのだが、この訓練の最中に、はっと気がついたのである。百万べんの真言読という のは、このチャクラ開発とおなじ効果をねらっているのではなかろうか、と。

桐山師の都如意求聞持聡明法

桐山師の都如意求聞持聡明法

夜が明けた頃、私の修行は一層厳しさを増していた。昼夜を問わず続けるその日々、私はついに真言密教の真髄に触れようとしていた。数多の師たちが見落としてきた秘密に、私は手が届きそうだという確信があった。そして、ついにその技術を完成させたのだ。

だが、そこに至るまでには多くの要因が絡み合っていた。

まず、私がすでにヨーガの修行を長年続けていたことがあげられる。特にハタ・ヨーガの倒立、すなわち頭を下にした逆立ちは、私の首を並外れて強靭なものにしていた。二十年以上、毎朝三十分間倒立を続けてきた私は、その技術を極めた結果、倒立したまま眠ることさえできるようになっていた。かつては細かった首も、倒立の習慣により三十代には周囲が一・五インチも太くなり、その結果、私の発声器官も驚くほど強化された。

さらに、十年以上にわたって続けた寒中の滝行も、私の肉体と発声器官を鍛え上げた要因の一つであった。最初に滝に打たれた時、二日目には声が出なくなり、そしてその後一ヶ月間、全く声が出ないまま滝行を続けたこともある。だが、今となっては、どんなに激しい滝の音も私の声をかき消すことはできない。

しかし、もし私がクンダリニー・ヨーガを修行していなかったなら、ここまでの進展はなかっただろう。クンダリニー・ヨーガの鍵は、「火の呼吸」と呼ばれる強烈な呼吸法にあった。発声は、呼吸、共鳴、そして音声の三要素から成り立つものであり、火の呼吸はその全てに強力な影響を与える。この呼吸法をマスターするには、肋間筋、腹筋、そして頑丈な横隔膜が必要不可欠だ。

私はすでにムラダーラとマニピューラのチャクラを目覚めさせていた。それらのチャクラは肋間筋や腹筋、横隔膜を支配しており、それらを活性化させることで、私の身体は自在に操れるようになった。そして、呼吸法と発声を完璧にした私は、さらに独自の共鳴腔を作り上げることに成功した。

普通の人間の発声器官は外部に向かって音を発するように設計されている。しかし、私はそれを内部に響かせることを試みた。何千回、何万回もの試行錯誤を繰り返し、ついにその技術を習得した。それはチャクラの力を利用することで可能となったのだ。

この技術を駆使し、私は求聞持法の成就へと歩を進めていった。以前に書いた通り、その成就の瞬間には異常な感覚が目覚めた。環境に対する感覚が異常に鋭敏になり、私は狂気に陥ったかのように不安定になった。周囲のざわめきが全身に突き刺さり、脳内に何かが浸透してくるように感じた。そして、求聞持法の修行を続けるうちに、視覚と聴覚にも異変が生じた。

目に映るもの全てが揺れ動き、まるでゴッホの絵のように空気までもが震えているように見えた。光が震え、物の明暗が異常に際立って見えるようになった。しかし、その現象もやがて収まり、私の環境に対する異常な感受性も徐々にコントロールできるようになっていった。

こうして私は、全ての存在が振動を放つことを実感した。存在とは振動そのものであり、それが私の体験を通じて明らかになったのだ。

求聞持聡明法

しかし、 クンダリニー・ヨーガの修行をしていなかったら、おそらく、それ以上のこころみは全 メドが立たなかったろう。 クンダリニー・ヨーガのチャクラ開発は、特殊な呼吸法に秘訣がある。 それと、チャクラ周辺の筋肉のバイブレーションだが――。 先ずその呼吸法が役に立った。 ざっと説明してみよう。

音声というものは、呼吸と発声と共鳴の三つから成り立つ。そのいずれも同じ程度に重要である。 発声は そのものであり、共鳴はその振動を倍加させ、振動の力を増強するものであり、呼吸はその両者の原動力である。

ところで、クンダリニー・ヨーガの呼吸法は、「火の呼吸」とよばれるように、フイゴの如く強 く激しい。これが、発声と共鳴の原動力として、どれだけ強力に作用するか、想像以上のものである。

火の呼吸、発声、共鳴の三つの要素を完全にはたらかせるためには、からだ全体を強化しなけれ ばならないが、とりわけ、強い肋間筋と腹筋、それに頑丈な横隔膜が必要である。

わたくしは、さきに、ムラダーラと、マニピューラの二つのチャクラを完成しかけていたと述べ たが、肋間筋 腹筋 横隔膜は、実に、ムラダーラとマニピューラの両チャクラが支配しているの である。この二つのチャクラを目ざめさせたら、この三つの器官はどのようにでもはたらかせるこ とができるのである。それまでにこの二つのチャクラを完成しかけていたことは、まことにと いうべきだった。

呼吸法と発声が完成したら、つぎに独自の共鳴腔をつくりあげなければならない。

音声の共鳴は、喉腔をとりまく骨組みの付加運動のはたらきによる。つまり、頭部の中の、腔と 振動によって共鳴をつくりあげるわけである。 それは、練習によってだれにでもできるように なる。上手下手の別はもちろんあるが――。 だが、わたくしの場合はさらに特殊な工夫が必要であ った。というのは、その共鳴を、自然の法則に反して内部にとり入れなければならなかったからで ある。

生物の発声器官は、すべて、外部に向って音声を発するように出来ている。 わたくしはそれを内 部に向ってしようというのである。思いもよらぬことであるが、ついにわたくしはそれをなし得る ようになった。それを可能にしたのは、やはりチャクラの力であった。

発声させ腔内で共鳴させた真言の振動を、脳の深部に送りこむ作業は、マニピューラ、 スヴァジスターナ アナハタ、の各チャクラの力を借りなければぜったいに出来ないのである。思 いきって、わたくしの完成したこの秘密技術の一部を洩らすことにしよう。 喉腔内でつくりあげた 共鳴の振動を、そのまま脳の深部に送りこむことはできないのである。それはぜったいに出来ない。 わたくしは、何百回、何千回とくりかえしたあげく、ついに不可能とさとった。それは生体の法則 であるのだろう。ではどうすればよいのか?

最後にやってみたわたくしのこころみが成功した。 その振動を、いったん下部のマニピューラ・ チャクラに伝えこれと共鳴させるのである。そうして、チャクラのバイブレーションとしてスヴァ ジスターナ アナハタとつづくチャクラの伝達系を通じて脳のチャクラに送りこむのである。というのは、チャクラというものは個々別々に独立して存在するのではなく、すべて密接に連結してい るものだからだ。この技法を使わないかぎり、声の振動を脳の深部に送りこむことはぜったいにで きないのである。それは、音(振動)をそのまま遠くへ伝達することはできないけれども、電流の バイブレーションに変えて電線を通じれば、どんなに遠方にでも届くということに似ているといっ たらよいであろう。

However, if I had not practiced Kundalini Yoga, I probably would not have been able to make any further attempts. The secret to the development of the chakras in Kundalini Yoga is a special breathing technique. And the vibration of the muscles around the chakras. First, the breathing technique was useful. Let me explain briefly.

Sound is made up of three things: breathing, vocalization, and resonance. All of them are equally important. Vocalization is the sound itself, resonance doubles the vibration and increases the power of the vibration, and breathing is the driving force behind both.

By the way, the breathing technique in Kundalini Yoga is called “fire breathing,” and is as strong and intense as a bellows. It is beyond imagination how powerful this is as a driving force for vocalization and resonance.

To fully utilize the three elements of fire breathing, vocalization, and resonance, the whole body must be strengthened, especially strong intercostal and abdominal muscles, and a strong diaphragm.

I mentioned earlier that I was close to developing the two chakras, Muladhara and Manipura, and the intercostal muscles, abdominal muscles, and diaphragm are in fact controlled by both Muladhara and Manipura. If you awaken these two chakras, you can make these three organs function in any way. It was true that I had already been close to developing these two chakras.

Once you have perfected breathing and vocalization, you must then create your own resonance chamber.

Voice resonance is the result of the additional movement of the framework surrounding the throat cavity. In other words, resonance is created by the cavity and vibrations in the head. Anyone can do this with practice. Of course, there are differences in skill and skill. But in my case, a more special ingenuity was required because I had to bring that resonance inside, contrary to the laws of nature.

All living creatures’ vocal organs are designed to emit sound toward the outside. I wanted to make it toward the inside. Unexpectedly, I was finally able to do it. It was the power of the chakras that made it possible.

The vibrations of the mantra that were vocalized and resonated within the throat cavity could never be sent deep into the brain without the help of the power of the manipura, svajisthana and anahata chakras. I’ll go ahead and reveal a part of this secret technique that I have perfected. The vibrations of the resonance created in the throat cavity cannot be sent directly to the depths of the brain. It is absolutely impossible. I tried it hundreds and thousands of times, but finally realized it was impossible. It must be a law of the living body. So what should I do?

The last attempt I made was successful. The vibration is first transmitted to the lower manipura chakra and resonated with it. Then, as chakra vibration, it is sent to the chakra of the brain through the chakra transmission system that continues to Svajisthana Anahata. This is because chakras do not exist individually and independently, but are all closely connected. Unless you use this technique, you will never be able to send the vibration of your voice deep into the brain. It is similar to the fact that sound (vibration) cannot be transmitted directly to a long distance, but if you change it into a vibration of electric current and send it through an electric wire, it can reach any distance.