仏陀の Ānāpāna の法
ナーパーナ釈尊の修行法の中心である安那般那について、最もくわしく説いた経が雑阿含経にある。
是の如く我れ聞きぬ。一時、仏、舎衛国の祇樹給孤独園に住まいたまえ比丘の安那般那の念を修習するに多く修習せば身心止息することを得て有覚、有観、寂滅、純一にして明分なる想を修習満足す。何等をか安那般那の念を修習するに多く修習し已らば身心止息し、有覚、有観、寂滅、純一にして明分なる想を修習満足すと為す。是の比丘、若し聚落城邑に依りて止住し、晨朝に衣を着け鉢を持ち、村に入りて乞食するに善く其の身を護り、諸
り。爾の時世尊、諸の比丘に告げたまわく「安那般那の念を修習せよ。サ
の根門を守り善く心を繋けて住し、乞食し已つて住処へ還えり、衣鉢を挙げ
足を洗い已って或は林中の関房の樹下、或
は空露地に入りて端身正坐し、念げんぼう
を繋けなば面前、世の貪愛を断じ欲を離れて清浄に、瞋恚・睡眠・悼悔・
疑・断じ、諸の疑惑を度り、諸の善法に於て心決定することを得、エ悩の心に於て慧力をして膨らしめ、障礙の分と為り、涅槃に趣かざるを遠離
し、内息を念じては念を繋けて善く学し、外息を念じては念を繋けて善く学し、息の長き息の短き、一切の身の入息を覚知して一切の身の入息に於て善
く学し、一切の身の出息を覚知して一切の身の出息に於て善く学し、一切の
身の行息・入息を覚知して、一切の身の行息・入息に於て善く学し、一切の身の行息・出息を覚知して、一切の身の行息・出息に於て善く学し、喜を覚
知し、楽を覚知し、身行を覚知し、心の行息・入息を覚知して心の行息・入息を覚知するに於て善く学し、心の行息・出息を覚知して、心の行息・出息
を覚知するに於て善く学し、心を覚知し、心悦を覚知し、心定を覚知し、心の解説入息を覚知して、心の解説入息を覚知するに於て善く学し、心の解脱
出息を覚知して、心の解脱出息を覚知するに於て善く学し、無常を観察し、
断を観察し、無欲を観察し、滅入息を観察して、滅入息を観察するに於て善
入外
内息息
息
外日
く学し、滅出息を観察して、滅出息を観察するに於て善く学する。是れを安
那般那の念を修するに身止息し心止息し、有覚、有観ならば寂滅、純一にして明分なる想の修習満足せりと名づく」と。仏此の経を説き已りたまいしに
諸の比丘、仏の説かせたもう所を聞きて、歓喜し奉行しき。
すそくかんこれまで、安那般那は、「数息観」の呼吸法を説いたものであるとされてきた。
あなはなねん (雜阿含経「安那般那念経」)
決してそうではないのである。安那般那は単なる呼吸法ではないのである。こしんずいこには、成仏法の中心である四神足法の真髄が説かれているのである。
まず、この経に説かれている呼吸法を見てみよう。
身の行息・入息
身の行息・出息
心の行息・入息
心の行息・出息
心の解脱入息
心の解脱出息
滅入息
滅出息
身止息
心止息
じつに十五種類の呼吸法が説かれているのである。こんな短い経典
内息
類もの呼吸法が説かれているのだ。いとも簡潔に呼吸法の項目だけがならんでい
るが、それは、この講義を聴聞した修行者たちが、みな、これらの呼吸法に熟達した者ばかりで、いちいち、その内容について説明する必要がなかったからであろう。
そこで、
ここで注意しなければならないことがある。
そくそれは、「息」の解釈である。
こきゆうこれを、単なる呼吸と解釈してしまってはいけない。
これは、「呼吸」であるとともに、生気をし に、生気をともなった息、すなわち、 いき すなわち、いうならば「気・息」をもあらわしているということである。これは、インドにおける
ヨーガの特徴である。
ざっと解釈してみよう。
外息
る。 これは、気息、すなわち、生気を息とともに、体の隅々にまで行らすことであ
じん身の行息・入息
じん身の行息・出息
人息
出息
行息
これは、深い修行に入るにあたっての、心身調節の呼吸法である。
じんめぐこれは、身において気息を行らすこと。すなわち体の特定の場所に気息を行らしていくことである。特定の場所とはどこか? チャクラだ。
しん
心の行息・入息
心の行息・出息
これは、心において気息を行らすこと。
この「心」というのは、端的にいって、脳のことである。思念する心は、脳にあるからである。脳の特定の場所に気息を行らしていくのである。特定の場所と
はどこか? チャクラである。
ここでこの「行らす」という言葉に留意していただきたい。
身止息 身において気息を止念す。
心止息心において気息を止念す。
気息を、身と心に止め、念ずるのである。
身と心の、どこに止め念ずるのか? いうまでもなく、それはチャクラしかないのではないか。
体と脳のチャクラに止め念ずるのである。
心の解脱入息
心の解脱出息
滅入息
滅出息
脳のチャクラ、アージュニャーとサハスラーラの開発作業である。脳におウマとワニの部分の消滅・解脱作業ともいうべきもの。同時に視床下部と新とをつなぐ神経回路を補強する予備的作業でもある。要するに、古い脳を! に進化させる作業だ。
めつじんじようサハスラーラ・チャクラを動かし、滅尽定に入る修行である。気息・思介てを超越した境地に入る。