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七科の道品 ――智慧の山を越えて The Seven Sets of Enlightenm

七科の道品 ――智慧の山を越えて
The Seven Sets of Enlightenment — Over the Mountain of Wisdom

 

越えてきた幾千の峠
影を背負い 光を問う
一巻の巻物 握りしめ
石窟に響く 静寂の声

智慧の山を越えてゆけ
恐れずに 闇を照らせ
四神足は魂の翼
目覚めよ 今 真の道へ

Over the thousand passes I came,
Bearing shadows, seeking light.
Clutching a single scroll in hand,
In stone caves echoes the voice of silence.

Climb the mountain of wisdom still,
Fear not — shine light into the dark.
The Four Bases of Power, wings of the soul,
Awaken now — to the true path.

romantic k-pop、Acoustic guitar

Male Vocalist

 

七科の道品 ――智慧の山を越えて

 

 

『七科の道品 ――智慧の山を越えて』

『七科の道品 ――智慧の山を越えて』

旅の途上、一人の求道者がいた。名は蓮志(れんし)。真理を求めて幾つもの山を越え、谷を歩き、いまや彼は、辺境の石窟寺院にたどり着いていた。そこには、伝説の老僧・慧光(えこう)が住んでいるという。

石窟に入ると、薄明の中で老僧がゆっくりと立ち上がった。

「おまえは、何を求めに来たのか」

「智慧です。……そして、悟りに至る法を」

老僧は黙して頷き、一巻の古い経巻を差し出した。

「これは『七科三十七道品』の教え。真に歩む者だけが理解できる」

蓮志は巻を開いた。そこには、七つの修行の章が刻まれていた。

第一章:四念住法 ――目覚めの内観

「まず、己を観よ」

老僧の声が石窟に響いた。

「この身は不浄なり。受は苦なり。心は無常なり。法は無我なり」

蓮志は目を閉じ、心の中でそれを反芻する。肉体の老いと腐敗、感受の束の間の快楽、移ろう心、そして、すべてに固定された「我」は無いこと。

「これは四聖諦の内なる実践じゃ。悟りは外に求めるな。まず、心のなかの観察から始まるのだ」

第二章:四正断法 ――悪を断ち善を育む

「悪を断ち、善を育め」

老僧の語る修行は厳しい。

すでに起こった悪を断ち、これから起こりうる悪を防ぐ。

既にある善を守り、未だ芽吹かぬ善を育てる――

「仏道とは、心の雑草を抜き、徳の種を育てる庭師のごとし」

第三章:四神足法 ――神通への門

蓮志は思わず眉をひそめた。

「……これは、ブッダの教えとは思えぬ」

老僧は笑った。「そこに気づいたか」

四神足――欲、勤、心、観――これらを極めた者は、神通力を得るという。

「だが誤解するでない。“神”とは不思議なる法の妙用、“足”とは到達のよりどころ」

この修行は、単なる超能力ではない。肉体を鍛え、精神を研ぎ澄まし、霊性を開花させ、知性と霊性を融合させる進化の道だった。

「おまえは、旧き脳を超え、新しき脳で真実を観る覚悟があるか?」

第四章以降:五根・五力・七覚支・八正道 ――智慧の山を越えるために

信・精進・念・定・慧――五つの根と五つの力。

さらに七つの覚支、八つの正しい道。

それらはすべて、彼の心の地図となった。

正見によって道を見出し、正思惟によって定め、正語正業によって清らかに生き、正命で行いを調え、正精進で進み、正念で道を忘れず、正定で心の安らぎに至る。

ある夜、蓮志は老僧に尋ねた。

「なぜ、四神足法だけが、あまりにも異質なのですか?」

老僧はしばらく黙っていたが、やがて深く静かに言った。

「それは……この修行だけが、人間を超えた何かへと誘うからだ」

「人間の限界を超え、ブッダの智慧を直接見るための道。それは時に、危うくもあり、破天荒でもある。だが真の賢者は、そこに怯えず、一歩を踏み出す」

蓮志は経巻を閉じた。

石窟の外では、夜が明けはじめ、金色の光が差し込んできた。

それはまるで、内なる智慧が目覚めたかのような光であった。

徳を積む者

徳を積む者

その山寺は、深い霧の奥に隠れるようにして佇んでいた。

春月という青年は、人生の岐路に立っていた。幼き頃より、心の奥底に「このままではない何か」があると感じていた。名誉でも金でもなかった。魂の底から湧き上がる渇き。それは、生きていることの意味を問う声だった。

ある日、彼は老僧に出会った。山寺の門前で座していたその僧は、春月の顔を見ただけで、何かを見抜いたようだった。

「きよめる行と、高める行。この二つの道が、そなたを仏の道へと導くであろう」

「きよめる…?」

春月が問うと、老僧はゆっくりと頷き、語り出した。

「まず、自らの三業——身と、心と、霊を浄化せねばならぬ。これがきよめる行じゃ。前世から持ち越した身体の悪業を断ち、心に染みついた煩悩を焼き払い、迷い彷徨う不成仏の霊障を清める。霊としての自己を浄化するのじゃ」

その言葉は、春月の胸の奥に刺さった。なぜかわからぬが、自分が何かを背負って生まれてきたことを、彼は本能的に感じていたからだ。

「そしてな…」と老僧は続けた。「それだけでは不十分。次に高める行がある。徳を積み、福を得る道じゃ。不徳の者は、何を学ぼうが、何を修行しようが、高みに届くことはできぬ。仏陀になるとは、徳の高みに至るということじゃ」

春月は拳を握った。

「だが、どうすればその徳を積めるのですか。徳を積みたくても、私には…」

老僧はにっこりと笑った。

「そのために準胝尊千座行(じゅんていそん・せんざぎょう)があるのじゃ。誰もが三業を清め、徳を積むことができるように編まれた修行法。それこそが、因縁を解き放つ鍵となる。仏陀の道——七科三十七道品への第一歩なのじゃ」

春月の背後に、風が吹いた。霧の中、鐘の音が静かに響いた。

老僧は立ち上がった。まるで何かを見届けたように。

「知識や学問ではない。修行の過酷さだけでもない。仏陀の法にふさわしき器とは、徳を宿した者だけ。仏は徳なき者にはその法を授けぬ。わしが成仏法に至れたのも、ひとえに積み重ねた徳のおかげじゃ」

春月は頭を垂れた。仏陀になるとは、遠く険しい道ではあるが、確かに歩み出せる道なのだ。

——そして、彼はその日から千座行に入った。

己の三業を清め、徳を積み、いつか、悟りに至る者となるために。

後有(未来の生)を断滅した涅槃の成就―

ご覧ください

的もそこにあった。 1、その人能力により、人間に輪廻転生の事実のあることすそとり、旅行して、そこからの解説を成就したのである。そうして、かれの説く教えの目 of

後有(未来の生)を断滅した涅槃の成就――これ以外にないのである。それは、こころみに、おもな阿含経典のどれでもよい。アトランダムに、一部、手にとってみるがよい。 その末尾は、必ず、といっていいほど、こうむすばれているのを見るであろう。

(湯)愛滅するがゆえに、恥を生ぜず、取生せざるがゆえに繋習を生ぜず、繫著せずんばすでに自ら涅槃を覚り、我が生すでに尽き、梵行すでに立ち、所作すでに作し、自ら後有を受けざるを知る。(『雑阿含経』第二、三世陰世食経)

この、「わが生すでに尽き、梵行すでに立ち、所作すでに作し、自ら後有を受けざるを知る」という句は、おもな阿含経典のむすびとして必ず出てくる文章である。 つまり、ブッタの教えの、これこそがテーマだったのである』

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1

この経文のなかに、「梵行すでに立ち、所作すでにだし」そうしてもう輪廻転生の輪の中から脱して未来の生は滅してしまった、とあります。この「梵行」というのが、それなのです。

この「梵行」というのが、因縁解脱・成仏のための修行なのです。

では、梵行とはなにか。

それは、

と、

きよめること

たかめること

の行です。

まず、きよめる行とは、自分の、身・心・霊の三境にわたって、浄化し

具体的にいいますと、

どう 1、前生から持ちこしているところの、身体の悪しき業を浄化する。

2、前生からのこころの悪しき業、すなわち煩悩を浄化する。

3、不成仏霊や霊障を浄化して、霊的存在としての自分を浄化する。

以上がきよめる行

 

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3、不成仏霊や

以上がきよめる行です。

「これにたいし、高める行とは、徳を積んで、福を身につける行です。

苦しむわけです。 不徳のものほど、すべてにおいて低いのです。精神的にも、霊的にも低い。徳のあるひとを、『高徳のひと」と申します。『徳が高い”というでしょう。徳のないものほど、人間が低い。わるい因縁を持つひとほど不徳で、徳がない。いや、徳がないから、わるい因縁を持って

できるかぎり徳を積んで、自分を高めなければいけない。因縁解脱の窮極は、自分自身、仏陀になるということです。徳なくして仏陀になれますか? わかりきったことではありませんか。なんとしてでも徳を積まなければいけない。しかし、いくら徳を積みたくても、身・心・ 霊の三業の悪因縁をきよめなければ、徳などとうてい積めるものでない。

では、きよめる行、高める行、つまり、浄化の行と積徳の行を、どのようにしてすすめていったらよいのか? むずかしいことです。

それを、だれでもができるように編成したのが、

因緣解脱準胝尊千座行

 

 

*

なのです。

身・心・霊の三つをきよめる

よく入行してすぐに、阿含経の「七科三十七道品」その他の修行をすぐに教えてくれといい、教えないと不平不満をいうひとがいます。中には、よそへ行って、桐山は本にいろいろ書いており、それをすぐに教えてくれると思って入行したが、ちっとも教えてくれない。あれはインチキだといい、またそれをすぐにとりあげて、桐山密教はインチキだ、阿含密教はサギだなどとわめきまわる坊さんなどがおりますが、まことにおろかきわまることです。

仏教の修行というものは、すべて、因縁を解脱し、さとりをひらいて、仏になるという修行です。徳なくして仏になどなれるか。こころに煩悩の悪業が満ち、霊的に不浄の霊障を持ち、 それですぐに仏になる修行ができると思うのか。

七科三十七道品という成仏のための修行法は、学問にたとえれば、大学、大学院を卒業して、さらに高度の研鑽を積む、大学の研究室のようなものです。そこに入るための高度の知顔、才能というものが必要であることは、いうまでもないことでしょう。

 

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て、さらに高度の研鑽を積む。大学のな

時、才能というものが必要であることは、いうまでもないことでしょう。

身心の向舎の七第三十七道品にたどりつくまで、十数年間の血の出るような修行ああった。死にものぐるいの勉強があった。しかし、わたくしは、わたくしのこの勉強と修行がみのって、仏陀直説の成仏法にたどりついたのだとは思えない。それだけではないのです。

わたくしは、密教の修行、仏教の勉強のほかに、ひたすら徳を積んだ。いくら勉強や修行をしても、徳がなかったら、仏陀直説の成仏法などを手にすることはぜったいにできない。ましてや、それを修行し、成就することなど、考えることもできない。頭のよい、わるいの問題ではない。徳の問題なのです。徳なき者には、第一、仏さまが許さないのです。わたくしがこの成仏法を手にすることができたのは、ひとえに、徳を積んだおかげであった。ですから、修行者は、徳を積むことがなによりも大事なのです。しかし、どうしたら徳が積めるか?

準貶尊千座行は、身・心・霊の三業をきよめ、この三業の悪因縁を切り、徳を積んで、成仏法を成就する器になるための修行であり、それはすでに七科三十七道品の第一歩なのです。仏陀のいわれる梵行なのです。

問題は高める梵行

宝運をよくするための正しい行を持つ三つのポイント

 

この準既尊千座行は、そうむずかしいものではありません。やる気さえあれば、だれでもで

きます。しかし、決してやさしいというものでもありません。

むずかしいといえば、むずかしいことが一つあります。

それは、「高める」梵行のほうです。

「きよめる」梵行のほうは、そうむずかしいことはない。それは、主として、「法」がやってくれるからです。

因縁解脱・成仏法の本尊である準延如来の加被力と、導師の成仏力と、修行者自身の浄撚この三つの力によって、すべて法がやってくださる。

毎日の勤行と、毎月の例祭の法要で修せられる解脱護摩の法の力で、修行者にまつわる不成仏霊は解脱し、成仏して、修行者は霊的に浄化されます。

霊障を発するほどの強い不成仏霊はむりですが、ふつうの不成仏霊は、千座行という、千日間の毎日の行で、かならず成仏させてしまいます。また、この霊的な浄化につれ、身・心の悪業も浄化され、因縁が切れてゆく。これら浄化の梵行は、さだめられた行をきちんとやっておりさえすれば、あとは、法の力がやってくれる。

問題は、高めるほうの梵行です。

は、法がしてこれはすこしむずかしい。パイクを景品なぜならば、これは、自分自

ゆ式出

りさえす

だからむずかしい。 しかしい。 なぜならば、これは、自分自身がやらなければならない行だからです。浄化のほうの梵行は、法がしてくださるが、高めるほうの梵行は、自分自身がしなければならぬ行だからです。

修行者を見ていますと、浄化のほうの行は日に日にすすんでいくのだが、高めるほうの行がさっぱりすすまない。いつまでも、境界が低い。いくら浄化の行がすすんでも、徳がともなわないと、ある線のところで止まってしまう。法の力を受けることができなくなってしまうのですね。徳がない、あるいは、あっても低いから、法の力が受けられないのです。そうして、結局、千座行から脱落してしまうようなことになる。

法の力で、先祖の不成仏霊などはほとんど成仏しかかっているのだが、徳を積まないから、 人間的にちっとも高くならない。成長しない。低いのです。こころの因縁―――性格の欠点などがすこしも直らない。そこで脱落して、せっかく成仏しかけていた不成仏霊など、みな、元にもどってしまう。自分自身の行――自分を高める積徳の行がないからです。

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家運をよくするための正しい信仰を

 

 

 

防波堤の上』

『防波堤の上』

夜の風は、冷たくはないが、どこか遠い記憶を運んでくる。彼は静かに、防波堤の上に立っていた。足元に砕ける波の音が、心の中の沈黙を破るたび、少年の頃の彼がよみがえってくる。

まだ若かったあの頃。
海の色に怯え、打ち寄せる波を恐れて走り去った日。
ただただ、自分が「自由」だということが、こんなにも孤独で、こんなにも悲しいものなのだと、知らなかった。

夜の道を車で走るとき、窓の外に広がる景色に、ふと目を奪われることがある。空と海の境目、見失いそうになるほど淡く溶け合う境界。その間に走る一筋の稲妻は、まるで過去と現在を切り裂くようだった。

彼はいつの間にか、大人になっていた。
扉を開けて、人と出会い、恋に落ち、誰かの体温の中で眠る夜もあった。
期待され、裏切られ、信号の変わる音に立ち止まることに慣れてしまった。

ラジオからは、優しいアコースティックギターと、どこか遠い国のロマンティックなK-popが流れてくる。
その旋律はまるで、彼の人生のBGMのようだった。

語るべき言葉を失った夜。
誰に伝えるでもない思いが、空気の中に消えていく。
遠くで波の音が聞こえた。

「悲しいほど、自由だな……」

呟いた言葉は、誰にも届かない。
今日も彼は一人、防波堤の上に立ち尽くしていた。
風が背中を押す。
迷いも、躊躇もすべてさらっていくように。

「行け」と風が言う。
もう逃げる理由なんてないのだ。
そう思いながら、彼はそっと一歩を踏み出した。