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予告された如来の復活

諸比丘を集めて、このようにお説きになられた。

わたしは、諸法の実相を如実に見ることの出来る真実の智慧、すなわち阿都

三藐三菩提を得て、すべての煩悩の根を断ち切り、カルマの束縛から脱出して

この智慧を持たぬかぎり、ニルヴァルヴァーナに入ることができたのである。

を獲得することはできないのである。

そうおっしゃって、諸法の生滅の原理を説かれ、ついで、じつに大変なことをお口に されたのである。もっとも、大変なことといっても、釈尊や、釈尊のお弟子の比丘たち にとっては、べつにごくあたりまえのことなのであるが、これをはじめて目にしたと き、わたくしは、これは大変なことだぞ、と、心の底からびっくりしたのである。

いや、これはわたくしだけではない、あなたがたもそうであろうと思われる。いや、 日本中の人びとがびっくりするであろう。中で一番びっくりするのは仏教のお坊さんで あろう。

「成仏」に関することで、釈尊はじつに大変なことをおっしゃったのである。

どんなことをおっしゃられたのか?

かの比丘はついに漏尽解脱を得ることあたわず。

福尽解説(成仏)を得ること能わず。所以は何ん。修習せざるが故なり。何 等か修習せざる。調ゆる念処・正勤・如意足・根・力・覚・道を修習せざるなり」

自分、ゴータマにたいして、いくら成仏を求めても、その比丘はどうしても成仏は得 られないのである。それはなぜか? 修行しないからである。なにを修行しないという のか。いわゆる、四念処・四正勤・四如意足・五根・五力・七覚支・八正道の、道品法 を修行しないからだ。

こう、はっきりと断言しておられるのである。

もっとも、これは当然といえば当然しごくのことである。釈尊が成道して、阿耨多羅 三酸三菩提を得、涅槃に入られた時点で、釈尊は、道品法を定められたのではなかった か。自分とおなじように涅槃を得ようと思ったら、このように修行するしかない、と、 信行法を定められたのである。その修行法を修行しなかったら、目的を果たせないのは あたりまえのはなしである。

しかし、この道品法というものを知らない坊さんや、道品法を修行しない修行者たち にとっては、大変なはなしである。そういうひとたちはいったいどうしたらよいのか。 わたくしは、ときどき、内輪の法話で、

「むかしから今にいたるまで、日本の坊さんで一人でも成仏した人はいない」

ということを、半分冗談のように、半分真剣でいっている。信徒のひとたちは、おそ ちく、管長はずいぶん思い切ったことを言うなあ、興奮のあまりオーバーに言ってしま うんだろうが、そんな放言、というより、暴言をはいていいんだろうか、と思うひとも あるかも知れない。しかし、それはわたくしが勝手に言っているんではないんだ、とい うことである。釈尊がここでおっしゃっておられるのである。わたくしはただそれを、 おとりつぎしているだけにすぎない。

The monks were gathered in a quiet corner of the forest. The Buddha stood before them and looked at them all with a calm gaze. Then he began to speak in a deep voice.

“The true wisdom that allows one to see the true nature of all phenomena – that is, Anuttara-samyaksambodhi. To obtain this, one must cut off the roots of worldly desires and be liberated from the bondage of karma. Without this, one cannot reach Nirvana.”

The monks present were listening quietly. The Buddha’s words seemed calm, but there was an unshakable power within them. To them, it was part of the teachings they were accustomed to hearing every day, but the contents carried the weight of an enormous truth.

However, there was one person among them who held his breath in his heart. The moment I heard the Buddha’s words, I couldn’t help but be astonished. The Buddha spoke calmly. However, beyond his words was a world so high that it was impossible for ordinary people to reach it.

“That monk was not able to attain the state of complete liberation.”

The Buddha’s voice rang out again. A murmur arose among the monks. The state of complete liberation – the complete elimination of worldly desires. What does it mean that he was unable to attain this? The Buddha immediately explained the reason.

“It is because he did not practice. One must practice the four foundations of mindfulness, the four right efforts, the four willful desires, the five roots, the five powers, the seven awakenings, and the eightfold path. Without these, one cannot attain Buddhahood.”

This declaration was a very natural teaching to the monks who took the Buddha’s words at face value. However, it felt like a heavy declaration of truth to me. And I muttered to myself.

“Isn’t this really something serious?”

However, when I looked around, I noticed that the Buddha’s disciples did not seem surprised at all. No, perhaps this story was just an everyday teaching to them. But for me, it was the biggest shock I could ever imagine.

“How surprised would the people of Japan be to hear this teaching? And the most surprised would be the monks who serve Buddhism.”

I muttered to myself. Then I remembered the words of the Buddha. “Without practice, you cannot attain enlightenment.” This simple and strict truth continued to resonate within me.

A certain thought was urged in my mind. I wanted to tell someone here the words that have long been my favorite phrase.

“Has there been even one monk in Japan who has attained enlightenment from ancient times to the present?”

This question is often asked half-jokingly. But now that I have heard the Buddha’s teachings directly, I thought it seriously and not jokingly. The path to enlightenment is difficult. I deeply felt that we should not talk about this state of mind lightly.

 

 

 

 

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間脳の光

間脳の光

深い森の中、しんと静まり返る禅堂で、彼は一人座禅を組んでいた。足元に敷かれた敷物は長年の修行の証か、擦り切れて柔らかな風合いを持つ。木々が風に揺れるたび、葉擦れの音がかすかに耳に届く。まるで自然そのものが彼の呼吸と一体化し、彼を導いているかのようだった。

彼の目は閉じられ、しかしその奥には揺るぎない決意が宿っている。「四神足法を極める」。その言葉は、彼の魂に深く刻み込まれていた。それは仏陀が説いた教えの中心であり、覚醒への道を照らす灯火だった。

最初の修行、「身念処」は、自らの身体を観察することから始まる。父母から授かったこの身体は、やがて土へと還る一時的な存在に過ぎない――その真実を彼は静かに見つめた。呼吸に意識を向けるたび、横隔膜が膨らみ、肋骨が開く。そのリズムが、自分と自然の境界を消していくようだった。呼吸を意図的に制御することで、彼の間脳と全身の神経が調和し、徐々に心が静寂に包まれていく。

やがて「受念処」へ進むと、感覚そのものが対象となった。彼の足をかすめる冷たい風、座禅の姿勢から来る鈍い痛み。それらを拒絶することも、追い求めることもせず、ただ冷静に受け入れる。そこにあるのは、感覚の純粋な流れだけだった。

次の段階、「心念処」では、さらに深い静寂が訪れた。心の中を流れる思考や感情の波。それらが徐々に消え去り、彼の心は静謐そのものとなった。外界の音や刺激も、彼の心に影響を及ぼさない。彼の心は鏡のように澄み渡り、ただ真理を映し出す。

そして、最終段階である「法念処」へと至った彼は、真理そのものに深く没入した。万物は無常であり、苦しみの原因は執着にある。その真理が、彼の内に明確な光となって現れる。彼の呼吸は完全に整い、間脳を中心とした神経系が覚醒を迎えた。

修行の日々は彼をさらに高みに押し上げた。四神足の修行では、「欲神足」の燃える願望が瞑想の力をさらに深め、「勤神足」の努力がその基盤を支えた。「心神足」の制御によって心は揺るがなくなり、「観神足」によって彼の智慧は真理を見抜いた。結果として、彼の内に奇跡的な力――神通力が芽生え始めた。

ある日、彼は瞑想の中で、身体がふわりと浮かぶのを感じた。鳥が空を舞うような軽やかさ。さらに過去の記憶が鮮明に蘇り、他人の心をも読む能力を得た。それらの力が次々と現れる中でも、彼は一切の執着を持たなかった。奇跡的な力もまた、悟りへの道の一部に過ぎないと悟っていたからだ。

そしてついに、その瞬間が訪れる。深い瞑想の中、彼の意識は時間と空間を超えた。世界が光に包まれ、すべての苦しみが霧散していく。間脳から放たれる光が全身を満たし、彼の存在は宇宙そのものと溶け合った。

彼は悟りを得た。そこには欲望も苦しみもなく、ただ静かで永遠の平安が広がっていた。