增一阿含経・三供養品
聞如是。一時仏在舍衛国祇樹給孤独園。爾時世尊告阿難。
根。不可窮尽。漸至涅槃界。云何為三。所謂於如来所而種功德。
有三善
此善根不可窮尽。於正法。而種功德。此善根不可窮尽。於聖衆而種功德。此善根不可窮尽。是謂阿難。此三善根不可窮尽得至涅槃界。是故阿難。当求方便獲此不可窮尽之福。如是阿難。当作是学。
爾時阿難聞仏所說。歓喜奉行
『増一阿含経・三供養品』 現代語訳
私はこのように聞きました──
ある時、お釈迦さまは舎衛国(しゃえこく)の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられました。
その時、世尊(せそん:お釈迦さま)は阿難(あなん)に次のように語られました。
「阿難よ。善き行い(善根:ぜんこん)には尽きることがなく、それは少しずつ積み重なって、ついには涅槃(ねはん)という悟りの境地に至るのだ。
では、どのような善き行いが三つあるか。これを『三善根(さんぜんこん)』という。
一つ目は、如来(仏さま)に対して供養し、徳を積むこと。
二つ目は、正しい教え(正法:しょうぼう)に対して供養し、徳を積むこと。
三つ目は、聖なる修行者たち(聖衆:しょうじゅ)に対して供養し、徳を積むこと。
この三つの善根は、いずれも尽きることがなく、必ず涅槃の境地へと導いてくれる。
だからこそ、阿難よ──
この尽きることのない福徳を得るために、工夫して実践するように努力しなさい。
このように心がけて、生きるのだ。」
この教えを聞いた阿難は、たいへん喜び、心から受け入れ実践することを誓いました。
『供養を実践する者たちの現代物語』
として、「三供養(仏・法・僧への供養)」を現代の社会に生きる人々の姿を通して描いた短編連作物語の第1話をお届けします。
第一話 『祈りの花を、仏に』
東京・上野。
人通りの多い駅前から少し歩いたところに、古びた小さな寺がある。
その寺に、ひとりの青年が足を踏み入れた。名は 原田 誠(はらだ・まこと)。
IT企業に勤める30代のサラリーマンだ。
週末の午後、彼は決まってその寺を訪れる。
理由は、亡き母のための供養だった。
母が亡くなって三回忌を迎える年。彼の心には、ずっと引っかかる思いがあった。
――もっと、何かできたはずだ。
看取れなかった後悔。仕事に追われていた日々。
「ありがとう」も「ごめんね」も、ちゃんと伝えられなかった。
そんなとき、ふと立ち寄ったこの寺の住職が、こう語ったのだ。
「仏に供養をするというのは、ただ線香をあげることではないんですよ。
“仏の心を思い出すこと”です。
あなたの中にある、母を想う優しさや感謝。
それが、供養の花になるのです。」
その日から、誠は毎週末、小さな花を一輪、寺に供えるようになった。
派手な花ではない。季節の草花を、静かに手向ける。
彼の手にはいつも、スマホの画面ではなく、一枚の紙があった。
そこに書かれているのは、母の口癖だった言葉。
「笑ってれば、きっとなんとかなるよ。」
ある日、住職がそっと尋ねた。
「その紙、何ですか?」
誠は少し照れくさそうに笑った。
「母の言葉です。仏壇に置くと、なんだか会える気がして。」
住職は静かに頷いた。
「それは、立派な供養です。
あなたの心が、今も仏に届いているのですよ。」
その日、寺の鐘の音が街に響いた。
忙しく流れる現代の街に、静かな祈りのひとときがあった。
その青年の供養は、仏に向けられた花。
その心は、尽きることなき善の種となって、確かにこの世界に咲いていた。
第二話『本の背中にあるもの――正法を供養する編集者』
東京・神保町。
古書店が立ち並ぶこの街に、一軒の小さな出版社がある。
そこに勤める編集者、斉藤ゆかりは三十代半ば。
仏教関係の書籍を多く手がける老舗の出版社で、数少ない若手編集者だった。
ある日、彼女は一冊の古い草稿に出会う。
棚の奥にしまわれていた、著者不詳の手書き原稿。
表紙にはこう記されていた。
『日々是法(にちにちこれほう)――生活に活かす仏の言葉』
内容は、釈尊の教えを現代の生活に照らして解説する随想集。
だが、どれも名もない人の言葉のように、静かで、誠実だった。
その文を読み進めるうちに、ゆかりは不思議な感覚にとらわれた。
“これは法(ダルマ)の声だ”
そう思えたのだった。
社内会議では、「売れない」と一蹴された。
今は自己啓発やスピリチュアル系の派手なタイトルが求められる時代。
古くさく、著者も不明な仏教エッセイ集など、扱っても赤字になるだけだと。
だが、ゆかりは言った。
「この本には、声があるんです。
静かだけど、確かな祈りのような。
売れるかどうかよりも、今この社会に必要な“言葉”がここにあると思うんです。」
出版部長はしばらく沈黙した後、言った。
「なら……あんたが責任を持つって条件で、やってみろ。」
彼女は個人責任で企画を立ち上げ、印刷所に足を運び、表紙のデザインまで自ら関わった。
やがて出版された本は、広告も出せず書店にもほとんど並ばなかった。
だが、不思議なことに、口コミで少しずつ読者の心に広がっていった。
ある読者がSNSにこう記していた。
「朝、会社に行く前にこの一文を読むと、怒りが少しおさまる。
“いま、ここに生きる心を忘れないように”って。」
斉藤ゆかりは思った。
これこそが、正法への供養ではないかと。
教えを埋もれさせず、言葉を通して人々の心に届けること。
それは、現代における「書く供養」であり、「編む供養」であり、「読む供養」だった。
あの名もなき原稿の筆者は、いまだ不明のままだ。
けれどその言葉は、今も誰かの朝を照らしている。
第三話『カフェに集う僧たちへ――尼僧と若者たちの縁』
京都・左京区の静かな住宅街に、ひとつの小さなカフェがある。
店の名は「梢(こずえ)」。
店主は、四十代半ばの女性、尼僧・美樹(みき)。
彼女は比叡山で修行したのち、俗世と仏法をつなぐ場所としてこの店を開いた。
木の温もりが感じられる内装と、心を落ち着かせるお香の香り。
その店には、ちょっと変わった“常連客”たちがいた。
大学で宗教学を学ぶ若者たち、
仏門を志しているが迷いを抱える青年、
心を病み、しばらく職を離れていた元看護師。
皆、どこかで「仏の教え」に救われた経験を持つ人たちだった。
ある春の午後、美樹はカウンターでお茶を淹れながら、ふとこんな話をした。
「供養ってね、食べ物をお供えすることだけじゃないの。
“支える”っていう意味なのよ。
僧たちの修行が続けられるように、
その道が絶えないように、“縁をつなぐ”こと。」
それを聞いていた大学生の拓真(たくま)が、ぽつりと尋ねた。
「でも……今どき、修行僧って必要なんでしょうか?
SNSや動画で法話も見れるし、
わざわざ山にこもる意味って……あるのかなって。」
美樹は微笑んで、静かに言った。
「必要かどうかを決めるのは、今の人間じゃないわ。
“道がそこにあり続ける”ことが、大事なの。
どこかで誰かが、その道を歩いている。
そう思うだけで、人は安心することもあるのよ。」
その夜、カフェに来ていた看護師の綾香が帰り際にそっと言った。
「私、以前お世話になってたお寺の若いお坊さんに、お手紙を書いてみようと思います。
あのとき助けてもらった感謝、ちゃんと伝えたくて。」
その言葉に、美樹は深くうなずいた。
「それも立派な供養よ。
“僧に心を寄せる”ということも、道を支える灯火なの。」
そして店の奥、ひとつの棚に、
カフェに通う人たちが書いた手紙やメッセージが束ねられていた。
その多くは、今も修行を続ける僧たちに宛てた応援の言葉だった。
それらは、華やかでも、目立つものでもない。
けれど確かに、**修行者たちの道を支える「無言の供養」**であった。
春の夜、梢の灯りは今日もあたたかく、
静かに、僧たちへの祈りを受けとめていた。
第四話『尽きぬ福を生きる――三つの灯を継ぐ者』
秋の午後、東京・谷中の古寺で、ひとつの法要が営まれていた。
「報恩法会(ほうおんほうえ)」──
命あるものすべてに感謝を捧げる、年に一度の静かな祈りの場。
参列者の中に、三人の姿があった。
彼らはそれぞれ、別々の場所で供養を実践してきた者たちだった。
一人目は、原田誠(第一話)。
母のために、仏に向けて花を供え続けたIT企業の青年。
この日は、母の好きだった金木犀の枝を手に、初めて法要に参加していた。
「この香りがすると、いつも母を思い出すんです」
住職の問いに、彼はそう静かに答えた。
二人目は、編集者の斉藤ゆかり(第二話)。
出版を通して、正法の声を世に届ける仕事に尽くしてきた。
あの無名の仏教エッセイ集が静かな反響を呼び、今では全国の小さな書店から再注文が届いている。
「教えは、生きてるんだなって思います。
声にならない祈りが、人から人へ伝わっていくみたいに。」
彼女は法会の読経に耳を傾けながら、ふと涙ぐんでいた。
三人目は、元看護師の綾香(第三話の登場人物)。
僧侶への感謝の手紙を書いたことをきっかけに、再び福祉の現場へと戻っていた。
この日、導師を務める若い僧侶は、かつて彼女が手紙を送った相手だった。
読経のあと、二人の目が合った。
僧侶はそっと合掌し、微笑んだ。
綾香も深く頭を下げた。
言葉ではなく、心が交わされた。
法要の終わり、三人は同じ廊下で偶然すれ違った。
初めはただ軽く会釈しただけだったが、ふと境内に並んだお茶席で自然と話し始めた。
「……不思議ですね」
誠が言った。
「違う道を歩いてても、結局“何かを大切に思う心”で、つながってる気がする。」
ゆかりが続けた。
「それって、まさに“供養”なのかも。
仏を想い、法を伝え、人を支える――
結局、それ全部が“誰かに心を寄せること”なんですね。」
綾香は静かに言った。
「その心って、尽きないんですよね。
失われることがない。
誰かがちゃんと、受け取ってくれる。」
三人の前に、紅葉がひとひら舞い落ちる。
風は静かに流れ、祈りの余韻が境内を包む。
その日、彼らはそれぞれの人生に戻っていった。
けれど、三つの供養の灯火は、確かに彼らの胸に灯っていた。
それは誰にも消せぬ、尽きることなき福として。
完 ― 三供養




