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雑阿含経・応説経  五蘊の道──観の始まり

雑阿含経・応説経  五蘊の道──観の始まり

 

 

 

『五蘊の道──応説の丘にて』

乾いた風が、草の匂いを運んでくる。そこは、拘留国の片隅、雑色牧牛聚落と呼ばれる静かな村だった。

丘の上に、ひとりの修行者が佇んでいた。彼の名はアーナンダ。だがその日、彼は弟子ではなく、ただの問いを持つ人間として、仏陀の前に座っていた。

夕暮れが差し始めると、仏陀は緩やかに口を開いた。

「アーナンダよ、わたしは知見によって、もろもろの煩悩を滅した。不知見によってではない。」

その声は、風に乗って村の方へ流れていく。仏陀は地面を指差しながら、続ける。

「これが“色”である。これが“色の集まり”であり、これが“色の滅”である。同じく、これは受、想、行、識。これら五つの集まり、すなわち五蘊(ごうん)を、わたしは智慧の光で照らし出した。」

アーナンダの瞳が揺れる。五蘊──色、受、想、行、識。それは彼自身を構成するもの、だが未だ見抜かれていない影のようなものでもあった。

仏陀は語る。

「五蘊はすべて無常であり、空であり、我ならざるもの。わたしはその真実を、観想によって見極めた。だからこそ、漏(ろう)──煩悩の漏れ口をふさぎ、解脱を得たのだ。」

しばしの沈黙が訪れた。空が赤く染まり、遠くで牛の鳴き声がした。

やがて、仏陀の声が再び響く。

「だが、ある者たちはこの道を歩めぬ。方便──正しい手段を修せず、ただ“解脱したい”と心で願うのみ。そうして彼らは、いつまでも漏尽解脱を得ることができない。」

アーナンダは口を開く。

「なぜでしょうか、世尊。なぜ彼らは成就できないのですか?」

仏陀は静かに答える。

「それは修行しないからである。四念処(身・受・心・法を観る)、四正断、四如意足、五根、五力、七覚支、八正道──これらを習わずして、ただ願うだけでは、悟りの岸へは至らぬ。」

風が吹き、仏陀の法衣がわずかに揺れた。

アーナンダは目を閉じた。その瞬間、彼の中で何かが音を立てて崩れ、そして静かに組み替わるのを感じた。煩悩とは、どこか遠くの話ではなく、まさにこの己の心のことだ。ならば、自らを知るよりほかに、道はない。

「世尊。わたしもまた、五蘊を観じていきます。」

仏陀は微笑んだ。それは、夕陽よりも柔らかく、そして強い光だった。

 

『五蘊の道──観の始まり』

夜が訪れた。丘の上の林は静まり返り、風の音だけが葉を揺らしていた。アーナンダは一人、蓮華座の姿勢で座していた。

師の語った「色、受、想、行、識」の五つの言葉が、何度も胸の内を往来する。

「これは色である──」

彼はまず、身体の感覚に意識を向けた。膝の痛み、風に当たる頬の冷たさ、腹の内側を流れる微細な熱。すべてが「現れては消える」現象である。

──これは常なるものではない。
──これは変わる。
──これは、我にあらず。

そのとき、ふと心が騒ぎ出した。過去の記憶がひとつ、浮かんできた。

昔、ある修行者の死に立ち会ったときの記憶。彼はアーナンダに微笑みながら、こう言った。

「死は怖くない。ただ、自分が“これだ”と思っていたものが、何も残らないと気づくのが、寂しいだけだ。」

アーナンダは思う。自分もまた、色に、形に、立場に、そして“私”という名前に、縋っていたのではないか。

「これは受である──」

心に訪れる“感じ”。夜の冷たさに不安を覚え、風の音に寂しさを見出すのは、受である。それもまた、来ては去る波のようなもの。

「これは想である──」

彼は、今座している“自分”の姿を心に描いた。静かな修行者、弟子としての自分。けれどその像もまた、心が作り出すイメージであり、絶えず変わっていく幻にすぎない。

「これは行である──」

意志が動く。悟りたい、成し遂げたい、正しい弟子でありたい。だがそれもまた、“求める意志”が生み出す執着ではないか?

「これは識である──」

最後に、すべてを“認識”するこの意識。それこそが「自分」だと思っていた。だが、仏陀は言った。

「識もまた、無常なり。」

そのときだった。胸の奥で、何かがふっと消えた気がした。静かに、なにか“つかんでいたもの”がほどける。

──“私”とは何か。
──“見ている私”さえもまた、変化し、滅するのではないか?

それは恐れでもあったが、同時に不思議な安らぎでもあった。広大な虚空の中で、初めて呼吸をしたような、そんな感覚。

目を閉じると、そこに「風」があった。耳を澄ませば、「音」があった。ただそれだけ。だが、そこに余計な“自我”はなかった。

アーナンダの目に、一筋の涙が流れた。

それは悲しみでもなく、喜びでもない。ただ、「今、ここに在る」という事実への、深い頷きだった。

彼はまだ悟ってはいない。だが、歩みは始まった。

五蘊のひとつひとつを、真に「見る」こと。その果てに、師が語った“漏尽の境地”が、確かに存在する。

遠くの空に、夜明けの光が差し始めていた。

『五蘊の道 第二章──四念処の風』

朝が来た。
薄明の空に鳥の声が響くなか、アーナンダはゆっくりと目を開けた。昨夜の瞑想で感じた「気づき」は、まだ心の内に静かに燃えている。

だが──それだけでは足りない。
師は言った。**「観るだけでは終わらぬ。修し続けよ」と。
そして仏陀が示した、次なる道は「四念処」**であった。

第一の観──身念処(身体の観)

小川のほとりで、アーナンダは呼吸に意識を集中していた。

「息を吸う、私はそれを知る。息を吐く、私はそれを知る。」

息が長い、短い、浅い、深い……それらをただ「知る」。
身体は“我”ではない。
だが、執着の根は深い。ある瞬間、ふいに膝の痛みが走った。

「この痛みは、色(しき)の現象である」と彼は唱える。
そこに、怖れや不満を混ぜない。
ただあるがまま、ただ観る。
そのとき、痛みは“敵”ではなく、“訪れた客”のように感じられた。

第二の観──受念処(感受の観)

修行中、若い沙弥が失敗して器を割ってしまった。
周囲の僧たちの眉がわずかに動いた。

アーナンダも、胸の内に一瞬「苛立ち」が生じた。

「これは“受”だ。外の出来事に応じて、心に生まれる感覚。」

彼はその感情を押し殺すのではなく、正面から観た。
すると、苛立ちは“燃え盛る火”ではなく、ただの“一陣の風”のように過ぎ去った。

「受は我にあらず。来たりて去る。」

第三の観──心念処(心の状態の観)

ある晩、アーナンダの中に“孤独”の影がよぎった。

「自分だけが、まだ悟っていない。まだ遠い。」

彼はその思いを握りしめそうになりながらも、そっと心の内を見つめた。

──これは焦り。
──これは劣等感。
──これは、欲。

「今の心は乱れている。しかし、その乱れすら観じる心は、静かにある。」

そう気づいたとき、不思議なことに、内側の暗さが少しだけほどけていった。

第四の観──法念処(法の理を観る)

最後に彼は、あらゆる現象──色、受、想、行、識、そして感情、思考、身体、言葉の動き──すべてを貫く「無常・苦・無我」の法則を、ひとつずつ観じていった。

「これは起こり、これが続き、そして滅する。」
「これもまた、法である。」

そのとき、師の言葉がよみがえる。

「法を観る者は、わたしを見る。」

アーナンダは、ひとつの確信を得た。
この四念処の修行は、自らをほどき、解き放つ道であると。

八正道の兆しへ

夜、仏陀の前に立ったアーナンダは、深く合掌した。

「世尊。私はいま、ようやく“観ること”の始まりに立ちました。
けれど、私は“行うこと”──すなわち正しい言葉、正しい行い、正しい精進を、まだ学ばねばなりません。」

仏陀はうなずき、穏やかに言った。

「では、次に八正道に進むがよい。
それは、観(慧)・行(戒)・定(禅)をすべて含む、真なる道である。」

アーナンダは微笑んだ。

「はい。わたしは歩きます。観て、行い、そして坐る道を。」

星のきらめきが、彼の頭上にひとつ、流れていった。

『五蘊の道 第三章──八正道の歩み』

その日、アーナンダは、一本の道を歩いていた。
それは地上の道であり、同時に、心の中に敷かれた道でもあった。仏陀が説いた八正道──それは、ただ知識として学ぶものではない。生き方そのものの中に、仏の智慧を息づかせる歩みだった。

彼は一歩ずつ、八つの柱を胸に刻んでいった。

一、正見──ありのままを見る智慧

「これは“苦”である。」

アーナンダは、自らの内にある“求める心”を見つめた。悟りたい、認められたい、役に立ちたい──それらすべてが、苦の根であると気づく。

「これは“集”である。求める心が、苦を呼ぶ。」

そして仏陀の教えがよぎる。

「苦の原因を知り、苦の終滅を知ること。それが正見である。」

悟りとは、「苦を消すこと」ではなく、「苦のしくみを知ること」──アーナンダは、眼を開くような静かな驚きに包まれた。

二、正思惟──慈悲の思いを持つこと

あるとき、老いた修行者が、托鉢の器を落とした。
周囲の若僧たちは、笑いをこらえた。

アーナンダは静かに器を拾い、老僧に手渡した。
そのとき、彼の心に浮かんだのは、軽蔑でも哀れみでもなかった。

「願わくば、すべての者に安らぎを。」

それが正思惟。すべての命に対して、怒らず、害さず、慈しむ心。

三、正語──真実と調和の言葉

寺院での会話。誰かが僧の欠点をささやいていた。

アーナンダは、それに加わらなかった。ただ、ひとことだけ言った。

「それでも、彼は日々、坐っている。」

言葉は刀にもなり、灯火にもなる。
正語とは、誠実に、やさしく、無益な言葉を慎むこと。

沈黙さえ、慈しみに満ちていることがある。

四、正業──害をなさぬ行い

夜、寺の門の外に、飢えた野良犬がいた。
アーナンダは残っていた飯を布に包み、そっと置いた。

「この行為に、報いを求めぬ。」

それが正業。戒を守るだけではなく、動機に清らかさを込めること。

五、正命──命の支えを清らかに

師のそばで、アーナンダはいつも「聞く」ことを選んだ。
弟子のなかには、名声を得ようと経文を誇る者もいたが、アーナンダは静かだった。

「わたしの命は、法に支えられている。」

それが正命。欲や名誉によってではなく、法(ダルマ)に生きること。

六、正精進──怠らず、ただ一歩

アーナンダは、眠気の襲う夜に、火のような誓いを胸に灯した。

「善を育み、悪をやめ、心を澄ませよ。」

それが正精進。励みは、炎ではなく、灯火のように持続するものだった。

七、正念──今を知る、すべてを観る

托鉢の途中、アーナンダは子どもが泣くのを見た。
足を止め、風の中の草の揺れに目を向け、心をそこに置いた。

「いま、ここにある。」

それが正念。散らばる心を、いまという場に戻すこと。
歩くときは歩き、食べるときは食べる。それが法に生きる姿。

八、正定──澄んだ水のように坐る

夜、坐禅堂でアーナンダは静かに坐していた。
五蘊を観じ、四念処を観じ、やがて呼吸も、時間さえも消えていった。

ただ、「ある」だけ。
それは、渇望も恐れもない、透明な覚醒だった。

「これが、正定──心の静寂、智慧の泉。」

小さな悟りの灯火

アーナンダは、八正道を“歩いた”のではない。
それは、生き方そのものが、道となっていったのだった。

師の言葉が再び胸に蘇る。

「道を歩む者こそ、すでに仏に近づく。」

そしてその夜、彼ははっきりと感じた。
自分の中の“漏(ろう)”が、少しずつ、静かに尽きていくのを。

まだ成仏してはいない。だが、道はまっすぐに、光の方へと続いている。

 

『五蘊の道 第四章──漏尽のとき』

“漏尽”とは、煩悩の尽きた状態を言う。
それはただの「消えること」ではない。
執着が、音もなく剥がれ落ち、
心が本来の静けさに還る――
そのときを、人は「悟り」と呼ぶのかもしれない。

第一節:かつての執着と向き合う

雨の音が、伽藍の軒を打っていた。
アーナンダは一人、古い菩提樹の下に坐していた。

思い出が、静かに胸を過る。
――王舎城にいた若き日。
――釈尊の弟として、人々の期待を背負った日々。
――師のそばにいたいと願った、あの夜。

「わたしは、何を求めてきたのか…?」

それは、仏陀の影のように生きることで得られる安心だった。
“理解されたい”“必要とされたい”“役に立ちたい”──
それらは尊く見えて、実は微かな執着の残り火だった。

「アーナンダよ。執着とは、たとえ法であっても捨てねばならぬ。」
かつて師がそう語ったのを、彼は今ようやく理解した。

第二節:「空」を見つめる瞑想

その夜、アーナンダは深く坐した。

呼吸が静まり、思考がほどけていく。
五蘊を観る。色・受・想・行・識。
すべてが起こり、滅し、つかの間に漂う。

「これはわたしではない。
これはわたしのものではない。
これは、わたしそのものではない。」

その観照のなか、彼の心に浮かんだのは――「空」。

空とは、実体のなさではない。
空とは、すべてが依り合っているという、真の連関の姿。

「わたし」という固定された実体もなければ、
「悟るべき者」としての自己も、すでにない。

ただ、流れがあり、明らかさがある。
アーナンダは、自我の重みが、ふと、ほどけていくのを感じた。

第三節:師との最後の対話

夜明け前。
仏陀は最後の旅を終え、涅槃へと向かわんとしていた。
アーナンダは、傍らに跪き、そっと問いを投げた。

「世尊…。わたしは、ずっとあなたのそばにおりました。
けれど、最後まで、“真に悟った者”にはなれませんでした。」

仏陀は、微笑んで彼を見つめた。

「アーナンダよ。そなたは、わたしの法に心を浸した。
その清らかさは、もはや仏に等しい。
たとえ“悟った”と呼ばれぬとも──
すでに漏は尽きつつある。」

「漏は……尽きつつある……」

それは評価でもなく、慰めでもない。
ただ、事実の静けさとして語られた言葉だった。

アーナンダは、深く礼をし、涙をこらえた。
それは哀しみではない。
恩を知り、道を受け取った者の、静かな誓いだった。

第四節:漏尽のとき

その夜、アーナンダは再び坐した。
過去も未来も、彼の瞑想にはもう影を落とさなかった。

呼吸とともに、すべての執着が解けていく。
「我」と名づけていた、透明な繭のような何かが――
音もなく崩れていった。

そのとき、心の奥深くから、ひとつの光が差し込んだ。
それは燃え上がる炎ではない。
仄かな、**“明け方の光”**のような、静かな輝き。

アーナンダは知った。
いま、まさに「漏尽」が成ったのだと。

終章の手前で

それは悟りと呼ばれるものかもしれない。
だが、アーナンダにとって、それは「終わり」ではなかった。

彼は静かに立ち上がり、朝の光の中、托鉢の道を歩き出した。

今ここに在る。
この一歩こそが、仏の道である。

 

 

 

 

 

 

今日の運命 Today’s Fate 今日缘分  2025年7月23日

今日の運命 Today’s Fate 今日缘分  2025年7月23日

乙巳 二黒土星 歳
癸未 六白金星 節
癸巳 七赤金星 日

七赤金星の日

人より協力の依頼を受けたりする日。金運、喜び事あるも調子に乗って酒色に乱れぬよう心すべき日。小利に迷わず自他喜びを共にする心掛けも大切

 

凌犯期間 成の日 (甘露日)

焦らずに受け身に徹する日

凌犯期間の作用により凶日となります。焦って結果を求めたり、失敗をフォローしようとしても上手くいきません。何をやっても結果を出せない日なので、受け身に徹しましょう。意中の人への告白やプロポーズもこの日は避けてください。

Today’s Fate Today’s Fate Today’s fate July 23, 2025

Yi Shan Two Black Earth Star Year

Gui Wei Six White Metal Star Node

Gui Shan Seven Red Metal Star Day

Seven Red Metal Star Day

A day when you will receive requests for cooperation from others. You will have good luck with money, but you should be careful not to get carried away and get carried away with alcohol and sex. It is also important to be mindful of sharing your own and others’ joys without being swayed by small profits.

Period of transgression Day of Success (Glory Day)

A day to remain passive without rushing

This will be an unlucky day due to the effect of the period of transgression. If you rush to get results or try to make up for your failures, it will not work. No matter what you do, you will not get results, so remain passive. Avoid confessing your feelings or proposing to the person you like on this day.

今日运势 今日运势 今日运势 2025年7月23日

乙山二黑土星年

癸未六白金星交点

癸山七赤金星日

七赤金星日

今日你会收到他人的合作请求。财运不错,但要注意不要沉迷于酒精和性。此外,还要注意分享自己和他人的快乐,不要被小利所左右。

犯法期 成功日(荣耀日)

保持被动,不要急于求成

受犯法期的影响,今日运势不佳。如果你急于求成或试图弥补失败,都是行不通的。无论你做什么都不会有结果,所以要保持被动。避免在这一天向你喜欢的人表白或求婚。

 

 

普賢菩薩 あらゆる場所に現れ、命あるものを救う慈悲を司る菩薩

 

普賢菩薩

あらゆる場所に現れ、命あるものを救う慈悲を司る菩薩

名サマンタバドラ (Samanta bhadra) の「サマ 「タ」は「く」、「バドラ」は「賢」と漢訳しま す。 「賢」とは具体的には「さとりを求める心か 起こる、成仏しようとする願いと行ない」のこ とです。それが、ときとところを選ばず在して いるということを象徴したのがこの菩薩です。 で すから、菩薩行を実践する者をつねに守護するほ とけでもあります。

白象に乗り、文殊菩薩とともに釈迦如来 の脇侍をつとめます。 文殊菩薩のに対して、 (行)をつかさどります。

なお、密教では、堅固不壊の菩提心を象徴する

金剛薩埵と同体とします。

と巳年生まれの人の守り本尊とされていま

 

普賢菩薩(ふげんぼさつ)とは?

普賢とは「全てにわたって賢い者」という意味で、あらゆるところに現れ命ある者を救う行動力のある菩薩です。

 

文殊菩薩とともに釈迦如来の右脇侍として三尊で並ぶことが多いですが、独尊で祀られる場合もあります。文殊菩薩の智慧とともに修行を司る菩薩として、明晰な智慧で掴み取った仏道の教えを実践していく役割を果たすとされています。また、女性の救済を説く法華経の普及とともに女性に多く信仰を集めました。

 

ちなみに普賢菩薩から派生した仏に延命のご利益のある普賢延命菩薩があります。

ご利益

女性守護、修行者守護、息災延命、幸福を増やす増益のご利益があるとされています。また、辰・巳年の守り本尊です。

普賢菩薩(ふげんぼさつ)の像容

白象に乗っている姿が一般的です。3つや4つの頭の象に乗っている場合は普賢延命菩薩像の可能性が高いです。

ALLDOCUBE iPlay 70 mini Pro タブレット8.4インチ MediaTek Dimensity MT8791 タブレット Android 15 90Hz高リフレッシュレート 4GLTE 顔認証 1920×1200解像度

 

 

 

 

 

 

 

 

東京、深く静かに燃える

 

 

『東京、深く静かに燃える』

第一章 壁のむこう

東京の裏通りは、午後の陽が届かない。
夏の熱気が地面から立ちのぼり、コンクリートの壁にじっとりとまとわりつく。

奈央は、その路地で足を止めた。制服姿の少女――けれど、瞳にはどこか乾いたものがあった。
目の前を、少年たちの一団がすり抜けてゆく。笑っている。だがその笑いの裏に、張りつめた空気がある。
彼らは何かを探している。獲物を。

一方で、街の表側では、金持ちたちが日焼けした肌をプールサイドでさらしていた。
仕事も、家も、愛も、どこか遠い話。
その頃、健太は職安のポスターを見上げていた。履歴書の束が、汗でにじんでいる。
彼はまだ若かったが、もう何度も「不採用」という言葉に慣れていた。

彼らはこの街の「影」だった。
そして誰もが知っていた――この都市は、脆く、冷たく、そして巨大すぎる。

第二章 東京の下で

深夜、壁のむこうからベッドの軋む音が聞こえる。
床の下ではTVが怒鳴っていた。誰も観ていないのに。

奈央は天井を見つめていた。
「いつまで持ちこたえられるかな」
そんな声が心の中で何度も反響する。

東京は無数の人々を呑み込む街だ。
生まれたのは高速道路の下。死ぬのは地下鉄の上。
“それがこの街の現実なんだ”と、彼女は思っていた。

だが――彼女の心の片隅に、まだ微かな祈りがあった。

第三章 叫びを超えて

満員電車の中、健太は誰とも目を合わせないようにしていた。
疲れ果てた顔が並ぶその空間で、自分がどこに向かっているのか、もはや誰にもわからなかった。

学校では、子供たちが押しつぶされていた。
叫び声は、誰にも届かない。
ネオンの下では、孤独が日々取り引きされ、年老いた人々は目を伏せ、何も語らない。
それが東京。希望と絶望が入り混じる、この街。

窓のむこうでエンジンが唸り、頭上にはジェット機が低く飛ぶ。
この都市のどこかで、きっとまだ誰かが光を求めている。

最終章 東京、光を

ある夜、奈央は健太と出会った。
偶然だった。だが、その夜、ふたりは言葉を交わさなかった。
ただ、同じ夜空を見上げていた。
光があった。星は見えなかったが、遠くで工事灯が輝いていた。

「この街に、希望はあると思う?」と彼女が言った。
「…わからない。でも、塗りつぶされた明日でも、自分の色で描いてやりたいとは思ってる」
健太の声は小さく、けれど確かだった。

東京は巨大な迷宮だ。人を追いたて、引き裂き、時に捨てる。
けれど――誰かと出会うことが、微かな火を灯すことがある。

「時代のせいにしないで」
「光を見つけさせて」

ふたりは歩き出した。東京という街のなかで。
TOKYO。
その闇の中に、まだ見ぬ光を信じながら。

 

旅立ち

私の瞳が ぬれているのは
涙なんかじゃないわ 泣いたりしない

この日がいつか 来る事なんか
二人が出会った時に 知っていたはず

私の事など もう気にしないで
貴方は貴方の道を 歩いてほしい

さよならいわずに 笑ってみるわ
貴方の旅立ちだもの 泣いたりしない

言葉はいらない 笑顔をみせて
心の中の貴方は いつもやさしい

私は泣かない だって貴方の
貴方の思い出だけは 消えたりしない

私の瞳が ぬれているのは
涙なんかじゃないわ 泣いたりしない

旅立ち

 駅のホームに冷たい風が吹いた。

 冬の陽が傾きかけた午後。彼の背中が、改札の向こうへとゆっくりと遠ざかっていく。人混みに紛れながら、でも私の視界の中では不思議なくらいはっきりと浮かび上がっていた。

 私は泣いてなんかいない。そう、自分に何度も言い聞かせた。

 初めからわかっていた。二人が出会ったあの日、心のどこかで、いつかはこの日が来ることを。奇跡のような出会いだったからこそ、それが永遠には続かないと、どこかで知っていた。

 彼が東京へ行く話をしたとき、私は頷いた。彼の夢の話を、私は何度も聞いてきたから。支えるつもりだった。最後まで、笑顔で見送るつもりだった。

 「元気でね」なんて、言わなかった。そんな言葉は、かえって別れを際立たせる気がした。だから私はただ微笑んだ。

 彼がこちらを振り返った。ほんの一瞬だったけど、私には十分だった。その目に浮かんだ不安と決意を、私は見逃さなかった。

 心の中で、そっと言う。

 ――もう私のことは気にしないで。貴方は貴方の道を歩いて。

 彼が改札を抜けた瞬間、私は瞳の奥に温かなものを感じた。でも、泣いたりしない。これは彼の旅立ちなのだから。

 私の胸の奥にある、数えきれないほどの記憶――駅までの道、雨の日の公園、映画館で手をつないだ時間。どれも色褪せない宝物。彼がいなくなっても、消えることはない。

 彼が見えなくなったホームに、一人立ち尽くしながら、私はもう一度、静かに笑った。

 ――私の瞳がぬれているのは、涙なんかじゃないわ。

 心からそう思えた。

增一阿含経・三供養品

供養を実践する者たちの現代物語

增一阿含経・三供養品

聞如是。一時仏在舍衛国祇樹給孤独園。爾時世尊告阿難。

根。不可窮尽。漸至涅槃界。云何為三。所謂於如来所而種功德。

有三善

此善根不可窮尽。於正法。而種功德。此善根不可窮尽。於聖衆而種功德。此善根不可窮尽。是謂阿難。此三善根不可窮尽得至涅槃界。是故阿難。当求方便獲此不可窮尽之福。如是阿難。当作是学。

爾時阿難聞仏所說。歓喜奉行

『増一阿含経・三供養品』 現代語訳

 

私はこのように聞きました──

ある時、お釈迦さまは舎衛国(しゃえこく)の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられました。
その時、世尊(せそん:お釈迦さま)は阿難(あなん)に次のように語られました。

「阿難よ。善き行い(善根:ぜんこん)には尽きることがなく、それは少しずつ積み重なって、ついには涅槃(ねはん)という悟りの境地に至るのだ。
では、どのような善き行いが三つあるか。これを『三善根(さんぜんこん)』という。

一つ目は、如来(仏さま)に対して供養し、徳を積むこと。
二つ目は、正しい教え(正法:しょうぼう)に対して供養し、徳を積むこと。
三つ目は、聖なる修行者たち(聖衆:しょうじゅ)に対して供養し、徳を積むこと。

この三つの善根は、いずれも尽きることがなく、必ず涅槃の境地へと導いてくれる。

だからこそ、阿難よ──
この尽きることのない福徳を得るために、工夫して実践するように努力しなさい。

このように心がけて、生きるのだ。」

この教えを聞いた阿難は、たいへん喜び、心から受け入れ実践することを誓いました。

 

『供養を実践する者たちの現代物語』

として、「三供養(仏・法・僧への供養)」を現代の社会に生きる人々の姿を通して描いた短編連作物語の第1話をお届けします。

第一話 『祈りの花を、仏に』

東京・上野。
人通りの多い駅前から少し歩いたところに、古びた小さな寺がある。
その寺に、ひとりの青年が足を踏み入れた。名は 原田 誠(はらだ・まこと)。
IT企業に勤める30代のサラリーマンだ。

週末の午後、彼は決まってその寺を訪れる。
理由は、亡き母のための供養だった。

母が亡くなって三回忌を迎える年。彼の心には、ずっと引っかかる思いがあった。
――もっと、何かできたはずだ。
看取れなかった後悔。仕事に追われていた日々。
「ありがとう」も「ごめんね」も、ちゃんと伝えられなかった。

そんなとき、ふと立ち寄ったこの寺の住職が、こう語ったのだ。

「仏に供養をするというのは、ただ線香をあげることではないんですよ。
“仏の心を思い出すこと”です。
あなたの中にある、母を想う優しさや感謝。
それが、供養の花になるのです。」

その日から、誠は毎週末、小さな花を一輪、寺に供えるようになった。
派手な花ではない。季節の草花を、静かに手向ける。

彼の手にはいつも、スマホの画面ではなく、一枚の紙があった。
そこに書かれているのは、母の口癖だった言葉。
「笑ってれば、きっとなんとかなるよ。」

ある日、住職がそっと尋ねた。
「その紙、何ですか?」

誠は少し照れくさそうに笑った。
「母の言葉です。仏壇に置くと、なんだか会える気がして。」

住職は静かに頷いた。
「それは、立派な供養です。
あなたの心が、今も仏に届いているのですよ。」

その日、寺の鐘の音が街に響いた。
忙しく流れる現代の街に、静かな祈りのひとときがあった。

その青年の供養は、仏に向けられた花。
その心は、尽きることなき善の種となって、確かにこの世界に咲いていた。

第二話『本の背中にあるもの――正法を供養する編集者』

東京・神保町。
古書店が立ち並ぶこの街に、一軒の小さな出版社がある。
そこに勤める編集者、斉藤ゆかりは三十代半ば。
仏教関係の書籍を多く手がける老舗の出版社で、数少ない若手編集者だった。

ある日、彼女は一冊の古い草稿に出会う。
棚の奥にしまわれていた、著者不詳の手書き原稿。
表紙にはこう記されていた。

『日々是法(にちにちこれほう)――生活に活かす仏の言葉』

内容は、釈尊の教えを現代の生活に照らして解説する随想集。
だが、どれも名もない人の言葉のように、静かで、誠実だった。

その文を読み進めるうちに、ゆかりは不思議な感覚にとらわれた。
“これは法(ダルマ)の声だ”
そう思えたのだった。

社内会議では、「売れない」と一蹴された。
今は自己啓発やスピリチュアル系の派手なタイトルが求められる時代。
古くさく、著者も不明な仏教エッセイ集など、扱っても赤字になるだけだと。

だが、ゆかりは言った。

「この本には、声があるんです。
静かだけど、確かな祈りのような。
売れるかどうかよりも、今この社会に必要な“言葉”がここにあると思うんです。」

出版部長はしばらく沈黙した後、言った。

「なら……あんたが責任を持つって条件で、やってみろ。」

彼女は個人責任で企画を立ち上げ、印刷所に足を運び、表紙のデザインまで自ら関わった。

やがて出版された本は、広告も出せず書店にもほとんど並ばなかった。
だが、不思議なことに、口コミで少しずつ読者の心に広がっていった。

ある読者がSNSにこう記していた。

「朝、会社に行く前にこの一文を読むと、怒りが少しおさまる。
“いま、ここに生きる心を忘れないように”って。」

斉藤ゆかりは思った。
これこそが、正法への供養ではないかと。
教えを埋もれさせず、言葉を通して人々の心に届けること。
それは、現代における「書く供養」であり、「編む供養」であり、「読む供養」だった。

あの名もなき原稿の筆者は、いまだ不明のままだ。
けれどその言葉は、今も誰かの朝を照らしている。

第三話『カフェに集う僧たちへ――尼僧と若者たちの縁』

京都・左京区の静かな住宅街に、ひとつの小さなカフェがある。
店の名は「梢(こずえ)」。
店主は、四十代半ばの女性、尼僧・美樹(みき)。
彼女は比叡山で修行したのち、俗世と仏法をつなぐ場所としてこの店を開いた。

木の温もりが感じられる内装と、心を落ち着かせるお香の香り。
その店には、ちょっと変わった“常連客”たちがいた。
大学で宗教学を学ぶ若者たち、
仏門を志しているが迷いを抱える青年、
心を病み、しばらく職を離れていた元看護師。

皆、どこかで「仏の教え」に救われた経験を持つ人たちだった。

ある春の午後、美樹はカウンターでお茶を淹れながら、ふとこんな話をした。

「供養ってね、食べ物をお供えすることだけじゃないの。
“支える”っていう意味なのよ。
僧たちの修行が続けられるように、
その道が絶えないように、“縁をつなぐ”こと。」

それを聞いていた大学生の拓真(たくま)が、ぽつりと尋ねた。

「でも……今どき、修行僧って必要なんでしょうか?
SNSや動画で法話も見れるし、
わざわざ山にこもる意味って……あるのかなって。」

美樹は微笑んで、静かに言った。

「必要かどうかを決めるのは、今の人間じゃないわ。
“道がそこにあり続ける”ことが、大事なの。
どこかで誰かが、その道を歩いている。
そう思うだけで、人は安心することもあるのよ。」

その夜、カフェに来ていた看護師の綾香が帰り際にそっと言った。

「私、以前お世話になってたお寺の若いお坊さんに、お手紙を書いてみようと思います。
あのとき助けてもらった感謝、ちゃんと伝えたくて。」

その言葉に、美樹は深くうなずいた。

「それも立派な供養よ。
“僧に心を寄せる”ということも、道を支える灯火なの。」

そして店の奥、ひとつの棚に、
カフェに通う人たちが書いた手紙やメッセージが束ねられていた。
その多くは、今も修行を続ける僧たちに宛てた応援の言葉だった。

それらは、華やかでも、目立つものでもない。
けれど確かに、**修行者たちの道を支える「無言の供養」**であった。

春の夜、梢の灯りは今日もあたたかく、
静かに、僧たちへの祈りを受けとめていた。

 

第四話『尽きぬ福を生きる――三つの灯を継ぐ者』

秋の午後、東京・谷中の古寺で、ひとつの法要が営まれていた。
「報恩法会(ほうおんほうえ)」──
命あるものすべてに感謝を捧げる、年に一度の静かな祈りの場。

参列者の中に、三人の姿があった。
彼らはそれぞれ、別々の場所で供養を実践してきた者たちだった。

一人目は、原田誠(第一話)。
母のために、仏に向けて花を供え続けたIT企業の青年。
この日は、母の好きだった金木犀の枝を手に、初めて法要に参加していた。

「この香りがすると、いつも母を思い出すんです」
住職の問いに、彼はそう静かに答えた。

二人目は、編集者の斉藤ゆかり(第二話)。
出版を通して、正法の声を世に届ける仕事に尽くしてきた。
あの無名の仏教エッセイ集が静かな反響を呼び、今では全国の小さな書店から再注文が届いている。

「教えは、生きてるんだなって思います。
声にならない祈りが、人から人へ伝わっていくみたいに。」

彼女は法会の読経に耳を傾けながら、ふと涙ぐんでいた。

三人目は、元看護師の綾香(第三話の登場人物)。
僧侶への感謝の手紙を書いたことをきっかけに、再び福祉の現場へと戻っていた。
この日、導師を務める若い僧侶は、かつて彼女が手紙を送った相手だった。

読経のあと、二人の目が合った。

僧侶はそっと合掌し、微笑んだ。
綾香も深く頭を下げた。
言葉ではなく、心が交わされた。

法要の終わり、三人は同じ廊下で偶然すれ違った。
初めはただ軽く会釈しただけだったが、ふと境内に並んだお茶席で自然と話し始めた。

「……不思議ですね」
誠が言った。

「違う道を歩いてても、結局“何かを大切に思う心”で、つながってる気がする。」

ゆかりが続けた。

「それって、まさに“供養”なのかも。
仏を想い、法を伝え、人を支える――
結局、それ全部が“誰かに心を寄せること”なんですね。」

綾香は静かに言った。

「その心って、尽きないんですよね。
失われることがない。
誰かがちゃんと、受け取ってくれる。」

三人の前に、紅葉がひとひら舞い落ちる。
風は静かに流れ、祈りの余韻が境内を包む。

その日、彼らはそれぞれの人生に戻っていった。
けれど、三つの供養の灯火は、確かに彼らの胸に灯っていた。
それは誰にも消せぬ、尽きることなき福として。

完 ― 三供養