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Mac

四神足法の解説

玉阿含宗

思念の相承と四神足注

いよいよ、釈尊の成仏法の中心の法である、四神足法の解説に入る。これが

「輪廻転生瞑想法」の根幹となる法である。

釈尊の成仏法の中でも、最高難度の法である。

うか? いままでの訓練をこなしてきた修行者であれば、なんとか歯が立つのではないかとは思うが、決して容易ではない。いままでの訓練でさえ、むずかしいのに、これ以上の訓練はできるだろうかと、不安に思う方も多いのではないだろ

わたくしは、第二章で、

霊界の法の世界において、法の完成者タターガタ(如来)が常恒に法を説いている。「思念による王者の相承」とは、この法身タターガタが、言葉や象徴という媒介なしに、直接相手の心に自分の心を伝達するものである。

この場合、心、というのは単なる思念の心ではなく、パワーを主としたものと思うべきで

 

この場合、心、というのは単なる思念の心ではなく、パワーを主としたものと思うべきである。これによって、相手はたちどころに仏陀として完成するのである。

これは最高であり、理想的なものであること、もちろんである。「王者の」、という所以である。

とのべた。つまり、仏陀となって成仏するためには、この「思念による王者

の相承」を受けることが、理想とされているのである。

しかし、これには条件があるのだ。

どのような条件か?

わたくしは、つぎのようにのべている。

だが、そういうと、一(「思念による王者の相承」)は最高理想のものなので

あるから、他のなにものも必要ないのではないかといわれるかもしれない。そうではないのである。その最高理想のものを受けるために、tapasげ必要なのである。

また、同章で、インドのサヘート・マヘートにおける強烈な霊的バイブレーションについて、つぎのようにものべている。

賢明な読者はすでにお気づきであったろう。これが、チベット密教のいう「思念による王者の相承」であることを――。思念による王者の相承・ は、じつに、霊的バイブレーションによる伝達だったのである。

かいてい

~ わたくしは、これによって、解脱に至る四つの階梯のうちの、第三の地に達したことを自覚したのであるが、これは、間脳開発の練行tapas を止就していなかったら、絶対に得られなかったものである。内なる受容の勢がととのって初めて、外よりの王者の相承が発せられるのである。

つまり、仏陀となる、あるいは仏陀の境界に近づくためには、「思念による王者の相承」が必要なのであるが、その王者の相承を受けるためには、開脳開発の練行 tapas を成就していることが必須なのである。

わたくしは、この王者の相承を受けて、阿那含の境地に達し、このとき、死ぬまでにかならず仏陀になると強く自覚したが、それはわたくしが、tapas を成就した上で、インドのサヘート・マヘート、ミラクルの池に行ったからこそ、白

銀のバイブレーションを受けることができたのである。

したがって、「思念による王者の相承」を受けるためには、tapasを成就して

・いることが、絶対条件なのである。

では、その練行 tapas とはなにか?

「この tapasこそが、四神足法なのである。

いい換えれば、四神足法を成就していなければ、仏陀になるために必要な 「思念による王者の相承」を受けられないのである。しかしながら、四神足法

阿含宗総本園

は、釈尊の成仏法の中でも最高度にむずかしい法である。だれでも容易に修行できる内容ではない。

れいせいかいけん 「釈尊のむずかしい成仏法を修行しなければ、いつまでたっても思念の相承を受けられず、問脳が開かず、霊性開顕が不可能であるならば、いったいどれほどの人が、霊性開顕をすることができるであろうか?

ごく限られた、わずかなエリートしか、到達することができないであろう。

当然のことながら、釈尊の成仏法を発展させた輪廻転生瞑想法も成就できないことになるのだ。

◎だが、そうではないのである。

わたくしは、永年の修行により、この問題点を解決し、だれでも比較的容易に成仏法の修行を進めていける法を完成することができたからである。

すいしょうりゆうじんそれは、「水晶龍神瞑想法」という法である。

この瞑想法は単なる瞑想法ではない。

じつは、この沢晶龍神瞑想法は、釈尊の成仏法の真髄である、

「四神足法そのもの」

なのである。

そして、この水晶龍神瞑想法の最大の特長は、

「瞑想法自体が思念の相承である」

ということなのである。

修行者は、この法にのっとって修行を進めていくことにより、本来であれば、tapasである四神足法を成就しないかぎり、絶対に受けられない思念の相承を、修行をはじめる最初の段階から受けながら、四神足法に必要な、チャクラの開発訓練を進めていくことができるのである。ことに、クンダリニー・ヨー

◎ガでは、最も危険とされる脳内のチャクラの開発を、安全に、おだやかに進めていくことができるのだ。

あなたは、この水晶龍神瞑想法(四神足法)を修行することによって、

「を得ることができるであろう。

神通力

ただし、この法は、最極秘伝に属する法なので、すべてを筆にすることはで

含宗総本殿

きない。本書では、ごく初歩の段階にとどめる。

眼解しないでいただきたいが、決して法を惜しんでいるわけではない。これ以上の段階は、どうしても、わたくしの直接の指導を受けておこなう必要があ

るのだ。

わたくしの主宰する阿含宗の瞑想道場にて、この「王者による思念の相承」

すなわち、「仏陀の思念」が受けられるので、そこで、わたくしや、わたくしの弟子の指導を受けて修行を進めていただきたいのである。

水晶の中に龍神のお姿を見る

う。 まず、水晶龍神瞑想法(四神足法)の前段階である瞑想法について解説しよ

前段階とはいえ、たいへん高度な瞑想法で、これを習得しないと、釈尊の成

仏法の真髄・四神足法に進むことができない。

この法は水晶を使って深層意識を活用する瞑想法である。

う) まず、水晶を準備する。けがれのない天然の水晶が理想である。(わたくしの瞑想道場では、わたくしが成仏法によって浄め、龍神のお霊をこめた水晶龍神御尊像を使

この水晶に心を集中して凝視していると、いろいろなモヤモヤが見える。そ

のモヤモヤを、心を静めて凝視していると龍神のお姿が見えてくる。このお姿

がはっきりと見えてくるようにならなくてはいけない。

そのお姿には二つのタイプがある。

コブラ(母蛇)型―――頭と顔が平たくなっている龍神。

ボア(大蛇)型毒を持たない大型の龍神。

この二つの系統がある。

また、見えてきた龍神が男神である場合は「ナンダ龍王」、女神の龍神の場合

阿含が

は 「ウパナンダ龍上」という名前で念じる。

水晶の向こう側に白い紙を立てて凝視していると、モヤモヤの中にお顔やお体が見えてくる。それには三日ほどかかる。観想もこのお姿をよく観察して瞑想しなくてはならない。

くこの既想を深く進めていくと、その修行者は龍神型の性格を持つようにな 「り、さらに進めていくと体も似てきて龍体になってくる。そして体の一部がウロコになってくる。そこまでいくのは容易ではないが、そうなると龍神の力がそなわってくる。

龍神のタイプがたとえばコブラ型であれば毒を持つとか、ボア型だから相手を絞め殺して食べてしまうというようなことはない。タイプを知るだけで、あとは自然にまかせておけばよい。

最初に教える瞑想法は、「水晶龍神洗浄瞑想法」である。

まず心身を浄める「洗浄法」から入る。龍神に雨を降らしていただいて、その龍雨によって心身の不浄不快がすべて洗い流され、病気の根もすべて洗い流

される

[解説]

毎朝一回、十五分ほどかけてこの瞑想をおこなう。

そうかいこの洗浄瞑想を毎日重ねて実行していると、一日中体が元気で爽快になり、 さらに龍神に好意を持っていただけるようになる。

われてしまう。 いつかいわ澄み渡った青空に突然一塊の雲が沸き起こり、たちまち空一面が黒い雲に覆

その黒い雲の中心に金色の龍王を観想する。この龍王は水晶で見ているお姿

である。この金色の龍王が大神通力をもって暴風を起こしている。さらに大雨が降ってくる。滝のように降ってくる大雨を頭から受けている。それはあたかも流行のごとくである。

この大雨によって心身の不浄不快がことごとく洗い流される。病気の根もす

べて洗い流す。

そう観じて、般若心経 五反。

つぎに、観想。

ことごと 「わが心身爽快なり。わが身の不浄不快悉く消滅す」

そして、準胝小呪。

「オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ」

を五唱し、よびかける。

さんぞく準脈知来は龍神をしたがえておられる。龍神は準低如来の眷属であるか

この真言を唱えると非常にお喜びになる。

最後に、

「臨兵闘者皆陳列在前、エイッ」

と九字を三回切って終わる。

すると龍王は喜び勇んで姿を消すが、つねに行者の身辺にあって守護し

ださっている。そして行者がよぶのを待っておられる。なにかつらいことや

困ったことがあるとサーッと姿をあらわして助けてくださる。

およびするときには、左手親指を右拳でつつむ「如来拳印」で、あなたの水

晶で感得した「ナンダ龍王」あるいは「ウパナンダ龍王」をおよびし、

「来たってわれを救いたまえ」

と心の中でつぶやけば、たちまち姿をあらわして助けてくださる。

水晶龍神瞑想法(四神足法)

つぎに、いよいよ、釈尊の成仏法の真髄である四神足法の瞑想法である。

これが、さきほど大極秘伝といった、八科四十一道品の中の一科四道品、四

安那般那念法となる法で、「水晶龍神瞑想法」という。

ただし、さきほどもいったように、これ以上は筆にすることができない。

法を惜しんでいるわけではないが、この法に関しては、わたくしが導師となって、あなたを弟子として受け入れ、その修行の進み具合を見ながら直接指

阿含宗総本

導しなければ、絶対に法を成就することができない。

だが、熱心な修行者のために、少しだけヒントをさしあげよう。

この瞑想法では、さきほどの水晶龍神御尊像と、『輪廻転生瞑想法Ⅱ』で紹介した準低尊秘密光明曼荼羅を使うのである。

そして、水晶と曼荼羅を組み合わせ、ある特殊な観想と真言読誦によって、

脳内のチャクラに仏陀の思念、すなわち、「王者による思念の相承」を受けるのである。さらに、この瞑想法とあわせて、護摩行(火界定)と滝行(水想観)を修することが、最も望ましい。

阿含宗の瞑想道場には、水晶龍神御尊像と準胝尊秘密光明曼荼羅をそなえてあり、護摩行、滝行ができる設備をそなえた道場もある。

ぜひ、わたくしの瞑想道場に来て、わたくしか、わたくしの直弟子から指導を受けることを、強くお勧めする。

阿合 ヒトを改造する超技術

阿合

ヒトを改造する超技術

もしも。

トラブルヒトの知能が倍増し、人類の知的水準が現在の二倍ないし三倍になったら、世界はどのように変わるであろうか? おそらく、人類は、いまかかえているあらゆる問題を、すべて解決してしまうであろう。

いや、それよりも、全く新しい構造の社会が出現するのではないか? 人類がいまかかえている問題を見てみよう。

―――殺し合い、奪い合い、憎み合い、傷つけ合い――そして地球上に急速にひろがりつつある有害物質――。それらはどこに原因があるのであろうか? わかりきったことである。 それは、ヒトが愚かなためである。

そ・サピエンス人類学者リンネは、人間を分類して「知恵あるヒト」と学名をつけた。

生理学者シャルル・リシェは、愚かなヒト、ホモ・スツルツスと名をつけた。ノーベル賞受賞者のリシェは、その著、「人間――この愚かなるもの」の序文で、人類のかずかずの愚行をつぎつぎとあげ、実にあきれかえったおろかな動物であるとして、超愚人類と呼びたいところだが、まあ、最上級の形容詞はがまんして、感、人類ぐらいでかんべー

うと書いている。

たしかに、ヒトには、この二つの面がある。賢い知恵ある面と、愚かで弱い面と、二つの

間がひとつにまざり合っている矛盾した生物が、まさにヒトであるということなのだが、いま、われわれの周囲をながめてみると、ホモ・サピエンスは全く影をひそめ、ホモ・スツル

そうかいナッシムスが妖怪のごとく横行している。

殺し合い、奪い合い、憎み合い、傷つけ合い、

それは次第にエスカレートしてゆく。科学と技術はヒトの力を無限に拡大したが、同時に、ヒトの殺戮と搾取と憎悪と闘争をも無限に増大させた。このままでは、間もなく、ホモ・

サビエンスは絶滅する。

いま、人類にもっとも必要なものはなにか?

それは高度の知能である。

この地上に展開する恐るべき大愚行は、なによりもまず人類の知能が低いところに原因す

いす、人類に必要なものは、科学でもなければ技術でもない。革命でもなければイデオロギーでもない。人種間今でもなければ階級闘争でもない。そんなものはなんの役にも立た

阿含宗

何十回、革命を起こしても、何百回、闘争をくりかえしても、人類の知能がいまの水準にあるかぎり、それはむなしい儀式のくりかえしに過ぎぬ。

歴史をみてみよう。機械と技術、科学と文明と称するものがいくら進歩発達しても、おろかな人間たちの行動パターンは少しも変わっていない。つねに、憎み合い、殺し合い、奪い合う、このパターンのくりかえしではないか。どこに変化が見られるか。

若ものよ。エネルギーのむだな燃焼をやめたまえ。革命を思うなら、全人類の知能革命に前進せよ。

ネアンデルタールの昔から、ヒトの知能は一歩も前進していない。なによりもまず人類の

知能を高めねばならぬ。 ホモ・スツルチッシムスを絶滅せよ。そうせぬかぎりわれわれにもはや未来はない。それ

はすでに秒読みの段階に入っている。 このとき、ここに、ヒトを改造し、社会機構を一変させる技術がある。この技術は、ふる

若ものよ。 き社会体系をすべて解体し、そこから生まれるあたらしい文明は、次元をひとつ超えるだろう。この技術によってのみ、世界はよみがえり、この革命だけが全人類を破滅から救う。

君たちはなぜこれに視線を向けぬのだ。

なぜ、君たちは、この、地上いまだかつて比類なき壮大にしてドラマチックな革命に情熱をたぎらせぬのだ。

「 これとほとんどおなじことを、かれは『ホロン革命』でのべています。先生はいまの章で、

「たしかに、ヒトには、この二つの面がある。賢い知恵ある面と、愚かで弱い面と、二つの

誰がひとつにまざり合っている矛盾した生物が、まさにヒトであるということなのだが、いま、われわれの周囲をながめてみると、ホそ・サビエンスは全く影をひそめ、ホモ・スツルチャクムスが居のごとく横行している。愛し合い、奪い合い、橋み合い、傷つけ合い

それは次第にエスカレートしてゆく。科学と技術はとトの力を無限に拡大したが、同時に、 と子の数と育と悪とをも無限に増大させた。このままでは、間もなく、ホモ・サビエンスは絶滅すると

といわれ、つづいて、こうのべています。

『キそ・サピエンスは生物としてその限界に到達した。いま、この世界を覆う混乱と当恋と増悪は、なによりも、それをものがたるものである。つぎにくるものは絶望でしかない。いまこのひろい世界に、一瞬たりとも生命の危険を感ぜずして生きている人間はひとりもいない。あなた自身そうであろう。

なぜ、君たちは、この、地上いまだかつて比類なき壮大にしてドラマチックな革命に情熱をたぎらせぬのだ。

「 これとほとんどおなじことを、かれは『ホロン革命』でのべています。先生はいまの章で、

「たしかに、ヒトには、この二つの面がある。賢い知恵ある面と、愚かで弱い面と、二つの

誰がひとつにまざり合っている矛盾した生物が、まさにヒトであるということなのだが、いま、われわれの周囲をながめてみると、ホそ・サビエンスは全く影をひそめ、ホモ・スツルチャクムスが居のごとく横行している。愛し合い、奪い合い、橋み合い、傷つけ合い

それは次第にエスカレートしてゆく。科学と技術はとトの力を無限に拡大したが、同時に、 と子の数と育と悪とをも無限に増大させた。このままでは、間もなく、ホモ・サビエンスは絶滅すると

といわれ、つづいて、こうのべています。

『キそ・サピエンスは生物としてその限界に到達した。いま、この世界を覆う混乱と当恋と増悪は、なによりも、それをものがたるものである。つぎにくるものは絶望でしかない。いまこのひろい世界に、一瞬たりとも生命の危険を感ぜずして生きている人間はひとりもいない。あなた自身そうであろう。

 

 

 

 

 

雪の華

雪の華

舗道に長く伸びた影が、夕闇に溶け込んでいく。
街灯の明かりがともりはじめたばかりの街を、彼と私は並んで歩いていた。手をつなぎ、言葉少なに、それでも確かな温もりを確かめながら。

「このまま、ずっとそばにいられたらいいのにね」
彼がぽつりとつぶやいた。
その声が優しくて、涙がこぼれそうになるのをこらえた。

風が頬をなでるように冷たくなって、私は思わずマフラーに顔をうずめた。どこか懐かしい冬の匂いがした。
そう、この季節がまた巡ってくる。君と寄り添える季節が――。

空から静かに、白いかけらが落ちてきた。
今年、最初の雪だった。
私たちは足を止めて、ただ見上げた。ふたりで。寄り添って。
世界が静けさに包まれ、何もかもが洗い流されていくような、あの一瞬。
私はそのとき、胸の奥から溢れ出す幸せを、確かに感じていた。

「私ね、甘えてるんじゃないんだ」
彼の顔を見ずに言った。
「ただ、本当に…心からあなたを愛してる」

彼は黙って私の手を強く握り返した。

彼がそばにいるだけで、どんな困難も乗り越えられる気がした。
こんな日々が、ずっと続いていくように――私は、祈った。

その夜、風が窓を揺らし、街を包む夜がふたりをさらに近づけた。
私は誓った。
どんな悲しみにも、彼が笑顔を取り戻せるように、私がそばにいると。

雪は止むことなく降り続いていた。
白い花びらのような雪の華が、窓の外の世界を静かに染めていく。
その景色を見ながら、私は初めて知った。
「誰かのために何かをしたい」と心から思うこと――
それが“愛”というものなのだと。

「雪の華

雪の華」(ゆきのはな)は、日本歌手中島美嘉の10作目のシングル2003年10月1日に発売された。本楽曲をモチーフとする映画雪の華』が、2019年2月1日に公開された[1]

 

 

歌:中島美嘉

作詞:Satomi

作曲:松本良喜

発売:2005-10-12 13:32:14

のびた人陰(かげ)を舗道にならべ
夕闇のなかを君と歩いてる
手をつないでいつまでもずっと
そばにいれたなら
泣けちゃうくらい

風が冷たくなって
冬の匂いがした
そろそろこの街に
君と近付ける季節がくる

※今年、最初の雪の華を
ふたり寄り添って
眺めているこの瞬間(とき)に
幸せがあふれだす※

甘えとか弱さじゃない
ただ、君を愛してる
心からそう思った

君がいるとどんなことでも
乗りきれるような気持ちになってる
こんな日々がいつまでもきっと
続いてくことを祈っているよ

風が窓を揺らした
夜は揺り起こして
どんな悲しいことも
僕が笑顔へと変えてあげる

舞い落ちてきた雪の華が
窓の外ずっと
降りやむことを知らずに
僕らの街を染める
誰かのためになにかを
したいと思えるのが
愛ということを知った

もし、君を失ったとしたなら
星になって君を照らすだろう
笑顔も涙に濡れてる夜も
いつもいつでもそばにいるよ

(※くり返し)

甘えとか弱さじゃない
ただ、君とずっと
このまま一緒にいたい
素直にそう思える

この街に降り積もってく
真っ白な雪の華
ふたりの胸にそっと想い出を描くよ
これからも君とずっと…