静けさの中で出会うもの──ある修行者の四つのまなざし
夜明け前の森は、まだ眠りの中にあった。葉の擦れる音も、風の気配も、すべてが静まり返り、ただ一人、青年は坐っていた。
名をアサヒという。その身は蓮華の姿を模すように、静かに、呼吸と共に大地と調和していた。
師から与えられた教えは、「観よ、己を」。ただそれだけだった。だがその短き言葉の中には、深い宇宙が潜んでいた。
第一のまなざし──身念処。
アサヒは、ゆっくりと呼吸に意識を向けた。鼻先を通る冷たい空気、胸に満ちていく命の流れ、わずかに上下する腹の動き。
歩くときの足裏の感触、指のかすかな痺れ、腰に生じた痛み。それらすべてが、いまこの瞬間、この「身」という舟の中に確かに存在していた。
「これはわたしの体、だが、わたしではない」
彼の心に、かすかな理解の光が灯った。
第二のまなざし──受念処。
やがて浮かんでくる感覚の波。それは時に甘く、時に苦く、あるいはただ曖昧で、捉えどころのないものだった。
朝の光に包まれるとき、安らぎが訪れる。鳥の声に心が踊る。だが、同時に、思い出が痛みを連れてくる。
「喜びも、悲しみも、やがて去る」
感覚はとどまらず、ただ訪れては去る雲のようだと、アサヒは気づいた。
第三のまなざし──心念処。
さらに深く、彼は己の「心」を見つめた。
今、自分の心は集中しているか、それとも散っているか。怒りはあるか、欲望はあるか。どんな色を帯びているのか。
彼は知る。「心は空のようだ」と。雲が浮かび、風が吹き、やがてまた澄み渡る。変わらぬものなど何ひとつない。
第四のまなざし──法念処。
そして最後に、アサヒのまなざしは現象そのものへと至った。
五蘊、すなわち色(身体)・受(感受)・想(表象)・行(反応)・識(意識)――そのすべてが「わたし」という存在を形づくっているが、実体はどこにもない。
六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)、六境(色・声・香・味・触・法)――すべての接触が、ただの条件によって起こるものだと気づいたとき、彼は微笑んだ。
「世界は、ただ現れ、ただ消えていく」
アサヒの心に、深い安らぎが降りた。
それは、涅槃の風だった。




