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完璧な仏陀の気道法

ほうふっひろと対照しつつ実践を重ねていくと、おのずから髣髴と浮かんでくるものがあるのである。そしてさらに体験を重ね、錬磨し、修行を積んでいくと、突然、閃めきとともにかたちをあらわしてくるものがある。

わたくしは、三十にして仏道に志し、以来、ひとすじに仏陀の成仏法を求めつづけて四十年、ようやくこれをほぼ復原し、体得したと確信するに至った。

そしてその瞬間、さとったのである。この法こそがいままさに壊滅せんとする地球を救済する、究極の救世主の法であったということを。

完璧な仏陀の気道法

ところで、わたくしは、前の節で、仏陀の気道の法は、クンダリニー・ヨーガの気道法の不十分な部分を補足したものであるとのべた。

それはどういうことか?

クンダリニー・ヨーガの気道は三本ある。

 

融合の道、覚醒の智慧

融合の道、覚醒の智慧

静寂に包まれた地下堂。その中央に座す修行者カイは、深い瞑想の中で、今まさにチャクラを覚醒させていた。

第一の輪——ムーラーダーラ。地の力が震えを帯びる。
第二の輪——スヴァーディシュターナ。水が脈打ち始める。
第三の輪——マニプーラ。火が灯る。
第四、第五、そして第六のチャクラが順に目覚めていく。

しかし、何かが足りなかった。

「……これだけでは、ダメなのだ。」

カイは目を開けた。額には汗、体内には微細な電流が走っているにも関わらず、求める“神力”——四神足法が示す超常の能力——には、届いていなかった。

そこに、かつての師の声がよみがえる。

「チャクラを目覚めさせるだけでは不十分だ。統合せよ。そして、力を一点に集中せよ。それが、仏陀が語った“本当の道”だ。」

カイは震えながら理解し始めた。
チャクラはただ発動するだけでは意味を成さない。それらを統合し、ひとつの大きな流れとして、必要な場所——とくに“脳”へと送る回路を築かなければならない。

第一の技法:エネルギーの自由送達回路の確立。
第二の技法:その回路を支える新たな神経経路の創造と補強。

この二つがなければ、四神足法は完成しない。
クンダリニー・ヨーガは、確かにその起動を果たした。だが、それだけでは神力には至れない。

「ピンガラとイダー、スシュムナーの三大気道……それらを伝う炎の蛇、クンダリニー……」

スシュムナー管の奥、ヴァジリニー、さらにその奥のチトリニ。蜘蛛の糸のように微細な気道が、スシュムナーの中心に走っている。その中を、蛇の火——サーペント・ファイアが、螺旋を描いて上昇していく。だが、それもなお、制御なき力の奔流にすぎない。

「仏陀は、なぜそれを拒んだのか……?」

そう、仏陀は、誰にでも開かれた道を説いた。選ばれた者の神通ではなく、万人が歩める成仏の道を。

その鍵が、Anāpāna(アーナーパーナ)——出入息観法にあった。

「呼吸をもって、力を制御せよ。」

クンダリニーを無理に目覚めさせずとも、自然と目覚める力を導く——それが仏陀の智慧だった。激烈な蛇の火を抑え、安らぎとともに昇らせる静かな風。それがアーナーパーナであり、仏陀の神足法であった。

カイは再び瞑目した。静かに息を吸い、ゆるやかに吐く。その繰り返しの中で、脳と神経、チャクラと気道が、ひとつの円環のように繋がり始める。

やがて彼の内面に、確かな声が響いた。

「覚醒とは、統合であり、調和である。」

仏陀の道は、すべてを内包していた。クンダリニーの炎も、神経の橋も、チャクラの輪も——すべては、一つの法に帰す。

そしてその法こそが、「四神足の真義」であった。

 

 

神足を持つ者

彼は瞑想の奥深くに沈んでいた。外界の光は届かず、ただ己の内側が無限に広がっていく空間——虚空の中、彼の意識はゆっくりと浮上し始める。

「見よ、これが四神足法の門である」

声が響いた。それは声でありながら、言葉を超えた“響き”だった。

第一の門——欲神足

ムーラーダーラ・チャクラが赤い光を放つ。その中心には、求める意志が渦を巻いている。肉体の根源、地に根ざした力。それは単なる欲望ではない。魂が自らを進化させるために選び取る“聖なる渇き”であった。

第二の門——勤神足

スヴァーディシュターナからマニプーラへと、エネルギーが駆けのぼる。腹部のチャクラが金色に燃え、肉体の力を限界まで鍛え上げる。熱き意志と勤勉なる鍛錬が、肉体を神殿へと変える。

「勤神足は、肉体の聖化である。己を支配せよ。汗と痛みを超えたとき、肉体は魂の器となる。」

第三の門——心神足

アナーハタとヴィシュッダが開かれる。心の深奥に眠る感情が、清浄なエネルギーとなって上昇していく。古き脳——ワニとウマの獣性の本能が揺らぎ始める。彼の脳に新たな光が灯る。

「心神足は、魂の呼吸である。古い脳に、新たな言葉を刻め。」

第四の門——観神足

サハスラーラが、ついに光の蓮華として開花する。観神足は、知性と霊性の統合である。視床下部が共鳴し、間脳が覚醒し、脳幹の奥深く、古代より封印されていた曼荼羅の光が彼の意識に映し出される。

そして、彼は気づいた。

「チャクラを開くだけでは、まだ半ばにすぎぬ。統合せよ。各門は孤立してはならぬ。光の流れを、全体として一つにせよ。」

それは、宇宙の法に従った厳粛な統合技法——すなわち「成仏法」そのものであった。

「四神足法を全うせし者は、業を超え、因縁を解き、死者と生者の境界を越えるであろう。」

彼は目を開けた。瞳の奥に、あらゆる存在を照らす光が宿っていた。

四神足の門を越えて

漆黒の虚空に、微かな金色の光が灯った。それは、覚醒を求める者が初めて踏みしめる道――四神足の道標だった。

「欲神足法──それは、望む力だ。魂が切望するものを明確にし、そのエネルギーを一点に集中させる。」

賢者は静かに語った。弟子はその言葉に耳を傾ける。欲、それは仏道において克服すべきものとされてきた。しかし、ここでの“欲”は、煩悩ではない。それは、魂の奥底から湧き出る、純粋な「求道の意志」であった。

「欲神足によって得た力を礎として、次に進むのは勤神足法。肉体の限界を突破する精進の行だ。」

弟子の身体は徐々に変化していく。筋繊維が目覚め、骨の奥から力が湧き出る。まるで、封じられていた獣が覚醒するようだった。

「その次が、心神足。ここからが真の転換点だ。」

古い脳――ワニとウマの如き野性の本能が宿る獣性の脳。そこに新たなる知性が芽吹いてゆく。心神足法は、心の在り方を調律し、意識の方向を定める。霊的な光が、肉体の奥底から天へと昇っていく。

「そして最後に、観神足。精神と肉体、そして霊性のすべてを統一せよ。」

間脳が開かれ、視床下部が呼応する。辺縁系の古き回路が新たな神経の橋でつながれていく。知性と霊性が一体となり、魂の中に曼荼羅が浮かび上がる。かつて「金星の法」と呼ばれた求聞持聡明法は、この四神足の奥義の中にこそ秘められていた。

「これが、シャカの成仏法の一端なのだよ。古い脳を進化させ、新しき霊性の脳を目覚めさせる法。君は今、その入口に立ったのだ。」

弟子は静かにうなずいた。脳の奥が熱を帯び、何かが確かに変わり始めている――そう感じた。

四神足法解說

四神足法解說

欲神足法

勤神足法

心神足去

観神足法

では、このクンダリニー・ヨーガの修行法と、シャカの成仏法との関連は、どのよ

うなものであろうか?特に、わたくしがさきに「金星の法」だといった求聞持聡明

法の原典である四神足法、五力法との関連はどのようなものであるのか。

まず、四神足法と五力法について見てみよう。

人間の生命力の、特に肉体上における根源的諸条件を、完全なものにする修行法。

欲神足法で得た能力をベースに、肉体上の基本的諸条件を、さらに飛躍的に向上させる修行法。
肉体的能力の向上発達を基に、精神的能力を充実させ、さらに段階的にその能力を飛躍向上させて行く。

すなわち、脳の欠階部分を補強するための準備段階として、古い脳を人為的に進化させる修行法である。ワニとウマの獣性の脳を霊性の脳に変えて行くのである。

あたらしい脳である新皮質を向上させるとともに、霊性の場である間脳を開く。同時に、間脳に付属する視床下部と、古い脳辺縁系との神経回路を補充強化する修行法である。知性と霊性の完全なる融合だ。

以上が、四神足法の概略である。

四神足法を成就したとき、その修行者は、仏陀に準ずる大聖者となる。業を超え、 因縁を解説し、生者、死者ともに解脱成仏させる大聖者である。

その関係はつぎの通りである。

「ムーラーダーラ・チャクラ

欲神足 【スヴァーディシュターナ・チャクラ

勤神足マニプーラ・チャクラ

心神足ヴィシュッダ・チャクラ

「アナーハタ・チャクラ

観神足サハスラーラ・チャクラ

(アージュニャー・チャクラ

以上であるが、ここに非常に重大なことがある。

それは、四神足法は、クンダリニー・ヨーガのチャクラを開発しただけでは不十分だということである。チャクラを開発すると同時に、各チャクラを統合して機能させてゆく技法が必要なのである。わたくしはいま、非常に重大、ということばを使ったが、それはそれ以上、絶対に必要なポイントなのである。

それは、どういうことか?

 

チャクラは、チャクラを覚醒、発動させる技術によって活動を開始し、チャクラ特有の力を発生する。しかし、それだけでは、四神足法が目的とする神力(超常的能力)にまでは到底、至ることが出来ない。どうしても、これらのチャクラを統合して、 さらにパワーを加圧、加増して、重点的にはたらかせる技法が必要なのである。

それは、二つの技法である。

1、各チャクラが発生したエネルギーを、自由にコントロールし、かつ、自分の必要とする場所に自在に送達させることの出来る回路を持つ。

特に、脳にたいしての回路が重要である。

2、その回路作製を可能ならしめるための神経経路を補強、さらに、新たにつくり出す。

これは、特に、さきにのべた「新皮質と視床下部をつなぐ神経経路を補強す

る」ということにも、必要欠くべからざる技法なのである。

この二つの技法は、クンダリニー・ヨーガにはないものである。

ただし、全くないのではなく、これに類似した技法が一つある。

ある。 骨低骨から脳の下部のスシュムナー管は、脊柱の中空部にある生気の通る路で、背低化か脈にまで届いている。また、スシュムナー管の内側には、ヴァジリニーとよばれる気道があり、さらにその内側には、クモの糸のように細かいチトリニとよばれる気道が

それは、スシュムナー管と、ピンガラ、イダーという気道を使う法である。

クンダリニー・ヨーガというのは、だれもが体内に持つクンダリニーと名づける強大な生命の根源力を目ざめさせて、これにより、超常的体力を獲得し、特殊な精神領城に到達しようとするヨーガである。

クンダリニーは、脊柱の一番下部、尾骶骨のチャクラ(ムーラーダーラ)の部分に、 蛇が三巻き半、とぐろを巻いたような形で眠っている。クンダリニーというのは、 「巻かれているもの」という意味である。

クンダリニーは、そこにあるスヴァヤンブーという男根のまわりに巻きついていて、

その頭部で、スシュムナー管の入口を閉ざしている。

特殊な瞑想・思念・ムドラー・マントラ詠唱などの動作によってチャクラが発動し、

クンダリニーが目ざめると、クンダリニーは噴火した火のような激しい勢いで、

 

きをする。 クンダリニーの目ざめとともに、スシュムナー管の両側にあるピンガラとイダーという二つの気道が開き、クンダリニーのエネルギーは、この二つの気道をも、ラセン状に上昇してゆく。この二つの気道は、その後のクンダリニーの力を調節するはたら

かろうか? 四神足法も、このクンダリニー・ヨーガの技法を、そのまま使ったらよいのではな

クンダリニーが目ざめると、クンダリニーは噴火した火のような激しい勢いで、スシュムナー管を上昇してゆく。クンダリニーを Serpent fire (サーペント・ファイア、 蛇の火)と呼ぶのも、そこからきているのである。

クンダリニー・ヨーガの目的は、聖なるものと一体となる至高の境地を目ざすので、 スシュムナー管、ピンガラ・イダーの両気道を上昇するクンダリニーのエネルギーは、 最終的に、サハスラーラ・チャクラにまで到達して、その目的を達するのである。

以上が、クンダリニー・ヨーガの気道の技法とされるものである。

そうはいかないのである。たんにチャクラを目ざめさせ、そのエネルギーを発動さ

 

なぜか?

せただけでは、四神足法の目的を達成することは出来ないのである。各チャクラを統合し、そのエネルギーをさらに増幅して目的のものに集中する方法が、どうしても必姿なのである。

では、クンダリニーを覚醒させ、これを使ったらいいではないか。

わたくしは、すべての阿含経はもとより、仏陀にまつわるさまざまな伝説に至るまで、あらゆるものを分析した結果、仏陀の成仏法には、クンダリニー・ヨーガのクンダリニー覚醒法が用いられた形跡を発見することが出来なかった。(かれ自身は、それを完全に成就していたであろうが)

クンダリニーの覚醒は、あまりにも激烈、過激すぎて、完全な脳を新しくつくりあげるのには適切でないのである。クンダリニー・ヨーガは、人間の脳の欠陥を是正する方法ではなく、そこを通り抜けて一挙に、別次元の高度の意識領域に突入してしまう方法なのである。

これは危険過ぎるし、かつ、ごく限られた特殊な人にしか用いられない方法であっ

た。

ある。 サーサージーみ仏陀の修行法の中心である安那般那について、最もくわしく説いた経が雜阿含経に

仏陀は、だれでもが実行できる修行法を教えた。一心に修行さえすれば、だれでもが成仏できる方法を教えたのである。だから、チャクラを使うことはとり入れたが、 クンダリニー・ヨーガの覚醒法はとり入れなかったのである。クンダリニー・エネルギーは使ったけれども、その方法はまったく違っていたのである。

では、どのようにしたのであろうか?