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釈迦

 

釈迦如来

仏教の開祖、釈迦を仏として敬う呼び名

釈迦如来(しゃかにょらい)とは?

仏教の開祖です。古代インドの小国、釈迦族の王子で本名はゴータマ=シッダールタです。妻や子供もいた実在の人物で、釈迦如来とはその釈迦が悟りを得た姿をあらしています。

 

釈迦は、母である摩耶夫人の右わきから生まれたといわれています。また、生まれたばかりのとき、7歩歩いたあと天地を指さし「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言われたことは有名です。このときの姿をあらわしたものが、誕生釈迦仏と呼ばれています。この世で1番尊いのは自分であるという意味に誤解されがちですが、ひとりひとりが尊い命で聖なる使命を持ってこの世に生まれてきたという意味です。29歳で出家し、35歳で悟りを開き真理に目覚めてからは、仏陀(ぶっだ)・釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)・釈尊(しゃくそん)、如来などと呼ばれるようになりました。この頃は人々に説法を説いていたそうです。その後、釈迦は沙羅双樹の下で80歳で入滅(死去)したと伝えられています。

 

十大弟子を眷属として従えています。十大弟子とは、仏法を守護する天龍八部衆、釈迦の主要な弟子達です。また釈迦三尊として文殊菩薩と普賢菩薩と並ぶ姿が多いです。さらに阿難(あなん)・迦葉(かしょう)の2尊者を加えた五尊像や、天竜八部衆を加えた群像もあります。

釈迦如来(しゃかにょらい)の像容

特徴は髪形螺髪(らほつ)と呼ばれる小さくカールした髪の毛です。装飾品は一切身に付けていません。釈迦が説法を説いている姿が一般的です。ほかには、誕生像、苦行象、降魔像、涅槃像 があります。

有名寺院と像

・奈良県:法隆寺
・奈良県:東大寺
釈迦のの誕生釈迦仏

釈迦如来(しゃかにょらい)の真言

ナウマク・サマンダ・ボダナン・バク

 

 

 

釈迦(しゃか、旧字体釋迦サンスクリットशाक्यमुनिŚākyamuni)は、北インド[5]の人物で、仏教開祖。ただし、存命していた時代については後述の通り紀元前7世紀紀元前6世紀紀元前5世紀など複数の説があり、正確な生没年は分かっていない。

姓名はサンスクリット語の発音に基づいた表記ではガウタマ・シッダールタगौतम सिद्धार्थ Gautama Siddhārtha[6][7])、パーリ語の発音に基づいてゴータマ・シッダッタ[8]Gotama Siddhattha)とも表記される。漢訳では瞿曇悉達多(くどんしっだった)である[7][注釈 1]

仏舎利と言われる遺骨は真身舎利、真正仏舎利として今も祀られ、信仰を集めている。

名前と呼称

「釈迦」

シャーキヤ(शाक्य Śākya)は、釈迦の出身部族であるシャーキヤ族[6]またはその領国である、シャーキヤ国を指す名称である。「釈迦」はシャーキヤを音写[6]したものであり、旧字体では釋迦である[9]

シャーキヤムニ(शाक्यमुनि Śākyamuni)はサンスクリットで「シャーキヤ族の聖者」という意味の尊称であり、これを音写した釈迦牟尼/釈迦牟尼仏(しゃかむに/〃ぶつ)[10]を省略して「釈迦」と呼ばれるようになった[6]天台宗や、臨済宗をはじめとする禅宗などで多く唱えられる念仏である「南無釈迦牟尼仏」も南無は「あなたにおまかせする」という意であるため「釈迦牟尼仏にすべてお任せします」という意味である[11][出典無効][12][出典無効]

今日の運命 Today’s Fate 今日缘分  2025年7月17日

今日の運命 Today’s Fate 今日缘分  2025717日

乙巳 二黒土星 歳
癸未 六白金星 節
丁亥 四緑木星

四緑木星の日

 縁談、商談の来訪者あり。言動をつつしみ話を進めると良い。いつも良い日、皆良い人。こんな心境を養いたい

 

凌犯期間 親の日

エネルギーを充電する日

凌犯期間の作用により凶日となります。友の日と同様に人間関係が悪化します。特に身近な人からあらぬ疑いをかけられたり、誤解や勘違いをされやすい日です。意地になって反発しても逆効果なので、落ち着いて冷静に対応することを心がけてください。集中力も落ちているので、癒やしの時間を確保してエネルギーを充電する日にしましょう

Today’s Fate Today’s Fate Today’s fate July 17, 2025

Yi Shan Two Black Earth Star Age

Gui Wei Six White Metal Star Node

Ding Hai Four Green Wood Star

Four Green Wood Star Day

You will receive visitors for marriage and business negotiations. Be cautious in your words and actions as you proceed with the conversation. It’s always a good day, and everyone is nice. I want to cultivate this mentality

 

Parents’ Day, the period of transgression

A day to recharge your energy

Due to the effects of the transgression period, this will be an unlucky day. As with Friends’ Day, relationships will deteriorate. It is especially likely that people close to you will be falsely accused, misunderstood, or misinterpreted on this day. If you get stubborn and rebel, it will only be counterproductive, so try to respond calmly and coolly. Your concentration will also be low, so make this a day to take time to heal and recharge your energy.

今日运势 今日运势 今日运势 2025年7月17日

宜山二黑土星纪

癸未六白金星交点

丁亥四绿木星

四绿木星日

你将接待来访者,以商议姻缘。交谈时,请谨言慎行。这天总是美好的一天,大家都很友善。我希望培养这种心态。

双亲节,犯错期

补充能量的一天

受犯错期的影响,这一天不太吉利。与朋友节一样,人际关系会恶化。尤其容易被你亲近的人在这一天被诬告、误解或曲解。如果你固执己见、反抗,只会适得其反,所以尽量保持冷静冷静的应对。 你的注意力也会较低,所以这一天要花些时间来治愈和补充你的能量。


阿弥陀如来

命あるものすべてを救うべく誓いを立て、極楽浄土に導く

 

 

https://youtu.be/eh_58Od1Jl8?si=DKVQ-5t24EDOPsL6

阿弥陀如来(あみだにょらい)とは?

無限の寿命を持つことから無量寿如来ともいいます。限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされており、西方極楽浄土の教主です。四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、その中には「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くとあり、広く民衆から信仰されました。ちなみに他力本願も四十八願の誓いから来ており、本来は阿弥陀様にすがって極楽に行こうという意味です。

 

阿弥陀三尊として聖観音と勢至菩薩と並ぶ姿が多いです。さらに二十五菩薩を従え、雲に乗って往生者を迎えにやってくるといわれています。そのほか来迎の様子をあらわす場合もあります。

ご利益

極楽往生、現世安穏のご利益があります。また、戌・亥年生まれ守り本尊です。

阿弥陀如来(あみだにょらい)の像容

釈迦如来と同じく装飾品は一切ないです。来迎印という印は、極楽浄土に迎えに来たことを意味していますよ。この印相は施無畏・与願印に似ていますが、第1指ともう1本の指をねじるのが特徴です。

 

特殊な例としては、宝冠阿弥陀像、裸形阿弥陀像、斜めうしろを振り返る姿をしている見返り阿弥陀などがあります。

 

 

 

 

無量の光、無量の命 ― 阿弥陀如来の誓い

《無量の光、無量の命 ― 阿弥陀如来の誓い》

遥かな時の彼方、幾千もの仏国土が広がる彼方の世界。その一角に、名もなき一人の修行者がいた。彼の名は――法蔵(ほうぞう)。

法蔵は見た。無数の命が、苦しみと迷いの海に漂い、終わりなき輪廻の中に沈んでいくさまを。老い、病み、争い、愛し、また離れる――その繰り返しを。

「わたしは、すべての者を救う世界を築きたい」

そう誓った法蔵は、あるとき立ち上がり、果てなき宇宙を旅した。数え切れぬ仏たちのもとを訪れ、彼らの教えを学び、ついに一つの大願を心に描いた。

それは四十八の誓い。

中でも、ひときわ光を放つひとつの誓いがあった――第十八願。

「もし、我が浄土に生まれたいと願い、南無阿弥陀仏なむあみだぶつと、たとえ十声でも名を称える者があれば、必ずその者を極楽浄土に迎えよう。もしそれが叶わぬなら、我は決して仏とはならぬ」

この言葉とともに、法蔵は長劫の修行を経て、ついに**阿弥陀如来(あみだにょらい)**と成った。

その名は梵語でアミターバ(Amitābha)――「無量光仏」。限りない智慧の光を放つ仏。

また別の名はアミターユス(Amitāyus)――「無量寿仏」。永遠なる命の仏。

彼の住む世界は、西方十万億の仏国土を超えた彼方にあるとされる――極楽浄土。

この浄土には、苦しみはなく、争いはなく、命は朽ちることがない。花は常に咲き、鳥たちは仏法を語り、光は昼夜を問わず世界を照らす。

そしていまも、阿弥陀如来はその光と命をもって、衆生を見守っている。

 

ある密教の行者が、護摩の炎の前に坐し、静かに印を結ぶ。その唇からは、古より伝わる真言が静かに唱えられる。

オン・アミリタ・テイ・ゼイ・カラ・ウン。

それは、阿弥陀の智慧と慈悲の名を呼ぶ、命の祈り。

彼の声は、霊的な風となって宇宙を巡り、やがて西方の光へと届く。

 

「この名を呼ぶ者、心を向ける者は、たとえいかなる業を背負おうとも、我が浄土に迎え入れよう」

そう、阿弥陀は誓った。

光は尽きることなく、命は終わることがない。

人々が迷いの闇に立ち尽くすその時、無量の光は、そっと彼らの背を照らしている。

 

 

 

《灯火の名を呼ぶ者 ― 阿弥陀の名にすがりて》

風が冷たい谷を渡る夕暮れ、人里離れた山のふもとに、ひとりの老いた旅人が倒れていた。名を**信成(しんじょう)**という。かつては町の役人であったが、失政により人を傷つけ、名を捨ててさすらいの身となった。

「私は、取り返しのつかぬことをした……もう、生きる資格などない」

痛む足を引きずり、信成は岩陰に身を横たえる。胸に重くのしかかるのは、過ちの記憶、裁けぬ罪、そして孤独。

――そのときだった。

耳に、どこからか届く声があった。

 

「ただ、名を呼びなさい」

 

それは風の中の幻聴か、それとも遠い昔に聞いた誰かの言葉だったか。老いた心に、その言葉が、灯火のようにともる。

彼は、かすれた声で唱えた。

 

「なむあみだぶつ……」

 

もう一度。震える声で。

「なむあみだぶつ……なむ……あみ……だぶつ……」

 

すると不思議なことに、涙が溢れた。まるで、凍っていた川が、春の陽射しに溶けるように。苦しみが、ほんの少し和らいだ気がした。

 

その夜、夢の中に光が現れた。

光の中に坐す一人の仏。その顔は怒りでもなく、憐れみでもない、ただ、深い慈悲と静寂に満ちていた。

仏は微笑み、こう語った。

 

「そなたが名を呼ぶたび、我はそなたのそばにいた」

 

目覚めた信成は、頬をぬらす涙を拭わず、ただ、深く合掌した。

あの夜を境に、彼はどこか穏やかな目を持つ老人として、村人たちに慕われるようになった。朝には念仏を唱え、誰彼なく手を差し伸べ、静かに生を全うしていったという。

 

――その葬の日。

遠くの空に、蓮の花が咲いたという噂が村に広がった。

それはまるで、極楽浄土へと導かれる者の魂が、蓮に乗って旅立ったかのように。

 

「名を呼ぶ者は、必ず救う」

阿弥陀如来の誓いは、今もこうして、ひとりひとりの心の中で果たされている。

《西方十万億土の彼方 ― 極楽浄土の光》

その瞬間は、まるで夢から醒めるようだった。

重く閉ざされた瞼が開き、信成は静かに目をひらいた。見渡すかぎり、柔らかな光が辺りを包んでいた。そこには苦しみも、寒さも、飢えもない。ただ、あたたかな風と、やさしい音が、どこからともなく響いていた。

 

「……ここは……?」

 

信成が目にしたのは、まばゆいばかりの蓮の大地。金色の砂が敷かれたその土地には、無数の蓮華が咲き誇り、空には七宝の楼閣が浮かんでいた。池には清らかな八功徳水が湧き、水面には光が踊るようにきらめいている。

その池の名は七宝池(しっぽうち)。

香り高い水は、触れる者の心を洗い清め、どこまでも澄んでいた。

空には鳥たちが舞い、その羽音が仏法の言葉となって降り注いでいる。カラヴィンカ、共命鳥、孔雀……どの声も、心に深くしみわたるような、やさしい調べだった。

 

そのとき――

空のかなたから、光が射した。

金色の輝きの中から、一人の仏が歩み出てくる。胸に慈悲をたたえ、眼差しはすべてを包み込むように深い。

その姿を見たとき、信成は跪いた。

涙が、自然と頬を伝う。

 

「……阿弥陀如来……」

 

仏は、微笑んだ。

声はなかったが、心に直接響いてくる。

「そなたは、名を呼んだ。ゆえに、ここへ来た」

 

信成は、何も言えなかった。ただ、静かに手を合わせ、頭を垂れた。

あの日の念仏は、無駄ではなかったのだ。名もなき旅人の声すら、阿弥陀如来は聞いておられた。

 

ふと顔を上げると、彼の隣に、かつての家族の面影があった。母が、弟が、そして若き日の妻が、同じく蓮の上に立ち、微笑んでいる。

 

「……おかえりなさい」

 

その一言に、信成はもう何も問わなかった。

極楽とは、かつて求めていたすべてが、慈悲という光の中に還る場所だった。

 

阿弥陀如来の背後には、観音菩薩と勢至菩薩が立ち、そのすべての光景を、やさしく見守っていた。

 

ここは、無量光と無量寿の国。
迷いも苦しみも越えた、安らぎの世界。

そして、あらゆる衆生が、ただ念仏一つをもって迎えられる――真実の浄土である。

 

《灯火の名を呼ぶ者 ― 阿弥陀の名にすがりて》

風が冷たい谷を渡る夕暮れ、人里離れた山のふもとに、ひとりの老いた旅人が倒れていた。名を**信成(しんじょう)**という。かつては町の役人であったが、失政により人を傷つけ、名を捨ててさすらいの身となった。

「私は、取り返しのつかぬことをした……もう、生きる資格などない」

痛む足を引きずり、信成は岩陰に身を横たえる。胸に重くのしかかるのは、過ちの記憶、裁けぬ罪、そして孤独。

――そのときだった。

耳に、どこからか届く声があった。

 

「ただ、名を呼びなさい」

 

それは風の中の幻聴か、それとも遠い昔に聞いた誰かの言葉だったか。老いた心に、その言葉が、灯火のようにともる。

彼は、かすれた声で唱えた。

 

「なむあみだぶつ……」

 

もう一度。震える声で。

「なむあみだぶつ……なむ……あみ……だぶつ……」

 

すると不思議なことに、涙が溢れた。まるで、凍っていた川が、春の陽射しに溶けるように。苦しみが、ほんの少し和らいだ気がした。

 

その夜、夢の中に光が現れた。

光の中に坐す一人の仏。その顔は怒りでもなく、憐れみでもない、ただ、深い慈悲と静寂に満ちていた。

仏は微笑み、こう語った。

 

「そなたが名を呼ぶたび、我はそなたのそばにいた」

 

目覚めた信成は、頬をぬらす涙を拭わず、ただ、深く合掌した。

あの夜を境に、彼はどこか穏やかな目を持つ老人として、村人たちに慕われるようになった。朝には念仏を唱え、誰彼なく手を差し伸べ、静かに生を全うしていったという。

 

――その葬の日。

遠くの空に、蓮の花が咲いたという噂が村に広がった。

それはまるで、極楽浄土へと導かれる者の魂が、蓮に乗って旅立ったかのように。

 

「名を呼ぶ者は、必ず救う」

阿弥陀如来の誓いは、今もこうして、ひとりひとりの心の中で果たされている。

《西方十万億土の彼方 ― 極楽浄土の光》

その瞬間は、まるで夢から醒めるようだった。

重く閉ざされた瞼が開き、信成は静かに目をひらいた。見渡すかぎり、柔らかな光が辺りを包んでいた。そこには苦しみも、寒さも、飢えもない。ただ、あたたかな風と、やさしい音が、どこからともなく響いていた。

 

「……ここは……?」

 

信成が目にしたのは、まばゆいばかりの蓮の大地。金色の砂が敷かれたその土地には、無数の蓮華が咲き誇り、空には七宝の楼閣が浮かんでいた。池には清らかな八功徳水が湧き、水面には光が踊るようにきらめいている。

その池の名は七宝池(しっぽうち)。

香り高い水は、触れる者の心を洗い清め、どこまでも澄んでいた。

空には鳥たちが舞い、その羽音が仏法の言葉となって降り注いでいる。カラヴィンカ、共命鳥、孔雀……どの声も、心に深くしみわたるような、やさしい調べだった。

 

そのとき――

空のかなたから、光が射した。

金色の輝きの中から、一人の仏が歩み出てくる。胸に慈悲をたたえ、眼差しはすべてを包み込むように深い。

その姿を見たとき、信成は跪いた。

涙が、自然と頬を伝う。

 

「……阿弥陀如来……」

 

仏は、微笑んだ。

声はなかったが、心に直接響いてくる。

「そなたは、名を呼んだ。ゆえに、ここへ来た」

 

信成は、何も言えなかった。ただ、静かに手を合わせ、頭を垂れた。

あの日の念仏は、無駄ではなかったのだ。名もなき旅人の声すら、阿弥陀如来は聞いておられた。

 

ふと顔を上げると、彼の隣に、かつての家族の面影があった。母が、弟が、そして若き日の妻が、同じく蓮の上に立ち、微笑んでいる。

 

「……おかえりなさい」

 

その一言に、信成はもう何も問わなかった。

極楽とは、かつて求めていたすべてが、慈悲という光の中に還る場所だった。

 

阿弥陀如来の背後には、観音菩薩と勢至菩薩が立ち、そのすべての光景を、やさしく見守っていた。

 

ここは、無量光と無量寿の国。
迷いも苦しみも越えた、安らぎの世界。

そして、あらゆる衆生が、ただ念仏一つをもって迎えられる――真実の浄土である。

 

 

 

 

 

 

 

 

光と寿命を無限に持つ仏

極楽の時は、苦しみを知らない静謐(せいひつ)な調べに満ちていた。

だがその中にあっても、ひとつの問いが信成の心に芽生えつつあった。

 

――自分は、救われた。だが、あの世にはまだ、多くの者が迷っている。

 

かつて自らの罪に苦しみ、救いを知らずに命を絶った者たち。戦乱の中で子を失った母。孤独の闇に沈む老人――

あの人々は、今もなお、闇の中で声なき声をあげているのではないか。

 

そのとき、彼の前に現れたのは観音菩薩だった。

白き蓮の上に立つその姿は、慈悲そのものであった。

 

「阿弥陀の浄土に至った者よ。そなたに問う」

 

「安らぎにとどまり、この光の中で無量の寿命を楽しむか。
あるいは、再び彼岸を渡り、迷いの世界に還って、苦しむ者たちに手を差し伸べるか」

 

信成は、しばし黙した。

だがその背後から、静かに声が聞こえた。

「父上……私も、共に参ります」

 

それは、若くして病で亡くなった娘の声だった。彼女もまた、極楽に導かれた者のひとりであった。

 

やがて、かつて娑婆で罪を重ねた男、老いた尼僧、名もなき若者たち――
多くの者が、次々と蓮華の上に立ち、口をそろえて言った。

 

「私たちは、還ります。今度は、誰かのために」

 

その光景を見て、阿弥陀如来はゆるやかにうなずいた。

 

「そなたらは、すでに仏の道を歩み始めておる」

 

そして、光に包まれた如来の掌から、ひとつひとつの**光珠(こうじゅ)**が彼らの胸に落とされた。

 

それは――慈悲と智慧の火。

闇の中でも消えることなく、すべての命を照らす灯火。

 

観音菩薩が、優しく微笑む。

 

「そなたらは、いまより菩薩なり」

 

「迷いの者と共に歩き、共に苦しみ、共に涙し、そして共に救われるであろう」

 

蓮の花が、ひとつ、またひとつ閉じるように、彼らの姿は光に溶けていった。

新たなる誓いを胸に、彼らは――再び、この世に降りる。

 

誰も知らぬ町の片隅に、
静かに微笑むひとりの僧侶が立つ。

あるいは、ホームレスに温かい食事を届ける少女。

あるいは、自分を責める者に、たったひとこと「だいじょうぶ」と言える青年。

 

彼らこそ、極楽より還ってきた者たち。

人知れずこの世を照らす、菩薩の化身である。

 

名を呼び、救われた者が、次は誰かの名を呼ぶ者になる。

それが、阿弥陀如来の願いを果たす道なのだ。

 

西方十万億土の彼方 ― 極楽浄土の光

《西方十万億土の彼方 ― 極楽浄土の光》

その瞬間は、まるで夢から醒めるようだった。

重く閉ざされた瞼が開き、信成は静かに目をひらいた。見渡すかぎり、柔らかな光が辺りを包んでいた。そこには苦しみも、寒さも、飢えもない。ただ、あたたかな風と、やさしい音が、どこからともなく響いていた。

 

「……ここは……?」

 

信成が目にしたのは、まばゆいばかりの蓮の大地。金色の砂が敷かれたその土地には、無数の蓮華が咲き誇り、空には七宝の楼閣が浮かんでいた。池には清らかな八功徳水が湧き、水面には光が踊るようにきらめいている。

その池の名は七宝池(しっぽうち)。

香り高い水は、触れる者の心を洗い清め、どこまでも澄んでいた。

空には鳥たちが舞い、その羽音が仏法の言葉となって降り注いでいる。カラヴィンカ、共命鳥、孔雀……どの声も、心に深くしみわたるような、やさしい調べだった。

 

そのとき――

空のかなたから、光が射した。

金色の輝きの中から、一人の仏が歩み出てくる。胸に慈悲をたたえ、眼差しはすべてを包み込むように深い。

その姿を見たとき、信成は跪いた。

涙が、自然と頬を伝う。

 

「……阿弥陀如来……」

 

仏は、微笑んだ。

声はなかったが、心に直接響いてくる。

「そなたは、名を呼んだ。ゆえに、ここへ来た」

 

信成は、何も言えなかった。ただ、静かに手を合わせ、頭を垂れた。

あの日の念仏は、無駄ではなかったのだ。名もなき旅人の声すら、阿弥陀如来は聞いておられた。

 

ふと顔を上げると、彼の隣に、かつての家族の面影があった。母が、弟が、そして若き日の妻が、同じく蓮の上に立ち、微笑んでいる。

 

「……おかえりなさい」

 

その一言に、信成はもう何も問わなかった。

極楽とは、かつて求めていたすべてが、慈悲という光の中に還る場所だった。

 

阿弥陀如来の背後には、観音菩薩と勢至菩薩が立ち、そのすべての光景を、やさしく見守っていた。

 

ここは、無量光と無量寿の国。
迷いも苦しみも越えた、安らぎの世界。

そして、あらゆる衆生が、ただ念仏一つをもって迎えられる――真実の浄土である。