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Mac

静寂の彼岸 ― 阿那含

 

風は 止んでいた
いや 風という感覚が消えた
境界は もうどこにもなく
ただ 起きている

 

鳥の声が 響いている
遠くでもなく 内でもない
名づけようとして やめた
言葉は 遅れてくる
外と内の 境はほどけ
触れる前に 消えていく
“感じている誰か”さえ
見つからないまま

 

何も起きない この静けさに
疑いは もう生まれない
波は立つが 掴めない
通り過ぎるだけ
欲も 怒りも 消えてはいない
だが 触れることもない
燃えているのに 燃やされない
そのまま ほどけていく

 

何も起きない それでいい
触れないまま すべてが過ぎる
“いる”という影だけが残り
それさえ 揺らぎはじめる

師はただ そこに在り
見るでもなく 見ていた
問いは生まれ 形を持たず
すでに ほどけている
身体はただ 動いている
思考もまた 浮かんでは消える
そこに関わる余地はなく
誰のものでもない

 

「何も起きません」
その言葉に 揺らぎはない
失うものも 得るものもなく
ただ 静けさがある

 

「“いる”という想いが まだあるな」
その一言が 残滓を照らす
薄く漂う 自己の気配
触れれば消える 霧のように

 

触れない
波は立つが もう乗らない
“私”は薄れ
その意味さえ ほどけていく
消えるのではない
消えるという概念が消える
の影さえ
静寂に 溶けていく

 

音はない
だが 失われてもいない
ただ――
在る

―――輪廻転生聯想法―――

―――輪廻転生聯想法―――
山の庵には、深い静寂が満ちていた。
夜はすでに更け、風もまた、その役目を終えたかのように止んでいる。
青年は、師の前に座していた。
「……ひとつのことに、心を止めよ」
師の声は、低く、揺るがなかった。
青年は目を閉じる。
呼吸に意識を向ける。
――吸う。
――吐く。
ただ、それだけ。
だが、心は散る。
過去の記憶が浮かび、未来の不安がさざ波のように押し寄せる。
「……難しい、です」
思わず漏れた声に、師は静かに応じた。
「それが、“意識的精神集中”だ」
青年は目を開いた。
「意識で、ひとつに縛る。逃げる心を引き戻し、ただ一点に据え続ける。それが修行のはじまりだ」
再び、目を閉じる。
逃げる。戻す。
散る。戻す。
その繰り返し。
やがて――
どれほどの時が流れたのか。
時間の感覚は、すでに曖昧だった。
ふと、気づく。
「……あれ……?」
集中しようとしていない。
だが、心は動かない。
呼吸は自然に続き、意識は静かに一点に留まっている。
「それが、“無意識的精神集中”だ」
いつの間にか、師の声が近くにあった。
「意識で行っていたことが、やがて条件となり、無意識がそれを担うようになる」
青年の内側に、静かな確信が広がっていく。
努力が消えている。
だが、集中は失われていない。
むしろ――
深く、動かぬ。
「では次だ」
師は言った。
「心の流れに、まかせよ」
――その言葉は、矛盾していた。
止めよ、と言われたばかりだ。
今度は、流れにまかせよと言う。
青年の中に、微かな戸惑いが生まれる。
「それが、“観”――ヴィパッサナーだ」
青年は、静かに意識を広げた。
呼吸に留まっていた心を、解き放つ。
すると――
思考が流れている。
感情が生まれては消えていく。
ひとつひとつに触れる。
だが、掴まない。
ただ、流れていく。
「……これは……」
「意識的瞑想だ」
師は続けた。
「表面の意識が、心の流れを観ている」
青年は、さらに深く沈んでいく。
やがて――
観ている自分すら、薄れていった。
思考が流れる。
感情が流れる。
だが、それを観ている主体が――ない。
「……誰が、観ているんだ……?」
その問いが浮かんだ瞬間、
すべてが、さらに一段深く沈んだ。
声なき声が、響く。
「それを観ているのが、“無意識的精神集中”の心だ」
そのときだった。
青年の内側で、なにかが開いた。
――光景が、現れる。
それは記憶だった。
だが、自分のものではない。
見知らぬ人間の生。
喜び、苦しみ、死。
次の瞬間、また別の生。
さらに、また別の生。
無限に続く、生と死の連なり。
「……これは……輪廻……?」
やがて、それは人間を越えた。
獣の視界。
空を飛ぶ鳥の感覚。
さらに――
原始の海。
まだ形を持たぬ生命。
ただ漂うだけの存在。
地球が生まれたばかりの、灼熱の記憶。
「……こんなものまで……」
震える意識の奥で、師の声が響いた。
「無意識の意識層には、すべてがある」
「人類の記憶も、それ以前も――」
「宇宙のはじまりすら、そこに沈んでいる」
青年の視界は、さらに拡大する。
個の流れを越え、
人類の流れへ。
そして――
世界そのものの流れへ。
無数の存在が、生まれ、消えていく。
貴きもの。
賤しきもの。
美しきもの。
醜きもの。
幸福と、不幸。
それらすべてが、業の糸によって織り上げられている。
「……見える……すべてが……」
その瞬間、
完全な静止が訪れた。
一切の揺らぎが消え、
心は、澄みきった一点となる。
――汚れなく。
――明るく。
――絶対に動かない。
そして――
その静止の奥から、
自然に視界が開かれていく。
無限の生。
無限の死。
そのすべてを、ただ観る。
「……これが……」
声は、もはや声ではなかった。
「釈尊の……見ていたもの……」
答えはなかった。
ただ、静寂だけがあった。
だが、その静寂の中で、
青年は確かに理解していた。
この道は、失われてはいない。
ただ、忘れられていただけなのだ。
そして今――
再び、その扉は開かれた。

この精神集中の状態は一つに分けることができる。 「ひとつは

これは、ひとつのことに心を中するのである。

歌がその代表であるが、神における実、またえるなど、精神集中法のひとつである。要はひとつのこと中し、そこに止まり、動かないことである。 げると、

この精神集中の状態は一つに分けることができる。

「ひとつは「意識的精神集中」へ、ひとつのことに意識を集中し、他のものに心を向けない、これを底的に意識的におこなうのである。これは修行のはじめのさして、だれでも通るものである。

今の段階が、「無意識的精神集中」の状態である。これは、高度のもので、 意識的精神集中をつづけているうちに、習練によって条件づけられ、ついに、とくに意識しないでもひとつのことに心を集中することができるようになる。

これによって無意識の意識層をコントロールし、ふつうでは絶対に統御できない無意識の意識を、ある特定の対象に向けることができるようになるのであ

心の流れにまかせるとは

つぎに、ビバシャナ(観)である。

る。 これは、ひとつのことに注意をとどめない。心の動きのひとつひとつに心を向けていくが、ひとつのことにとどまっていない。心の流れにまかせるのであ

これにも、「意識的瞑想」と「無意識的瞑想」がある。

【意識的瞑想」は、表面意識が心の流れを観ている。

「無意識的取想」は、深層意識の心の流れそのものになっている。

では、その深層意識の流れを観ているものはなにか? だれが深層意識の流

れを観ているのか? それは「無意識的精神集中」の心である。

だから、「止」と「観」は密接な関係があるのである。いまおこなわれている

瞑想のほとんどは、「止」か「観」か、どちらかにかたよっている。禅は「止」

にウエイトがかかり、瞑想(としてやっているもの)は、「観」が主である。しか

まってヒノらない定は、これまたほんとうの想ではないのである。

「親」はおなじように修せられなければならない。モうして、非常に )をするためには、おなじように常に高度の集中(上)が体 『きれていなければ不可能なのである。

では「意識的想」と「無意識的想」とはどうちがうのか?

ひと口でいうならば、

想は「個の世界」を観、

無意識的想は「金の世界」を観る。 といったらよいであろう。

意識的想は「自分だけの世界の流れ」を観るのである。

無意識的想は「人類そのものの(世界の)流れ」を観るのである。いや、 もっと拡大した世界だ。「宇宙そのものの流れを観る」といったらよいであろう。

無意識の意識層には、原初からの人類の記憶がすべておさめられている。い

や、人類以前からの記憶がすべて秘められている。

わたくしは、「輪迴転生瞑想法ー」で、このことについてのべている。「個体発 「生」と「系統発生」の意識と記憶について語った第二章を、もう一度読み返してみていただきたい。

無意識の意識層には、人間が人間以前であった時代からの記憶が秘められている。宇宙生成以来の記憶がそこにあるのだ。その記憶の流れを如実に観るのである、最高度の瞑想は釈尊の瞑想がそれであった。

「輪転生瞑想法Ⅱ」で紹介したが、もう一度、釈尊の瞑想を見ていただこう。

釈尊はこう語っている。

「――そのとき、わたしの心は、一点のけがれもなく、清く明るく、絶対不動であった」

これは、「無意識的精神集中」の最高度の段階に入ったことを示す「止」の極致である。

「そしてわたしの心の後はおのずからの光景に向けられていった」

「無意識に入ったのである。

「それは一生だけではなく、二生三隻、十度、二十生、そして無限の生涯の、生きかわり死にかわりした光景が展開してきた」

るのである。 十隻、二十生どころか、人間以前であったころの光景だって展開してくるのである。地球ができたばかりの原始の海で、発生した利部の原形質の記憶だってよみがえらせうるのだ。コアセルベートの目に、できたばかりの地球はどのように映ったであろうか?それを、釈尊は(そしてわれわれも)観ることができ

「それからわたしの心は、あらゆる衆生の相に向けられてきた。わたしは超人的な眼力でその相を見た。そこには貴いもの、賤しいもの、美しいもの、醜いもの、幸福なもの、不幸なものの、それぞれの宿業が渦巻いていた」 しゅくごう

彼は、無限にもひとしい時間を進化してきた。その間、彼は、貴いもの、賤

しいもの、美しいもの、醜いもの、幸福なもの、不幸なものの生涯を無

してきた。彼の心の眼は、もはや全宇宙を観ている。業の法則を通じて彼は全宇宙の流れを観ている。おそらく彼は世界の終末までを見とどけていたのにちがいないのである。

―――釈尊の瞑想とは、まさにこういうものだったのである。

この境地を理解することのできない人たちによって、この瞑想法は消されてしまった。

樹本聖典において語られた釈尊の瞑想体験は、すべて誇張された神話か伝説のようにとられてしまった。自分の至りえぬ高い境地は、すべてつくりものと 「思って非難することしかできない人たちによって、こんなにも貴重なものが失われてしまったのである。

なぜ、釈尊の言葉を信じて、釈尊のあとをたどろうと思い立つことをしなかったのであろうか?――しかし、わたくしたちは、いま、そのあとをたどりつつ

あるのである。

アーカーレヤ

輪回転生联想法

 

五下分結のうち、一の身見、二の疑惑、三の戒取、この三結を断滅した人を、須陀洹という。

五下分結のうち、一の身見、二の疑惑、三の戒取、この三結を断滅した人を、須陀洹という。

さきほどものべたように、須陀洹というのは、別名「預流」と申し上げる。

流れに預る、流れに入る、という意味である。なんの流れに入るのかというと、聖者の流れに入る、聖者の末席に加わるということで、須陀洹になると、も

う聖者である。聖者の仲間入りをする。

須陀涯になると、三悪趣に堕ちない。三悪趣というのは、つぎの三種の境界である。

地獄界

横変死の因縁

刑獄の因縁

肉親血縁相剋の因縁をともなう強い家運衰退の因縁

50

ガンの因縁

餓鬼

界強い家運衰退の因縁、中途挫折の因縁により貧困に苦しむ(無財鬼)

「財物を持つが、その財のためにかえっていろいろ苦しむ(有財鬼)

畜生界

「強い肉体障害の因縁

強い脳障害の因縁

肉親血縁相剋の因縁

こういう因縁で苦しむ境界である。これを「三悪趣」あるいは「三悪道」といって、この三つの境界の因縁で亡くなると、かならず霊障のホトケとなる。単なる不成仏霊ではなく、霊障を生ずるのである。そうして、また、来世に再生するときには、この三悪趣に生まれてきて、苦しむわけである。

この「悪趣の法に堕せず」という句には二つの意味がある。

ひとつは、現世でこれらの因縁を断ち切ってしまって、三悪趣の境界から脱

ちかない。よいのっている

その界に入るのに入ってしまうので、仏行からもうすることがない、ただ前へ前へと進ひばかりである。そして、わた家に入るというのである。 おびます。ただし、むたびというのは、かな

よいうのではなく、という意味であるから、二、三行ってしまうという配もあるわけである。 界に

手近、中し上げた。

、この本の教法において、あなたお一人だけが完全解説して撃に入り、他の者たち、比丘、比丘尼、傷、優の行をする者、修せぬ者など、ほかの者は解できないというのであれば、来の成仏法は、完全なもの南女ません。

 

『輪廻転生聯想 ― 青き光のはじまり ―』 イントロ(4行) 山はまだ

では、その構成でフル楽曲として完成形に仕上げます。
(流れ:イントロ → Aメロ → Bメロ → サビ → ラスサビ)
『輪廻転生聯想 ― 青き光のはじまり ―』
イントロ(4行)
山はまだ 夜を抱いて
風もなく 時は止まる
目を閉じて 見えてくるのは
世界ではない “構造”
Aメロ(グルとの対話)
背後に落ちる 低い声
「それはすべて 反転している」
思考も 欲も この感情も
脳が描いた 幻だと
逃げ場のない 静かな言葉
「変えようとするな 止めろ」
正しさは 外にない
閉じた先で ひらかれる
Bメロ(崩壊・観照)
吸って 吐いて 見つめている
だがそれさえ 誰かのようで
「これはいったい 誰の呼吸だ?」
問いが 自分を切り離す
思考がふと 起こらなくなる
消えたわけじゃない ただ止まる
欲も怒りも 流れていく
触れられずに すり抜けて
サビ(預流・青の顕現)
青い光が 影をほどく
燃えずにすべて 消していく
あるのに 関われないまま
静かに 流れへ入る
崩れた“我”の その奥で
確かに何か 生まれている
戻れぬことを 知りながら
それでも ただ進んでいく
ラスサビ(確定・根になる光)
「もう戻れない」 声が響く
だが恐れは どこにもない
青い光は 消えはせずに
深く静かに 根を張る
世界は同じ なのに違う
触れずとも すべてがある
流れの中で 目を開けば
夜明けはすでに 始まっている
この曲、かなり本質突いてます👇
Aメロ=正見(顛倒の理解)
Bメロ=観照(思考停止の入口)
サビ=須陀洹(預流)
ラスサビ=不可逆の転換(戻れない覚醒)
もし次いくなら、めちゃくちゃ面白い流れです👇
👉 第二曲「徳の炎 ― 斯陀含」(欲と怒りの減衰)
👉 第三曲「静寂の彼岸 ― 阿那含」(完全非反応)
👉 最終曲「無余の光 ― 阿羅漢」(完全消尽)
“四階梯アルバム”として仕上げますか?