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鬼子母神

鬼子母神【きしもじん】仏教を守護する善女神の一人。 多くの子をもっていたが,常に他人の子を奪って食べるので,仏が鬼子母の子を隠して,子を食う罪をさとした。 以後仏教に帰依し,その守護神となったという。 日本では法華経の行者を守護する善女神とされ,とくに日蓮宗の守護神として崇敬された

 

夜叉毘沙門天クベーラ)の部下の武将八大夜叉大将(パーンチカ、散支夜叉、半支迦薬叉王[4])の妻で、500人(一説には千人[8]または1万人[9])の子の母であったが、これらの子を育てるだけの栄養をつけるために人間の子を捕えて食べていた。そのため多くの人間から恐れられていた。

それを見かねた釈迦は、彼女が最も愛していた末子のピンガラ[10](Piṅgala,氷竭羅天[11]、嬪伽羅、氷迦羅、畢哩孕迦[4])を乞食(こつじき)に用いる鉢に隠した。彼女は半狂乱となって世界中を7日間駆け抜け探し回ったが発見するには至らず、助けを求めて釈迦に縋ることとなる。

そこで釈迦は、「多くの子を持ちながら一人を失っただけでお前はそれだけ嘆き悲しんでいる。それなら、ただ一人の子を失う親の苦しみはいかほどであろうか。」と諭し、鬼子母神が教えを請うと、「戒を受け、人々をおびやかすのをやめなさい、そうすればすぐにピンガラに会えるだろう」と言った。彼女が承諾し、三宝に帰依すると、釈迦は隠していた子を戻した。

そして五戒を守り、施食によって飢えを満たすこと等を教えた。[12]かくして彼女は仏法の守護神となり、また、子供と安産の守り神となった[9]。盗難除けの守護ともされる。

インドヒンドゥー教)では、とりわけ子授け、安産、子育ての神として祀られ、日本でも密教の盛行に伴い、小児の息災や福徳を求めて、鬼子母神を本尊とする訶梨帝母法が修せられたり、上層貴族の間では、安産を願って訶梨帝母像を祀り、訶梨帝母法を修している。

また、法華経において鬼子母神は、十羅刹女と共に法華信仰者の擁護と法華経の弘通を妨げる者を処罰することを誓っていることから、日蓮はこれに基づき文字で表現した法華曼荼羅に鬼子母神の号を連ね、2者に母子の関係を設定している。このことが、法華曼荼羅の諸尊の彫刻化や絵像化が進むなかで、法華信仰者の守護神としての鬼子母神の単独表現の元となった。

その像は天女のような姿をし、子供を1人抱き、右手には吉祥果を持つ。なおこれをザクロで表現するのは中国文化での影響であり、これは仏典が漢訳された時は吉祥果の正体が分からなかったために代用表現したものである。よって仏典中の吉祥果とザクロは同一ではない。また鬼子母神が人間の子を食べるのを止めさせるために、人肉の味がするザクロを食するように釈迦が勧めたからと言われるのは、日本で作られた俗説にすぎない。

日蓮宗では、子安鬼子母神が祀られるほか、近世に入って以降、法華経陀羅尼品に依拠する祈祷が盛んとなり鬼子母神を祈祷本尊に位置付けるに至ったこともあり、鬼形の鬼子母神像も多く造られるようになった。これは、法華経の教えを広めることを妨げる者(仏敵)を威圧する破邪調伏の姿を表現したものである。この鬼形鬼子母神の造像については、明確な区分ではないものの、関東と関西では異なる傾向がみられる。関東では総髪で合掌した姿であり、子供を伴ってはいない。他方、関西では総髪ではあるものの角を生やし、口が裂け、子供を抱く(あるいは、左手で子供と手を繋ぐ)姿である。また、子どもを抱き宝冠を付けた姿は一見すると天女形であるが、形相が天女形から鬼形に変容する過程にあると思われる珍しい像が存在することも確認されている。

求聞持聡明法

 

弘法大師空海は、幼き頃より求聞持聡明法を修行し、その才覚は天に轟いた。彼の頭脳はかつてないほど鋭敏になり、言葉を発すれば周囲の者は驚嘆し、その知識の深さに圧倒された。彼の名は遠くまで響き渡り、後世に語り継がれることとなった。

一方、興教大師覚錢もまた、この秘法に魅せられた修行者の一人であった。彼は七度の修行に失敗し、己の限界に打ちひしがれながらも、八度目にしてついに悉地を成じた。彼の瞳は光を帯び、知の閃光がその内より放たれるかのようであった。しかし、彼の寿命は長くは続かなかった。四十八歳の若さで彼はこの世を去り、人々はその英知と短命を惜しんだ。

求聞持聡明法とは、ただの修行ではない。それはクンダリニー・ヨーガの力を借りてチャクラを覚醒させ、超人的なエネルギーを生み出す技法である。そして、そのエネルギーを導引・気功の秘法を用いて身体中に巡らせる。特に、脳の中心である間脳や視床下部に送り込むことで、知能は飛躍的に向上する。

この秘法を極めんとする者がいた。山田と名乗るその男は、半生をこの法の完成に捧げた。彼は書物を綴り、研究を重ね、この法をより完全なものへと仕上げていった。そして、彼は断言する。

「この法を修行すれば、知能は二倍に、体力は三倍に強化される」

しかし、問題はあった。天才であるがゆえに、命を削るのではないかという懸念だ。覚錢上人の短命が、その証左であった。しかし、山田は道教の秘法を組み込み、この欠点を補った。天才である以上、長く生き、若々しく、健康でなければならない。病に伏した天才に、何の意味があるだろうか。

山田は、この法を極めることで、新たな時代の到来を確信した。そして、その道を歩む者に向けて言葉を残した。

「この法を修めよ。知の高みへ至れ。しかし、決して己を滅ぼすことなかれ」

 

 

 

ヒトを天才にする求聞持聡明法

ヒトを天才にする求聞持聡明法

求聞持聡明法は、ヒトを聡明にし、天才にするという真言密教に伝わる秘法である。

弘法大師空海が、若くしてこれを修し、大天才となったということで、風に知られかくはんている。また、新義真言宗の開祖、興教大師覚錢(一〇九五一一一四三)が、 しつちじようこの法を修して成功せず、八度目に悉地を成じ、成功したと伝えられる。覚毀上人ののこされた業績をみれば、上人もまた天才であったことは疑いない。ただ残念なことに、四十八歳で亡くなられている。

 

 

 

1 クンダリニー・ヨーガのチャクラを覚醒して、超人的エネルギーを発生させる。

2、その超人的エネルギーを、中国・道教につたわる導張・気功の持つ生気ルートにのせて、体の各要所、要部にめぐらせ、行きわたらせる。殊に、大脳の中枢である間脳・視床下部に送りこむ。

この二つの方法を、独特の方法で完成したのである。これは、前人未踏の領域であるといってよいであろう。

わたくしは<桐山 >、半生を、というより、一生をこの法の完成に注いだ。いまから約二〇年前に発行した「変身の原理」以来、わたくしの著書はこの本で四○冊になるが、それらの著書のすべてが、この法の完成に至る道のりをあらわしたものであるといって

イントロダクション

よい。

にした。 わたくしは、この本で、わたくしの得たほとんどのものを、出来るかぎり、明らか

クンダリニー・ヨーガも、道教の導引・気功も、いずれも超人的能力を獲得するための最高の法である。この世界にこれ以上の超能力開発法はない。この二つの法の欠陥を補正して融合させ、さらにあらたな創案をくわえて完成したこの駄都如意求聞持聡明法は、ヒトにおける究極の超能力開発法であると自負するのである。

こうせいもちろん、後世おそるべし』という諺の通り、今後、これ以上の超能力開発法も出るかも知れないが、しかし、それも、クンダリニー・ヨーガと導引・気功を融合させたこの駄都如意求聞持聡明法のライン以外のものではないであろうと確信している。

この法を、指導通りに修行するならば、確実に、ヒトの知能は二倍に、体力は三倍に飛躍強化されるであろうことを断言する。

天才は不老長寿でなければならない

求聞持聡明法は、たしかにヒトを天才にする。

 

ある。 道教の導引・気功の秘法をとり入れたことが、この心配を吹きとばしてくれたので

しかし、いくら天才になっても、そのために、病弱になったり、若死にしたりしたのでは、なんにもならない。

天才は、いつまでも若々しく、健康で、世のため、人のため、その才能を発揮するものでなくてはならない。(寝たっきりの天才など、まっぴらである)

求聞持聡明法修得をこころざしたわたくしは、つねに、四十八歳という惜しむべき短命に終わった興教大師覚銭上人が念頭にあった。上人は、おそらく、過酷な求聞持法修行のため、法は成就したものの、体を痛め、寿命を損じたのにちがいなかった。

 

上の文章を小説風し