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空海   百日目 ―― 求聞持が身体を変え始める

百日目の朝は、特別な色をしていなかった。
山はいつもと同じ影を落とし、
洞の前の草は夜露を抱いたまま揺れている。
鳥は鳴き、風は通り過ぎ、
世界は、何事もなかったかのように在った。
ただ、彼の身体だけが違っていた。
空海は、岩の上に坐し、
呼吸がすでに真言になっていることに気づく。
唱えようとしなくても、
息が自然に言葉を含む。
胸に力はない。
額に熱もない。
それなのに、身体の奥に、澄んだ流れがある。
身体が先に悟る
百日のあいだ、彼は数えなかった。
一日目も、十日目も、
何かが起きたという手応えはなかった。
それでも、確実に変わったことがある。
疲れない。
いや、正確には――
疲れが、溜まらない。
思考が長く続いても、
身体がそれを拒まない。
かつては、学びのあとに訪れていた鈍さが、
今は、澄んだ静けさに変わっている。
空海は悟る。
――これは、心が身体に従ったのではない。
――身体が、先に道を知ったのだ。
覆いが外れる感覚
洞の奥で、目を閉じる。
すると、思考が立ち上がる前に、
答えが、すでにそこにある。
探さない。
組み立てない。
ただ、現れる。
それは啓示でも、神通でもない。
遮りが消えただけだった。
虚空蔵の言葉が、いま、実感として蘇る。
「覚えようとするな」
覚える必要がない。
智慧は、もともと失われていなかったからだ。
摩尼宝珠の位置
百日目の夜、彼は一つの変化に気づく。
胸の奥、心臓の少し上。
そこに、静かな中心がある。
熱ではない。
光でもない。
だが、確かに、そこから
身体全体へ、何かが行き渡っている。
それは、
曼荼羅で見た摩尼宝珠の位置と、同じだった。
空海は、はじめて理解する。
――珠は、外にあったのではない。
――身体が、珠を思い出したのだ。
若さという現象
百日を越えたころ、
肌は荒れず、目は澄み、
眠りは深い。
老いが引いた、という感覚すらない。
ただ、滞りが消えた。
生命は、本来こう流れるのだと、
身体が教えてくる。
天才になる兆しはない。
だが、衰えない確信がある。
この身は、長く道を歩ける。
そのことが、何より尊い。
百日目の静かな確信
夜明け前、洞の外で、
空が薄く色づく。
空海は立ち、
世界を見渡す。
知を得るために修したのではない。
力を得るためでもない。
ただ、覆いを外すためだった。
求聞持とは、
人を超人にする法ではない。
人を、本来の人に戻す法なのだ。
百日目。
奇跡は起きなかった。
だが、
この日を境に、
彼はもう、戻れない。
身体が、
法とともに歩き始めたからだ。

普賢 ― 遍く歩む者 Samantabhadra — The One Who Walks Everywhere

普賢 ― 遍く歩む者

Samantabhadra — The One Who Walks Everywhere

 

夜明け前 名を持たぬ刻
地の奥で 足音が目を覚ます
白き象が 闇をほどき
世界は 静かに息を思い出す

Ong Sanmaiyya Satvan

 

ओंग सनमैय्या सतवन

 

遍く歩め 遍く賢く
知るためじゃなく 行くために
剣は誓い 杵は祈り
立ち止まらぬ意志が 道になる
遍く歩め 遍く今を

Ong Sanmaiyya Satvan

 

ओंग सनमैय्या सतवन

 

声なき祈りの ただ隣へ
問いに答えず 背を向けず
オン・サンマイヤ・サトバン

Ong Sanmaiyya Satvan

 

ओंग सनमैय्या सतवन

 

Before the dawn, in a nameless hour
From the deep of the earth, footsteps awaken
A white elephant parts the veil of night
The world softly remembers how to breathe
Ong Sanmaiyya Satvan
ओंग सनमैय्या सतवन

Walk everywhere, be wise in all things
Not to know, but to go
The sword is a vow, the vajra a prayer
An unyielding will becomes the path
Walk everywhere, walk this very now
Ong Sanmaiyya Satvan
ओंग सनमैय्या सतवन

 

Beside the voiceless prayers
Turning neither away nor back
On Sanmaiyya Satvan
Ong Sanmaiyya Satvan
ओंग सनमैय्या सतवन

 

 

普賢 ― 遍く歩む者

 

夜明け前、まだ世界が名前を持たない刻。
地の奥から、ゆっくりと重い足音が響いてきた。
白い象が歩いている。
雪のように静かな体、しかし一歩ごとに、大地そのものが目を覚ます。
その背に坐す者は、剣を振りかざすことも、声を上げることもない。
ただ、そこに在る。
普賢。
遍く賢い者――
すべてを知るのではなく、すべてに赴く者。
彼の智慧は、思索の中に留まらない。
文殊が剣で迷いを断つなら、
普賢はその断たれた後の世界へ、実際に足を運ぶ。
泥に沈んだ者のもとへ。
声を失った祈りのもとへ。
誰からも見捨てられたと思い込んだ、その場所へ。
彼は言葉で救わない。
行動そのものが、すでに教えだからだ。
剣は、敵を斬るためにあるのではない。
五鈷杵は、力を誇るためにあるのではない。
それらは「誓いのかたち」――
三昧耶として、決して退かぬ意志を象っている。
女性たちが、密かに彼の名を呼んだのも、無理はない。
声を上げることさえ許されなかった時代、
普賢は、必ず“現場”に来たからだ。
泣く者のそばに坐し、
働く者の背を支え、
修行に迷う者には、ただ共に歩いた。
延命とは、時間を引き延ばすことではない。
生きている今を、正しく歩ませること。
だから普賢延命菩薩は、
三つや四つの象の頭をもって現れる。
一つの世界だけでは、救いきれないからだ。
辰の年、巳の年――
変化と脱皮の年に、
人は彼の名を思い出す。
「智慧を、どう使えばいいのか」
その問いに、
普賢は答えない。
ただ、象とともに歩き出す。
――ついて来られるなら、と。
遍く、賢く。
そして、決して立ち止まらずに。
オン・サンマイヤ・サトバンわ

今日の九星盤 2025年12月25日

今日の九星盤 2025年12月25日

 

乙巳 二黒土星 歳
戊子 一白水星 節
己巳 六白金星 日

 

 

 

 

 

普賢菩薩

あらゆる場所に現れ、命あるものを救う慈悲を司る菩薩

普賢菩薩(ふげんぼさつ)とは?

普賢とは「全てにわたって賢い者」という意味で、あらゆるところに現れ命ある者を救う行動力のある菩薩です。

 

文殊菩薩とともに釈迦如来の右脇侍として三尊で並ぶことが多いですが、独尊で祀られる場合もあります。文殊菩薩の智慧とともに修行を司る菩薩として、明晰な智慧で掴み取った仏道の教えを実践していく役割を果たすとされています。また、女性の救済を説く法華経の普及とともに女性に多く信仰を集めました。

 

ちなみに普賢菩薩から派生した仏に延命のご利益のある普賢延命菩薩があります。

ご利益

女性守護、修行者守護、息災延命、幸福を増やす増益のご利益があるとされています。また、辰・巳年の守り本尊です。

普賢菩薩(ふげんぼさつ)の像容

白象に乗っている姿が一般的です。3つや4つの頭の象に乗っている場合は普賢延命菩薩像の可能性が高いです。

 

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