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Mac

ピンガラとイダーを使う仏陀の秘法

ピンガラとイダーを使う仏陀の秘法

――怪物を眠らせたまま、神を呼び覚ます技――

わたくしは、ある日ふと気づいた。
人間の内に眠るクンダリニーとは、まさに怪物であると。
いい気持ちで眠っているゴジラを、棒で叩き起こすような真似をしてはならない。
それは愚かであり、危険であり、何よりも――神聖を冒涜する行為である。

だが、仏陀は違った。
モンスターを鎮め、やがて微笑ませる道を知っていたのだ。
それが、ピンガラとイダーを用いる仏陀の秘法である。

まず、仏陀は急がなかった。
彼の法では、クンダリニーを“叩き起こす”のではなく、
ごくおだやかに、上機嫌に目ざめさせる
まるで深い夢から自然に浮上する朝の太陽のように。

「どうすれば、そんな奇跡が起こせるのか?」
かつてのわたくしは、愚かにも問うた。

師は静かに笑った。
「ゴジラの足元に、花を置くのだ。」

仏陀の法は、道教の秘伝をも包み込んでいる。
道教はクンダリニーを知らぬが、
身体の中に超常的な「気」を呼び起こす**チャララ(経穴)**を知っていた。
そのツボは、チャクラの隣にひそむ隠し門――
そこから、柔らかい光が漏れる。

仏陀はこの道教の“気の門”を借り、
まずは小さな風を起こす。
その風を、ゆるやかにクンダリニーの眠る部位の周囲に流すのだ。
激しい火を点けるのではなく、
やさしく息を吹きかけて、微睡(まどろ)む蛇を撫でるように。

すると、クンダリニーはゆっくりと目を覚まし、
怒りではなく、喜びの震えをもって体内を上昇しはじめる。
それは、爆発ではなく覚醒である。

わたくしは考える。
おそらく、道教はこの「気」を使ってクンダリニーを目ざめさせる秘法を、
いつしか失ってしまったのではないか。
残ったのは、始動用の小さなモーター――「気」の法のみ。
本来の巨大モーターであるクンダリニーの力は、
仏陀の掌の中にだけ残されたのだ。

そしてその仏陀の法は、まことに見事であった。
炎を制御し、水を導き、
生死の境に立つほどのエネルギーを慈悲の呼吸として転化する。
そこには暴力も狂気もない。
あるのは、調和、均衡、そして法悦。

だが――仏陀の秘法は、まだ終わりではなかった。

さらに驚くべき術が、その奥に隠されている。

それは、ピンガラとイダーをアクセルとブレーキとして使う法である。

右のピンガラは、太陽の気道。
火を灯し、熱を生む。
左のイダーは、月の気道。
冷を呼び、静をもたらす。

仏陀はこの二つを、スシュムナー(中道)の両翼として動かした。
だが、ヨーガのそれとは異なり、仏陀のピンガラとイダーは腹部を上下する
まるで体の前面に、もう一対の生命の河が流れているように。

わたくしは思う。
仏陀は、クンダリニーを安定させるために、
あえてこの二つの気道を創り変えたのだろう。

右の気道――ピンガラは、発動の炎。
左の気道――イダーは、鎮静の水。
仏陀はそれらを交互に息で操り、
まるで心臓の鼓動を整えるように、
内なる宇宙のエンジンを回転させたのだ。

その呼吸をひとたび得た者は、
もはや怪物を恐れない。
クンダリニーは、怪獣ではなく、神となる。

炎と水が交わるとき、
そこにひとつの世界が生まれる。

わたくしは、仏陀の呼吸を感じながら、
静かに目を閉じた。

尾骨の奥で、微かな光が笑っている。
「もう叩き起こさなくていい。
私は、あなたの息とともに、
ゆっくりと目覚めよう。」

最上深秘の呼吸法 ― 完璧なる仏陀の気道

最上深秘の呼吸法 ― 完璧なる仏陀の気道

その瞬間、わたくしは悟った。
この法こそが、いままさに壊滅せんとする地球を救済する――
究極の救世主の法であることを。

静寂。
息は、ひと筋の光となって体内をめぐる。
その流れは脊椎を伝い、頭頂を貫き、やがて宇宙へと溶けていった。

「これが……仏陀の気道法か。」

わたくしは思った。
この法は、クンダリニー・ヨーガの道を超える。
それは、補足ではなく、完成である

クンダリニー・ヨーガには、三本の気道があるという。
中心にスシュムナー、右にピンガラ、左にイダー。
尾骨の奥に眠る蛇――クンダリニーが覚醒すると、
その炎は背骨を駆け上がり、頭頂のサハスラーラへと突き抜ける。

右のピンガラは太陽の道、熱の流れ。
左のイダーは月の道、冷気の流れ。
もし誤ってピンガラだけを通せば、修行者はその熱に焼かれ、
まるで黒炭のように、命を燃やし尽くしてしまう。

伝説の「ミラクルの池」で、仏陀が上半身から火を、
下半身から水を出したと経に説かれる。
あれは、ピンガラとイダーを自在に操った証なのだ。

だが――。
クンダリニー・ヨーガの道は、延髄で終わっている。
その先、サハスラーラまでの経路は、
誰も明確に語ることができない。
炎は昇るが、どこへ消えるのか、誰も知らぬのだ。

仏陀の気道は違った。

彼の呼吸は、尾骨から延髄を越え、
さらに大脳の奥へと進む。
新皮質、旧皮質、古皮質――脳の層をめぐり、
間脳、視床下部、脳下垂体に至る。

そして眉間――アジナーの中心を貫き、
鼻柱の奥を通って、顎、咽喉へとくだる。

「気は、脳の迷宮を旅する。」
その道筋は、明確に示されている
熟達した導師のもとでは、
初心の修行者でさえ、その流れを感じ取ることができるのだ。

仏陀の法は「プラーナを行かせる」修行である。
修行者は意志をもって呼吸を導く。
風を制する者が、光を制するのだ。

一方、クンダリニー・ヨーガは「目覚めに任せる」修行。
一度炎が走れば、あとは暴走するエネルギーに委ねるしかない。
だからこそ、危うい。
制御不能の力――それが、聖なる蛇の恐ろしさだ。

仏陀はその危険を見抜いた。
ゆえに弟子たちに、クンダリニーの法を禁じ、
成仏法を授けたのである。

だが、仏陀はクンダリニーを否定したわけではない。
彼は、そのエネルギーを新たな秩序として取り入れたのだ。
燃え上がる蛇の力を、慈悲と智慧の呼吸に変えた。

その呼吸は、
尾骨の闇から頭頂の光へと昇り、
そしてまた咽喉を伝って世界へ還る。

わたくしは、その道をたどりながら、
ひとつの確信を得た。

「クンダリニーの炎を制御する唯一の法、それが仏陀の呼吸だ。」

今、地球を包む混乱と狂気の熱は、
まさにピンガラの暴走そのものである。
人類が再び平衡を取り戻すには、
仏陀の気道を呼吸することが必要なのだ。

風を吸い、光を吐く。
心を鎮め、意識を導く。

尾骨の奥に眠る微光が、
いま、わたくしの頭頂を照らしている。
宇宙が呼吸するのを、確かに感じる。

その瞬間、わたくしは悟った。

「この呼吸こそ、最上深秘の法。
人と宇宙を結ぶ、完璧なる仏陀の気道である。」

ピンガラとイダーを使う仏陀の秘法

たら、人間の改造など不可能といっていいだろう。だから、仏陀はこれを用いた。

仏陀が四神足法において用いる気息、すなわちプラーナとは、クンダリニーから生ずるエネルギーなのである。単なる呼吸の息、あるいは意念だけではない。

初期の瞑想の段階では、意念による瞑想である。修行者が、クンダリニーを覚醒す

るに十分なだけの意念を持つと、強力になった意念の力は、クンダリニー覚醒に向けられる。クンダリニーを覚醒するための部位が二カ所ある。そこに正しい刺激があたえられると、クンダリニーは目ざめる。この修行は、導師にしたがって、細心大胆におこなわれなければならない。

阿含経の中に、いくつか、仏陀が毒龍、あるいは毒蛇を調伏して偉大な力を発揮する教説が出てくるが、その毒龍、毒蛇は、クンダリニーをあらわしているものと思ってよい。古来、クンダリニーは、三つの頭を持った龍、あるいは九つの頭を持った蛇の姿で表現されているのである。阿含経で語られる毒龍調伏の説話は、単純な毒蛇退治の物語ではなく、仏陀が、強烈で、だれもが手を焼くクンダリニー・エネルギーのコントロール化に成功したことを明かしているのである。

だから、仏陀のクンダリニー・エネルギーの使いかたは、クンダリニー・ヨーガの手法とまったく異なり、クンダリニーを完全にコントロールしつつ使うのである。つ

まり、クンダリニー・エネルギーを「行らせる」という手法である。

それはどのようにして、なされるのだろうか?

ピンガラとイダーを使う仏陀の秘法

あろう。 いい気持で眠っているゴジラを叩き起こすようなバカな真似はしないほうが賢明で

るのである。 モンスター仏陀の法では、怪物クンダリニーを、ごくおだやかに、上機嫌(?)に目ざめさせ

どのように?

道教はクンダリニーを知らない。しかし、クンダリニーには到底およばないけれども超常的な強い「気」のエネルギーを呼び起こすだ(ツボ)を知ってこれを使って

いる。

チャララ

これは道教の最極秘伝になっていて、これを知る人はごく稀である。(アンリ・マスペロがその著書で、ちょっとこれにふれている)

この経穴(中国でツボと呼ぶ部位は、チャクラの一種であるとわたくしは考えている)は、クンダリニーのチャクラから、少し離れたところにある。道教は、いまいったように、このチャクラを使って強い「気」を呼び起こすのである。クンダリニーの代わりといってよいだろう。クンダリニーそのものは、知らないのである。

仏陀の四神足法では、この道教のチャクラを使って、まず、強い「気」のエネルギ ―を呼び起こす。次いで、この「気」を本命のクンダリニー・チャクラに送りこむ。 クンダリニーの眠る部位の周囲に、この「気」をゆるやかに行らせてゆくのである。 クンダリニーは、徐々に、おだやかに目ざめはじめる。

わたくしは思うのだが、道教は、この「気」を使ってクンダリニーを目ざめさせるという秘法を落としてしまって、「気」だけを使う法を完成したのではなかろうか。 或いは、これは仏陀の極秘の法として、ごく一部の高弟だけに伝え、外部に洩らさず、

いつしか消えてしまったのであろうかと、わたくしは考えている。いうならば、クンダリニーという巨大モーターを起動させるための始動用小型モーターだけが、道教に伝えられたと考えるわけだ。

クンダリニーという過激きわまるエネルギーを、みごとにコントロールして使う仏陀のこの秘法には、ただただ感嘆するしかないのである。

だが――、仏陀の秘法はこれだけではないのである。さらにおどろくべき秘技を、 仏陀はわれわれに教示するのである。

それは、ひと口にいうと、ピンガラとイダーの気道を、アクセルとブレーキに使うのだといったらよいであろう。ただし、これが、クンダリニー・ヨーガのピンガラ、 イダーそのものであるかどうかは、わからない。

或いは、仏陀があたらしくつくり出した気道であるのかも知れない。というのは、 クンダリニー・ヨーガのピンガラとイダーは、前にのべたように、脊柱を通るスシュムナー管の両側を上昇するのであるが、仏陀のこの二つの気道は、その反対側の、腹部を上下するからである。しかし、わたくしは、この二つの気道の果たす機能からし

て、やはりこれはピンガラとイダーであって、仏陀がこのように変えられたのであろ

うと思っている。したがって、この二つの気道を、やはり、ピンガラとイダーという名称で呼ぶことにする。

か? いま、この二つの気道の機能からして、といったが、どういう機能を持っているの

ピンガラ気道は、クンダリニー・エネルギーにたいし、発動・昂揚の機能を持つ。

イダーの気道は、沈静・凝縮の機能を持つ。

つまり、さきにいったように、アクセルとブレーキの役目を果たすのだ。

それは、つぎのように使われる。

二本のスシュムナー管

DH さきにのべた通り、クンダリニー・ヨーガでは、尾転骨部分から延髄にかけて、背住を真っ直ぐ、スシュムナー管が通っている。目ざめたクンダリニーは、ここを上昇

 

完璧な仏陀の気道法

ど行照しつつ実践を重ねていくと、おのずから努衆と浮かんでくるものがあるのである。そしてさらに体験を重ね、錬磨し、修行を積んでいくと、突然、閃めきとともにかたちをあらわしてくるものがある。

わたくしは、三十にして仏道に志し、以来、ひとすじに仏陀の成仏法を求めつづけて四十年、ようやくこれをほぼ復肌し、体得したと確信するに至った。

そしてその瞬間、さとったのである。この法こそがいままさに壊滅せんとする地球を救済する、究極の救世主の法であったということを。

完璧な仏陀の気道法

ところで、わたくしは、前の節で、仏陀の気道の法は、クンダリニー・ヨーガの気

道法の不十分な部分を補足したものであるとのべた。

それはどういうことか?

クンダリニー・ヨーガの気道は三本ある。

一つはスジョムナー覧、他の二つは、ピンガライダーの気道である。

中心ど気道はスレョムナー管である。これは、さきにものべたように、尾骨から始まって、監督に至っている。

特殊な意念の力でクンダリニーが目ざめると、そのエネルギーは爆発的な勢いで、 ブショムナー皆を冠類まで上昇する。同時に、クンダリニーは、ピンガラ、イダーの気道をも上昇し、クンダリニーのエネルギー調節その他補助的なはたらきをする。

背盤の右側にあるピンガラは、太陽の気道と呼ばれ、熱を統御する気道とされる。 左側のイダーは、月の気道と呼ばれ、冷気の流れを統御する。もし誤ってピンガラを通ってクンダリニーが目ざめると、外から全くコントロールのきかないすさまじい体内熱のために、修行者は、最悪の場合、文字通り真っ黒になって焼け死んでしまうこどがあるという。

「クンダリニー」の著者、ゴービ・クリシュナは、この過ちのためにかれ自身、危うく死をまぬがれた体験を記している。

わたくしが、仏陀を、クンダリニー・ヨーガの完成者であると断定するのは、この

点からである。

さきにあげたミラクルの池の伝説や、雑阿含経に説かれる仏陀の奇蹟 上半身から火を出し、下半身から水を出すという奇蹟は、このピンガラとイダーを使ってのエネルギー放射なのである。この奇蹟は、クンダリニー・ヨーガ完成者独特のものなのだ。

さて、クンダリニーが目ざめ、スムーズにエネルギーが気道を上下するうちに、修行が順調に進むと、クンダリニーはサハスラーラ・チャクラに到達し、ここで修行が完成する。(ただし、ここまで到達できる修行者は、古今、稀である)

ではないのである。 びていこうこのように、クンダリニーは、尾獣骨から延髄にまで到達し、それからさらに上昇して、究極的には頭頂のサハスラーラ・チャクラにまで到達することになっているのだが、延髄からさきの、サハスラーラに至る経路がどのようになっているのか、明瞭

尾骶骨から延髄までは、脊柱が通っていて、いうならば一本道であるから、はっきりしている。しかし、延髄からさき、サハスラーラに至るルートは、一体どういう気

道を通るのか、明確ではないのである。クンダリニーが目ざめさえすれば、目ざめた

クンダリニーは、自動的にサハスラーラ・チャクラに到達することになっているのであって、修行者自身には、その経路はまったくわからないわけである。

これにたいし、仏陀の気道はどうであろうか。

仏陀の気道も、クンダリニー・ヨーガと共通する部分がある。

、尾性骨から延髄に至る脊柱の部分を通る気道である。スシュムナー管とほとんど変わらない気道である。しかし、クンダリニー・ヨーガのスシュムナー管は延側で終わっているが、仏陀の気道はさらに進んで、大脳の新皮質、旧皮質、古皮質をめぐって、間脳から視床下部にまで到達しているのである。そして、そのはっきりしたルートを持っているのである。

それだけではない。ルートはさらに前額部に進み、眉間から鼻柱の奥を通って顎から咽喉にくだる。つまり、サハスラーラからアージュニャー、そしてその周辺の神経経路をめぐって脳下垂体前葉、下垂体後葉に至っているのである。そしていまいったように、これらのルートは、明確に示されているのだ。熟達した導師の指導を受けれ

ば、初心の修行者でも把握が可能である。

どちらがすぐれているかは、いうまでもないことであろう。

これは、基本的に、クンダリニー・ヨーガの修行法と、仏陀の成仏法の、修行方法

の違いによるものである。

仏陀の方法は、ブラーナを「行らせる」という方法である。これは、修行者が自分の意念(意志)によっておこなうことを意味する。したがって、修行者は、プラーナを導いていくルートを知っていなければならないわけである。プラーナのいくさきを、 プラーナにまかせるのではなく、修行者が決定して進めていくのである。だから、修行者はその道すじを知っていなければならないのである。

クンダリニー・ヨーガの場合はこれとまったく違っている。

クンダリニーを目ざめさせるためには修行者の意念の力を必要とするが、一旦めざめたクンダリニーは、修行者の意志にかかわりなく、一気にスシュムナー気道を爆発的に上昇していくのである。それは、修行者が「めぐらす」などというものではない。 そしてそのあとも、クンダリニーまかせということになる。

わたくしは、ききに、仏陀が弟子たちにクンダリニー・ヨーガを用いさせなかった

のは、過激すぎるからだといったけれども、それはそれだけではなかったのである。

サンダリニー・ヨーガのチャクラ開発法は、不安定であり、不確実だったのである。

仏だは成仏法を作製して、弟子たちに教えたのである。

仏陀の修行法はまだつづく。

クンダリニー・ブラーナ

わたくしは、さきに、仏陀は修行法にクンダリニー・ヨーガをとり入れなかったといった

たしかにその通りである。仏陀は四神足法にクンダリニー・ヨーガをとり入れなかった。しかし、クンダリニー・エネルギーはとり入れていたのである。

人間の持つエネルギーで、クンダリニーほど強大なエネルギーはない。人間を改造する原動力として、これに匹敵するものはない。いや、このエネルギーを使わなかっ

仏陀の法 152

151

最上深秘の呼吸法

 

仏陀の法 150

 

 

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最上深秘の呼吸法

 

仏陀の法 148

オン、アにチャ、マリシエイ、サワカ―― 宇宙の光よ、無常の風よ、摩利支天よ、成就せよ、めでたし。 あらしふく、この間もかぜのこらなく、 悪魔を切りはらう―― カンタン、ボロン。

オン、アにチャ、マリシエイ、サワカ―― 宇宙の光よ、無常の風よ、摩利支天よ、成就せよ、めでたし。 あらしふく、この間もかぜのこらなく、 悪魔を切りはらう―― カンタン、ボロン。