第2回
密教の五つの智慧とあやまるということ
2021.01.23更新
「そういうこと」に関わりを持とうとする
前回の四無量心の調子はいかがでしょうか? 「なかなか難しかった」という方も多いのではないでしょうか。僕もそのひとりです。でも思うのですが、あまり開き直ってもいけないけれど、「そういうこと」をチャレンジしたり、目標を立てたりする事自体にも、わりと大切な意味がある、と僕は感じたりしています。
今、コロナウイルスの蔓延の中で、同じ僧侶である妻から、「今、病気平癒とか疫病のための祈祷が効かなかったら、お坊さんの存在意義ってなんなんやろうか?」とポツリとつぶやくように尋ねられたことがありました。
「僕は思うのだけど、そういうのって効いた、効かなかったということも大事だろうけれど、”言いに行くところがある”というのも大事なのかな。”お願いする場所がある”というか・・・。例えば誰かが亡くなった、不治の病を告げられた。そういうことは、あまり”言いに行くところ”がないよね。でも”なにとぞ安らかに””どうか治してあげてください”とお願いする場所や人があること自体が大切なんじゃないかな」
そんな話をしたことをふと思い出しました。つまり「そういうこと」と関わりを持とうとする事自体に意味がある。病気平癒と四無量心は、内容は違うけれど、そういった意味では、僕の中では、重なりあう部分があることです。
密教の智慧はトータルの総合力
僕が密教を学んでいた高野山大学のゼミの恩師が、卒業後に教えてくださったことですが、海外の学術調査でムスタンを訪れた時、ある現地の高僧から、
「あなたに仏教の真理を教えあげよう」
と語りかけられ、話の続きを聞いてみると、驚くほど基礎的な仏教の智慧を、とても短く話されたことがあったという話を印象的に憶えています。
仏教には、複雑な哲学体系も、誰も知らないような専門用語も、様々な瞑想法も存在しますが、まずは基本的な思想や行動規範を、「本当に人生の中で生活の中で」活かそうとすることは、とても大事なことだと僕は思っています。
そのような中で、僕の修行している密教は「シングルイシュー(問題点や論点がひとつであること)の真理」を追い求めるというよりは、全体性、統合性を大事しながら、「トータルの総合力」を大事にする傾向があります。ですので今回は、僕も著作で繰り返し書いてきたことではありますが、密教の「五智(ごち)」というに5つの智慧についてあらためて紹介しようと思います。
五智を生活の中に置いてみよう
密教の五智とは、①大円鏡智(だいえんきょうち)②平等性智(びょうどうしょうち)③妙観察智(みょうかんざっち) ④成所作智(じょうしょさち) ⑤法界体性智(ほうかいたいしょうち)の5つの智慧です。
ひとつ、ひとつの意味は、様々な説明がされるところではありますが、僕なりに意味合いをお話しすると、大円鏡智は、「鏡のように一切を分け隔てなく見る智慧」です。この連載では、こういった仏教用語を<現代の生活の中で活かす>ことはできないか。ということが大きなテーマになっていますので、少しかみ砕いて、「生活の中での大円鏡智」を我流になることを恐れず、説明してみると「できる限り先入観なしに”そのまま”人や物事をみる」という風にも言えそうです。
僕達は、あらゆる対象や存在をみる時、「あの人は、ああいう人だ」とか「こういった評価を受けているものだ」と前情報をかなり用意した状態で、接します。むしろ出会う前から結論が出ているような事も少なくありません。しかしそれだけでは、逃してしまうものが多いのではないでしょうか。
もちろんいくら「そのまま観よう。先入観なしにみよう」と思っても、自然と自動的に先入観は加味されます。しかし、できる限り対象や世界を「素」で受けとろうとする。そういった「問題意識」や「努力」も生活の中での大円鏡智だと僕は思います。

続いて平等性智です。平等性智は、「あらゆる対象に対して共通性、均質性、を見出す」智慧であると言われます。これはそのままでもいけそうですが、あえてもう少し生活に近づけて話してみると、「出会う人や物事に対して”同じところ””似ているところ”を見つける」などと言うことができそうです。
妙観察智は、「すべてに対して<違い>を見つける。異質的な面、区別の面」です。平等性智と対照的な智慧というわけです。これにはシンプルに、「すべてに対して”違うところ”を見つける」という視座をあたえることができます。ちなみにこの平等性智と妙観察智はあらゆる密教や仏教の智慧の中で、僕がもっとも現実的に用いてきた智慧だと思います。つまり「同じところをみつけ、違いをみつける」という動きです。
成所作智は、「実際の活動のもとになる智慧。五感の感覚的な意識が転じて得る智慧」とされます。つまりこれは、「実際の行動、活動とする智慧。”やってみる”ということ」という風に現代の中で言えると思います。
最後の法界体性智は少し宗教的になりますが、「大日如来の絶対的な智慧。統合する智慧」という意味です。真言密教において多くの場合はど真ん中に据えられる<大日如来>そのものの絶対的な智慧です。その根底には、すべてのものが元々分かれているものではなくて、統合されているという生命観がありますので、僕はそれを「全体を結びつける智慧。元々、結びついていることを知る智慧」として提案したいと思います。
つまり①そのまま見る。②共通点を探す。③違うところを見つける。④行動する。⑤全体を結びつける。という智慧です。








