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Mac

仏教的短編物語

『藤綴(ふじつづり)の船』

一 海辺の庵(いおり)

その庵は、海のそばにぽつりと建っていた。老僧ユシャは、朝の光に手を合わせ、いつものように波の音を聞いていた。
弟子のシュリは、近くの森から帰ってくると、そっと師のそばに座った。

「師よ。昨日の瞑想では、また怒りが湧きました。
あれほど静かに座っていたのに、心は昔の痛みへ戻ってしまったのです」

ユシャは目を閉じ、しばらく沈黙したのち、ゆっくりと語りだした。

二 大舶の譬(たとえ)

「シュリよ、あの海を見よ」

「はい」

「もし、あそこに大きな船が停まっていたとしよう。
船は藤の綱で浜に繋がれておる。強く編まれた藤は、一見すると切れそうにない。
だが、夏の六ヶ月が過ぎ、風が吹き荒れ、日差しが藤を焼く。
やがてその綱は、一本ずつ、静かに、断ち切られてゆくのだ」

「……その船はどうなるのですか?」

「沖へと流される。そして、束縛を離れ、自由になる」

三 成仏法の道

ユシャは一枚の葉を拾って、土の上に七つの印を描いた。

「これが成仏の道だ。四念処・四正勤・四如意足・五根・五力・七覚支・八正道。
この七科三十七の道を、藤の綱に向かう風と思え。
お前の中の怒りも、悲しみも、欲も──やがては断ち切れる」

「……本当に、そんな日が来るのでしょうか?」

「来るとも。それは、刀で断つのではない。
ただ風のように、正しく、繰り返すのだ」

四 解脱の夜明け

その晩、シュリはひとり海辺に立った。

かつて父に打たれ、母に見捨てられた記憶が波のように胸に押し寄せた。
だが彼は、ただ呼吸を見つめた。怒りが去り、次の怒りがまた訪れても──
そのたび、彼は一つの道を歩んでいた。

「これは…風だ」と彼は呟いた。

夜が明ける頃、彼の胸には、ただ静かな光が宿っていた。

五 師の言葉

朝、ユシャは微笑みながら言った。

「お前の藤が一本、切れたな」

【あとがき】

この物語は、お釈迦さまが説かれた「大舶の譬喩」に基づいて構成されています。
私たちは皆、知らぬ間に煩悩という綱に繋がれた船のような存在です。

けれども、日々の実践──
正しく気づき(四念処)、善を育み(四正勤)、心を統一し(如意足)、
信・精進・定・慧を育て(五根・五力)、
覚りへの七支(覚支)を進み、八正道を歩めば、
その因縁の綱は、風に吹かれて自然と切れていきます。

それが、「因縁の鎖を断ち切る成仏法」です。

 

 

 

観音(観世音)菩薩の不思議な力 『観音経』では、観音菩薩(

 

観音(観世音)菩薩の不思議な力

  1. 『観音経』では、観音菩薩(観世音菩薩)のご利益や功徳について詳しく説かれています。

具体的には観音菩薩には七難を避ける力があると言われ、
七難は、以下の7つです。

七難

火の難(火による苦しみ)

水の難(水による苦しみ)

羅刹の難(悪鬼による苦しみ)

刀杖の難(武器による苦しみ)

鬼の難(悪霊による苦しみ)

枷鎖の難(縛られる苦しみ)

怨賊の難(犯罪者による苦しみ)

記載します。

無尽意菩薩の問いから始まる

爾時無尽意菩薩即従座起偏袒右肩にじむじにぼさそくじゅうざきへんだんうけん

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
その時に無尽意菩薩、即ち座より起ち、偏に右の肩を袒にし、

(現代語訳)
世尊が、普門品をお説きなさった時に、無尽意菩薩はさっと説法の座中に起ちて、敬礼して右の肩をあらわし

(補足解説)
右肩をあらわにして、左肩だけ衣を着ている状態にするのは、相手に敬意をあらわしています。
無尽意菩薩は、菩薩のお一人で、法を無尽蔵に説くという意味で無尽意といいます。

是言がっしょうこうぶつにさぜごん

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
合掌して佛に向いたてまつりて、是の言を作さく

(現代語訳)
合掌礼拝して釈尊に向かいて、大衆の為に観世音菩薩のことをお尋ねなさいました。

(補足解説)
ここまではお釈迦さまのご説法を覚えていて、それをお経として暗唱した阿難尊者の前置きであり状況説明です。

世尊観世音菩薩以何因縁名観世音せそんかんぜんおんぼさいがいんねんみょうかんぜおん

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
世尊、観世音菩薩は何の因縁を以てか観世音と名くる。

(現代語訳)
お釈迦様、観世音菩薩はどのような因縁があって、「観世音」と名前がつけられているのでしょうか。

観音(観世音)菩薩のご利益

佛告無盡意菩薩善男子ぶつごうむじにんにぼさぜんなんし若有無量百千萬億衆生にゃくうむりょうはやくせんまんのくしゅじょう

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
佛、無尽意菩薩に告げたまわく、善男子、若し無量百千万億の衆生ありて

(現代語訳)
お釈迦様は、無尽意菩薩の質問に対して、このように答えました。
「ここで仏法を聞いている人々よ、数え切れない多くの人々がいて、

受諸苦悩聞是観世音菩薩じゅしょくのもんぜかんぜおんぼさつ一心稱名いっしんしょうみょう観世音菩薩即時観其音聲皆得解脱かんぜおんぼさそくじかんごおんじょうかいとくげだつ

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
諸の苦悩を受けんに是の観世音菩薩を聞きて一心に名を称せば、観世音菩薩即時に其の音声を観じて、皆解脱げだつすることを得せしめん。

(現代語訳)
諸の苦悩を受けんに是の観世音菩薩の大慈悲神力を聞いて、一心に菩薩の御名を念称するときには、観世音菩薩は直ちにその音聲(おんじょう)を観じたまいて、皆尽く煩悩ぼんのうに起因する苦しみを解放してくださいます。

煩悩については、下記をご覧ください。
➾煩悩とは?意味や種類、消す方法を分かりやすく網羅的に解説

若有持是観世音菩薩名者にゃくうじぜかんぜおんぼさみょうしゃ設入大火火不能焼由是菩薩威神力故せつにゅうだいかかふのしょうゆぜぼさいじんりっこ

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
若し是の観世音菩薩の名を持つことあらん者は、設い大火に入るとも火も焼くこと能わず、是の菩薩の威神力によるが故に

(現代語訳)
この文は火難消滅煩悩滅除の功徳について書かれています。
人もし観世音菩薩の名前を受持念称する時は、たとえ、たとえ燃え盛る火の中に入るほどの苦しみ怒りくるうようなことがあっても、その火で焼かれることはありません。これは観世音菩薩の大慈大悲の神力が働くからです。

若為大水所漂稱其名号即得淺處にゃくいだいすしょひょうしょうごみょうごうそくとくせんじょ

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
若し大水に漂わされんに、其の名号を称せば即ち浅き処を得ん。

(現代語訳)
この文は水難滅除の功徳について書かれています。
たとえ大海大水の中で溺れ漂よったとしても、観世音菩薩の名号を称へれば、種々の方便によって即ち浅き処に救い出されるのです。

若有百千萬億衆生にゃくうひゃくせんまんのくしゅじょう為求金銀瑠璃硨磲瑪瑙珊瑚琥珀真珠等宝いぐこんごんるりしゃこめのうさんごこはくしんじゅとほう入於大海にゅうおだいかい

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
若し百千万億の衆生ありて金銀・瑠璃・硨磲・碼碯・珊瑚・琥珀・真珠等の宝を求むるをもって大海に入らんに

(現代語訳)
この文は第三の風難滅除鬼難滅除を説かれました。
もし百千万億の無量無数の衆生がいて、金、銀、瑠璃、シャコ、メノウ、珊瑚、琥珀、真珠等の七宝を手に入れるために、大海を渡ろうとして

仮使黒風吹其船舫飄堕羅刹鬼国けしこくふうすいごせんぽうひょうだらせっきこく

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
たとい黒風吹きて其の船舫を羅刹鬼の国に飄堕すとも

(現代語訳)
もし暴風魔風吹き荒れて、その船を覆し、まさに羅刹鬼の国に溺れ堕ちるとする場合に至っても

其中若有乃至一人ごちゅうにゃくうないしいちにん称観世音菩薩名者しょうかんぜおんぼさみょうしゃ是諸人等皆得解脱羅刹之難ぜしょにんとうかいとくげだつらせつしなん

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
其の中に若し乃至一人ありて観世音菩薩の名を称せば、是の諸人等皆羅刹の難を解脱することを得ん。

(現代語訳)
同行大衆中の一人だけでもこの観世音菩薩の名前を称えれば、種々の方便生じて同行の諸人等にいたるまで、その徳を感得して皆その風難羅刹難を逃れることができます。

以是因縁名観世音いぜいんねんみょうかんぜおん

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
是の因縁を以て観世音と名く。

(現代語訳)
お釈迦様は、「このような因縁があって、観世音と名付けたのだよ」とお答えになられました。

若復有人臨当被害称観世音菩薩名者にゃくぶうにんりんとうひがいしょうかんぜおんぼさみょうしゃ彼所執刀杖尋段段壊而得解脱ひしょしゅうとうじょうじんだんだんねにとくげだつ

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
若しまた人ありてまさに害せらるべきに臨みて、観世音菩薩の名を称せば、彼の執れる所の刀杖尋いで段段に壊れて、解脱することを得ん。

(現代語訳)
この文は、剣難滅除を説かれています。
もしまたある人が、暴悪人の為に殺傷されそうになったときに、観世音菩薩の名前を念称する時は、暴悪人の持っている刀も杖も微塵に壊れて、秋毫の害も与えられず、もろもろの方便によってついにその人のために剣難を逃れることができるのです。

若三千大千国土満中夜叉羅刹欲来悩人にゃくさんぜんだいせんこくどまんじゅうやしゃらせつよくらいのうにん

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
若し三千大千国土に中に満てらん夜叉、羅刹、来りて人を悩まさんと欲せんに

(現代語訳)
この文は、第五の鬼難滅除について説かれたものです。
地獄には強力の鬼がいて、常に罪人を苦しめることは娑婆世界のことのようです。
畜生界の鬼は畜生を喰らい、人間界の鬼は、人を喰らいます。
そして三千大千世界中に充満している鬼どもがやってきて人を悩まそうとする時は、という意味です。
これは貪瞋痴とんじんち の三毒の煩悩の鬼が、人心を害しようとしているのを比喩で説かれています。

聞其称観世音菩薩名者もんごしょうかんぜおんぼさみょうしゃ是諸悪鬼尚不能以悪眼視之況復加害ぜしょあっきしょうふのいあくげんじしきょうぶかがい

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
其の観世音菩薩の名を称するを聞かば、是の諸の悪鬼、なお悪眼を以て之を視ること能わじ、いわんやまた害を加えんや。

(現代語訳)
このときに於いて、一心に観世音菩薩の称名を受持し念称するものがあり、傍で観世音菩薩の名前を称することを聞いたならば、もろもろの煩悩も退却するために、もろもろの悪鬼共は悪しき眼をもってこれを視ることができず、見れないのだから当然害を加えることもできなくなります。

設復有人若有罪若無罪せつぶうにんにゃくうざいにゃくむざい杻械枷鎖検繋其身ちゅうかいかさけんげごしん

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
設いまた人ありて若しは罪あり若しは罪なきも、杻械枷鎖に其の身を検繋せんに

(現代語訳)
この文は枷械枷鎖滅除の難を説かれました。
たとえその人ありて罪があるにせよもしくは罪が無きにせよ、手枷足枷頸等をもって、有形の身体、無形の身体(心意)を搦められたる等のすべての苦縛に際し、

称観世音菩薩名者しょうかんぜおんぼさみょうしゃ皆悉断壊即得解脱かいしつだんねそくとくげだつ

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
観世音菩薩の名を称せば、皆悉く断壊して、即ち解脱することを得ん。

(現代語訳)
尚も一心に観世音の名前を念称すれば、心身を繋縛せられたるところのもの全て尽く切断破壊してその苦難を逃れることができるのです。

若三千大千国土満中怨賊にゃくさんぜんだいせんこくどまんじゅうおんぞく有一商主将諸商人ういつしょうしゅしょうしょしょうにん斉持重宝経過険路さいじじゅうほうきょうかけんろ

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
若し三千大千国土に中に満てる怨賊あらんに、一の商主ありて諸の商人を将い、重宝を斎持して険路を経過せんに

(現代語訳)
この文は、怨賊滅除を説かれたものです。
一切の煩悩は出世の法の怨賊にあたります。
もし三千大千世界の中に、怨賊どもが充ち満ちて居り、またある重立ちたる商人がいて多くの商人を引き連れて、宝石などをもって険しい山坂を進んでいたとしよう。

其中一人作是唱言諸善男子勿得恐怖ごちゅういちにんさぜごんしょぜんなんしもっとくくふ汝等応当一心称観世音菩薩名号にょとうおうとういっしんしょうかんぜおんぼさみょうごうう

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
其の中に一人是の唱言を作さん、諸の善男子、恐怖を得ること勿れ。
汝等応まさに一心に観世音菩薩の名号を称すべし。

(現代語訳)
その怨賊に攻められそうになったとき商人の中にいた一人の仏教の信者が言いました、「同行衆よ、少しも恐れることはありません。観世音菩薩の名前を一心にとなえましょう」

是菩薩能以無畏施於衆生ぜぼさのういむいせおしゅじょう汝等若称名者にょとうにゃくしょうみょうしゃ於此怨賊当得解脱おしおんぞくとうげだつ

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
是の菩薩は能く無畏を以て衆生に施したもう。
汝等若し名を称せば、此の怨賊において、まさに解脱することを得べし。

(現代語訳)
「観世音菩薩は『無畏』と言われる大盤石の精神を衆生に施したまうために、すみやかに名前を念称するときは、険路怨賊の難は、もちろん大千国土中に充満している怨賊の鬼難まで、ただちに解放されるでしょう」

衆商人聞倶発声しゅしょうにんもんぐほっしょう言南無観世音菩薩ごんなむかんぜおんぼさ称其名故即得解脱しょうごみょうこそくとくげだつ

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
衆の商人、聞きて倶に声を発して南無観世音菩薩と言わん。
其の名を称するが故に即ち解脱することを得ん。

(現代語訳)
多くの商人(善男子)たちはこれを聞いてすぐに声を出して南無観世音菩薩と称えると、称えたことによって皆解脱することができました。

無尽意観世音菩薩摩訶薩つむじんにかんぜおんぼさまかさ威神之力巍巍如是いじんしりきぎぎにょぜ

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
無尽意、観世音菩薩摩訶薩威神の力、巍々たること是の如し。

(現代語訳)
仏は無尽意菩薩にこのようにおっしゃいました。
「無尽意菩薩よ、観世音菩薩の大慈大悲妙智力は、このように廣大なものだ」

若有衆生多於婬欲にゃくうしゅじょうたおいんにょく常念恭敬じょうねんくぎょう観世音菩薩かんぜおんぼさ便得離欲べんとくりよく若多瞋恚にゃくたしんに常念恭敬じょうねんくぎょう観世音菩薩かんぜおんぼさ便得離瞋べんとくりしん若多愚痴にゃくたぐち常念恭敬じょうねんくぎょう観世音菩薩かんぜおんぼさ便得離痴べんとくりち

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
若し衆生ありて婬欲多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、すなわち欲を離るることを得ん。
若し瞋恚多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、すなわち瞋を離るることを得ん。
若し愚痴多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、すなわち痴を離るることを得ん。

(現代語訳)
この文は、恭敬勧進煩悩滅除のことです。
もしその人が淫欲、瞋恚、愚痴などの煩悩が起きてくるとき、観世音の妙智力を受持念称すれば、すぐにこれらの三毒の煩悩から離れることができます。
特に観世音菩薩を常念する時は、いわゆる念仏三昧になるために、欲、怒り、愚痴の三毒の煩悩が起きなくなります。

無尽意観世音菩薩むじんにかんぜおんぼさ有如是等うにょぜとう大威神力だいいじんりき多所饒益たしょにょうやく是故衆生常応心念ぜこしゅじょうじょうおうしんねん

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
無尽意、観世音菩薩は是の如き等の大威神力ありて、饒益する所多し。
是の故に衆生常に心に念ずべし。

(現代語訳)
無尽意菩薩よ、観世音菩薩は、このように大法威神通力をもって、世間の苦を抜き、幸福にしてくださいます。
そのため人々は常に観世音菩薩を心の中で念じなさい。

若有女人設欲求男にゃくうにょにんせっちょくぐなん禮拝供養観世音菩薩らいはいくようかんぜおんばさ便生福徳智慧之男べんしょうふくとくちえしなん設欲求女せっちょくぐにょ便生端正べんしょうたんじょう有相之女うそうしにょ宿植徳本衆人愛敬しゅくじきとくほんしゅうにんあいきょう

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
若し女人あって設い男を求めんと欲し、観世音菩薩を礼拝し供養せば、便ち福徳・智慧の男を生まん。
設い女を求めんと欲せば、便ち端正有相の女の宿徳本を植えて衆人に愛敬せらるるを生まん。

(現代語訳)
この文は、礼拝供養の功徳について説かれたものです。
もし女性が、男児を生みたいと思っていて、観世音菩薩を礼拝供養すれば、すなわち徳に優れた智慧の多い男の子を生むことができるだろう。
もし女児を生みたいと思うならば、観世音菩薩を礼拝供養するときは相貌丹精にして、過去に善根を植えた功徳の多く、人々に愛される子を生むことができるだろう。

無尽意観世音菩薩むじんにかんぜおんぼさ有如是力うにょぜりき若有衆生恭敬礼拝にゃくうしゅじょうくぎょうらいはい観世音菩薩かんぜおんぼさ福不唐捐ふくふとうえん是故衆生ぜこしゅじょう皆応受持観世音菩薩名号かいおうじゅじかんぜおんぼさみょうごう

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
無尽意、観世音菩薩は是の如き力あり。
若し衆生ありて観世音菩薩を恭敬礼拝せば、福唐捐ならじ。
是の故に衆生皆観世音菩薩の名号を受持すべし。

(現代語訳)
この文は恭敬礼拝の徳について説かれたものです。
お釈迦様がこのように言われました。
「無尽意菩薩よ、観世音菩薩はこのような妙力があり、もし人々が観世音菩薩を恭敬礼拝すれば、その受けるところの福徳は益々広大になり、虚しく棄てられることはない。
そのため人々は観世音菩薩の受持称念しなさい。

無尽意むじんに若有人受持にゃくうにんじゅじ六十二億恒河沙ろくじゅうにおくごうがしゃ菩薩名字ぼさみょうじ復尽形供養ぶじんぎょうくよう飲食衣服おんじきえぶく臥具醫薬がぐいやく於汝意云何おにょいうんが是善男子善女人ぜぜんなんしぜんにょにん功徳多不くどくたふ

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
無尽意、若し人ありて六十二億恒河沙の菩薩の名字を受持し、復形を尽くすまで飲食・衣服・臥具・医薬を供養せん。
汝が意において云何、是の善男子・善女人の功徳多しや不や。

(現代語訳)
この文は諸仏菩薩の供養と、観世音菩薩の名号受持の功徳の比較を説かれたものです。
無尽意菩薩よ、もし人がいてガンジス川の砂の数の62億倍の数多くの菩薩の名前をとなえ、身が尽きるまで一生涯飲食や衣服、寝具、薬等を供養したとしましょう。
そなたの心では何を思うだろうか。
この布施をした信者は、功徳は多いだろうか。少ないだろうか。

無尽意言甚多世尊ふむじんにごんじんたせそん仏言若復有人ぶつごんにゃくぶうにん受持観世音菩薩名号じゅじかんぜおんぼさみょうごう乃至一時礼拝供養ないしいちじらいはいくよう是二人福正等無異ぜににんぷくしょうとうむい於百千萬億劫不可窮尽おひゃくせんまんのっこうふかぐうじん無尽意受持むじんにじゅじ観世音菩薩名号かんぜおんぼさみょうごう得如是無量無辺とくにょぜむりょうむへん福徳之利ふくとくしり

(引用:『観音経』)

(書き下し文)
無尽意の言さく、甚だ多し、世尊。
仏の言わく、若し復人あって観世音菩薩の名号を受持し、乃至一時も礼拝し供養せん。
是の二人の福、正等にして異ることなけん、百千万億劫においても窮め尽くすべからず。
無尽意、観世音菩薩の名号を受持せば是の如き無量無辺の福徳の利を得ん。

(現代語訳)
無尽意菩薩は答えました。
功徳は限りなく多いです、お釈迦様。
お釈迦様はおっしゃいました。
また人々が観世音菩薩の名を称え、礼拝供養を一度したとしたら、この前後二人の福徳は平等で差異はなく、もって百千万億劫の後々までも尽きることはありません。
このように観世音菩薩の名前を受持念称する者は、無量無辺の福徳を得るのです。

観音(観世音)菩薩の方便

 

 

日本仏教学院

観音経とは

観音経かんのんぎょう』は、非常に有名なお経の一つです。
特に天台宗真言宗、曹洞宗などではよく読まれています。

それというのも『観音経』には不思議な力や功徳があるといわれているのですが、
一体どういうことなのでしょうか?
観音経』の意味を解説しながら、解き明かしていきます。

観音経とは

観音経』は、『法華経(妙法蓮華経)』の中の一章にあたり、
正式名称は「観世音菩薩普門品かんぜおんぼさつふもんほん第二十五」です。
本文(長行じょうごう)と詩文(偈文)の形で構成されており、
特に後半の偈文は「観音経偈」とか「世尊偈」、「普門品偈」と呼ばれています。

観世音菩薩普門品第二十五は以下にあります。
法華経全文(観世音菩薩普門品かんぜおんぼさつふもんほん第二十五(観音経))

法華経』の意味については、以下に詳しく解説してありますのでご覧ください。
法華経全文を貫く内容・要約と意味をわかりやすく解説

また「お経」とは何かを知りたい方は、こちらの記事を参考にしてください。
お経をあげる(唱える)・読経の意味や効果は?お経の数、種類、宗派別のまとめ

観音経の意味の要約

まず『観音経』とは何か、辞書を見てみましょう。

観音経
かんのんぎょう
観世音菩薩普門品かんぜおんぼさつふもんぼん」として法華経ほけきょうの第25章(サンスクリット本では第24章)に含まれる。
観世音菩薩の信仰に基づいて別行していた経典が法華経の中に編入されたとの説もあるが、反論もある。
漢訳の偈文は鳩摩羅什くまらじゅう訳の<妙法蓮華経みょうほうれんげきょう>(406)にはなく、その後の<添品てんぼん妙法蓮華経>(601)にいたって訳出されたものが妙法蓮華経に編入された。
現今のサンスクリット本、チベット本の韻文部分には、漢訳にない阿弥陀仏あみだぶつとの関わりを説く偈文が加えられている。
観世音菩薩が三十三身をとって衆生を救済することを説き、アジア各地の観音信仰のよりどころとされた。
またその現世利益げんぜりやく的性格や世俗的な欲望を肯定する面などに、中国固有の宗教思想との共通性が見出され、それらは道教経典の思想とも共通するものである。

観音経』の意味を要約すると、
観音(観世音)菩薩が衆生の悩みに合わせ姿かたちを変え、済度するという内容のお経です。

上記で紹介した辞書の意味では訳出や文化に関することばかりで、『観音経』の内容はよく分かりませんので、詳しく解説していきます。

観音(観世音)菩薩の不思議な力

観音経』では、観音菩薩(観世音菩薩)のご利益や功徳について詳しく説かれています。

具体的には観音菩薩には七難を避ける力があると言われ、
七難は、以下の7つです。

七難
  1. 火の難(火による苦しみ)
  2. 水の難(水による苦しみ)
  3. 羅刹の難(悪鬼による苦しみ)
  4. 刀杖の難(武器による苦しみ)
  5. 鬼の難(悪霊による苦しみ)
  6. 枷鎖の難(縛られる苦しみ)
  7. 怨賊の難(犯罪者による苦しみ)

この7つは例示であり、一人ひとりの苦しみに合わせて、抜苦与楽してくださるとお経に説かれています。
ここから転じて『観音経』を読経すれば、不思議なお力があると思われるようになったのでしょう。
しかしお経をあげるだけでは、仏縁にはなっても実際に災難を避けるほどの功徳は難しいでしょう。

 

観音経』に説かれていることが分かれば、より納得してもらえると思います。

観音菩薩については下記をお読みください。
観音菩薩(観音様)の正体とご利益を得る方法

観音経長行じょうごうの現代語訳と読み方

観音経』の長行じょうごう(本文)の現代語訳と読み方を記載します。

無尽意菩薩の問いから始まる

爾時無尽意菩薩即従座起偏袒右肩にじむじにぼさそくじゅうざきへんだんうけん

(書き下し文)
その時に無尽意菩薩、即ち座より起ち、偏に右の肩を袒にし、

(現代語訳)
世尊が、普門品をお説きなさった時に、無尽意菩薩はさっと説法の座中に起ちて、敬礼して右の肩をあらわし

(補足解説)
右肩をあらわにして、左肩だけ衣を着ている状態にするのは、相手に敬意をあらわしています。
無尽意菩薩は、菩薩のお一人で、法を無尽蔵に説くという意味で無尽意といいます。

菩薩とは何かについては、下記をご覧ください。
仏(如来)と菩薩と神の違い

合掌向佛而作是言がっしょうこうぶつにさぜごん

(書き下し文)
合掌して佛に向いたてまつりて、是の言を作さく

(現代語訳)
合掌礼拝して釈尊に向かいて、大衆の為に観世音菩薩のことをお尋ねなさいました。

(補足解説)
ここまではお釈迦さまのご説法を覚えていて、それをお経として暗唱した阿難尊者の前置きであり状況説明です。

世尊観世音菩薩以何因縁名観世音せそんかんぜんおんぼさいがいんねんみょうかんぜおん

(書き下し文)
世尊、観世音菩薩は何の因縁を以てか観世音と名くる。

(現代語訳)
お釈迦様、観世音菩薩はどのような因縁があって、「観世音」と名前がつけられているのでしょうか。

観音(観世音)菩薩のご利益

佛告無盡意菩薩善男子ぶつごうむじにんにぼさぜんなんし若有無量百千萬億衆生にゃくうむりょうはやくせんまんのくしゅじょう

(書き下し文)
佛、無尽意菩薩に告げたまわく、善男子、若し無量百千万億の衆生ありて

(現代語訳)
お釈迦様は、無尽意菩薩の質問に対して、このように答えました。
「ここで仏法を聞いている人々よ、数え切れない多くの人々がいて、

受諸苦悩聞是観世音菩薩じゅしょくのもんぜかんぜおんぼさつ一心稱名いっしんしょうみょう観世音菩薩即時観其音聲皆得解脱かんぜおんぼさそくじかんごおんじょうかいとくげだつ

(書き下し文)
諸の苦悩を受けんに是の観世音菩薩を聞きて一心に名を称せば、観世音菩薩即時に其の音声を観じて、皆解脱げだつすることを得せしめん。

(現代語訳)
諸の苦悩を受けんに是の観世音菩薩の大慈悲神力を聞いて、一心に菩薩の御名を念称するときには、観世音菩薩は直ちにその音聲(おんじょう)を観じたまいて、皆尽く煩悩ぼんのうに起因する苦しみを解放してくださいます。

煩悩については、下記をご覧ください。
煩悩とは?意味や種類、消す方法を分かりやすく網羅的に解説

若有持是観世音菩薩名者にゃくうじぜかんぜおんぼさみょうしゃ設入大火火不能焼由是菩薩威神力故せつにゅうだいかかふのしょうゆぜぼさいじんりっこ

(書き下し文)
若し是の観世音菩薩の名を持つことあらん者は、設い大火に入るとも火も焼くこと能わず、是の菩薩の威神力によるが故に

(現代語訳)
この文は火難消滅煩悩滅除の功徳について書かれています。
人もし観世音菩薩の名前を受持念称する時は、たとえ、たとえ燃え盛る火の中に入るほどの苦しみ怒りくるうようなことがあっても、その火で焼かれることはありません。これは観世音菩薩の大慈大悲の神力が働くからです。

若為大水所漂稱其名号即得淺處にゃくいだいすしょひょうしょうごみょうごうそくとくせんじょ

(書き下し文)
若し大水に漂わされんに、其の名号を称せば即ち浅き処を得ん。

(現代語訳)
この文は水難滅除の功徳について書かれています。
たとえ大海大水の中で溺れ漂よったとしても、観世音菩薩の名号を称へれば、種々の方便によって即ち浅き処に救い出されるのです。

若有百千萬億衆生にゃくうひゃくせんまんのくしゅじょう為求金銀瑠璃硨磲瑪瑙珊瑚琥珀真珠等宝いぐこんごんるりしゃこめのうさんごこはくしんじゅとほう入於大海にゅうおだいかい

(書き下し文)
若し百千万億の衆生ありて金銀・瑠璃・硨磲・碼碯・珊瑚・琥珀・真珠等の宝を求むるをもって大海に入らんに

(現代語訳)
この文は第三の風難滅除鬼難滅除を説かれました。
もし百千万億の無量無数の衆生がいて、金、銀、瑠璃、シャコ、メノウ、珊瑚、琥珀、真珠等の七宝を手に入れるために、大海を渡ろうとして

仮使黒風吹其船舫飄堕羅刹鬼国けしこくふうすいごせんぽうひょうだらせっきこく

(書き下し文)
たとい黒風吹きて其の船舫を羅刹鬼の国に飄堕すとも

(現代語訳)
もし暴風魔風吹き荒れて、その船を覆し、まさに羅刹鬼の国に溺れ堕ちるとする場合に至っても

其中若有乃至一人ごちゅうにゃくうないしいちにん称観世音菩薩名者しょうかんぜおんぼさみょうしゃ是諸人等皆得解脱羅刹之難ぜしょにんとうかいとくげだつらせつしなん

(書き下し文)
其の中に若し乃至一人ありて観世音菩薩の名を称せば、是の諸人等皆羅刹の難を解脱することを得ん。

(現代語訳)
同行大衆中の一人だけでもこの観世音菩薩の名前を称えれば、種々の方便生じて同行の諸人等にいたるまで、その徳を感得して皆その風難羅刹難を逃れることができます。

以是因縁名観世音いぜいんねんみょうかんぜおん

(書き下し文)
是の因縁を以て観世音と名く。

(現代語訳)
お釈迦様は、「このような因縁があって、観世音と名付けたのだよ」とお答えになられました。

若復有人臨当被害称観世音菩薩名者にゃくぶうにんりんとうひがいしょうかんぜおんぼさみょうしゃ彼所執刀杖尋段段壊而得解脱ひしょしゅうとうじょうじんだんだんねにとくげだつ

(書き下し文)
若しまた人ありてまさに害せらるべきに臨みて、観世音菩薩の名を称せば、彼の執れる所の刀杖尋いで段段に壊れて、解脱することを得ん。

(現代語訳)
この文は、剣難滅除を説かれています。
もしまたある人が、暴悪人の為に殺傷されそうになったときに、観世音菩薩の名前を念称する時は、暴悪人の持っている刀も杖も微塵に壊れて、秋毫の害も与えられず、もろもろの方便によってついにその人のために剣難を逃れることができるのです。

若三千大千国土満中夜叉羅刹欲来悩人にゃくさんぜんだいせんこくどまんじゅうやしゃらせつよくらいのうにん

(書き下し文)
若し三千大千国土に中に満てらん夜叉、羅刹、来りて人を悩まさんと欲せんに

(現代語訳)
この文は、第五の鬼難滅除について説かれたものです。
地獄には強力のがいて、常に罪人を苦しめることは娑婆世界のことのようです。
畜生界の鬼は畜生を喰らい、人間界の鬼は、人を喰らいます。
そして三千大千世界中に充満している鬼どもがやってきて人を悩まそうとする時は、という意味です。
これは貪瞋痴とんじんち の三毒の煩悩の鬼が、人心を害しようとしているのを比喩で説かれています。

聞其称観世音菩薩名者もんごしょうかんぜおんぼさみょうしゃ是諸悪鬼尚不能以悪眼視之況復加害ぜしょあっきしょうふのいあくげんじしきょうぶかがい

(書き下し文)
其の観世音菩薩の名を称するを聞かば、是の諸の悪鬼、なお悪眼を以て之を視ること能わじ、いわんやまた害を加えんや。

(現代語訳)
このときに於いて、一心に観世音菩薩の称名を受持し念称するものがあり、傍で観世音菩薩の名前を称することを聞いたならば、もろもろの煩悩も退却するために、もろもろの悪鬼共は悪しき眼をもってこれを視ることができず、見れないのだから当然害を加えることもできなくなります。

設復有人若有罪若無罪せつぶうにんにゃくうざいにゃくむざい杻械枷鎖検繋其身ちゅうかいかさけんげごしん

(書き下し文)
設いまた人ありて若しは罪あり若しは罪なきも、杻械枷鎖に其の身を検繋せんに

(現代語訳)
この文は枷械枷鎖滅除の難を説かれました。
たとえその人ありて罪があるにせよもしくは罪が無きにせよ、手枷足枷頸等をもって、有形の身体、無形の身体(心意)を搦められたる等のすべての苦縛に際し、

称観世音菩薩名者しょうかんぜおんぼさみょうしゃ皆悉断壊即得解脱かいしつだんねそくとくげだつ

(書き下し文)
観世音菩薩の名を称せば、皆悉く断壊して、即ち解脱することを得ん。

(現代語訳)
尚も一心に観世音の名前を念称すれば、心身を繋縛せられたるところのもの全て尽く切断破壊してその苦難を逃れることができるのです。

若三千大千国土満中怨賊にゃくさんぜんだいせんこくどまんじゅうおんぞく有一商主将諸商人ういつしょうしゅしょうしょしょうにん斉持重宝経過険路さいじじゅうほうきょうかけんろ

(書き下し文)
若し三千大千国土に中に満てる怨賊あらんに、一の商主ありて諸の商人を将い、重宝を斎持して険路を経過せんに

(現代語訳)
この文は、怨賊滅除を説かれたものです。
一切の煩悩は出世の法の怨賊にあたります。
もし三千大千世界の中に、怨賊どもが充ち満ちて居り、またある重立ちたる商人がいて多くの商人を引き連れて、宝石などをもって険しい山坂を進んでいたとしよう。

其中一人作是唱言諸善男子勿得恐怖ごちゅういちにんさぜごんしょぜんなんしもっとくくふ汝等応当一心称観世音菩薩名号にょとうおうとういっしんしょうかんぜおんぼさみょうごうう

(書き下し文)
其の中に一人是の唱言を作さん、諸の善男子、恐怖を得ること勿れ。
汝等応まさに一心に観世音菩薩の名号を称すべし。

(現代語訳)
その怨賊に攻められそうになったとき商人の中にいた一人の仏教の信者が言いました、「同行衆よ、少しも恐れることはありません。観世音菩薩の名前を一心にとなえましょう」

是菩薩能以無畏施於衆生ぜぼさのういむいせおしゅじょう汝等若称名者にょとうにゃくしょうみょうしゃ於此怨賊当得解脱おしおんぞくとうげだつ

(書き下し文)
是の菩薩は能く無畏を以て衆生に施したもう。
汝等若し名を称せば、此の怨賊において、まさに解脱することを得べし。

(現代語訳)
「観世音菩薩は『無畏』と言われる大盤石の精神を衆生に施したまうために、すみやかに名前を念称するときは、険路怨賊の難は、もちろん大千国土中に充満している怨賊の鬼難まで、ただちに解放されるでしょう」

衆商人聞倶発声しゅしょうにんもんぐほっしょう言南無観世音菩薩ごんなむかんぜおんぼさ称其名故即得解脱しょうごみょうこそくとくげだつ

(書き下し文)
衆の商人、聞きて倶に声を発して南無観世音菩薩と言わん。
其の名を称するが故に即ち解脱することを得ん。

(現代語訳)
多くの商人(善男子)たちはこれを聞いてすぐに声を出して南無観世音菩薩と称えると、称えたことによって皆解脱することができました。

無尽意観世音菩薩摩訶薩つむじんにかんぜおんぼさまかさ威神之力巍巍如是いじんしりきぎぎにょぜ

(書き下し文)
無尽意、観世音菩薩摩訶薩威神の力、巍々たること是の如し。

(現代語訳)
仏は無尽意菩薩にこのようにおっしゃいました。
「無尽意菩薩よ、観世音菩薩の大慈大悲妙智力は、このように廣大なものだ」

若有衆生多於婬欲にゃくうしゅじょうたおいんにょく常念恭敬じょうねんくぎょう観世音菩薩かんぜおんぼさ便得離欲べんとくりよく若多瞋恚にゃくたしんに常念恭敬じょうねんくぎょう観世音菩薩かんぜおんぼさ便得離瞋べんとくりしん若多愚痴にゃくたぐち常念恭敬じょうねんくぎょう観世音菩薩かんぜおんぼさ便得離痴べんとくりち

(書き下し文)
若し衆生ありて婬欲多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、すなわち欲を離るることを得ん。
若し瞋恚多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、すなわち瞋を離るることを得ん。
若し愚痴多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、すなわち痴を離るることを得ん。

(現代語訳)
この文は、恭敬勧進煩悩滅除のことです。
もしその人が淫欲、瞋恚、愚痴などの煩悩が起きてくるとき、観世音の妙智力を受持念称すれば、すぐにこれらの三毒の煩悩から離れることができます。
特に観世音菩薩を常念する時は、いわゆる念仏三昧になるために、欲、怒り、愚痴の三毒の煩悩が起きなくなります。

無尽意観世音菩薩むじんにかんぜおんぼさ有如是等うにょぜとう大威神力だいいじんりき多所饒益たしょにょうやく是故衆生常応心念ぜこしゅじょうじょうおうしんねん

(書き下し文)
無尽意、観世音菩薩は是の如き等の大威神力ありて、饒益する所多し。
是の故に衆生常に心に念ずべし。

(現代語訳)
無尽意菩薩よ、観世音菩薩は、このように大法威神通力をもって、世間の苦を抜き、幸福にしてくださいます。
そのため人々は常に観世音菩薩を心の中で念じなさい。

若有女人設欲求男にゃくうにょにんせっちょくぐなん禮拝供養観世音菩薩らいはいくようかんぜおんばさ便生福徳智慧之男べんしょうふくとくちえしなん設欲求女せっちょくぐにょ便生端正べんしょうたんじょう有相之女うそうしにょ宿植徳本衆人愛敬しゅくじきとくほんしゅうにんあいきょう

(書き下し文)
若し女人あって設い男を求めんと欲し、観世音菩薩を礼拝し供養せば、便ち福徳・智慧の男を生まん。
設い女を求めんと欲せば、便ち端正有相の女の宿徳本を植えて衆人に愛敬せらるるを生まん。

(現代語訳)
この文は、礼拝供養の功徳について説かれたものです。
もし女性が、男児を生みたいと思っていて、観世音菩薩を礼拝供養すれば、すなわち徳に優れた智慧の多い男の子を生むことができるだろう。
もし女児を生みたいと思うならば、観世音菩薩を礼拝供養するときは相貌丹精にして、過去に善根を植えた功徳の多く、人々に愛される子を生むことができるだろう。

無尽意観世音菩薩むじんにかんぜおんぼさ有如是力うにょぜりき若有衆生恭敬礼拝にゃくうしゅじょうくぎょうらいはい観世音菩薩かんぜおんぼさ福不唐捐ふくふとうえん是故衆生ぜこしゅじょう皆応受持観世音菩薩名号かいおうじゅじかんぜおんぼさみょうごう

(書き下し文)
無尽意、観世音菩薩は是の如き力あり。
若し衆生ありて観世音菩薩を恭敬礼拝せば、福唐捐ならじ。
是の故に衆生皆観世音菩薩の名号を受持すべし。

(現代語訳)
この文は恭敬礼拝の徳について説かれたものです。
お釈迦様がこのように言われました。
「無尽意菩薩よ、観世音菩薩はこのような妙力があり、もし人々が観世音菩薩を恭敬礼拝すれば、その受けるところの福徳は益々広大になり、虚しく棄てられることはない。
そのため人々は観世音菩薩の受持称念しなさい。

無尽意むじんに若有人受持にゃくうにんじゅじ六十二億恒河沙ろくじゅうにおくごうがしゃ菩薩名字ぼさみょうじ復尽形供養ぶじんぎょうくよう飲食衣服おんじきえぶく臥具醫薬がぐいやく於汝意云何おにょいうんが是善男子善女人ぜぜんなんしぜんにょにん功徳多不くどくたふ

(書き下し文)
無尽意、若し人ありて六十二億恒河沙の菩薩の名字を受持し、復形を尽くすまで飲食・衣服・臥具・医薬を供養せん。
汝が意において云何、是の善男子・善女人の功徳多しや不や。

(現代語訳)
この文は諸仏菩薩の供養と、観世音菩薩の名号受持の功徳の比較を説かれたものです。
無尽意菩薩よ、もし人がいてガンジス川の砂の数の62億倍の数多くの菩薩の名前をとなえ、身が尽きるまで一生涯飲食や衣服、寝具、薬等を供養したとしましょう。
そなたの心では何を思うだろうか。
この布施をした信者は、功徳は多いだろうか。少ないだろうか。

無尽意言甚多世尊ふむじんにごんじんたせそん仏言若復有人ぶつごんにゃくぶうにん受持観世音菩薩名号じゅじかんぜおんぼさみょうごう乃至一時礼拝供養ないしいちじらいはいくよう是二人福正等無異ぜににんぷくしょうとうむい於百千萬億劫不可窮尽おひゃくせんまんのっこうふかぐうじん無尽意受持むじんにじゅじ観世音菩薩名号かんぜおんぼさみょうごう得如是無量無辺とくにょぜむりょうむへん福徳之利ふくとくしり

(書き下し文)
無尽意の言さく、甚だ多し、世尊。
仏の言わく、若し復人あって観世音菩薩の名号を受持し、乃至一時も礼拝し供養せん。
是の二人の福、正等にして異ることなけん、百千万億劫においても窮め尽くすべからず。
無尽意、観世音菩薩の名号を受持せば是の如き無量無辺の福徳の利を得ん。

(現代語訳)
無尽意菩薩は答えました。
功徳は限りなく多いです、お釈迦様。
お釈迦様はおっしゃいました。
また人々が観世音菩薩の名を称え、礼拝供養を一度したとしたら、この前後二人の福徳は平等で差異はなく、もって百千万億劫の後々までも尽きることはありません。
このように観世音菩薩の名前を受持念称する者は、無量無辺の福徳を得るのです。

観音(観世音)菩薩の方便

観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)は、略して観音経(かんのんきょう)とも言われる。後半のみを唱えるときは、世尊偈(せそんげ)、観音経偈、普門品偈などとも言う。法華経のなかの第二十五品「観世音菩薩普門品」という一章のことである[1]。正式には、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品(みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさつふもんぼん)」という。日本では主に鳩摩羅什訳のものを用いる[2]

概要

観音菩薩の力を信じ、慈悲の心を信じ、その名を唱えれば、観音菩薩に救われることが書かれた経文である。ここから南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)と唱えるとさまざまな功徳があると言われている[2]。経文中には念彼観音力(ねんぴかんのんりき)という一節が幾度も現れることから、観音菩薩を念じる重要さがわかる。また衆生を救済する際には、その姿を相手に応じて三十三の姿に変えて救う旨(三十三応現身)についても書かれている。この三十三という数字を基とし、西国三十三所などの観音霊場をめぐる巡礼が平安時代よりおこなわれるようなった[3]。法華経の中の一章であることから日蓮宗天台宗ではよく読誦されているが、禅宗真言宗でも勤行の中で読誦されている。

『添品法華経』には「序文」が付されており、作者は西安の大興善寺(普曜寺)沙門上行である。それによると、竺法護・鳩摩羅什訳の翻訳について、「欠品していた普門品を学者が協力して、法華経から別行していた漢訳から欠けた部分を補って、世に出したということで、これを誇りとする。私はその遺風を慕い仰いで則って規範とする。」[4]とある。

脚注

  1. ^ zen-ryujo (1557309600). “観音経

普賢菩薩

ふげんぼさつ

普賢菩薩

 

 

統名マンタパドラ (Samanta bhadra)の「サマ

ファ」は「削く」、「パドクラ」は「賢」と漢訳しま干。「質」とは具体的には「きとりを求める心から起こる、成仏しようとする願いと行ない」のことです。それが、ときとところを選ばず遍在しているということを象徴したのがこの菩薩です。で

すから、菩薩行を実践する者をつねに守護するほとけでもあります。

左の住単に乗り、文殊菩薩とともに釈迦如来の脇侍をつとめます。文殊菩薩の智慧に対して、 悲恋(の行)をつかさどります。

なお、密教では、堅固不壊の菩提心を象徴する金剛薩と同体とします。

同年と年生まれの人の守り本尊とされていま