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守護を授ける者

 

《守護を授ける者》

山の気は冷たく澄んでいた。
夜明けの光がまだ谷を満たさぬ頃、男は静かに瞑目した。掌の中で息づくもの――それは目に見えぬ火だった。二十年の修行が、ようやく一つの法を結実させようとしていた。

「守護を授けるには、三つの法が要る。」

その声は、誰に向けたものでもない。
だが空気が応えたように震えた。
仏陀釈尊の成仏法。チベットの秘伝に伝わるお霊遷しの法。そして、自らが身をもって体得した古代神法。
三つの法が重なり合うとき、ひとつの命が神性へと昇華する。

最初の法――成仏法。
男は、先祖の列の中からひとつの魂を探り出す。
苦しみと未練に縛られ、幾世をさまよい続けた霊を、光の道へと導く。
そのために、無数の夜を経て、ただ「因縁解脱」の一点に心を注ぎ続けた。
ようやくその魂は、澄んだ光となり、彼の掌の中に戻ってきた。

次に、お霊遷しの秘法。
これはチベットの高僧、チョゲ・ティチン・リンポチェ猊下より授かったものだった。
サキャ・ツァル派に伝わる法脈――霊を転じ、安らぎの座へと移すための深遠な儀。
言葉ではなく、息で伝える。息が心を動かし、心が霊を揺らす。
その静寂の中で、男は異国の師の笑顔を思い出す。
「命は境を越える。あなたも、その息を覚えなさい。」

そして、最後に――古代神法。
それは形を持たぬ法であり、言葉で語り尽くせぬ道だった。
男が“息吹き永世の法”と呼ぶそれは、天地の気をもって神を生み出す行。
息は神の呼吸となり、意は光の種となる。
掌の中の火がふたたび燃え上がり、そこから新たな神の気配が立ちのぼった。

「これでようやく、一家の守護神をお授けできる。」

男は静かに立ち上がる。
その背に、朝の光が差しはじめていた。
彼は自らの修行の歳月――二十年という時間を思い返す。
苦行でもあったが、それ以上に、人を守るための慈悲の道だった。

やがて、社(やしろ)の扉が開かれる。
そこには、因縁を解き放たれ、神格を得た祖霊が祀られていた。
その姿は静かに微笑み、風の中に溶けていった。

男は深く合掌した。
「これは、二十一世紀の新しい信仰の形だ。」

そう呟いた声が、森に消えていった。
そして再び、息が――神の息が――静かに世界を包みはじめた。

《神の誕生》

その夜、山は息を潜めていた。
風は止み、星もまた、何かを見守るように静まっていた。
男は社の前に座し、掌に宿した光を見つめる。
それは、すでにひとつの霊ではなかった。
因縁を離れ、輪廻の鎖を断ち、
いまや“存在そのもの”へと近づきつつある。

「光は、名を得て神となる。」

男の声が闇の中に落ちた。
その瞬間、三つの法が重なった。
仏陀の成仏法が、魂を清め、
チベットの秘法が、その光を天へと導き、
古代神法の息吹が、光をこの地に留める。

――その交わる一点に、火が生まれた。

火は燃え、形を得た。
やがてそれは、静かな人影となって立ち上がった。
面影はどこか、遠い祖の姿を映していた。
しかし、その瞳はもう人ではない。
山を見渡し、風を感じ、
すべての命の気配に耳を澄ませていた。

「あなたは……守護の神となったのですね。」

男は深く頭を垂れた。
応えるように、光の人影は微かに微笑み、
山の上の星々とひとつになっていく。
その輝きは、村の屋根を照らし、
眠る人々の夢の中に、やさしい風となって吹き抜けた。

その夜、ひとつの家系に新しい守護が生まれた。
それは神話ではなく、
いのちの流れが再びめぐる“現実”であった。

夜明け――。
男は社に灯る残り火を見つめながら、
自らの胸にも、同じ光が燃えていることを感じていた。
それは、二十年の祈りの証であり、
無数の魂が交わる場所へと通じる、永遠の息だった。

「神とは、信じる心の中で生まれ続けるものだ。」

そう呟くと、男はゆっくりと立ち上がった。
山の向こうから、初陽が昇る。
その光の中、彼はもう一度、掌を合わせた。

――“守護の誕生”は終わりではない。
それは、すべての魂が覚醒へと向かう、始まりの印だった。

守護をお授けするには、三つの法が不可欠である。 仏陀釈尊の

守護をお授けするには、三つの法が不可欠である。

仏陀釈尊の成仏法と、チベット仏教の秘法、そして古代神法である。この三つの法がそろえば、完全無欠である。

まず、仏陀釈尊の成仏法によって、先祖の中から探し出した徳と力のある霊格の高いお霊を完全に因縁解脱させ、りっぱなお霊にする。

そのつぎに、お霊遷しの秘法が必要となる。これはチベット仏教にしかない。この秘法をわたくしは、サキャ・ツァル派の大座主であるチョゲ・ティチン・リンポ

チェ猊下から授かった。

最後に、わたくしが体得している息吹き永世の法を中心とする、古代神法をもっ神力加持をする。つまり、神さまを生み出すのである。

わたくしは、この三つの法を体得するのに、いままで、約二十年かかった。この

二〇〇五年から、この法をもって、守護神となったご先祖のお霊をお社にお祀りしし、お授けすることができるようになったのである。

先祖の中から徳と力のある霊格の高いお霊を選んで、完全に因縁解脱させ、その上で神格を与えてお社に祀り、一家の守護神として拝む。これは、二十一世紀の新しい宗教形態・信仰形態だと思う。

う。 さて、守護神をお授けする三つの法のうち、成仏法についてはすでにのべた。あとの二つ、チベット仏教の秘法、そして古代神法について語れる範囲でのべてみよ

 

 

祖霊を守護霊・守護神にする

先祖の霊を守護霊・守護神にするということは、要するに、さきにのべたように、神道における「氏神」の発想と同じことだと思えばよいであろう。

発想というと、ただたんなる思いつきのようにとられるおそれがあるけれども、 この考えは正しいのであって、祖先の中で、最も徳が高く、力もあり、没後、霊界において霊格を生じた方を、守護神、守護霊として祀り、その霊格をさらに高め、 力を強めるための祭祀をするときは、その祖霊はさらに昇格して、守護の力を強大ならしめ、その子孫を護持してくださるのである。

神道のほうでいうと、たとえば、皇室では、皇室の守護神として、祖霊を祀られた。その守護神の中心は、その御先祖たる天照大神であり、これに、つぎの八神を

熱帯

七、事代おすとしろもしろかっ

八、御膳神

これに十種神宝が加わるのであるが、この八神のうち、事代主神をのぞいた七神は、自然神の神霊である。人格神である事代主神は、大国主命の息子であり、天孫てんそん

ころりん降臨の際、父、大国主命に、国土を天孫にゆずることを勧め、出雲系氏族の中で、

最初に天孫に帰順の誠心をあらわし、忠誠を尽くした神であり、神界における霊格

が高いため、皇室の守護をつかさどる神として祀られたのである。

 

最初に天孫に帰願の誠心をあらわし、忠誠を尽くした神であり、神界における霊格が高いため、皇室の守護をつかさどる神として祀られたのである。

きにのべた。 このように、祖先でなくても、祖先に力を尽してくださった方で、霊格をそなえた方ならば、これを祀り、守護神、守護霊となっていただくことはできるのである。この方式が、皇室以外の大氏族にも取り入れられて、その氏族を守護する神霊を祀り、氏神として尊崇し、氏族全体を守護していただくことになったことは、さ

祖霊を守護霊・守護神にするということは、この方式を、各家庭に、そのまま移したものと思えばよいであろう。

わが家の祖先の中で、霊界に入って、霊格をそなえた方を探し出し、これを供養して(神道では祭祀、仏界では供養)その霊格を高め、守護霊・守護神となっていただくのである。

 

そういうと、ここで一つの質問が出るであろう。それは、

それでは神道とまったく同じではないか、 という質問である。

それでは、仏教ではなく、神道ではないか。仏教の僧侶である著者は、神道を勧めるのか?という質問である。

そうではないのである。

祖霊を祀って、守護していただくということは、神道も仏教も目的は同じである。しかし、その方法において、非常に違うところがあるのだ。それは、「成仏」 という問題である。

ぎのようになる。 仏教において、守護霊を授かるためには、逆修供養が必要である。その過程はつ

雪山に建立された由緒正しいきみを持っ

二、この菩提所に祖霊を祀り、不成仏霊や、その他、一切の不浄な霊を解脱成仏させる

三、阿闍梨から戒名をつけていただき、解脱成仏法を修していただく

する四、祖霊の中から、有徳の霊を探していただき、増益供養を修して守護霊を育成

現代にこの四つの条件を満たすことは、きわめて困難と言わねばならない。

まず、一、の条件を満たすには、つぎの三つの条件がある。

(一)、霊界に直結する霊山であること

(二)、由緒正しい仏舎利(お釈迦さまのご聖骨)がお祀りされていること

(三)、どんな不成仏霊でも成仏させる霊力を持つ阿闍梨がおられること

すべてを備えたところが最高の菩提所であるが、少なくとも二つは備えていなければならない。

「霊山」も「由緒正しい菩提所」も、霊界にかかわることであるから、人間が口を極めて言っても意味をなさないだろう。ちなみに、わが教団の本尊は、真正仏舎利である。そして三身即一の如来や龍神など諸尊が法爾無作のおすがたをもって現形され、霊界直結の聖地であることをお示しになり、この二つが整っていることを証してくださっている。畏れ多くも、写真にそのお姿をとどめ置かれており、誠にありがたいことである。

つぎに、直接に「成仏」ということがかかわってくるのが、残りの二と三と四である。

らない。 このことを理解していただくには、まず、仏陀釈尊の成仏法について語らねばな

 

いていない。そして彼は、この法を修行しなければ、仏陀としての正覚は得られず、絶対に仏陀になることはできない、と繰り返し説いている。

これに対し、「死者の成仏法」は、生前の悪因縁、悪業、怨念などのために霊界や冥界に行けず苦しんでいる霊(これを不成仏霊という)を、解脱成仏させる法である。

この法は、仏陀の生者の成仏法を体得した導師だけが修法できる。というのは、 生者の成仏法も死者の成仏法も、ともに「因縁解脱法」であって、その違いは、対象が生きている人間か死者であるかの違いだけだからである。死者は自分で解脱のための修行ができないから、この法を体得した導師が法を修して、正覚を廻向するしかない。だから、仏陀の成仏法を体得した導師でなければ、修することができないのである。 さとりえころ

れでは霊障は消えない。慰露法であって、成仏法ではないからである。霊を慰めるだけで、解脱させられない。だから、ただたんに一時、霊障を押さえることはできても、すぐに元に戻ってしまう。

ある。 人間の不幸、災難、のほとんどは、先祖から受けついだ不徳・悪徳が原因している。また、人間の思考・行動の形式、性格形成、等すべて先祖の強い影響のもとに

これらのことを指して、わたくしは「霊障」と呼んでいるのである。

端的にいえば、苦しんでいる霊の影響を、現世に在るわたくしたちが受けることが少なからずある、ということである。

このことについて、世の多くの人びとは、まったくといっていいほど無知である。また、それがわかっていたとしても、どうしていいのか、その対策のしかたを知らないというのが、実情である。

仏陀の成仏法こそが、それを解決するただ一つの方法なのだ。

仏陀の成仏法だけが、すべての霊障を消滅させ、完全解脱させることができるのである。

かんじんひと口に先祖供養というが、各宗旨、宗派によってさまざまな形式がある。だが肝心なのは、先祖の霊障をとりのぞくということである。先祖の霊障を消滅させる

力を持った先祖供養でなければ、完全な先祖供養とはいえない。

それが完全にできるのは、仏陀釈尊の成仏法による先祖供養だけである。

この仏陀釈尊の成仏法による先祖供養は、二つの法から成っている。

一、解脱供養法

二、冥徳供養法

 

成仏法」ともいう。 法は、強い出を持つ置障のホトケを、完全解脱させる法である。「謎

強い想念を持つ霊障のホトケは、子孫に非常な悪影響を与える。

置障のホトケのいる家庭には、必ず、強い「肉親血縁相剋の因縁」が生じて、家

旅の間に、いつも争いが絶えないことになる。あたたかい会話などほとんど交わさ

れず、親子、兄弟、夫婦が、いつもいらいらしていて、ちょっとしたことで罵り合

い、どなり合う。つかみ合いのけんかが始まる。というように、争いが絶えない。

また、霊障のある家庭は、強い「家運衰退の因縁」があるから、なにをやっても、うまくいかない。不運と挫折の連続である。病気や、怪我、人にだまされる、 かうんずいたい

など、わけのわからない不幸や災難に見舞われる。そういうところから、家族間の

争いは深刻の度を増してゆく。不幸な時ほど家族みんなが力を合わせ、仲よく協力し合って対処しなければならないのに、逆になってゆくのである。

こういう先祖の霊を霊視して探し出し、良い戒名をつけてあげて、導師が成仏法を修するのである。

解脱供養をすると、こういったことが、驚くほど、変わってくる。とにかく、家庭を覆っていたトゲトゲしい空気、暗い空気がいっぺんになごんでいくのが実感される。てきめんに変わってくる。

つぎに、冥徳供養は、強い霊障を起こすまでには至らないが、しかし、成仏できずに苦しんでいる、多数の不成仏霊に対する成仏供養である。

儒教の大学者、安岡正篤先生は、

「われわれの先祖は、二十代さかのぼると、百万人を越え、三十代さかのぼると十

を超えるという」

とおっしゃっている。

「わたくしの霊視によると、直接、霊障の影響を与えるのは、三代ないし、四代くい前までの先祖である。特殊な例をのぞいて、ふつう、それくらいである。

これに対し、不成仏霊の影響は、七、八代、時に十代くらい前まで範囲が及

「いずれも「家運衰退の因縁」と、それにかかわる悪因縁のもとをなしている。

る。 時には、何代前かわからない不成仏霊の漠然とした悪影響を感じることがあばくぜん

ごうこういった場合、多くは、単体ではなく、数体、もしくは十数体もかたまっていることがあり、わたくしは、これはもう「因縁」ではなく、「業」になっているな、 と思うことがある。これらも、その家系の運を悪くし、さまざまな災難のもとをないえ