りの抜粋である。
白銀の輝きにみちたバイブレーション
五日、六日、七日、と旅程は順調にすすんでいった。
しかし、日を経るにしたがって、わたくしのこころは沈んでいった。
仏跡のひとつひとつみなすばらしいものではあったが、わたくしのここ
ろひそかに期待していたような感動はあたえてくれなかったのである。ま
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りの抜粋である。
白銀の輝きにみちたバイブレーション
五日、六日、七日、と旅程は順調にすすんでいった。
しかし、日を経るにしたがって、わたくしのこころは沈んでいった。
仏跡のひとつひとつみなすばらしいものではあったが、わたくしのここ
ろひそかに期待していたような感動はあたえてくれなかったのである。ま
理想のものを受けるために、tapasは必要なのである。
練行とはなにか
では、その練行tapasとはどんなものか?
それには、ひとつの例として、わたくしの修行体験をお話しするしかないと思われる。
それを見ていただくことにしよう。
いまから四十年以上前に刊行した「密教・超能力の秘密」からの抜粋である。
求聞持聡明法の秘密
私は定に入っていた。
ひたすら、ふかい線制に入っていた。
修するは求聞持聡明法。三度目の修法であった。
最初は真言宗密教の行法に拠った。完全な失敗であった。それは集中力を高めるという効果はあったが、それ以上のものではなかった。つぶさにこの行法を検討して、私は、しょせん、真言宗密教の求聞持聡明法に、大脳皮質の構造を一変するごときシステムはないとの結論を得た。すくなくとも、従来のままの行法に、それだけの力はない。求聞持聡明法を成就して、悪地を得たという弘法大師空海は、あとにのこしたこの行法以外に、 必ず、なんらかの秘密技術を体得しているのに相違なかった。彼ののこし
た求聞持法の行法は、その秘密技術のヒントになるべきもののみをつらねたに過ぎず、その秘密技術は――おそらく、自分自身の訓練努力によってみずからが発見せよとつきはなしているのにちがいなかった。それを発見
(中鉴) するだけの努力をし、発見できるだけの資質のあるもののみがそれをわがものとする資格があるのだ、と、つめたく未来を見すえている不世出の知性の目を、私は行法次第のなかに感じた。それゆえにこそ、宗教者としてゆたかな天分を持つ興教大師覚が、七たびこれを修して失敗し、八度目にしてようやく悉地成就を得たという難解の行法となっているのである。
そうでなければ、覚護ほどの才能が、なんで七たびも失敗しょうか。
二度目の修法に、私は、古代ヨーガの技術をとり入れた。ひしひしと感得するものがあった。五〇日のその行で、求聞持法の成就はみられなかったが、私の考えのまちがいでなかったことがよくわかった。この方法で、求間持法はかならず成就する。つよい確信を得た。この技法を積みかさね、
延長してゆけばよい。これしかない。ぜったいの自信を得た。
この、私の技法によれば、従来のごとく、山にこもって五○日ないしかんじやく
、明星を拝しつづける必要がなかった。常住坐臥、閑寂の部屋な
らば、時、ところをえらばなくてもよいのであった。ただ、最初の三日な
さんきよいし七日間、山居して明星とあい対し、これをふかく脳裡にとどめておけ
ばよかった。あとは、三〇日、五〇日、一〇〇日、よしんば一〇〇〇日か
こうぼうかろうとも、日常の生活の行忙のうちにトレーニングを積みかさねてゆけ
のうり
ばよいのであった。この発見はすばらしいものであった。これでなくて
は、法はついに民衆と無縁のものになってしまう。五○日、一〇〇日、特
定の山にこもらねば成就しないというのでは、ごくかぎられた人たちのみ
しか参加することはできない。民衆と無縁になってどこに法の存在価値が
あろう。私は、このシステムによって、この法を完成せねばならぬ。法の
ために、民衆のために、どうしても――――。
そして、三度目の必死の修法に私は入っていた
それは、ほぼ一〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニンングのときであった。真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、それに、古
3 代ヨーガに伝わる特殊な呼吸法、古代ヨーガの秘法から私が創案した特殊な手印とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだと大脳皮質と脳髄は、微妙な変化をおこしつつあることが感じられていた。チャクラの開発も順調にすすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じていた。
夜明け、
ぼうがまどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。しびれの感覚であった。かるい失心、めまいに似ていた。忘我の一瞬であった。
その利那、
「ああッ!」
と私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流がながれた感覚が走った。落雷があったと感じた。目の前を紫電が走った、つぎの瞬間、
前でフラッシュをたかれたように、私の視野は真っ暗になった。失明!
という考えが、チラリと脳裡をよこぎった。と、そのときであった。頭の内奥、深部に、ポッカリとあかりがともったのだ。そして、それは、私の脈擦とおなじリズムで、しずかに、しずかにまたたきはじめた。ちょうど、 この修法をはじめる数十日まえ、山にこもって見つめたあのときの暁けの明星のように―――それはつめたく、黄ばんだ白さでまたたいた。 みやく
「そうか!」
私は力いっぱい膝をたたいた。
「そうか! これが明星だったのか!」
私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した!
第三の発見視床下部の秘密
私は幼少のときから剣道をしこまれた。藩の剣術師範の家柄に生まれ、 若年の折、江戸お玉ヶ池の千葉門で北辰一刀流を学んだという祖父に、は
じめて木剣を持たされたのは三歳ごろであったろうか? そのとき私は、 祖父の顔をゆびさして「目ン目がこわい!」といって泣いたそうである。
そのころ八〇○歳を過ぎていた祖父は、ほんとうの好々爺になりきっておこうこうや
り、私はふだん、父よりも母よりもなついていたが、そのときばかりは、
みなもとのやすゆき木剣のむこうに光った剣士鳥羽源三郎 源靖之(祖父の名)の目に、ひとた
まりもなくちぢみあがってしまったものらしい。めったに泣いたことのな
い私が一時間ちかくも泣いていたという。『それでもあんたは木剣だけはは
なさなかったよ”と、いまでも老母がほこらしげに語ってくれるのだが
―――、私は、のち、三段にまで昇り、健康を害してやめたが、剣の天分が
あるといわれ、少年時代、そのころ盛んであった各地の剣道大会に出場し
てかぞえきれぬほどの優勝をしたのは、この祖父の血を受けたものであろ
う。私は剣道が好きであった。防具のはずれの肘を打たれて腕がなえ、思
わず竹刀をとり落としたりするときはつらいとは思ったが、苦にはならなかった。面金を越えて深くあざやかに面をとられたときは、目からパッと
4 火が出て、プーンときなくさいにおいを嗅いだ。ほんとうに目から火が出るのである。けっして形容詞ではないのだ。これは剣道修行の体験者ならばみなご存知のはずである。
その火なのだ。そのときの私の視野をかすめた閃光は――。 せんこう
しばらくしてわれにかえった私はそれに気がついたのだった。そうだ。
あの火はあのときの火とおなじだ。そして目から火が出ると同時に面金のなかでかいだあのなつかしいキナくさいにおいもいっしょにかいだような気がしたのだが、しかし、目から火が出る”ほどのこの衝撃は、いったいどうしたということであろうか? 外部から私の頭部を打ったものはなにひとつない。すると、私の頭の内部でなにごとがおこったというのであろうか。それともあれはなにかの錯覚であったのか? めんがねめん
私は、ふたたび一定のポーズをとり、頭をある角度からある角度にしずかに移しつつ特殊な呼吸法をおこなって、定にはいっていった。と、なんの予告も感覚もなしに、さっきとおなじ場所に火を感ずるのである。同時あかり
頭の深部にある音響が聞こえはじめた。私は、またさっきの電撃に似た
痛覚を頭の一角に感じるのかとひそかにおそれつつ、少々、「おっかなびっくり」にそれをやったのであったが、今度はぜんぜん痛みもなにも感じな
かった。そうして頭の内奥の上部に“明星”がふたたびまたたいた。
まさに――、私の脳の内部に一大異変が生じていることにはまちがいはなかった。しかし、それはどういう異変であろうか?
それは一種の化学反応によるショックであったのだ。
しんおうししょうか 4 脳の深奥、 保奥、「視床下部」に異変が起きたのである。すべての秘密は、間脳の内部の視床下部にあった。ここが秘密の原点だったのである。 かんのう
私がさきの章で内分泌腺の機構について図までかかげて説明したのは、 これを知ってほしいためであった。専門学者はさぞかし片はらいたく思われるのにちがいなかろう。それを承知でおくめんもなく素人の私があえてそれをしたのは、この視床下部の秘密を読者に知ってほしいためであった。
◎すべての内分泌腺を統御しているのは視床下部である。そしてここが、
ヨーガでいうブラーマ・ランドラ(梵の座)であり、サハスラーラ・チャクラなのである。今までのヨーガの指導者のいうように、それは、松果腺、
松果体ではない。視床下部が、サハスラーラ・チャクラなのである。もっとも、視床下部のすぐそばに松果体があるので、それを見あやまったのであろう。もっとも、松果体自身もある重要な役わりを受けもつ。けれども、サハスラーラ・チャクラそのものは松果腺ではなく、視床下部であった。
視床下部はいまいったように、下垂体系を通じて全内分泌器官を統御す
る。それでは、なにをもって統御するのかというと、もちろんそれは神経』である。したがって視床下部には重要な神経がたくさん集まっている。私は、古代ヨーガのなかから、この部分を動かすポーズとムドラーを創案してここにつよい圧力をくわえ、同時に、強烈な思念(念力)を集中していた。百日のあいだ、たえまなく、私はここに、物質的、精神的、両面
にわたるつよいエネルギーを集中した。その結果、ここの神経線維に
一大異変が生じたのだ。その異変により、神経線維が異常分泌をおこしたか、それともそこにある分泌液、神経液に変化がおきたのか、そのいずれであるかはわからぬが、それらの分泌液が複雑に混合し合って、化学反応をおこしたのだ。あの火は、その化学反応による衝撃が、視床の神経をはげしく打って、網膜に閃光を走らせたのだ。その衝撃はここの神経線維にシナプスをむすび、その火はいつでも私の思うまま私の脳の内奥に明星を変革であったのだ。
またたかせることとなった。同時に私の脳の構造も一変した。求聞持聡明
法の成就である。求聞持聡明法とは、脳の内部の化学反応による脳組織の
(『密教・超能力の秘密』平河出版社)
わたくしのいう練行tapasが、どのようなものであるか、だいたいおわかりいただけたことと思う。いまから考えると、これは「求聞持聡明法」そのものの成就ではなかったかもしれない。まったく新しい法の開発ではなかったかと思う。
「そのいずれであるかは別として、霊視・霊聴、ホトケの現形といった霊的なぎょう
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導師の声は低く、山の空気にとけるようだった。
「水晶龍神瞑想法——。これは、八科四十一道品の中の最奥部にして、大極秘の行。四神足、すなわち欲・精進・心・観の四つの神力を養い、仏陀の思念に直接つながる回路をひらくもの」
アマネは跪き、水晶を前に座した。導師が唱える真言にあわせ、彼もまた低く声を発した。曼荼羅を目に焼き付け、水晶の奥にいる龍神の気配に心を澄ます。
それは観想であると同時に、召喚であった。
「仏陀は、ただ過去の聖者ではない。いまも思念の海に在り、覚醒を求める者のチャクラを通じて、智慧を注ぐ。王者がその玉座を継がせるように」
アマネの内側に、熱と光が満ちていくのを感じた。額の奥、脳の中枢に何かが注がれていく。それは彼自身の思考ではなく、まるで“彼を通じて語られるなにか”のようだった。
やがて導師は言った。
「この行を修する者は、火界定としての護摩、そして水想観としての滝行を修すべし。龍神は火と水の合一において顕現するからだ。水晶を通して観る世界、その真なる光に触れたとき、おまえは知るだろう。人は知能ではなく、“神足”によってこそ仏に近づくのだと」
アマネの瞳には、すでに曼荼羅が映っていなかった。彼は、自らの内奥に広がる宇宙そのものを、見つめていた。
龍神の目覚めと二つの試練
深夜、霧のような思念がアマネの脳内を満たしていた。水晶の龍神が、彼の内奥へと沈み込み、心の一点と結ばれていく。そのとき、彼は言語ではない光の響きを感じ取った。
――思念は、血ではなく、空間に流れる。
それは“声”ではなかった。思考の芯に、唐突に差し込む“命令”だった。
次の瞬間、アマネの身体が軽く震え、目の裏で白光が爆ぜた。眉間に収束していた念の奔流が、背骨に沿って降下し、臍下、さらに足の裏へと落ちていった。そして、そこから再び上昇する。背骨に沿って昇るそれは、炎でも水でもなく、龍そのものであった。
「……これが、四神足か……」
呟いたアマネの声は、自分のものではないようだった。彼の中にいた“彼”は、もはやただの青年ではなかった。
導師が低く語った。
「龍神と接した者にのみ、次の扉が開かれる。火界定――大日如来の業火に自らを焼かれぬ者に、真の観想は得られぬ。そしてもうひとつ、水想観――滝の一滴に宇宙を観じ、水の音に仏の声を聴く」
翌朝、アマネは山を降り、護摩の道場へと向かった。そこでは、炎の中に仏の姿を見いだす修行が待っていた。薪が積まれ、護摩壇が組まれ、火が放たれるその刹那、アマネは視た。炎の中に踊る無数の顔――怒れる忿怒尊、微笑む菩薩、そして、あの水晶龍神の眼。
灼熱の炎にじっと向かい合うその日々は、彼の肉体を削り、精神を磨き上げた。だが、彼は逃げなかった。なぜなら、すでに知っていたからだ。仏陀の智慧とは、苦の中にこそ宿るということを。
火の修行を終えた日、導師が静かに言った。
「つぎは、水に向かう。水想観は、火と対をなす最後の鍵。滝の底にて、一千の音を聴け。そこに、真なる曼荼羅がある」
アマネは再び旅支度を整え、北の滝へと向かう。道中、彼の背に刻まれた曼荼羅の光紋が、夜ごと淡く光を放ち始めていた。
滝音に宿る曼荼羅 ― 水想観と四神足の成就
水の音は、はじめ雑音にすぎなかった。轟く滝の前に座し、アマネはただ目を閉じた。全身を打つ冷水。肌を刺す寒気。だが彼は一歩も動かない。
その沈黙の中で、ふいに――“音”が分かれはじめた。
一音、二音、三音……
それはただの水音ではなかった。滝の一滴ごとに、まるで違う「意味」が込められている。無数の水の声が語りかけてくるのだ。怒り、嘆き、歓喜、そして――慈悲。
「……これが、水の曼荼羅……」
アマネは意識の深奥で、“水の仏陀”に出会った。
それは姿をもたぬ存在であった。ただ、無限にやさしい響きだけが、彼の心の核に沁みこんでいった。
そしてその瞬間、彼の中の四つの光点が一斉に輝いた。
欲神足――清らかな欲望をもって目標に向かう力。
精進神足――ひとつのことに没入する絶え間なき努力。
心神足――深く澄んだ心を自在に操る統一の力。
観神足――物事の真実を見通す智慧の目。
四神足が完全に揃った刹那、アマネの身体が震えた。
目を開いたとき、滝はもう音を発していなかった。いや――世界全体が、静けさの中で語っていた。音なき音。光なき光。
導師が言った。
「……四神足、成就せり。これより汝は“観自在”の門に至る。そこにはもはや敵はない。ただ、己の“過去世”が、汝に最後の問いを投げかけるだろう」
アマネは黙ってうなずいた。
次なる扉はすでに、彼の中で開かれはじめていた――。