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虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)(梵名アーカーシャガルバआकाशगर्भ [Ākāśagarbha])、またはガガナガンジャगगनगञ्ज、[gaganagañja]))は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。「明けの明星」は虚空蔵菩薩の化身・象徴とされ、明星天子大明星天王とも呼ばれる。また、知恵の菩薩として、人々に知恵を授けるともいわれている[1]

概要

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三昧耶形は宝剣、如意宝珠種字はタラーク (त्राः、Trāḥ)。真言は「オン バザラ アラタンノウ オンタラク ソワカ」[2](Oṃ vajraratna, Oṃ trāḥ svāhā)や、「ノウボウ アキャシャキャラバヤ オンアリキャ マリボリソワカ」[3](Namo Ākāśagarbhāya, Oṃ ali kalmali mauli svāhā) などが知られる。

「虚空蔵」はアーカーシャガルバ(「虚空の母胎」の意)の漢訳で、虚空蔵菩薩とは「広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩」という意味である。そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰される。その修法「虚空蔵菩薩求聞持法」は、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというもので、これを修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるという。 胎蔵曼荼羅の虚空蔵院の主尊であり、密教でも重視される。

元々は地蔵菩薩の地蔵と虚空蔵は対になっていたと思われる。しかし虚空の空の要素は他の諸仏にとって変わられたようで、また地蔵菩薩の独自の信仰もあり、対で祀られる事はほぼ無い。

空海室戸岬の洞窟、御厨人窟に籠もって虚空蔵菩薩求聞持法を修したという伝説はよく知られており、日蓮もまた12歳の時、仏道を志すにあたって虚空蔵菩薩に21日間の祈願を行ったという。また、京都嵐山の法輪寺では、13歳になった少年少女が虚空蔵菩薩に智恵を授かりに行く「十三詣り」という行事が行われている。

像容は、右手に宝剣、左手に如意宝珠を持つものや、法界定印の掌中に五輪塔を持つもの、右手は掌を見せて下げる与願印(よがんいん)の印相とし左手に如意宝珠を持つものなどがある。三つ目の像容は求聞持法の本尊で、東京国立博物館蔵の国宝の画像はこれに当たる。

彫像の代表例としては、奈良県大和郡山市額安寺像、京都市広隆寺講堂像などが挙げられる。 奈良県斑鳩町法輪寺の木造虚空蔵菩薩立像は7世紀にさかのぼる古像だが、当初から虚空蔵菩薩と呼ばれていたかどうかは定かでない。また、法隆寺百済観音像は、宝冠が見つかる明治時代前半までは墨蹟銘から「虚空蔵菩薩像」と呼ばれていた。

五大虚空蔵菩薩

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木造五大虚空蔵菩薩坐像のうち蓮華虚空蔵菩薩像 神護寺蔵 平安時代 国宝

五大虚空蔵菩薩は、虚空蔵菩薩のみ5体を群像として表したものである。虚空蔵菩薩の五つの智恵を表す「五智如来の変化身(へんげしん)」とも言う。息災・増益などの祈願の本尊にもなっている。

5体の名称、方位、身色は次の通りである。

  • 法界(ほっかい)虚空蔵(中央、白色) – 白は解脱を意味し、迷いを解き払う仏様
  • 金剛虚空蔵(東方、黄色) – 財産や幸福をもたらす仏様
  • 宝光虚空蔵(南方、青色) – 願い事を叶えて満足させてくれる仏様
  • 蓮華虚空蔵(西方、赤色) – 願い事に関して施してくれる仏様
  • 業用(ごうよう/ごうゆう)虚空蔵(北方、黒紫色) – 穢れを離れて清浄な仏様

五大虚空蔵菩薩の彫像の作例としては、京都・神護寺多宝塔安置の像(平安初期・国宝)で、5体揃ったものでは最古と言われる。また、京都・東寺観智院安置の五大虚空蔵菩薩像(重文)は、空海の孫弟子にあたる恵運から招来した像で、元は山科(京都市山科区)の安祥寺にあったものである。法界の像は馬、金剛は獅子、宝光は象、蓮華は金翅鳥(こんじちょう

薬師瑠璃光の導き

薬師瑠璃光の導き

深い森の奥、夜露に濡れた石畳を踏みしめながら、老僧は静かに祠へと向かっていた。灯された松明の火が揺れ、彼の影が古びた杉の幹に揺らめく。風の音にまぎれて、小さく唱える声が聞こえた。

「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ――」

それは薬師如来の真言。老僧・円乗(えんじょう)は、病に伏した村人のために、今宵も薬師の加護を乞うて祈るのだった。

祠の奥には、青き瑠璃の光を放つ薬師如来の像が鎮座していた。その手には薬壺。全ての病を癒すという神聖な薬が収められているという。慈悲に満ちたその眼差しは、見る者の心の奥深くにまで静かに染みわたる。

「医王善逝(いおうぜんぜい)……我らの苦しみを癒し、清め、命の光を取り戻したまえ……」

薬師如来は古来より、病気平癒、厄除け、長寿祈願、そして死後の安楽をもたらすと信じられてきた。そしてその護法には十二の守護神――十二神将が控えている。彼らは元来、激しい夜叉神であったが、薬師の誓願に感応し、善神として転じたという。

円乗は祈りながら、遠い昔の記憶をたぐっていた。かつて自らの命もまた、薬師如来に救われたことを。

その夜、祠の前にひとりの娘が現れた。病に倒れた父のために、加護を求めてやってきたという。

「薬師さまは……ほんとうに救ってくださるのですか?」

娘の問いに、老僧は微笑んだ。

「神聖なる力のもとに、病を取り除き、浄化し、癒しの力をもってすべてが成就しますように。それが薬師如来の願いなのです。」

空に光が差し始めた。夜が明けるとき、瑠璃光の仏は静かに輝きを増していた。

 

薬師瑠璃光の導き(第二章)―癒しの法を求めて―

娘の名は沙耶(さや)。父は長年、胸の病に悩まされていた。医者も手を尽くしたが、やがて彼の命は風前の灯となり、娘は最後の望みを託して山奥の薬師の祠を訪れた。

「薬師法を修めれば、救える命もあるかもしれぬ」

老僧・円乗の言葉に、沙耶は決意した。

「教えてください。薬師法を……癒しの法を、わたしにも。」

円乗は静かにうなずくと、祠の奥の経棚から一巻の経を取り出した。

「これは薬師瑠璃光如来本願功徳経。薬師如来が、かつて十二の大願を立て、衆生を救うと誓った教えだ。まず、その御名と真言を日々、心をこめて唱えるのだ。声に出して、魂で響かせよ。」

夜ごと、沙耶は父の床辺で唱え続けた。

「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ……」

その声はまるで、瑠璃の光が空間を満たすように澄んでいた。

やがて、不思議なことが起きた。父の咳が和らぎ、苦しみがやや静まっていった。まるで誰かが苦悩を少しずつ取り除いてくれているようだった。

老僧は語った。

「薬師法とは、ただ祈ることではない。心と行いを正し、他を慈しむことで、はじめて真の癒しがもたらされる。沙耶よ、次に教えるのは“浄身観想”。自らの体が瑠璃光に満たされ、すべての穢れを洗い流す観法じゃ。」

沙耶は祠に籠もり、七日七夜の修行に入った。

その間、祠の周囲には見知らぬ姿が現れたという。金の甲冑をまとった十二の神々――十二神将である。彼らは薬師如来の誓願に応じ、修行する者を守護する役目を負っているという。

最終夜、沙耶の夢の中に、深き瑠璃の光が差し込んだ。その中心に現れたのは、右手に施無畏印、左手に薬壺を携えた、慈悲深き仏の姿。

「苦しみを受けし者に、癒しの光を。願いを立て、精進せよ。汝の中にこそ、癒しの力は宿る。」

その瞬間、沙耶の心には確信が生まれた。彼女はもはや、ただの娘ではなかった。癒しの道を歩む者、薬師法の行者となったのだ。

そして夜が明け、父の病は――静かに、しかし確かに、快方へと向かい始めていた。

薬師如来

薬師如来

 

 

 

薬師如来の真言(マントラ)
オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ
(梵語:oṁ huru huru candali mātangi svāhā などに由来)


【意味と解釈】

これは**薬師如来(医王如来)**の加護と治癒の力を祈るための真言で、以下のような意味に分解できます:

真言部分 意味・役割
オン(oṁ) 神聖な始まりの音。宇宙の根源、仏の智慧を象徴。
コロコロ(huru huru) 変化・回転を示す音。病や苦しみを取り除き、心身の調和を回復させる力を表現する音。
センダリ(candali) 「チャンダリー」とも。熱を持つ神聖な女神(クンダリニー)を象徴し、生命力や浄化力を表す。
マトウギ(mātangi) インドの神「マータンギー」を表し、言葉・音・癒しの女神とも解釈される。音声や知恵を司る。
ソワカ(svāhā) 成就を願う結びの語。「〜成就あれ」「〜よ、かなえられよ」のような意味。

【全体の意訳】

「神聖なる力のもとに、病を取り除き、浄化し、癒しの力をもってすべてが成就しますように」


【信仰的な位置づけ】

薬師如来の真言は、特に以下のような場面で唱えられます:

  • 病気平癒・健康祈願
  • 心身の調和
  • 安心立命(不安や苦しみの解消)
  • 薬師如来の加護を求める修行や供養時

必要であれば、薬師如来と十二神将、薬師七仏との関係なども詳しく解説できます。

 

 

阿閦如来(あしゅくにょらい、梵: Akṣobhya, アクショーブヤ

阿閦如来(あしゅくにょらい、梵: Akṣobhya, アクショーブヤ)]

阿閦如来

物事に動じず、迷いに打ち勝つ強い心を授ける仏

語源は「揺るぎないもの」を意味し、物事に動じず迷いに打ち勝つ強い心を授けるといわれています。阿閦如来は「大円鏡智(だいえんきょうち)」と呼ばれる智慧を具現化した仏です。「大円鏡知」は知識や経験のない純粋な心、鏡のようにありのままを映し出す清らかな心という意味を持っています。

密教における大日如来の五つの智慧を表す五智如来の一尊で、薬師如来と同等と考えらました。そのため病気治癒、無病息災、滅罪の功徳があるといわれています。
阿閦(あしゅく)如来には、悟りを得るための発心が極めて強く、戒を律する事も堅く、何時も心が乱れ揺れることが無い事から不動・無動如来とも呼ばれたり、或いは、絶対に怒りの心を起こさないという義の無瞋恚(むしんに)如来という別称がある。

その名の由来は、過去に向かって、東方の千仏刹(釈迦を初めとする千に及ぶ仏国土)を越えた処に阿比羅提国世界があり、その浄土で大目如来が六度に亙(わた)って無極(仏の境地=ニルヴァーナ)の行を説法した時、一人の比丘が祈願して、至上の悟りを求める心(菩提心)を発し、瞋恚(怒り)を断ち、淫欲に溺れないことを誓って精進を宣言し、悟りを得て成仏し、師の大目如来よりその徳目を大いに称えられ、阿閦(瞋恚)如来の名号を得たものである。

現世のご利益 生後十一年目の守護仏
追善のご功徳 七回忌の守り本尊
当尊のご縁日 毎月四日

阿シュク如来は、成仏するための五つの智慧を授けて下さる五智如来の一つとして長く拝まれてきた。阿シュク如来は、もともと教主大日如来の前に集まっては説法を聞く若僧の一人であり、その教えに従って、 とらわれや、むさぼりを戒しめ、仏道を求める決心をしたと言われている。そして、

左手阿閦如来の誓い

東方の彼方、千の仏国土を越えた場所に、清らかなる浄土・阿比羅提国が広がっていた。その地は穢れなく、静謐な光に包まれていた。そこに大目如来という仏があり、六度にわたり無極の教えを説き続けていた。

その法座の下に、一人の比丘が座していた。彼の心には、ただ一つの願いがあった――悟りを得ること。彼は大目如来の説法を聞くうちに、自らの内に渦巻く怒りや欲望が、真の悟りを遠ざけるものであると気づいた。

「怒りを断ち、淫欲を捨て、ただひたすらに仏道を求めよう」

そう誓った瞬間、比丘の心は研ぎ澄まされ、迷いが消えた。その決意は揺るぎなく、彼の心は鏡のように澄み渡った。その様を見た大目如来は微笑み、彼に名を授けた。

「汝の心は決して揺らがぬ。怒りに染まることなく、煩悩に流されることもない。ゆえに汝を『阿閦如来』と称えよう」

その瞬間、比丘の身は輝く光に包まれ、彼は悟りを開いた。

―阿閦如来、ここに誕生す。

それから時は流れ、阿閦如来は五智如来の一尊として、迷える衆生に智慧を授ける存在となった。彼は降魔印を結び、右手を下げて大地に触れることで、恐怖や誘惑を退ける力を示した。

彼の教えは、まるで大円の鏡のごとく、清らかでありのままの真理を映し出す。怒りに囚われることなく、迷いに惑わされることなく、人々が悟りへと至る道を照らし続けるのだった。

「オン・アキシュビヤ・ウン」

彼の真言は、今もなお、世界のどこかで唱えられている。

衣服の端を握り、右手は指を下に伸ばす降魔印(ごうまいん)を結んでいます。これは恐怖や誘惑に打ち勝つ強い心を表しています。阿閦如来の単独の造像はほとんどありません。

真言

オン・アキシュビヤ・ウン

上の文章を小説風して

阿閦如来(あしゅくにょらい、梵: Akṣobhya, アクショーブヤ

阿閦如来の誓い

東方の彼方、千の仏国土を越えた場所に、清らかなる浄土・阿比羅提国が広がっていた。その地は穢れなく、静謐な光に包まれていた。そこに大目如来という仏があり、六度にわたり無極の教えを説き続けていた。

その法座の下に、一人の比丘が座していた。彼の心には、ただ一つの願いがあった――悟りを得ること。彼は大目如来の説法を聞くうちに、自らの内に渦巻く怒りや欲望が、真の悟りを遠ざけるものであると気づいた。

「怒りを断ち、淫欲を捨て、ただひたすらに仏道を求めよう」

そう誓った瞬間、比丘の心は研ぎ澄まされ、迷いが消えた。その決意は揺るぎなく、彼の心は鏡のように澄み渡った。その様を見た大目如来は微笑み、彼に名を授けた。

「汝の心は決して揺らがぬ。怒りに染まることなく、煩悩に流されることもない。ゆえに汝を『阿閦如来』と称えよう」

その瞬間、比丘の身は輝く光に包まれ、彼は悟りを開いた。

―阿閦如来、ここに誕生す。

それから時は流れ、阿閦如来は五智如来の一尊として、迷える衆生に智慧を授ける存在となった。彼は降魔印を結び、右手を下げて大地に触れることで、恐怖や誘惑を退ける力を示した。

彼の教えは、まるで大円の鏡のごとく、清らかでありのままの真理を映し出す。怒りに囚われることなく、迷いに惑わされることなく、人々が悟りへと至る道を照らし続けるのだった。

「オン・アキシュビヤ・ウン」

彼の真言は、今もなお、世界のどこかで唱えられている。