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密教占星術の秘法 5

範囲の社会事象の予知はし難い。 結局は、個人の吉凶可否の占断にとどまって

とうねんじょう

もっとも、密教の二十八宿暦法には、「当年星」(年の星)がある。

「星供法」(当年星に供養して転禍成福を祈る密教の秘法。俗に、星まつり、 という)に、当年星を定めて、供養をする。 これは、当年所属星という意味 で、その一年間、その人の運命を支配する星をいう。 人の年齢により、九曜の 一つに属当する。だから、これは、人によりみな違うので、わたくしのいう 「歳星」とは違うのである。

わたくしのいう「歳星」とは、たとえば、九星術でいう「中宮」にあたる星 である。 九星術では、今年、五黄土星が中宮に入るので、五黄土星の歳、とい うことになる。この「星」にあたる星が、二十八宿にはない。

なお、この二十八宿の当年星と、九星術との間に、ひとつの関連があるの

 

 

 

で、それを前頁に示すことにする。

るのである。

る。

る。

しかし、これでは、個人個人の当年の星は決まるが、社会全体の、いうな らば、世界全体にわたる) 当年星 (歳星)とはならない。

わたくしは、二十八宿法が持っている社会事象の予言には、どうしても、社 会全体の当年星を把握しなければならぬと考えたのである。

十数年にわたる苦闘がはじまった。

かぞえきれないほどの試行錯誤があった。

過去三〇〇年にさかのぼって、 主な出来事が符合しているかどうかを検証す

十のうち、七まで符合していても、三ちがっていたら、それは採用できな い。 十のうち、八以上、符合していたら注目する価値があろう。

気の遠くなるような作業であった。

そして得たものが「天津三九宿法」であった。

くわしいことは、ここでは書けない。 近く書く予定の「天象三九秘宿法解 説」にゆずるとして、ここでは、結論をのべておこう。

九星術は、星も深い意味を持つが、場所(宮)にさらに深い意味があ

「天象三九秘宿法」では、場所は関係なく、星じたいに深い意味があ

2、二十八宿星を九つのグループに分類した。 つまり、「九道」のグルー プである。「九道」とは、さきにのべた成・盛・安・・・・・ 友・親である。八道”とは異なる)

この九つのグループのそれぞれに、一つの「主星」を選定した。

「この「主星」が「歳星」になるのである。

「歳星」は、特殊な動線によって毎年移動してゆく。

3、最も重要なものは、この「動線」「星の移動の仕方」である。これが、 ここの法の大極秘伝になっている。

以上は、すべて一つの原理・原則にのっとって制定されているが、それは、宿 曜経、摩登伽経、舎頭諫経、宝星経、孔雀経、大集日蔵分星宿品等を参考に

した上で、現実の星座の星の動きをも勘案してできあがった。

いずれ、一冊の書物にまとめて発表するつもりでいる。

密教占星術の秘法 4

「カルマ」と「因縁」と 「運命」を読む

以上の、命宿九星盤・業宿九星盤・胎宿九星盤で、その人の前世からのカル マと因縁、そして現世における運命を読みとってゆくのである。

この三つの盤には、それがはっきりとあらわれているのである。

もちろん、それには熟達した運命学の知識を必要とする。

運命学の知識だけではない。社会一般にわたるひろい常識、高い教養、経 そしてその上に鋭いカンのはたらきが必要である。いうならば、インスピ レーション、である。

ざっと説明すると、まず、九星術の「盤」のそれぞれの「宮」と「星」は、

深い意味をしている。

その一例を示せば、つぎの通りである。

一白水星 定位北方 坎宮

総合象意

水の性を代表する。

ゆえに水に縁のあるものはすべて一白である。

かたちあるものは雨、雪、氷、霜、雲、霧、海、川、 井戸、水道、 泉水、

池、湖沼り水など、かたちなきものは、寒気、冷気、水気等、すべて一 白水星の範疇に入る。

物品でいえば、酒、ビール、ウイスキー、コーヒー、紅茶、インキ、 油、 な どすべての液体。

行動でいえば、洗濯をする、 入浴する、洗面をする等。 人事にとれば、色 情、恋愛、病気、貧窮などをあらわす。

また、一白は、易の「」であり、次は「」であり、「噛み」であり、 「穴」である。ゆえに、くぼんだもの、穴、隠れたもの、潜んだものをすべて 一白とする。 九宮にとれば、北方の坎宮である。 坎宮に入ると、北の気を受け 運勢も冬枯れの態を呈し、樹木のすべて落葉するごとく、人もまた、落 魄、窮乏、沈淪のすがたをあらわす。 艱難苦労の極であり、ゆえに坎を悩みと 苦労とする。しかし、この困難の極を経て、やがて一陽来復の春を迎えるの である。

大体、水というものがそういう性質を持っている。山間に降った雨の一滴

が、草や木の間をくぐり、あるいは岩にあたりして、々辛、流に流れ こみ、やがて他の川と合して、末ついに大海となるのである。ゆえに、大いに 苦労し艱難困苦を経て大をなす意を持っている。 ゆえに、艱難困苦の星とする のである。

また、流水が他の流れと交わって河となるところから“交わる”という意 が生じ、外交とか、性交などの意も出て来、さらに拡大して、帯、ひも、 糸などを結んだり縫ったりする作用も一白の象意として考えられるのであ

水、穴、凹み、低い所、流動するもの、浸透するもの、溶解するもの、暗 黒、秘密、煩悶、気迷い、憂愁、狡猾、疑惑、失恋、私通、色情、多情、行方

〔人体〕

いんとく

不明、睡眠、飲む、曖昧、不景気、奸智、隠匿、敗北、沈没、塗装、 情交 入 浴、水泳、魚釣、下層社会、下品、下級品、粗悪な品、冷淡、放浪、零落、執

濡れる、遊蕩、等。

中年の男、外交員、智者、悪人、盗人、盲人、婦、淫婦 遊女

中、病人、色情狂死者、服喪者、養子、妊婦、潜行者、亡命者、脱走者、脱 獄者、スパイ、堕胎児、すり、等。

せきずい

腎臓、陰部、子宮、膀胱、脊髄、尿道、肛門、鼻孔、耳、血液、汗、涙、傷

痕、眼球、瞳、精液、等。

〔病気〕

痔疾、等。

[業種と職業〕

〔品物〕

[場所]

腎臓病、性病、酒毒症、耳の病、婦人病、水腫、吹出物、生理異常、冷症、

水産業、醸造業、船舶菜、塗料業、飲料水業、待合、酒屋、クリーニング 業 染物屋、銭湯、魚屋、バー、キャバレー、牛乳屋、僧侶、 尼僧、芸者、売 春婦 水夫、潜水夫、ウェイトレス、等。

船舶 液体すべて、万年筆、釣道具、酒器、帯、紐、袴、 手拭、褌、シワの ある織物、人形、指輪、水晶、毒薬、

海岸、大川、海水浴場 宴会場、 温泉場、水族館、水道局、水源地、待合、 売春宿、地下室、医院、葬儀場、告別式場、通夜の場所、寝室、穴蔵、洞穴、 流し場、洗面所、便所、床下、池、井戸、滝、窪地、漁場、消防署、留置場。

〔食物〕

酒、ビール、洋酒類、飲料水、サイダー、ジュース、ソーダ水牛乳、醤 油、吸物汁、塩、塩漬物、塩辛類、魚肉、豆腐、生魚、蓮根、人参、飴類、海

苔、昆布、等。

〔動物〕

[植物]

[天象〕

豚、馬、狐、もぐら、水鳥、蝙蝠、生魚類、螢、おたまじゃくし、虫類の 卵、主として下級動物、水に関係ある動物一切。

水仙、福寿草、蘭、藻類、 水蓮、 寒椿、寒紅梅、柊、檜、へちま、瓢箪、水 に関係ある植物一切。

冬、月、雨、雨雲、寒気、冷気、雪、霜、霧、雲、水蒸気、満潮 干潮、暗

夜、水害、北風、等、

[雑象〕

〔数〕

色彩〕

〔味]

濡れる、流れる、思う、憂える、愁い、刑、隠れる、藤のこと、法律、毒、 疾、悩む、情愛、交際、災害、敗れる、喪、哀れ、泣く、秘密 情交。 〔時間〕

子の刻、午後十一時から午前一時まで。

と六。 それに関連して、 十一、十六、 二十一、二十六、三十一、四十一、

 

 

 

 

ふつうの人が一、という数字を見れば、それはどこまでも一であるが、九 星の専門家が一という数字を見れば、一瞬のうちに以上のことが頭に浮かぶの である。そして、たちまちのうちに、脳が活動をはじめるのである。

たとえば、ある人物が液体を飲んでいるとして、それは一であらわされる が、それが水なのか、ビールなのか、日本酒なのか、コニャックなのか、ワイ ンか、焼酎かを推測しなければならない場合がある。 そのどれであるかによっ その人物の生活レベルなり、慣習、性格、その他もろもろのものが浮かん でくる。

それを決定するのは、他の宮や星とのからみ合いと、占断者のインスピレー

ションである。だから、古の名人になるのには、少しオーバーにいうと、 ャーロック・ホームズなみの教養 感覚 推理力と、インスピレーションが必 要なのである。

おなじことが、二十八宿についてもいえるのである。

古伝による簡単な例をあげよう。

○黒、翼、斗、壁の各宿を「安重宿」とする。これらの宿にあたる日には、 建築、種まき、収納、入学、 供養、交友、結婚などすべて吉。ただし、旅

いしゆく

行、勝負事は凶。 これらの宿に生まれる人は、安重威粛、福徳すぐれ、名 声を得る因縁にある。

○觜、角、房、奎の四宿を「和善宿」とする。 これらの宿にあたる日は、入

学 結婚、就職等すべて吉。

これらの宿に生まれる人は、温度、かつ聡明の因縁にある。

一九九九年七月が来る

○参、柳、心、尾を「毒害宿」とする。これらの宿にあたる日は、すべて降

伏のことをなすに吉。 他はみな凶である。

ざんどくごうもう

これらの宿に生まれる人は、その性質、惨毒剛猛、悪性の因縁にある。

入学、売買、旅行等吉。

婁を「急速宿」とする。 これらの宿にあたる日には、仏事、

これらの宿に生まれる人は、剛猛捷で、筋力に富む因縁にある。

〇星、張、箕室を「猛悪宿」とする。これらの宿にあたる日は、降伏、

猟、神事等、みな吉。

これらの宿に生まれる人は、にある。 出来ればと なる。

〇井、亢、女、虚を「軽柔宿」とする。 これらの宿にあたる日は、旅 外国に使いし、種まき事などすべて吉。

じつちよくへいおん

これらの宿に生まれる人は、実直平穏の因縁にある。

○昴、氏を「剛柔宿」とする。これらの宿にあたる日は、入宅、葬送、売

買契約等、みな吉。

これらの宿に生まれる人は、寛柔にして猛君子人の因縁にある。

○牛宿、はなはだ吉祥の星で、この宿に生まれる人は、福徳あって、ものご

と、求めざるに成就する。

 

介しよう。

てんしょう

なにか?

さいしよう

一九九九年七月が来る

右は、ごくおおざっぱなもので、本格的に見るならば、二十八宿の一つ一つ に就き、さきの九星象意にまさるとも劣らぬ深い象意があるのである。(これ らについてくわしく解説すると、大部の一冊の書物ができる。大極秘伝であ る)

ほうふつ

これらを、九星術の盤に配置して、その宮と星を照合しつつ見てゆくとき、 まことに、人智を越えた神秘的な、人間の運命、宿命の動きが、彷彿として浮 かんでくるのである。

以上は、個人の占断である。

つぎに、社会事象 ひろく天災地変をもふくむ、おどろくべき法をご紹

天災地変を予言する

神秘の占術

天象三九秘宿法これこそ天災地変をふくむ広範囲の社会事象を予言す

二十八宿法の特長を最大限に生かした占術であった。

二十八宿法には、 占術として大きな欠陥があった。 もちろん、天文学として の二十八宿暦には欠陥などない。 しかし、占術として見るとき、欠陥というよ りほかないものがある。

歳星(年の星)がないのである。

二十八宿は、月と日にはあるが、年にはない。これでは、どうしても、広い

密教占星術の秘法 3

ものになったと、わたくしは自負している。 では、それはどんな法か?

以下にのべることにする。

「カルマ」と「因縁」と

「運命」の表示盤

これから、三九秘宿九星法の極秘伝公開である。

まず、前世からのカルマと因縁、そして、現世における運命の表示盤をつく る。これが、一人の人間のすべてを占断する基本になる。

前世からのカルマと、そこから生ずる因縁、そして現世における運命をこと ごとく知ったら、その人間のすべてを把握することになる。

この表示盤は、それを可能にするのである。こういう占術、運命学は、いま だかつてなかった。

その作製法をのべよう。

さきにのべた

命宿

業宿

胎 宿

の三宿に、「九道」を配置するのである。

九道とは、さきにのべた二十八宿法の「八道」 (八宿)に、「滅」の一道を加

えたものである。

わかりやすくもう一度くり返すと、

命宿とは、生日にあたる本命宿であり、

業宿とは、前世のカルマをあらわす宿であり、

船宿とは、前世のカルマによって現世の果報を受ける入胎日にあたる宿であ

図を示そう

九道とは、盛衰・安・・成・壊滅・友・親である。

二十七宿は、昴・畢・觜・参・井・鬼・柳・星・張・翼・軫・角・亢・氏・

房・心・尾・箕・斗・女・虚・危・室・壁・・婁・胃である。

 

 

 

密教占星術の秘法 2

密教占星術の秘法

さて、ここまで読んで来られたあなたは、ここで一つの疑問を持たれたので はなかろうか?

それは、前の章にかかげた九星図と、 ノストラダムスの予言とのかかわりで ある。

つまり、今年からはじまる大破壊を示すという九星図が、どうして、 ノスト ラダムスの大破壊(恐怖の大王) とむすびつくのか、どこに接点があるのかと いう疑問である。

というのは、この九星図は、九年ごとにおなじ配置となってあらわれるはず

である。だから、今から九年前、一九八六年 (昭和六十一年)にも、五黄中宮 で、今年とおなじ配置であった。しかるにこの年、多少の波乱はあったけれど も、破壊というほどのことはなかった。しかるに、今回の九星配置に限り、ノ ストラダムスの予言に通ずる大破壊を起こすことになるというのは、どういう ことか? どこにその根拠があるのか、という疑問である。

まことに頭のよい質問である。

お答えしよう。

わたくしは、あの九星術の占盤だけでノストラダムスの予言とむすびつけた

のではないのである。もっと根拠のある予知法をわたくしは持っており、それ を使ったのである。

じつをいうと、わたくしは、その予知法を明かしたくなかったのである。

 

さきに行って公開するかも知れないが、いまのところ公開するつもりはなか

った。一子相伝という言葉どおり、わが子、わが弟子の限られたもののみに伝 えようと思っていた。

それだけの価値のある秘法であった。

しかし、どう考えても、九星術だけで、 ノストラダムスの恐怖の大王を説明 するのは、十分でないと思わざるを得なかった。

どうしても、この予知法を表に出さなければなるまいと考えたのである。 そこで、これまで、かたく秘していたこの法についてのべることにする。 ただし、本書は、この占星術の解説をすることが目的ではないので、ざっ と、こういう法であるという説明にとどめておきたい。

二十八宿曆法

 

月の一日の行程を測り、朔望(一ヶ月)をへて一周する天空を、二十八に区 分したものを、「二十八宿」という。

この二十八宿をもって一年十二ヶ月の各日に配するのを、二十八宿暦法とい うのである。この二十八宿をもって、吉凶を占う方法が、 宿曜経、超際仙人 九曜秘暦経などに説かれている。

二十八宿というのは、

昴(ぼう)

(ひつ)

(し)

参 (しん)

井(せい)

鬼(き)

柳(りゅう)

星 (せい)

張(ちょう)

翼 (よく)

軫(じん)

角(かく)

(こう)

(てい)

(ぼう)

心(しん)

尾 (び)

箕(き)

斗(と)

牛(ぎゅう)

女(じょ)

虚(きょ)

(き)

室(しつ)

壁(へき)

(けい)

婁(ろう)

(い)

 

である。

三九秘要法

この二十八宿を使っての占断で、古来、専門学者の間で有名な法に、「三九「秘要法」がある。

る。

これは、牛宿を除いた二十七宿を三つに分けて、第一の九宿・第二の九宿・第三の九宿とする。

命宿

業宿

胎宿

とする。

そしてそれぞれの宿を、命宿とは、生日にあたる本命宿であり、

 

業宿とは、前世の造業を表徴する宿であり、

 

胎宿とは、前世の造業によって現世の果報を受ける入胎日にあたる宿であ

ある。

栄・・安・・成壞友・親 八宿を配置するのである。

わたくしは、これを、まぎらわしいので、「八道」とよぶことにしている。

そこで、この、三宿に配置する八道とは何であるかというと、本人に力をあ たえて栄えさせるものと、衰萎させて弱体化させるものと、支えとなって安定 させるものと、逆に運気を傾け危地におとしいれるものと、有利な資材を授け 希望を成就しめるものと、不利にして破壊せしめるものと、運気助け合っ 愛親密ならしめるもの、等、相生・相剋の利害関係をあらわしたもので

そこで、三宿の定めかたをいうと、これに、極秘伝となっているものと、ふ つうの基本的方式となっているものとあり、ここでは、ふつうの基本的方式のものをのべよう。極秘伝の方式は、ふつうの方式のものを体得して、その運用法に習熟した上でなければ、理解し難いものだからである。

まず、二十七宿は、さきに記したとおり、

昴、畢、觜、

、 柳、星、 隅

角、亢、 氏、 房、心、

斗、女、虚、危、室、壁、奎、婁、胃

である。

そこで、かりに、もし、第十五番目の房宿が本命宿であるとすると、心 尾・箕・斗・女・虚・・室が、この命宿にたいして、前にのべた相生・相剋 の利害関係を持つ八宿であり、第二十四番目の壁宿は業宿で、奎・婁・胃 昴・畢・・参・井は、これにつながる八宿である。 同様に、第六番目の鬼宿 は胎宿で、柳・星・張・翼・軫・角・亢氏は、また同様、これにつらなるハ宿である。

これをもって、人事百般を占断し、どの宿をえらんでどのように行動したらよいかを判断するのであるが、すぐれた術者が、その運用よろしきを得れば、 百発百中、神秘的としか思えない効果を得るのである。

そういうと、 では、九星術とどちらがすぐれているのかという質問が出るか

どちらがすぐれているのかといわれても、どちらもそれぞれ長所・短所があ るのであるから、いちがいにはいえないが、すくなくとも、三九秘要法のほう には、九星術に見られない大きな特長があるのである。

それは、二点ある。 まず第一に、九星術が、主に、個人的な動きを把握する のにたいし、三九秘要法は、 個人的な動きにとどまらず、 社会事象を広くとり 入れて判断に利している点である。個人の運命的な動きと、社会の動きとを、関連させて判断できることである。これは、他のどの運命学、占術にもないす ぐれた点であると思われる。

もう一つは、密教という仏教の一派が基点となっているだけに、カルマとい う人間の根源的なものを視座に据えて展開している点である。

 

そこに、前世からの業報を明らかにして生きようとする思想がある。こと に、極秘伝になっている三宿の定めかた(これは古伝を補足して、わたくしが 創案したものである)を用いると、 前世・現世・来世にわたってのカルマの展 望が可能になる。

こういう思想と方法を持った運命学・占術は他にほとんどない。

ただ、惜しむらくは、術者、研究者のほとんどが、そのことに全く気がつい ていないのである。 たんなる人事の占断としてしか使われていない。まことに 惜しむべきことである。この法は、神秘的な力を秘めていて、運用のしかたに

よっては、奇蹟としかいいようのない予知力をあらわすのである。 その一端をのべてみよう。

三九秘宿九星法

ここでは、二つの極秘伝を紹介しよう

いずれも、わたくしの創案したもので、その一つを「三九秘宿九星法」という。 この占術は、ひと口でいうと、三元九星術と二十八宿暦法(以下、二十八宿 法という)を併合したものである。つまり、九星術の長所と、二十八宿の長所 をひとつにしたものである。

三元九星術は、人事百般の占断に用いて、適中率が非常に高い。

二十八宿法は、前にのべた通り、人事問題のほかに、ひろく社会事象につい ての予知力を持つ。

例えば、人の性格、運命、 また、職業、建築、縁談、疾病等の吉凶可否のほ か、国家間の外交問題、国内の政治問題、人心の動向 天象として、大雨、干

 

害、台風、蝕、等。 地象としては、地震、山崩れ、等。

たんぱい

多岐にわたって、まことに、端倪すべからざるものがある。

この月、地震あれば

国内大乱たとえば、本年一月は「觜宿星」在泊の月である。とある。

であった。

 

国内大乱

「この月地震あれば、国内大いに乱れ、人心不安」

阪神大震災は一月十七日。月は変わったが地下鉄サリン事件で、社会は混 乱し、人心の不安、その極に達している。

「国内大いに乱れ、人心、安んぜず」

まことにその通り、あの事件は、昔だったら、国家転覆 反逆罪である。 これを、ただたんに、「觜宿泊すれば国内大乱、人心不安」とだけではな 関連の星宿を一定の法則にしたがってならべてゆくと、さらに詳細かつ広 範囲の事象が展開されてゆく。

そこでわたくしが考えたのは、人事百般に精密な占断をくだす三元九星術 と、社会事象にひろく予知の網を張る二十八宿法を併合させ、その両面にわた って告知するあたらしい最高度の運命学ができないものだろうか、ということ

ただ、問題は、それが、木に竹を継いだようなものであったら、なんにもな らないということである。

それが融合して、十分に複合の効果をあらわすものでなくてはならない。一 足す一が二ではなく、四にも六にもアップするものでなくてはならない。もし もバランスを失って、ばらばらなものになるようなものであったら、おはなし にもならない。

どうすればそれが可能になるか?

いったいその可能性があるのかないのか?

十数年以上の年月を、わたくしはそれにそそいだ。そしてついに、それを可 能にする法則を発見した。 一〇〇%とまではいえないまでも、九五%までは到 達したものと自負している。 そしてその数字は、この占術の中率をあらわす

星の動線の秘密

その法則とは、星の動線であった。つまり、星宿の移動の線である。そして それは、同時に、星宿の配置につながる秘法でもあった。

いかなる占星術にもそれはいえるもので、星をどう配置し、どう動かすかと いうことが、占星術の生命であり、神秘なのである。

だから、それが高度のものになればなるほど、占星術家の秘伝となってゆ

星の配置・動線というのは、たとえば、九星術の場合、(基本的には) 図の

ように動き、配置されてゆく。

左の図が、三元九星術における動線である。

九星術の知識のない人にはチンプンカンプンで、まるっきり意味のないもの

つうぎよう

に見えるであろうが、この法術に通暁している者には、この図の中に、 宇宙

 

 

 

 

 

の森羅万象を読みとるのである。

ここで一応、この三元九星術について、それがどのようなものか、ざっとの べておくことにしたい。というのは、さきにわたくしがのべた、わたくしのあ たらしく創案した占術の基盤の一つが、この三元九星術なのである。 そこで、 この三元九星術についての知識のない人には、わたくしの苦心して創案した 術の価値を知っていただくことは愚か、なんの興味もお持ちにならぬであろう と思うからである。(ということは、三元九星術の知識のあるかた、さらに欲 をいえば、その上に、二十八宿法の知識のあるかたならば、このあたらしい 断法が、どんなに価値のあるものか、ご理解いただけるであろうと、わたくし は思っている)

つぎの文章は、わたくしの著書の中からの抜粋である。

運命学の二つの領域

 

運命学には、大きく分けて、二つの領域がある。

一つは、ある方法によって、その人間の存在の構造と本質を明らかにし ようとするもので、その目的は、「運」という名でよばれるその人間の持 人生の形成力と動向を把握しようとするものである。

 

人間が生きるということは、つまるところ、生活の形成ということであ

その人間が生涯にわたって、どのような「場」においてどのような「生活の形成」をなしていくかということを、あらかじめ予測しようとす るのである。

具体的にいうならば、

知能の程度およびその方向性

<「場」の形成力(つまり、環境を動かし、環境をつくり出す力。創造

力、創造性)

<「場」への適応力(つまり、環境に順応し、適応していく適応性と適 応力)

<「運気」とよばれる生活形成の能力と量(つまり、わかりやすくいえ 運”の大小強弱で、その人の可能性)

<「運期」とよばれる生活形成力の消長起伏と変動(盛運期、順運期、 平運期、衰運期、凶運期、 死期、 の六つの種別がある)

など、以上の素因を解明・演繹して、その人間がこれからどのような環 境のなかで、どのような人生の軌道を歩むことになるかを、あらかじめ予知する方法である。

たとえば

これにたいして、もう一つの領域は、人間と、人間にかかわりのある一 切の事物の、あらゆるできごとや変化を、前もって予知する方法である。 それは、人間の構造や本質の追求よりも、一つの事象の動きをとらえるこ とに主眼を置く。

この取り引きは失敗か成功か。 成功するとすれば、いつ、どのような かたちで成就するのか。 また、もしも失敗するとしたら、その原因は なにか?

この立候補者は当選するか、落選か。

この試験に合格するか、落第するか。

密教占星術の秘法

密教占星術の秘法

さて、ここまで読んで来られたあなたは、ここで一つの疑問を持たれたので はなかろうか?

それは、前の章にかかげた九星図と、 ノストラダムスの予言とのかかわりで ある。

つまり、今年からはじまる大破壊を示すという九星図が、どうして、 ノスト ラダムスの大破壊(恐怖の大王) とむすびつくのか、どこに接点があるのかと いう疑問である。

というのは、この九星図は、九年ごとにおなじ配置となってあらわれるはず

である。だから、今から九年前、一九八六年 (昭和六十一年)にも、五黄中宮 で、今年とおなじ配置であった。しかるにこの年、多少の波乱はあったけれど も、破壊というほどのことはなかった。しかるに、今回の九星配置に限り、ノ ストラダムスの予言に通ずる大破壊を起こすことになるというのは、どういう ことか? どこにその根拠があるのか、という疑問である。

まことに頭のよい質問である。

お答えしよう。

わたくしは、あの九星術の占盤だけでノストラダムスの予言とむすびつけた

のではないのである。もっと根拠のある予知法をわたくしは持っており、それ を使ったのである。

じつをいうと、わたくしは、その予知法を明かしたくなかったのである。

 

さきに行って公開するかも知れないが、いまのところ公開するつもりはなか

った。一子相伝という言葉どおり、わが子、わが弟子の限られたもののみに伝 えようと思っていた。

それだけの価値のある秘法であった。

しかし、どう考えても、九星術だけで、 ノストラダムスの恐怖の大王を説明 するのは、十分でないと思わざるを得なかった。

どうしても、この予知法を表に出さなければなるまいと考えたのである。 そこで、これまで、かたく秘していたこの法についてのべることにする。 ただし、本書は、この占星術の解説をすることが目的ではないので、ざっ と、こういう法であるという説明にとどめておきたい。

二十八宿曆法

 

月の一日の行程を測り、朔望(一ヶ月)をへて一周する天空を、二十八に区 分したものを、「二十八宿」という。

この二十八宿をもって一年十二ヶ月の各日に配するのを、二十八宿暦法とい うのである。この二十八宿をもって、吉凶を占う方法が、 宿曜経、超際仙人 九曜秘暦経などに説かれている。

二十八宿というのは、

昴(ぼう)

(ひつ)

(し)

参 (しん)

井(せい)

鬼(き)

柳(りゅう)

星 (せい)

張(ちょう)

翼 (よく)

軫(じん)

角(かく)

(こう)

(てい)

(ぼう)

心(しん)

尾 (び)

箕(き)

斗(と)

牛(ぎゅう)

女(じょ)

虚(きょ)

(き)

室(しつ)

壁(へき)

(けい)

婁(ろう)

(い)

 

である。

三九秘要法

この二十八宿を使っての占断で、古来、専門学者の間で有名な法に、「三九「秘要法」がある。

る。

これは、牛宿を除いた二十七宿を三つに分けて、第一の九宿・第二の九宿・第三の九宿とする。

命宿

業宿

胎宿

とする。

そしてそれぞれの宿を、命宿とは、生日にあたる本命宿であり、

 

業宿とは、前世の造業を表徴する宿であり、

 

胎宿とは、前世の造業によって現世の果報を受ける入胎日にあたる宿であ

桐山靖雄 ヒトを天才にする求聞持聡明法 To make humans intelligent and genius Demanding wisdom method 3

それによると、それは、″四神足“または、″四如意足″ともいわれる超能力開発法である。

ブッダは、菩提を成就するためには、単に、知性や理性をみがくだけでは不十分であると考え、知性や理性の限界をうち破る力が必要であると考えた。

そのために、彼は、そういう力を開発するための行法をつくりあげた。それは、彼が学んだ超能力開発法を加えて編成したものと見てよいであろう。
それは、三十七種の技法から成り立つもので、四神足というのは、その中心になる技術である。

神通、如意を得るための定を、四種類の手法に分けて説明している。

欲神足(願望、理想、創造のためのアプローチ)

勤神足(体と心のトレーニング法)

心神足(潜在意識のトレーニング法)

観神足(深層意識のトレーニング法)

きづまりを打破するために、大乗仏教のなかにとり入れられて体系化され、密教と呼ばれになったのである。いうわけで、密教は二つの面を持っている。

一つは、超能力の開発技術
一つは、大乗仏教の教義この二つである。

 

 

人が宗教的教えを必要とナるのは、知的能力が低いからである。要するに、愚かだからである。人の道徳意識が低いのは、知能、精神能力が低いからだ。ほんとうに知能が高くなれば、人は、いま人類の持っている程度の宗教意識などけるかに超えたもっと高い倫理観を持つ。

オリヴイエ教授のいう「無限に発展した道徳意識の保有」である。

教え(宗教)による人類の道徳意識の開発は、すでに限界に達してしまっている。

見よ。

 

地上にあまねくくりひろげられている人類のこの大愚行を。殺し合い、奪い合い、罵り合い。どこに「知恵あるヒト」のおもかげがあるか? 「大愚人類」そのものではないか?

要するに、バカにいくら結構な教えを説いてもだめなのだということだ。

もっと忌憚なくいわしてもらうならば、(これは私がいうのではない。みんな密教の神サマがおっしやるのであります)ちっとましなバカが、しょうのないバカに一心に教えを説いているというのが、いまの宗教のすがたというものではないのか?

宗教だけではない。科学と技術だってそうではないか。見さかいなくいい気になっていろんなものをつくり出し、あとで公害だ有害物質だと困っている。こういうおろかなことは、もう少し人類の知能が高くなったら、そんなバカなことはたのまれなくともしなくなる。要するに知能が低いからだ。

政治も、経済、思想も、みんなそうだと、あなたは真実思わないか?

要するに、すべて、″ヒトの知能が低い″ことに原因があるのである。

この世界を住みよく、たのしいものにするのには、革命ごっこよりもなによりもまず、ヒトの知能を高めることだ。そう、あなたは思わないか?

さて、話をもとにもどそう。
教えの限界とはヒトの知能の限界だ。
密教はその限界をうち破るのである。
技術によって超能力をあたえ、いっきょにヒトを改造して、宗教などという低い次元をいっぺんに飛び越し、想像を絶する叡智を持った、高い倫理的生物をつくり出そうというのだ。
それが、密教だ。求闘持法《明星》

 

According to it, it is a supernatural power development method also called “Iddhipada” or “Iddhipada”.

Buddha thought that simply brushing intellect and reason was not enough to fulfill the bodhi, and that he needed the power to break the limits of intellect and reason.

To that end, he created a method for developing such powers. It can be seen as an addition to the psychic development methods he learned.
It consists of thirty-seven kinds of techniques, and Iddhipada is the central technique.

He explains Shinto, the rule for getting the will, by dividing it into four types of methods.

Desire foot (desire, ideal, approach for creation)

Work God’s foot (body and mind training method)

Mind god foot (subconscious training method)

Kanjin foot (deep consciousness training method)

In order to break the stalemate, it was incorporated into Mahayana Buddhism and systematized, and became known as esoteric Buddhism. So esoteric Buddhism has two sides.

One is the development technology of supernatural powers.
One is the doctrine of Mahayana Buddhism.

 

 

 

People need religious teaching because of their low intellectual ability. In short, it’s stupid. People’s moral awareness is low because their intelligence and mental abilities are low. If the intelligence is really high, one will have a higher ethical sense that goes beyond the religious consciousness that human beings have now.

This is what Professor Oliveyer calls “the possession of an infinitely developed moral consciousness.”

The development of human moral awareness through teaching (religion) has already reached its limit.

Behold.

 

This great folly of mankind that is spread all over the earth. Killing, scrambling, and swearing. Where is the essence of “wisdom humans”? Isn’t it the “great fool” itself?

In short, no matter how much you teach a fool, you can’t.

To be more frank, (I’m not saying this, everyone is esoteric god Sama), a sardine idiot is preaching to a sardine idiot. But isn’t it the shape of the current religion?

It’s not just religion. Isn’t it the case with science and technology? I feel good about it and create various things, and later I am in trouble that it is a toxic substance that is a pollution. Such stupid things will not be uncommon if human intelligence becomes a little higher. In short, it has low intelligence.

Don’t you think it’s true that politics, economy, and thought are all the same?

In short, it’s all due to “low human intelligence”.

To make this world livable and enjoyable, first and foremost, to enhance human intelligence, rather than playing a revolution. Yeah, don’t you think?

Well, let’s get back to the story.
The limit of teaching is the limit of human intelligence.
Esoteric Buddhism breaks that limit.
They are trying to give supernatural powers by technology, remodel human beings together, jump over the low dimensions such as religion at once, and create highly ethical creatures with unimaginable wisdom.
That is esoteric Buddhism. Fighting possession method “Meisei”

種子のもっ深遠な哲理

種子のもっ深遠な哲理

無量無辺の意義と徳をそなえる種子
一字をもって各尊をあらわす象徴的な梵子を種子といいます。
ふつう、各尊の尊名、あるいは真言のなかからとった一宇がその種子となっています。
あたかも植物の種子から多くの果実が得られるように、仏の象徴であり真言である梵字から仏の尊形や仏智、さとりといった仏果を得ることができるので、種子と名づけられたといわれています。

 このように、猪尊をあらわす種子は無量無辺の意義と徳をそなえているので、ヴ]れを唱え、心に念じて、書写すれば、すみやかに菩提を得るとされています。

 

仏教の瞑想法

さて、古代インドでは、仏教が興る以前から、バラモンの修行法のひとつとして瞑想法がありました。

釈尊はの瞑想によって最高のさとりを得たと伝えられています。仏教の瞑想法は、真
理にめざめ、真の智慧を体得する行法ですから、仏道修行の基本的かつ最も高度な行法といえるかもしれません。

 

種子観法の種類

密教では、この瞑想法を観法といい、必修の行法として行なわれています。仏の象徴を眼前にして修するのが特徴ですが、その仏の象徴として用いるものの一つに、梵字種子があります。
種子を用いた代表的な観法が[阿息観] です。これは、氷轍(満月)の中にヽ森羅万象の始源とされ大日如来の種子でもある阿(アご字を描いた画像を仏の象徴として用います。またヽ出息、大息するときに、ひたすら阿字を観ずるのを[阿息観]、出息に阿字、大息に吽字を観ずるのを耶牢俳響といいます。

Profound Tetsuri of seeds

Seeds with innumerable meaning and virtue
A symbolic bonko that represents each honor with a single letter is called a seed.
Usually, the seed is Ichiu, which is taken from the name of each honor or the mantra.
It is said that it was named as a seed because it is possible to obtain Buddha’s precious shapes, Buddha’s wisdom, and Satori from the Buddha’s symbol and mantra, which is the symbol of Buddha, just as many fruits can be obtained from the seeds of plants. ..

In this way, the seeds that represent the wild boar have an infinite amount of meaning and virtue, so it is said that if you chant the vue, keep in mind, and copy it, you will get a bodhi promptly.

 

Buddhist meditation

By the way, in ancient India, meditation was one of the practices of Brahmin even before the rise of Buddhism.

Shason is said to have gained the best satori through his meditation. Buddhist meditation is true
It may be said that it is the basic and most advanced practice of Buddhist training because it is a practice of awakening to reason and acquiring true wisdom.

 

Types of seed viewing

In Mikkyo, this meditation method is called observing and is practiced as a compulsory practice. The feature is to repair with the symbol of the Buddha in front of you, and one of the things used as the symbol of the Buddha is the Sanskrit seed.
A typical way of viewing using seeds is [Asukan]. This uses the image of A (the image depicting the Ago character), which is the origin of all things in the ice rut (full moon) and the seed of Dainichi Nyorai, as a symbol of the Buddha. When you do, watching Aji earnestly is called [Abukikan], and watching Aji in breath and Vairocana in Vairocana is called Yajuku Haikyo.

 

l

霊性とはなにか

 

 

霊性(れいせい、れいしょう[1])は、非常にすぐれた性質や超人的な力能をもつ不思議な性質[1]、天賦の聡明さ[2]といった意味の漢語であり、肉体に対する[1][注釈 1]の意味でも用いられる。また、英語: spiritualityスピリチュアリティラテン語: spiritualitas の訳語でもあり[3]スピリチュアリティとも訳され、宗教心のあり方、特にカトリック教会などでの敬虔信仰などの内実やその伝統を指す[4]。カトリック神学用語としての霊性の起源は5世紀に遡るが[3]、神学用語として積極的に用いられるようになったのは20世紀初めのことである[5]。その後、キリスト教用語の枠を越えて広く宗教用語や一般文化用語として用いられている[3]

わたくしは、人間は霊的存在だと考えている。

なぜならば、人間が、特殊な生命形態を持っているからである。

特殊な生命形態とはどういうものか?

 

釈尊の「成仏法」を修行すると、それがよくわかるようになるのであるが、ここは、瞑想によって悟を完成し、仏陀になられた大霊覚者ゴータマ・ブッダ、釈尊の語るところによって、 それを知っていただこう。

中阿含経という釈尊直説の経典で、釈尊はこう語るのである。

中阿含経「黄蘆園経」

しょうじょう

 

我已に是の如き定心を得、清浄にして穢無く煩無く柔軟にして書く

 

不動心を得、宿命 智通を覚りて作証しぬ。我行 有り相貌 有り、本

 

無量の経歴せる所を憶うに、謂く一生・二生・百生・千生・成劫・

 

・無量の成敗劫なり。 彼の衆生某と名づけ、彼昔更に歴ぬ。我曾て彼に

 

生じ、是の如き姓、 是の如き字にして、 是の如く生じ是の如く飲食し、 是の

 

如く苦楽を受け、是の如く長寿し是の如く久しく住し是の如く寿り、此に死して彼に生じ、彼に死して此に生じ、 我生じて此に在り、 是の如き姓、 是の如き字にして是の如く生じ是の如く飲食し、 是の如く苦楽を受け、 是の 如く長寿しの如く久しく住し是の如く寿りぬと。これを我その時初夜に

この第一明達を得と謂い、本放逸無きを以て遠離に楽住し、修行し精懃

謂く無智滅しても智生じ、闇壊れて而も明成り、無明滅して而も明生

じ謂く宿命 智を作証明達しぬ。 また次に梵志、我巳に是の如き定

心を得、清浄にして穢無く煩無く、柔軟にして善く住し不動心を得、 生死智

通を学び作証し、我清浄の天眼の人〔眼」を出過せるを以て、この衆生の

死時生時、 好色悪色、妙と不妙と、善処及び不善処に往来するを見、この衆 ぜんしょ

生の所作業に随いてその如真を見、若しこの衆生身悪 [行)、口・意悪行を

成就し聖人を誹謗し、邪見にして邪見業を成就すれば、彼これに因命終りて必ず悪処に至り地獄の中に生ぜん。 若しこの衆生身妙行、

意妙行を成就し、聖人を誹謗せず、正見にして正見業を成就すれば、 彼 これに因縁して身壊れ、命終りて必ず善処に昇り天中に上生せんと見 る]。 これを我その時中夜にこの第二明達を得と謂い、本放逸無きを以て遠 離に楽し修行精動し、謂く無智滅して而も智生じ、闇壊れて面も明成り、 無明滅して而も明生じ、謂く生死智を作証し明達しぬ。 また次に梵志、 我巳 にの如き心を得、清浄にして穢無く煩無く、柔軟にして善く住し不動心 を得、漏尽智通を学び作証し、我この苦の如真を知り、この苦の習を知り、 この苦滅を知り、この苦滅道の如真を知り、この漏の如真を知り、この漏 習を知り、この滅を知り、この滅道の如真を知り、 我是の如く知 是の如く見、欲漏心解脱し、有漏・無明漏心解脱し、解脱し巳りてすな わち解脱を知り、生巳に尽き梵行巳に立ち所作巳に弁じ、更に有を受けずと 真を知る。これを我その時後夜にこの第三明達を得と謂い、本放逸無きを 以て遠離に住し修行精勤し、謂く無智滅しても智生じ、闇壊れて而も明成り、無明滅して而も明生じ、謂く漏尽智を作証し明達しぬ。

(読下しは「国訳一切経」を参照させていただいた)

わたし(釈尊は、つねに努力精進し、その想いは確立してすこしもみだ れず、体は安楽で動揺せず、心は禅定に入って静かである。 そのわたしがあ るとき、瞑想に入ってしだいに禅定が深まってきた。 第一禅定から第二、第 三、第四禅定まで深まるにつれて、心に想い浮かぶなにものもなくなり、喜 びや楽しみだけとなり、そして遂にはそれもなくなって、ただ清浄な想いだ けとなった。

そのとき、わたしの心は、一点のけがれもなく、清く明るく、絶対不動で あった。そしてわたしの心の眼はおのずから前世の光景に向けられていっ た。それは一生だけではなく、二生、三生、十生、二十生、そして無限の生 生きかわり死にかわりした光景が展開してきた。これが第一の智慧で ある。

 

what is spirituality

 

 

 

Spirituality (reisei, reisho [1]) is a Chinese word meaning such as a mysterious disposition [1] that has a very good nature or superhuman strength, or a natural intelligence [2]. Also used in the sense of spirit[1][note 1]. It is also translated from English: spirituality and Latin: spiritualitas [3], and is also translated as spirituality, which refers to the state of religious mind, especially the reality and tradition of piety and faith in the Catholic Church [3]. Four]. The origin of spirituality as a Catholic theological term dates back to the 5th century[3], but it began to be actively used as a theological term in the early 20th century[5]. Since then, it has been widely used as a religious term and a general cultural term beyond the framework of Christian terminology [3].

I believe that humans are spiritual beings.

This is because humans have a special life form.

What are special life forms?

 

If you practice Shakyamuni’s “Buddha Dharma”, you will come to understand it well, but here is the great enlightened person Gautama Buddha, who achieved enlightenment through meditation and became a Buddha, according to the words of Shakyamuni. I want you to know that.

This is what Shakyamuni says in the Chuagami Sutra, a sutra directly written by Shakyamuni.

Middle Agon Sutra “Orange Garden Sutra”

Shojo

 

I have the determination to write like this, clean and free from pollution and flexibility.

 

Acquire a sense of steadfastness, wake up to your destiny and wisdom, and write a work. There is a book

 

As I remember my countless careers, there are so-called lifetimes, two lives, a hundred lives, a thousand lives, a secular life, and so on.

 

・There are countless successes and failures. Named his sentient beings, he has a long history. to him

 

Born, surname like this, letters like this, birth like this, eating and drinking like this,

 

Like this, I received joys and sorrows, lived like this, lived like this, lived like this, lived like this, lived like this, died like this and was born to him, died to him and was born here, I was born and am here, like this. The family name is written like this, and it is born like this, eats and drinks like this, suffers joys and sorrows like this, lives like this for a long time, and lives like this. I made this on the first night

It is said that this is the first attainment of mastery.

Even if Ignorance disappears, wisdom arises

The so-called destiny wisdom has not been achieved. Next, Bonshi and I have this kind of determination.

Acquire the heart, clean and free from impurities, flexible and well-living, acquire a steadfast heart, and the wisdom of life and death.

By learning the arts and making testimony, I can pass through the eyes of the clairvoyant of purity, so that this sentient being

In death and in life, lecherous and lewd, strange and strange, going back and forth between good and bad, all of this people.

Follow the work of life and see the reality, and if this sentient beings are bad [deeds], mouth / bad deeds

If one succeeds in slandering a sage, blaspheming a sage, and accomplishing a wicked act, he will surely end up in a bad place and be reborn in hell. Young sentient beings perform miracles,

If one achieves a miracle, does not slander a sage, and sees the right view and achieves the right view, one will be broken due to this, and after one’s life ends, one will surely rise to a good place and rise to the heavens]. This is what I call this second enlightenment in the middle of the night. It flickers and then the light arises, and the so-called wisdom of life and death cannot be proved and attained. Next, I will acquire a heart like Bonshi and I, clean and free from impurities, flexible and well-living, gaining an immovable mind, learning the flow of wisdom and writing, and I will know the truth of this suffering. Know this practice of suffering, know this suffering, know this reality of suffering, know this reality of leakage, know this reality of leakage, know this destruction, know this reality of destruction. To know, to know as I am, to see as I am, to be liberated from greed and ignorance, to be liberated from ignorance and ignorance, to be liberated, in other words, to know liberation, to be exhausted in life, and to stand in the spirit of the gods. To speak to the snake, and to know the truth without receiving existence. This is what I call this 3rd Awakening at that time and at night. There is no flicker and then the light arises, and the so-called leaked wisdom cannot be proved and clarified.

(I referred to “Kokuyaku Issaikyo” for reading down)

I (Shakyamuni) is always striving and diligent, his thoughts are firmly established and not disturbed, his body is comfortable and unshakable, and his mind is calm and tranquil. From the first meditation to the second, third, and fourth meditations, the mind ceased to have any thoughts, only joy and pleasure, and finally it ceased to exist. It was nothing but pure thoughts.

At that time, my heart was pure, bright, and absolutely unmoving. And my mind’s eye naturally turned to the scene of my previous life. It was not just one life, but two, three, ten, twenty, and infinite lives, and a scene of life and death unfolded. This is the first wisdom he has.

 

 

 

それからわたしの心は、あらゆる衆生の相に向けられてきた。わたしは超人的な眼力でその相を見た。そこには貴いもの、賤しいもの、美しいもの、醜いもの、幸福なもの、不幸なものの、それぞれの宿業が渦巻いてい た。 これが第二の智慧である。

それからわたしは、苦集滅道の四(四つの真理)をありのままに 知り、わたしの心は、あらゆる存在の相から、全く解放され、ふたたびそれ に執着することはなくなった。これが第三の智慧である。

釈尊は瞑想によって、自分の前生の、二生、 三生、 十生、 二十生、さらには無 限の生涯の生き変わり死に変わりしてきた光景を見ているのである。 それは自 分だけではなく、あらゆる人間の前生と、さらに後有(このつぎの人生)を見て いるのである。

釈尊はここで、決しておとぎ話や、たとえ話寓話をのべているのではない。 釈尊の成仏法を修行すれば、その真実であることがすぐわかる。 その修行により、わたくし自身、人の三、四世代前、そしてつぎの世代における存在までは透 視できるようになっているのである。

人間の生命は、多くの人たちが考えているように、決してひとつの生涯だけで 終わるものではないのである。 ある生涯が終わったら、またひきつづき、つぎの 生命形態に移っていくのである。

多くの人たちはその認識がなく、ひとつの生涯のみで、人の生命は終わるもの と思っている。ここに、決定的な、そして致命的な生命観の欠陥があるのであ

 

霊性とはじつにそれを知る性なのだ。

人の依って来たるところを知り、去るところ、往くところを知る能力である。

 

いわゆる来所を知り、住所を知る智慧である。 これを得れば、人はおのずから、 なにをなすべきか、なにをなさざるべきかがわかってくる、そこから人間の真の 進歩発展がスタートするのである。それがないから、人間は、霊的に少しも進 歩せず、発展せず、いつまでも低いところを輪廻して、無限にさまよい歩いてい

るのである。いや、それだけではない。その果てに、人間は、自分の住む大切な

世界を、自らの手で壊滅させてしまうことになるのである。

この無知を、釈尊は、 「無明」 (avidya) と名づけたのである。

ショウジョウバエの論理

 

「この「無明」という言葉には、二つの意味がある。

まったくの無知と、完全な闇である。

「明」には明知(智慧)と、光明の二つの意味がある。

真実を悟る智慧を持たず、真っ暗闇の中を、手さぐりで歩いている状態であ る。まことに人間はそのとおりではないか。 来たるところを知らず、往くところ を知らず、ただ現在(現生)あるのみである。その現在を、ひたすら目先の利益 追求に狂奔する。その結果、いかなるところに往くのか、いかなる世界に、いか 生命形態として存在することになるのか、まったくお先真っ暗である。 「第三の目」は、このお先真っ暗な闇の世界を見通すのである。「第三の目」に闇はない。 真昼のごとく明らかに見ることができるのである。

奇妙なことに思われるかもしれないが、わたくしは、釈尊の十生、二十生を見 通す力を思うごとに、ショウジョウバエを想い起こすのである。

ショウジョウバエは、その世代が極端に短い。 ふつう、一世代がわずかに約1カ月である。だから、何十世代もの変遷を短時間で見ることができる。

そこで、生物学者や、遺伝学者は、ショウジョウバエを使って、その変化を実 験する。ひとつの遺伝子の変化が、何十世代のうちに、どういう結果を生ずる 目のあたりに知ることができるのである。

釈尊の叡智もそれである。

にょじつ

彼のように、何十世代もの人間の移り変わりを如実に見ることのできる力をそ なえていれば、ひとつの原因が、どのような経過を経て、どのような結果をもた らしたか、つぶさに知ることができる。 彼がじっさいに語っているように、その 人間がなんという名前で、いつ、どこに生まれて、どういう人生を送ったか、ま その人生を終わって、つぎにまたどういう人生を迎えたか、ある生涯のどんな

られている。

行為が、つぎの生涯にどんな結果としてあらわれたか、すべての人間にわたって

知ることができる。これがほんとうのなのである。

仏陀の瞑想から輪廻転生瞑想法へ

さきほどの中阿含経 「黄蘆園経」では、釈尊の瞑想の深まり、生き生きと語瞑想のすべてがここに表現されているといってよい。

二十一世紀という時空のへだたりを飛び越えて、読者よ、じつに、瞑想とはかくのごときものなのだ。ここには瞑想のすべてがある。

この釈尊の体験を、もう少し掘り下げてみよう。

釈尊の瞑想体験には五つの段階がある

ここには、瞑想の深まりとその結果が、じつにあざやかに語られている。

第一の段階

1、つねに一つの目的にむかって精進をつづけることができ、想念が確立してみだれず、

3 からだは安楽で動揺しない。

第二の段階

4、心はいつも定に入って静かである。

第一禅定から第二、第三、第四禅定までしだいに深まっていって、

1、心に想い浮かぶなにものもなくなり、

2、喜びや楽しみだけとなり、

第三の段階

3、ついにはただ清浄な想いだけにみたされ、

4、一点のけがれもなく、清く明るく、絶対不動となった。

つづいて心の眼がひらかれ、

1、自分の前世における光景が展開しはじめる。

第四の段階

2、 それは一生だけでなく、二生、三生、十生、二十生とかぎりなくさか

のぼり、無限の生涯の、生き変わり死に変わりした光景が展開する。

そきゆう

それは生命の根源への遡及であり、第一の智慧の獲得であった。

心の眼はさらに広く深くひろがり、ひとの持つ能力の限界を越えて、過去、現

そして未来へと流れていくあらゆるひとびとのすがたが透視される。

カルマ

それは、存在を規制する宿業の実体の把握であった。

これが第二の智慧の獲得である。

第五の段階

つづいてわたしは、

カルマ

げだっ

1、宿業から解脱する四つの真理を如実に知り、

2、あらゆる存在からの解説と超越を完成した。

それは第三の智慧の獲得であり、「解脱の瞑想」 であった。

いかがであろうか? すばらしい体験だとあなたは思わないだろうか? れが仏陀の瞑想なのである。そうしてだれでも、仏陀の瞑想をすればこういう境 地に達することができるのだ。

だが、そういうと、あなたはいうかもしれない。釈尊のような大天才と、凡人 であるわれわれと、どうしていっしょになるものか、釈尊がそういうすばらしい 体験をしたからといって、それがそのままわれわれに通ずるとはかぎらないの だ。むしろ、鶏のまねをするカラスで、けっきょく、骨折り損のくたびれもうけ ということになるのではないか、と。

そうではないのである。

釈尊とおなじ瞑想をすることにより、われわれもまた彼とおなじ結果に到達す ることが可能なのである。 最初の道を切り開くものは天才でなければならぬ。 し かし、すでに天才の開いた道は、だれでも歩むことができるのである。

 

 

 

 

Since then, My heart has been directed to all aspects of sentient beings. I saw that face with superhuman eyesight. There swirled the karma of the noble, the humble, the beautiful, the ugly, the happy, and the miserable. This is the second wisdom.

degree

After that, I came to know the Four Paths of Suffering and Destruction (Four Truths) as they were, and my mind was completely freed from all aspects of existence, and I never clung to them again. This is the third wisdom.

Through his meditations, the Buddha sees the scenes of his previous lives, which have been transformed into the rebirths and deaths of his second, third, ten, twenty, and even infinite lives. He sees not only himself, but all human beings in their previous and subsequent lives.

The Buddha is not telling fairy tales or parables here. If you practice Shakyamuni Buddha’s Dharma, you will soon find out its truth. Through his training, I have become able to see myself, three or four generations before and even the next generation.

Human life, as many people think, does not end with just one lifetime. After one life is over, one moves on to the next life form.

Many people are unaware of this and believe that human life is over in only one lifetime. Here lies a crucial and fatal flaw in the view of life.

 

Spirituality is the nature of knowing it.

It is the ability to know where people come from, where they leave, and where they are going.

 

It is the wisdom to know the so-called arrival and address. Once people have this, they will naturally understand what they should do and what they should not do, and that is where true progress and development of human beings will begin. Without it, human beings do not make any progress or develop spiritually, and continue to wander endlessly in circles in the low places.

It is. No, that’s not all. As a result, human beings

He will destroy the world with his own hands.

This ignorance is what the Buddha called ignorance (avidya).

Drosophila Logic

 

“The word ‘ignorance’ has two meanings.

Total ignorance and total darkness.

“Ming” has two meanings: wisdom and light.

Lacking the wisdom to perceive the truth, he walks fumbling in pitch darkness. Is it not so with humans? He does not know where he is coming, he does not know where he is going, he is only present. In the present, he is frantically pursuing immediate profit. As a result, where he will go, what kind of world he will exist in, and what kind of life form he will exist in, the future is completely dark. The “third eye” sees through the dark world ahead. There is no darkness in the “third eye”. You can see it as clearly as it is at noon.

Strange as it may seem, every time I think of Buddha’s ability to see through his ten or twenty lives, I think of fruit flies.

Drosophila have an extremely short generation. Usually, one generation is only about one month. So you can see the transition of dozens of generations in a short time.

So biologists and geneticists use fruit flies to experiment with the changes. It is possible to see with one’s own eyes what kind of results a change in one gene will produce in dozens of generations.

So is the wisdom of the Buddha.

Nyojitsu

Like him, if you have the power to see the transitions of dozens of generations of human beings, you will be able to understand how a single cause has led to what kind of process and what kind of result. You can know in detail. As he actually says, what was the name of that person, when and where was he born, what kind of life did he lead, and what kind of life did he end his life, and what kind of life did he face again, a certain life What kind of

It is

Across all human beings, what the result of the action was in the next lifetime

can know. This is the real deal.

From Buddha Meditation to Reincarnation Meditation

It can be said that the deepening of Shakyamuni’s meditation and the lively speech meditation are all expressed here in the Middle Agon Sutra “Huang Roen Sutra” that I mentioned earlier.

Jumping over the 21st-century gap in time and space, dear readers, this is what meditation really is. This is where meditation is all about.

Let us delve a little deeper into this experience of Buddha.

Buddha’s meditation experience has five stages

Here, the depth of meditation and its results are vividly told.

first stage

1. To be able to continue devoting oneself to one purpose at all times, to be able to consolidate one’s thoughts,

3 His body is easy and restless.

second stage

4. The mind is always calm and quiet.

From the first meditation to the second, third, and fourth meditation, it gradually deepens,

1. Nothing comes to mind,

2, only joy and pleasure,

third stage

3. At last filled with nothing but pure thoughts,

4. Not a single point of blemish, clean and bright, absolutely immovable.

Then the eyes of my heart opened,

1. The scene in my previous life begins to unfold.

fourth stage

2. It is not only a lifetime

Ascending, the spectacle of an infinite life, transformed into rebirth and death, unfolds.

sokiyuu

It was a retrospective to the root of life and the acquisition of the first wisdom.

The mind’s eye expands further and further, transcending the limits of one’s ability to see the past and the present.

And all the people flowing into the future are seen through.

karma

It was a grasp of the substance of the lodging that regulates existence.

This is the acquisition of the second wisdom.

fifth stage

I then

karma

Geda

1. Clearly know the four truths that will free you from karma,

2. Completed commentary and transcendence from all beings.

It was the acquisition of the third wisdom, “meditation of liberation”.

What do you think? Isn’t it a wonderful experience for you? This is Buddha’s meditation. So anyone can reach this state by meditating on the Buddha.

But then you might say, How can a great genius like Buddha and ordinary people like us get together? Or rather, a crow imitating a rooster, and in the end he would end up getting tired of his unsuccessful efforts.

It is not so.

By doing the same meditation as the Buddha, we can also reach the same results as he did. A genius must be the one who paves the first path. However, anyone can follow a path that has already been opened by a genius.

○夫の運気を剋害する因縁   ○夫婦縁破れる因縁  ○ Fate that damages husband’s luck ○ Fate that breaks the relationship between husband and wife

ソンディは、その中間にある家族的無意識の層を発見したのである。

つまり、個人と群衆のあいだに「宗族」を発見したのだ。これは、当然、出ずべくして出でたものである。個人

にしても群衆にしても、だれひとりとして「家族」でなかったものはない。とすると、当然そこにひとつの無意識司が存在(または形成)されるはずである。

 では、その無意識層の中に、ゾンデ″はなにを発見したか?

 かれは、「家族的無意識」と名づける無意識層の中に、特殊な抑圧意識を発見したのである。

 それは、ひと口でいうならば、

  「個人のなかに抑圧されている祖先の欲求が、恋愛・友情・職業・疾病および死亡における無意識的選択行動とたって、個人○運命を決定する」

というのである。

 

 ソンディはこういう。

  「恋愛・友情・職業・疾病および死亡における選択の分析にもとづいて、選択の根源はこの家族欲求」

 つまり、ひとの、恋愛、友情、職業、病気、死にかたまで、すべて、それらを決定するのは、そのひとのこころの深奥にひそんでいる祖先の抑圧された意識である、というのである。

 

 これは、個人の運命を形成するこれらの選択行動は、意識的・理性的な考慮の上に立つ決断にょって決定されるのではなく、(もちろん表面的にはそれがなされるが、実際には)選択行動は衝動行為であり、衝動的に選択する無意識的なものによって動かされるのだということである。(ここまではフロイトもほとんどおなじである。フロイトとちがうのは、その衝動が、その宗族-祖先-にふかい関連、かおるというのである

 

 

人はどんな因縁を持つか

 

これから、人の持つ因縁について解説するが、それでは、そういう母縁というものが、どうして人間にあるのか、ここでは、あるからある、というよりほかない。強いて聞かれるならば、それならあなたはどうしてそういう顔をしているのであるか寸9 かれた場合、あなた
は何と答えるか?・ こういう顔をして生まれてきたのだから、こういう顔をしているのである、とでも答えるほかないではないか。原因はともあれ、人間は、それぞれ様々な因縁を持って生まれて来、様々な因縁を持って生きているのである。その因縁という現象を分析、解説
してみよう。理屈は抜きにして、一読するならば、必ず、思いあたることがあろう。卵が先に生じたのか、鶏が先に生じたのか、それを知らなくても、卵を食べ、鶏肉を賞味するにはこと欠かぬのである。詳しくはあとの方で説明する。ここでは、まず、人間が誰でも持っている「因縁」の種類についてのべう。

 

 

夫の運気を剋害する因縁

女性が持つ因縁である。

夫の運気(生命カブを目に見えぬ力で損ね、削る。といっても、必ずしも、日常生活において夫を尻の下に敷いたり、夫を虐待するというのではない。もちろん、そういう場合もないことはないが、前にも書いたように、因縁というものは性格にあらわれる場合と性格にまったくあらわれぬ場合とがある。この因縁の場合もその通りで、むしろこの因縁を持つ女性はマメマメしく夫につかえる良妻賢母型に多いので始末に困る。江戸川柳「次の間で毒が薬を煎じてる」
という句があるが、これは、まさにこの囚縁を持つ女性をズバリと句にしていろものと感心させられる。

この句の意味は、亭主が年中病弱で寝ている、その家をたずねてみると、亭主の寝ている次の部屋で、若い美しい細君が、甲斐々々しく薬を煎じている。しかし実際は、この美しい細君が病身の亭主にとっては毒なのだ、というところから、細君が薬を煎じているのを、毒が薬を、と皮肉っているわけである。

この因縁を持つ女性を妻に持つと、その夫は年中病弱となるか、または仕事がうまくいかず、年中失敗したり、渋滞しがちとなる。生命力を削られるところから、運が非常に悪くなるのである。いかに才能、手腕があろうとも、必ず何か一つの不運につきまとわれる。細君が∵心につかえればつかえるほど、夫の運気が悪くなるのであるから厄介である。

世間によくあることだが、立派な細君を待った夫が、他に女性を作り、その女性よりも細君のほうがはるかに容色も頭もすぐれているので人が不思議がる例がある。これは、細君のほうに、この、夫の運気を剋害する因縁があるために、夫が、生命力自衛の本能から、

どんな因縁を持つか中年になってそういうことがよく起こるのは、もちろん、中年代で経済的に余裕が出来た
り、細君の容色が衰えてきたということも理由の一つにμなるが、根本的には、若いうちは、
夫のほうも生命力がつよいので妻の運気剋害にも平気で耐えられているから、それほど感じ
ないが、年をとるにつれて生命力が弱り、憩いの場が欲しくなってくるのである。
この因縁の強いものをもつ女性が、いわゆる「後家運」と呼ばれるもので、色情の因縁の
ある夫は、前記したように他の女性に逃避し、色情の因縁のない夫は、趣味に逃避したり、
仕事に没頭したりして、冷たい家庭となる。
もし、生命力の弱い夫であったら、死んでしまう。すなわち、後家運と呼ばれる所以である。女性としてしあわせな家庭を持とうと思ったら、まず切らばならぬ因縁である。

○夫婦縁障害の因縁

夫婦縁、結婚生活に障害が起きる因縁である。なんとなくお互いに性格が合わず、年中不満を持ちあってゴタゴタが絶えず、冷たい家庭になる。

または、お互いに愛情はあるのだが、どちらかが病気になって別居をよぎなくされる、とか、仕事の関係で別れ別れに住むことになる。シュウトなどの関係で夫婦仲がうまくいかぬ、など、とにかく、愛情の有無にかかわらず、結果的に夫婦仲がうまくいかない。離婚してしうままうというところまではいかぬが、とにかく、年中その一歩手前までいってゴタゴタしていまう。

 

Fate that damages her husband’s luck

It is a cause that women have.

Husband’s luck (damaging and shaving the life turnip with invisible power, but it does not necessarily mean laying the husband under his hips or abusing him in daily life. Of course, in such cases as well. There is nothing wrong with it, but as I wrote before, there are cases where the fate appears in the character and cases where it does not appear at all in the personality. This is also the case with this fate, and rather the woman with this fate is abusive. It is difficult to get rid of it because there are many good wives and wise mothers who can be used by their husbands. Edogawa Yanagi “Poison is decocting medicine between the next”
There is a phrase, but this impresses me with the phrase “a woman with this prisoner relationship”.

The meaning of this phrase is that the owner is sick and sleeps all year round. When I ask the house, the young beautiful Hosono is brewing medicine in the next room where the owner is sleeping. However, in reality, this beautiful Hosono is poisonous to the sick husband, so it is ironic that Hosono is decocting the medicine and that the poison is the medicine.

Having a woman with this connection as a wife can make her husband sick all year round, or work poorly, failing all year round, and prone to traffic jams. Luck is very bad because of the loss of vitality. No matter how talented or skillful you are, you will always be caught up in one misfortune. The more you can use it in your heart, the worse your husband’s luck will be, which is troublesome.

As is often the case in the world, there are cases where a husband who has been waiting for a fine prince makes another woman, and people are wondering because he is far more brilliant and smarter than that woman. This is because Hosono has a cause to hurt her husband’s luck, so her husband has a vital self-defense instinct.

What kind of connection do you have? Of course, it often happens in middle age that I could afford it economically in the middle age.
One of the reasons is that Hosono’s color has declined, but basically, when he was young,
My husband also has a stronger vitality, so I can tolerate my wife’s luck damage, so I feel so much
No, but as we get older, our vitality weakens and we want a place to relax.
The woman who has this strong connection is the so-called “post-family luck”, which is the cause of sexuality.
One husband escapes to another woman as mentioned above, and a husband who has no sexual relations escapes to a hobby,
Immerse yourself in work and become a cold family.
If you are a husband with weak vitality, you will die. In other words, this is the reason why it is called post-family luck. If you want to have a happy family as a woman, you must first cut it.

○ Fate of marital relationship disorder

It is a cause of disability in marital relationship and marriage. Somehow their personalities don’t match each other, and they are dissatisfied all year round, and they are constantly messing around and becoming a cold family.

Or, although they have a love for each other, one of them gets sick and is forced to live separately, or because of work, they live in a farewell. Anyway, regardless of whether or not you have a love affair, the couple will not get along well because of the relationship such as Shuto. I can’t go to the point where I’m divorced, but anyway, I’m going to get one step closer all year round.