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あしゅくによらい 阿閦如来

あしゅくによらい

阿閦如来

阿閦如来

「阿囚」とは梵名のアクショービヤ (Akşobhya) を音写したものです。なにごとにも揺り動かされない、真の自己確立の徳を象徴する如来です。

昔、大目如来の説法を聞きさとりを求めようと一念発起した比丘が、その後、瞋恚(いかり)に心を動かされることがなかったことから、阿閦菩薩と呼ばれました。この菩薩はさらに修行を重ね、 さとりを成就して阿閦如来となり、現在も説法を続けているといわれています。

尊像では、触地印(降魔印)を結んでいます。 釈尊が菩提樹の下で瞑想中に、いろんな悪魔が邪魔をしました。そこで釈尊が右手を伸ばして大地に接すると、稲妻がひかり雷鳴が轟いて悪魔は退散したと伝えられています。このことから触地印は釈迦成道の印であり、何固如来は釈尊の降魔成道の姿とされています。

13仏

13仏
不動明王(ふどうみょうおう)
のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
二、釈迦如来(しゃかにょらい)
のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
三、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
おん あらはしゃ のう
四、普賢菩薩(ふけんぼさつ)
おん さんまや さとばん
五、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
おん かかかび さんまえい そわか
六、弥勒菩薩(みろくぼさつ)
おん まい たれいや そわか
七、薬師如来(やくしにょらい)
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
八、観音菩薩(かんのんぼさつ)
おん あろりきゃ そわか
九、勢至菩薩(せいしぼさつ)
おん さんざんさく そわか
十、阿弥陀如来(あみだにょらい)
おん あみりた ていせい から うん
十一、阿閦如来(あしゅくにょらい)
おん あきしゅびや うん
十二、大日如来(だいにちにょらい)
おん あびらうんけん ばざら だとばん
十三、虚空蔵菩薩(こうくうぞうぼさつ)
のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか13しん

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勢至菩薩

勢至菩薩

 

勢至菩薩

梵名マハースターマブラーブタ (Mahāsthā -maprāpta)を大勢至、あるいは得大勢と訳し、それを略して「勢至」といいます。

その名のとおり、大勢力をもって修行者を守り、 阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを妨げる悪神の力を砕くとされています。

また、その智慧の光は一切を照らし、三途(地獄・餓鬼・畜生の三悪道)を離れさせる無上の力を有するといわれ、衆生に菩提心の種子を与えるとされています。

ません。 観音菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍をつとめますが、独立した本尊としてはあまり信仰されてい

午年生まれの人の守り本尊とされています。

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白利の人法

にして他を積めばよいのか?」

と自分の身に照らして考え、よく理解しなければなりません。そうする。

内布自分のものになります。法話の内容を観察工夫すること、これが

きてこれで、完全になるための条件は、信・・・開

さまは、まだ足りないとおっしゃいます。

まだ、なにが必要なのでしょうか?

白利の人法

十随后知法次法向,是用不具。以

放精的方便。信成施聞受持観

星名满足一切種優婆塞事。摩訶

百名。世尊。

云何名優婆塞能自安

「雨も出町に顔して知らざるは、是れ則ち具せざるなり。具せざるを以ての故に精勤方便す。信成施もて 、観察し、深義を了達し、法次法向に随順してげず、摩同男よ、是れを一切態の優婆塞事を満足すと名づく」と。摩訶男、仏に白さく、「世尊よ、云何が優能く自ら愛し他を安勉せずと名づくるや」と。 仏、摩訶男に告げたまわく、

驰不安慰他。仏告摩訶男。若優婆塞能自立戒不能令他立於正戒。自持净

戒。不能令他持戒具足。自行布施。

不能以施建立於他。自詣塔寺見諸沙

門。不能勧他令詣塔寺往見沙門。自

専聴法。不能劾人楽聴正法。聞法自

持。不能令他受持正法。自能観察甚

深妙義。不能动人令観深義。自知深

法能随顺行法次法向。不能勧人令随

順行法次法向。摩訶男。如是八法成

就者。是名優婆塞能自安慰不安慰他。

に立つも絶をして正裁に立たしむること能わず。自ら

こんとゆう净成をべつも他をして持戒具足ならしむること能わず。

自ら布施を行ずるも施を以て他を建立すること能わず。 自ら塔寺に詣で諸の沙門を見るも、他に勧めて塔寺に詣て往いて沙門を見せしむること能わず。自ら専ら聴法するも、人を勧めて正法を楽聴せしむること能わず。法を聞いて自ら持するも他をして正法を受持せしむること能わず。自ら能く甚深の妙義を観察するも、人を勧めて深義を混ぜしむること能わず。自ら深法を知り能く法次法向に随順して行ずるも、人をして勧めて法次法向に随順して行ぜしむること能わず。摩訶男よ、髪の姉き心潜む。

戴着は、是れを優婆塞能く自ら安慰し他を安慰せずと名づくなり」と。

現代語訳

「信・破・・間・持・観を行っても)法に近づく法次と、法を追求する法向を実践しなけれ

真の優婆塞とはいえません。努力と工夫によって、信・戒・施・聞・持・観を行い、さらに法次・法向を実践しなさい。マハーナーマよ、これらすべてを実践してこそ真の優婆塞といえるのです」

と説かれました。

マハーナーマは仏さまに質問しました。

「世尊よ、自分を安慰しても他を安慰しない優婆塞とは、どのような優婆塞を指すのでしょう

か?」

仏さまはマハーナーマに告げられました。

学芸增進

「自分は仏の戒を受けてそれを守っても、他者に仏の正しい戒を受けることも、またそれを保つこども勧めない。自分は布施を行っても、他者が布施を実践するようには勧めない。自分は塔寺に参詣してもろもろの沙門に見えても、他者に塔寺に参詣してもろもろの沙門に見えるようには勧めない。自分は熱心に沙門の説法を拝聴しても、他者に正法を拝聴してそれを受け保つようには勧めない。自分は仏法の深遠な教義をよく観察してそれについて熟考しても、他者には仏法の深遠な教義をよく観察して、それについて熟考するようには勧めない。自分は深遠な仏法を知り、 法に近づき、法を追求しても、他者が法に近づき、法を追求するようには勧めない。

と。 マハーナーマよ、このように八法だけを成就する者は、自分を安らかにし慰めても他を安らかにし慰めない優婆塞というのです」

解説

お釈迦さまは、「而も法次法向に随願して知らざる、是れ則ち具せざるなり」とおっしゃっておられますが、法次とは法に近づくことで、法向とは法を追及することです。ですから、仏さまや沙門の法話を聞き、観察・工夫しても常に法に近づき、法を追及しようとする努力がないならば、満足な優婆塞とはいえない、ということです。

満足な優婆塞となるための条件を最初から挙げると、まず第一が信、そして順番に戒、施、聞、 持、観、法次、法向と全部で八つあります。これを、「優婆塞の八法」と呼びます。

それぞれの意味を箇条書きにすると、次のようになります。

信………………正しい智慧で信心の心を起こす

②根・・・・・信の心を元に、やってよいことと悪いことの分別をつけ、仏教徒としてやってはい

①施………………徳を積むために布施の行をする

けないことはやめ、やらなければいけないことは積極的にやる

間……………道場(精舎)に行って、仏さまや沙門の話を聞く

持……………聞いた説法の内容を受持し、実行する

観・・・・受持した教法の深い意味をよく観察し工夫する

法次・・・法に近づく

注同法を追及していく

となります。

物芸増進

お釈庫さまは、この八法を行うならば優婆塞事を満足する、とおっしゃいました。

どころがそれにもかかわらず、マハーナーマはさらに、

「世尊。云何が優要能く自ら安慰し他を安慰せずと名づくるや」

と質問をしました。これは、自分を安慰させても、人を安慰させることのできない優婆塞とい

うのは、どういう優要塞でしょうか、という意味です。

それに対してお釈迦さまは、次のような優婆塞は自分を安慰させることができても、人を安慰

させることはできない、とおっしゃっております。

自分が信を持っても、他の者に信心を起こさせない

自分が彼を保っても、他の者が戒を保つように努めない

自分が布施をしても、他の者が布施をするように努めない

自分が道場に参詣して法話を聞いても、他の者に参詣と法話の拝聴を勧めない

自分が正法を受持しても、他の者に正法を受持するように勧めない

自分が教法の深い意味を観察しても、他の者が教法の深い意味を観察するように勧めない自分が教法の深い意味を知り、法に近づこうとしても、他の者が教法の深い意味を知り、

決に近づこうとするように勧めない

自分が教法の深い意味を知り、法を追及しても、他の者が教法の深い意味を知り、法を追

及するように勧めない

更するに、八法を自分で実践するだけでは人を救うところまではいかない、ということです。 自分だけが修行をするだけで、それを人に動かないようでは真の仏道とはいえない、ということ

「若し優婆塞能く、自ら戒