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Mac

2024 年 3 月 12日  九星  無料 今日の運命

 

 

 

 

 

阿弥陀如来 命あるものすべてを救うべく誓いを立て、極楽浄土に導く

 

 

阿弥陀如来

 

命あるものすべてを救うべく誓いを立て、極楽浄土に導く

 

阿弥陀如来(あみだにょらい)とは?

無限の寿命を持つことから無量寿如来ともいいます。限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされており、西方極楽浄土の教主です。四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、その中には「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くとあり、広く民衆から信仰されました。ちなみに他力本願も四十八願の誓いから来ており、本来は阿弥陀様にすがって極楽に行こうという意味です。

 

阿弥陀三尊として聖観音と勢至菩薩と並ぶ姿が多いです。さらに二十五菩薩を従え、雲に乗って往生者を迎えにやってくるといわれています。そのほか来迎の様子をあらわす場合もあります。

ご利益

極楽往生、現世安穏のご利益があります。また、戌・亥年生まれ守り本尊です。

阿弥陀如来(あみだにょらい)の像容

釈迦如来と同じく装飾品は一切ないです。来迎印という印は、極楽浄土に迎えに来たことを意味していますよ。この印相は施無畏・与願印に似ていますが、第1指ともう1本の指をねじるのが特徴です。

 

特殊な例としては、宝冠阿弥陀像、裸形阿弥陀像、斜めうしろを振り返る姿をしている見返り阿弥陀などがあります。

 

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大日如来の智慧を表現した「金剛界」 .一印会 “Kongokai” expressing the wisdom of Dainichi Nyorai.Ichiinkai

 

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随眠という名の無意

随眠という名の無意識層

第三章

欲求不満と危惧に対してはげしい怒りを発する心である。

 瞑は、わが心に背く事あれば(それが)善事にても必ず怒る心なり。(唯識大意)

 三、無明上凝ともいう。

 無智のこと。愚迷。もろもろの道理に迷う愚癈の心作用。ものの道理のわからぬこと。われわれの

存在の根底にある根本的な無智。すべての煩悩の生ずる根源とされる。

 境を照らす明なしというところから無明と名づけ、事物の道理を決断する智なしというところから

無智と名づけ、事物の道理を彰了する顕なしというところから無顕とも名づける。

 三、慢

 自分に傲って他を軽蔑する心。

 慢というは、わが身を侍んで人を役り、少しも謙下(へりくだる)なき心なり。(唯識大意)

 なお、慢には、七慢・八慢・九慢などの分類がある。つぎに七慢をあげておく。

 ’七慢

 1 慢=自分より劣った者に対してすぐれていると自負し、同等な者には同等であると高ぶる。

 2 過慢=同等の者に対してはすぐれていると慢じ、すぐれた者には同等であると慢ずる。

 3 慢過慢=自分よりすぐれた者に対し、逆に自分がすぐれているとする。

 4 我慢=自分の身心を永遠不変の我であるとたのむ。

 5 増上慢=さとりを得ないのに得たとする。学問・知識などその奥に達していないのに達したと

随眠という名の無意識層

第三章

欲求不満と危惧に対してはげしい怒りを発する心である。

 瞑は、わが心に背く事あれば(それが)善事にても必ず怒る心なり。(唯識大意)

 三、無明上凝ともいう。

 無智のこと。愚迷。もろもろの道理に迷う愚癈の心作用。ものの道理のわからぬこと。われわれの

存在の根底にある根本的な無智。すべての煩悩の生ずる根源とされる。

 境を照らす明なしというところから無明と名づけ、事物の道理を決断する智なしというところから

無智と名づけ、事物の道理を彰了する顕なしというところから無顕とも名づける。

 三、慢

 自分に傲って他を軽蔑する心。

 慢というは、わが身を侍んで人を役り、少しも謙下(へりくだる)なき心なり。(唯識大意)

 なお、慢には、七慢・八慢・九慢などの分類がある。つぎに七慢をあげておく。

 ’七慢

 1 慢=自分より劣った者に対してすぐれていると自負し、同等な者には同等であると高ぶる。

 2 過慢=同等の者に対してはすぐれていると慢じ、すぐれた者には同等であると慢ずる。

 3 慢過慢=自分よりすぐれた者に対し、逆に自分がすぐれているとする。

 4 我慢=自分の身心を永遠不変の我であるとたのむ。

 5 増上慢=さとりを得ないのに得たとする。学問・知識などその奥に達していないのに達したと

幻さて、いま、根本誌眠(根本煩悩)について解説した。

 日常生活の上に、日夜たえまなく生起するわれわれのこころの動きについて、じつに詳細かつ精緻に

観察していることにおどろきを感じるのは、わたくしだけではなく、おそらくあなたも同感であろう。

 しかし、古代仏教における人間のこころの観察分析は、この程度のものではないのである。

 根本煩悩に附随してつぎつぎと起きるこころを「随煩悩」という名でとらえて、さらに精密に論ず

るのである。

 さきで、「煩悩の十事L(十の性質)が説かれている。すなわち、一、根本を堅くすること。二、相

続を立すること。三、自田を治めること。四、等流を引くこと。五、自具を摂すること。六、識流を

導くこと。すべて、(根本)煩悩がひとたび目ざめて動きはじめると、つぎつぎといくつかの煩悩が連

鎖反応を起こす性質のあることを示している。この連鎖的に起動する煩悩を「随煩悩Lといい、論の

 

 

 

  随 煩 悩

 

第四章、随煩悩でこう説き明かす。

   『随眠は、既に説きつ。随煩悩は云何。

   頌にいわく、

    随煩悩は、此の余の、染の心所の行羅なり。                       

   論じていわく、この諸の煩悩を、亦た随煩悩と名く。皆、心に随って、悩乱の事を為すを以ての故なり。

 復た、此の根本煩悩の外に、余の

ヽ諸の根本煩悩に異なる染汗の心所の、行蔭に摂するものあ タ

  り。根本煩悩に随って起るが故に、亦随煩悩と名け、煩悩とは名けず。根本に非ざるが故なり。』

 その随煩悩をあげてみよう。

 ただし、随煩悩の種類のあげかたはいくつかあって、一概にはさだめがたい。ここでは、倶舎の「五

位七十五法Lによるものと、後世の唯識大乗によるものとの二つをあげて、解説したい。

 倶舎では十九種類である。

 大煩悩地法として、

 放逸・服怠・不信・悟沈・棹挙の五、

 大不善地法として、

 むざん む考ヽ                         ’

 無噺・無情の二、

 小煩悩地法として、

 ふん ぷく けん しっ のう がい こん てん おう きよう

 忿・覆・樫・嫉・悩・害・恨・諮・匝・僑の十、

 不定地法として、

 睡眠・悪作の二、

以上である。

 唯識においては、

随眠という名の無意識層

第三章

 忿・恨・悩・覆・脱・諮・僑・害・嫉・樫の十を「小随惑」とよび、

 無晰・無愧の二を「中随惑L、

 不信・爾怠・放逸・悟沈・棹挙・失念・不正知・散乱の八をI「大随惑」とよび、この三種二十の惑

を、随煩悩と名づけるのである。

 わたくしは、倶舎の不定地法による睡眠と悪作を除いて、唯識の失念・不正知・散乱を入れて、

「二十随煩悩Lとする。なぜかというと、不定地法は、かならずしも煩悩とはいわれないからである。

睡眠は善・不善・無記の三性に共通するものであるし、悪作も善・不善の二性に共通して善性のもの

もあるからである。もちろん、倶舎が随煩悩にとりあげている睡眠と悪作は、睡眠の不善・有覆性

と、悪作の不善性の、煩悩といわれ得るものをとりあげているのであるが、わたくしは、考えるとこ

ろあって右のようにするのである。

 では、随煩悩を解説しよう。

  随煩悩解説

1 忿

いかり。

自分の心にかなわぬ対象に対して怒りの情をいだき、刀杖等をとるにいたる、いわゆる短気の心作

 

 

用をいう。このこころは、根本煩悩の「賦」の等流(つづいてのちにあらわれ出た同類のもの)、つ

まり瞑にしたがって出てくるこころなので、眠は先払いのごとく、忿は後押しの如し、といわれる。 タ

 忿というは腹を立てて杖をとって人を打たんと思うほど怒る心なり 0(唯識大意)

 2 恨

 うらみ。

 敵意がひき続くこと。

 先に忿怒したことに恨みをむすんでいつまでも解けず忘れぬ心作用をいう。

 恨というは、人を恨むる心なり。恨みを結ぶ人の、残念口惜しとて押さえ忍ぶこと能わずして心の

内つねに悩むなり。(唯識大意)

 3 諮

 へっらう。

 自分の意志をまげてこびへつらい、人にとり入ったり、あるいは理屈をつけて他をおとしいれたり

する。

 諮曲といって、心を曲げて実の心をあらわさず、他を籍絡せんがため・に表面柔順をよそお、うなどす

の心を取り、あるいはわか

り。(唯識大意)

           だま                          かた

諮というは、人を隔くらかし迷わさんために、時に随い事にふれて奸ましく方便をめぐらし、人

               あやまち

をかくす心なり。世の中に詔曲の者というは、この心の増せる人な

 4嫉

 ねたみ。嫉妬。

 他人の幸福や成功を喜ばず、妬忌して憤酒する心。

 嫉というは我身の名利を求むるが故に人の栄えたるを見問して深くねたましきことに思うて喜ばざ

る心なり。(唯識大意)

 5 悩

 なやむ。

 憤憑や怨恨や憂悶にとらわれて使悩する。

 また、自分の考えを固執して捨てず、他人の忠告や諌めを入れぬ頑迷な心をいう。原語呂ぼ回

を、真諦は「不捨Lと訳しているが、これは、自分勝手なせまい見解を固執して捨てず、そのために

いろいろと悩みの生ずることをいうのであろう。                         タ

 悩というは腹を立て人を恨むに依って僻み戻り、心の中つねに安からず、ものを言うにその言かまびすくして険しくいやしく腹ぐろく毒毒しき心なり。(唯識大意)

 6 覆

 責任のがれ。

 自分のおかした罪やあやまちをおおいかくして偽陥する心。

 自分の地位や名誉、あるいは体面を失うことを恐れて、自分の非を隠蔽する心。

 覆というは名利を失わんことをおそれて、わが罪あやまちを覆いかくす心なり。隠す人は必ず後に

悔み悩みあるいは悲しむことあり。(唯識大意)

7 樫

ものおしみ。むさぽり。樫惜。樫貪。吝嗇。

ものや知識、技術などすべて自分の持っているものに執着して、他に頒つことを吝しか心。

樫というは財宝に敗着して人に施す心なく、いよいよ貯えんとのみ思う心なり。(唯識大意)

8 唐

欺隔。他人をあざむきたぶらかすこと。

無徳なのに有徳のように、下劣のものを優秀なもののように装って、他人を惑わす詐偽の心作用を

いう。裏切り、設計の能力。徳がないのに敬われようと欲する人。

 斑というは、名利を得んがために、心に異なる謀をめぐらして、矯ましく徳ありと現わす偽りの

心なり。世の中に証惑者というはこの心の増せる人なり。(唯識大意)

 たぶらかす、不実の語をいうなり。(『無門紗』)

 9 僑

 おごり高ぶり。自らおごり高ぶること。自己満足。

 自分の財産・地位・才能・学力・容姿などをほこり高ぶる心。

 僑も幔もともにおごり高ぶる心であるが、僑は自分の性質(美貌や若さや才能や血統、学識など)

をすぐれたものと考えて、自己に執着する心のおごりであるのに対し、幔は、自分は他人よりもすぐ

れていると妄想して、他人に対して誇りたがる心のおごりである。要するに、慢は他人を意識して起

こすが、僑は他人を意識せずに起こすものである。

 僑というは、わが身をいみじく盛なる者に思うておごり高ぶる心なり。(唯識大意)

 ただ自分のよきことのみをおもい人を見くらべず、なにごともおのれがよいとはこるが僑なり。

(『香月』)

1 害

 

 

 

 傷害。害意。人をきずつける心。

 生けるものに危害をくわえることを快しとする心作用。

 同情心に欠け、人の行動や生活をきずつけ妨害する。

 害というは、人を哀れむ心なく情なき心なり。世の中に慈悲性もなき者というは、この心の増せる

人なり。(唯識大意)

1

 

 反省心のないこと。はじらいのないこと。自分自身にたいして、罪を罪として恥じないこと。さか

うらみ。

 自分自身に対し罪や過失や不徳を恥ずる心のないこと。(自ら省みて恥じるのを噺・他に対して恥

じるのを愧という。無晰・無愧はその反対である)

 無噺というは、身にも法にも恥じずして、善根を軽しめ諸の罪をつくる心なり。(唯識大息)

12 無愧

恥じ入る心のないこと。破廉恥なこと。他人に対して恥じないこと。・

無愧というは、世間の見聞にも恥じずして、諸の罪を崇むる心なり。(唯識大意)

 13 棹挙

 軽噪。がるはずみ。とりとめのない心。心が浮動して静まりのないこと。心が寂静でないこと。軽

挙妄動してつねに落ちつかず燥泄の生活を送る。

 棹挙というは、動きやすくさわかしき心にて物にのりやすくおだてられやすい心なり。(唯識大意)

 

 14 悟沈

 沈唇。心のめいること。ふさぎこむこと。

 不活発な気質、心の不活動性。心を暗く沈ませる心作用をいう。気分が陰唇で善事をなすにたえら

れない性である。人をして憎惰、怠慢ならしめる。要するに気分が重く暗くてやる気がおこらない。

ことをおこなうにあたって、心が巧みでない。適応性がないのである。

 悟沈というは、重く沈み溺れたる心なり。9 重として目のくらむようになるなり。(唯識大意)

 無明と悟沈と相似てわきまえ難し。無明は閤く迷えり。重く沈み溺れたるにあらず、悟沈はただ闇

く迷えるにあらずして重く沈み溺れたるなり。(唯識大意)

15 不信

信のないこと。

実有・有徳・有能であることに対するヤ儲ず。

心が乱れさだまらず集中できない。知能がはたらかない。

心乱というは、心を散らし乱す心なり。この故に散乱と名づく。(唯識大意)

 

 心がきよらかでなく、よいことや正しいことを見聞しても、邪推したり歪曲してとって、信解しな

い。したが’つて悪行や邪行を楽しむ。

 不信というは、貴き目出たき事を見聞しても忍び願う心なくして、稿れ濁れる心なり。かかる人は

多く御怠なり。(唯識大意)

 16 謝怠

 怠惰。怠り。なまけて励まないこと。やる気を起こさない心性。

 仏道を修行するのに力を尽くして励まないこと。台心って教えを奉じないこと。釈尊の臨終のことば

は「つつしんで御怠することなかれLであった。

 世間のなぐさみ、囲碁将棋などして、善事をおこたるはみな謝怠なり。すべて善事をおこたるを脚

怠という。(『香月』)

 俗怠は諸の善事の中に解り嘲き心なり。かかる人は又多く不信なり。(唯識大意)

17 放逸

わがまま。放縦。なおざり。気ままに遊ぶこと

責任感に欠け、勝手気ままに行動する。

不注意で軽率、心が散役である。

放逸というは、罪を防ぎ善を修する心なくして、ほしいままに罪を遣る心なり。(唯識大意)

 18 失念

 飲酒などのためにぼうっとして自制心を失うこと。

 飲酒だけに限らず、趣味・道楽・かけごと・異性などのために心を散乱させて自制心を失ったり、

対境をはっきり記憶できなくなるのは、みなこの心である。

 失念というは、取りはずし物を忘るる心なり。かかる人は多く散乱なり。(唯識大意)

19 不正知

正しい認識ができない心。不完全な認識。

不完全な自覚―-なすべきこと、あるいはなすべからざることをわきまえない。

対象を正しく把握・理解せず、歪曲したり誤解しながら、それが正しいと思っている。

不正知というは、知るべきことをあやまって解す。かかる人は事を毀ち犯すなり。(唯識大意)

20 散乱

心の拡散。心が乱れ定まらないこと。

凡夫の心がつぎつぎと絶えまなくその対象に移し流され、一刹那もとどまらないこと。

 

 

 

 どうであろうか?

 まことにくわしく分析し尽くしたものではないか。

 わたくしは、むかし、はじめてこれを目にしたとき、一読、思わず、心から赤面したことをおぼえ

ている。ここにあげられているこころがすべて自分のなかにあり、しかもそのうちのいくつかは現に

動いていて、自分がそれに動かされつつあることをはっきり自覚したからであった。それを自覚した

刹那、そのこころのままに動かされて行動したとき、その結果がどういうかたちになってあらわれる

かが直感され、わたくしはそのこころをなんとかおししずめ、他のべつな方向に向けるべく努力し

た。それがわたくしの人生の一つの転機をなした。以来、わたくしはこの随煩悩の一覧表を作製して

所持し、時にふれ、目にすることにした。とくに自分の持つ因縁と相応してつよくあらわれやすいこ

ころは赤字でしるした。不徳のわたくしはこれにより少しでも自分を改造しようと決心したのである

(根絶する修行をはじめたのはもっとあとのことである)。

 しかしいまでもわたくしはこの一覧表を目にするとき、内心憤死たることしばしばである。

 あなたはどうであろうか?

 これらのこころがわれわれを形成しているのである。

 これらのこころにみたされ、これらのこころの動くままに行動したとき、その結果がどのようなか

たちであらわれてくるか、どう考えても、それは決して「このましくよきものLであるとは考えられ

まい。自分にとっても周囲にとってもそれはけっしてこのましくよきものを形成しはしない。しかし

われわれはこのこころに日夜動かされつつあるのである。大なり小なりこれらのこころがわれわれを

動かし、それの累積がわれわれの人生となり、われわれの環境をかたちづくっているのである。それ

はだれしも否めない事実ではないか。それを仏陀は「業」とよぶのである。

 根本煩悩に十、随煩悩に二十、じつに精緻に分析したものである。

 しかしこれは決して単なる心理論や心理学ではないのである。それはわれわれの存在の構造を示す

ものなのだ。この構造をどう改革するか? それが仏陀の教法である。この構造を改革し、さらには

この構造を大きく飛越しようとするのが仏陀の教法なのである。だから精緻きわまる心理分析も単な

る心理論ではないのである。そこでI-、重大な一つの論争がなされている。

 それは、煩悩と随眠との関係についてである。

 ひとロにいうと、煩悩はすべて意識的であるのか、それとも、習気(習慣的余力)としての無意識的

煩悩もあるのかという問題である。専門用語でいうと、随眠はこころと相応するのか、しないのか、

という問題である。

 

 それはアビダルマ教学史上に有名なヴァスバンドウ(世親)とサンガバドラ(衆賢)との論争で、

世親のあらわした『阿毘達磨倶舎諭』に対し、衆賢は『阿毘達磨順正理論』を以て世親の説を論破し

ようとしたのである。

 世親の立場は、随眠は心と相応するのでもなく、不相応でもない。煩悩の眠る状況、すなわち無意識

的状態が随眠であり、それが覚曜して意識的状況にあるとき、貳とよばれるのだとする(前出の通り)。

 これに対し、衆賢は、随眠と煩悩とはおなじであるとする。たとえば、貪随眠を貪即随眠と考え、

貪なる煩悩と離れて存在する貪の随眠とは考えないのである。その論拠は煩項になるからここには挙

げないけれども、要するに、衆賢は随眠を以てどこまでも意識的であるとみるわけである。それは、

われわれの生活活動をもっぱら意識的活動とみることになる。これにたいし、煩悩を、意識的活動と

しての纒と、無意識状態としての随眠とに分けて考える世親の立場は、人間の無意識的心理活動に大

きな意味をみとめようとするものであり、この両者には決定的な相違があるわけである。

 それはまさに決定的な相違であった。

 そんなことくらいどっちにしてもたいしたことはないじゃないかと思われるかも知れないけれど

も、そうではないのだ。この相違はまさに決定的な相違であったのだ。

 というのは、この論争の結論は、ただちに、仏教における実践法1-つまり修行法にかかわってく

ることになるものだったからである。

 たしかにこの両者では修行法がまったくちがってくる。だからそれはまさに決定的な相違であった

のだ。事実、仏教はここから大きく分かれて、べつべつの道を歩むことになるのである(世親のこの

立場はやがて種子論となり、つづいてアーラヤ識を生み出し、最後に唯識大乗をうち立てることにな

る。一方、衆賢の立場は、ついに、小乗といわれる「薩婆多部L〔一切有部〕のワクから一歩も出る

ことなくおわるのである)。だから、この、世親と衆賢のそれぞれの立場は、仏教の二つの立場をそ

のまま代表することになるわけである。と、そういうと、あなたはここで首をひねるかも知れない。

 それはおかしい、二人の意見の相違は相違として、いったい仏陀ご自身のご意見はどうなのか?

仏陀はどう教示されているのか?

 それほど重大な問題にたいして、仏陀はなにも教示されておられぬのか? と。

 それはたしかにその通りだ。はっきりした仏陀の御教示があれば、世親も衆賢も論争して意見が二

つに分かれたままということはないはずである。では、仏陀は明確な教示をなされていなかったのか?

 ひと口でそれに答えることはむずかしい。教示されていたともいえるし、教示されていなかったと

もいえるのである。

 そういうと、あなたはまたいうであろう。

 仏陀の教法、仏陀の教法、というが、それでは、仏陀の教法とはいったいなにをよりどころにした

ものなのか? と。われわれはなにを以て仏陀の教法とすればよいのか、と。

 たしかにそれはこの上なく重大なことである。それを明確にしないかぎり、仏陀の教法などと口に

することはできまい。では、根本に立ちもどって、それをはっきりしようではないか。

 

 

 

 

 

 

 

心理の探究:守護霊と霊障の解明  Exploration of psychology: Elucidation of guardian spirits and spiritual disorder

 

昭和五十年、その年はまだ遥かなる過去にあるが、それが始まりだった。彼は書物を手にした。表紙には大胆な文字が刻まれていた。「チャンネルをまわせ」――その意味は彼にとって未知の世界への扉を開くものだった。

彼はその本を開き、密教から阿含教への旅に連れて行かれた。そのページには、因縁という言葉が踊っていた。因縁とは、運命を形作る細かな糸。彼はその意味を深く噛みしめた。

心理学者、L・ソンディの「運命心理学」。それは彼に新たな洞察をもたらした。因縁によって形作られる運命。そして、不成仏霊の存在。彼の霊視能力が目を覚ます。

彼は少年Kの物語を語り、その背後にある霊を見た。因縁とは血の繋がりを超え、深層意識に刻まれたものだった。彼はそれを「霊障」と名付け、心理学的に解明しようとした。

「守護霊を持て」「霊障を解く」――その後の本が生まれる源泉となったのは、「チャンネルをまわせ」である。彼の霊視能力が開眼され、新たな章が始まった。

彼の本は、有機的に繋がっている。一つのテーマを何冊もの本で追求する。その中の一冊だけで彼を理解することはできない。彼は困ったように笑った。

 

 

チャンネルをまわせ』の意義
この本は、昭和五十年(一九七五年)に出版された。
この本でわたくしは、密教から阿含教へとチャンネルを回したわけである。わたくしの
密教と阿含経との中間点に位置するのがこの本である。運命を形成する要素は因縁である。ではその因縁を構成するのは何んであるのか、真剣に考えはじめた。この本の中では、因縁に「チャンネル」とルビを振っている。それは、人間を動かす代表的なチャンネルとして因縁というものを、もう歩掘り下げて考えはじめていたからである。`
この本は、二つの柱から成っている。
一つは、心理学者、L・ソンディの「運命心理学」である。
もう一つは、運命のもとになる因縁に深いかかわりのある不成仏霊の存在である。
ソンディ心理学によると、人間の運命を決定する因子として、「家族吟無意識Lというものが設定されている。この家族的無意識というのは、「個人のなかに抑圧されている祖先の欲求が、恋愛・友情・職業・疾病、および死亡における無意識的選択行動となって、個人の運命を決定する」というものである。
これは、そのまま、それまでのわたくしの持論である因縁論になる。そこで、わたくしはこれを紹介すると同時に、そのソンディ理論の欠陥をも、この本の中で書くことにした
のである。ソンディ博士は、ユングとも並び称せられるほどの大心理学者であり、その大心理学者の理論に欠陥があるというのは大変なことであるが、それは、わたくしに霊視能力が出てきたことによって出来たのである。霊視能力をもったことにより、ソンディ理論の欠陥を発見することができたのだ。
わたくしは、その頃から、霊視能力が出てきていた。以前から偶然的に霊視能力があらわれて、人に憑いている霊やその霊障を見ることがよくあったが、この頃から意志的に、系統立てて、そういうものが見えるようになってきた。それが、ソンディ理論の欠陥の補足というかたちになってあらわれたので、そういう意味で、わたくしの一つの進歩を示すきわめて歴史的な転機としての本ということができる。この本の中にK少年の話か出てくるが、この実在する少年の背後霊をわたくしははっきりと見ていたわけである。霊障となっている不成仏霊をはつきりと捉えた上で、その少年を指導し、この本を書いたわけである。しかし、この本では霊障という通俗的な言葉を使わなかったが、それは、わたくしのいう霊障というのは、一般にいう幽霊のような意味とは根本的にちがっているからで誤解を招くおそれを避けて、この言葉を使わなかったのである。この本では、K少年の例でいえば、曾祖父の抑圧意識が、少年の深層意識に入り込んでいるという表現を用いたが、この曾祖父とK少年は、血がつながっていないのである。それなのに、ソンディ流にいうと、抑圧意識が伝わってい
る。それはどうして伝わったのか? DNAという遺伝子機構を通らずにどうして伝わったのか? 一種の霊的バイブレーションを想定するしかない。そしてそれをわたくしは見たのである。そのわたくしの見たものを、わたくしはと 霊障 名づけたのである。この
本ではその「霊障」を心理学的に説明したわけである。
後にベストセラーとなった『守護霊を持て』の守護霊や、『霊障を解く』の霊障の深層心理学的解明を試みたのがこの本であった。この『チャンネルをまわせ』で突きとめた成果をもとに、非常に通俗的にわかりやすく書いたのが『守護霊を持て』その他である。
ところで、この「チャンネルをまわせ」の中で使った主要文献の佐竹隆三著『運命心理学入門』という本は、あとで知ったことだが、力富崇志氏の御父君の経営される黎明書房から刊行された本だったのである。力富氏とお会いした時、そう聞かされて、非常にびっくりしたものである。力富氏との出会いに、何かわたくしは因縁的なものを感ずるのである。
守護霊ブームと霊障ブーム
『守護霊を持て』でわたくしは、全国的な守護霊ブームや霊障ブームをつくり出したわけであるが、その源は『チャンネルをまわせ』である。この『チャンネルをまわせ』を書いた時点で、すでに実質的には『守護霊を持て』を書きはじめていたといって過言ではない。
『守護霊を持て』の中で紹介した霊障を指導した実例も、すでにこの『チャンネルをまわせ』の中に先駆的な形で出しているわけである。K少年の例はまさにそれに該当する。
以後の執筆の源となったという意味において、あるいはわたくし自身の霊視能力がその頃開眼されたということ、この二つの意味でこの『チャンネルをまわせ』は、非常に大きなわたくしの転換期を象徴する所産であった。
わたくしの本は、すべて有機的につながっている。一つのテーマを何年にもわたって何冊の本かで追求してゆく。その中の一冊だけ読んで、鬼の首でもとったように批判されて
も困るのだ。むずかしい本は読まず、やさしく通俗的に書いた本だけ読んでの批判は、見当ちがいである。

“A Journey of Fate: The Path from Esoteric Buddhism to Agon Buddhism” “The Deep Secret of the Channel: A Story of Fate and Spiritual Vision”

 

The year 1975 is still far in the past, but it was the beginning. he held a book in his hand. Bold letters were engraved on the cover. “Turn the channel” — its meaning was to open the door to an unknown world for him.

He opened the book and was taken on a journey from Esoteric Buddhism to Agon Buddhism. On that page, the word fate was dancing. Fate is a thin thread that shapes fate. He deeply understood its meaning.

“Fate Psychology” by psychologist L. Sondhi. It gave him new insight. Destiny shaped by fate. And the existence of unattainable Buddha spirits. His psychic powers awaken.

He told the story of the boy K and saw the spirit behind him. Fate goes beyond blood ties and is engraved in the deep consciousness. He named it “spiritual disorder” and tried to explain it psychologically.

“Having a Guardian Spirit” and “Resolving Spiritual Obstacles” — “Turn the Channel” was the source of subsequent books. His psychic powers were opened and a new chapter began.

His books are organically connected. Pursue a single theme through multiple books. You can’t understand him just by looking at one of those books. He laughed confusedly.

 

 

 

Significance of “Turn the channel”
This book was published in 1975.
With this book, I changed the channel from Esoteric Buddhism to Agon Buddhism. my
This book is located at the midpoint between Esoteric Buddhism and Agon Sutra. The element that shapes destiny is fate. So I began to think seriously about what constitutes this connection. In this book, fate is referred to as a “channel”. This is because I had already begun to think more deeply about fate as a typical channel that moves humans. `
This book consists of two pillars.
One is the “psychology of fate” by psychologist L. Sondhi.
The other is the existence of unattainable Buddha spirits, who are deeply involved in the causes that form the basis of one’s destiny.
According to Sondhi psychology, the factor that determines human destiny is the “Family Unconscious L”. It becomes an unconscious choice behavior in love, friendship, occupation, illness, and death that determines an individual’s fate.”
This becomes my theory of causality up until then. Therefore, I decided to introduce this theory and at the same time write about the flaws in the Sondhi theory in this book.
It is. Dr. Sondhi is a great psychologist who is comparable to Jung, and it is a serious matter to say that the theory of this great psychologist is flawed, but this is due to the fact that I have developed the ability to see psychically. It was possible. By having psychic powers, he was able to discover flaws in the Sondhi theory.
Around that time, I began to develop psychic powers. Before, I had the ability to see spirits by accident, and I often saw spirits possessing people and their spiritual disorders, but around this time I began to be able to see things voluntarily and systematically. . This appeared in the form of supplementing the flaws in Sondhi’s theory, so in that sense, this book can be considered a very historical turning point, marking one of my advances. There is a story about a boy named K in this book, and I clearly saw the spirit behind this real boy. Having clearly grasped the spiritual hindrance of the unborn Buddha, he taught the boy and wrote this book. However, in this book, I did not use the common word “spiritual disorder,” because the term “spiritual disorder” that I use is fundamentally different from the general meaning of “ghostly,” and it may lead to misunderstandings. I didn’t use this word to avoid it. In this book, in the case of Boy K, I use the expression that his great-grandfather’s sense of oppression has entered the boy’s deep consciousness, but this great-grandfather and Boy K are not related by blood. Yet, in Sondhi’s style, a sense of oppression is being conveyed.
Ru. How did that get across? How did it get transmitted without passing through the genetic mechanism called DNA? We can only assume a kind of spiritual vibration. And that’s what I saw. What I saw, I called it “Spiritual Disorder”. this
In this book, this “spiritual disorder” is explained psychologically.
This book was an attempt to provide a deep psychological explanation of guardian spirits in “Have a Guardian Spirit,” which later became a bestseller, and spiritual disorders in “Dissolving Spiritual Obstacles.” Based on the findings of “Turn the Channel”, I wrote “Have a Guardian Spirit” and other books that are very popular and easy to understand.
By the way, I learned later that the main document used in this article, “Introduction to Fate Psychology” by Ryuzo Satake, was published by Reimei Shobo, which is run by Takashi Chikaratomi’s father. It was a book published by. I was very surprised to hear this when I met Mr. Chikaratomi. I feel something connected to my encounter with Mr. Chikaratomi.
Guardian spirit boom and spiritual disorder boom
With “Have a Guardian Spirit,” I created a nationwide boom in guardian spirits and psychic disorders, and the source of that was “Change the Channel.” It is no exaggeration to say that by the time he wrote “Turn the Channel,” he had essentially already begun writing “Have a Guardian Spirit.”
The example of teaching spiritual disorders introduced in “Have a Guardian Spirit” has already been presented in pioneering form in “Change the Channel.” The example of boy K falls under this category.
“Turn the Channel” symbolizes a huge turning point for me, both in the sense that it became the source of my subsequent writings, and in the sense that my own psychic powers were awakened around that time. It was a product of doing so.
All my books are organically connected. He pursues a single theme over many years and in several books. I read only one of them and was criticized as if I had taken the head of a demon.
It’s also a problem. It is misguided to criticize someone by not reading difficult books and only reading books that are written in a simple and popular way.

 

 

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ガイア理論

【ジェームズ・ラブロック博士】

この理論は、イギリスの独創的な環境科学者ジェームズ・ラブロックによって提唱されました。地球上の生物が単なる環境の産物ではなく、その環境を形作り、維持しているという考え方がその中心にあります。

実際、地球では生物と環境が互いに影響し合い、地球全体のバランスを保っています。ガイア理論の考え方では、地球上の生物は、気候や地質などの環境を変化させるだけでなく、その環境に適応して進化することで、環境を自ら調節しているとされます。

ガイア理論のポイントを確認しておきましょう。

発表当初は異端視された

ガイア理論は、当初は多くの批判を受けましたが、その後の

  • 地球システム科学
  • 生物地球化学
  • システム生態学

などの新しい学問分野の発展に、大きな影響を与えました。科学の発展とともに、ガイア理論の正当性がだんだんと裏付けられていったのです。

地球システム科学の分野に大きな影響を与えた

ガイア理論が示されて以降、地球システム科学の分野が大きく前進しました。この理論は、地球の気候変動生物多様性の保全環境汚染などの問題を多角的に考えるための枠組みを提供し、研究者たちに新たな研究の道を開きました。

また、持続可能な開発環境倫理に対する意識が高まり、私たちの生活様式にも変化を促すきっかけとなりました。

環境保護の重要性が認識されるようになった

私たちの日常生活においても、

  • リサイクルの推進
  • 再生可能エネルギーの利用
  • 自然との共生を意識した都市開発

など、ガイア理論の影響を受けた環境保護の取り組みが見られるようになりました。地球全体を1つの生命体と捉えることで、自然環境を大切にし、未来世代にも豊かな地球を残すことの大切さへの理解が広まったと言えます。

科学だけでなく広い分野に影響を与えている

ガイア理論は、科学のみならず、

  • 哲学
  • 宗教
  • 芸術
  • 経済

といった多様な分野にも影響を与えました。私たちは、この理論を通じて、地球を生命体として捉え、その不思議と美しさを再認識し、その保全に向けて行動する責任を感じるようになったのです。*3)

「解脱にいたる四つの階梯」 ”Four stairs leading to liberation”

 

阿合仏教を分析すると、それは二つの部分から成り立つ。

1 教えとして「縁起の教理」
2 修行法として「七科三十七道品」(三十七菩提分法”とも呼ぶ)
である。
これを、後世の分類法で呼ぶと、「縁起の教理」は「顕教」である。
解脱にいたる四つの階梯
「解脱にいたる四つの階梯」
だれでも、解脱にいたるためには、この四つの段階を経なければならない。
そしてこの四つの階梯を、すぐれたる聖師にしたがって歩んで行くならば、だ
れごも解脱に到達できるのである。もちろん、あなたにしてもその通りだ。
四つの階梯とは、
一、シュダオン(須陀垣)
二 シダゴン(斯陀含)
三、アナゴン(阿那含)
四、アルハット(阿羅漢)
である。
説明すると、
シュダオン  けがれをすべてとり除いた聖者
シダゴン   められた聖者
アナゴン   (次元を)飛躍した聖者
アルハット   仏陀
大次元を)超越し、完成した聖者、「ブッダ」ともいう。
は、この四つの階梯を、修行者はどのようにして歩んでゆくのだろうか。
霊性完成の方法と体系
シャカが残した霊性完成の修行法がそれである。これを、「成仏法」とよんでいる。成仏とは霊性を完成したことをいい、それを成就したヒトを「ブッダ」とよぶ。だから、わたくしはその方法を、「成仏法」とよぶのである。
それは七つのシステムと三十七種のカリキュラムから或る成仏のための方法
と体系である。の仏教用語である。

シャカがじっさい説かれたのは阿合経だけであるという、歴史的な事実のほ
かに、阿含経以外には、この「成仏法」がないから、わたくしはそう言うので
ある。「成仏法」のない経典など、わたくしは真実の仏教経典とみとめること
はできないのである。もちろん、それなりの存在意義なり存在価値はあろう
が、本流ではない。傍流というべきである。
七科三十七道品とはつぎのようなものである。
四念処法-‐―身念処法 受念処法 心念処法 法念処法
四正断法--断断法
律儀断法
四神足法一-―‐―欲神足法 勤神足法
随護断法
心神足法
修断法
観神足法
五根法ー一信根法 精進根法 念根法 定根法 慧根法
五力法l‐信力法 精進力法 念力法 定力法 慧力法
七覚支法-‐‐‐択法覚支法 精進覚支法 喜覚支法 軽安覚支法
定覚支法 念覚支法
捨覚支法
情賄法
正念法
正定法
以上である。
この七科目、三十七種のカリキュラムは、
―、瞑想
2、実践
3、tapas(練行)
に分類できる。
四念処法・五根法は、瞑想である。
四正断法・五力法・七覚支法・八正道は、実践と瞑想である。
四神足法は、特種なtapasである。
神足とは、神通力(超能力)のことで、この四神足法は、超自然的な神通力
を得るための四種の修行法である。前に述べたわたくしのtapasはこれに属
するものである。
この七つの科目のうち、taPasを中心に、瞑想と実践の科目をとり入れて修
行するのである。
どの科目をどうとり入れて、どのように訓練するかは、聖師が決定する。修
行者それぞれ、みな素質と因縁がちがうので、それをみて、グルがきめるので
ある。
この修行において、グルの果たす役目は大きい。グルについて、少しのべよ
霊性の洗礼
まちがいなく霊性を開顕したグルを見つけて、そのグルに受け入れて
にしへ、力修け八分通り成功したといっていいくらいである。それくらい重要なことであり、かつ、むずかしいということ
である。
グルなくして、ただしい霊性開顕の仏道修行は不可能である。ふつうの仏教
信心とはちがうのである。信心のしかたや、信仰のしかた、経典の講義や解釈
を教わるという程度のものならばとにかく、霊性開顕の仏道修行は、強力な霊
的能力を持つ聖師のたすけなくしては、ぜったいといっていいほど、できない
のである。
たとえば、インド近代の聖者ラーマナーマハリシが、入門者にたいして、
「凝視の方法」で受け入れの儀式を行なったとき、かれの両眼の輝きと力が相
手の心をつらぬいて、その雑念の流れを断ち切ってしまったといわれる。時と
しては、まるで電流が身の内に流れこんだように相手は感じたともいわれる。
こういう霊的体験によって、弟子はまず心をきよめられ、霊的なものにたい
するあこがれ、霊的向上心をいだくようになるのである。

 

 

Analyzing Aai Buddhism, it consists of two parts.

 

1 As a teaching, “the doctrine of auspiciousness”
2 As a training method, “Seven departments and thirty-seven dozens” (also called “37 Bodhipakkhi”)
Is.
If this is called by the classification method of posterity, “the doctrine of auspiciousness” is “religion”.
Four steps leading to liberation
“Four steps leading to liberation”
Anyone must go through these four steps to reach liberation.
And if you follow these four steps according to the excellent Holy Master,
The lever can also reach liberation. Of course, you are right.
What are the four ladders?
One, Shudaon (Sudagaki)
2. Sidagon (including this)
Three, Anagon (including Anagon)
Four, Arhat (Arhat)
Is.
To explain,
Shudaon The saint who removed all his injuries
Sidagon, the saint
Anagon (a dimension) a leap of saint
Alhat Buddha
It is also called “Budda”, a saint who transcends (large dimensions) and is completed.
How will the practitioner walk through these four steps?
Method and system of spiritual completion
That is the practice of spiritual completion left by Shaka. This is called the “Buddhahood Law”. The Buddhahood means the completion of spirituality, and the person who fulfills it is called “Budda”. That is why I call that method the “Buddhahood Law.”
It is a method for a certain Buddhahood from seven systems and thirty-seven curriculums
And system. Is a Buddhist term.
..
The historical fact that Shaka was actually told only by Agama
Since there is no such “Buddhahood method” other than Agama, I say so.
be. I consider it a true Buddhist scripture, such as a scripture without the “Buddhahood Law”.
Cannot be done. Of course, there will be some significance and value of existence.
However, it is not the mainstream. It should be called a sidestream.

The seven departments and thirty-seven dozens are as follows.
Satipatthana method — Satipatthana method, Satipatthana method, Satipatthana method, Satipatthana method
Four Right Exertions — Cutting Method
Law
Iddhipada Iddhipada ——– Iddhipada Iddhipada
Defensive law
Shinshin foot method
Cutting method
Kanjin foot method
Indriya method-Ichishinne method, Seishin root method, Nene method, Samadhi method, Keine method
Five-strength method l-credit method, devotion method, psychokinesis method, definite power method, morality method
Seven Factors of Awakening — Selective Factors of Awakening
Jokaku support method
Seven Factors of Awakening
Compensation law
Mindfulness
Orthodox method
That is all.
These seven subjects, thirty-seven kinds of curriculum,
-,meditation
2, practice
3, tapas (training)
Can be classified into.
The Satipatthana method and the Indriya method are meditations.
The Four Right Exertions, the Five Strengths, the Seven Factors of Awakening, and the Noble Eightfold Path are practices and meditations.
Iddhipada is a special tapas.
Iddhipada is a mythical power (supernatural power), and this Iddhipada method is a supernatural mythical power.
There are four types of training to obtain. My tapas mentioned earlier belongs to this
To do.
Of these seven subjects, meditation and practice subjects are taken into consideration, centering on tapas.
Do it.
The priest decides which subjects to take and how to train. Osamu
Each person has different qualities and ties, so when you look at it, the guru decides.
be.
Guru plays a major role in this training. A little about Guru
Spiritual baptism
Undoubtedly find a guru that reveals spirituality and accept it
It can be said that he was successful as he was able to improve his skills. It ’s that important and it ’s difficult.
Is.
Without a guru, proper spiritual manifestation of Buddhist training is impossible. Ordinary Buddhism
It is different from devotion. How to believe, how to believe, lectures and interpretations of scriptures
Anyway, the Buddhist training of spirituality is a powerful spirit.
You can’t do it without the help of a doctor of the church
It is.
For example, the modern Indian saint Ramana Maharishi, to his introductory
When performing the acceptance ritual in the “method of staring”, he combined the brilliance and power of his eyes.
It is said that he broke the heart of his hand and cut off the flow of thoughts. With time
It is said that the other party felt as if an electric current had flowed into his body.
This kind of spiritual experience first cleanses the disciple and wants to be spiritual.
You will have a longing to do it, and you will have a spiritual aspiration.

 

 

 

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