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ホモデウス図解、要約してみた

かつて地球上にはさまざまな人類種が存在したが、なぜホモ・サピエンスだけが生き残ったのか。ハラリはその理由を、7万年前にホモ・サピエンスの脳に起きた「認知革命」に求めた。これによってホモ・サピエンスは、「虚構」を操る力を手に入れたのだ。

この能力によって人類は、言語を獲得し、「神」や「国家」などの概念を生み出した。目に見えないものを崇めたり、自らの身体スケールを遥かに超える大きさの共同体をイメージして、互いに協力したりするようになったのだ。

今よりも豊かな生活や、まだ見ぬフロンティアなどを想像する力を手に入れた人類は、文明を生み出し、イノベーションによって進化のエンジンを加速させ、この星の歴史上、もっとも繁栄する生物となった。「虚構」というコンセプトひとつで人類史をクリアに見通してみせた「サピエンス全史」は、またたくまに評判となり全世界で800万部を超えるベストセラーとなった。

「ホモ・デウス」は、「サピエンス全史」に続く待望の新刊だ。人類の来し方について描いた前作に対して、本作は私たち人類がどこに向かおうとしているかを壮大なスケールで描き出す。ビル・ゲイツやダニエル・カーネマン、カズオ・イシグロらが本書に熱のこもった賛辞を贈っているが、それも当然、「ホモ・デウス」は前作を上回る知的興奮が約束できる傑作なのだ。

ホモ・デウスとは何を指すのか

人類の歴史を振り返ると、飢饉や疫病、戦争によって人々の生存は脅かされてきた。ところがいまやこれらは克服されつつある。もちろんこれらの問題が根絶されたわけではないが、実際には飢饉で死ぬよりも肥満で死ぬ人の方が多く、疫病よりも老化で、戦争よりも自殺で死ぬ人のほうが多いのが現実だ。

ハラリは、この3つの問題を克服しつつある人類は、次のステージに向かうのではないかと見ている。次なるステージで人類が目指すのは、不死と幸福と神性の獲得だ。サピエンスは自らを神(デウス)にアップグレードさせ、ホモ・デウスになるのではないかというのが、本書の予見する未来である。

とはいえ、ピンとこない人のほうが多いだろう。たとえば人類が不死の存在になるなんて、そんなことが本当に可能なのだろうか、と。当然の疑問だろう。

ところがこの動きはもう現実のものとなっているのだ。現代科学の最重要事業は死を打ち負かし、永遠の若さを人間にもたらすことだと考える科学者が増えている。

グーグルは「死を解決すること」をミッションに掲げる子会社を設立しているし、投資ファンドのグーグル・ベンチャーズは生命科学や寿命延長などに取り組むスタートアップに巨額の投資を行なっているという。

サピエンスは認知革命によって知のネットワークを拡大させ、やがてそれは科学革命へと発展していった。科学革命は人間を自然から切り離し、世界の中心にすえる人間至上主義を生み出した。人間の命や心、意識などを特別視する世界観が支配的となったのだ。だが現代の生命科学者たちは、すべての生命はアルゴリズムであるとする。

私たちの意識は、ニューロンが発する信号によって脳がデータ処理を行うプロセスの副産物に過ぎない。現代の脳科学では、私たちの自由意志ですら虚構だとされる。

魂や自由意志にかわってクローズアップされるのは、遺伝子や免疫機能である。「ホモ・デウス」が描き出すのは、私たちが想像もしなかった未来だ。

アンジェリーナ・ジョリーは歴史に残る?

テクノロジーと人間至上主義が結びつく時、あらたに主役として躍り出てくるのは、遺伝子工学やナノテクノロジーなどである。その先にあるのは、人間の意志や経験よりも、データを信頼するデータ至上主義だ。

母親を乳がんで亡くしている女優のアンジェリーナ・ジョリーは、遺伝子検査によって自身もBRCA1遺伝子に危険な変異を抱えていることがわかり、両乳房切除手術に踏み切った。彼女は当時がんに冒されてはいなかったが、この変異を抱える女性が乳がんになる確率は87%であるとするアルゴリズムに従ったのだ。後世の歴史家は、彼女のこの決断を、歴史的な決断と位置付けるかもしれない

外部のアルゴリズムが、人間自身よりも人間のことを詳しく知っているという社会が現実のものとなろうとしている。たとえば人間ドックでがんが見つかった場合、あなたはその結果を人間の医師と機械と、どちらから告げられたいだろうか。おそらく多くの人が人間の医師を希望するに違いない。なぜなら人間にあって機械にないものは、思いやりの心だからだ。

たしかに人間の医師は表情や声の調子からあなたの心の状態を読み取ろうとするだろう。ところが、IBMの開発したAIワトソンは、そうした外面的な手がかりだけでなく、人間の目や耳では捉えられない、血圧や脳の活動といった無数のバイオメトリックデータや社会的な統計データをもとに、あなたが感じている不安を正確に把握したうえで、あなたが知るべきことを、それにふさわしい声の調子で伝えることができるという。

あながた尊大な患者であろうが、おどおどした内向的な患者であろうが、目の前のワトソンは動じることなく淡々と任務をこなすのである。

ただし、外部のアルゴリズムが力を持つ社会は、人間がいらない社会でもある。

選挙で誰に投票すべきか、どの職業を選択すればいいか、すべてビッグデータとコンピュータアルゴリズムが決めてくれる社会。そこでは個々の人間は、巨大なシステムにデータを提供するだけの、たんなる道具のような存在に成り下がるかもしれない。

このように書くと、ハラリの予測する未来はディストピアだと考える人もいるかもしれない。だがそれは早計だ。この本は絶望的な未来を描き出したものではない。歴史学者であるハラリは、本書の中で未来は変えられると繰り返し呼びかけている。

歴史を学ぶことで、私たちは過去から解放される。そして昔の人が想像もできなかった可能性や選択肢に気づくことができる。過去だけではない。なによりも私たちの思考や行動そのものが、今日のイデオロギーや社会制度の制約を受けている。歴史を学ぶことは、それらの成り立ちを知り、制約から自由になることにもつながるのだ。

ともあれ、「ホモ・デウス」でかつてないスケールで描かれる人類の未来を、ぜひ多くの人に読んでほしい。本書を読み終えた時、あなたはこれまで見たこともない未踏峰の頂上からの景色を目撃することになるだろう。

遠い過去から遥かなる未来へと続くその光景を、ぜひあなたと共有したい。私たちの未来についての議論を始めるのは、そこからだ。

 

 

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

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桐山精雄  阿含仏教・超能力の秘密

「等価変換展開理論」

 

 そんなことがほんとうにできるのか? いったいどうやってそんなことができるのだ、と。

 それもたしかにもっともなことで、私自身、身をもってこの密教の秘密に挑戦し、自分でこの

技術を解明するまでは、ぜったいに信ずることができなかった。私は単身、五〇〇〇年の間秘密

のヴェールにつっまれてきたこの不思議な技術にいどみ、その秘密を解いた。それは、信ずるこ

とのできないほど精緻微妙な生化学に立脚したおどろくべき技術の応用であった。

 たとえば、

 さきにもちょっとふれたが、市川亀久弥博士は、最近の著作のなかマ(≒柚計器)お得意の

「等価変換展開理論」にもとづき、イモ虫からサナギヘの変化を例にして未来社会への脱皮を説

いておられる。この理論はまことにみごとで、まさにほれぼれするほどあざやかである。こと

に、イモ虫がサナギに変身する理論的うらづけは、近来しきりに輩出する未来論のなかで、まさ

に出 色のものであるというべきである。

 ただ、まことに残念なことに、それは理論と説明と期待にとどまり、それをいかにヒトに応用

して実現させるかという方法を示していない。それは、もちろん、氏自身、同書のはしがきのな

かで、これは、″単に人類のあるべき未来社会に関するソフトーウェアの主張の範囲にとどまる

ものである”とことわり、この。ソフトーウェアに対するハードーウェアの具体的な提唱″は

″旺い将七に公長する~定である″ということであるから、われわれはまさに刮目してそれを待、ぐに、その″ソフトーウにアに対するハード・

ウェアの具体的な技術″を持っているのである。密教は、その持つ技術のひとつに、この市川理

論の「イモ虫からサナギヘの脱皮」技術を持っていて、数千年も前から、それをヒトの変身技術

に応用、実践していたのである。

 密教は、現代の創造理論の大家が提唱する未来に関する花形理論を、とうに実践していたので

ある。五〇〇〇年も前にI。

 地を這いまわることしか知らぬ生物であるイモ虫が、サナギになり、そして、空を舞う生物に

変身することは、二次元の世界に生きる生物が三次元生物に変化したことを意味するものだ。密

教がおなじ技術をもってヒトを変身させることは、三次元生物であるヒトをそれより上の次元に

飛躍させることを意味する。密教の変身技術はそれなのである。その生物の次元を変えてしまう

のだ。

 しかも、それは、今までいわれてきたように、ただ神秘的、神がかり的なアイマイな方法でな

く、適確な生化学の技術をもっておこなうのだ。そうしてそれは密教の持ついくつかの技術のな

かのひとつに過ぎない。

 いったい、どんな智恵がそれをなしとげていたというのであろうか? 密教の技術を神秘とい

うのなら、その点をこそ神秘というべきだろう。しかし、それは、それこそまさに数千年生え出

現した超・ヒトが、孤独にたえつつ、その持つ人類最高の智恵「照明智」を駆使してつくり上げ

た未来人のためのカリキュラムにほかならぬのだというよりはかないであろう。

 

 さて、それでは、密教の技術に関係のある市川理論「等価変換展開理論」とはどんな理論か?

それがどのように密教の技術と関連があるのか?

 それを説くまえに、もう少し知っておいていただかねばならぬことがある。

 ここで、私は、密教とヨーガという二つのことばについて述べておかねばならぬと思うのだ。

 拙著「変身の原理」で、私は、密教についてっぎのように述べた。少し長いが引用してみる。

 『真言宗という宗派仏教と、密教すなわち秘密仏教とは、ふかいつながりかおる。だが、それは

どこまでもふかいつながりという関係であって、普通考えられているように、密教即真言宗、真

言宗即密教というものではないのである。

 真言宗とは、インドにおいて発生し、大成した密教を、ああいう独白の形に体系化し、組織化

したものであって、密教そのものではないのである。密教のひとつの体系ではあるけれども、密

教そのものではない。

 それは、それまでにほぼ完成していたけれども、分派し、多様化していたインド密教を日本密

教の開祖空海が、独自の見識と叡智によって、ひとつの体系につくりあげたということである。

 おなじように、天台宗においても、天台密教というひとつの密教体系を組織完成しており、こ

れもまた、密教のひとつの流れということである。

 そういうわけで、密教というものを正しく理解するためには、どうしても、]度、密教の原点

に立ちもどって考えてみなければならないのである。

 密教は、最初、ひとつの手法(技術)であった。

 けっして、最初から密教というひとつの宗教があったわけではない。

 ゴータマーブッダがあらわれて、仏教というあたらしい教えを説きはじめるはるか以前、バラ

モンの時代から、インドには、入に超能力をあたえるひとつの手法があった。そういう手法が完

成されて、一部の人たちの間につたえられていた。それは、精神と肉体のきびしい錬磨から得ら

れる神秘的な力で、彼らは、それを、ひとつの技術にまでっくりあげていた。

 われわれは、その流れのひとつを、現在、ヨーガのなかに見ることができる。(ただしそれは、

いまの日本で行なわれているアクロバティックな体操のヨーガではない。ヒマラヤの奥地の聖者

たちの間に伝承されている正統ヨーガである)

 ヨーガは、その手法のひとつの流れである。この超能力を開発する技術は、仏教があらわれる

以前においてはバラモンにとり入れられ、仏教があらわれると、仏教もまたこれをとり入れた。

 ゴータマーブッダは、かれ自身、この手法をまなんで、これにより超能力を持ったが、弟子た

ちにはこれを学ぶことを禁じた。なぜかというと、この技法によって多少の力がつくと、かれら

はすぐにそれがブッダのいう「ホトケ」という境地に達したものと考えてしまい、修行のさまた

 

 

 

 

      

げになるからであった。

 ただし一部の、素質のきわめてすぐれた弟子たちには、ひそかにこれを許した。

 ゴータマーブッダは、普通、神秘的な力を信じたり、修行者がそういう力を持つことを願った

りするのを全く禁じたというように、仏教学者や仏教者は信じているようであるが、それは間違

いで、ブッダ自身、神足({乱石の教理、すなわち、仏道を完全に成就するためには超自然的な

力が必要であるとし、超人間的な能力開発の訓練法を説いているのである。これは、パーリ文献

によって容易に証明することができるのである。(略)

 それによると、それは、″四神足“または、″四如意足″ともいわれる超能力開発法である。

 ブッダは、菩提を成就するためには、単に、知性や理性をみがくだけでは不十分であると考

え、知性や理性の限界をうち破る力が必要であると考えた。

 そのために、彼は、そういう力を開発するための行法をつくりあげた。それは、彼が学んだ超

能力開発法を加えて編成したものと見てよいであろう。

 それは、三十七種の技法から成り立つもので、四神足というのは、その中心になる技術であ

る。神通、如意を得るための定を、四種類の手法に分けて説明している。

  欲神足(願望、理想、創造のためのアプローチ)

  勤神足(体と心のトレーニング法)

  心神足(潜在意識のトレーニング法)

   観神足(深層意識のトレーニング法)

  きづまりを打破するために、大乗仏教のなかにとり入れられて体系化され、密教と呼ばれになったのである。いうわけで、密教は二つの面を持っている。

  一つは、超能力の開発技術

  一つは、大乗仏教の教義

 この二つである。

 この二つのものがむすばれることにより、大乗仏教よりさらに高度の教義が完成されて、「金

剛大乗」と呼ばれる新しい仏教が誕生した。これが密教である』

 -との引用の文章でわかるように、「変身の原理Lにおいて語られている「密教」というコ

トバは、「秘密仏教」という意味での「密教」である。仏教のなかにとり入れられた、いわゆる

真言密教、あるいは真言宗密教の密教である。

 しかし、本書において私がいう「密教」は、それらの密教、「変身の原理」のなかで使われて

いる密教とは全くちがうものであることを、読者はご承知ありたいのである。

 

 本書における「密教」とは、真言密教以前、いうならば仏教にとり入れられる以前の、いや、

バラモンにさえもとり入れられる以前の、引用文でいえば4  R教は最初、ひとつの手法(技術)であった。ゴータマーブッダがあらわれて、仏教というあたらしい教えを説きはじめるはる

か以前、バラモン時代から、インドには、入に超能力をあたえるひとつの手法があった。そういう手法が完成されて、一部の人たちの間につたえられていた。それは、精神と肉体のきびしい錬磨から得られる神秘的な力で、彼らは、それを、ひとつの技術にまでっくりあげていた。と

あるその「技術」、つまり、いうならば、″古代マーガ″と″真言密教″と、この二つを結合したものであると承知していただきたいのである。即ち本書でいう密教とは、ヨーガと真言密教と、

この二つをむすびつけて生まれた新しい技術であるということである。

 なぜ、そういうことをしなければならなかったのか、というその理由を語ることはそのまま、密教の法を解説することにもなるので、読者はここのところをよく知っておいていただきたいのである。

 引用文のなかにしるされているごとく、行きづまった大乗仏教は、ヨーガの技術にその打開の道を求めた。さきの頃で述べたごとく、精神の高度の飛躍は、その前提に、感覚器官の高度の増幅がなければならぬ。しかし、大乗仏教には教えだけあって、なんの技術もない。大乗仏教という教えであり、教えをあきらかにするだけのもので、技術というべきものはなんにもない。つい

に行きづまることは当然であり、やがてヨーガの技術に救いをもとめるのはさらに当然というべ

きことであった。

 かくして、金剛大乗、真言密教が生まれた。ヨーガには、さきにあげた通り、ジョルジューオリヴィエ教授の表現を借りていえば、五つの能力開発技術がある。それは、①第四次元の理解、合複雑な全体をとっさに把握する能力、③第六感の獲得、④無限に発展した道徳意識、⑤とくに

われわれの悟性には不可解な精神的特質、というものであるが、これらの能力開発の技術は、それがそのまま大乗仏教にとり入れられたわけではない。おのずから、ひとつの偏向傾斜があった。

 それは当然のことで、大乗仏教の指導者たちは、この技術を彼らの信奉する仏教教義とその目的に沿って取り入れた。一般的でないと思われる技術は捨てられ、あるいはごく一部の指導者にだけつたえられ、あるいは変形された。こうして秘密仏教というあたらしい教義と体系が完成した。しかし、多くのすぐれた開発技術は、この仏教教義を完成させるための補助的技術に変容さ

せられてしまった。あるいは形骸だけがとどめられた。これが、秘密仏教の「行法」であった。

 これを究極的に完成したのは、日本密教、すなわち真言宗の開祖空海であった。秘密仏教がインドから中国につたえられ、そのころ中国にわたった空海がそれに接した時点において、秘密仏教はまだ完全にはできあかっていなかった。その混沌たる素材を取捨選択して、これをいま見る

真言宗というかたちにまとめ上げ、整然たる宗教にしたのは空海であった。それはまさに大天才のみがなしとげることのできる偉業であったが、同時に、秘密仏教はあまりにも整然と様式化された日本的なものになってしまった。それまでかなり残っていた密教的な部分はほとんどかげにかくれ、一-法」は、様式化された宗教儀式になってしまった。

 しかし、それは、当時の目本の国情や、文化水準を背景にしたとき、やむを得ないことであったのである。というよりもむしろ当然であったというべきだろう。そうしなければ宗教として存

立することができなかったのである。

 だが、そのために、いまいった通り「法」はその力を失った。宗教的に様式化され、儀式化されてしまった「法」では、真の能力開発は困難である。というよりもそれは絶望に近い しかし、それはそれでいいのだ。真言密教というものが、宗教であって能力関発の技術ではな

く、仏教という信仰のワクのなかで教えを説き礼拝をつづけているだけでよいなら、それはそれでいいだろう。それに、ほとんど儀式化された「法」であっても、天分のある才能が懸命の努力を集中するなら、「法」の成就も不可能ではない。やってやれないことはないのである。けれども、それは何世紀にひとりというような稀有の才能を必要とするのではないのか。そういうすぐれた頭脳によれば、様式化された法のあとをたどって、ついにその源泉に到達し、そのなかに秘められた法の技術を発見し、体得することもできよう。あるいはまた、頭脳ではなく、熱烈な信仰が、そこへ導いていってくれることもあるかも知れぬ。だが、それは、万人に期待できることではない。

 要するに、真言密教成立の当時と全く時代が変ってしまった現在、真言密教が、他の宗教と根本的にちがうその本来の任務をほんとうに果たそうと思うならば、真言密教は大吝く変わらねばならぬ。真言密教はナみやかにその原点に立ちもどり、「法」を技術としてシステム化しなければならぬ。そうして、だれでもが平易にまなべる体系を編成ナることである。

 それは決して「法」を解体し、「法」を壊滅してしまうことではない。むしろ、そうすることによって法が生きるのである。また、それは決して宗教の解体ではない。

 法によって高い知的能力を得たならば、人はおのずから高い道徳意識、倫理観を持つものである。

 

 人が宗教的教えを必要とナるのは、知的能力が低いからである。要するに、愚かだからである。人の道徳意識が低いのは、知能、精神能力が低いからだ。ほんとうに知能が高くなれば、人は、いま人類の持っている程度の宗教意識などけるかに超えたもっと高い倫理観を持つ。オリヴイエ教授のいう「無限に発展した道徳意識の保有」である。

 教え(宗教)による人類の道徳意識の開発は、すでに限界に達してしまっている。

 見よ。

 

 地上にあまねくくりひろげられている人類のこの大愚行を。殺し合い、奪い合い、罵り合い。

 どこに「知恵あるヒト」のおもかげがあるか? 「大愚人類」そのものではないか?

 要するに、バカにいくら結構な教えを説いてもだめなのだということだ。

 もっと忌憚なくいわしてもらうならば、(これは私がいうのではない。みんな密教の神サマが

おっしやるのであります)ちっとましなバカが、しょうのないバカに一心に教えを説いているというのが、いまの宗教のすがたというものではないのか?

 宗教だけではない。科学と技術だってそうではないか。見さかいなくいい気になっていろんなものをつくり出し、あとで公害だ有害物質だと困っている。こういうおろかなことは、もう少し人類の知能が高くなったら、そんなバカなことはたのまれなくともしなくなる。要するに知能が低いからだ。

 政治も、経済、思想も、みんなそうだと、あなたは真実思わないか?

 要するに、すべて、″ヒトの知能が低い″ことに原因があるのである。

 この世界を住みよく、たのしいものにするのには、革命ごっこよりもなによりもまず、ヒトの知能を高めることだ。そう、あなたは思わないか?

 さて、話をもとにもどそう。

 教えの限界とはヒトの知能の限界だ。

 密教はその限界をうち破るのである。

 技術によって超能力をあたえ、いっきょにヒトを改造して、宗教などという低い次元をいっぺんに飛び越し、想像を絶する叡智を持った、高い倫理的生物をつくり出そうというのだ。

 それが、密教だ。

求闘持法《明星》の秘密

 

 私はこのことを念力の護摩の修得に際してさとった。

 先年、私は、念力の護摩法の伝授を受け、悉地成就の修行に入った。けれども、その行法の次

第を、何十ぺん何百。へんくり返しても、念力の火は出なかった。煙さえたちのぼる気配はなかっ

た。私かそのままその法の次第を忠実にくりかえしていたら、永久に念力の火は出なかったであ

ろう。出るはずがないのである。念力の護摩法の次第を、いくらくりかえしたって火は出ない。

そんなことで出るのだったら、今日までに、何百人、何千人の阿闇梨が念力の護摩を焚いていた

だろう。真言密教の念力の護摩法だけでは、ぜったいに火は出ない、それは、密教の技術によっ

て、サマーナ気を克服したとき(274頁参照)、はじめて肉体から火焔を発することができ、念力の

護摩は完成するのである。絶望した私は真言密教をはなれ、身を転じて古代インドの秘密経典に

むかった。

 私はそこでインドの聖典、バガヴァットーギータを続み、そこに念力の護摩の秘法がかたられ

ていることを知った(口絵写真参照)。そこから、ギータと不二の関係にあるヨーガに入った。ヨ

ーガに本当の念力の護摩があることを知った。ヨーガにおける私のいのちがけの修行がはじまっ

た。ヨーガの技術でなければ念力の火は出ないことがわかったからである。真言密教の念力の護摩法次第は、ほんの心おぼえ程度のものに過ぎず、これでは、だれがどうしたって火の出るはずがなかった。いや、この肉体が火となるための「法」としては心おぼえ程度のものですらなく、むしろ、バガヴァツトーギータの聖句のほうが、はるかに示唆に富んでいるといえた。ヨーガの念力の護摩は、ただ単なる観想の羅列ではなく、どの生理器官をどのように統御しどのように動かすという現実的具体的な「技術」があった。この技術によってトレーニングすれば、多少なりと素質のある者だったら、必死の修行によって念力の火を出すことは不可能ではない。真言密教の念力護摩法次第だけでは、大天才といえども不可能にちかい難事である。この秘密を知らずして、古来、いく人の密教修行者が、念力の護摩の次第と秘伝を前に、血と汗の絶望をくりかえしたことであったろう。思えばツミな″次第″である。

 これと全くおなじことが、真言密教につたえる「求聞持聡明法」についてもいうことができる。求闘持とは、古書に、『見聞覚知のことを憶持して長く忘れず、師なくして天地の感応を待つ、これを″求″といい、教なくして真如妙理を覚る。これを″聞″といい、一度覚るとながく忘れない、

これを″持″という』とあるように、求闘持法とは、ヒトの大脳を強化して、博覧強

卸、比類なき記憶力と聡明さをあたえる秘法であるが、これをなん十。へんなん百ぺん行法の次第通りに修行したところで、その結果は、おそらく念力の護摩とたいしてかわらない結果におわるであろう。生命を賭して修法すれば、多少の効果はあろうが、宗祖が体験を以て示したような霊験を得ることはまず難い。なぜならば、真言密教の「虚空蔵菩薩求聞持法」には印信観想による

精神集中の「法」はあるけれども、現実に生理器官である大脳皮質そのものを動かす「技術」を持っていないのである。ヨーガの「聡明法」は、どの器官をどう使ってどのように大脳皮質を動かすかという「技術」がある。また、それだけではない。根本的にちがうものがあるのである。

 ’それは、まったく根本的にちがう。

 拙著「変身の原理」で求闘持聡明法についてかたって以来、私は、十指を越える真言僧侶、阿閉梨がたから、手紙あるいは直接、この法の修行について相談をうけた。そのほとんどは、自分も一度ないし数度にわたって求聞持法を修したが、いっさい効験がみられなかった。修法の行じかた、あるいは心構えに越法のところがあったのであろうかというのであった。また、何度か修してみて、あの行法にそんな神秘的な力がひそんでいようとは思われぬというものがあった。なかにはお気の毒にも健康を害してしまって、再起不能になったと訴えてきた阿閉梨もおられた。

 お気の毒であるが、当然なのである。

 真言密教の阿開梨がたが、いくら求闘持法をくりかえしても、成就できないのは当然なのである。もちろん、絶対に、とはいわない。万人に秀いでる天才、英才であったら、その極に達することができるかも知れぬ。しかしまず、不可能にちかいというべきだろう。

 私か発見した密教の「求闘持法」でなければ、まず不可能にちかいといってよいであろう。こ

の法については章をあらためてくわしく書くが、ここで、求聞持法の秘密の一端を明かそう。まず、最初、真言密教の求聞持法を述べてみる。

『比の法を修するには、東南西三方の晴れたるところを最上とする。東方のみでも悪くはない。

 

道場の東壁に小窓をつくる。これは虚空蔵の似沢である明星の光を道場にさし入れるためである。また、朝日夕月の光を本尊にあてる意もあり、あるいは小窓に絹を張り、黄色の種字の字を書いて、そこから、明星の光をとおして本尊にあてるためでもある』

 とまず場所を制定し、つぎに、さだめられた本尊の印明を百万べん、五十目あるいは百日に読誦するのであるが、日蝕または月蝕の時に結願するよう開白(はじめること)しなければならぬとある。

 けれども、密教の求聞持法では、べつに場所はえらばぬのである。静かな場所でありさえすればよい。また、いつはじめてもよいのである。明星を拝するのも、行のはじめに際して、あるひととき、星と月に対すればよいのである。

 また、これこそが密教のもっとも奥義とするところなのだが、弘法大師空海は、求聞持法の成就の体験を、

 『―阿国大滝の岳にのぼりよじ、土州室戸の崎に勤念ナ。谷響を惜しまず、明星来影す。

 言々』

 と語っている。すなわち、阿波の大滝にのぼり、土佐の室戸岬でこの法の修行にはげんだところ、谷はこだまし、明星があらわれるなど、法にいわれている通り現証があり、法が成就した、

というのであるが、これは、空海のひとつの表現であって、これをそのまま鵜呑みにしてしまうからいけないのである。これはどこまでもひとつの表現なのだ。

 伝にいわく、

 『明星来影す、とは、結願のときに、香に火を置き、明星を拝するに、四方が暗く明星が見えねば悉地就成ではない。暗くても星が現ずれば下品の成就であり、四方が少々晴れて星が現ずれば中品、天に暗なく、ことごとく晴れて星現ずれば成就、四方が晴れても星現ぜざれば悉地成せざるなり』

 とあるが、これがちがうのである。まるっきりちがう。

 こういう口伝や奥伝をたよりにいくら修行しても、気の毒だが、求聞持法は成就しない。

 明星とは現実の明星ではないのである。

 大脳のある部分をある方法で刺激すると、目の前に光が見えるのである。

 その光は、かたちも色も大きさも、いろいろに見えるが、意識を記憶の座に向けて沈静させる

と、つめたい、やや黄色みを帯びた白銀色になって、しずかに目のなかでまたたく。それはちょうど明星そっくりに見えるのである。

 これが明星なのだ!

 268頁をもう一度、読みかえしていただこう。

  ″頭のかかの光明に日を向けるならば″

 とある。これがそれなのである。

 ある特殊なトレーニングにより、この部位(大脳の視床下部のあたり)の刺激が、目のなかに光を浮かばせるのである。目をある角度に向けると、目を開けていても閉じていても、ポッカリと光が浮かんで見える。

 この光が見えるようになると、記憶の座が自由にあやっれるようになるばかりでなく、さまざまな、奇蹟としか思えぬような力がついてくる。

 これが、「求聞持法」の明星の秘密である。大空を百年ながめて空中の明星を見つめていても、ムダだ。明星はわが大脳のなかにあるのだからI。

 このことは、密教五〇〇〇年の歴史に、私がはじめてっかんだ秘密である。私以外にこれを知る者はついになかった。求闘持法の秘密を私はついにつかんだ。私はそれを誇りに思う。

 これをもとにして、私は、私の「求闘持聡明法」を編成した。これは、今までの「法」などというアイマイなものではない。生化学と生理学をもとにした「技術」である。正しい指導のもとに訓練を積めば、必ず、だれでもできるようになる技術である。

 本来ならば、こういうことは私の、「太極秘伝」として、ごくかぎられた者だけにひそかにつたえてゆくべきものなのだろう。だが、私はこれをひろく公開する。なぜならば、私は、世界中の人びとがこの法によって知能を高め、いっさいの愚行-殺し合い、奪い合い、罵り合い、にくみ合いから遠ざかってほしいのである。

 求聞持聡明法は、人の知能を三倍にナる。

 しかし、その半分でもよい。人類の知能が今の水準より平均一・五倍飛躍したら、この世

から、犯罪も戦争もいっさいなくなる。そういうものがあるのは、人間が愚かだからだ。求闘持法によって知能指数が倍加したら、そういうものがいかに愚かで馬鹿々々しいことか、大人が子

供のヶンカが馬鹿々々しくて見ていられないように、いっさい、しなくなる。

 私や、私の周囲のごく一部の者が、この法によっていくら賢くなろうとも、それがなにになろう。世界の大勢にどれはどの影響があろう。よしんば、私か、この法によって、古今無比の大聖者と仰がれるほどの力を持とうとも、世界のどこかで、権力を握っている馬鹿が、核バクダンのボタンをひとつ押したら、それっきりなのである。世界中はふっ飛んでしまう、古今無比の大聖

者もいっしよに!

 まあ、古今無比の大聖者ともなれば、事前にそれくらい察知して、安全な所に待避してしまうであろうが、世界中が壊滅して、助かった者も核の灰に汚染されて半死半生ばかりという世のなかに、自分とごく少数の一族だけが生き残ってなにになろう。ノアの方舟の時とは状況が全くちがうのである。

 このままでゆけば、核戦争がはじまるのはぜったい確実である。私にははっきりそれがわかる。この大愚行だけはやめさせなければならぬ。

 革命よりも、階級闘争よりも、人種闘争よりも、なによりも、いま、人類に必要なのはこれだ。これが根本的に人類を救う道だ、とそう私は思う。ヒトの知能が二倍になったら、いま、人類がかかえているあらゆる問題はすべて解決してしまう。そう、あなたも思わないか?

 私か、この求聞持法を惜しげもなく公開し、ひとりでも多く、一目でも早く、修得してほしいとねがうのは、そのためなのだ。

 さて、はなしが少々よこにそれたが、この大脳の部位のことは、インドのヨーガの指導者も知っており、ヨーガのほうでは、この部位のことを、

 「頭のなかの光座の座」

 とか、

 「梵の座、梵の裂け目」(brahma randhro

 とか、

 「サハスララーチャクラ」

 と名づけ、頭の中の光明がかがやいている部分であると考えている。しかし、これも解釈がちがっている。

 頭のなかに光明がかがやいているのではない。私の発見した求闘持法とおなじ原理である。大脳のある部位を、あるエネルギーで刺激すると、あるひとつの物質が分泌され、それが脳の神経組織を刺激して、目に光を感じさせる。                  『- それが、頭と目の微妙な角度のちがい、刺激の相違で、目のなか、目の前、および、頭のなか、というように、光の浮かぶ場所がちがうのである。

 求聞特法の湯合は、目の前の、やや上方、ニメートルから三メートルくらいのところに浮かんでみえる。目の角度と、瞳孔の絞りかたによっては、はるか遠くの空に小さくかがやくように

(ちょうど明星のように)見えないこともない。もし、人里はなれた山のなかであったら、明けの明星のように見えることもできるだろう。私の経験では、目のななめ上方一メートル内外のところに見えるようにするのが、一番、″上品″のようである。

 目を閉じて、目の奥の上方、つまり、ヨーガでいう”梵の座”のあたりに、光明を感じさせる

技術は、頭の角度と、脳の刺激する揚所が、求聞特法と少しちがう。したがって、これは、求聞持法ではなく、ちがう力を発現する。また別な法である。この法については、またあとで別に章をもうけて説明しよう。

 

(サマーナ気統御の技術》と《護摩法》の合体

 おなじような例がいくっもある。

 たとえば″五相成身観”である。

 これは、真言宗徒がかならずおさめねばならぬ金剛界法という法のなかにあり、密教門でもと

くに重要な観法とされる行法である。

 凡夫がホトヶという超能力者になるまでの過程を五つに分け、修行者は、ひとつひとつその境界を体験してゆくのであるが、これが、いずれも密教の重要な修行課目になっており、あきらか

に密教から出たものであることがわかる。

 しかも、真言密教では、印と観想の二つからなる”観法″であるが、密教においては、観法だ

けではなく、特殊な技術による鍛 練によって生理的器官を動かし、実際に五つの境界に対応す

る力をつける訓練となっている。

 また、真言密教においてもっとも重要とされる金剛界九会マンダラもそうである。金剛界九会

マンダラは、凡夫がホトケになる九つの段階と、ホトケというものの力、ホトケのはたらきを図

像にえがきあらわしたものであるが、要するに、ホトケの説明である。

 もっとも、真言密教は、このマンダラにもとづいて、前記した金剛界法という行法を編成し、

。観法″によってこれを修行者に体得させようとする。これは、一般仏教、顕教が、その修行方

法として、ただ、経典の読誦と、念仏、唱名題目しか持だないのに対し、一段と進歩したすぐれ

た修行方法であるというべきだが、しかし、これも、真言密教が″観法”だけであるのに対し、

密教は、九会マンダラにあらわされた九つの力を実際に体得させる訓練技術を持っている。

 例をあげれば、微細会マンダラがそうである。これは九会マンダラのなかの東南方に位するマ

ンダラで、ホトケの微妙幽玄にして不可思議なる智恵の力とはたらきをあらわすものである。

 密教には、実際にこの力を生ぜしめる訓練がある。

 真言密教では、ただ、。観想″による″観法″しかない。現実にそういう″力″を持たせると

ころの″技術″がない。

 276頁を見ていただこう。

。あきらかに、微細会マンダラは、ヨーガのこの訓練から出ている。ナくなくとも、この訓練に

よって得られる力を背景にしたものであることは間違いない。

 これは、密教の技術で、胸の部分の或る部位に力を集中することによって得られる力である。

 -こうしてみてくると、真言密教がとるべき道は、おのずから明らかであるといわねばなるまい。真言密教の行法は、密教の技法をとり入れることにより、本当の力が生ずるのではないのか?

 そういうと、密教がそんなにすぐれたものであるというなら、密教は真言密教をはなれて、密教独自の道を歩んだらよいではないかという意見が出るかも知れない。その通りである。それでもよいのだ。そういう道もあると私も思う。

 しかし、それにもかかわらず、私か真言密教にある価値を見出すのは、その表現様式である。おもしろいことだと思う。

 様式だけになってしまっている(と私が思う)真言密教の、その様式が、なかなか貴重なのだ。

 私が体得した密教の秘奥の技術を、さて、どのように表現しようかと、その様式を考えてゆくと、結局、真言密教の様式がいちばん便利なのである。たとえば、私の体得創案した「求聞持法」は、ヨーガの技術から発見したもので、真言密教の「求聞持法」とは全然ちがう。そのことは、前の項でおわかりになったことと思う。

 しかし、私の求闘持法を、人に教える場合、真言密教の求闘持法の様式、形式をある程度とり入れて、カリキュラムを組むと、教わるほうもおぼえやすい形式ができる。

 たとえば、真言密教の求聞持法は、九種類の印明から成り立っている。九種類の印明と観想である。しかし、それだけではダメなことは、前の項で述べた通りである。

 私の求闘持法は、生理器官を動かしてゆく。大脳のある部位を刺激ナるために、八ヵ所の、体の器官を動かす。この八ヵ所の器官と、最後の大脳の器官と、合計九ヵ所の力を動かすのに、真言密教の九種類の印明をあてはめて、動かす技術を教えてゆくと、たいへん便利なのである。教わるほうもおぼえやすい。

 念力の護摩もそうである。

 念力の火を実際に出すのは密教の技法によるよりほかない。真言密教の念力の護摩法ではぜったいに出ない。

 けれども、この密教の念力の技法、サマーナの気を日させさせて、大のエネルギーを体内から放射させる技術を、どういう表現形式をとって、「法」として展開させたらよいか、というと、真言密教の護摩法という形式を以て構成するのが最もよいのである。これ以上、よい表現形式はないし、また、サマーナの気を節日させる精神集中にもっとも適している。やりよいのだ。力の発現が容易になる。後進の指導にあたって、念力発生のトレーニングにもすぐれた効果をあらわす。

 そういうわけで、私は、ヨーガの″サマーナ気統御の技術″と、真言密教の″護摩法″とを合わせて、独自の「念力護摩法」を編成したのである。

 この方式を適用してゆくと、真言密教の行法のなかにもすぐれた法がいくっもあるし、ヨーガの秘奥の技術もつぎっぎと現代に生かされてくる。両 々あいまって、ここにこそ、超・ヒト、ホモーエクセレンス誕生の技術かおる、と私は信ずるのだ。宗祖、弘法大師空海が、いま、生きておられたら、やはり必ずこうされる、そう信じて、私はひとりこの道をゆくのである。だれがなんといおうとも。

 

 

 

 

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密教・超能力の秘密

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「人類は10年後には細胞肉を食べ、100年後には消えるでしょう」|『サピエンス全史』の著者

『サピエンス全史』では、7万年という壮大なスパンでホモ・サピエンスの幸福論を説く。『ホモ・デウス』では、新しい科学技術によって「神」の力を獲得した人類の刺激的な未来を予測。著者の歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリはまたたくまに時代の寵児となった。

そんな彼が著名人、読者から寄せられた選りすぐりの質問に答える英紙「ガーディアン」の傑作記事の後編。AI、宗教、反知性主義、中東の未来から思考法まで、世界最高の知識人が語りつくした。

『サピエンス全史』の著者に17の質問!|AIに仕事を奪われ不老不死になった人類の未来はどうなる?(前編)はこちらから

若き天才のプライベートは…

世界的大ベストセラー『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』(邦訳、河出書房新社)、『ホモ・デウス 明日についての簡潔な歴史(Homo Deus: A Brief History of Tomorrow)』(未邦訳)の著者ユヴァル・ノア・ハラリは厳格なヴィーガンで、1日2時間の瞑想を日課にしている。瞑想は集中力を養うのに非常に有効なのだそうだ。

ハラリは夫とともに、エルサレム郊外にあるモシャブ(農業による生活共同体)に住んでいる。同性愛者であることが、常に通説に疑問を持つ彼の性格に影響を与えているという。

「『当たり前だ』と思っていいことなんてありません。たとえそれが、万人に信じられていたとしても」

ハラリの本を読む楽しみの1つは、世間では当然だと思われていることを再考するように我々を導いてくれることにある。彼は流行に時間を費やしたりはしない。

ハラリの論調にはいつもまったく迷いがない。そのために傲慢だと思われることもあるようだが、彼は膨大なリサーチと熟考の末に自らの結論を導き出しているのだと、私は声を大にしていいたい。

だからこそ、『銃・病原菌・鉄』(草思社)で知られる生物学者ジャレド・ダイアモンドは、ハラリの言葉を「鮮やかで忘れがたい」と評したのだろう。

ハラリは、7万年前から未来に至る完全に新しい歴史学の分野を切り拓いた。これは、超人的に多角的な視点を持つ1人の男が成し遂げた素晴らしい功績である。

農耕によって人類は不幸になった?

Q9 ホモ・サピエンスが狩猟採集から農耕に移行したのは失敗だったのでしょうか?
あなたは『サピエンス全史』で、人類の生活は農耕を始めたことによって、狩猟採集をしていたときより、不安定で惨めなものになったと書いています。もしそうなら、どうすれば、農耕民であることを最大限に活用できるのでしょう?
(フィリッパ・ぺリー、作家・心理療法士)

ユヴァル・ノア・ハラリ(以下、ハラリ) それは、どの視点で見るかによります。

ファラオや古代中国の皇帝の視点で見るなら、狩猟採集から農耕への移行は非常に優れた発想です。しかし、古代エジプトの農民の女性からすれば、そうとは言えません。

けれども、現代の豊かな社会に暮らす中産階級の視点で見れば、やはり優れているということになります。一方、バングラデシュの労働搾取が激しい工場で1日に12時間働く労働者にしてみれば違います。

いまから80億人を狩猟採集民に回帰させることは絶対にできないし、意味がありません。ですから、重要なのは現状をいかに活用するか、そして、どうすれば農業革命の過ちを繰り返さずにすむかということです。

いま差し迫っている過ちは、人工知能と遺伝子工学による「新たな革命」によって、権力と富がごくわずかなエリートに独占され、それ以外の人々が困窮する事態です。

人類は「細胞バーガー」を食べるべき!

Q10 あなたは、『サピエンス全史』で家畜の飼育を始めたことが人類の最悪の罪だと言いました。それをやめるためには何をすべきだと思いますか?
(ジェシー・リース、「ガーディアン」紙読者の投稿)

ハラリ 特定の細胞を培養することで農産物や肉を生産する、「細胞農業」や「培養肉」という技術があります。

ステーキが食べたければ、細胞からステーキを育てるだけです。雌牛を育てる必要はありません。

SFの世界の話のように聞こえるかもしれませんが、もうこの技術は現実のものになっています。3年前、細胞から初めてハンバーガーが作られました。30万ドルという巨額の費用がかかりましたが、それぐらいの出費は新技術にはつきものです。

いま(2017年3月)私の知る限り、細胞バーガーの価格は1個あたり11ドルにまで下がりました。開発者によれば、今後、おそらく10年前後で肉のハンバーガーより価格を下げることができるそうです。

それを我々がスーパーやマクドナルドで見かけるまでにはまだ時間がかかるでしょうが、これが唯一の解決方法だと思います。

私はヴィーガンなので、肉やその他の動物性食品をとらないようにしていますが、何十億人もの人々に、同じようにしろと説得できるなどという幻想は抱いていません。

ですから、もし細胞から肉や乳製品を作り出すことができたら、素晴らしいと思います。大規模な家畜の飼育で生じている途方もない環境汚染の削減にもつながります。

パレスチナ紛争が終わる前に、人類は消える

Q11 人間主義、個人主義、合理主義を柱とする「近代精神」は、あなたにとって意味のあるものですか? もしそうなら、近代精神はいつ生まれた、どのようなものなのでしょうか?
(ベタニー・ヒューズ、歴史家)

ハラリ 我々が、精神について知っていることなどほとんどありません。それが何なのか、どのように生まれたのか、どんな役割があるのかも理解していないといっていいでしょう。

脳内の何十億ものニューロンが特定のパターンの電荷を生じたとき、それがどのように、愛や怒り、痛み、喜びの精神的、もしくは主観的な経験を作り出すのでしょうか? 我々には、何もわからないのです。

ラスコーやアルタミラの洞窟の壁画を描いた後期旧石器時代の人々は、今日の人間と同じ精神を持っていたと我々は想定しています。その一方で、ネアンデルタール人はいまの人類よりも大きな脳を持っていたにもかかわらず、別の種類の精神を持っていたと我々は考えています。

しかし現時点では、真実は我々の理解をはるかに超えたところにあります。

アンドリュー・アンソニー(この記事の筆者、以下アンソニー) 国家や貨幣、宗教といった「虚構」を作り出す能力を持っていたから、我々ホモ・サピエンスが他の種を差し置いて地上を支配しているのだとあなたは言いました。では、我々が宗教的な虚構を捨てるのと、イスラエル・パレスチナ紛争が解決するのと、どちらが先だと思いますか?

ハラリ 現状からすると、イスラエルとパレスチナに和平が訪れるよりも先に、ホモ・サピエンスがいなくなると思います。

いまのホモ・サピエンスは、おそらくあと1世紀ほどで消えると私は考えています。それは殺人ロボットなどに破壊されるという意味ではなく、遺伝子工学やAI(人工知能)によって、何か別のものに変化、もしくは進化するということです。

時間的な尺度はたぶん1世紀くらいでしょう。パレスチナ人とイスラエル人の紛争は、それまでに解決しない可能性が高いと思います。

◆関連記事:「人類の繁栄とは“虚構”の上にあるのです」|『サピエンス全史』著者ユヴァル・ノア・ハラリ大型インタビュー

Q12 人類が思考と意志疎通の方法を獲得した「認知革命」がなければ、我々も他の生物も、もっと幸福だったのでしょうか? その場合、我々は他の種を支配するのではなく、調和して生きていたのでしょうか?
(NassauOrange、「ガーディアン」紙読者の投稿)

ハラリ 他の種と人類の間には多様で膨大な暴力や不調和があるため、調和が可能かどうかはわかりません。

しかし、認知革命がなければ、我々が地球を支配することは間違いなくなかったでしょう。その場合、環境問題は起きていなかったと思います。

つまり、認知革命がなければ、ほとんどの種はもっと幸せだったと言えるでしょう。

最も心配なのは人類の無知と愚かさ

Q13 あなたが最も心配していることは何ですか? その心配に対して何かしていますか?
(LeaActforChange、「ガーディアン」紙読者の投稿)

ハラリ 多くのことを心配していますから、どれが一番重大かはわかりませんが、いまのところは人類の無知と愚かさでしょうか。

我々は非常に賢い種ではありますが、ときおり大事な局面で大きな過ちを犯す傾向があります。しかし、いまの我々には過ちを犯す余地があまりないのです。

我々は巨大な力を持った種です。力を持てば持つほど、愚かな選択をすれば、人類だけでなく全生態系に破滅的な被害をもたらします。これが私の最も大きな心配です。

Q14 反知性主義が西側で生まれているのでしょうか? もしそうなら、反知性主義の台頭とリベラリズムの衰退は関係があるのですか?
(guneydas、「ガーディアン」紙読者の投稿)

ハラリ 反知性主義が台頭しているのかどうかはわかりませんが、これまでの歴史上、常に存在はしていました。いまの状況が1930年代や50年代、もしくは中世や19世紀より悪化しているのかは確信がありません。

反知性主義の隆盛は確かに問題です。しかしながら、反科学主義ほどではないと思います。いまの時代、極端な宗教的原理主義者でさえ、「知識人」です。彼らは、人間の知力というものを非常に重視しています。

むしろ問題なのは、彼らが思考力を妄信し、外部の世界からもたらされる経験主義的な知識を軽視していることです。

アンソニー イスラム過激派は、「近代以前」の断末魔の叫びに過ぎないと考えていますか?

ハラリ 21世紀において、地球温暖化や格差、遺伝子工学やAIといった破壊的技術の出現など、人類は数々の困難な問題に直面しています。

これらに対する答えを我々は必要としていますが、少なくともいまの時点で、こうした問題がイスラム過激派からもたらされたと聞いたことはありません。

ゆえに、イスラム過激派が21世紀の社会に強い影響を及ぼすとは私は考えていません。もちろん存在し得るでしょうし、深刻な暴力や問題を引き起こす可能性もあるでしょう。しかし、彼らが人類の未来を創るとは思いません。

続・守護霊を持て―家運をよくする不成仏霊供養のしかたSyuyu Kiriyama  Hold a guardian spirit桐山靖雄 著

登録情報

  • 単行本: 239ページ
  • 出版社: 平河出版社; 新装版 (1980/10)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4892030155
  • ISBN-13: 978-4892030154
  • 発売日: 1980/10
  • 梱包サイズ: 18.6 x 12.8 x 2 cm

桐山靖雄 著

わたくしのいう霊障とは、単に迷信的な霊の障りではない、四谷怪談のお岩さまのよう
なものを考えてもらっては困るのである。
ともかく、結論としては、因縁のあらわれというのは、霊というものの存在に深いかか
わりがあるということである。ということは、人間それ自体の生の営みに、霊というもの
が、深いかかわりがあるということである。結論をいえば、良き因縁は良き霊の影響、悪
しき因縁は悪しき霊の影響によるものということになる。『チ″ンネルをまわせ』を書い
てから三年の間、わたくしは苦しみ抜いてこのことを考え追求してきた。そうして、つか
んだ成果を、わかりやすく書いたのがこの『守護霊を持て』である。
『続・守護霊を持て』で秘伝の一郎を公開
昭和五十五年(一九八〇年)四月の発行である。
これは、前著『守護霊を持て』をさらに詳しく解がこの本である。
『守護霊を持て』を読んで、実際に霊障の恐ろしさを知ったので、拝み方を教えてほしい、霊障と
なっている不成仏霊を成仏させることは誰にでもできることではないにしても、霊を供養して、霊
障を軽減させることはできるのではないか。そういう手紙がぞくぞくと、わたくしのところにも、
出版社のほうにも、ずいぶん寄せられた。そこで、そういう要望に応えて、秘伝の一部を公開したの『霊障を解く』で、自宗に対するまちがった批判に答える
『守護霊を持て』や『続・守護霊を持て』が出て、守護霊ブームが起こったが、よその教
団が、阿含宗について大変間違った見方をして、的はずれの批判を繰り返しているので、
阿含宗の基本的問題を明らかにして、教団の内外に応えようとしたものである。と同時に、
霊的存在による霊障を一歩進めて解説している。『霊障を解くI家運をよくする正しい先祖の
まつり方』が出たのは、昭和五十六年(一九八一年)十二月であった。

 
Written by Katsuyama Katsu

My spirit is not just a superstitious spirit, like the rocks of the Yotsuya Kaidan
It’s not easy to think about something.
In any case, the conclusion is that the manifestation of kinship is deep in the existence of the spirit
There is a difference. That means that the spirit of the human life itself
But there is a deep connection. In conclusion, good ties are the effects of good spirits, evil
This is because of the influence of evil spirits. Write “Changnel”
I have been thinking and pursuing this for the past three years. Then, maybe
It is this “Have a guardian spirit” that wrote the results in a clear manner.
The secret Ichiro is released in “Continuing with the guardian spirit”
Issued in April 1980 (Showa 55).
This book is a more detailed solution to the previous book “Hold the guardian spirit”.
I read “Hold the guardian spirit” and I really knew the horror of spirituality.
Even if it is not possible for anyone to make a Buddha spirit that has become a Buddha,
Can you reduce obstacles? When such a letter is thrilled,
A lot of the publishers also received it. Therefore, in response to such a request, answering the wrong criticism of self-sect by “Resolving Spiritual Disorders” that released part of the secret
The “Guardian Spirit” and “Continue / Hold the Guardian Spirit” came out, and the guardian spirit boom occurred.
The group has made a very wrong view of the Aobu sect and has repeatedly criticized it.
It was intended to clarify the basic problems of the Agon sect and respond to the inside and outside of the cult. At the same time
Explains the spiritual damage caused by spiritual existence. “The right ancestor to improve I’s luck
The Festival was issued in December 1981 (Showa 56).

 

 

 

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ラスト オブ アス リマスターおすすめゲーム

ラスト オブ アス リマスタード(The Last of Us Remastered)

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本作は「アンチャーテッド」シリーズのノーティードッグが開発を手掛けた3人称視点(TPS)のアクション。謎の寄生菌のパンデミック により荒廃した世界が舞台。
主人公のジョエルとエリーを待ち受けるのは凶暴な感染者や、略奪者たちとの戦いだ。

ラスト オブ アス リマスタード(The Last of Us Remastered)の画像

ゲームは基本的にジョエルを操作しながら進めていく。道中で入手できるショットガンや拳銃などの他、火炎瓶や爆弾などのアイテムを使って戦況を有利に進めていこう。
また、拾った素材を組み合わせることで治療キットなどを作ることができるぞ。

おすすめポイント

  • 様々な映画やドラマから影響を受けた作品だけあり、ストーリーがとにかく面白いです。冒頭10分でのめりこめるはず。
  • 壁の向こうの敵の位置が把握できる“聞き耳”システムなど、パワーで突き進むというより隠れながら攻略していくスタイルが面白い。潜入ミッションが好きな方にオススメ

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人間は死ぬとどうなるのか?

人間は死ぬとどうなるのか?


 

仏教では、人間は、色〈しき〉(物質)・受〈じゅ〉(感覚)・想〈そう〉(表象)・行〈ぎょう〉(意志)・識〈しき〉(意識)の五つの要素からできていると考えます。この五つの要素を「五蘊(ごうん)」と呼び、この五蘊が仮に寄り集まって人間(自我・霊魂)ができあがっているのです。
では、人間が死んだらどうなるのでしょうか?
日本の仏教者の大半は、釈尊が「霊魂」の存在を否定してしまったと考えています。つまり、死んだらすべてが消滅すると考えているのですが、これはまちがいです。
死んだらすべてが消滅してしまうという考え方は仏教ではありません。釈尊直説の経典である『阿含経』を学び修行していないから、このような誤った見解を抱いているのです。
釈尊は決して、霊魂の存在を否定しておられません。むしろ肯定しておられます。ただし、「霊魂」という名称ではなく、「異蘊(いうん)」という表現を用いておられます。

凡夫が死んで「五蘊」が滅しても我執(タンハー)のエネルギーによって「異蘊」(異なる構成要素)を生じて存在をつづけます。

 雑阿含経の中の「仙尼経」において、釈尊は次のように説かれております。
慢〈まん〉(我執〈がしゅう〉)断(だん)ぜざるがゆえに、この蘊〈うん〉を捨て已(おわ〉りて(死んで) 異蘊〈いうん〉相続して生ず。
つまり、異蘊とは生きている人間の構成要素(五蘊=色・受・想・行・識)とは異なった構成要素(蘊=集積)という意味で、現代風にいえば「異次元の薀(存在)」ということです。
また、雑阿含経「身命経」においても、「意生身(いしょうしん)」ということばで、死後の存在を説かれております。意生身とは意識(心)だけで出来た身体をいいます。
このように釈尊は、人間は死んでも、我執煩悩(タンハー)が残るかぎり「なにか(異蘊・意生身)」が存在をつづけると説かれております。この死後の存在こそが霊魂なのです。
そして我執(タンハー)が残った霊魂は、死後の世界を経て再生し、現世で成仏法の縁に逢わなければ、果てしなく輪廻転生を続けます。
また、この我執が非常に強い場合は、不成仏霊や霊障のホトケとなって迷い、その怨念のバイブレーションが子孫の心に強く悪影響をおよぼします。

 


サールナートの仏陀像
 釈尊は、古代インドのバラモンが説いた「永遠に変化することも滅することもない自我(アートマン)(霊魂)」という考えは否定しておられますが、
縁によって生じ、縁によって滅するという「縁起の法」の上での「死後の存在」は認められております。
つまり、「永劫不変の自我(アートマン)」というものは存在しませんが、「無常(変化)の中や縁起において成立する自己(アートマン)」はあるのです。
修行によって向上し、涅槃(ニルヴァーナ)に入る「自我(霊魂)」は存在するのです。
「不変」ではなく縁によって「変化」するために、死んで(その霊魂・霊体が)異蘊となる縁に逢えば、異蘊となって輪廻転生し、成仏法の縁に逢えば、解脱して仏界に生ずるのです。
死んだからといってまったく「無」になって消滅してしまうというのは、仏陀の説かれた縁起の法則に反するものです。
仏陀の成仏法により、霊体は悪因縁、悪業、悪念から解放されます。
完全に解放された霊体は、涅槃(ニルヴァーナ)に入ります。
これを成仏というのです。

しかし、成仏といっても、生者と死者によって、それぞれちがいます。
生者の場合は、自分自身で成仏法・七科三十七道品(しちかさんじゅうしちどうぼん)を修行することができます。
修行によって霊体(生者)は、清められ、高められ、しだいに悪因、悪業から解脱してゆきます。
「シュダオン」「シダゴン」「アナゴン」という聖者の段階を経て、究極の大聖者「アラハン」(仏陀)に到達します。
この世において、仏陀に到達できない場合は、つぎの世においても、ひきつづき成仏法の修行を続け、究極的にはかならず仏陀になるのです。
死者の場合は、自分で修行することはできませんから、成仏法を成就した聖者に、成仏法をもって供養していただきます。
つよい怨念や執念によって不成仏霊となり霊障を発し、迷っているホトケは、聖者の発する悟りのバイブレーションを受けて解脱し成仏します。
ただし、この場合の成仏とは、完全に因縁・業煩悩といったものを解脱したという意味ではありません。
成仏法を成就した聖者( 有余依涅槃(うよえねはん)の聖者)の霊的テレパシー(霊力)によって、聖者の悟りをそのまま受け止めて、迷い執念などを離れて、冥界(死者のほんとうの世界=安らぎの場)へ向かうということです。
これが、仏陀釈尊の教えられた「仏法」です。

死者たちの怨念が、すべての人の深層意識を動かす

いま、この世界が壊滅の危機に瀕しているのは、この世界に充ち満ちている死者の怨念、悪念のバイブレーションが、すべての人の深層意識を動かしているためです。
その結果、人類はますます衝動的、闘争的、反道徳的になり、結果的に自分自身を虐殺しようとしつつあります。
まず、家庭が崩壊しはじめています。
これらの苦しみに満ちた死者の霊魂に全き安らぎを与えないかぎり、生きている人間に全き安らぎは訪れません。
仏陀釈尊の成仏法は、これらの苦しみを持ったまま死後生存している存在(霊魂)に安らぎをあたえ救済する力を持っているのです

 

仏陀の真実の教えを説く〈上〉阿含経講義

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すごい写経!【写経の効果とやり方を徹底解説】秘めた力の引き出し方

【写経の効果】お経に隠された秘めた力

お経を書き写すことを写経と言います。

 

お経の「一字一音」には、変わらない不変の真理が意味を持っており、私たちすべての人を幸せに導く秘めた力があります。

 

そんな秘めた力を持ったお経を書き写すことで、秘めた力を引き寄せることができるんです。

 

たとえお経の意味を知らなくても、大丈夫。

 

写経するだけで、波動が調整され、心と身体を浄化し、運命や因縁をも変えていくほどの力があります。

 

写経のすごい効果は邪気を落として未来を切り開くチカラ

写経は、一字書くたびに仏様を自分自身と自分の空間に刻んでいく行為です。

 

書き進めるにつれて仏様と一体になり、自分の中にある邪気や穢れが祓われていきます。

 

邪気や穢れというのは、

 

  • 怒り、妬みや恨みといったネガティブな感情
  • 霊的な存在から発せられている悪い気のようなもの
  • 単体では力の弱い霊的な存在
  • 気が停滞することから発生する淀み

 

などが複合的に重なり合っているもののことを言います。

 

邪気や穢れは良い運を汚して悪い運にしてしまうので、溜まり過ぎるあなたの未来の妨げになります。

 

つまり、邪気や穢れが祓われることで、あなたの未来の妨げになるものが消えるということ。

 

そして、仏様の教えには「すべての人を幸せに導く力」があります。

 

写経は穢れを祓い、あなたの理想の未来を叶えるバックアップをしてくれる手法なんです。

 

写経が書けないときは、邪気や悪霊、生霊が憑いている

邪気が溜まっている人や霊的な存在が憑いている人はなかなか写経が進まないといった状況が起こることがあります。

 

写経をすると邪気や穢れが祓われるので、憑いているものが落ちます。

 

写経が進まないのは、憑いているものが祓われないように抵抗しているからなんです。

桐山 靖雄 守護霊を持て―家運をよくする正しい先祖のまつり方Hold a guardian spirit

守護霊を持て―家運をよくする正しい先祖のまつり方

 

守護霊を持て―家運をよくする正しい先祖のまつり方

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説明
霊界の実相-霊魂の存在、輪廻転生、再生の問題-を実例を挙げて説く。生命が果てなき輪廻から脱出し、永遠の世界へと飛躍する道を、ブッダの教説から解説する

 

 

『守護霊を持て』と因縁の伝達機構
昭和五十五年(一九八〇年)に出版された。
この本でわたくしがいおうとしたことは、因縁は何から形づくられているか、そして、
いI内L5トーr~。のぶ憶として伝えられてゆくかということであった。そこまで読んで
くれている人は、きわめて少ないと思うが、これは、実は『幸福への原理』以降、ずっと
一貫してこの三十年近く追求してきたわたくしのテーマである。
どのようにして因縁が伝えられるのかという疑問に対するいちばん最初の答えは、「個
体発生は系統発生を繰り返す」というE・H・へ″ケルの生物理論であった。これは『幸
福への原理』、『変身の原理』及び『チャンネルをまわせ』などに図とともに載せ、詳しく
説明している。
そして、それはさらに、『密教--超能力の秘密』にいたって、DNAの遺伝子機構に記憶
伝達のカギがある、というところまで進んだ。しかし、それだけではどうも納得のいかな
いところがあった。それを追求しているうちに、突然、ひらめくようにわかったものがあ
った。
それは何かというと、『チャンネルをまわせ』を書きはじめる頃、わたくしに霊視能力が出てき
た。その霊視能力によって、見えてきたのは、「横変死の因縁Lをもっている人には横変死をした霊
障が必ずついているということである。ここにいたって、わたくしの因縁に対する考え
方が飛躍的に大きく展開していった。それは、『チャンネルをまわせ』に書いたよう

にK少年という実在の少年がいて、この少年は精神分裂症的な症状があって悩んでいる。
そこで、わたくしが因縁透視すると、「横変死の因縁」があった。精神分裂症的な症状と
いうのが、実はこの「横変死の因縁Lからきていたわけである。
そして、今度は霊視をしてみると、三代前の老人の霊障、火事によって横変死した曾祖
父の霊障が見えてきた。
そこで、K少年とそのお母さんに会っていろいろ聞いているうちに、曾祖父は放火をし
て死んでいることがわかってきた。事業に失敗して破産宣告を受け、先祖伝来の家屋敷を
人手に渡さなければならなくなった。そのために、放火して自殺したのである。
この少年には、大癩滴とでもいうような火に対する異常な反応があった。
ということは、わたくしがそれまで考えてきたDNAの記憶機構を通して、曾祖父から
曾孫へ悪しき因縁が伝えられたということで説明がつくはずであった。
ところが、よく調べてみると、この曾祖父と曾孫との間には血のつながりがなかったの
である。家庭の事情で曾祖父と曾孫となっているが、実際には血がつなかっていない。
であるのにもかかわらず、義理の曾祖父の焼身自殺の記憶が義理の曾孫にまで到達して、
火の恐怖による神経症があらわれてきている。
これはどういうことであるのか、いろいろ考えた結果、生物理論や遺伝子機構など、科
学的理論だけではこの経過を説明できない。これは一種のテレパシー、霊的テレパシーと
のかしあるy.トか吋えられない。その霊的テレパシーこそがわたくしの霊祝能力
に感じられる正体だと考え、これを悪しき霊、すなわち霊障として表現することにしたわ
けである。

このことについては、別の章で詳しく述べておいた。
わたくしのいう霊障とは、単に迷信的な霊の障りではない、四谷怪談のお岩さまのよう
なものを考えてもらっては困るのである。
ともかく、結論としては、因縁のあらわれというのは、霊というものの存在に深いかか
わりがあるということである。ということは、人間それ自体の生の営みに、霊というもの
が、深いかかわりがあるということである。結論をいえば、良き因縁は良き霊の影響、悪
しき因縁は悪しき霊の影響によるものということになる。『チャンネルをまわせ』を書い
てから三年の間、わたくしは苦しみ抜いてこのことを考え追求してきた。そうして、つか
んだ成果を、わかりやすく書いたのがこの『守護霊を持て』である。

 

“ Hold the guardian spirit ” and the transmission mechanism of the connection
Published in 1980 (Showa 55).
What I tried to do in this book is what the fate is formed from,
L5 tor in I. It was to be conveyed as a memory. Read so far
I think there are very few people who have given me this,
This is my theme that I have consistently pursued for nearly 30 years.
The first answer to the question of how the relationship is conveyed is “individuals”
It was E · H · Hell’s biological theory that somatic development repeats phylogeny.
It is put together with figures in “Principle for Blessing”, “Principle of Transformation” and “Make Channel”, etc.
Explains.
And it is further memorized in the genetic mechanism of DNA, in the “secret esoteric-secret of super power”
I went to the point where there was a key to communication. However, that alone is not enough
There was a place. While pursuing it, there was something that suddenly turned out to sparkle.
It was.
What is that? When I started writing “Make Channel,” I had my spiritual ability.
It was. The spiritual ability has made it possible to see, “For those who have the relationship L
It means that obstacles are always attached. I’m here to think about my relationship
One has developed dramatically. It ’s like I wrote in “Make my channel”

There is a real boy named K-boy who suffers from schizophrenic symptoms.
So, when I looked through the relationship, there was a “fate of lateral metamorphosis”. With schizophrenic symptoms
In fact, it came from this “Fate L of lateral metamorphosis.
And this time, when I looked at the spirit, the great-grandmother who died sideways by the fire of a spirit of an old man before the third generation
I could see my father’s spirit.
So, while meeting K boy and his mother and listening to them, the great-grandfather arsoned.
I know I’m dead. Receiving bankruptcy after failing in business, creating an ancestral home
I had to hand it over. To that end, he set fire and committed suicide.
This boy had an unusual reaction to fire, also known as a large drop.
That means, from the great-grandfather, through the DNA memory mechanism that I have been thinking about so far.
It should have been explained that a bad relationship was conveyed to the great-grandson.
However, if you look closely, there was no blood connection between this great-grandfather and great-grandchild.
It is. Although she has become a great-grandfather and great-grandson for family reasons, she is not really bloody.
Despite this, the memory of the great-grandfather-in-law’s burnt suicide reached the great-grandson,
Neurosis due to fear of fire has been appearing.
As a result of various considerations about what this means, such as biological theory and genetic mechanism,
This process cannot be explained by scientific theory alone. This is a kind of telepathy, spiritual telepathy
A fool of y. I ca n’t get it. That spiritual telepathy is my celebratory ability
I decided to express this as an evil spirit, or a spiritual disorder.
It is

This was discussed in detail in another chapter.
My spirit is not just a superstitious spirit, like the rocks of the Yotsuya Kaidan
It’s not easy to think about something.
In any case, the conclusion is that the manifestation of kinship is deep in the existence of the spirit
There is a difference. That means that the spirit of the human life itself
But there is a deep connection. In conclusion, good ties are the effects of good spirits, evil
This is because of the influence of evil spirits. Write “Make Channel”
I have been thinking and pursuing this for the past three years. Then, maybe
It is this “Have a guardian spirit” that wrote the results in a clear manner.

桐山 靖雄 チャンネルをまわせ―密教・そのアントロポロギーTurn the channel-Esoteric

桐山 靖雄
チャンネルをまわせ―密教・そのアントロポロギー

チャンネルをまわせ―密教・そのアントロポロギー

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  • 単行本: 445ページ
  • 出版社: 平河出版社 (1992/03)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4892030074
  • ISBN-13: 978-4892030079
  • 発売日: 1992/03
  • 梱包サイズ: 19 x 13.8 x 3.2 c

桐山靖雄著者より


『チャンネルをまわせ』の意義
この本は、昭和五十年(一九七五年)に出版された。
この本でわたくしは、密教から阿含教へとチャンネルを回したわけである。わたくしの
密教と阿含経との中間点に位置するのがこの本である。運命を形成する要素は因縁である。ではその因縁を構成するのは何んであるのか、真剣に考えはじめた。この本の中では、因縁に「チャンネル」とルビを振っている。それは、人間を動かす代表的なチャンネルとして因縁というものを、もう歩掘り下げて考えはじめていたからである。`
この本は、二つの柱から成っている。
一つは、心理学者、L・ソンディの「運命心理学」である。
もう一つは、運命のもとになる因縁に深いかかわりのある不成仏霊の存在である。
ソンディ心理学によると、人間の運命を決定する因子として、「家族吟無意識Lというものが設定されている。この家族的無意識というのは、「個人のなかに抑圧されている祖先の欲求が、恋愛・友情・職業・疾病、および死亡における無意識的選択行動となって、個人の運命を決定する」というものである。
これは、そのまま、それまでのわたくしの持論である因縁論になる。そこで、わたくしはこれを紹介すると同時に、そのソンディ理論の欠陥をも、この本の中で書くことにした
のである。ソンディ博士は、ユングとも並び称せられるほどの大心理学者であり、その大心理学者の理論に欠陥があるというのは大変なことであるが、それは、わたくしに霊視能力が出てきたことによって出来たのである。霊視能力をもったことにより、ソンディ理論の欠陥を発見することができたのだ。
わたくしは、その頃から、霊視能力が出てきていた。以前から偶然的に霊視能力があらわれて、人に憑いている霊やその霊障を見ることがよくあったが、この頃から意志的に、系統立てて、そういうものが見えるようになってきた。それが、ソンディ理論の欠陥の補足というかたちになってあらわれたので、そういう意味で、わたくしの一つの進歩を示すきわめて歴史的な転機としての本ということができる。この本の中にK少年の話か出てくるが、この実在する少年の背後霊をわたくしははっきりと見ていたわけである。霊障となっている不成仏霊をはつきりと捉えた上で、その少年を指導し、この本を書いたわけである。しかし、この本では霊障という通俗的な言葉を使わなかったが、それは、わたくしのいう霊障というのは、一般にいう幽霊のような意味とは根本的にちがっているからで誤解を招くおそれを避けて、この言葉を使わなかったのである。この本では、K少年の例でいえば、曾祖父の抑圧意識が、少年の深層意識に入り込んでいるという表現を用いたが、この曾祖父とK少年は、血がつながっていないのである。それなのに、ソンディ流にいうと、抑圧意識が伝わってい
る。それはどうして伝わったのか? DNAという遺伝子機構を通らずにどうして伝わったのか? 一種の霊的バイブレーションを想定するしかない。そしてそれをわたくしは見たのである。そのわたくしの見たものを、わたくしはと 霊障 名づけたのである。この
本ではその「霊障」を心理学的に説明したわけである。
後にベストセラーとなった『守護霊を持て』の守護霊や、『霊障を解く』の霊障の深層心理学的解明を試みたのがこの本であった。この『チャンネルをまわせ』で突きとめた成果をもとに、非常に通俗的にわかりやすく書いたのが『守護霊を持て』その他である。
ところで、この「チャンネルをまわせ」の中で使った主要文献の佐竹隆三著『運命心理学入門』という本は、あとで知ったことだが、力富崇志氏の御父君の経営される黎明書房から刊行された本だったのである。力富氏とお会いした時、そう聞かされて、非常にびっくりしたものである。力富氏との出会いに、何かわたくしは因縁的なものを感ずるのである。
守護霊ブームと霊障ブーム
『守護霊を持て』でわたくしは、全国的な守護霊ブームや霊障ブームをつくり出したわけであるが、その源は『チャンネルをまわせ』である。この『チャンネルをまわせ』を書いた時点で、すでに実質的には『守護霊を持て』を書きはじめていたといって過言ではない。
『守護霊を持て』の中で紹介した霊障を指導した実例も、すでにこの『チャンネルをまわせ』の中に先駆的な形で出しているわけである。K少年の例はまさにそれに該当する。
以後の執筆の源となったという意味において、あるいはわたくし自身の霊視能力がその頃開眼されたということ、この二つの意味でこの『チャンネルをまわせ』は、非常に大きなわたくしの転換期を象徴する所産であった。
わたくしの本は、すべて有機的につながっている。一つのテーマを何年にもわたって何冊の本かで追求してゆく。その中の一冊だけ読んで、鬼の首でもとったように批判されて
も困るのだ。むずかしい本は読まず、やさしく通俗的に書いた本だけ読んでの批判は、見当ちがいである。

 

Significance of “Make Channel”
This book was published in 1950.
In this book I turned the channel from Buddhism to Aokyo. My
This book is located at the midpoint between Esoteric Buddhism and Kyo Ago. The elements that make up fate are related.
Then, I began to think seriously about what constitutes the relationship. In this book,
Waving “Channel” and ruby ​​on the edge. It is a representative channel that moves people
This is because I have begun to dig deeper into the relationship. `
This book consists of two pillars.
One is “fate psychology” by psychologist L. Sondy.
The other is the existence of an immoral Buddha who is deeply involved in the cause of fate.
According to Sondi psychology, as a factor that determines human fate,
Things are set. This family unconsciousness means that “the ancestors who are suppressed in individuals.
The previous desire has become an unconscious choice behavior in love, friendship, occupation, illness, and death,
“Determine the fate of an individual”.
This becomes the relationship theory that is my own theory. So I
At the same time to introduce this, also decided to write the defects of Sondi theory in this book
It is.
Dr. Sondi is a major psychologist who is also called Jung.
It’s hard to be flawed in my theory, but it means that
It was made possible by coming. By having the spiritual celebration ability,
I was able to discover it.
From that time on, I had a spiritual ability. Accidental spiritual ability
I often watched the spirits and psychic spirits crawling on people.
Systematically, you can see such things. That is a supplement to the defects of Sondy theory
In that sense, in that sense, it is a very historic transition that shows my progress.
It can be called a book as a machine. There is a story about K boy in this book.
I clearly saw the spirit behind the boy in existence. The immoral Buddha spirit
The book was written by teaching the boy after catching it. But with this book
Did not use the common word of spirituality, but that is what I mean by spirituality
The general meaning of ghosts is fundamentally different, so avoid misleading,
I did not use this word. In this book, the example of K-boy is the great-grandfather’s awareness of oppression
However, this great grandfather and boy K
Are not connected. Nevertheless, in the Sondi style, the awareness of oppression is transmitted.
The How was it transmitted? Why is it transmitted without passing through the genetic mechanism of DNA?
Was it? “There is no choice but to assume a kind of spiritual vibration. And I see it
It was. What I saw was that I named “Soul Disorder L. This.
In this book, the “spirit” was explained psychologically.
The best-selling guardian spirit of “Have a guardian spirit” and the deeper layers of spiritual disability
It was this book that attempted psychological elucidation. The results of this “Make Channel”
Based on the fruits, the words that are very popular and easy to understand are “Hold the guardian spirit” and others.
By the way, the main document used in this “Make Channel” book by Ryuzo Satake “Fate Psychology”
The book “Introduction to Gaku”, which I learned later, was run by Reimei Shobo, run by Takashi Rikitomi’s father.
It was a book published by. When I met Mr. Rikitomi, he told me so
It’s a chestnut. In my encounter with Rikitomi, I feel something related.
The
Guardian spirit boom and psychic boom
In “Holding a guardian spirit”, I created a nationwide guardian spirit boom and a spiritual disability boom.
However, the source is “Make Channel”. Write this “Make Channel”
At that point, it was no exaggeration to say that we had already started to write “Have a guardian spirit”.
Yes.
The actual example of teaching the spirits introduced in “Holding the guardian spirit” has already passed through this “Channel”.
It is in a pioneering form in Se. The example of K boy is exactly that.
In the sense that it became the source of subsequent writing, or my own spiritual ability
In the two meanings that the eye was opened at the time, this “Make Channel” is very large
It was a product that symbolized the turning point of me.
All of my books are organically connected. What a theme over the years
Pursuing with books. I read only one of them and was criticized as if I took it at the head of the demon
Is also in trouble. Do not read difficult books, but read criticisms of reading books that have been written gently and universally.
It is wrong.

桐山 靖雄 運命とはなにか (密教占星術) Kiriyama Ikuo What is fate?

運命とはなにか (密教占星術)

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(2019/8/22 11:56時点)

 

桐山 著作 より

『密教占星術I』と運命について
わたくしがこの本でいいたかったことは、運命とは何かということであった。
仏教では、因縁解脱ということをいうが、多くの坊さんは、それをいきなり、人間には
因縁というものがあるから、それから解脱しなければならない、と説くわけである。しか
し、わたくしは、そう説く前に、因縁というものが本当にあるのか、考えたわけである。
仏教を運命学の面から解明しようとしたのが本書である。したがって、この本はわたくし
でなければ書けない本であると密かに自負している。
因縁とは何かというと、それは人間の運命をかたちづくるものである、とわたくしは考えたわけ
である。。
わたくしは、自分の中にある刑獄の因縁に苦しみ、妹まつ子の眸臓癌や母の乳癌によって知った
癌の因縁と闘ったから、因縁というものが実際に存在するということをはっきりと認識していた。
しかし、一般人には、人間の運命は生まれながらにして決まっていて、その運命は因縁によって形成されているということがなかなか納得しがたいかもしれない。
わたくしには、幸い運命学の知識があり、自分の運命をよく分析していたから、運命の
実在に確信をもっていた。したがって、仏教に入って、因縁というものを深く考えるよう
になって、運命の因子が因縁であることを容易に実感できたわけであるが、一般の人びと
にはそれはなかなかわかりにくいと思う。どうしてそれを伝えたらよいか、いかにすれば
納得してもらえるか、といろいろ考えながら書いたのが、この『密教占星術I』である。
わたくしは、自分の運命を分析し、人の運命を見はじめて、すでに三十年近く経ってい
る、ということは、生まれたばかりの赤ちゃんを見て予知したことを、いま二十数歳とな
った青年の中に確認することができる。二十歳の人は、いま、もう四十数歳になっている。
四十歳の人は六十数歳となっている。つまり、二十数年も人の運命を見ていると、人の一
生のデータがほぼそろうわけである。
そうなると、生まれたばかりの赤ちゃんがこういう星をもっていると、何歳の時にはど
うなる、何歳から何歳のうちにはこうなるというようなことが、九〇パーセントの確率で
わかってくる。だから、わたくしは、人の運命は、生まれた瞬間にもう決まっていると断
言できるのである。
それどころか、胎宮術という占術がある。お母さんのお腹の中にいる胎児のうちに、す
なわちまだ男か女かもわからない赤ちゃんの運命すらも予知する術である。それによれば、
お腹の赤ちゃんが男か女かはもちろん、その赤ちゃんの人生の大半がわかってしまうので
ある。これはなかなかむつかしい運命学であるけれども、的中率はかなり高いのである。
それから考えると、人間は、生まれた瞬間、あるいはそれ以前から、運命が決まってい
るとしか考えられない。
運命が決まっているということは、運命を構成する一つ一つの要素というものがすでに
決まっているということである。その要素に当たるものが、因縁である。まさに、人は、
因縁によって生まれ、生き、死んでいく、ということである。
その証拠をあげて、実証的に運命の原理、法則を紹介・解説したのが『密教占星術I』
ということになる。だから、サブタイトルが「運命とは何かLとなっている
わたくしは、易、九星干支術、紫微斗数、六壬天文学、八門遁甲、淵海子
洋占星術等々、ほとんどすべてを学び、自分自身の運命学を体系化するまで
るから、運命というものを説明すると同時に、運命学の初伝、中伝、奥伝と、一つの教科
書としてこれらを書いておいて、奥伝以上の秘伝は、実地の講義で少数の選ばれた弟子に
伝えようと思い、全部で六巻を考えている。先にあげた運命学すべてこの六巻の中に合ま
れる予定である。
わたくしは運命学が本業や専門ではないので、宗教関係のほうに筆がつい向いてしまっ
て、なかなか続巻が書けない。しかし、余生がある限り、九星干支術・八門遁甲・奇門遁
甲・天源術から、紫微斗数、六壬天文学、淵海子平、密教占星術総論というように書いていきたいと思っている。
このIの中に、香港の名占星術者、黄敏玲女史との出会いが書かれてある。女史はわた
くしのことをまったく知らず、ただ日本の宗教家であるということ以外何も知らされずに、
わたくしの運命を鑑定してこういった。
「先生は宗教家になる前と、なった後と、まったく人生が変わってしまった。性格も一変
してしまっている。これは信仰による行と修養によるもので、高い境界のものだから、い
まの先生の運命は、単なる運命学などでは推しはかれない。茫洋たるものである。ただい
えることは、これから新しい三つの仕事が先生を待っている。それは大きな大きな仕事で、
大変苦労するが、先生はその三つの仕事をそれぞれ成し遂げ、大成功するであろう。一言
でいうならば、先生の運命は、壮大強烈、である。健康長寿である」といった。
そして、先生の将来は運命学などでは推測できない。なぜならば、先生は自分の運命を
改善し、創造してしまうからである。世の中の多くの人は、定められた運命の通りに人生
を歩んで終わるが、万人に一人、自分で運命を創造していく人があらわれる。それが先生
である。だから、先生の将来を適確にいうことは不可能である。しかし、それだけでは逃
げ口上のように思われるから、といって、わたくしの過去のことを二つ、三ついった。言
いにくそうに、刑罰をうける運命をもっていることもいった。すべて適中しており、わた
くしは舌を巻いたのであった。女史の実力は非凡で、日本に来れば超一流にランクされる
だろうと思った。ちょっと太刀打ちできる占断家はいまの日本にいないのではないかと思
われた。
女史は、最後に、
「先生はまことに偉大な人だ。今日は本当に驚いた。先生のような、運命をみずからつく
り出していくというような運命をもった人をはじめて見た。先生は運命をもたない人だ」
といった。
過去のことをズバリ適中させたのにも感心したが、それはほかの人でもできる。彼女が、
わたくしを、運命のない人といったのは、占断を越えた占断である。一度、日本へ呼びた
いと思って、いまだに果たせずにいる。忘れ難い出会いであった。『密教占星術韮』は、
三元九星・掛けの秘伝について書いた。昭和五十三年(一九七八年)の出版である

 

From Kiriyama copyright

About Esoteric Astrology I and Destiny
What I wanted to do with this book was what was fate.
In Buddhism, it means the detachment of a connection, but many monks suddenly do it to humans.
He explains that since there is a connection, we have to break it out. Only
But before I preached, I wondered if there was really a relationship.
This book tried to elucidate Buddhism from the aspect of fate science. So this book is me
I’m secretly confident that it is a book that can only be written.
I thought that what was related is that it is what forms human destiny.
It is. .
I suffered from the imprisonment of a prison inside me, and I knew from my sister Matsuko’s pancreas cancer and my mother’s breast cancer
I struggled with cancer, so I knew that there was actually a relationship.
However, it may be difficult to convince ordinary people that the fate of a human being is born, and that fate is formed by a relationship.
Fortunately, I had knowledge of fate science and analyzed my own fate well.
I was convinced of the reality. Therefore, enter Buddhism and think deeply about the relationship
Therefore, it was easy to realize that the factor of fate is related.
It’s hard to understand. Why should I tell you how
It was this “esoteric astrology I” that I wrote while thinking about whether or not I could be convinced.
I have been analyzing nearly my own destiny and have begun to see the destiny of people for nearly 30 years.
That means that I was 20 years old now that I had predicted a newborn baby.
It can be confirmed in the young man who was. The 20-year-old is now over 40 years old.
A person who is 40 years old is over 60 years old. In other words, if you have seen a person’s fate for more than 20 years,
The raw data is almost complete.
Then, when a newborn baby has such a star,
There is a 90 percent chance that it will be from what age to what age
I understand. So, I conclude that the fate of a person is already decided at the moment I was born
I can say that.
On the contrary, there is an divination technique called fetal art. Among the fetuses in the mother’s stomach,
In other words, it is a technique for predicting even the fate of a baby who still does not know whether he is a man or a woman. According to it,
I know most of the baby’s life, not to mention whether the baby is a man or a woman
is there. Although this is a difficult fate study, the hit rate is quite high.
From that point of view, humans are destined to be destined from the moment they were born or before that.
I can only think of it.
The fact that fate has been decided already means that each element that constitutes fate is already
It has been decided. What hits that element is the cause. Exactly, people
It is born, alive, and dying by a relationship.
The esoteric astrology I is an empirical introduction and explanation of the principles and rules of fate.
It turns out that. So, the subtitle is “What is fate?
I’m Yuki, Kyusei Zodiac, Purple Poto, Rokuto Astronomy, Hachimon Rinko, Rinko
Learn almost everything, including Western astrology, and systematize your own destiny
So, at the same time as explaining the fate, at the same time, the first biography of the fate studies, middle biography, Okuden, one subject
Write these as a book, and secrets beyond Okuden are given to a small number of disciples who have been chosen in a practical lecture.
I’m thinking of telling you about six volumes in all. All the fate studies mentioned above fit into this volume.
Is scheduled.
I do not focus on my fate studies and my specialty, so I’ve been writing my way towards religious relations.
I can’t write a sequel. However, as long as there is still life, Kyusei Zodiac art, Hachimou Kai
I would like to write from “Kou-Tengenjutsu” to “Purple Douto”, “Sixth Astronomy”, “Koihei Shikai”, “Introduction to Esoteric Astrology”.
In this I is written an encounter with Hong Kong’s famous astrologer, Ms. Huang Shun. Ms. Wata
Without knowing anything about combs, without knowing anything other than being a Japanese religious,
I appraised my destiny.
“Teacher has completely changed his life before and after becoming a religion.
It has been done. This is due to religious deeds and discipline and is a high boundary.
Mano’s fate cannot be inferred from mere fate studies. It is a great thing. Just
What I can do is three new jobs awaiting my teacher. It ’s a big big job,
Although it will be very difficult, the teacher will accomplish each of the three tasks and will be very successful. A word
In other words, the fate of the teacher is magnificent and intense. It is healthy and longevity. ”
And the future of the teacher cannot be guessed by fate studies. Because teachers have their own destiny
It will improve and create. Many people in the world live their lives as prescribed
However, there is a person who creates one’s own destiny. That is a teacher
It is. Therefore, it is impossible to accurately tell the future of the teacher. But that alone is missing
Because it seems to be on the top, I did two or three things about my past. Word
Unfortunately, he was destined to be punished. Everything is right and wat
The comb wrapped his tongue. Ms.’s ability is extraordinary, and if you come to Japan, you will be ranked first-class
I thought it would be. I don’t think there are any divide who can beat a little in Japan now
It was broken.
Ms. Finally,
“Teacher is really a great person. I was really surprised today.
I saw a person who was destined to get out. The teacher has no fate. ”
such as.
I was also impressed by the fact that the past was suitable, but other people can do it. She,
For me, a person without destiny is a divide beyond divination. Once called to Japan
I’m still thinking that I haven’t done it yet. It was an unforgettable encounter. The Esoteric Astrology Trap is
I wrote about the secret of Sangen Kyusei. It was published in 1953 (Showa 53).