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密教の仏たち 25 弁戝天

弁戝天

 

弁戝天

弁才天(べんざいてん、Sarasvatī[1][2]Sarassatī[2])は、仏教の守護神である天部の一つ。ヒンドゥー教女神であるサラスヴァティーが、仏教に取り込まれた呼び名である。神仏習合によって神道にも取り込まれ、様々な日本的変容を遂げた。

 

日本の弁才天は、吉祥天その他の様々な神の一面を吸収し、インド中国で伝えられるそれらとは微妙に異なる特質をもち、本地垂迹では日本神話に登場する宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視されることが多い。「七福神」の一員として宝船に乗り、縁起物にもなっている。古くから弁才天を祭っていた社では明治初頭の神仏分離以降は、宗像三女神または市杵嶋姫命を祭っているところが多い。瀬織津姫が弁才天として祀られる例もあるが少ない。

金光明最勝王経』における弁才天は、金光明経を人に説いたり、他者から聞く者に智慧、長寿、富を与えるとされる[1]弁天(べんてん)または弁天さんとも言われ、弁才天(弁財天)を本尊とする堂宇は、弁天堂・弁天社などと称されることが多い。

 

真言・種子編集

  • オン・ソラソバテイエイ・ソワカ (弁才天呪)[8]
    • Oṃ sarasvatyai svāhā.[8]
  • オン・ウカヤジャヤギャラベイ・ソワカ (宇賀神呪)[9]

種子(種子字)はस(ソ[9]sa[9])、उ(ウ、u),ह्रीं(キリーン、hrīṃ)[10]

 

 

密教の仏たち 19 大黒天

大黒天

 

大黒天

大黒天(だいこくてん、Mahākāla[1]、[マハーカーラ]、音写:摩訶迦羅など)とは、ヒンドゥー教シヴァ神の異名であり、これが仏教に取り入れられたもの[1]七福神の一柱

 

ヒンドゥー教シヴァ神の化身であるマハーカーラは、インド密教に取り入れられた。“マハー”とは(もしくは偉大なる)、“カーラ”とはあるいは(暗黒)を意味するので大黒天と名づく。その名の通り、青黒い身体に憤怒相をした護法善神である。

 

歴史編集

日本には密教の伝来とともに伝わり、天部と言われる仏教の守護神達の一人で、軍神・戦闘神、富貴爵禄の神とされたが、特に中国においてマハーカーラの3つの性格のうち、財福を強調して祀られたものが、日本に伝えられた。密教を通じて伝来したことから初期には主に真言宗天台宗で信仰された。インドでも厨房・食堂の神ともされていたが、日本においては最澄が毘沙門天弁才天と合体した三面大黒を比叡山延暦寺の台所の守護神として祀ったのが始まりという。後に大国主神と習合した。室町時代になると日蓮宗においても盛んに信仰された。「大黒さん」として親しまれている。

偉容編集

本来の像容は、一面二臂、青黒(しょうこく)か黒色で忿怒(いかり)の相で表現される。『大黒天神法(嘉祥寺神愷記)』には、烏帽子・袴姿で右手の拳を腰に当てて、左手で大きな袋を左肩に背負う厨房神・財神として描かれている[2]。この袋の中身は七宝[3]が入っているとされる。

  • 胎蔵生曼荼羅での大黒天は、シヴァとその聖なる白牛ナンディン(白い水牛が中国や日本で認識されずに、山羊や兎の姿で誤描写)を降伏させている立像で身の丈は通常は五尺である。

ほとんどが一面だが、上述のように毘沙門天・弁才天と合体した三面六臂の大黒天も作られた。

 

歴史編集

日本には密教の伝来とともに伝わり、天部と言われる仏教の守護神達の一人で、軍神・戦闘神、富貴爵禄の神とされたが、特に中国においてマハーカーラの3つの性格のうち、財福を強調して祀られたものが、日本に伝えられた。密教を通じて伝来したことから初期には主に真言宗天台宗で信仰された。インドでも厨房・食堂の神ともされていたが、日本においては最澄が毘沙門天弁才天と合体した三面大黒を比叡山延暦寺の台所の守護神として祀ったのが始まりという。後に大国主神と習合した。室町時代になると日蓮宗においても盛んに信仰された。「大黒さん」として親しまれている。

偉容編集

本来の像容は、一面二臂、青黒(しょうこく)か黒色で忿怒(いかり)の相で表現される。『大黒天神法(嘉祥寺神愷記)』には、烏帽子・袴姿で右手の拳を腰に当てて、左手で大きな袋を左肩に背負う厨房神・財神として描かれている[2]。この袋の中身は七宝[3]が入っているとされる。

  • 胎蔵生曼荼羅での大黒天は、シヴァとその聖なる白牛ナンディン(白い水牛が中国や日本で認識されずに、山羊や兎の姿で誤描写)を降伏させている立像で身の丈は通常は五尺である。

ほとんどが一面だが、上述のように毘沙門天・弁才天と合体した三面六臂の大黒天も作られた。

以上のような憤怒相は鎌倉期の頃までで、これ以降、大国主神と習合して現在のような柔和相で作られるようになるが、まれに観世音寺福岡県)にある大黒天立像のように憤怒相の像も見られる。

真言

  • おん まかきやらや そわか

 

日本においては、大黒の「だいこく」が大国に通じるため、古くから神道である大国主と混同され、習合して、当初は破壊と豊穣の神として信仰される。後に豊穣の面が残り、七福神の一柱の大黒様として知られる食物・財福を司る神となった。室町時代以降は「大国主命(おおくにぬしのみこと)」の民族的信仰と習合されて、微笑の相が加えられ、さらに江戸時代になると米俵に乗るといった現在よく知られる像容となった。現在においては一般には米俵に乗り福袋打出の小槌を持った微笑の長者形で表される。

袋を背負っているのは、大国主が日本神話で最初に登場する因幡の白兎の説話において、八十神たちの荷物を入れた袋を持っていたためである。また、大国主がスサノオの計略によって焼き殺されそうになった時にが助けたという説話(大国主の神話#根の国訪問を参照)から、鼠が大黒天の使いであるとされる。

春日大社には平安時代に出雲大社から勧請した、夫が大国主大神で妻が須勢理毘売命(すせりひめのみこと)である夫婦大黒天像を祀った日本唯一の夫婦大國社があり、かつて伊豆山神社(伊豆山権現)の神宮寺であった走湯山般若院にも、像容が異なる鎌倉期に制作された夫婦大黒天像が祀られていた(現在では熱海の古屋旅館に存在する)。

大黒と恵比寿編集

日本一大きいえびす、大黒の石像は舞子六神社にあり商売繁盛の神社とされている。

大黒と恵比寿は各々七福神の一柱であるが、寿老人と福禄寿が二柱で一組で信仰される事と同様に、一組で信仰されることが多い。神楽などでも恵比寿舞と大黒舞が夙(つと)に知られ、このことは大黒が五穀豊穣の農業の神である面と恵比寿が大漁追福の漁業の神である面に起因すると考えられている。また商業においても農産物や水産物は主力であったことから商売の神としても信仰されるようになっていった。

 

 

密教の仏たち 15 般若菩薩

 

般若菩薩

仏教用語般若(はんにゃ)とは、サンスクリット語प्रज्ञाprajñāプラジュニャー)、パーリ語पञ्ञाpaññāパンニャー)に由来し、全ての事物や道理を明らかに見抜く深い智慧のこと[1]

『般若心経』(はんにゃしんぎょう)、正式名称『般若波羅蜜多心経』(はんにゃはらみったしんぎょう、प्रज्ञापारमिताहृदयPrajñā-pāramitā-hṛdaya、プラジュニャーパーラミター・フリダヤ)は、大乗仏教の空・般若思想を説いた経典で、般若経の1つともされる。僅か300字足らずの本文に大乗仏教の心髄が説かれているとされ、複数の宗派において読誦経典の一つとして広く用いられている。 — ウィキペディア日本語版般若心経」より。

 

密教の仏。14 馬頭観音

馬頭観音

 

観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、いわゆる「六観音」の一尊にも数えられている。観音としては珍しい忿怒の姿をとる。

梵名のハヤグリーヴァは「馬の首」の意である。これはヒンドゥー教では最高神ヴィシュヌの異名でもあり、馬頭観音の成立におけるその影響が指摘されている[2]。 他にも「馬頭明王」、「大持力明王」など様々な呼称がある。衆生の無智・煩悩を排除し、諸悪を毀壊する菩薩である。「師子無畏観音」ともいう。

他の観音が女性的で穏やかな表情で表されるのに対し、一般に馬頭観音のみは目尻を吊り上げ、怒髪天を衝き、牙を剥き出した憤怒(ふんぬ)相である。このため、密教では「馬頭明王」と呼ばれて仏の五部で蓮華部の教令輪身(きょうりょうりんじん)であり、すべての観音の憤怒身ともされる[3]。それゆえ柔和相の観音の菩薩部ではなく、憤怒相の守護尊として明王(みょうおう)部に分類されることもある。

また「馬頭」という名称から、民間信仰では馬の守護仏としても祀られる。さらには、馬のみならずあらゆる畜生類を救う観音ともされていて、『六字経』を典拠とし、呪詛を鎮めて六道輪廻の衆生を救済するとも言われる「六観音」においては、畜生道を化益する観音とされる。

 

経典によっては馬頭人身の像容等も説かれ、胎蔵界曼荼羅にも描かれるが、日本での仏像の造形例はほとんどない。立像が多いが、坐像も散見される。頭上に馬頭を戴き、胸前では馬の口を模した「根本馬口印」という印相を示す。剣や斧、棒などを持ち、また、蓮華のつぼみを持つ例もある。剣は八本の腕のある像に多い。

 

真言・三昧耶形・種子・手印編集

真言

  • おん あみりと どはんば うんはった そわか[11]
  • おん あみりとどはば うん はった (天台宗系) [12]
  • Oṃ amṛtodbhava hūṃ phaṭ [13]

三昧耶形

  • 「白馬頭」。
  • 「碧馬頭」[14]
  • 三角形の中の「棍棒」。

種字

  • हूं (ウーン、hūṃBonjiHuum2.png[11]または हं(カン、haṃ)Bonji-Ham.png[15][16]

  • 「馬頭観音印」[11]

馬頭観音

動物達の守護仏であり、怒りの形相で悪を粉砕する観音菩薩

馬頭観音(ばとうかんのん)とは?

ヒンドゥー教の最高神・ビシュヌが馬の頭に変化して敵を倒したとされる神話を起源とされています。

 

他の観音様は女性的な美しい表情であることが多いですが、馬頭観音は憤怒の形相で表され、馬頭明王と呼ばれることもあります。怒りの激しさによって苦悩や諸悪を粉砕し、馬が草を食べるように煩悩を食べ尽くし災難を取り除くとされています。

 

六観音の一つに数えられ、畜生道に迷う人々を救済します。また家畜の安全と健康を祈ったり、旅の道中を守る観音様として信仰されました。昔は武家や農民にとって、馬は生活の一部となっており、馬を供養する仏としても信仰されました。レース中の事故で亡くなった馬を供養するために、競馬場の近くにもよく祀られています。

ご利益

無病息災、動物救済、厄除け、旅行安全のご利益があるとされています。

馬頭観音(ばとうかんのん)の像容

忿怒形で表現されます。頭の上に馬の頭を冠のように乗せていますが、これは衆生の煩悩を食い尽くすことを表現しています。3面や4面のお顔に2本の腕や8本の腕など様々な姿があります。また、人差し指と薬指を伸ばして中指を折る馬口印(ばこういん)を結んでいます。手には煩悩を打ち砕く剣や斧、棒を持っている姿が多いです。

有名寺院と

明密教の仏たち 12 如意菩薩

如意菩薩


如意輪観音(にょいりんかんのん、Cintāmaṇicakra[1]、チンターマニチャクラ)は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つであり、六観音の一尊に数えられる。

 

三昧耶形如意宝珠、紅蓮華。種字はキリーク(ह्रीः、hrīḥ)[2]

 

  • オン・バラダハンドメイ・ウン[2]
  • オン・ハドマ・シンダマニ・ジバラ・ウン[3]

如意とは如意宝珠(チンターマニ)、輪とは法輪(チャクラ)の略で、如意宝珠の三昧(定)に住して意のままに説法し、六道の衆生の苦を抜き、世間・出世間の利益を与えることを本意とする。如意宝珠とは全ての願いを叶えるものであり、法輪は元来古代インドの武器であったチャクラムが転じて、煩悩を破壊する仏法の象徴となったものである。六観音の役割では天上界を摂化するという。

 

 

 

密教の仏たち 8 大せいし菩薩

 


勢至菩薩(せいしぼさつ)、梵名マハースターマプラープタ (महास्थामप्राप्त [mahāsthāmaprāpta])は、仏教における菩薩の一尊。「大勢至菩薩」、「大精進菩薩」、「得大勢菩薩」の別名がある。現在日本では年の守り本尊、十三仏一J周忌本尊として知られている。三昧耶形は未敷蓮華(ハスの蕾)。種子(種子字)はサク(सः saḥ)。

 

 

勢至菩薩
せいしぼさつ

大乗仏教における菩薩の名。サンスクリット語でマハースターマプラープタMahāsthāmaprāpta(偉大な勢力を得たもの)といい、大(だい)勢至、得(とく)大勢などと訳し、その名が勢至である。観世音(かんぜおん)菩薩とともに阿弥陀(あみだ)仏の脇侍(わきじ)(脇に随侍するもの)とされる。智慧(ちえ)の光をもってすべてのものを照らし、もろもろの苦難を離れさせ、無上なる力を得させるので、この名があるという。阿弥陀三尊の一つとして広く尊崇されたが、対比される観世音菩薩の信仰に比べるとそれほど盛んではない。形像は、普通、肉髻(にくけい)(頭頂の肉の隆起)に宝瓶(ほうびょう)を頂き、合掌や来迎印(らいごういん)の姿で示されているが、密教では手に蓮華(れんげ)を持つなど種々あり一定していない。

密教の仏たち 3 宝生如来

宝生如来(ほうしょうにょらい、रत्नसम्भव [ratnasambhava]、ラトナサンバヴァ

 

 

三昧耶形三弁宝珠種子(種子字)はत्राः(タラーク、trāḥ)。

密教における金剛界五仏の一で、金剛界曼荼羅では大日如来の南方(画面では大日如来の向かって左方)に位置する。唯識思想における仏の悟りの境地のひとつ「平等性智」(びょうどうしょうち)を具現化したものである。これは、全ての存在には絶対の価値があるということを示す。 印相は、左手は腹前で衣を掴み、右手は手の平を前に向けて下げる「与願印」(よがんいん)を結ぶ。

 

オン・アラタンノウ サンバンバ・タラク (oṃ ratnasambhava trāḥ

 

宝生如来(ほうしょうにょらい)とは?

語源は「宝よりうまれたもの」を意味し、財宝を生み出し人々に福徳を授けるといわれています。一切の垣根を取り払い、あらゆる全ての現象・事物を平等に観るという意味で「平等性智(びょうどうしょうち)」と呼ばれる智慧を具現化した仏です。

 

密教における大日如来の5つの智慧を表す五智如来の一尊です。

ご利益

病気治癒、無病息災、滅罪の功徳があるとされています。

宝生如来(ほうしょうにょらい)の像容

左手は衣服の端を握り、右手は手の掌を前に向けて下げる与願印(よがんいん)を結んでいます。願いを聞き入れ、望むものを与えようとする身振りを表しています。宝生如来の単独の造像はほとんどありません

 

 

 

日本の密教  2  Japanese Esoteric Buddhism 2

日本の密教

密教の伝来

日本で密教が公の場において初めて紹介されたのは、から帰国した伝教大師最澄によるものであった。当時の皇族や貴族は、最澄が本格的に修学した天台教学よりも、現世利益を重視する密教、来世での極楽浄土への生まれ変わりを約束する浄土教念仏)に関心を寄せたが、天台教学が主であった最澄は密教を本格的に修学していたわけではなかった。

本格的に日本へ伝来されることになるのは、唐における密教の拠点であった青龍寺において密教を本格的に修学した空海(弘法大師)が806年に日本に帰国してからであった。日本に伝わったのは中期密教で、唐代には儒教の影響も強かったので後期密教はタントラ教が性道徳に反するとして唐では受け入れられなかったという説もある[注 5]

天台宗の豪潮律師[注 6]長崎出島で中国僧から直接、中国密教と「出家戒」や、大系的な戒律である小乘戒・大乘戒・三昧耶戒を授かり、時の光格天皇の師として尊敬を集めるとともに、南海の龍と呼ばれた尾張・大納言齊朝候の庇護を受け、尾張と江戸で「準提法」(准胝観音法)を広めて多くの弟子を養成した。豪潮の残した資料の一つ『準提懺摩法 全』は明代の中国の資料と内容が一致する。この時期、戒律復興運動で有名な人物としては、「如法真言律」を提唱し、生涯において三十数万人の僧俗に灌頂と授戒を行なった霊雲寺浄厳覚彦と、「正法律」を唱えた慈雲が挙げられる。

密教の宗派[編集]

日本の密教は霊山を神聖視する在来の山岳信仰とも結びつき、修験道など後の「神仏習合」の主体ともなる。熊野で修行中の山伏

日本密教の伝統的な宗派としては、空海が唐の青龍寺恵果に受法して請来し、真言密教として体系付けた真言宗即身成仏鎮護国家を二大テーゼとしている)と、最澄によって創始され、円仁、円珍、安然らによって完成された日本天台宗の継承する密教に分類される。真言宗が密教専修であるのに対し、天台宗は天台・密教・戒律・禅の四宗相承である。真言宗は東密とも呼ばれ、日本天台宗の密教は台密とも呼ばれる。東密とは「東寺(教王護国寺)の密教」、台密は「天台宗の密教」の意味である。この体系的に請来されて完成された東密、台密を純密(じゅんみつ)というのに対し、純密以前に断片的に請来され信仰された奈良時代に見る密教を雑密(ぞうみつ)という。

日本の密教は、空海、最澄以前から存在した霊山を神聖視する在来の山岳信仰とも結びつき、修験道などの「神仏習合」の主体ともなった。各地の寺院権現に伝わる山岳曼荼羅にはそれらや浄土信仰の影響が認められる。

 

 

空海(くうかい、774年宝亀5年〉- 835年4月22日承和2年3月21日〉)は、平安時代初期の弘法大師(こうぼうだいし)の諡号で知られる真言宗の開祖である。俗名佐伯 眞魚(さえき の まお[1][2]

日本天台宗の開祖最澄と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭(へきとう)に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。

仏教において、北伝仏教の大潮流である大乗仏教の中で、ヒンドゥー教ゾロアスター教の影響も取り込む形で誕生・発展した密教シルクロードを経て中国に伝わった後、中国で伝授を受けた奥義や経典・曼荼羅などを、体系立てた形で日本に伝来させた人物でもある。