UA-135459055-1

Mac

人間の条件

・人間の条件

「因」

「縁」

この人間の持つ「運命的条件」は、二つのものから成り立つ。

「内的条件」と「外的条件」である。

人の運命、人生というものは、その人の内的条件と外的条件の総合結果である。

つまり、内的条件とはその人自身の持つ条件で、健康、才能、性格、運気、などをいう

外的条件は、その人をとりまく環境、人間関係、運期、等である。だから、人の運命、人止

というものは、その人の内的条件と外的条件の総合結果なのである。

この内的条件を、

とよぶ。

外的条件を、

という。

 

内的条件と外的条件は表裏一体であるから、これを約めて、「因縁」とひと口にいうので

よく、因縁というと、

「因縁なんて迷信だ。因縁などというものはない」

などという人がいるが、これは、無知な人のいうことといってよい。因縁ということばの本来の意味をまったく知らずに、ただ、迷信呼ばわりをしているのである。因縁、の総合結一である。因縁といい、因果という、古めかしいものを感じさせるが、内的条件、 外的条件、総合結果、などというより、はるかにピッタリした表現である。ゆえに、われわれは、「因縁」という表現を用いるのである。

前章の、「価値の原則」にこれをあてはめると、こういう公式が出来る。

(四)(緑) 主体的価値+(その人の内的条件+外的条件=客体的価値、 (果)

すなわち、(因)(緣)(果)

ということになる。

いんわんさて、そこで、われわれは、自分の持つ条件がどんなものであるか、ということを究明しなければならなく

四神足  息の門 The Gate of Breath — Four Divine Footings

四神足  息の門
The Gate of Breath — Four Divine Footings

夜明け前の 霧の庵(いおり)に
ひとり坐す 若き影
白き吐息 願いを宿し
扉の前で 息を聴く

願え、渇け、道を叩け
その一呼吸に 灯をともせ
覚醒の息が 魂に触れる
神足の道は ここに始まる

Before the dawn, in mist-bound cell,
A silent youth begins to dwell.
White breath bears a longing flame,
He listens where no voice has name.

Desire, thirst, and strike the gate,
Let every breath illuminate.
Awakened breath now stirs the soul,
Here begins the godly goal.

四神足小説の第一章

四神足小説の第一章――

第一章:息の門を叩く者

夜が明ける前、東の山あいに霧が満ちる頃、若き修行者ユウガは、ひとり山中の庵に坐していた。冬の息は細く、冷たく、彼の鼻先で小さく白く曇る。その呼吸にさえ、彼は目を凝らしていた。

「仏陀は、息を見つめよと言った。だが……ただの呼吸ではないはずだ」

彼は経典を抱えて何年も旅を続け、ついにこの庵にたどり着いた。都市の喧騒を離れ、人と会わず、ただ坐し、ただ観る。それでもまだ、何かが掴めなかった。

――なぜ呼吸が道となるのか。

それは単なる健康法ではなく、瞑想の入り口でもなく、人間を“超える”何か――

彼はそれを求めていた。

 

ある夜、火を絶やさぬよう囲炉裏に薪をくべながら、ユウガはふと、夢の中で聞いた言葉を思い出す。

「欲せよ。道を渇望せよ。
渇きこそ、真実の門を叩く音となる」

声の主は見えなかった。ただ深い眼差しだけが、夢の中で彼を見ていた。

 

――欲神足。

仏典に記されたその名が、彼の内側で音を立てた。

“すぐれた瞑想を得たい”という、強い願い。それは執着ではない。むしろ、仏道への渇望こそが、修行の最初の燃料なのだ。

「……願おう。私もまた、見たいのだ。仏陀が見た、真実の世界を」

その瞬間、冷たい空気の中に、ほんのわずか温もりが生まれた。

彼の呼吸が変わる。ゆっくりと、深く、胸の奥まで息が届く。それは、これまでの“ただの呼吸”とは違った。

意志が、息に宿ったのだ。

外界の音が消えた。耳に届くのは、自身の息の音だけ。吸うたびに、彼の内側の暗闇に灯がともる。吐くたびに、そこに巣食っていた迷いや不安が、静かにほどけてゆく。

 

――師もなく、導きもなく。

けれど確かに、いま彼は“門”の前に立っていた。

それは肉眼では見えない。だが、心の深部において、ひとつの扉が存在するのを、彼は感じた。

ユウガは、もう一度息を吸った。

その呼吸の奥で、何かが応えた。

「汝、願いを持つ者よ。ならば進め。“神足”の道を」

 

こうして、修行者ユウガは、第一の歩みを始めた。

それは、ただ“坐る”ことではない。

それは、“覚醒への呼吸”を知る旅だった。

第二章:心を一点に集める

朝霧の彼方に、ひとすじの光が差し込んできた。

庵の入り口に射すその光が、ゆっくりと床を染めていく。ユウガはその中に坐していた。昨夜の瞑想の余韻が、まだ身体の内に残っていた。呼吸は静かで、心は澄んでいた。

だが、次の段階に進まねばならないことを、彼は自らに告げていた。

“心神足”――心を、完全に一点へと集める修行。

それは、内なる世界を一つに結ぶこと。

呼吸、意識、感覚、思念、記憶、時間――あらゆる「散りゆくもの」を一つに束ね、ただ一点に心を澄ませる。仏陀がそうしたように。

 

ユウガは静かに目を閉じた。

耳の奥に、風の音が小さく鳴っている。竹林の葉がかすかに揺れている音だ。それに気づいた時、彼の心はすでに“散って”いた。

――まただ。

何かに気づくたび、心がそれに反応してしまう。

呼吸に戻ろうとするが、その途中で過去の記憶がふいに顔を出す。かつて修行を共にした青年・レンの笑顔。彼との別れ。都市の片隅で見た、飢えた子供の姿。ふと浮かんだ母の声。

――どうして、こうも心は散るのか。

 

その夜、彼は囲炉裏の前に坐したまま、動けなくなっていた。薪の火が小さく燃え、庵の中に影をつくっていた。

「心が乱れるのは、心が弱いからではない。
心が生きている証拠だ。だが、それを観ることが“始まり”となる」

夢の中でまた、あの老僧の声が響いた。輪郭のないその存在は、まるでユウガ自身の深層が語っているようだった。

 

翌朝、ユウガは庵を出た。外はまだ薄暗く、霧の中に小道がぼんやりと続いている。

一歩、また一歩と足を運びながら、彼は試みた。

歩くことに、心を集める。
その一歩に、呼吸を重ねる。
足裏の感覚に、意識をすべて集める。

すると、時間が止まったように思えた。

道の上の水滴がきらめき、朝露がひとつ、葉先から落ちる音が耳に届く。

その瞬間――

心が、一点に溶けた。

過去も未来も、すべての思念が消えていた。ただ、いま、ここに在る感覚。呼吸と歩みと意識が、ぴたりと結ばれた。

ユウガは立ち止まった。

そして、微かに微笑んだ。

「この感覚だ……これが、“心を集める”ということなのか」

 

その夜、彼は再び坐した。

今度は、心は乱れなかった。風の音も、記憶も、すべてを感じつつ、それに巻き込まれず、ただ呼吸とともにある。

火が燃える音さえ、彼の意識の中に調和していた。

やがて、彼は息を止めるほどに深く、沈黙の中に入っていった。

ひとつの“心”が、世界とひとつになっていた。

第三章:智慧による観照

夜明け前、静寂が森を満たしていた。

ユウガは炉の火を落とし、すべての灯りを消して、暗闇の中に坐した。すでに呼吸は深く、心は乱れていなかった。だが、彼は知っていた。

――ここからが、本当の入口だと。

観神足。

それは、観ること。
だが、見るだけではない。智慧をもって見るということ。
自分自身の心、感情、記憶、煩悩、思念のすべてを、深く観察する。
それらが生まれ、形をとり、やがて消えていく――その一部始終を、透明な眼で見つめ続けること。

 

「いま、自分は何を思っているのか?」
「その思いは、どこから生まれたのか?」
「それは真実か? あるいはただの影か?」

彼は、ひとつひとつの思念に目を向けた。

 

突然、幼き日の光景が浮かぶ。

父に叱られ、声をあげて泣いていたあの日の自分。
そのとき植えられた“恐れ”という感情が、幾度も彼の選択を縛ってきたことに気づく。

またある瞬間、師と別れた日のことが甦る。

「お前は、真理を知りたいのではない。ただ、答えが欲しいだけだ」

――あの言葉を、ずっと否定してきた。

だが今、静かに見つめることで気づいた。
確かに自分は、真理を“所有”したかったのだ。
それが、最大の無明(ムーヤン)だった。

 

胸の奥が、ひとつ、ふっと軽くなる。

見えないものが、ほどけていく感覚。

煩悩は、退治するものではなかった。
ただ、ありのままに観ることで、溶けてゆくものだったのだ。

 

ユウガの目が、ゆっくりと開かれた。

庵の外、朝の気配が漂っていた。霧が薄くなり、鳥の声が遠くに聞こえる。

そのすべてが、ひとつの流れの中にあると、彼は知っていた。

過去も、恐れも、期待も――
今のこの瞬間に至るまで、すべてが因果の川を流れ、今ここに集まっている。

彼は、そっと呼吸する。

吸う息は、この世界のすべてを受け入れ、
吐く息は、自分の中のすべてを手放す。

そこに、隔たりはなかった。
世界と自己が、ただ透明に重なっていた。

「見るということは、分け隔てることではない。
真に観る者は、すべてを抱いて、何ひとつ拒まない」

心の奥で、あの老僧の声が、もう一度聞こえた気がした。

 

そして、彼は次の息を深く吸い、静かに吐いた。

その呼吸の中に、もう“争い”はなかった。

 

――次章へ続く:「最終章 四神足の完成」

 

最終章:四神足の完成

雲ひとつない深夜。山あいの空は、無数の星が集まりひとつの大河となっていた。
庵の灯はすでに消え、ユウガは炉の灰の上に薄い布を敷いて坐っていた。呼吸は限りなく静まり、胸の奥でただ遠い潮騒のように脈動している。

1 四つの火がひとつになるとき

欲(よく)――仏陀の境地を渇望する火。
勤(ごん)――その火を絶やさぬよう薪をくべる力。
心(しん)――炎を一点に集中させる炉。
観(かん)――火のゆらめきを余さず見つめる智慧の眼。
長い年月、四つの火はユウガの中で別々の灯となっていた。だが今、深く息を吸い、静かに吐くたび、その炎が重なり合い、一色の光へと溶け込んでいくのを感じる。
――欲は勤に支えられ、勤は心に導かれ、心は観によって透徹する。
四神足が環となり、相互に燃料を与えあう無限軌道を描く。その中心でユウガの意識は、燃え上がることも滅することもなく、ただ透明な輝きとなって立っていた。

2 沈黙の息

ユウガは最後の意図さえ手放す。
「悟ろう」という想いを離れ、「坐っている」と名づけることも離れ、「息をしている」という観念すら離れる。
呼吸は、吸う息と吐く息のあいだでほとんど止まった。止息(アパナサティ)の最深部――胸が動かぬその間隙に、無量の時間が広がる。
そこには「内・外」の区別も、「生・滅」の印もない。ただ、息そのものが宇宙であり、宇宙そのものが息であった。

3 境界の融解

遠くで梟が鳴いた。だが、その音は「外」から来るのではなかった。
星のまたたきも、風が竹林を撫でる音も、冷たい夜気も――すべてがユウガの心中で起こり、そして同時に心の外で起こっていた。
観の眼が最後の輪郭を滲ませ、世界は澄んだ水面のように一体となる。
「内なる恐れ」も「外なる闇」も、見れば見るほど隔てが失われ、やがて“怖れ”という言葉自体が像を保てず溶けた。

4 カルマの鎖がほどける音

沙門果経に記されたとおり、四神足が完成するとき、業(カルマ)の連鎖は断ち切られる――。
ユウガの胸奥で、長いあいだ重しのように沈んでいた罪悪感、後悔、渇望、執着――それらが細い糸となり、ぱちん、と音もなく切れた。
刹那、全身を通り抜ける涼風。
不思議なことに、身体そのものが羽根のように軽くなった。立ち上がるでも座るでもなく、意識はただ遍(あまね)く在った。

5 黎明

東の稜線が薄紅色に染まる。夜と昼の境目がほどけ、闇の中に溶けていた山々の輪郭がやわらかく浮かび上がる。
ユウガは静かに目を開いた。
瞳に映る世界は、何ひとつ変わっていない――霧の帯、木々の影、薪の残り香。
だが同時に、すべてが初めて見る光景であった。
呼吸はまた自然に流れ出し、胸いっぱいに冷えた夜気を吸い込む。
吐く息とともに、微かな笑みが唇に広がった。

6 道は息づいている

ユウガは立ち上がり、庵を出て、露に濡れた地面に裸足を下ろす。
足裏の冷たささえ、祝福のように感じられる。
――もう「悟った」と名づける必要はない。
四神足は今も動き続ける歯車となり、次の瞬間、次の歩みに燃料を送り続けるだろう。
渇望は慈悲となり、努力は自然な行いとなり、心の一点は遍く世界を抱き、観照は愛そのものへと開かれる。

「道は終わらない。ただ、生きとし生けるものの息づかいのなかを歩き続ける」

山鳩が翼を打ち、朝日がひときわ高く昇る。
ユウガは呼吸を合わせ、一歩目を踏み出した。
その歩みの向こうに、まだ名も知らぬ旅人たちの影が見えた気がする――
彼らもまた、四神足の火を胸に抱き、いつか自らの息で門を叩くだろう。

エピローグ

こうして、ひとりの修行者は四神足を完成し、己を束縛する鎖を解いた。
しかし物語は閉じない。彼の息が続く限り、法(ダルマ)の風は吹き、次なる大地へと種を運ぶ。
いつの日か、あなたの胸の奥でふと芽生える渇望の火――それこそが、新たな物語の幕開けとなるかもしれない。

――終 ――

 

 

 

滅尽の光(めつじんのひかり) Light Beyond the Last Breath

滅尽の光(めつじんのひかり)
Light Beyond the Last Breath

 

静けさが 胸に満ちて
風ひとつない 朝の底
ひとすじの息が 名もなき扉を叩く
目覚めよ 魂の奥から

願いを越えて ただ坐している
滅びの中に 光が生まれ
この身を捨てて 真実となる
息の果てに 永遠がある

Stillness fills my chest,
In the depth of a windless dawn.
A single breath knocks on a nameless doo
Awaken, from the depths of the soul.

Beyond all desire, I simply sit.
In the heart of ending, a light is born.
Letting go of this body, I become the truth.
At breath’s end, eternity awaits.

 

 

チャクラを巡る気息の旅

第一章 息の門(いきのもん) ※既に執筆済み

「呼吸とは何か」。修行者トウマが、身体と心に宿る十五種の呼吸を通して、“気息”の実相にふれる。

第二章 チャクラを巡る気息の旅

気息をチャクラへ導く修行が始まる。アージュニャー(眉間)からサハスラーラ(頭頂)へ、トウマは「心の中心」へと沈潜していく。師との対話と内観が交差する。

第三章 観の剣 ― 四神足法・観神足

息によって静まった心で「観る」力を鍛える章。煩悩の根がどこにあるか、自己をどう照らし出すか。観神足における智慧と、その鋭さが描かれる。

第四章 意志の試練 ― 欲神足・勤神足

修行の中で、かつての執着や迷いが再びトウマを試す。「欲」と「勤め」の二足がどのように働くのか、内なる闘いの中でトウマは答えを見出す。

第五章 禅定の翼 ― 心神足と空への跳躍

心が統一され、意識が次の段階へと移行する。瞑想の深みで出会うもの、そして「空(くう)」の入口に立つトウマの姿。

第六章 滅尽の息、永遠の光

「滅入息・滅出息・止息」の果てにある境地――。四神足の完成とともに、トウマは自我の彼方へと旅立つ。息が止まったその先に、何があるのか。

第二章 チャクラを巡る気息の旅

夜がまだ明けきらぬ刻――
トウマは庵の奥、蝋燭一本の明かりの下に坐していた。身を静め、意識を深く沈めるたびに、内なる世界がひそやかに開いてゆく。

呼吸はもはや「吸って、吐く」という単純な行為ではなかった。
それは「気」を導く行法となり、心と身を超えた深奥の旅路となっていた。

「次は、気息を巡らせよ。お前の内にある、七つの門を越えて行け」
かつて師が残したその言葉が、脳裏に澄んで響く。

――チャクラ。
インドのヨーガでは、七つのエネルギー中枢として知られるが、仏法の深い行法においても、それは**“心の聖域”**として用いられてきた。

トウマは、静かに気を集める。

まず意識を丹田に向ける。
下腹部――ムーラーダーラ。
そこは、命の根が宿る場所。欲望、恐れ、生存の執着。
「心の行息・入息」――息を、その源へと導く。
まるで赤い炎が、腹の底からゆらりと立ち上がるような感覚。
それを、ひと息ごとに少しずつ、上へ――上へと、昇らせてゆく。

つぎに、臍(へそ)のあたり、スヴァーディシュターナ。
ここには、快楽と感情の波が眠っていた。
だが、気息を通すと、それらは鎮まる。
渦巻く欲動が、静かな水面に変わっていく。

さらに上、みぞおちにあるマニプーラ。
意志の力が宿る。怒り、野心、支配欲。
トウマは思わず眉をひそめた。
かつてこの場所に、何度も己の弱さを見た。
だが今は、呼吸によって整えられた気息が、そこに穏やかな黄金の光を宿らせる。
意思は、欲ではなく、道を求める力として形を変え始めていた。

そして、心臓の中心――アナーハタ・チャクラへ。
胸に宿るこの場所は、慈悲と悲しみの交錯点。
ここでトウマは、師の顔を思い出す。
語りかけてくれた日々、厳しさの奥にあった深い優しさ――
「慈しむ心がなければ、息はただの風だ」
その教えが、今ようやく身に沁みる。

息は喉を越え、ヴィシュッダ・チャクラへと届く。
ここでは、言葉と真実が試される。
修行を語る者が、それにふさわしい沈黙を持つこと。
声は、真理を語らなければならない。
トウマは、過去の無駄な言葉を思い出し、胸の内でそれを詫びた。

やがて、気息は眉間へ――アージュニャー。
ここは“第三の目”、思考の中心、観神足の入口。
すべてを観る心。
目に見えぬものを見抜く智慧。
気息は、細く、鋭く、そして深くそこへ流れ込む。

最後に、サハスラーラ――頭頂。
チャクラを超えた場所。
そこはもう、“場所”ですらない。
ただ、全体とつながる感覚だけがあった。

身体も心もすでになかった。
あったのは、息の流れと、そこに宿る光の感覚だけ。

**

どれほどの時が流れたのか、トウマには分からなかった。

ふと、目を開けると、朝の光が障子越しに淡く差し込んでいた。
だが、それが昨日までの光とはまったく違って感じられた。

光の中に、無数の気流が見える。
草木のざわめきにも、呼吸がある。
世界そのものが、「大いなる息」として、彼の前に現れていた。

トウマは、ひとつ、静かに吐息をついた。

その吐息は、もはや「自分」ではなかった。
宇宙とひとつになった――真なる息だった。

第三章 観の剣 ― 四神足法・観神足(かんじんそく)

「見るのではない。観(み)よ。  観るとは、心をひらいて、心そのものを見つめることだ」
――師の言葉

**

夜の帳(とばり)が落ちた庵の奥。
トウマは、薪がはぜる音を背に、再び坐った。
外界の光が消えると同時に、内なる光が目を覚ます。

観神足――
それは、心を観る力。
だが、師は言った。

「心を観るとは、心の奥を覗くことではない。
それを突き放して見ることでもない。
ただ、“在る”ものとして、手放しながら見続けるのだ」

トウマは、呼吸を整え、内なる空間へと意識を沈めた。
すぐに思念が湧く。

〈明日の食事はどうするか〉
〈あのときの言葉は失礼だったか〉
〈修行は進んでいるのか?〉

どれも、無意識のうちに心を支配していたものだ。
が、今の彼は、それらを追わない。
浮かぶがままに任せ、ただ観る。

しばらくすると、ある映像が浮かび上がってきた。

――父が、怒鳴っている。
幼き自分が、泣きながら机の下に隠れている。
その時の、身体の震えと、息の詰まる感じが、まざまざと蘇る。

(これは、記憶だ……だが、いまも私の心に棘のように刺さっている)

「観よ」
師の声が、幻のように胸奥に響く。

トウマは、その記憶を「正しく観よう」と努めた。
怒りと恐怖の裏にある、幼き自分の“求めていたもの”――
それは、愛されたかった、認められたかったという、言葉にならない叫びだった。

息が、喉元で細く震える。

そのとき、彼は気づいた。
過去の体験が、どれほど現在の心の反応に影響を与えているか。
どれほど多くの「いま」が、「かつて」に操られているか。

そして、そのすべてをただ観ることが、
心を解放する唯一の道なのだということに。

観るとは、裁かず、分析せず、
ただ「あるがままを知る」ことだった。

観神足とは、まさにこの気づきの剣。
煩悩の根を断つのではない。
煩悩がどこから生じてくるかを、
まるで光で照らすように、浮かび上がらせる行法である。

**

やがて、心は静かになった。

思念は去り、感情も波立たない。
深い湖面のような静けさの中に、ただ「いま」があった。

トウマはゆっくりと目を開けた。
目に映るものは、昨日と同じ庵の光景――
だが、それを観る「眼」が違っていた。

ものごとは、そのまま在る。
良し悪しも、美しさも、彼の心がそれを定めていただけだった。
それに気づいたことで、世界は、ひどく静かで、優しかった。

**

翌朝、トウマは師のもとへ歩いた。

師は火鉢のそばで、静かに湯を沸かしていた。
彼が何も語らぬうちに、師はひとこと、呟いた。

「観ることを学んだな。
これより先は、“意志の試練”が待っておるぞ」

トウマは、ただ一礼した。
心の奥に、観神足の剣が灯っている。
それが、彼を導いてゆくだろう。

第四章 意志の試練 ― 欲神足・勤神足(よくじんそく・ごんじんそく)

庵の外、木々のあいだから朝日が洩れている。
小鳥の声も、薪のはぜる音も、すべてが整っているように感じられた。

だが、トウマの胸の内には、静かな波が起こっていた。

**

「それは、“意志”と呼ばれているが、欲そのものかもしれぬ」
師がそう語ったのは、観神足の修行を終えた夜のことだった。

「お前が何を望んでいるのか。それを見極めよ」
「そして、それを続ける力があるかどうかも」

それが、**欲神足(よくじんそく)と勤神足(ごんじんそく)**の本質だった。

**

トウマは、深く呼吸しながら、自らの胸に問いかけてみる。

(なぜ、自分は修行を続けているのか?)
(悟りを得たい? 解脱したい? それとも――)

〈誰かに認められたいのではないか〉
〈優れた修行者として見られたいのではないか〉
〈あの師に褒められたいのではないか〉

心の底から、言葉にならぬ“欲”が、ぬるりと顔を出した。

(これが、私の意志の正体か……?)

それは決して「悪」ではなかった。
けれど、澄んだ道を歩むには、濁りの源でもあった。

師は言った。

「欲を持つことを恐れるな。
問題は、それに飲まれ、自らを偽ることだ」

欲神足とは――
欲そのものを燃料にして、道を歩む力に転じる技法。
つまり、欲を否定せず、選び取るのだ。
何を望むのか。
なぜ、それを望むのか。
その問いに、嘘なく答えられるかどうかが、すべてだった。

**

トウマは山を歩いた。
かつての修行道を、ひとり登った。

草のにおい。
小川のせせらぎ。
風が頬を撫でる。

そのすべてが、彼の「意志」を問いかけてくるようだった。

(もしも何も得られなかったとしても、この道を歩き続けるだろうか?)

そう自問したとき、胸の奥に、ほのかな熱が生まれた。

それは「野心」ではなかった。
それは「執着」でもなかった。

ただ、この道を歩きたいという、小さな、だが確かな願いだった。

**

夜、庵に戻ったトウマは、師の前に坐した。

「欲を見たか?」と師は訊いた。

トウマは頷く。

「はい。見ました。……ですが、まだそのすべてを手放すことはできません」

師は笑った。

「手放す必要などない。ただ、持ち運び方を知ればいい。
欲を火種とせよ。
それを続けることが、勤神足(ごんじんそく)だ」

**

その夜、トウマは久しぶりに夢を見た。
広大な荒野を、ひとりで歩く夢。

彼の手には、灯があった。
それは、誰に見せるためでも、何かを得るためでもなかった。

ただ、歩き続けるための火だった。

**

こうして、トウマは、四神足のうち二つ――
**「欲」と「勤め」**を、自らの中に住まわせることに成功した。

それは、燃え尽きる火ではなかった。
静かに、絶えず燃える、修行者の意志の火だった。

第五章 禅定の翼 ― 心神足と空への跳躍

「心が定まれば、心が消える。  消えたとき、真に“在る”ものが現れる」 ――師のことば

**

トウマは、深夜の庵に坐していた。
蝋燭の火は消され、あたりに光はない。
だが、闇は恐ろしくなかった。
むしろ、心の輪郭がほどけていくようで、心地よささえあった。

すべてを観た――
欲、恐れ、願い、努力。
それらがどう流れ、どう生まれ、どう消えていくかを、トウマは観てきた。

そして今、彼は「観る」ことすら手放そうとしていた。

**

「心神足」とは――
心をひとところに定め、徹底して、そこにとどめる修行。
だがそれは、緊張や集中ではない。
むしろ、すべての緊張をほどいたあとに訪れる、自在の境地。

トウマは、ひとつの呼吸とともに、すべてを捨てた。
思考を。
期待を。
“修行している”という意識すら。

――やがて、「彼」はいなくなった。

**

気づくと、意識は澄み切った大空のようだった。
何もない。
だが、すべてがある。

音も形も言葉もない空間に、
ほんのわずかな“気づき”だけが在る。

それは、誰かのものではない。
自分でもない。
ただ、気づいていることそのものだけが、淡く灯っていた。

かつて、師が語った。

「定の果てに、空がある。
空とは、“無”ではない。
“境目のない在り方”なのだ」

トウマはその言葉を、今ようやく、体験として知った。

たとえば、彼が手にしていた「体」は、
風のように拡がって、外界とひとつに溶けていた。

外と内、上と下、自己と世界。
そのすべてが、明確な線を失っていた。

けれど、不安はなかった。

むしろ、無限の安らぎがあった。

**

――ふと、遠くから、風が吹いたような感覚があった。

その風は、彼の意識にそっと語りかけた。

〈まだ戻る時ではないが、知る時だ〉

彼は、言葉のない言葉で、それを受け取った。

すると、心のどこかが、静かに震えた。

――この「空」の感覚を保ったまま、現実の世界に還る術がある。

修行は、「空に至る」だけでは終わらない。
空を抱いて、日々に還ることが、ほんとうの修行なのだ。

**

トウマは、ゆっくりと目を開けた。

庵の壁も、炉の灰も、仏像の木目も、
すべてが、初めて見るもののように清らかだった。

そして、師がいつの間にか、そっと側に立っていた。

「還ったな」と師は言った。

「だが、ただ還っただけでは修行にならぬ。
空を抱いたまま、歩き続けてみせよ」

トウマは深く頭を垂れた。
その胸に、ひとすじの風が流れていた。
それは、もう恐れでも渇望でもない――
自由そのものだった。

**

彼はまだ何者にもなっていない。
だが、それでいい。
空の風を背に、彼は次の一歩を踏み出そうとしていた。

第六章 滅尽の息、永遠の光 ― 四神足の完成

「滅入息、滅出息、止息。  それは“死”ではない。“空”の静けさが、その息を包む」  ――師のことば

**

夜明け前、霧に包まれた庵の中。
トウマは、最後の修行に入る準備をしていた。

蝋燭の火は灯されていない。
香も、経も、ない。
ただ、坐る――それだけだった。

だが、そこにはもう「努力」も「方法」もなかった。

**

彼は息を吸った。
それが、「最後の入息」になると、どこかで感じていた。

そして、吐いた。
音もなく、静かに――
ただ、世界に溶けるように。

それが、「最後の出息」だった。

**

それから、呼吸は止まった。

意図して止めたのではない。
息が「不要」になったのだ。
呼吸も、鼓動も、彼の意識の中からすうっと消え去った。

肉体は坐している。
だが、彼の「在り方」はもはや肉体にない。

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意識が、音のない領域へと滑り込む。

そこには「わたし」がなかった。
いや、「わたし」という構造が、もはや意味をなしていなかった。

すべては、ただ在る。
過去も未来も、時間の流れすら存在しない。
あるのは、“今”という静けさだけ。

そしてその「今」は、広がっていた。
無限に。
永遠に。

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それは、「滅尽定」の入口だった。

滅尽とは、破壊ではない。
消滅ではない。

それは――あらゆる分別の終焉。
生と死の区別も、光と闇の対立も、自己と他者の分離も、そこでは意味を失う。

仏たちは、この領域を「常楽我浄」と呼ぶ。
常しえにあり、楽であり、我すら超え、浄らかである境地。

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意識が、光そのものになる。

輪郭を持たぬ光――
それは“智慧”であり、“慈悲”であり、“ただ在ること”そのものであった。

彼は、「仏陀たちの視座」に、ほんの一瞬、触れていた。

それは、見る者ではなく、
ただ“すべてを照らすもの”。

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どれほどの時が経ったのか。

気づけば、再び、庵に在る身体に「風」が戻っていた。
ひとつの微かな、吸息。
その息が、生命を呼び戻した。

トウマは、そっと目を開けた。

庵の中には、朝の光が滲んでいた。
それは、あまりに優しく、あまりに静かだった。

師が、黙ってそこにいた。
その眼差しは、なにも問わなかった。
なにも語らなかった。

トウマも、何も言わなかった。

ただ、深く合掌した。
そして、ひとことだけ、囁いた。

「ありがとうございました」

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彼の背には、何もない。
ただ、一歩を踏み出す足だけがある。

息は、ふたたび始まった。
だがそれは、かつてのような「苦しみの息」ではない。

それは――光を抱いた、覚者の息だった。